2025年09月02日 07:13
ミステリ小説「少女には向かない完全犯罪」読了しました。方丈貴恵先生の特殊設定ミステリ(SFミステリ)シリーズの一環で、他のシリーズと繋がっていますが、本作だけでも単独の話として読めます。幽霊の男と少女が、少女の親の仇を追うバディ物ミステリ。中盤からのどんでん返しの連続は流石の面白さ。バークリーの「毒入りチョコレート事件」のパロディでもあるんで、ご一緒に読むのをお勧めします。
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2025年09月01日 08:35
「電報予告殺人事件」読了しました。19世紀イギリスを舞台にした大英帝国の雰囲気あるミステリでとても面白かったです。電報という近代科学が齎す負の側面が現代的な要素を持っているのも面白い。歴史ミステリの傑作、歴史物が好きな人にもミステリが好きな人にもお勧めできる良書です。
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2025年08月30日 07:12
宮城谷昌光「歴史の活力」読了。歴史小説の大家、宮城谷昌光先生のエッセイで面白かった。文章を書く極意の三易(主題を分かり易く書く、分かり易い文字を使う、朗読しやすい文章を書く)とか始めて知った。面白いね。
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2025年08月29日 03:48
最近はあまり体調がよくなく、本を読んでいることが多いです。最近読んだ本では、「お許しいただければ 続イギリス・コラム傑作選」がとても面白く、お勧めでした。イギリスの名コラムの選集で、どれもユーモアがあって面白いです。また、夏目漱石と繋がりのあるコラムも載っているのも面白い。お勧めです。
│書籍
2022年08月23日 06:01
山野弘樹さんの「「VTuberの哲学」序論――多様化するVTuberと「身体」としてのアバター」読了。とても面白い研究で今後の発展を期待します。ただ、個人的には、Vチューバーで最も重要なのは、アバターの多彩さではなく、Vチューバーが中の人の日常を少しずつチラチラッと段階的に見せてゆくことで、リスナーとの間に擬似的なRapport(感情的な親密さ)を形成してゆく技術だと思うので、今回はその辺の技術について書いてゆきたいと思います。
まさにこれが重要で、なぜVチューバーが「配信者の日常的な行動や言動を明示的な形で組み込む」のかという問題です。これは実は、配信者が現実の日常的な行動や言動を見せることは、リスナーとの関係性を深める技術として機能する側面があるんですね。
これは、Rapport(感情的な親密さ)を形成するに最も効果的な方法は、日常では被っているペルソナを外して素の自分を見せている(と相手に思わせる)ことだからです。『特別な相手であるあなただけに見せる素顔の自分』ってやつです。普段は厳格な委員長タイプの子が、自分といるときだけは甘えてくる、これは自分には心を許しているからに違いない、と思い込んで、好感度が急上昇してその子に惚れてメロメロになってしまうみたいなテクニックです。まあ、それが本当に素顔かどうかは、神のみぞしるところですが(恋愛工学技術としてはメジャー)。
ホロライブやにじさんじのVチューバーには、非日常的なVチューバーとしての設定がある訳で、デビュー当初などはその設定を演じている側面が大きいですが、配信歴が長くなり、馴染みのリスナー達が出来て、人気も安定してゆくと、だんだん、配信者の日常的な行動や言動を明示的な形で組み込むファクターが大きくなってゆく。重みを置く比重が、非現実的な設定を演じることから、現実の中の人としての日常性を見せることに切り替わるんですね。これは、ペルソナ(非日常的なアバターを演じること)を外した現実の一個人としての姿をリスナーに見せることで、リスナーとのRapport(感情的な親密さ)を形成して人気と好感を高めることに非常に効果的だからです。
その点で、Vチューバーの人気と好感は、アバターの多彩さよりは、アバターの中の人の日常性を上手に見せることで、リスナーとのRapportを形成する技術の方がより大きいと自分は見ています。例えば、ぺこーらは、アバターの側面では他のホロメンよりも冷遇されている側面がありますが、アバターがより多彩な他のホロメンよりも人気は高かったりする。これは、ぺこーらは、この辺のこと(現実の自分を出すことでリスナーとの親密感を高める)に極めて意識的で、上手に人気と好感を上げていく能力があることが大きいと思う。
ぺこーらの特徴として、アバターを演じるだけでなく、現実の中の人の話を積極的に行うというのがあり、ぺこーらの中の人の現実の家族の話や、現実の猫の話や、現実の食べ物の話や、様々な現実の話をすることで、リスナーに『ぺこーらはアバターを演じるだけじゃなく、中の人の現実の話もしてくれる。ぺこーらはリスナーに心を許してくれている』と感じさせる効果を持っている。これはぺこーらの物凄く大きな強みで、Vチューバーとして大成功している大きな一因になっていることは間違いないと考えます。
ぺこーらがアバターとしてだけではなく、中の人としても振る舞うのは(猫の話とか)、リスナーにとって心地よいことなんですね。それは、『ぺこーら(の中の人)がリスナーに心を許している』と感じられるから。これはぺこーらに限らず、ホロライブやにじさんじやその他もろもろの穏健な非還元タイプVチューバー達はみんな行っている技術です。
自分は、この技術こそが、Vチューバーが成功した側面において欠かすことのできない重要な技術だと考えます。あえて非日常的なアバターと設定を作ることで、現実の中の人を見せるときに落差が際立ち、それが魅力に通じる。ツンデレで、ツン(非日常アバター)とデレ(現実の中の人の日常)の落差が大きいほど、デレを見せてくれたときに、『心を許してもらっている』感が強まり、Rapportが大きく形成される。穏健な非還元タイプVチューバーのアバターは、ツンデレのツンであり、デレ(Vチューバーが中の人の日常を見せる)がなければあまり機能しないものだと考えています。
こういう素を見せる配信が人気なことは、Vチューバーを考える上で最も核心的なことの一つだと自分は思いますね。Vチューバーにおいて重要なのは実はアバターではなく、中の人こそ重要なことを示している。
心理療法的にはRapportの形成はクライアントがカウンセラーを、カウンセラーという役職を超えた一人の人間として信頼することで形成されると見られる。実はVチューバーも同じなんですよね。アバター=カウンセラーという役職という形。
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「VTuberの哲学」序論
https://fashiontechnews.zozo.com/research/hiroki_yamano
「穏健な非還元タイプ」とは、配信者の日常的な行動や言動を明示的な形で組み込むCタイプのVTuberである。現状においてはこちらのタイプの方が圧倒的に多く、例えばにじさんじやホロライブプロダクション所属のVTuberたちは、およそ全員がこのタイプに分類される
まさにこれが重要で、なぜVチューバーが「配信者の日常的な行動や言動を明示的な形で組み込む」のかという問題です。これは実は、配信者が現実の日常的な行動や言動を見せることは、リスナーとの関係性を深める技術として機能する側面があるんですね。
これは、Rapport(感情的な親密さ)を形成するに最も効果的な方法は、日常では被っているペルソナを外して素の自分を見せている(と相手に思わせる)ことだからです。『特別な相手であるあなただけに見せる素顔の自分』ってやつです。普段は厳格な委員長タイプの子が、自分といるときだけは甘えてくる、これは自分には心を許しているからに違いない、と思い込んで、好感度が急上昇してその子に惚れてメロメロになってしまうみたいなテクニックです。まあ、それが本当に素顔かどうかは、神のみぞしるところですが(恋愛工学技術としてはメジャー)。
ホロライブやにじさんじのVチューバーには、非日常的なVチューバーとしての設定がある訳で、デビュー当初などはその設定を演じている側面が大きいですが、配信歴が長くなり、馴染みのリスナー達が出来て、人気も安定してゆくと、だんだん、配信者の日常的な行動や言動を明示的な形で組み込むファクターが大きくなってゆく。重みを置く比重が、非現実的な設定を演じることから、現実の中の人としての日常性を見せることに切り替わるんですね。これは、ペルソナ(非日常的なアバターを演じること)を外した現実の一個人としての姿をリスナーに見せることで、リスナーとのRapport(感情的な親密さ)を形成して人気と好感を高めることに非常に効果的だからです。
