2008年07月05日 13:05
「セント・ジョーンズ・ワート」
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僕の好きな同人18禁ゲームにぶらんくのーと「ひまわり」という作品があるんですが、ちょっと面白い発見をしました。発見したとき、少しニコッてしちゃいました。
ウィキペディア「うつ病」
http://ja.wikipedia.org/wiki/うつ病
うつ病(うつびょう、鬱病、欝病)とは、気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠などを特徴とする精神疾患である。アメリカ合衆国の操作的診断基準である DSM-IV-TR などでは、「大うつ病」(英語: major depression)と呼ばれている。うつ病は、従来「こころの病気」とされてきたが、最近の研究では「脳の病気」ととらえ、うつ病患者の脳内に不足している脳内物質(ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンなど)の分泌を促進させる薬物療法などが主流になってきている。
ウィキペディア「トリプトファン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/トリプトファン
生体内において、酸化還元酵素に関与する補酵素として重要)をはじめ、セロトニン・メラトニンといったホルモン、キヌレニン等生体色素、また植物において重要な成長ホルモンであるインドール酢酸、などの前駆体として重要。トリプトファンの代謝は極めて多様であり、また複雑である。大きく分けて、セロトニン経路 脳・腸・マスト細胞。セロトニン・メラトニンの合成に向かう経路。(中略)食品中に含まれるトリプトファンの量(食品 100 g あたり)食品名含有量(mg)
バナナ 10
豆乳 53
牛乳 42
ヨーグルト 47
プロセスチーズ 291
ひまわりの種 310
アーモンド 201
肉類 150〜250
糸引納豆 242
すじこ 331
たらこ 291
白米 89
そば 192
ひまわりの種 310
ひまわりの種にこんな効果があったとは…!!
これから僕もひまわりの種をぼりぼり食べないと!!(爆)
ただ、個人的には、うつに利く自然物質はセイヨウオトギリソウ(セント・ジョーンズ・ワート)の摂取が一番いいのかなという感じは、色々関係書読んだ結果、持っておりますが…。
ウィキペディア「セント・ジョーンズ・ワート」
http://ja.wikipedia.org/wiki/セント・ジョーンズ・ワート
セント・ジョーンズ・ワートが機能する機構は正確には不明であるが、従来のSSRI系の抗うつ薬と同様にセロトニンの再吸収を阻害することが関係すると信じられている。(中略)セント・ジョーンズ・ワートはある種の薬物の量を体の中で減少させる作用があり、そのためその薬物の効果を減じさせる。他の抗うつ薬(SSRIや三環系抗うつ薬)
セント・ジョーンズ・ワートは抗うつ薬の効果を減少させるので、抗うつ薬を服用している僕には使えないんですね。ただ、抗うつ薬を使っておらず、軽度のうつ気味の方には効果があるかも知れません。でも本当に心が疲れたら必ず病院に行って下さいね…。
後、お金に困っててamazonでもし買い物のご機会あるとき買い物してくださると助かります。もう本当に非常にぎりぎりの状態で、こういうお金のこと何度も書いて、本当にごめんなさい。今、うつ病で無職で貯金を取り崩しながらぎりぎり(猫はちゃんとお世話しています)生活でお金がないと負のデフレスパイラルみたいな状態になって、例えば、秋葉原とか行くのにも、交通費がかかるので行きづらく、行ったとしても何も買えず(安い漫画くらいならぎりぎり…)ゲームは高すぎて買えないので、ゲームの紹介・感想書きたくても、お金がなくて紹介できず、ゲームは高単価ですから感想書いた好きなゲームが売れると、以前アフィリエイトもその分入ってたんですが、(ウィザーズクライマーとか、とても好きなゲームで、好きな作品で沢山売れてとても嬉しかったです)貧困だとゲーム自体買えず、買い物も移動も全ての行動が、金銭的にどんどん不可能になっていってしまって、更にうつが重なって寝るか読むか書くか以外の行動することが現在とても困難になってしまって…。アクセス数も落ちて収入なくて、他からのリンク張って頂けたりするととても助かります…。
