2010年05月30日 14:11
イシュトヴァン・ケルテス「ドヴォルザーク交響曲全集」聴きました。素晴らしい!疾風怒濤の名演!
Dvorak: The Symphonies [Box Set]
ドヴォルザーク:マスターワークス(40枚組)
ドヴォルザーク:交響曲第9番
昨日、図書館に行きましたら、ドヴォルザーク交響曲全集の金字塔として有名なイシュトヴァン・ケルテス「ドヴォルザーク交響曲全集」(海外盤)が入っていたので、さっそく借りて聴いておりまして、先ほど、全曲聴き終わりました。
感想としては、素晴らしいです!!間違いなく傑作です。これまでドヴォルザーク交響曲全集では、ヴァーツラフ・ノイマンの全集と、コシュラー(1〜7番)メニューイン(8番)ヤルヴィ(9番)のごちゃまぜ全集を聴いたことがありましたが(クーベリックの全集はまだ聴いたことないです)、今回聴いたケルテスの全集、圧倒的ですね…。パフェークトです、ケルテス!
ドヴォルザークの曲の特徴としては、彼がアメリカで生活し、アメリカで作曲活動を行ったことの反映と言われていますが、とにかく、『曲が物凄く派手である』ことが挙げられます。彼はそのままハリウッド映画に使えそうな、ど派手な曲を多く作曲した音楽家でして、派手好みのアメリカ人の最も好むクラシック作曲家と言われています。
僕も感性がアメリカンなのか、派手なドヴォルザークの曲の数々、クラシック音楽の中でも特に物凄く大好きなんですが、そんな派手な曲の数々の中において、最も派手なのが、彼の曲の真骨頂たる交響曲、第一番「ズロニツェの鐘」から第九番「新世界より」までの九つの交響曲なんですね。
ケルテスは、この九つの交響曲を、素晴らしく派手に鳴らしており、聴いていて、もう、最高としか…。ケルテスはオーケストラを派手に鳴らすことでは他の追随を許さぬ比類なき指揮者でして、そんなケルテスの個性と、ケルテスの指揮に答えるロンドン交響楽団、そして派手さこそが真髄であるドヴォルザークの交響曲、これら三つの要素が最高の形に重なり合って、完璧な演奏のドヴォルザークの交響曲を地上に顕現させたという想いが、この全集を聴いていると湧き上がりますね!!
お勧めを越えたお勧めという感じですね。素晴らしいです。特に第九番の素晴らしさに深く感涙です。ドヴォルザークの曲はヨーロッパのクラシック音楽の形式とアメリカのポピュラー音楽の形式を見事に融合させたものですが、間違いなく彼の最高傑作と断言できる交響曲第九番「新世界より」のケルテス指揮ロンドン交響楽団の演奏は、この世に望み得る限りの最高の演奏であると心から想わずには入られません。
ケルテスの指揮は、クラシック音楽における三大交響曲(ドヴォルザーク第九番「新世界より」、シューベルト交響曲第八番「未完成」ベートーヴェン交響曲第五番「運命」)の一角たるドヴォルザーク交響曲第九番の第一楽章から第四楽章までを素晴らしく聴かせてくれます。「新世界より」は、全ての楽章の最初から最後まで、全てが見せ場であり、全てが盛り上がりでありますが、それを完璧に、最初から最後まで物凄い盛り上がりで、ケルテスは聴かせてくれます。激しく感動したとしか言い様がありません…。まさに疾風怒濤の名演です。第一番〜第八番も素晴らしいですが、第九番は、凄まじく神懸かった、超越的名演であり、音楽好きは、絶対に聴く価値があります。ケルテスの第九番を聴いていないのは人生の損失と心から断言できます。
ドヴォルザークの曲は、クラシック音楽の形式よりも、聴衆の聴きやすさや聴衆の感動を重視したクラシック音楽であり、とても聴きやすいです。ゆえにアメリカ人に大人気なんですね。形式よりも聴きやすさと感動を重視というところではワーグナーと通じます。僕は歌曲・オペラが苦手なので、インストゥメント(器楽曲)の作曲家であるドヴォルザークが、より好きですね。僕は派手で盛り上がる見せ場の息も突かせぬ連続であるドヴォルザークの曲の数々が好きなのですが、特にど派手な交響曲第九番「新世界から」が一番好きでして、ドヴォルザークの最も素晴らしい特色である派手さを、僕の予想を遥かに超えて、驚くほどにすばらしい形で見せてくれたケルテスの名演には、感動としか言い様がないですね…。
音楽好き、そして大のワーグナー好きで知られる劇作家バーナード・ショーの音楽評論集「完全なるワーグナー主義者」から引用させて頂きましたが、オペラとインストゥメント(器楽曲)の違いはあれど、ここでバーナード・ショーがワーグナーの音楽について述べていることは、ドヴォルザークの音楽についても完全に当て嵌まることだと思いますね。ドヴォルザークの音楽を聴いていると、
『もし楽音に人を動かす力があるのなら、ドヴォルザークはそれ以上を求めはしないとわかるだろう。音楽評論家教育を受けていない天性の音楽好きにとって優しいのだ。彼らとドヴォルザークの間に、誤解の起こる余地はないからである。「新世界より」の音楽は、純にして容易である。』
