2010年05月31日 21:05

ジョージ・R・R・マーティン「洋梨形の男」読了。とても面白い短編集、お勧めです。

洋梨形の男 (奇想コレクション)
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アメリカのエンターテイメント作家、ジョージ・R・R・マーティンの短編集「洋梨形の男」読了。ユーモアに溢れたトワイライトゾーン風味の奇妙な物語集で、とても面白かったですね。海外の小説は、日本の小説に比べると、どうしても読みやすさで一歩劣るところがありますが(翻訳というプロセスを経ている為)、この本は、吃驚するほど読みやすく、楽しく気軽に読める本です。全体的にどの話も、たとえシリアスな話であっても、どことなくユーモアに富んでいて、すいすい読めるんですね。あと、最初から笑わせに掛かってる話(「終業時間」など)は、まさに「バカ話」であり、ラストのオチがぶっ飛びすぎ&楽しすぎて吹きます。こういう話大好きだなあ…。

本作はSFの賞であるネビュラ賞や、ホラーの賞であるブラム・ストーカー賞を受賞した珠玉の短編ばかりを収録した、奇妙な味の物語を書く作家ジョージ・R・R・マーティンの傑作短編集。一話目からユーモラスで、ぐいぐい引き込まれる面白い短編集で、一気に読了しました。全体的にユーモアがあるので、読んでいて実に楽しい本です。どの物語も、主人公に襲い掛かる事態は、主人公にとっては大変な災厄ですが、読者からすると喜劇的なところが、サイレントのコミカルなドタバタ喜劇映画みたいな感じで面白いんですね。一話目、ダイエットをしようと決心した太った男に襲い掛かるドタバタ悲喜劇を描いた「モンキー療法」の最初のページから引用致しますね。

ケニー・ドーチェスターは太った男だった。

もちろん、はじめから太った男だったわけではない。オギャアと生まれたときは、ほどほどの体重の完璧に標準的な新生児だった。しかし、ケニーの場合、標準的だったのは短期間だけだった。まもなく彼は、子供らしい脂肪にたっぷりとくるまれ、頬をぷっくりとふくらませたヨチヨチ歩きの幼児となった。それ以来、ケニーの体重は増加の一途をたどった。彼はぽっちゃりした子供、でっぷり太った思春期の少年、豚そっくりの大学生と順を追って成長し、成人するころには、これらの中間段階を卒業し、完全な肥満体になっていた。

人が肥満体になるにはさまざまな理由がある。生理的な理由もあれば、心理的な理由もあるだろう。ケニーの理由は比較的単純だった――食べものである。ケニー・ドーチェスターは食べることが大好きだったのだ。(中略)

ケニーはペパローニ・ピザが大好きだった。プレーン・ピザでも、アンチョビーやらなにやらを載せたミックス・ピザでもかまわなかった。牛であれ豚であれ、バーベキューにしたリブ(肋つき肉)をぺろりと平らげられたし、ソースはスパイスが効いていればいるほど好みだった。

レアに焼いたプライム・リブとロースト・チキンとライスを詰めたロックコーニッシュ種の鶏も嫌いではなかったし、上等のサーロインや海老フライやキールバーサ・ソーセージにも目がなかった。ハンバーガーはいろいろと挟んだのが好みだった「ポテトフライとオニオン・リングも添えてください」。ポテトを見ればよだれがとまらなくなる質だったが、パスタとライスも、砂糖漬けのヤムイモも、そうでないヤムイモも好物だったし、つぶしたカブさえ好きだった。

「デザートがいけないんだよなあ」と、こぼすときもあった。甘いものならなんでもござれ、とりわけ、こってりしたチョコレートケーキやカンノーロ(イタリアのペストリー菓子)やホイップクリームをかけた熱々のアップルパイに目がなかったからだ。

「パンがいけないんだようなあ」と、こぼすときもあった。もうこれ以上はデザートが出てきそうにないときである。そういいながら、サワーブレッドをもうひと切れちぎったり、次のクロワッサンにバターを塗ったり、とりわけ弱点であるガーリック・トーストにまた手を伸ばしたりするのだ。

