2010年03月21日 13:19
定期的にギフト券を贈って下さって、ありがとうございます。生活と心、とても助かっております。
果しなき流れの果に (ハルキ文庫)
定期的にギフト券を贈って頂き、本当にありがとうございます。昨日贈って頂いたメール、ちゃんと届いております。定期的に贈って頂けるおかげで、生活がとても助かると同時に、心理面でもとても助けられており、深く感謝致します。心からお礼申し上げます。ありがとうございます。生活だけではなく、心理面でも、とても楽になっており、心から感謝しております。
昨日は更新できず申し訳ありません。小説家山田正紀さんのSF小説「神獣聖戦」を読んでいたのですが、これが上下巻700頁あるかなりのボリュームの本で、読むのに昨日丸一日費やしました。ひさびさに壮大なスケール(全宇宙・全時空的スケール)のSFを読んだので楽しかったです。折角ですので、本書について簡単にですが、ご紹介します。
この本は、1980年代に山田正紀さんが書いていた「神獣聖戦」というシリーズ小説をリメイクして一冊の本にした小説でして、僕にとっての小松左京さんの最高傑作にして日本SFの最高傑作「果しなき流れの果に」から多大なる影響を受けていると見受けられる小説です。僕の読後感としては、「神獣聖戦」は「果しなき流れの果に」を超えることを目指したが果たせなかった小説という感じですね…。
小松左京さんの「果しなき流れの果に」は、大宇宙全体がある方向性(大宇宙全体のある種の進化への方向性)を持って果てしない無限の過程を進んでいて、人類というものはその方向性の過程においては、現われてそして消えていく、果てしなくちっぽけなものに過ぎず、なおその巨大にして無限の流れの中でも、人間の人間性に人は心打たれるということを、独特の寂寥感とリリシズムに満ちた筆致で悲劇として見事に書き上げており、日本SFの最高峰だと思います。
小松左京さんの多くのSFに共通する、人間、そして人類の枠組を遥かに超えた、何ものも抗えない全宇宙の巨大な方向性(ある種の進化)というのは、筒井康隆さんによると、小松左京さんは若いとき、マルクスの著書を丸ごとノートに複写するほど、マルクスを読み込んでいるので、そこから来ているとのことですが、なるほどなと思いますね。誰も抗えない宇宙全体の流れと、個々人がそれに翻弄される悲劇というのは、マルクスの歴史観(歴史は個々人の思惑を超えて、決定的な方向に方向性を持って動いてゆくという歴史観)から来ているのかと…。
昨日読んだ山田正紀さんの「神獣聖戦」は、物語の大枠は「果しなき流れの果に」そのままで、それぞれの多様なエピソードの積み重ねが、宇宙の方向性とそれに翻弄される個々人の悲劇を描き出すという、まさに「果しなき流れの果に」なんですが、ただ、それら各種エピソードが、「果しなき流れの果に」に比べると、ぼやけている感じでして、クリアじゃないんですね…。
これは設定的なもので、小松左京さんの「果しなき流れの果に」は、タイムトラベル要素は大きくありますが、個々のエピソードの時系列と因果関係は結構はっきりしていて、宇宙の大きな流れ(進化の方向性)のために、その流れに巻き込まれた個々の人間は悲劇的な運命を辿るという、ストーリーラインははっきりしているんですね。そこで描かれる世界は、あくまでも確りとした世界です。
山田正紀さんの「神獣聖戦」だと、この作品は、量子力学、パラレルワールドを大きなモティーフにしており、色んな可能性が重なって多重に存在し因果律が崩壊している「背面世界」「虚世界」という世界が、現実世界に影響を与えているという設定で、時系列や因果律、世界の独立性などは、霧の中、五里霧中という言葉のように、極めてもやもやした、矛盾を孕んだものなんですね。そのため、読んでいても、しっくり来ないところがままありました。
「神獣聖戦」の作品意図の1つとして、因果律で考える人間には理解不能な世界「背面世界」「虚世界」を描くというのがあるので、読んでいてそのことはよく分かるのですが、結果としてこの作品は、話の筋道や論理的な構成とかは考えても無駄な感じになってしまっている。この点は残念でしたね…。人間には理解不能な因果律が崩壊した世界を、論理で考えるしかない人間の視点から描きながら、なおかつ論理的にその不気味さを浮かび上がらせている小林泰三さんの傑作SFホラー「酔歩する男」などの例もありますし、山田正紀さんの力量ならもうちょっと上手に描けたのではないかと思いますが、この作品は山田正紀さんが若いときに書いた作品のリメイクなので、その辺は、今の山田正紀さんの作品に比べると未熟さを感じざるを得ないところがありますね…。