あと、なでしこやまとさんは、ねこねこブログにリンク張って助けてくれて、本当に優しく励まして頂き、気持ちを助けていただいて、とても本当に優しい人です。なでしこやまとさんは本当に優しくて、良い人です。とっても真っ直ぐで素直な心情の伝わる良いレビューを書かれます。お勧めサイトさんです。
なでしこやまとさんです
http://ndsk.net/
あと今後は、なるべく明るい楽しいこと書いて、こういうこと(お金のこと)も書かないように努力します。なるべく、皆さんの気持ちが楽しくなるようなことを書いていきたいです。
ひまわりはとってもいいゲームなので、未プレイの方はぜひプレイお勧めです。
参考リンク
ぶらんくのーと公式サイト
参考作品(amazon)
「ひまわりの種」
「セント・ジョーンズ・ワート」
ブルームフィールド、他「セントジョーンズワートとうつ病」
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2008年07月04日 18:40
シェイクスピアソネット98
春のあいだ、私はきみから離れてすごした。
色鮮やかな四月が晴着を着飾り、
あらゆるものに青春の息吹を吹き込んだので、
陰気なサートゥルヌスさえ、笑い声をあげて、
一緒に踊りまわっていた。だが、鳥の歌を聞いても、
色も香りもとりどりに咲く花々の甘い匂いをかいでも、
私は夏向きの楽しい話を語る気にはならなかったし、
咲き乱れる花床から花をつむ気にもならなかった。
百合の花の白さを愛でることもなく、
薔薇の深い赤らみをほめることもなかった。
これらは芳香を放つもの、要するに君をなぞった
快い模写にすぎない。君が全ての手本なのだ。
ともかく、まだ冬の感じがした。
そして、君がいないから、君の影とたわむれるように、
私はこれらとたわむれた。
うつって、まさにこの君(=僕の解釈としては『感じる魂・心』)
が自分の心身から消えていなくなっちゃうような感じなんですね…。あまりに深く傷つけられた心魂が怯えて隠れてしまう…。心魂というものの繊細さ、大切さをとてつもなく実感しました…。本当に大切なものは、いつも一緒にいるから気が付かなくて、それがいなくなったとき、始めて気が付くんですね…。皆さんも、自らの心魂を大切に優しくしてあげて欲しいです…。
参考図書(amazon)
シェイクスピア「ソネット集」
シェイクスピア全集
それで、僕は今無職で、貯金を取り崩しながら暮らしているんですが、貯金を取り崩しながらの生活が、今、無感情に第三者的に感じられるんですね。客観的に見られるというか。それで振り返ってみると、こういう生活だとまず最初は定期的に買っていた娯楽品が買えなくなります。僕の場合はゲームとかアニメDVDとか漫画雑誌や漫画やライトノベル。本は図書館で借りられますが、人気のある新刊は読めなくなります。僕は元々働いていた頃も収入少なかったので、遊行費は全部ゲーム・アニメ・漫画にあてて、本はほとんど図書館で借りるという生活だったのでして、ゆえに前からライトノベルの知識は弱いんですね。ライトノベルまで予算的に手が回らなくて(ライトノベルは図書館においてある数が少ない)。逆に、図書館中心で本読んでいくと必然的に古典を結構読む感じになってそれは僕としては良かったなと思ってます。古い本の幻想的なところが好きです。
閑話休題。お金なくなると一番きついのは購読していた雑誌買えないことですね…。特に漫画雑誌ってバックナンバーが手に入りにくかったりするので、悲しくて。漫画雑誌とか買っちゃ駄目と感じながら買ってしまって身銭切って後悔するみたいな(うつ状態だと更に辛くなります)状況になります。貯金取り崩して生きていると、本当に「お金=命」だなと感じます。それでも漫画買っちゃったりして、なんか、漫画というより命を読んでいる感じです。でも、読んでも、楽しいという感情が沸いてこなくてよけいに辛くなってしまったりします。後は、食費は、うつだと僕の場合食欲が全然ないのでかからなくなります。動けなくならない程度に食べる感じです。どんどん体重減って、これでメタボリックシンドロームの心配はないなみたいな。(逆にうつで過食になる場合もあって色々あるみたいです)性欲も消えるので、僕の場合消えないのは、読書欲と執筆欲ぐらいでした。一番酷いときは、読書欲と執筆欲も消えて、辛い無の世界に吸い込まれる感じです。性欲がないので、女性の裸の絵とか見ても、純粋な美的判断しか沸かないですね…。
