映画・映像作品

2015年07月14日 19:33

ウルトラマンX第一話視聴。主人公が高所恐怖症で、しかもあんまり前向き系のキャラではなく、変身後に視点が変わったら(巨人であるウルトラマンの視点になったら)「高いところはだめなんだぁ〜!」って錯乱してた上に「俺が戦うなんてできねぇ〜!」って後ろ向きに逃げ回ってたのに吹きました。プリキュアの女児主人公よりもメンタルが弱そうな大人の男性主人公…。ウルトラマンになだめられながら戦うウルトラ主人公…これは斬新だ…ある意味面白い。

ちなみに怪獣は殺さずに捕獲目的で戦うところに、現代風のウルトラマンを感じましたね。現代の人道的風潮を鑑みればもうキリヤマ隊長みたいなキャラは出せないだろうなあ(^^;

ノンマルトの海底基地は完全に粉砕した。我々の勝利だ!海底も我々のものだ!
(キリヤマ隊長)

話は変わりますが、ベンヤミン・コレクション7を読了。最近読んだ本の中では一番面白かったです。本書はヨーロッパの各民族の民族性や資本主義について書かれたものが多く、ギリシャ債務危機でユーロ圏がガタガタになっている今にタイムリーでしたね。面白かったので少し引用します。

カントはヨーロッパの主要な民族を、次のような言葉で描写した。

「フランス人は慇懃で、生き生きとして、軽率で、変わりやすく、自由の眩暈を起こさせる。

イギリス人は根気強く、慈善心に富み、利欲旺盛で、誇り高くて人付き合いが悪い。

スペイン人は節度があり、誇り高く、宗教心が篤く、もったいぶり屋で、無知で、残酷にして怠惰。

イタリア人は快活で、しっかりしていて、情動が豊かにして陰謀好き。

最後にドイツ人は、家庭的で、律儀で、動揺することがなく、鈍重で、勤勉で、控えめで、耐久力があり、客好きで、学識があり、模倣がうまくて肩書きを欲しがる。

そして以上のことから帰結されるのは」と彼は非常に簡潔にこう付け加えた。「フランスは服飾モードの国であり、イギリスは気分の国、スペインは祖先の国、イタリアは絢爛の国、ドイツは肩書きの国である、ということ」
(ベンヤミン・コレクション7)

「ドイツ人は動揺することがなく」でジョジョの奇妙な冒険第二部を思い出していました。ドイツ軍人はうろたえない!

まあ、上記を見てどこが暮らしやすそうかといったらイタリアかなあ…。陰謀はちょっと困りますが。

資本主義についてはこんな感じです。

資本主義は一つの宗教と見なすことができる。(中略)資本主義のこの宗教的な構造には、三つの特徴を見て取ることができる。第一に資本主義は一つの純粋な礼拝宗教(資本に対する礼拝)おそらくはこれまでに存在した最も極端な礼拝宗教なのである。資本主義においては一切のものが直接的に礼拝と関わることによってのみ意味を持つのであって、資本主義はいかなる特別な教義もいかなる神学も関与しないのだ。功利主義はこの観点の下で宗教的なニュアンスを持つことになる。

資本主義の第二の特徴は礼拝のこの具体化、すなわち礼拝の永久的な持続に関連している。資本主義とは、いかなる夢想も感謝も抱くことなく礼拝を執り行うことにほかならない。そこには平日というものが存在せず、あらゆる厳粛な虚飾が執り行われ、礼拝する者に極度の緊張を強いるという、ぞっとするような意味での祝日ではない日は、存在しない。

第三にこの礼拝は、罪(債務)を負わせるものである。資本主義は、たぶん罪を清めるのではなく罪を負わせる礼拝というものの、初めての事例なのだ。(中略)

資本主義というこの宗教運動の本質にあるのは、最後まで(罪=債務に)耐え抜くこと、神がついに全ての罪を背負い、「まだかろうじて期待されるのは絶望である」という世界状態に達するまで耐え抜くことである。

宗教がもはや存在の改革(救済)ではなく、存在の粉砕にほかならないということにこそ、資本主義の歴史的に前代未聞な点があるのだ。絶望を宗教的な世界状態にまで、そこからの治癒こそ待ち望まれるという世界状態にまで拡大すること。神の超越は崩落してしまった。しかし、「神は死んだ」のではなく、神は人間の運命の中に組み込まれたのだ。人間という惑星が超人、すなわち資本主義という宗教を認識しつつ実現し始める最初の人間なのである。
(ベンヤミン・コレクション7)

