2010年06月01日 10:26

自然な流れと感情移入。観客の心を動かす大きな力。リヒテル、気ままな猫のように。

リヒテルは語る―人とピアノ、芸術と夢
スヴャトスラフ・リヒテル名演奏集(5枚組)

窓の外を見て、弾く曲を選ばなくてはならない。日光や、雲の濃さや、陰影のつき加減に従って曲を決めるのだ。
(スヴャトスラフ・リヒテル。「リヒテルは語る」より)

『Angel Beats!』について篠房六郎さんと話したことの大体のまとめ
http://togetter.com/li/25179

『Angel Beats!における登場人物達は極めて不自然な行動を起こし、物語も唐突かつご都合主義的に進行するので、その余りの不自然さに、感情移入が阻害されることが頻繁にある』ということは、これまで視聴してきた実感として言えると思いますね…。その点で、篠房六郎さんの最初の方の分析に同意です。

もう少し分かりやすく、視聴者が自然に感情移入できるような形で展開すれば、Angel Beats!は今よりも面白くなったと思います。今の展開は唐突かつご都合主義的過ぎて、毎回ひたすらポカーンとするばかりで、物語の流れの不自然さによって感情移入が阻害されちゃうので…。Angel Beats!、音楽は今期のアニメの中でもかなり良いので、折角良い音楽使っているのに、これでは勿体ないなあと思いますね…。

篠房六郎さん含めて、物語作家の多くは、『観客が展開を自然な流れと感じて感情移入できる作品を、如何に作るか』ということを懸命に考えて物語を作っているわけで、篠原さんがAngel Beats!に感じる違和感について語ることを拝見することは、物語を作る上でも、見る上でも貴重なことだったと思います。篠房さんのコメントをもっと見たかったですね…。

http://twitter.com/sino6/status/15101301597
演出とか映像はあくまでテーマの従属物だと思ってる人が多いのが分かったけど、テーマが演出とか映像の従属物って事もあるよ。例えばアイドル映画とかは、女の子が可愛いのがとにかく第一だし、どっちが尊いかって話でもない。
(篠房六郎)

これは重要なことですね。テーマ最優先の芸術としては、プロレタリア文学とかありますけど、そういった芸術は、テーマに表現・展開が従属してしまうので、表現・展開の幅が狭くなってしまうことが多いんですね。僕はクラシック音楽好きでして、これはクラシック音楽についても言えることです。クラシック音楽には、何かのテーマ(具体的標題)を音で現すための音楽(標題音楽)とは別に、特にテーマを持たない、音楽のための音楽(純粋音楽)があるんですね。ミヒャエル・シュテーゲマンが、チャイコフスキーの純粋音楽について、その様々な感情を動かす力を語っている文章を引用致します。

アッティラ・シャンパイが述べているように、『チャイコフスキーの関心は狭い意味での「標題音楽」を書くことにあったのではない。つまり、物語を語ったりある情景を描くことにあったのではなく、具体的な経験が彼の内面に引き起こした、心理的な、感情的な反応――言い換えれば、実人生によって誘発された様々な感情――を音楽によって表現することにあった』のである。経験が引き起こした真の反響、真の反映とはそういうことなのだろう。
(ミヒャエル・シュテーゲマン。バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル「チャイコフスキー交響曲第四番 幻想曲フランチェスカ・ダ・リミニ」ライナーノーツより)

(交響曲第四番のテーマとは何かと尋ねてきたフォン・メック夫人に対してのチャイコフスキーの返事の手紙)
チャイコフスキーの手紙 1878年3月1日 フォン・メック夫人宛
『普通、シンフォニックな作品に関してそのようなことを尋ねられたら、私は「全くない!」と答えます。特定のテーマなしに器楽作品を書いている時に経験する、いわく言い難い感情は、とても説明できるものではありません。それは、非常に高揚した状態で行われる、音楽による個人的な告白であり、長いこと沸騰していたものが、次には理の当然として、音楽の形をとって吹きこぼれるのです』

こういった、観客の心を動かす力は、Angel Beats!にはあまりないように感じますね。今期の様々な他のアニメの方がこういった力は普通に優れているように思います。例えば野球アニメの大振りの登場人物達の勝ちたいという思いとか、お色気アニメのB型H系のヒロインの恋心とか、そういう、物語において自然な流れに描かれている登場人物達の思いには、すっと共感でき、感情を動かされる。テーマよりも大切なものとして、物語の自然な流れとそれによって生まれる感情移入があり、それが観客の心を動かす大きな力となっていると思います。

何らかの思索的テーマを描くことに汲々となって展開・登場人物描写などがおざなりになり、結果として観客の感情を動かせない作品よりも、テーマは特に持たないが、演出などが確りしており、結果として登場人物達を自然な流れで確りと描け、その登場人物の心の動きも伝わってきて、こちらの心も動かしてくれる作品の方が、僕としては好きですね。

我々の人生も、何らかの絶対的な思索的テーマ(そのために生きなくてはならない絶対的主題)などというものは何もないのですから…。気ままな猫(動物たち)と同じです。動物たちは、別になんらかの思索的テーマの為に生きているわけではありません。のびのび生きています。猫と暮らしていると、にゃんこは自然気ままにのびのび生きてていいなあと実感しますね。にゃんこの気ままな姿を見ていると心がぽかぽかです…。