でも、いま凄くいい先生に掛かってて、お薬で感情とか戻っていずれ全部回復しますって云ってくれて、とても心が助けられています。お薬って本当に利くんですね。あと、精神科医の先生とお話しすると心がほっとします。治ると云ってくれて…。お薬ないときはもう、最悪を超えた最悪というか、表現しようのない無でした。自分が空っぽになって、心が消滅して、考えるだけの機械みたいになって、なにも感じない無になるんです。でも、治療するとだんだん、有の世界に戻ってきます。
無の世界にいた僕がいま少し感情とか戻ってきたのもこの先生とお薬のおかげで、ずっと時間はかかる(うつ病は時間のかかる病気みたいです)かもしれませんが、少しずつでも、生き生きとした感情を取り戻して、励ましてくださった、助けてくださった皆さんにご恩返しができるような生き生きとした文章を書けるようになりたいなと、思っております。
あと、もし、心が疲れてしまった方がいたら、必ず、精神科や心療内科に掛かって治療を受けてください。プロのお医者様は本当に凄くて、自分の心身が凄く辛いときでも、心身を救って楽にしてくれます。今は、いいお薬もあって、本当にお薬に助けられます。心が辛いときは、決して無理をせず、ゆっくり休養して、養生して治すこと、みんなそうなればいいなと思います。
そして、メンタルな病に限らず、あらゆる病の人を、お金(医療費・生活費)などの負担をもっと低くしてゆっくり治してくれる公的な仕組みとか、もっともっと整えばいいなと僕は思います…。お金なくても生きられるような世界になればいいなと、心から思います。今は「お金=命」の世界ですからね…。
ああ、晴朗な気持ち。すっきりした気持ちが恋しい。今のままではどちらを向いても頭がにごっているような気がするし、いくら洗っても落ちないけがれがあるように思えるし、手に砂糖がついているような気持ちがような気持ちがしてばかりいる。
(梶井基次郎「彷徨」)
これはまだ強迫観念・神経衰弱的な状態で、この後来る「無」が、僕は表現しようのない言葉のない苦しみでした…。心が消えてしまうという例えようのない苦しみ…。
何をするのも嬉しくって、嬉しいことをすればその報酬に何倍も嬉しいことが目の前に見えて来る。嬉しい結果を招く原因が嬉しい行為。ああ。無闇にほしい。
(梶井基次郎「彷徨」)
この通りで、僕もまたいつか、嬉しいとか楽しいとか純粋に生きていると感じたいです…。
梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)
2008年06月29日 13:39
「チーズスイートホームのDVDが出ました。とても嬉しいです。」のエントリの続きです。僕は、猫昔から大好きで、猫にいつも元気を貰っている感じだったんですね。猫撫でたり、一緒にいるだけで幸せで、生きていく元気を貰えるんです。
これ、うつ病になる前に書いたチーズスイートホームと猫の文章です。
うつ病になってからも、猫にはどれだけ助けられたかわかりません。撫でると、ほっとしますし、最近少し楽になってからは、辛いときは猫の姿のこと考えるようにしてました。そうすると辛い気持ちが少しだけ和らぐんですね。神秘的な猫からの助けを本当に感じました。
正確に統計はしていないので分りませんが、うつ病(と推定されている)として有名な人には、アメリカのリンカーン大統領や、作家のヘミングウェイ、同じく作家の梶井基次郎さんとかいますが(夏目漱石についてもうつの可能性があります)、そういう人がみな猫好きなのは、猫からきっと元気を貰えることを直感的に感じるところもあるんじゃないかなって僕は思っています。オカルトじみたものは絶対ダメという意見もありますけど、人間の神秘的な感覚や直感って、結構あてになるものだと僕は思っているんですね。自分を助けてくれる神秘的な動物に愛情を感じるみたいなのがあるのかも知れないな、と。その辺で、心理学では、フロイトではなく、ユング読むの大好きだったりします。
うつ病のメカニズムはまだよく分っていない部分が多いみたいですが、幾つか本を読んで僕の理解したところでは(間違っていたらごめんなさい)元々脳内にストレスに対処する脳内物質のセロトニンやノルアドレナリンが少なめの人でストレス耐性に対する負荷が低い人がストレスを受ける、または、セロトニンやノルアドレナリンが普通の人でも過度のストレスを受ける、または何らかの原因不明の病因トリガーがひかれると脳内の化学物質のバランスが崩れて発症するらしいのですが、猫っていうのは、そういうストレスに弱かったり、心が感じやすかったりする人を助けてくれる動物だと僕は思っているんですね。逆に、そういう人が猫に愛情を抱いて好きになって猫の世話をする、人間と猫の共生、互いに補える二人三脚みたいな、神秘的なコンビネーションを感じます。