その点で、Vチューバーの人気と好感は、アバターの多彩さよりは、アバターの中の人の日常性を上手に見せることで、リスナーとのRapportを形成する技術の方がより大きいと自分は見ています。例えば、ぺこーらは、アバターの側面では他のホロメンよりも冷遇されている側面がありますが、アバターがより多彩な他のホロメンよりも人気は高かったりする。これは、ぺこーらは、この辺のこと(現実の自分を出すことでリスナーとの親密感を高める)に極めて意識的で、上手に人気と好感を上げていく能力があることが大きいと思う。
ぺこーらの特徴として、アバターを演じるだけでなく、現実の中の人の話を積極的に行うというのがあり、ぺこーらの中の人の現実の家族の話や、現実の猫の話や、現実の食べ物の話や、様々な現実の話をすることで、リスナーに『ぺこーらはアバターを演じるだけじゃなく、中の人の現実の話もしてくれる。ぺこーらはリスナーに心を許してくれている』と感じさせる効果を持っている。これはぺこーらの物凄く大きな強みで、Vチューバーとして大成功している大きな一因になっていることは間違いないと考えます。
ぺこーらがアバターとしてだけではなく、中の人としても振る舞うのは(猫の話とか)、リスナーにとって心地よいことなんですね。それは、『ぺこーら(の中の人)がリスナーに心を許している』と感じられるから。これはぺこーらに限らず、ホロライブやにじさんじやその他もろもろの穏健な非還元タイプVチューバー達はみんな行っている技術です。
自分は、この技術こそが、Vチューバーが成功した側面において欠かすことのできない重要な技術だと考えます。あえて非日常的なアバターと設定を作ることで、現実の中の人を見せるときに落差が際立ち、それが魅力に通じる。ツンデレで、ツン(非日常アバター)とデレ(現実の中の人の日常)の落差が大きいほど、デレを見せてくれたときに、『心を許してもらっている』感が強まり、Rapportが大きく形成される。穏健な非還元タイプVチューバーのアバターは、ツンデレのツンであり、デレ(Vチューバーが中の人の日常を見せる)がなければあまり機能しないものだと考えています。
Minecraft 35 | 廃村を救う計画始動2 村人の収容及び、役割を授けるにぇ
https://www.youtube.com/watch?v=lTH9nbr85NY
さくらみこ「うさだ〜〜〜〜!!おはよう」
ぺこーら「………なあに(配信と違う寝起きぽい素の声で)」
さくらみこ「寝起き?」
ぺこーら「違う…(配信用の声で)喋ってなかったぺこだからさぁ…」
さくらみこ「今さぁ、配信してるけどいい?」
ぺこーら「わかってるよ…だから『ぺこ』つけたんだろ」
さくらみこ「おまえ、それ言うなよ」
こういう素を見せる配信が人気なことは、Vチューバーを考える上で最も核心的なことの一つだと自分は思いますね。Vチューバーにおいて重要なのは実はアバターではなく、中の人こそ重要なことを示している。
「(Rapportとは)CL(クライアント)がセラピストに好感を持ち、暖かい感情の交流がスムーズに行われていく状態で、感情の分かち合いが出来る関係であり、また、容易に壊れることなく安定し、お互いの信頼が生じている関係である」(心理臨床家の経験知に基づくラポールの定義について)
心理療法的にはRapportの形成はクライアントがカウンセラーを、カウンセラーという役職を超えた一人の人間として信頼することで形成されると見られる。実はVチューバーも同じなんですよね。アバター=カウンセラーという役職という形。
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2022年08月04日 06:22
最近、色々と出てきたVチューバー論を読む機会があったのですが、大体において、どの論もアニメ系のライターさん達が書いていて、Vチューバーの配信をアニメ的なもの(変化や進化)として捉えている。自分はゲーマーで、ゲーム実況Vチューバーを中心に視聴しているので、これは、ちょっと違うんじゃないかと思い、筆を取らせて頂きました。
Vチューバーにも様々な種類がありますが、ここでは、ホロライブやにじさんじやぶいすぽやVOMSやゲーム実況個人勢が擁している『ゲーム実況を中心に配信するVチューバー』について語らせて頂きます。
なぜ、アニメ系ライターさん達がVチューバーをアニメを源流とした流れとして捉えているかというと、『ガワがアニメ調』『アニメ的なファンタジックな名前と設定がある』というところから、『会話が出来るアニメのキャラクター』みたいな捉え方をしているように見受けられますが、この特徴というのは、Vチューバーの本質的なものではないと思うんですね。
Vチューバーの本質は、アニメキャラと全く異なる本質であると考える。
『アニメのキャラクターは視聴者とは異なる物語世界にいるが、Vチューバーはリスナーと共有する物語世界にいる』
ということがVチューバーの本質だと自分は考えています。ゲーム実況配信などではこれは非常に強く現れる。
アニメキャラと、この現実(我々がいるこの現実)の事象について語り合ったりすることはできない訳です。アニメキャラは、この現実とは別の物語世界にいるキャラクターゆえに。でも、Vチューバーとは、この現実を共有していることを前提として、リスナーはVチューバーとゲームの話をしたり、雑談をしたりということができる。
それは、Vチューバーもリスナーも、Vチューバーのファンタジックな設定(異世界の王女とか色々)はあくまで設定であって、そういう設定の下には、中の人がいるということを前提に、お互いに合わせて楽しんでいるからですね。だからこそ、キズナアイ騒動で明らかになったように、Vチューバーもリスナーも『中の人』を本質として重視している。
これは、『本質を受け持つ中の人』がいないアニメのキャラクターは持てない、Vチューバーだけの独自の特徴であると考えます。
この特徴があるからこそ、Vチューバーは、ゲーム実況配信と相性が良いと考える。一般的にゲームプレイヤーの特徴として、ゲームへの『アクティビティ(能動性)』『アクセシビリティ(アクセスのしやすさ)』『リアクティビティ(応答性)』の三つが必要とされ、これはまさに、人気のあるVチューバーが持っている特長でもある。
ゲームを題材に(人気のあるゲームの方が共通言語として優れている。ポケモンetc)、Vチューバーが自分から積極的にゲームを遊んで、その遊んでいるところに大勢の人がはいってこれるようにして、そしてやってきた人々に応答する。
リスナーはVチューバーのゲーム実況とか、ゲームをしている友達と一緒にいて、一緒にゲーム画面を見ているみたいな感覚なんですね。「ここはこうすれば先に行けるよ」みたいなコメントをして、Vチューバーがそれに返答することで、その感覚は更に強化される。
これは、アニメや映画のような『現実とは全く異なる物語世界を鑑賞する』タイプの鑑賞体験とは全く異なるものです。
この『一緒に遊んでいる感覚』において重要なのは、それが楽しい体験かどうかで、そこでVチューバーの話芸が重要になってくる。人気のあるVチューバーは、ホロライブにしてもにじさんじにしても他の企業勢や個人勢にしても、物凄く話芸が上手い。おもわずほっこりするような話とか、笑っちゃうようなリアクションとかを上手くリアルタイム実況中に入れてきて、『楽しい友達と一緒にいる』ような感覚にさせる。
これは、完全に芸、きわめて優れた芸の才能であって、努力と実力が現れる世界です。楽しませるための毎日のネタ作りが大変なことは、ぺこーら(Vチューバーの中においてもこの才能がずば抜けている一人)が言っていますね。
ラプラスとぺこーらの二人が言っていますけど、Vチューバーって究極的には中の人の芸の世界なんですね。いくらガワが可愛いアニメ調のキャラクターでも、中の人に芸の才能とそれを活かす努力がなければ売れることができない。その点で、ユーチューバーと同じなんですね。
Vチューバーが何から来ているのかと考えたら、ユーチューバーの芸の才能や、ゲームを一緒にやる現実の友達をネットワーク上の偶像化する、みたいなところから来ている訳で、アニメやアニメキャラクターから来ている部分は、寧ろかなり非本質的な部分ではないかと思います。
個人的には、Vチューバーの芸の才能を非常に高く評価しているので(余談ですが、たとえば、毎日毎日高レベルな配信しているぺこーらとか、笑っていいとものタモリさんタイプだと思っている)、そういったところに着眼してVチューバーの配信を見て頂けると嬉しいなと思いました。
最後に余談ですが、今、ホロドラクエ10コンテストが開かれています。DQ10プレイヤーはぜひに!