これは恐慌について語っているのかなと思いますが(書かれたのは1921年のドイツ、ドイツ経済が破綻状態でナチスが急激な拡大を始めた頃)、今のギリシャをエコノミスト達はこぞって「借金を踏み倒そうとする極悪人の罪人である」と声高に叫んでいるのを見ると(http://www.sankei.com/premium/news/150712/prm1507120020-n1.html等)、まさに資本主義を、「罪を背負わす宗教」というのは言いえて妙だなと思いますね…。

ベンヤミン・コレクション 7 〈私〉記から超〈私〉記へ (ちくま学芸文庫)ベンヤミン・コレクション 7 〈私〉記から超〈私〉記へ (ちくま学芸文庫)
著者:ヴァルター ベンヤミン
筑摩書房(2014-07-09)
販売元:Amazon.co.jp

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2014年05月05日 02:12

賛否両論の凄いアニメ「メカクシティアクターズ」、僕はボカロのカゲロウデイズとか一切聴いたことがなく、アニメで初めて触れて見ているのですが、今回の第四話、13分30秒から18分30秒の映像は凄く良かったと感じましたね。抽象的な映像で不安心理を表現する(視聴者を不安にする)というのが良くできていて感心しました。

こういう形象のある映像として感情(主に不安感)を表現するアヴァンギャルド映像(ドイツ表現主義やその系譜等、近年の作品ではタルコフスキー作品とか好きです)を僕は昔から凄く好きなので、カリガリ博士や松本俊夫実験映像集とか見ていて思い出しましたね…。ドイツ表現主義−松本俊夫・実相寺昭雄・市川崑−アニメへ影響−虫プロ系表現主義−新房昭之のようなラインでドイツ表現主義の系譜が日本のアニメに流れているのかな…。

淀川長治「カリガリ博士」
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo18023.html
『カリガリ博士』、おもしろい名前ね。『カリガリ博士』、これ、ドイツの表現主義の頃の最も代表的な作品ですよ。

舞台が背景が、全部不思議な感覚の絵ですね。もう全部カキワリですね。けどカキワリと言えませんね、ドイツ美術ですね。ドイツの本当の、この表現主義の、すごい美術の中で事件が起こり、人物が出てきますね。その人物がその表現形式の絵画の中で見事に収まっていますね。これはヴィーネと言う監督の見事な名作です。(中略)

ストーリーは、私はかすかに覚えてるだけですけど、この表現形式ですね、これは凄い。これはドイツでないとやれない、アメリカじゃとってもこんな大胆な事やれない。フランスでもやれない、ドイツですね、ドイツは、こういう頃、こういう時代に最もモダンだったんですね。最もいわゆるハイカラだったんですね。

『メトロポリス』なんかもありますけど、これは本当に絵画がそのまま映画になってるんですね。その表現形式、不思議な不思議な感覚、これは後にいろんな国が真似しましたけど、やっぱりドイツが最初のオリジナルですね。(中略)

衣笠貞之助なんかが非常にこれに影響されましたね。『狂った一頁』とか、いろいろつくりましたけど、この感覚は、とっても大胆なこの感覚は、もうこのドイツ映画以外つくれませんでしたね。

『カリガリ博士』、不思議な、不思議な、見事なドイツ文化ですよ。ドイツ美術ですよ。

ちょっとだけ映画学 ===カリガリ博士と表現主義===
http://filmstudies.blog21.fc2.com/blog-entry-16.html
映画ってのは写真と同じように「現実感」が極めて強いメディアです。一応「現実の風景をそのまま写し取る」ということで(これは単純に「そのまま」とは言えないのですが・・)、絵画のような描かれたイメージよりも遥かに現実に近く、その現実感が映画の大きな特徴になってきました。

しかし、映画に絶大な力を与えてきた現実感は、一方で制限にもなります。「目に見えないものをどうやって表現するのか」という問題が出てくるんですね。人間の感情や、抽象的な概念などを表現するのが難しいわけです。

この問題は、絵画が映画よりも早くに手をつけていました。それが、目に見えるものを内面の反映として表現する表現主義です。分かりやすいのはやっぱこれ(ムンクの叫び)でしょうか。

