2010年01月10日 21:32

サマセット・モームを読んでいたら「物書きについて」というピリッとした好エッセイがあったのでご紹介致します。

月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)

図書館で借りたサマセット・モームの全集(残念ながら絶版でamazonなどで売っていないようです)を読んでいましたら、「物書きについて」という短くてピリッとした味わいのある好エッセイが載っていたので、丸ごと引用してご紹介します。

サマセット・モーム

「物書きについて」

私は物書きの人生についてゆっくりと考えた。災難が一杯だ。第一に物書きは貧しさと世間の無関心に耐えなければならない。第二に、幾ばくかの成功を手にしたとしても、その後は慈悲の心を持って世間の横暴に身を委ねなくてはならず、移り気な大衆に頼ることになる……、とはいえ、物書きにも一つの報酬がある。心にひっかかるものがあればいつでも、それが忘れられぬ思い出であれ、実らぬ恋であれ、傷ついた誇りであれ、親友の裏切りへの怒りであれ、つまりは、どんな感情も迷妄の思いも、ペンとインクで書きとめ、それを物語なら主題に使い、随筆なら飾りとして使ってしまえばよいのである。それで全てを忘却の彼方へと送り込めるのだ。その人は唯一の自由な人間だ。

なぜ人は文章を書くのかということを、人間描写に定評のあるモームらしい鮮やかな切り口で語っていますね。この文章自体も短いエッセイとして実に綺麗に纏まっていて、流石は名作家だけあって文章が素晴らしく上手いなと思いました。今、ツイッターという一言メッセージをネットに流すネットサービスが、総理大臣などの有名人が始めたということで話題になっていますが、総理大臣はともかくとして、一般の大勢の人がツイッターをやっているのは、まさにモームの言う「それで全てを忘却の彼方へと送り込めるのだ」というのが当て嵌まるのかなと。官邸に集まった広告宣伝の専門家などの側近達が作っているのであろう総理大臣のツイッターのメッセージとは違って、一般の人々が書くツイッターのメッセージの多くは見たところ、誰かに読んでもらう為ではなく、ただひたすらその時の自分の気持ちを一言書く為のものとしてあるみたいですからね…。

僕の場合は、頭が古いのか、文章を書く第一義は文章を残して誰かに読んでもらう為との意識が強いので、誰かに読んでもらうことを企図しないツイッターの仕組みは随分と奇妙に感じて、誰にも読まれないにも関わらず、ツイッターで一言メッセージを書く(しかもそのメッセージは時間が立つと古い順に消えてしまう仕組みになっている)ということをやりたいとは思いません。僕の場合は、誰にも読まれない私秘的な思いを書くなら、夜寝る前にでも日記(ブログではなく、日記帳にペンで書く普通の日記です)をつけるのが一番だと思うのですが、これだけツイッターが流行っているということは、ネットでクローズドに私秘的なことを書くということに、僕には分からないある種の魅力があるんだろうな、とは思います。先に挙げた「それで全てを忘却の彼方へと送り込めるのだ」というのをいつでも行えるというのが、その答えなのかなと、モーム全集を読みながら考えていました。

僕は、自分の文章を読んでくださって、読んで下さったお方々が何かしら楽しみを感じてくだされば、嬉しいなという気持ちで書いているので、読者のお方々との繋がりを感じるのが文章を書く意欲の一つですが、ツイッターはそういった繋がりではなく、もっと求道的に、自らの思いや記憶の整理の為に仕組みがあるのかと思うと、ネットは発達するに連れ、孤独に過す技術を深める形で進化しているのかなと感じましたね…。

あと、話は変わりますが、モーム、短編が実に上手いですね…。長編「月と6ペンス」が有名ですが、僕の個人的な趣味としては長編よりも切り口が鮮やかでピリッとしている短編各種が好みかな。短編好きにお勧めの名作家さんです。

参考作品(amazon)
月と六ペンス (光文社古典新訳文庫)
雨・赤毛 (新潮文庫―モーム短篇集)
コスモポリタンズ (ちくま文庫―モーム・コレクション)
モーム短篇選〈上〉 (岩波文庫)
モーム短篇選〈下〉 (岩波文庫)
読書案内―世界文学 (岩波文庫)

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