DQ10でぺこーらをどうしても作りたくて
キュートなウサミミ(白)
ヴィーラの衣上(白・白)
学園女子の夏服下改(白・白)
ヤマネコグローブ(黒・白)
スイートヒール(白・茶)
髪型 人間女子供二色型18(しらあい・ピュアスノー)
目の色 こがね色
肌の色 カラー2
りんかく タイプ1
おおきさ おおきめ
くちべに しゅいろ
傘アクセ ファーショール
ぴんくほっぺシール(ベビーピンク)
豊穣のリーフ(サンセット)人参の代わり
みたいな形で作っているんだけど、スイートヒールだと絶対領域が出来てしまう。絶対領域作らない形でぺこーらスカート&タイツを作るにはどうしたらいいんだあああ!!だれかおしえて…(他力本願
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Vチューバーにも様々な種類がありますが、ここでは、ホロライブやにじさんじやぶいすぽやVOMSやゲーム実況個人勢が擁している『ゲーム実況を中心に配信するVチューバー』について語らせて頂きます。
なぜ、アニメ系ライターさん達がVチューバーをアニメを源流とした流れとして捉えているかというと、『ガワがアニメ調』『アニメ的なファンタジックな名前と設定がある』というところから、『会話が出来るアニメのキャラクター』みたいな捉え方をしているように見受けられますが、この特徴というのは、Vチューバーの本質的なものではないと思うんですね。
Vチューバーの本質は、アニメキャラと全く異なる本質であると考える。
『アニメのキャラクターは視聴者とは異なる物語世界にいるが、Vチューバーはリスナーと共有する物語世界にいる』
ということがVチューバーの本質だと自分は考えています。ゲーム実況配信などではこれは非常に強く現れる。
アニメキャラと、この現実(我々がいるこの現実)の事象について語り合ったりすることはできない訳です。アニメキャラは、この現実とは別の物語世界にいるキャラクターゆえに。でも、Vチューバーとは、この現実を共有していることを前提として、リスナーはVチューバーとゲームの話をしたり、雑談をしたりということができる。
それは、Vチューバーもリスナーも、Vチューバーのファンタジックな設定(異世界の王女とか色々)はあくまで設定であって、そういう設定の下には、中の人がいるということを前提に、お互いに合わせて楽しんでいるからですね。だからこそ、キズナアイ騒動で明らかになったように、Vチューバーもリスナーも『中の人』を本質として重視している。
これは、『本質を受け持つ中の人』がいないアニメのキャラクターは持てない、Vチューバーだけの独自の特徴であると考えます。
この特徴があるからこそ、Vチューバーは、ゲーム実況配信と相性が良いと考える。一般的にゲームプレイヤーの特徴として、ゲームへの『アクティビティ(能動性)』『アクセシビリティ(アクセスのしやすさ)』『リアクティビティ(応答性)』の三つが必要とされ、これはまさに、人気のあるVチューバーが持っている特長でもある。
ゲームを題材に(人気のあるゲームの方が共通言語として優れている。ポケモンetc)、Vチューバーが自分から積極的にゲームを遊んで、その遊んでいるところに大勢の人がはいってこれるようにして、そしてやってきた人々に応答する。
リスナーはVチューバーのゲーム実況とか、ゲームをしている友達と一緒にいて、一緒にゲーム画面を見ているみたいな感覚なんですね。「ここはこうすれば先に行けるよ」みたいなコメントをして、Vチューバーがそれに返答することで、その感覚は更に強化される。
これは、アニメや映画のような『現実とは全く異なる物語世界を鑑賞する』タイプの鑑賞体験とは全く異なるものです。
この『一緒に遊んでいる感覚』において重要なのは、それが楽しい体験かどうかで、そこでVチューバーの話芸が重要になってくる。人気のあるVチューバーは、ホロライブにしてもにじさんじにしても他の企業勢や個人勢にしても、物凄く話芸が上手い。おもわずほっこりするような話とか、笑っちゃうようなリアクションとかを上手くリアルタイム実況中に入れてきて、『楽しい友達と一緒にいる』ような感覚にさせる。
これは、完全に芸、きわめて優れた芸の才能であって、努力と実力が現れる世界です。楽しませるための毎日のネタ作りが大変なことは、ぺこーら(Vチューバーの中においてもこの才能がずば抜けている一人)が言っていますね。
ラプちゃんとギリギリ泥酔トークするぞ!!!!!!!ぺこ!【ホロライブ/兎田ぺこら】
https://www.youtube.com/watch?v=50NDqtWwZH0
ラプラス「(毎日配信を楽しんでいる)ぺこらさんはめっちゃ凄いと思いました」
ぺこーら「でも配信めんどくさいと思うときもあるけどね。
それには理由があって、楽しいときは楽しいけど、毎日やっていると、配信はネタがあるじゃん、ネタがなくなってくると、考えるのに時間が掛かって、やることがないのがだるいっていうか、配信はしたいけど、やるのがないから、それ考えるのだる、めんどくさってなる」
ラプラス「めっちゃわかる」
ラプラスとぺこーらの二人が言っていますけど、Vチューバーって究極的には中の人の芸の世界なんですね。いくらガワが可愛いアニメ調のキャラクターでも、中の人に芸の才能とそれを活かす努力がなければ売れることができない。その点で、ユーチューバーと同じなんですね。
Vチューバーが何から来ているのかと考えたら、ユーチューバーの芸の才能や、ゲームを一緒にやる現実の友達をネットワーク上の偶像化する、みたいなところから来ている訳で、アニメやアニメキャラクターから来ている部分は、寧ろかなり非本質的な部分ではないかと思います。
個人的には、Vチューバーの芸の才能を非常に高く評価しているので(余談ですが、たとえば、毎日毎日高レベルな配信しているぺこーらとか、笑っていいとものタモリさんタイプだと思っている)、そういったところに着眼してVチューバーの配信を見て頂けると嬉しいなと思いました。
最後に余談ですが、今、ホロドラクエ10コンテストが開かれています。DQ10プレイヤーはぜひに!