基本的には、感情というのは人間の内面にありますよね。そんでその人がのっている橋とか、その人が見ている空、というのは外面であって、彼の内面とは繋がっていないですよね。でもこのムンク「叫び」では、山とか空とか橋、といった、叫んでいる男の内面ではないものも、彼の内面の苦悩とか絶望と連続した空間として描かれています。別な言い方をすると、本来内面であったものが外面にでてきているわけです。これを一般的に表現主義、というみたいです。

そんで「カリガリ博士」ですが、これもムンクの「叫び」に通じるような歪んだ世界が主人公を包んでいます。

これって見りゃわかるけど、みんなセットなんですよねー。スゴイですね。このセットを作った人達は、実際に絵画の方の表現主義を知っていて、影響を受けた人達です。

「カリガリ博士」はぜひ見ていただきたい映画で、ネタバレになるので言いませんが、この世界の歪みってのが「ただこういうのが絵的に面白いからやってみよー」っていう話ではなくて、何らかの、内面的歪みの反映としてあるわけです。外面的で目に見えるものが、目に見えないものの延長、連続として表現されているわけですね。これが映画というメディアが、自分の弱点である「目に見えないものを表現できるか」という問いに対して出した一つの答えであり、映画の表現主義と呼ばれるものです。

こういった表現主義(外面的で目に見えるものが、内面の不安感などの目に見えないものの延長、連続として表現される)を、アニメにもどんどん取り入れて欲しいと願いますね。そしてそれに今一番積極的な作り手が、新房昭之監督であると思います。

ただ僕個人として今回残念だったのは、メカクシティアクターズ第4話、後半の18分30秒からは、いかにも世俗的なキャッチーなメロディラインの歌が流れ始め、映像もそれに引っ張られる感じで表現主義的映像から通常の世俗的説明的映像に戻っていってしまうように感じられることですね。僕はもっと表現主義の映像を楽しみたかったので、歌よりも映像を重視した作りにして欲しかったなと感じました。

いつの日か、新房昭之監督に表現主義アニメ映像作家として、完全オリジナルかつ商業要素を抜きにした映像作品を自由に撮って欲しいなと感じますね…。

カリガリ博士 新訳版 [DVD]

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2013年10月30日 01:45

魔法少女まどかマギカ作品一覧

下記、魔法少女まどかマギカ新編叛逆の物語キャラクター診断をやって見ました。結果は…

魔法少女まどかマギカ新編叛逆の物語キャラクター診断
http://heart.okwave.com/campaign/madoka-magica

あなたのタイプは……『巴マミ』
他人に優しく模範的な性格のあなたは、多くの人から慕われ頼りにされる存在。使命感が強く、自分の信念に忠実なため、他人によい意味での影響を与えるタイプと言えるでしょう。そんなあなたに似ているキャラクターは、鹿目まどかや美樹さやかに魔法少女の“現実”を見せて覚悟を持つ大切さを説いた巴マミです。彼女のように、ときに厳しく、ときに優しく他人を導くことができれば、きっと真の意味での尊敬を勝ち得ることができるでしょう!

うーん…。自分はヒロイン達の誰とも似ていないと思いますが、まあ一番人間的にシンパシーを感じるヒロインが巴マミであることは間違いないので、その点でマミさんが選ばれたのかな。この診断なかなか面白いのでお勧めです。マミさんって本編ではすぐリタイアしてしまいましたが、他のメディア(スピンオフ作品)では相当にクローズアップされてて、凄く人間味のあるキャラクターなんですね。そして、他のヒロインには無い、「自分が魔女になって誰かを傷つけてしまうということに耐えられない他者への優しい繊細さ」、そこが好きですね…。

余談ですが、マミさんの持つ「自分が見知らぬ誰かを傷つけてしまうことが耐えられない繊細さ」と一番対極にある「自分の目指す目標の為ならどんな非道でも行ってみせる」という信念の持ち主が、まどかのために他の全てを切り捨てているほむらであって、マミさんとほむらが一番相容れないと今回の映画のパンフレットで虚淵玄さんが述べておられましたが、それはその通りなんだろうなあと…。個人的には、今回の映画のほむらは、まどかへの執着にあまりにそれだけになっていて、病的で痛々しくて見てられなかったです…。人間って言うのは、そこまで一つの物事のみに執着できるようにはできていないですし、ほむらは明らかに無理をしすぎておかしくなっている…。『今回の映画のほむらは過去(TV編)のほむらと同じく継続的にずれずにぶれずに、まどかのみを追い求めている、ゆえに本映画は完成度が高い』みたいな今回の映画評を幾つか見ましたが、僕は全く逆に感じましたね。人間の心理というのはそれぞれが相反する無数の群体のようなもので、何か一つに極端に執着するというのは非常に無理がある状態(パラノイア)であって、その状態が継続的に進むというほむらの心理展開に非人間的な不自然さを強く感じるところがありました…。少なくとも、僕の見る限りにおいては、過去(TV編)のほむらはここまでパラノイアにはなっていなかった…。閑話休題。