うつ病とはまた違いますが、色々と人生を苦労した人々とその愛猫との関係について愛情こめて書いた好著に「吾輩のご主人」という本があります。素敵ないい本です。この本に出て来る画家の熊谷守一さんの言葉とか、僕はとても好きですね…。
「私は生きることが好きだから他の生き物も皆好きです。猫は飼いましたが、犬はあまりに人間に忠実なので、見るのがつらくて飼ったことはありません。生き物は人間と違って、ウソをいわないからかわいいと思う。人間のほうは、もの心がつくとウソをつくからいやになってしまうんです。」
(熊谷守一。原口緑郎「吾輩のご主人」より)
猫が人間を癒してくれるというのは、科学的根拠もいくつか挙げられています。
「D・モリス博士によれば、ネコを飼っていれば飼わないより長生きできるという。ネコとの単純でいつわりのない関係によって、なぜか解放された気分になり、これが実に健康に好影響をもたらすそうだ。とくに人間関係からくるストレスにはネコとの絆が大きな報酬となる。
(中略)それで実際に「ネコ療法」なるものまで誕生している。これは精神病患者がネコをペットにすることを許されると、いちじるしく症状が改善されるという多数の例を持って証明され、ストレスがもとで心臓病になった人々にとっては、ネコを飼うことで血圧が下がり、心臓の負担が軽減して、文字通り、生死を分かつのだという。
さらにモリス博士は「ネコ療法」を有効とするための驚くべき実験の例を述べている。実験室でネコの飼い主に電極をとりつけて、その生理的反応を調べたところ、ネコを撫で始めると体の各器官系がめだって鎮静し、緊張がとけて体がリラックスしていくというのだ。」
(沼田朗「ネコ 無用の雑学知識」)
これ凄く分るなというのは、うつで辛いことの考えが止まらないとき、動悸が自分でもわかるほど凄く激しくなって、物理的に胸が痛いんですね。だけど、猫なでてると、心がなんていうのかな、ふんわりするんです。安心できるんですね。安心って言葉よりも、深い繋がりを感じます。それで、猫が優しくにゃ〜んって鳴いて、心が本当に暖められます。
医学博士・町沢静夫氏の「ペットが元気を連れてくる」によると、動物は人間にとって、環境を測るバロメーターであり、そのくつろぐ姿はあたりが安全であることを示しているという。したがって、人間の心も体も本能的にリラックスできるのだ。
(博学こだわり倶楽部「ネコに遊んでもらう本」)
これも実感したことあります。以前、温泉地に行ったとき、そこの野良猫が、物凄く人に慣れてて、にゃ〜んってこっち来るんですよ。夜でしたし、首輪もないし、たぶん野良猫だと思ったんですけど、人懐っこくて、ああ、ここの温泉地の人たちはみんないい人達だなって感じました。先日見たアニメ、これも僕の好きな作品なんですが「我が家のお稲荷様」って作品で、温泉旅行の回で、道歩いているだけでどんどんおまんじゅうとか貰えちゃうんですよ。これ実際にそうでして、温泉地ってみんな人懐っこさがあって、猫もきっと可愛がられているんだろうなって思いました。こういう優しさに触れると、ほっとします。
あと、これ、僕は猫の本一杯読んでいるので、どこの本に載っていたかちょっと分からなくて申し訳ないんですが(うつ病の本だったかも知れません)、うつ病でペットが飼えるときは猫が良くて、なぜかというと、犬は人間に忠実なので、人間が元気がないと犬まで辛くなってしまうんですね。両方落ち込んじゃう。だけど、猫は飼い主の状況にあまり影響を受けず泰然自若としているので、辛い心が慰められるんだそうですね。
猫のそういうところもまた僕は大好きで、一緒にいるだけで、ふんわりします。
僕にとって、猫は、物理的なものを越えた、大切な心の繋がり、神秘的な暖かいパートナーって感じがします。猫大好きです。
参考作品(amazon)
原口緑郎「吾輩のご主人」
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DVD「チーズスイートホーム」
チーズスイートホームのDVDが出ました。嬉しいです。今はお金なくて買えませんが、いずれ必ず買うつもりです。僕はこの作品が、本当に好きで好きで大好きで、うつ病になってありとあらゆるものが辛い一番酷いときも、今もこの本を枕元において、お守りみたいにしていたんですね。