【ホロドラクエ10コンテスト】開催のお知らせ
https://twitter.com/hakuikoyori/status/1554074610588459010
DQ10でぺこーらをどうしても作りたくて
キュートなウサミミ(白)
ヴィーラの衣上(白・白)
学園女子の夏服下改(白・白)
ヤマネコグローブ(黒・白)
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髪型 人間女子供二色型18(しらあい・ピュアスノー)
目の色 こがね色
肌の色 カラー2
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くちべに しゅいろ
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スクウェア・エニックス
2021-11-11
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2022年02月25日 10:16
タコピーの原罪12話を読了。今回も素晴らしく面白かったですね。特に、舞台が高校になったことで急激に性愛的な要素がクローズアップされてきたのが面白い。特に、まりなちゃん、東くん、しずかちゃんの三角関係に、フェティシズム的性愛と人格的な性愛のすれ違いが起きている悲喜劇が見事ですね。ただこの辺は事前に知識が必要なので、今回はそれを簡単に説明したいと思います。
タコピーの原罪、東くんの目が12話ラストでハートになっていることから、明らかに彼はフェティシストなので、まず、その辺を簡単に説明しますね。フェティシストとはフェティシズムを持つ人のこと。フェティシズムとは、性的愛着の対象が通常の性的象徴から逸脱した肉体的特徴や物品や行為に固着していることを示す言葉。フェティシストとして有名な漫画のキャラクターではジョジョの奇妙な冒険の吉良吉影がいますね。
フェティシズムの種類はハヴェロック・エリスらにより分類され、分類の中にはタコピーの東くんのフェチである、髪や瞼もある。東くんはストレート黒髪の二重フェチですね。フェティシストの男女比の割合は男性が極端に多いとされ、原因は不明です。その為、女性には中々理解されずらい特殊な性癖とされています。
なぜ、フェティシスト(比率的には男性が圧倒的)が、靴とか、毛皮とか、通常の人にとって性的愛着の対象にならないものに対して性的愛着を抱くのかは、実はよくわからないのですが、仮説としてフロイト心理学では幼少期や少年期の性的固着に失敗することが関係するとしている。吉良吉影のモナリザのエピソードはこれを完全に下敷きにしていますね。
この吉良吉影のエピソード自体が、三島由紀夫の聖セバスチャンの絵でオナニーしたエピソードをモデルにしていると思われます。三島は、仮面の告白や金閣寺など、フェティシズムに囚われた男性を描き続けた作家です。彼自身も、聖セバスチャンの絵などでマゾヒズムを目覚めさせられたと語っていますね。フェティシズムとマゾヒズムは関連性が強い性的倒錯だといわれています。
上記は吉良のエピソードのモデルとなった箇所ですね。タコピーの原罪の東くんの場合も、吉良吉影と同じく、幼児期の性的固着に失敗したケースかなと考えています。
タコピーの東くんの中でも、東くんママの外見と東くんの性愛との関係において、何らかのエピソードが発生してしまった可能性が高いと思われますね...
フェティシズムの大きな特徴は、何らかの特徴、物品、行為に対する愛好であり、それは人格に対する愛ではないということですね。つまり、東くんが好きなのは、黒髪ストレートの二重であって、その特徴を持つ人間全体ではないということです。これはタコピーを読む上で理解しておく必要があると思います。
タコピーの原罪の東くんは、『可哀想な女の子』が好きなのであって、その女の子自体が好きなのではないと考えられます。なのでまりなちゃんと恋人関係になった。しかし、それ自体(=可哀想な女の子という属性が好き)なのも一種のフェティシズムであり、『黒髪ストレート二重の女の子』に対するフェティシズムの方が可哀想フェチよりも圧倒的により強かったのが12話ラストの描写でしょうね。
まりなちゃんやしずかちゃんの愛が、人格的な愛(相手を人間として愛している愛。しずかちゃんはチャッピーへの愛なので人間ではないですが...)なのに比べると、東くんの愛がフェティシズムの愛(愛好する象徴だけを愛する愛)なのは、上手い描写ですね。後者なので、しずかちゃん(=黒髪ストレート二重)を見ただけで、ずっと付き合ってきたまりなちゃんを簡単に忘れてしまえる訳です。
フェティシズムがなぜ男性に多いのかはいまだによく分からないんですが、男性の性的処理はかなり単純な起こしやすいもの(男性器に肉体的刺激を与える)なので、逸脱した空想から起きる一種の刷り込みが起こりやすいのではないかという説もありますね。創作においてフェティシズムを愛と勘違いするのは、悲喜劇として面白いテーマですね。
東くんのフェティシズムの愛と、まりなちゃんの人格的な愛が、すれ違いを起こしているのは人間社会において凄くありがちな悲喜劇(女性のフェティッシュな属性の部分しか愛せない男性と、その男性全体を愛している女性のすれ違いの悲喜劇)なので、これを確り描けるところに、タイザン5先生の凄みを感じますね。
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タコピーの原罪、東くんの目が12話ラストでハートになっていることから、明らかに彼はフェティシストなので、まず、その辺を簡単に説明しますね。フェティシストとはフェティシズムを持つ人のこと。フェティシズムとは、性的愛着の対象が通常の性的象徴から逸脱した肉体的特徴や物品や行為に固着していることを示す言葉。フェティシストとして有名な漫画のキャラクターではジョジョの奇妙な冒険の吉良吉影がいますね。
フェティシズムの種類はハヴェロック・エリスらにより分類され、分類の中にはタコピーの東くんのフェチである、髪や瞼もある。東くんはストレート黒髪の二重フェチですね。フェティシストの男女比の割合は男性が極端に多いとされ、原因は不明です。その為、女性には中々理解されずらい特殊な性癖とされています。
なぜ、フェティシスト(比率的には男性が圧倒的)が、靴とか、毛皮とか、通常の人にとって性的愛着の対象にならないものに対して性的愛着を抱くのかは、実はよくわからないのですが、仮説としてフロイト心理学では幼少期や少年期の性的固着に失敗することが関係するとしている。吉良吉影のモナリザのエピソードはこれを完全に下敷きにしていますね。
吉良吉影「わたしは子供のころ...レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」ってありますよね...あの絵...画集で見た時ですね。あの「モナリザ」がヒザのところで組んでいる「手」...あれ...初めて見た時…なんていうか…その…下品なんですが…勃起…しちゃいましてね…」(荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」)
この吉良吉影のエピソード自体が、三島由紀夫の聖セバスチャンの絵でオナニーしたエピソードをモデルにしていると思われます。三島は、仮面の告白や金閣寺など、フェティシズムに囚われた男性を描き続けた作家です。彼自身も、聖セバスチャンの絵などでマゾヒズムを目覚めさせられたと語っていますね。フェティシズムとマゾヒズムは関連性が強い性的倒錯だといわれています。
「その絵を見た刹那、私の全存在は、在る異教的な歓喜に押しゆるがされた。私の血液は奔騰し、私の器官は憤怒の色をたたえた。この巨大な張り裂けるばかりになった私の一部は、今までになく激しく私の行使を待って、私の無知をなじり、憤ろしく息づいていた。私の手はしらずしらず、誰にも教えられぬ動きを始めた。私の内部から暗い輝かしいものの足早に攻め昇って来る気配が感じられた。と思う間に、それはめくるめく酩酊を伴って迸った」(三島由紀夫「仮面の告白」)
上記は吉良のエピソードのモデルとなった箇所ですね。タコピーの原罪の東くんの場合も、吉良吉影と同じく、幼児期の性的固着に失敗したケースかなと考えています。
「他の如何なる形の性的倒錯にもまして、フェティシズムは、体質の先天的状態によって条件付けられることは最も少なく、明らかに偶発的な結びつきや早期のショックによって最も決定的に引き起こされる(略)「フェティシズムは、感じ易い、神経質で小心な、早熟な人間のうちに、即ち、多少とも神経症的な人間のうちに現れやすい傾向(略)(多くは)生涯の初めのうちの性的な何かの挿話のうちに決定的な出発点」(ハヴェロック・エリス「性心理研究」)
タコピーの東くんの中でも、東くんママの外見と東くんの性愛との関係において、何らかのエピソードが発生してしまった可能性が高いと思われますね...