と、心から感じますね。ケルテス指揮のドヴォルザーク交響曲全集、特にクラシック音楽の中でもずば抜けているケルテス指揮第九番「新世界より」は、クラシック音楽好きのお方々は勿論のこと、普段クラシック音楽を聴かないお方々にも、ぜひ聴いて欲しい演奏です。ケルテス「ドヴォルザーク交響曲全集」素晴らしい名演ですね。特に第九番は例えようのない伝説的素晴らしさ、心から深くお勧めです。音楽好きには第九番だけでも聴いて欲しいですね…。ケルテス指揮第九番はこの世のものとしてありえぬほど素晴らしいので…。
参考作品(amazon)
Dvorak: The Symphonies [Box Set]
ドヴォルザーク:マスターワークス(40枚組)
ドヴォルザーク:交響曲第9番
シューベルト:交響曲第8番「未完成」/第9番「ザ・グレート」
モーツァルト:交響曲第25番/第29番/第35番「ハフナー」
完全なるワーグナー主義者
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ドヴォルザーク:マスターワークス(40枚組)
ドヴォルザーク:交響曲第9番
昨日、図書館に行きましたら、ドヴォルザーク交響曲全集の金字塔として有名なイシュトヴァン・ケルテス「ドヴォルザーク交響曲全集」(海外盤)が入っていたので、さっそく借りて聴いておりまして、先ほど、全曲聴き終わりました。
感想としては、素晴らしいです!!間違いなく傑作です。これまでドヴォルザーク交響曲全集では、ヴァーツラフ・ノイマンの全集と、コシュラー(1〜7番)メニューイン(8番)ヤルヴィ(9番)のごちゃまぜ全集を聴いたことがありましたが(クーベリックの全集はまだ聴いたことないです)、今回聴いたケルテスの全集、圧倒的ですね…。パフェークトです、ケルテス!
ドヴォルザークの曲の特徴としては、彼がアメリカで生活し、アメリカで作曲活動を行ったことの反映と言われていますが、とにかく、『曲が物凄く派手である』ことが挙げられます。彼はそのままハリウッド映画に使えそうな、ど派手な曲を多く作曲した音楽家でして、派手好みのアメリカ人の最も好むクラシック作曲家と言われています。
僕も感性がアメリカンなのか、派手なドヴォルザークの曲の数々、クラシック音楽の中でも特に物凄く大好きなんですが、そんな派手な曲の数々の中において、最も派手なのが、彼の曲の真骨頂たる交響曲、第一番「ズロニツェの鐘」から第九番「新世界より」までの九つの交響曲なんですね。
ケルテスは、この九つの交響曲を、素晴らしく派手に鳴らしており、聴いていて、もう、最高としか…。ケルテスはオーケストラを派手に鳴らすことでは他の追随を許さぬ比類なき指揮者でして、そんなケルテスの個性と、ケルテスの指揮に答えるロンドン交響楽団、そして派手さこそが真髄であるドヴォルザークの交響曲、これら三つの要素が最高の形に重なり合って、完璧な演奏のドヴォルザークの交響曲を地上に顕現させたという想いが、この全集を聴いていると湧き上がりますね!!
お勧めを越えたお勧めという感じですね。素晴らしいです。特に第九番の素晴らしさに深く感涙です。ドヴォルザークの曲はヨーロッパのクラシック音楽の形式とアメリカのポピュラー音楽の形式を見事に融合させたものですが、間違いなく彼の最高傑作と断言できる交響曲第九番「新世界より」のケルテス指揮ロンドン交響楽団の演奏は、この世に望み得る限りの最高の演奏であると心から想わずには入られません。
ケルテスの指揮は、クラシック音楽における三大交響曲(ドヴォルザーク第九番「新世界より」、シューベルト交響曲第八番「未完成」ベートーヴェン交響曲第五番「運命」)の一角たるドヴォルザーク交響曲第九番の第一楽章から第四楽章までを素晴らしく聴かせてくれます。「新世界より」は、全ての楽章の最初から最後まで、全てが見せ場であり、全てが盛り上がりでありますが、それを完璧に、最初から最後まで物凄い盛り上がりで、ケルテスは聴かせてくれます。激しく感動したとしか言い様がありません…。まさに疾風怒濤の名演です。第一番〜第八番も素晴らしいですが、第九番は、凄まじく神懸かった、超越的名演であり、音楽好きは、絶対に聴く価値があります。ケルテスの第九番を聴いていないのは人生の損失と心から断言できます。
ドヴォルザークの曲は、クラシック音楽の形式よりも、聴衆の聴きやすさや聴衆の感動を重視したクラシック音楽であり、とても聴きやすいです。ゆえにアメリカ人に大人気なんですね。形式よりも聴きやすさと感動を重視というところではワーグナーと通じます。僕は歌曲・オペラが苦手なので、インストゥメント(器楽曲)の作曲家であるドヴォルザークが、より好きですね。僕は派手で盛り上がる見せ場の息も突かせぬ連続であるドヴォルザークの曲の数々が好きなのですが、特にど派手な交響曲第九番「新世界から」が一番好きでして、ドヴォルザークの最も素晴らしい特色である派手さを、僕の予想を遥かに超えて、驚くほどにすばらしい形で見せてくれたケルテスの名演には、感動としか言い様がないですね…。