僕の飼っている猫も毛並みとその色がチーそのままで、僕の飼っている猫は性格はお澄ましさんでちょっと高慢(でも凄い可愛い)なので、チーとは性格は違いますが、それでも、大人の猫ですが、子猫みたいなときもあって、チーと重なって、凄く嬉しいんです。あと、さびしがり屋で、そこはチーに似てます。可愛いです。
チーズスイートホームとてもいい作品です。お勧めいたします。この作品読んだり、アニメ見たりしてると心が暖められます。
あ チー! チーだ
みゃーん
チーおうちに帰ろう
みゃーーん
わーい
おうちに
かえう
(こなみかなた「チーズスイートホーム」)
DVD「チーズスイートホーム」
こなみかなた「チーズスイートホーム」
ぬいぐるみ・ホビー「チーズスイートホーム」
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「夜」
ひたひたしんしんと迫ってくる黒い影
肺腑を通り抜け いつまでも氷の爪痕を残す
中天から果ての最後まで全てが黒い影
万物空間時間世界全てが黒い影
伸び縮みしながらいつまでも追ってくる黒い影
夜
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今僕は、かなり強い抗不安薬とか飲んでますので文章が散漫になるかと思いますがごめんなさい。頑張って、文章書いてみます。
今、僕がかなり心が助かっているのは、抗うつ薬をずっと飲んできて、最近それが、少しずつ効いているみたいで、まだかなり辛いですが、助かっています。うつ病になると辛いことの恐怖と不安で頭の中が真っ黒に塗りつぶされてしまうのですが、抗うつ剤というお薬はそれに光が差し込んでくる感じで、少しずつ、明瞭に合理的に物事を考える力が戻ってきます。僕は、最初は辛くて他の感情・思考が消えてしまい、かなり酷い状況だったんですが、ずっと飲んでるとある日、合理的な思考みたいのが、少しずつ戻ってくる感じです。本当に薬は大切だと実感致しました。もし、お薬がなければどうなっていたかわかりません…。今も辛いですが、一番酷いときに比べると、かなり助かっています。
命を救うお薬は、身体を救うだけじゃなく、心も救うのだと実感しました。身命心霊を救われる、お医者様と医療に携わる方に感謝の気持ちで一杯です。僕は医学の専門家ではありませんが、僕にお薬が効いたということは云えます。
精神科医で精神薬学者のドナルド・クライン博士がデータを分析し、次のような結論を下した。重症のうつ病患者に対して、薬物療法は、二つの精神療法や偽薬より早く効果が現れ、全体として効果が高い。(中略)
中程度より重いうつ病で、自殺を考え、無力感を抱き、日常生活が困難な状況にある人は、第一の治療として統合療法を選ぶべきでない。処方薬による薬物療法を、真剣に検討すべきである。それでいったん回復したら、その時点で統合療法のアプローチを考えても危険はないし、問題ないだろう。
(ブライアン・P・クイン「うつ」と「躁」の教科書)
お薬と医学の進歩とお医者様・医療に携わる方は本当に貴いと思いました。僕は小説が好きなんですが、うつ病で自殺してしまわれたと考えられている作家の方、幾人かいて、お薬を使ってもっと、はやく助けられれば…と思います。お薬の開発自体が時代的に新しいものなので、古い作家には間に合わないのですが、それでも、お薬があれば、死なずに済んだのではないかと思う作家さん、います。
猟銃自殺したアーネスト・ヘミングウェイは双極性障害(躁うつ病)だったと云われていますし、芥川龍之介さんも、僕の好きな作家ですが、晩年の作品、遺稿の「或阿呆の一生」の最後の文章とか、他人事と思えなくて…(引用します)
青空文庫「或阿呆の一生」 五十一 敗北
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/19_14618.html
彼はペンを執る手も震へ出した。のみならず涎さへ流れ出した。彼の頭は〇・八のヴエロナアルを用ひて覚めた後の外は一度もはつきりしたことはなかつた。しかもはつきりしてゐるのはやつと半時間か一時間だつた。彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしてゐた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。