フェティシズムの大きな特徴は、何らかの特徴、物品、行為に対する愛好であり、それは人格に対する愛ではないということですね。つまり、東くんが好きなのは、黒髪ストレートの二重であって、その特徴を持つ人間全体ではないということです。これはタコピーを読む上で理解しておく必要があると思います。
タコピーの原罪の東くんは、『可哀想な女の子』が好きなのであって、その女の子自体が好きなのではないと考えられます。なのでまりなちゃんと恋人関係になった。しかし、それ自体(=可哀想な女の子という属性が好き)なのも一種のフェティシズムであり、『黒髪ストレート二重の女の子』に対するフェティシズムの方が可哀想フェチよりも圧倒的により強かったのが12話ラストの描写でしょうね。
まりなちゃんやしずかちゃんの愛が、人格的な愛(相手を人間として愛している愛。しずかちゃんはチャッピーへの愛なので人間ではないですが...)なのに比べると、東くんの愛がフェティシズムの愛(愛好する象徴だけを愛する愛)なのは、上手い描写ですね。後者なので、しずかちゃん(=黒髪ストレート二重)を見ただけで、ずっと付き合ってきたまりなちゃんを簡単に忘れてしまえる訳です。
フェティシズムがなぜ男性に多いのかはいまだによく分からないんですが、男性の性的処理はかなり単純な起こしやすいもの(男性器に肉体的刺激を与える)なので、逸脱した空想から起きる一種の刷り込みが起こりやすいのではないかという説もありますね。創作においてフェティシズムを愛と勘違いするのは、悲喜劇として面白いテーマですね。
東くんのフェティシズムの愛と、まりなちゃんの人格的な愛が、すれ違いを起こしているのは人間社会において凄くありがちな悲喜劇(女性のフェティッシュな属性の部分しか愛せない男性と、その男性全体を愛している女性のすれ違いの悲喜劇)なので、これを確り描けるところに、タイザン5先生の凄みを感じますね。
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2022年02月18日 01:33
タコピーの原罪11話読了。これは素晴らしい。今までの展開を全てひっくり返す見事な展開。まりなちゃんとタコピーが2022年に先に出会っていたことも驚かされますが、自分が一番、感銘を受けたのは、しずかちゃんと、しずかちゃん父の描き方ですね。
タコピーの原罪は人間は多面的な存在であり、ある人にとって愛の対象が、別の人にとって憎悪の対象であること、またそれはひっくり返ることを上手く描いている。人間は統一的な存在ではなく分裂的な多面性の存在であるということですね。下記とか分かりやすい。
人間は分裂的な揺れ動く存在であり、統一的ではないということですね。しずかちゃんと、彼女の父親の関係はそれを上手く描いている。
10話までのしずかちゃんはチャッピーのことを第一に考え、チャッピーに依存しているように見え、確かにその側面はあったでしょうが、11話でしずかちゃんのチャッピーに依存する気持ちは吹っ飛んでしまった。しずかちゃんは自分の父親が、自分の異母弟妹を愛しており、しずかちゃんのことは路傍の石としか見ていないことを知り、チャッピーへの依存の気持ちは吹っ飛んでしまった。
しずかちゃんの中にあるのは、父の愛を独占する自分の弟妹に対する激しい嫉妬と憎悪。そして自分を捨てた父に対する憎悪です。その嫉妬と憎悪から彼ら(父方の家族)をハッピー道具を使い亡き者にして破滅させる為に、『自分の弟妹がチャッピーを食べた。だから彼らの胃を開く』という滅茶苦茶な理屈を組み上げている。
この理屈は、しずかちゃんは未成熟なので、チャッピーへの思いを遥かに超える自分の中の憎悪と嫉妬を言語化できないゆえに、代替的な理屈が働いていることを示している。極めて文学的、純文学的な描写で素晴らしい。ドストエフスキーとか彷彿とさせますね。
また、これはしずかちゃんパパにも言えて、ツイッターなどは、しずかちゃんパパを非難する囂々たる声で溢れていますが、タイザン5先生は、しずかちゃんパパは、しずかちゃんの異母弟妹、自らの家族(しずかちゃんとその母以外の家族)に愛を注ぐ、裕福で満たされた幸せな男性であり、幸せな愛に溢れた家庭を築いていることをしっかり描いている。これにより、しずかちゃんの行おうとしている憎悪と嫉妬に塗れた残虐な復讐、その為にタコピーすら手に掛ける行為こそが真の邪悪そのものであるという描写を意図的に行っている。これが素晴らしい。
人間というのは、悪の塊とか善の塊みたいなものではなくて、ある人にとっては、善き人であり、愛に満ちた関係である人が、別の人にとってみれば、悪しき人であり、憎悪に満ちた関係であるということは、往々にしてある訳です。
これは、古代から芸術、特に文学の大きなテーマですね。ドストエフスキーの罪と罰のラスコーリニコフもマルメラードフも一概に悪人とは言えない訳です。少年ジャンプの世界だと夜神月なんかもそうですね。ミサミサや夜神粧裕にとって彼はかけがえのない良き恋人であり、良き兄な訳です。同じことがしずかちゃんパパにも言える。
少年漫画では、極度の単純化が行われ、人間を悪の塊とか善の塊みたいな統一的なものとして描くことが多いですが、タコピーの原罪のタイザン5先生は全く逆の描き方をしている。これは、極めて純文学的で、素晴らしい作品だと感銘を受けておりますね...
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タコピーの原罪は人間は多面的な存在であり、ある人にとって愛の対象が、別の人にとって憎悪の対象であること、またそれはひっくり返ることを上手く描いている。人間は統一的な存在ではなく分裂的な多面性の存在であるということですね。下記とか分かりやすい。
「私の心と私の言葉の間には、決してうめられない溝がいくつもあって、それと同じくらい、私の文章と私の間にも距離があるはずだ。
でも一般にみんな、日記に向かうとき素直になっているような気になっている感じがして、気持ち悪いから何となく日記は気取っていて、いやなのだ。
本当に人を救う尊い仕事をしている男が、ある朝交差点で世にもHなお姉さんの後ろ姿に勃起し、さらにその日のうちに幼い娘に八つ当たりし、妻と話しあって高次の愛に接したら、それはみんなその人で、その混沌が最高なのにみんな物語が好きだから、本人もそうだから、統一されたいと願ったり、自分をいいと思ったり悪いと思ったり、大忙しだ。
変なの。」(吉本ばなな「アムリタ」)
人間は分裂的な揺れ動く存在であり、統一的ではないということですね。しずかちゃんと、彼女の父親の関係はそれを上手く描いている。
10話までのしずかちゃんはチャッピーのことを第一に考え、チャッピーに依存しているように見え、確かにその側面はあったでしょうが、11話でしずかちゃんのチャッピーに依存する気持ちは吹っ飛んでしまった。しずかちゃんは自分の父親が、自分の異母弟妹を愛しており、しずかちゃんのことは路傍の石としか見ていないことを知り、チャッピーへの依存の気持ちは吹っ飛んでしまった。
しずかちゃんの中にあるのは、父の愛を独占する自分の弟妹に対する激しい嫉妬と憎悪。そして自分を捨てた父に対する憎悪です。その嫉妬と憎悪から彼ら(父方の家族)をハッピー道具を使い亡き者にして破滅させる為に、『自分の弟妹がチャッピーを食べた。だから彼らの胃を開く』という滅茶苦茶な理屈を組み上げている。
この理屈は、しずかちゃんは未成熟なので、チャッピーへの思いを遥かに超える自分の中の憎悪と嫉妬を言語化できないゆえに、代替的な理屈が働いていることを示している。極めて文学的、純文学的な描写で素晴らしい。ドストエフスキーとか彷彿とさせますね。
また、これはしずかちゃんパパにも言えて、ツイッターなどは、しずかちゃんパパを非難する囂々たる声で溢れていますが、タイザン5先生は、しずかちゃんパパは、しずかちゃんの異母弟妹、自らの家族(しずかちゃんとその母以外の家族)に愛を注ぐ、裕福で満たされた幸せな男性であり、幸せな愛に溢れた家庭を築いていることをしっかり描いている。これにより、しずかちゃんの行おうとしている憎悪と嫉妬に塗れた残虐な復讐、その為にタコピーすら手に掛ける行為こそが真の邪悪そのものであるという描写を意図的に行っている。これが素晴らしい。
人間というのは、悪の塊とか善の塊みたいなものではなくて、ある人にとっては、善き人であり、愛に満ちた関係である人が、別の人にとってみれば、悪しき人であり、憎悪に満ちた関係であるということは、往々にしてある訳です。
これは、古代から芸術、特に文学の大きなテーマですね。ドストエフスキーの罪と罰のラスコーリニコフもマルメラードフも一概に悪人とは言えない訳です。少年ジャンプの世界だと夜神月なんかもそうですね。ミサミサや夜神粧裕にとって彼はかけがえのない良き恋人であり、良き兄な訳です。同じことがしずかちゃんパパにも言える。
少年漫画では、極度の単純化が行われ、人間を悪の塊とか善の塊みたいな統一的なものとして描くことが多いですが、タコピーの原罪のタイザン5先生は全く逆の描き方をしている。これは、極めて純文学的で、素晴らしい作品だと感銘を受けておりますね...