小松左京さんの「果しなき流れの果に」を意識していることは明白で、そして残念ながら、「果しなき流れの果に」に比べると「神獣聖戦」の出来はかなり落ちる、論理的に明快でSFのセンスオブワンダー(不思議な感覚)を楽しめる「果しなき流れの果に」とは違い、「神獣聖戦」は最初から最後まで焦点がぼやけている感じです。
ただ、それでも、全宇宙、全時空の巨大な流れを描くという壮大なスケールのSFというのは、近年なかなかないので、その点で、「神獣聖戦」も壮大なスケールのSFとしてなかなか楽しめるものでした。ちまちました世界を描くのではなく、ばーんと、大宇宙全体とか時空全体の命運を描くような巨大なスケールのSFが好きなお方々にお勧めです。僕はこういう巨大なスケールのSFが大好きなので楽しめましたね。ただ、「果しなき流れの果に」未読でしたら、間違いなくこちらを先に読むべきかと思います。こちらは、日本SFの金字塔、僕が思う日本SFのベストワンですね…。この「果しなき流れの果に」を初めて読んだときは、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」を初めて読んだときと同等の衝撃を受けました。
最後に、昨日、ギフトメールを頂き、本当にありがとうございます。定期的にギフト券を贈って頂けるおかげで、生活も心もとても助かっており、深く感謝しております。心から感謝しており、深くお礼の気持ちで一杯です。ありがとうございます。
参考作品(amazon)
果しなき流れの果に (ハルキ文庫)
幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
玩具修理者 (角川ホラー文庫)
神獣聖戦 上 Perfect Edition (上)
神獣聖戦 下 Perfect Edition
amazonトップページ
定期的にギフト券を贈って頂き、本当にありがとうございます。昨日贈って頂いたメール、ちゃんと届いております。定期的に贈って頂けるおかげで、生活がとても助かると同時に、心理面でもとても助けられており、深く感謝致します。心からお礼申し上げます。ありがとうございます。生活だけではなく、心理面でも、とても楽になっており、心から感謝しております。
昨日は更新できず申し訳ありません。小説家山田正紀さんのSF小説「神獣聖戦」を読んでいたのですが、これが上下巻700頁あるかなりのボリュームの本で、読むのに昨日丸一日費やしました。ひさびさに壮大なスケール(全宇宙・全時空的スケール)のSFを読んだので楽しかったです。折角ですので、本書について簡単にですが、ご紹介します。
この本は、1980年代に山田正紀さんが書いていた「神獣聖戦」というシリーズ小説をリメイクして一冊の本にした小説でして、僕にとっての小松左京さんの最高傑作にして日本SFの最高傑作「果しなき流れの果に」から多大なる影響を受けていると見受けられる小説です。僕の読後感としては、「神獣聖戦」は「果しなき流れの果に」を超えることを目指したが果たせなかった小説という感じですね…。
小松左京さんの「果しなき流れの果に」は、大宇宙全体がある方向性(大宇宙全体のある種の進化への方向性)を持って果てしない無限の過程を進んでいて、人類というものはその方向性の過程においては、現われてそして消えていく、果てしなくちっぽけなものに過ぎず、なおその巨大にして無限の流れの中でも、人間の人間性に人は心打たれるということを、独特の寂寥感とリリシズムに満ちた筆致で悲劇として見事に書き上げており、日本SFの最高峰だと思います。
小松左京さんの多くのSFに共通する、人間、そして人類の枠組を遥かに超えた、何ものも抗えない全宇宙の巨大な方向性(ある種の進化)というのは、筒井康隆さんによると、小松左京さんは若いとき、マルクスの著書を丸ごとノートに複写するほど、マルクスを読み込んでいるので、そこから来ているとのことですが、なるほどなと思いますね。誰も抗えない宇宙全体の流れと、個々人がそれに翻弄される悲劇というのは、マルクスの歴史観(歴史は個々人の思惑を超えて、決定的な方向に方向性を持って動いてゆくという歴史観)から来ているのかと…。