ケニーには、とりわけ弱点といえるものがたくさんあった。彼は超一流レストランとファーストフードのチェーン店双方の権威を自認しており、どちらについても際限なく知識豊富に語ることができた。ギリシア料理も中華料理も日本料理も韓国料理もドイツ料理もイタリア料理もフランス料理もインド料理も好物で、「ぼくの文化的地平を広げて」くれそうな新しい民族グループには絶えず目を光らせていた。サイゴンが陥落したとき、ケニーの頭をよぎったのは、何人くらいのヴェトナム難民がレストランを開くだろうという疑問だった。旅行すれば、地元の名物料理をかならず賞味し、全米の主要都市二十四のどれをとっても、各地で味わった食事を楽しく思い出しながら、どの店が最高かを人に教えることができた。お気に入りの作家は、ジェイムズ・ビアード(アメリカの料理研究家)とカルヴィン・トリリン(アメリカの食べものエッセイスト)だった。

「ぼくはおいしい生活を送っているんだ」ケニー・ドーチェスターは満面の笑みで、そういってはばからなかった。じっさい、彼はおいしい生活を送っていた。しかし、ケニーには秘密の悩みもあったのだ。そのことはめったに考えないし、口に出したりもしないが、それでも分厚い肉の下、体の中心にそれはあった。そしてソースをもってしても水没させられず、頼りになるフォークをもってしても遠ざけておくことができなかった。

ケニー・ドーチェスターは、太っているのが好きではなかったのである。

ケニーは二人の恋人の間で引き裂かれた男のようだった。永遠につづく情熱で食べものを愛するいっぽう、もうひとりの恋人、女性との愛も夢見ていたからだ。そして片方を手にいれるためには、もう片方を諦めなければならないことはわかっており、そのことが彼を密かに苦悩させるのだった。
(ジョージ・R・R・マーティン「洋梨形の男」「モンキー療法」より)

こんな感じで、ユーモアたっぷりなんですね。このモンキー療法以外にも、全編ユーモアたっぷりで、主人公にとっては大変な悩みだが、読者からすると笑えるという感じの展開が多いです。例えば、表題作「洋梨形の男」は、主人公が恐怖するのは、カールのチーズ味を常に持っている神出鬼没のカールおじさんなんですね。確かに主人公にとっては怖いと思うけれど、『カールのチーズ味を差し出してくるカールおじさんの恐怖!』というところで、読み手はどうしてもユーモラスに感じずにはおれないという面白みがありますね。カールおじさんの恐怖を描いたこの小説、明治製菓の人はどう読むのかなあと思ったり。
洋梨形の男

もちろん、あなたは彼を知っている。だれもが洋梨形の男のことを知っている。
(ジョージ・R・R・マーティン「洋梨形の男」)

(お徳用ボックス) 明治製菓 カールチーズあじ 72g×10個
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極めてシリアスな話(「子供たちの肖像」など)であっても、こういったとぼけた味わいのユーモアが深刻さを中和させ、読者が物語を読みやすくしている。お勧めの短編集ですね。作者さんのエンタメ作家としての名人芸をたっぷりと味わえる良質の娯楽短編小説集、お勧めです。

最後に余談ですが、この小説を読むときは、ガーシュウィンをBGMにすると、コミカルな音楽のテンポと小説が良くあって、いい感じですよ〜。あと、読むときに一緒に食べるおやつはカールチーズ味だと、小説とのシンクロ度が高まると思われます。

「きみが来るのはわかっていた。ほら、きみにあげるよ」
それをポケットから引っぱり出し、さしだす。
「いらないわ」とジェシー。「お腹は空いてないの。本当に」だが、お腹が空いている、と彼女は悟った。ぺこぺこだった。ふと気がつくと、彼の指にはさまれた太いオレンジのスナックをじっと見つめていた。不意にそれが欲しくてたまらなくなった。「いらないわ」彼女は重ねて言ったが、その声はいまや弱々しく、ささやき声も同然、そしてチーズ・カールは目と鼻の先にあった。
(ジョージ・R・R・マーティン「洋梨形の男」)

参考作品(amazon)
洋梨形の男 (奇想コレクション)
Gershwin Plays Gershwin
ガーシュウィン・ファンタジー
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