「(どんなに純粋無垢な子供ですらも)もしかすると、僕たちは悪い人間になるかもしれないし、悪い行いの前で踏みとどまることができないかもしれません。人間の涙を嘲笑い、ことによると、さっきコーリャが叫んだような『僕は全ての人々の為に苦しみたい』という人たちを意地悪く嘲笑うようになるかもしれません」
(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」)
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2022年02月04日 13:43
タコピーの原罪9話を読んでぶっ飛びました。しずかちゃんが完全なる悪、純粋な悪、自らの利益の為に自らの意志で男性を惑わせて破滅させる純然たる悪のファム・ファタールになっている。以前、本ブログにて、しずかちゃんは、邪悪なファム・ファタールではないということを書きましたが、訂正しなくては…。しずかちゃんは近代的な邪悪なファム・ファタール存在ですね…。
この物語(タコピーの原罪)の上手いのは、意図的にしずかちゃんの内面を描くことを徹底的に避けているので、タコピーにも読者にもしずかちゃんの内面は分からない。その為、いつからしずかちゃんが邪悪なファム・ファタールとして覚醒したのかは不明ですがが、現行の9話でしずかちゃんが完全なる邪悪として描かれたことで、タイトルであるタコピーの原罪の意味、キリスト教モティーフは、とても分かりやすくなった。
しずかちゃんの身体にタコピーが乗っていつも一緒に描かれていた意味。それは、しずかちゃんが、リリスであることを示している。ジョン・コリアの「リリス」を見ると一目瞭然です。人類に原罪を齎したアダムの最初の妻リリスは西洋美術において、蛇をまとわり付かせたファム・ファタールなのです。タコピー=蛇、しずかちゃん=リリスで作中のメインとなる全ての意匠(しずかちゃんにタコピーが乗っている姿)の謎が解けましたね。
ジョン・コリア「リリス」(1887作 パブリックドメイン)

しずかちゃんが邪悪なファム・ファタールとしていつから覚醒したのかは現状では不明ですが、私は、タコピーによるまりなちゃんの殺人を「魔法」としてしずかちゃんが肯定した時からではないかと思います。「魔法」のシーンでは、しずかちゃんは何も実際の行動はしていないから罪はないという意見が多かったですが、キリスト教は内面、すなわち心の罪を重視する宗教です(「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」マタイ福音書)。タコピーの原罪は題名や上述の意匠のように、キリスト教を極めて強く意識した作品ですので、まりなちゃんの殺害を心の中で肯定したとき、しずかちゃんは完全な悪の存在になったとキリスト教的には考えられます。
しずかちゃんは、その悲惨な境遇から、無垢な善に近いヒロインとして好意的な目線で見ている読者(私も含まれます)が多かったですが、これは、サロメの逆パターン(聖書に記述されるサロメはヨハネを積極的に害そうとしたのではなく、母のメッセンジャーをしたにすぎなかったが、様々な芸術のモティーフとして取り上げられる中で鑑賞者から悪のイメージを付与されてゆき、それがオスカー・ワイルドの戯曲にて結実した)なのかもしれません、すなわち、悲惨な境遇にある美少女は善性を持っていてほしいという読者(鑑賞者)の先入見を裏切ることのできる、邪悪な存在としてしずかちゃんはタイザン5先生により最初から造形されていたのかもしれません。
また、東くんは救われてほしいという意見が多いですが、それも次の二つの理由により、ないと考えます。
まず一つは、キリスト教は情欲に惑わされることに対して非常に厳格な宗教であることです。純然たる悪のファム・ファタールしずかちゃんの色仕掛けに引っかかって簡単に悪の片棒を稼ぐような男性(東くん)には、色欲に惑わされて篭絡されて悲惨な最期を遂げたホロフェルネス(ユディト記)のような運命が待ち受けているだろうと考えます。特に東くんは彼自身の内面(観念)がしずかちゃんの悪(盗みの唆し等々)に落とされているわけで、単純な肉体的魅力に篭絡されるよりも、キリスト教的には遥かにより救い難い感じですね…
もう一つは、こちらの理由の方が物語論的には大きいですが、タコピーの原罪9話で、カインとアベルをやる為の背景を丁寧に描写していることです。カインとアベルは、創造主の愛を巡るカインとアベル兄弟の嫉妬が人類最初の嘘と殺人に発展する訳ですが、創造主とは、子供にとって親な訳です。カインとアベルは、タコピーの原罪においては、東くん兄弟の親の愛を巡る兄弟の争いとして描かれている訳ですね。9話ではそれがはっきりと描かれている。東くんは、創造主、すなわち東くんママの愛を独り占めする潤也くんのことをカインのように憎んでいる訳です。
9話からは、カインとアベルの悲劇を見事に再現する以外の何ものも見えない。いまだに東くんが救われることを願う人々の願いを美しく裏切り、そして深読みする人々の期待に応え、おそらく10話は東くんが想像を絶する破滅を迎える素晴らしく美しき悲劇の地獄となるでしょう。それを読むときのこと、そして愛する登場人物(東くん)が滅び行く姿を見る読者皆のカタルシスの喜び(アリストテレスは、優れた悲劇の条件として、悲劇的運命を迎えて破滅する人物が、鑑賞者から愛される人間、すなわち極悪人などではない、善良さを持つ人間であることを挙げた。そのとき、カタルシスの条件たる恐れと哀れみが誕生する。ゆえに極悪人のまりなちゃんよりも善良な東くんの破滅の方がより優れた悲劇的)を思うと、まさに、「偉大なる劇作家と歴史の目撃者に!!」という感興になりますね!なんと…なんと素晴らしい…
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この物語(タコピーの原罪)の上手いのは、意図的にしずかちゃんの内面を描くことを徹底的に避けているので、タコピーにも読者にもしずかちゃんの内面は分からない。その為、いつからしずかちゃんが邪悪なファム・ファタールとして覚醒したのかは不明ですがが、現行の9話でしずかちゃんが完全なる邪悪として描かれたことで、タイトルであるタコピーの原罪の意味、キリスト教モティーフは、とても分かりやすくなった。
しずかちゃんの身体にタコピーが乗っていつも一緒に描かれていた意味。それは、しずかちゃんが、リリスであることを示している。ジョン・コリアの「リリス」を見ると一目瞭然です。人類に原罪を齎したアダムの最初の妻リリスは西洋美術において、蛇をまとわり付かせたファム・ファタールなのです。タコピー=蛇、しずかちゃん=リリスで作中のメインとなる全ての意匠(しずかちゃんにタコピーが乗っている姿)の謎が解けましたね。
ジョン・コリア「リリス」(1887作 パブリックドメイン)

しずかちゃんが邪悪なファム・ファタールとしていつから覚醒したのかは現状では不明ですが、私は、タコピーによるまりなちゃんの殺人を「魔法」としてしずかちゃんが肯定した時からではないかと思います。「魔法」のシーンでは、しずかちゃんは何も実際の行動はしていないから罪はないという意見が多かったですが、キリスト教は内面、すなわち心の罪を重視する宗教です(「情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」マタイ福音書)。タコピーの原罪は題名や上述の意匠のように、キリスト教を極めて強く意識した作品ですので、まりなちゃんの殺害を心の中で肯定したとき、しずかちゃんは完全な悪の存在になったとキリスト教的には考えられます。