まどか(無私の愛)、さやか(上条への愛)、ほむら(まどかへの愛)、杏子(後悔からくる信念)のそれぞれが持つ非常に純粋すぎるようなところ、ある種作り物めいた非人間性すら感じさせるような極度の純粋無垢な情熱、マミさんはほかのヒロインに比べるとそういった純粋な要素は薄くて、その代わり、相反する思い(魔法少女としての使命感と、それに相反する魔法少女であるが故の孤独の苦しみ)を抱いていていつも揺れ動いてるところが、すごく人間味のある暖かさを感じさせて好きなキャラなんですね…。マミさんを主人公にしたスピンオフ作品「The different story」とか最高に好きな作品ですね…。

ドゥルーズ Gilles Deleuze
http://www.ne.jp/asahi/village/good/deleuze.htm
ドゥルーズは、健全な「欲望」の姿と本当の「私」のあり方を、語っている。以下は、二十代の女性が酔って書く日記の一節。

「私の心と私の言葉の間には、決してうめられない溝がいくつもあって、それと同じくらい、私の文章と私の間にも距離があるはずだ。
でも一般にみんな、日記に向かうとき素直になっているような気になっている感じがして、気持ち悪いから何となく日記は気取っていて、いやなのだ。
本当に人を救う尊い仕事をしている男が、ある朝交差点で世にもHなお姉さんの後ろ姿に勃起し、さらにその日のうちに幼い娘に八つ当たりし、妻と話しあって高次の愛に接したら、それはみんなその人で、その混沌が最高なのにみんな物語が好きだから、本人もそうだから、統一されたいと願ったり、自分をいいと思ったり悪いと思ったり、大忙しだ。変なの。」
(吉本ばなな『アムリタ』)

これは意図的に幼稚な感じの文章で書かれている(吉本自身の文章は名文だ)が、言っていることは誰でも判る。人間の経験は、多様で、「分裂病(=統合失調症)」的であるということだ。にもかかわらず、われわれはそれらを、例えば「立派な先生」といったような、一つの「物語」に統一することを異常に好む。そうであるがゆえに、自分を誤解してしまう。ドゥルーズが批判しているのは、「みんなが好き」な、こうした「物語」だ。

マミ「一緒に帰りましょう。みんなのところに」

さやか「……いやだよ。帰りたくない。悪者になんかなりたくないんだ。あたしが最低な人間だってこと、大切な人に知られたくない。だからって、自分に都合のいい部分しか伝えないようなずるい自分にもなりたくなくて…。それでも、結局どっちか選ばなくちゃいけないなら、いっそあたし、逃げちゃおうかって…」

マミ「……言いたくないなら、黙っていればいいじゃない。自分に都合のいいことだけしか伝えなくたって、ずるい子になったっていいじゃないの。私だって、ずっとそうしてきたんだから」

さやか「マミさん…?」

マミ「美樹さんは、私のことをどう思ってる?もしも、正義の為に戦う真面目な先輩だって思っているなら、それは私が騙してたの。私はね、正義の味方でいたかったわけじゃない。誰かと一緒にいたかっただけなの。本当の私はただの寂しがりなのに、ずっと嫌われるのが怖くって、あなた達の前では真面目な先輩ぶって、いつもみんなにいい顔してた。…でもね、そんなウソはもうやめるの。お願い美樹さん。あなたのためでも他の誰かのためでもなくて、私のために、一緒にいて。あなたが自分を許すつもりがないのなら、私だって、正義の味方なんてやめてやる。だから…私の前からいなくならないで」

さやか「……駄目だよ。そんなマミさん、あたしの憧れのマミさんじゃないよ。あたしは、正義の味方のマミさんが好きなんだ。だからこそ、マミさんの足手まといは絶対に嫌だった。なのに…そんなこと言われちゃったらさ…」

さやか「……いいの?」(あたしは悪い子だよ? それでも、マミさんはいいっていうの?)