(昭和二年六月、遺稿)
これ、今、読んでて、涙がでてしまって。芥川龍之介さんがうつ病かどうかはわかりませんが、うつ病でもこうなっちゃうんですね。頭がずっとボーっとして、時間の感覚が失われて、ただ辛さ・苦しみだけが唯薄暗い中支配するんですね。全てが苦痛に満ちた強迫観念に支配され、ペン(合理的思考)は刃がこぼれてしまう。僕の好きな作家の梶井基次郎さんも、読んでると、うつ病のように思えますね…。
私は時々堪らなくいやな状態に陥ってしまうことがある。おうおうとして楽しまない。心が明るくならない。そう云ったものに実感が起こらなくなる。ものに身が入らなくなる。考えの纏まりがつかなくなる。ひとと話をしていても、自分の云っていることはみな甲所の外れた歯がゆい空言にしかならない。懐の都合は勿論はっきりした買いたさもなしに、とんでもないものを買ってしまったりするのもその時だ。何かなしひとから悪く思われているような気がするのもそんな時だ。普段喜びを感じながらしていたことがみな浅はかなことにしか思えなくなるのもそんなときだ。私はひどくみじめになってしまう。自分がでに何が苦しいのかと訊きたくなる。たちの悪い夢を背負っているようだ。夢のようなとうとつな凶が不意に来そうで脅かされる。身体は自由でありながら、腐れ水のような気だけはどうにもならない。それだけ残酷な牢獄のように思える。
(梶井基次郎「汽車」)
読んでて、悲しくて、辛くて、特に「普段喜びを感じながらしていたことがみな浅はかなことにしか思えなくなるのもそんなときだ。私はひどくみじめになってしまう。(中略)身体は自由でありながら、腐れ水のような気だけはどうにもならない。それだけ残酷な牢獄のように思える。」とか僕も、こういう感じで、お薬のおかげで少し楽になっていますから、梶井基次郎さんにはそういうものはなかった(お酒を飲んでよけい悪化してしまいました)というのは悲しいです。
僕がとても好きな作家に猫好き&うつ病が多いのは、不思議な感じがします…。ただ芥川龍之介さんの「歯車」みたいに妄想的な共時性とまでは感じませんし、そういう妄想的な共時性みたいな不安もあったんですが、そういうのは抗うつ剤飲んで意識が明瞭になって合理的に考えられるようになると少しずつ小さくなっていくんですね。合理的に考えるということは、考えすぎることの逆で、思考を適切な範囲で考えないでいられるってことなんですね。考えすぎると苦しむ。T・S・エリオットの詩のようです。
わたしは祈る――あまりにわたしが
自分と論じ合い、説明しすぎる問題を
忘れることができますようにと。
(T・S・エリオット「聖灰水曜日」)
もし、芥川龍之介さんの時代に抗うつ薬があれば、どれほど救われて、それからどれほどいい作品を沢山書いたかと思うと(僕は芥川龍之介作品大好きです)、時代というものの、かなしい、運命を思います…。江藤淳さんもそうですね…。頭がボーっとする精神薬もありますが、抗うつ剤は頭が明瞭になるのできっと芥川龍之介さんも助かって…。それでも、今、大勢の患者さんが、進歩してゆく医学と医療をお仕事となされる方々のおかげで救われていることは、本当に良かった…。
辛くて気力とかなくて、ほとんど何も出来ないのですが、それでも、文章だけ書こうという気になれるのは不思議ですね。朝は比較的調子がいいのですが、だんだんお薬が弱まってくるのか、だんだん前のようにかなり辛くなってきますが、前よりかは楽です。
もっと明るい話が書ければよいのですが…、今度は、猫のお話でも書こうかと思います。
お勧めの本という題材からずれてしまってごめんなさい。芥川龍之介さんの晩年の作品、特に「歯車」などは、非常に衝動的で神経的なリアリズムの感覚があって、大変な傑作だと思います。青空文庫で読めます。また、梶井基次郎さんの作品は、青空文庫収録のきちんと完成されている作品より、全集(ちくま文庫から全一冊で出てます)に載っている断片的な未完成の作品の方が、極めて生の感覚を伝えてくる様相で、お勧めです。
後、どうしてもお金に困っておりまして、ご機会があってよろしければ、amazonでお買い物してくださると助かります…。
「うつ」と「躁」の教科書
梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)
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2008年06月28日 23:21