勿論、人間の場合は、自らの人生にそれ(人生のメインテーマ)を見い出す人もいると思います。ただ、それはあくまでその人が自ら見つけ出すその人だけのものであり、他の人のものではない、このことは大切だと思いますね…。

ぼくは自分が信じていないものに仕えることをしない。それがぼくの家庭だろうと、祖国だろうと、教会だろうと。ぼくはできるだけ自由に、そしてできるだけ全体的に、人生のある様式で、それとも芸術のある様式で、自分を表現しようとするつもりだ。
(ジェームズ・ジョイス「若い芸術家の肖像」)

最後に、僕の好きなピアニスト、リヒテルの言葉を引用しますね。彼が自らの夢とする生活について語った文章です。なんとなく、気ままな猫っぽくて、とても好きな文章ですね。

私(リヒテル)はこんな夢を抱いている。デルフトで演奏するんだ。フェルメールが視点を据えたその場所でね。そこには家があり、最上階にピアノが置いてある。フェルメールが最上階からあの絵を描いたのは確実だ。一昼夜通しで、ぶっ倒れるまで弾く。聴く人は、家の周りの砂地に陣取る。

ワルシャワ近郊のジェラゾヴァ・ヴォラ、つまりショパンの生地では、ピアニストの姿は見えなくても、みな耳をそばだて、庭まで聴きに来るそうだ。

小品だけ弾こう。窓の外を見て、弾く曲を選ばなくてはならない。日光や、雲の濃さや、陰影のつき加減に従って曲を決めるのだ。

夜を迎える。もちろん始まりはドビュッシーの「月の光が注ぐテラス」だ。それからブラームスの間奏曲をいくつか。変ホ短調(作品118-6)とホ短調(作品116-5)。さらにシューマンの四つの夜曲(作品23)の終曲(変ニ長調)。まさしく夜の音楽だ。

夜明けにはシューベルトが最高だ。彼は「早起き鳥」だったのかもしれない。レントラーを二極に、「楽興の時」の一番長いもの(第6曲変イ長調)を。だが再びドビュッシーを登場させる。さっきの練習曲第十番も弾こう!この時間にぴったりの曲だ。

そして早朝の祈祷には、バッハを弾く。「最愛の兄の旅立ちにあたって」というカプリッチョ変ロ長調(BWV992)、それから幻想曲ハ短調(BWV906)。

日が射さない場合は、モーツァルトのロンド・イ短調(K551)がいい。フェルメールの絵さながらの天候であれば、ベートーヴェンのバガテル・ト長調(作品126-1)を弾く。この絵の気分を客観的に表わす曲だ。――つまり、向こう岸からの眼差しがここにある。

太陽が真上まで昇ったら、何よりチャイコフスキーの「四季」の「舟歌」だ。水浴びをしたがる人が出てくるだろう。

活気をもたらすには、ラフマニノフ「楽興の時」ハ長調(作品16-6)とラヴェルの「水の戯れ」だ!

プロコフィエフの「束の間の幻影」の後には一眠りできるだろう。四時から五時の間だ。

日が傾き始めたら、再びチャイコフスキーで、今度は「夕べの夢想」(作品19-1)だ。デルフトにしてはやや感傷的だが、それが私のデルフトなのであって、フェルメールのデルフトではないのだからかまわない。

夕べの礼拝を怠るなよ!朝がバッハだったから、今度はヘンデルだ。私の好きなアリアと変奏(組曲第3番ニ短調)を弾こう。私があの曲を弾くと、ガヴリーロフはいつもそわそわしていた。

晩の音楽はたっぷり用意してある。シューマンの「夕べに」(幻想小曲集作品12)、リストの「夕の調べ」(超絶技巧練習曲集第11曲)――神の命じた曲だ。スクリャービンの「二つの舞曲」(作品73)も外せない。中世の世界に浸かりきらなくてはいけない。これの第二曲「暗い炎」は「死体の上での舞踏」だと言ったのは誰だ?スクリャービン本人かもしれない。しかしこれはまだ「黒い兆し」ではない。場の雰囲気を和らげるには、謝肉祭が必要だ。だが、「ウィーンの謝肉祭」ではなく、「蝶々」を弾こう。カーテンの向こうから、女性の笑い声が聞こえ、時計が十二時を告げる!――まあ、ウィーンの謝肉祭で雰囲気を和らげてもよかろう。

ショパンは十二時以降に弾こう。デーモニシュで、歪みがあり、神秘的で、奇想的で、非対称的で、雄々しく、かつ神々しいショパンだ。仕上げは練習曲。作品二五の第七曲嬰ハ短調。これはすでに別れであり、死である。この曲のあとには、何もありえない。

いちばん難しいのは、以上の曲をすべて弾き通すことだ。一曲弾き終えるごとに、デルフトの風景を写真に撮ろう。なんでも、フェルメールもカメラを利用していたというじゃないか。カメラ・オブスクーラを。

ちょっと、めまいがした。じゃがいもを食べていないからかもしれないな。

この演奏会には君も招待したいのだが……。来てくれるか?魔法瓶持参で、砂地に陣取ってくれ。私を見るのではなく、ひたすら聴いて欲しいんだ。

スクリャービンならこう言うだろう。「夢が形をとる」と。
(スヴャトスラフ・リヒテル。「リヒテルは語る」より)

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