2009年12月24日 20:39
今日はクリスマスイブですね。猫たんとお祝いしました。ジョージ・ハーバートのキリスト教詩「花」「愛」
今日はクリスマスイブですね。うちの猫たんは猫用おやつのささみが好きなので(あまりあげ過ぎると太っちゃうので普段はキャットフードと水の食事で、ささみはときどきあげています)、猫たんのささみと、後はハンバーガーとケーキを買ってきて、猫たんと一緒に食事してお祝いしました。お祝いする日があるということは良いことですね…。僕なんかは孤独なので、こういう機会でもないと、お祝いをするということを完全に忘れてしまうので…。クリスマスですので、聖書を読み返していました。
聖なる日が皆さんにとって良き日でありますように。ジョージ・ハーバートの宗教詩「花」「愛」をご紹介させて頂きます。キリスト教詩の中においても、非常に美しく、鮮やかなイメージの詩で僕の好きな詩です。「彼の宗教詩は、敬虔な信仰者がしばしば経験する、救われた喜びと神から疎外された苦しみとの、交錯した心理を的確に表現している」(イギリス名詩選)
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イギリス名詩選 (岩波文庫)
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「聖霊があなたの上に至り来て、いと高きものの力が〔その影で〕あなたを被うであろう。このゆえに、生まれ来るものも聖なるものと呼ばれ、神の子と〔称せられ〕るであろう。
(ルカ福音書)
聖なる日が皆さんにとって良き日でありますように。ジョージ・ハーバートの宗教詩「花」「愛」をご紹介させて頂きます。キリスト教詩の中においても、非常に美しく、鮮やかなイメージの詩で僕の好きな詩です。「彼の宗教詩は、敬虔な信仰者がしばしば経験する、救われた喜びと神から疎外された苦しみとの、交錯した心理を的確に表現している」(イギリス名詩選)
イギリス名詩選より
ジョージ・ハーバート
「花」
おお、主よ、再び私の許に戻り給うた主よ、再び主に
めぐりあえたこの喜びの、なんと爽やかなこと!春の花に
再び会えた思いなのです。花に会えた喜びは勿論のこと、
過ぎ去った冬の寒さを思えば、その喜びはさらに深まるのです。
苦しみが五月の
雪のように解けてゆき、
この世に寒さがあることさえ嘘のように思われるのです。
私の凋んでいた心が再び緑に萌えだすとは、いったい
誰が想像しえたでしょうか?朽ちた私の心は、
土の下に埋もれていたのです。それは盛りを過ぎた花が、
その母なる樹の根元に散りしいてゆくのに似ています。
そこでは花たちは身をすりよせ、
厳しい冬の間、よそ目には死んだように
見えながらも、ひっそりと生きのびてゆくのです。
おお、力なる主よ、私は主の御業を賛美します。主は、
私たちを殺すことも生かすことも、地獄に落とすことも天国に
昇らせることもお出来になるのです、それも須臾の間に。
そしてまた、弔鐘の音でさえ美しい調べに変えることも……。
私たちは、愚かにも、あれこれと
勝手に決めることもしばしばです。もし
私たちに正しく理解できれば、御言葉こそすべてなのに!
できれば無常を超え変化を超えたい、朽ちざる花の咲く
楽園の人になりたい、とかつては私も願ったのです!
くる朝も、くる朝も、上に昇ることを心がけ、ひたすら
天を仰ぎ営々と苦しみながら、そこに達したいと願ったのです。
私のこの花も、そうです、私という花も、
春雨に欲しないわけではなかったのです、
この身が罪に塗れていたにもかかわらず!
ですが、私が終始天をめざし、ひたすら高きを窺い、
首尾よく天国に達しえたと思った瞬間、私は主の御怒りにふれ
たちまち失意のどん底に沈みました。どんな酷寒も、
御怒りの厳しさには比ぶべきもありません。どんな極地も、
いわば酷熱の砂漠と同じです。
主が御心をそむけ、憤怒の色を
いささかなりともお示しになるときには!おお、主よ!
そして、今、年老いた私に蕾が芽生えてきたのです!
多くの死の苦しみを経て、今、私は蘇り、詩を書いております。
再び朝露と雨の匂いをかぎながら、こうやって、
詩を書く喜びに浸かっております。おお、私の唯一つの光よ、
光なる主よ、まさかこの私が
一晩中主の御怒りのあの
激しい嵐に苦しんでいたあの人間と同じ人間だとは!
愛の主よ、私は主の御業を讃美します。主は、私たちが
人知れずそっと朽ちてゆく花であることを、教えておられます。
私たちがこのことを心の底深く悟るとき、
主は私たちの住むべき楽園を与え給うのです。そして、
自らの力を恃み、さらに高きを
望むものは、傲慢に災いされ、
その楽園を失うことを、私たちに教えておられるのです!
「愛」
愛なる主は。よく来たとばかり、私を迎え入れ給うたが、
塵と罪に塗れていた私の魂はあとじさりした。
だが、こんな風に戸口から一歩入った瞬間忽ち怯んだ私を、
主は目ざとく見つけ、さっと近づき、
声をかけ、どうした、何か忘れものでもしたのか、と
優しく訊ねられた。
「私には主の客人となる資格がないのです」と私は答えた。
「お前こそわたしの客人なのだが」と主は言われた。
「この不実で恩知らずの私が、でしょうか?おお、主よ、
私にはお顔を見る資格がないのです」
主は私の手をとり、にこやかに言われた、「お前のその眼を
誰が、私以外の誰が、造ったというのだ」と。
「勿論、主が造られました。ですが私は汚してしまったのです。
ですから、受けるべき恥を私に負わせて下さい」
「そのはずかしめを誰が負ったのか、知らないのか」と主は言われた。
「おお!私は今こそ主にお仕えします」
「席につき、わたしの出す肉を食べるがよい」と主は言われた。
私は席につき、その肉を食べた。
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