僕自身がうつ病になってから、新聞読んだりとか(前は丹念に何誌も読んでました)TV見たりすることがほとんどできなくなっていたのですが、この番組はそんなことなく、すっと優しく胸に入ってくる素敵な番組でした。
「NHK総合いのちの約束 〜北大病院・澤村先生と子どもたち〜」
子どもの死亡原因で1位の小児がん。中でも治療が難しいのが小児脳腫瘍だ。年に200人を超える子どもが全国から集まる北海道大学病院には、「ぼくのさわむら先生」と慕われる脳外科医がいる。これまで800人を手術した経験を持つ澤村豊医師(54)だ。小児脳腫瘍と向き合う中で、澤村先生は常に治療の難しさに突き当たる。「腫瘍を摘出すれば、障害が残るかもしれない。しかし、摘出しなければ命が危ない。」厳しい選択肢を前に悩み続ける日々だ。澤村先生は、どんなに幼い子どもでも直接インフォームドコンセントをして、病状や手術方法などを丁寧に説明する。子どもが生きる力を取り戻すために病気を受け入れ、闘う覚悟を持つことが必要だからだ。「生きることを決してあきらめない」という‘命の約束’が交わされる診察室。子どもの人生を背負って病と闘う一人の医師、そして懸命に生きようとする子どもたちの姿から、当たり前に生きられることの尊さが浮かび上がる。
澤村豊先生が、本当に自分の全てを削って子ども達の為に捧げていて、聖人というのは、大仰なところにではなく、世界にちゃんといるんだということを感じました。お医者様(医療に従事される方々)は、人の病を癒し命を救う本当に貴いことをなされていると実感しました。
今の僕がなんとかこうやって気持ちを落ち着けて文章をかけているのも、僕の状態が酷く悪くて食べれず動けないときに、緊急で受け入れてくれて的確な治療をなさって下さっている先生のおかげですし、過去にも病気や怪我のときに助けてもらい、医学とそれによって人を救うことは本当に貴いことだと心から実感しました。いい番組でした。NHK総合7月11日(金)午前3:40〜に再放送しますので、よろしければ、ご視聴お勧めいたします。
最後に渡辺昌拓先生の「うつ病は治る」から引用いたします。励まされました。
本書のなかにたびたび引用したピューリッツァ賞受賞作家スタイロンは、自己のうつ病体験記の『見える暗闇』の最終章を次のように結んでいます。
「このはかりしれない試練をもっとも忠実に表現する広大な隠喩」はダンテの『神曲』の書き出しの詩句」であろう。
人生の旅路のなかば、
我は入りぬ、暗き森に。
正しき道を失えばなり。
「鬱病を体験した大部分のものにとって、鬱病の恐怖は圧倒されるほど大きく、言葉ではとても言い表せない」「しかし鬱病は魂を絶滅しないし、その真実を強調するのに嘘めいた、また神がかったひびきをもたせる必要はない」「この病気から回復した男女、しかも数え切れないほどの男女が、おそらく鬱病のただひとつの救いである恵みの証人である。鬱病は征服できるのだ」。「鬱病の暗い森に住んだことがあり、説明のできない苦悩を知っている人たちにとって、奈落の底からの帰還は、詩人ダンテが地獄の暗い底から上へ上へと向かってとぼとぼと歩き続け、ついに、輝ける世界と見えたところへ現れ出でたことに似ていなくもない。そこでは健康を回復した者だれしもが、のどかさと喜びを感じる力をほとんどいつも取り戻す。それが「絶望を超えた絶望」に耐え抜いたことへの、それなりの補償なのかもしれない。「かくしてわれら出で来て、ふたたび星を見ぬ」と。
(渡辺昌拓「うつ病は治る」)
鬱病の人、ほか全ての病に苦しむ人が一日も早く治ることを祈ります。
うつ病は治る―患者さん・ご家族のために
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2008年06月26日 11:51
色んなことが本当に大変で、凄く困っていて、よろしければ、amazonで買って頂けると助かります。更新できなくなるかも知れませんが、その時はごめんなさい。
amazonトップページ
2008年06月24日 14:14
梶井基次郎全集を読んでいました。心が辛くてまだあまり読めないのですが、梶井さんのとても静かで綺麗で穏やかな哀しさのある話とかは、少しだけ気持ちを落ち着けてくれます。夭折された梶井基次郎さんは残した作品が少ないので、全集一冊で全てが読めるのですが、読んでいて、僕は「瀬山の話」が好きだと感じました。有名な「檸檬」の原型なども入っている物語ですが、「瀬山の話」の方が、いかにも文学作品然としてきちんとした作品に仕上げてある「檸檬」よりも、僕は好きです。夜眠れないときの話とか、眠れない人にとっては面白くて参考になるんじゃないかなと思います。少し引用いたします。