しずかちゃんは、その悲惨な境遇から、無垢な善に近いヒロインとして好意的な目線で見ている読者(私も含まれます)が多かったですが、これは、サロメの逆パターン(聖書に記述されるサロメはヨハネを積極的に害そうとしたのではなく、母のメッセンジャーをしたにすぎなかったが、様々な芸術のモティーフとして取り上げられる中で鑑賞者から悪のイメージを付与されてゆき、それがオスカー・ワイルドの戯曲にて結実した)なのかもしれません、すなわち、悲惨な境遇にある美少女は善性を持っていてほしいという読者(鑑賞者)の先入見を裏切ることのできる、邪悪な存在としてしずかちゃんはタイザン5先生により最初から造形されていたのかもしれません。
また、東くんは救われてほしいという意見が多いですが、それも次の二つの理由により、ないと考えます。
まず一つは、キリスト教は情欲に惑わされることに対して非常に厳格な宗教であることです。純然たる悪のファム・ファタールしずかちゃんの色仕掛けに引っかかって簡単に悪の片棒を稼ぐような男性(東くん)には、色欲に惑わされて篭絡されて悲惨な最期を遂げたホロフェルネス(ユディト記)のような運命が待ち受けているだろうと考えます。特に東くんは彼自身の内面(観念)がしずかちゃんの悪(盗みの唆し等々)に落とされているわけで、単純な肉体的魅力に篭絡されるよりも、キリスト教的には遥かにより救い難い感じですね…
吉本隆明「(キリスト教の特徴は)姦淫することなかれというような、そういう律法、ないしは掟に対して、非常に観念的な、大変観念的な領域にまで拡張しまして、つまり、心の中で色情を抱いて異性を見たらもう姦淫したんだという風に言っているわけです(略)そういうものが、キリスト教時間的には、あるいは空間的に、地域を越えて、一地域を越えて、やはり何と言いますか、生きさせてきた根本にある問題だと思われます」(宗教と自立)
もう一つは、こちらの理由の方が物語論的には大きいですが、タコピーの原罪9話で、カインとアベルをやる為の背景を丁寧に描写していることです。カインとアベルは、創造主の愛を巡るカインとアベル兄弟の嫉妬が人類最初の嘘と殺人に発展する訳ですが、創造主とは、子供にとって親な訳です。カインとアベルは、タコピーの原罪においては、東くん兄弟の親の愛を巡る兄弟の争いとして描かれている訳ですね。9話ではそれがはっきりと描かれている。東くんは、創造主、すなわち東くんママの愛を独り占めする潤也くんのことをカインのように憎んでいる訳です。
9話からは、カインとアベルの悲劇を見事に再現する以外の何ものも見えない。いまだに東くんが救われることを願う人々の願いを美しく裏切り、そして深読みする人々の期待に応え、おそらく10話は東くんが想像を絶する破滅を迎える素晴らしく美しき悲劇の地獄となるでしょう。それを読むときのこと、そして愛する登場人物(東くん)が滅び行く姿を見る読者皆のカタルシスの喜び(アリストテレスは、優れた悲劇の条件として、悲劇的運命を迎えて破滅する人物が、鑑賞者から愛される人間、すなわち極悪人などではない、善良さを持つ人間であることを挙げた。そのとき、カタルシスの条件たる恐れと哀れみが誕生する。ゆえに極悪人のまりなちゃんよりも善良な東くんの破滅の方がより優れた悲劇的)を思うと、まさに、「偉大なる劇作家と歴史の目撃者に!!」という感興になりますね!なんと…なんと素晴らしい…
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2022年01月21日 10:36
タコピーの原罪 上 (ジャンプコミックス)
タコピーの原罪7話「タコピーの告解」読了。キリスト教における原罪の位置づけ、原罪と赦しと告解の関係、そして回心を凄く上手く描いていると感心しましたね。
ただ、ジャンププラスのいいね順コメント欄では、まりなちゃんママは救い難い根っからの悪党、自己の現世的利益しか考えておらず、タコピーの正体を看破したのも、罪を悔いてまりなちゃんを返してと嘆願するのも、単に自分の利益だけを考えた結果であるという意見が圧倒的に強い。私は、タコピーの原罪がキリスト教をバックボーンにしていることから、こういった意見は誤った解釈だと思うので、その辺を少し解説させて頂きますね。
キリスト教が世界宗教となった要因の一つとして挙げられるのは、キリスト教が現世救済的な、現世の利益に物事を還元する宗教というよりは、もっと精神的な、心なる心の回心と救済を重視する宗教であったからとされています。キリスト教では、外的な振る舞いよりも、本心からの信仰が重視されていて、自らが原罪を持つ罪人であると認め、それを虚心坦懐に悔いる告解が、神の赦しに繋がるとして、根幹的に重要視されているんですね。キリスト教の精神性を示す言葉としては、イエス・キリスト自身の言葉であるとされている、「全て自分自身を高くするものは低くされるだろう。しかし、自分自身を低くするものは高くされるだろう」の言葉とか有名ですね。
キリスト教では、良きものは、現世利益的な地上の横のルートではなく、魂への呼びかけとして超越的な天上のルートから垂直に来ると考えるんですね。なので、天上とのルートが開かれていることが大切で、天上の神を人間が欺くことはできないので、本心から相対することが求められます。そこにおいて自らの罪を心から認め告白する告解は、地上の人を天上と繋ぐものであり、自らの罪を認めない人々(全てを現世的な外形的行動で判断する人々)よりも、天上と相対して罪を認めて悔やむ人々の方が天上に近いとされるんですね。
この現世的なものを越えた垂直なルートの最も根幹となるものが、罪を認めて告白して悔やむ告解と、そして他者への愛(≠自己愛)だとされていて、タコピーの原罪7話は、このキリスト教的な精神を凄く上手く描いているなと。まりなちゃんママは、まりなちゃんを失うことで、まりなちゃんを本当に心から愛していたことと、自らの罪(虐待)に気づき、タコピーに告解する、そしてタコピーがそれ(まりなちゃんママのまりなちゃんへの愛)を目の当たりにすることから、タコピー自身も自らの罪に気づき、天に告解するという流れが美しく素晴らしい。
この流れに対し、まりなちゃんママは根っからの悪党で、ただ自己利益だけ考えているとか言って非難するのは、流石にうがちすぎではと思いますね。こういった非難からは、先のイエスの言葉を思い返せば分かるように、原罪と告解と愛、心が相対することを重んじるキリスト教的な精神性が全く無いことが分かります。
まりなちゃんママは自分のことを考えているだけとして非難する、ジャンプラいいねコメント欄的な流れは、悪い意味で俗流ニーチェ主義というか俗流フロイト主義で、なんでもかんでも現世的な打算に還元する流れですね。でも、キリスト教って、そういう現世的打算を超える他者への愛の精神性があるということを示す宗教であるんですね。だからこそ、世界宗教になったと考えられる。タコピーの原罪7話での、まりなちゃんママとタコピーの告解は、そういった精神性を示していると考えますね。だからこそ、タコピーの原罪7話「タコピーの告解」は、残酷な事象の中にあっても美しいし、心を打つんですね…
あと、「まりなはお腹を痛めて産んだ大切な娘なんです」という台詞も重要と考えられ、母子関係に、自己利益、即ち現世打算的なものを越える、天上的な他者への愛の結びつきを見るというのもキリスト教、特にマリア信仰に見られるものでありますね。まりなちゃんの名前は、象徴的にマリアと掛けてあるんでしょうね…。