昨日読んだ山田正紀さんの「神獣聖戦」は、物語の大枠は「果しなき流れの果に」そのままで、それぞれの多様なエピソードの積み重ねが、宇宙の方向性とそれに翻弄される個々人の悲劇を描き出すという、まさに「果しなき流れの果に」なんですが、ただ、それら各種エピソードが、「果しなき流れの果に」に比べると、ぼやけている感じでして、クリアじゃないんですね…。
これは設定的なもので、小松左京さんの「果しなき流れの果に」は、タイムトラベル要素は大きくありますが、個々のエピソードの時系列と因果関係は結構はっきりしていて、宇宙の大きな流れ(進化の方向性)のために、その流れに巻き込まれた個々の人間は悲劇的な運命を辿るという、ストーリーラインははっきりしているんですね。そこで描かれる世界は、あくまでも確りとした世界です。
山田正紀さんの「神獣聖戦」だと、この作品は、量子力学、パラレルワールドを大きなモティーフにしており、色んな可能性が重なって多重に存在し因果律が崩壊している「背面世界」「虚世界」という世界が、現実世界に影響を与えているという設定で、時系列や因果律、世界の独立性などは、霧の中、五里霧中という言葉のように、極めてもやもやした、矛盾を孕んだものなんですね。そのため、読んでいても、しっくり来ないところがままありました。
「神獣聖戦」の作品意図の1つとして、因果律で考える人間には理解不能な世界「背面世界」「虚世界」を描くというのがあるので、読んでいてそのことはよく分かるのですが、結果としてこの作品は、話の筋道や論理的な構成とかは考えても無駄な感じになってしまっている。この点は残念でしたね…。人間には理解不能な因果律が崩壊した世界を、論理で考えるしかない人間の視点から描きながら、なおかつ論理的にその不気味さを浮かび上がらせている小林泰三さんの傑作SFホラー「酔歩する男」などの例もありますし、山田正紀さんの力量ならもうちょっと上手に描けたのではないかと思いますが、この作品は山田正紀さんが若いときに書いた作品のリメイクなので、その辺は、今の山田正紀さんの作品に比べると未熟さを感じざるを得ないところがありますね…。
小松左京さんの「果しなき流れの果に」を意識していることは明白で、そして残念ながら、「果しなき流れの果に」に比べると「神獣聖戦」の出来はかなり落ちる、論理的に明快でSFのセンスオブワンダー(不思議な感覚)を楽しめる「果しなき流れの果に」とは違い、「神獣聖戦」は最初から最後まで焦点がぼやけている感じです。
ただ、それでも、全宇宙、全時空の巨大な流れを描くという壮大なスケールのSFというのは、近年なかなかないので、その点で、「神獣聖戦」も壮大なスケールのSFとしてなかなか楽しめるものでした。ちまちました世界を描くのではなく、ばーんと、大宇宙全体とか時空全体の命運を描くような巨大なスケールのSFが好きなお方々にお勧めです。僕はこういう巨大なスケールのSFが大好きなので楽しめましたね。ただ、「果しなき流れの果に」未読でしたら、間違いなくこちらを先に読むべきかと思います。こちらは、日本SFの金字塔、僕が思う日本SFのベストワンですね…。この「果しなき流れの果に」を初めて読んだときは、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」を初めて読んだときと同等の衝撃を受けました。
最後に、昨日、ギフトメールを頂き、本当にありがとうございます。定期的にギフト券を贈って頂けるおかげで、生活も心もとても助かっており、深く感謝しております。心から感謝しており、深くお礼の気持ちで一杯です。ありがとうございます。
参考作品(amazon)
果しなき流れの果に (ハルキ文庫)
幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
玩具修理者 (角川ホラー文庫)
神獣聖戦 上 Perfect Edition (上)
神獣聖戦 下 Perfect Edition
amazonトップページ