心労は生理的なものになって日がな一日憂鬱を逞しゅうしていたのだが、それが夜になってきて独りになってしまうと虫歯のようにズキンズキン痛み出すのだ。私はしかしその頃私を責め立てる義務とか責任などが、その厳めしい顔を間近に寄せて来るのを追い散らすある術を知るようになった。
何でもない。頭を振ったり、声を立てるかすれば事は済むのだ。――しかし眼近にはやって来ないまでも私はそれら債鬼が十重二十重に私を取り巻いている気配を感じる、それだけは畢竟逃れることは出来なかった。それが結局は私を生理的に蝕んで来た奴等なのだ。
それが夜になって独りになる。つくづく自分自身を客観しなければならなくなる。私は横になれば直ぐ寝ついてしまう快い肉体的な疲労をどんなに欲したか。五官に訴えて来る刺戟がみな寝静まってしまう夜という大きな魔物がつくづく呪われて来る。感覺器が刺戟から解放されると、いやでも応でも私の精神は自由に奔放になって来るのだ。その精神をほかへやらずに、私は何か素晴らしい想像をさそうと努めたり、難しい形而上学の組織の中へ潜り込まそうと努めたりする。そして「ああ気持よく流れて出したな」と思う隙もなく私の心は直ぐ気味のわるい債鬼にとっ捕まっているのである。私は素早く其奴を振りもぎってまた「幸福とは何ぞや!」と自分自身の心に乳房を啣ませる。
しかし結局は何もかも駄目なのだ、――そのような循環小数を、永い夜の限りもなく私は喘ぎ喘ぎ読み上げてゆくに過ぎない。(中略)
そんなことから私は一つの遊戯を発見した。それもその頃の花火やびいどろの悲しい玩具ないしは様々な悲しい遊戯と同様に私の悲しい遊戯として一括されるものなのだが、これはこの頃においても私の眠むれない夜の催眠遊戯であるのだ。
闃として声がないと云っても夜には夜の響きがある。とおい響きは集ってぼやけて、一種の響を作っている。そしてその間に近い葉擦れの音や、時計の秒を刻む音、汽車の遠い響きや汽笛も聞える。私の遊戯というのはそれらから一つの大聖歌隊を作ったり、大管弦楽団を作ることだった。
それはちょうどポンプの迎え水という様な工合に夜の響のかすかな節奏に、私のほうの旋律を差し向けるのだ。そうしている中に彼方の節奏はだんだん私の方の節奏と同じに結晶化されて来て、旋律が徐々に乗りかかってゆく。 その頃合を見はからってはっと肩をぬくと同時にそれは洋々と流れ出すのだ。それから自分もその一員となり指揮者となりだんだん勢力を集め この地上には存在しない様な大合唱隊を作るのだ。
このような訳で私が出来るのは私がその旋律を諳んじているものでなければ駄目なので、その点で印象の強かった故か一高三高大野球戦の巻は怒号、叫喚、大太鼓まで入る程の完成だった。それに比べて、合唱や管げん楽は大部分蓄音器の貧弱な経験しか持たないのでどうもうまくはゆかなかった。しかし私はベートオーフェンの「神の栄光……」やタンノイザーの巡礼の合唱を不完全ながらきくことが出来たし、ベートオーフェンの第五交響楽は終曲が一番手がかりのいいことを知るようになった。しかしヴァイオリンやピアノは最後のものとして殘されていた。 (中略)
寮歌の合唱を遠くの方に聞いている心持の時、自分の家の間近の二階の窓に少女が現われてそれに和している、――そんな出鱈目があった。あまり突飛なので私はこの出鱈目だけを明瞭り覚えている。
しかし出鱈目はかえって面白い。まるで思いがけない出鱈目が不意に四辻から現われ私の行進曲に参加する、また天から降ったようにきまぐれがやって来る、――それらのやって来方が実に狂想的で自在無碍なので私は眩惑されてしまう。行進曲は叩き潰されてしまい、絢練とした騒擾がそれに代わるのだ。――私はその眩惑をよろこんだ。一つは眩惑そのものを、一つは真近な睡眠の予告として。
(梶井基次郎「瀬山の話」)
僕も非常に辛いとき、睡眠薬に頼っても眠れないんですが、そのときに、時計のチクタクという音を、音楽に見立ててゆくというのは、とてもいい感じだなと思いました。眠れないときに、この文章を思い出すと、ほんの少しだけ、ほっとします。
梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫)
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