(ワーグナーの音楽を楽しんでもらえるように)意欲促進剤を差し上げたいのは、音楽の専門知識がないために「指輪」(ニーベルンゲンの指輪)を楽しむ資格がないとお感じになる慎ましいお方々である。そうした不安はさっぱりと捨ててしまって結構。もし楽音に人を動かす力があるのなら、ワーグナーはそれ以上を求めはしないとわかるだろう。
「指輪」には「古典派音楽(形式音楽)」的なところはただの一小節もない――ドラマに音楽的表現を与えるという直接の目的以外に目指すものがあるような音符は、ただの一つもない。古典派音楽(形式音楽)だと、プログラム解説に出てくるように、第一主題と第二主題、自由なファンタジア、再現部、そしてコーダがあるし、フーガには対主題や、ストレッタ、通奏保続音がついていたりするし、グラウンド・ベースに乗ったパッサカリア、下五度のカノン、その他諸処の巧妙な仕組みがあるのだが、結局は単純極まる民謡と同様、それらはきれいにできているかどうかで成功も失敗もしてきた。ワーグナーは、こういったもの(形式)を狙って作曲することは決してない。それは、シェイクスピアがソネットとか二様押韻八行詩という詩法の形式を狙って芝居を書いたことがないのと同じだ。
だからこそ、ワーグナーは音楽評論家教育を受けていない天性の音楽好きにとって優しいのだ。学者どもは、ワーグナーの音楽が演奏されるとたちまち叫び出す――「何だこれは?アリアか、レチタティーヴォか?カバレッタがないぞ――完全終止も?どうしてこの不協和音が準備されていないのだ?なぜ正しく解決されないのだ?すぐ前の調性と共通した音が一つもない調に移るとは、なんとけしからん、禁則の移行をやりおって。あの誤った関係を聞きたまえ!ティンパニ六つにホルン八本で何をやろうというのだ、モーツァルトはどちらも二つだけで奇跡を起こしたというのに。あの男は音楽家ではない」
素人にとっては、そんな懸念など与り知らぬことだ。もしもワーグナーがドラマに対する率直な目標を捨てて、ソナタ形式の正しい実践で学者たちのご機嫌を取ろうとしていたら、素直な聴き手にとって彼の音楽はたちどころに理解不能となり、例の恐るべき「古典派」的刺激がインフルエンザの如く襲いかかることであろう。
(クラシック音楽だからといって)何事も恐れるには当たらない。技も学もない音楽好きは、大胆にワーグナーに近づくがよい。彼らとワーグナーの間に、誤解の起こる余地はないからである。「指輪」の音楽は、純にして容易である。古ぼけた学校で学を詰め込んだ音楽評論家こそ、頭の中は捨てたほうがマシなものばかり。
(バーナード・ショー「完全なるワーグナー主義者」)
音楽好き、そして大のワーグナー好きで知られる劇作家バーナード・ショーの音楽評論集「完全なるワーグナー主義者」から引用させて頂きましたが、オペラとインストゥメント(器楽曲)の違いはあれど、ここでバーナード・ショーがワーグナーの音楽について述べていることは、ドヴォルザークの音楽についても完全に当て嵌まることだと思いますね。ドヴォルザークの音楽を聴いていると、
『もし楽音に人を動かす力があるのなら、ドヴォルザークはそれ以上を求めはしないとわかるだろう。音楽評論家教育を受けていない天性の音楽好きにとって優しいのだ。彼らとドヴォルザークの間に、誤解の起こる余地はないからである。「新世界より」の音楽は、純にして容易である。』
と、心から感じますね。ケルテス指揮のドヴォルザーク交響曲全集、特にクラシック音楽の中でもずば抜けているケルテス指揮第九番「新世界より」は、クラシック音楽好きのお方々は勿論のこと、普段クラシック音楽を聴かないお方々にも、ぜひ聴いて欲しい演奏です。ケルテス「ドヴォルザーク交響曲全集」素晴らしい名演ですね。特に第九番は例えようのない伝説的素晴らしさ、心から深くお勧めです。音楽好きには第九番だけでも聴いて欲しいですね…。ケルテス指揮第九番はこの世のものとしてありえぬほど素晴らしいので…。
参考作品(amazon)
Dvorak: The Symphonies [Box Set]
ドヴォルザーク:マスターワークス(40枚組)
ドヴォルザーク:交響曲第9番
シューベルト:交響曲第8番「未完成」/第9番「ザ・グレート」
モーツァルト:交響曲第25番/第29番/第35番「ハフナー」
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