まりなちゃんママを必要以上に悪として捉えるネットの風潮には、母子関係に対する妬みや憎しみ、異性を嫌悪して、異性の持つ聖性は決して認めないネット特有のミソジニー的なものもあるのかなと感じますね。でも、そういった憎悪の概念に囚われている限り、天上的な善、美、愛は決して理解できないと思いますね。
母子関係の聖性、その愛を重んじるマリア信仰は、キリスト教よりも更に以前の地母神、女神信仰とも結びついていると言われており、母子関係に現世利益的なものを越えた他者への愛を見るのは、人類の普遍的構造としてあるのかもしれませんね…。以下、最後にマリア信仰を描いたヤコブ・プロトエヴァンゲリオン(ヤコブ原福音書)より引用。出産と母子を讃えている。
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タコピーの原罪7話「タコピーの告解」読了。キリスト教における原罪の位置づけ、原罪と赦しと告解の関係、そして回心を凄く上手く描いていると感心しましたね。
まりなちゃんママ「お願いします。まりなを返してください。どこの誰だか存じませんが、まりなはお腹を痛めて産んだ大切な娘なんです。まりちゃんごめんね。いいママじゃなかったよね。でも大好きだからお願い帰ってきて…」
(タコピーの原罪 7話「タコピーの告解」)
ただ、ジャンププラスのいいね順コメント欄では、まりなちゃんママは救い難い根っからの悪党、自己の現世的利益しか考えておらず、タコピーの正体を看破したのも、罪を悔いてまりなちゃんを返してと嘆願するのも、単に自分の利益だけを考えた結果であるという意見が圧倒的に強い。私は、タコピーの原罪がキリスト教をバックボーンにしていることから、こういった意見は誤った解釈だと思うので、その辺を少し解説させて頂きますね。
キリスト教が世界宗教となった要因の一つとして挙げられるのは、キリスト教が現世救済的な、現世の利益に物事を還元する宗教というよりは、もっと精神的な、心なる心の回心と救済を重視する宗教であったからとされています。キリスト教では、外的な振る舞いよりも、本心からの信仰が重視されていて、自らが原罪を持つ罪人であると認め、それを虚心坦懐に悔いる告解が、神の赦しに繋がるとして、根幹的に重要視されているんですね。キリスト教の精神性を示す言葉としては、イエス・キリスト自身の言葉であるとされている、「全て自分自身を高くするものは低くされるだろう。しかし、自分自身を低くするものは高くされるだろう」の言葉とか有名ですね。
「(ファリサイ人は)週に二度断食をしており、十分の一税を払っていることを神に誇示した。それに対して徴税人は、自分が罪人であることを認め、神に慈悲を乞うていた。イエスは、自分が義人であると自認し、他人を軽蔑している幾人かの聴衆に向かい、徴税人の方がファリサイ人よりも神に義とされて家路につくであろう、と言い、その理由として冒頭に掲げた言葉を語っている」
(聖書名言辞典)
キリスト教では、良きものは、現世利益的な地上の横のルートではなく、魂への呼びかけとして超越的な天上のルートから垂直に来ると考えるんですね。なので、天上とのルートが開かれていることが大切で、天上の神を人間が欺くことはできないので、本心から相対することが求められます。そこにおいて自らの罪を心から認め告白する告解は、地上の人を天上と繋ぐものであり、自らの罪を認めない人々(全てを現世的な外形的行動で判断する人々)よりも、天上と相対して罪を認めて悔やむ人々の方が天上に近いとされるんですね。
この現世的なものを越えた垂直なルートの最も根幹となるものが、罪を認めて告白して悔やむ告解と、そして他者への愛(≠自己愛)だとされていて、タコピーの原罪7話は、このキリスト教的な精神を凄く上手く描いているなと。まりなちゃんママは、まりなちゃんを失うことで、まりなちゃんを本当に心から愛していたことと、自らの罪(虐待)に気づき、タコピーに告解する、そしてタコピーがそれ(まりなちゃんママのまりなちゃんへの愛)を目の当たりにすることから、タコピー自身も自らの罪に気づき、天に告解するという流れが美しく素晴らしい。
この流れに対し、まりなちゃんママは根っからの悪党で、ただ自己利益だけ考えているとか言って非難するのは、流石にうがちすぎではと思いますね。こういった非難からは、先のイエスの言葉を思い返せば分かるように、原罪と告解と愛、心が相対することを重んじるキリスト教的な精神性が全く無いことが分かります。
まりなちゃんママは自分のことを考えているだけとして非難する、ジャンプラいいねコメント欄的な流れは、悪い意味で俗流ニーチェ主義というか俗流フロイト主義で、なんでもかんでも現世的な打算に還元する流れですね。でも、キリスト教って、そういう現世的打算を超える他者への愛の精神性があるということを示す宗教であるんですね。だからこそ、世界宗教になったと考えられる。タコピーの原罪7話での、まりなちゃんママとタコピーの告解は、そういった精神性を示していると考えますね。だからこそ、タコピーの原罪7話「タコピーの告解」は、残酷な事象の中にあっても美しいし、心を打つんですね…
「イエスが十字架に掛けられたのは偶然ではない。彼は命を奪われる運命だった。現代であってもそうなったであろう。イエスは、万人の中で一番過激な革命主義者だったのだ。彼は達しがたい泉なのだ。その固い大地の裂け目より革命が迸るのだ。彼はカエサルに向き合い、そのカエサルが誰であっても、その不当なる『権力』に対する精神の不服従の永遠なる原理なのだ」
(ロマン・ロラン「クレランボー」)
あと、「まりなはお腹を痛めて産んだ大切な娘なんです」という台詞も重要と考えられ、母子関係に、自己利益、即ち現世打算的なものを越える、天上的な他者への愛の結びつきを見るというのもキリスト教、特にマリア信仰に見られるものでありますね。まりなちゃんの名前は、象徴的にマリアと掛けてあるんでしょうね…。
まりなちゃんママを必要以上に悪として捉えるネットの風潮には、母子関係に対する妬みや憎しみ、異性を嫌悪して、異性の持つ聖性は決して認めないネット特有のミソジニー的なものもあるのかなと感じますね。でも、そういった憎悪の概念に囚われている限り、天上的な善、美、愛は決して理解できないと思いますね。
ロマン・ロラン「人類みなが持つ悲惨さについて考えよう。敵はいない、悪人はいない、いるのは惨めな人々だけだ。そして持続可能な唯一の幸せは、理解しあうこと、愛を持つことなのだ」
母子関係の聖性、その愛を重んじるマリア信仰は、キリスト教よりも更に以前の地母神、女神信仰とも結びついていると言われており、母子関係に現世利益的なものを越えた他者への愛を見るのは、人類の普遍的構造としてあるのかもしれませんね…。以下、最後にマリア信仰を描いたヤコブ・プロトエヴァンゲリオン(ヤコブ原福音書)より引用。出産と母子を讃えている。
「直ちに雲は洞窟から引き、大いなる光が洞窟の中に輝き、私達の眼には耐えられないほどでした。そして少し経つとその光は消え、遂に赤ちゃんが見えました。赤ちゃんは母マリアに近寄ってその乳にすがりました。すると産婆は叫んで言いました。「今日という日は私には大いなる日、かつてないこの見物を見たからです」」
(ヤコブ原福音書)
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