マミ「当たり前じゃない」

さやか「……はは、参ったな。ここは厳しく言い返さなくちゃいけないところなのにな…。嬉しいんだ。こんなあたしを、必要としてくれて」

マミ「…………これからの事は、皆でお茶をしながら考えればいいのよ。さあ、帰りましょう。鹿目さんが待っているわ」
(「魔法少女まどかマギカ The different story」)

魔法少女まどかマギカ作品一覧

魔法少女まどか☆マギカ ~The different story~ (上) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
魔法少女まどか☆マギカ ~The different story~ (中) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
魔法少女まどか☆マギカ ~The different story~ (下) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
魔法少女まどか☆マギカ Blu-ray Disc BOX(完全生産限定版)
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語/[後編] 永遠の物語【完全生産限定版】 [Blu-ray]
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
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2013年10月28日 17:01

魔法少女まどかマギカ作品一覧

劇場版魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語を視聴してきました。なんと言いますか…、映画館でこれほど打ちのめされるのはデヴィッド・フィンチャー監督の「セブン」を見たとき以来、十数年ぶりのことです…。

「こう考えたんだ。こんなに酷い世界に生まれる子供がまともに生きていけるだろうか?って」
(デヴィッド・フィンチャー「セブン」)

今までのまどかマギカというのは、主人公まどかの善良さを軸に物語が展開していたが故に、全体として人間の善良さ、人間の善きところ、善性を描いていました。本映画「叛逆の物語」も、ラスト15分前くらいはそんな感じ、『今までのまどかマギカ』の暖かみと抱擁感を予見させるような感じで進むのですが…。

ラスト15分で全てがひっくり返されます。人間の悪意、欲望、歪んだエロスと究極のエゴイズムが、まどかの持つ善性、利他主義、アガペー(無償の愛)を粉みじんに破壊し、世界をエゴで歪んだ悪夢の世界に作り替えてしまう…。

凄い衝撃と共に、ここまで大ヒットしている作品の基底である『人間の善意と希望』を粉々に破壊して『人間の底知れぬエゴイズム』へと作品世界を作り替えてしまう本作の作り手虚淵玄さんの凄まじい業を感じずにはおれませんでした…。

作品としては素晴らしい、価値観を完全に真逆にしてしまう物凄い荒業は見事で、作品としては素晴らしいのですが、これまでのまどかマギカを大切に思ってきた感覚から言えば史上最悪としか言いようのない破壊であり、なんとも複雑な余韻がいまだに強く残っています…。

しかも、更に皮肉なのは、まどかの善良さでは人類を道具として使うインキュベーター種族に対抗することはできず、いずれ人類はインキュベーター種族に滅ぼされていた可能性が高く、人間の根底的邪悪さの顕現として生まれ変わった悪魔ほむらの邪悪さ(インキュベーター種族を自分の道具として使い捨てる邪悪さ)によって、人類は宇宙にいずれ進出できるような未来が開けているっぽいのが何とも…。善良さ(まどか)は邪悪さ(ほむら)に破れ、それによって人類は未来も繁栄するであろう、悪意賞賛的な展開が、なんとも…。今までの全てがひっくり返されている…。

本作は、ほむらの一人称で進むのですが、ほむらの寡黙さがある種の叙述トリックを可能にしていて、そこも見事です…。黒幕としてインキュベーターがミスリードされていて、すっかり騙されました…。『所詮、人間の敵は人間だよ』ですね…。

ほむらの真の目的は、まどかを神の座から引き摺り下ろして人間に戻し、人間まどかをあらゆる全てから守ることであり、それはまどか自身が望んでいないことにもかかわらず、インキュベーターのまどかに対する干渉を千載一遇のチャンスに変えてそのことを実行するのですね。そして神まどかは敗れる…。

苦しむ主体が問題なのです、と医者は言った。
(伊藤計劃「虐殺器官」)

ほむらの欲望は、ほむらとまどかの主体が入れ替わっているだけのエゴイズム(自分はまどかであり、まどかは自分)になっている。SF作家の伊藤計劃さんがよくモティーフにしていたテーマですね。彼女が受ける苦難は全てまどかのためになると彼女は考えるが故に、苦難すら彼女の喜びなのですね。ほむらは信仰者の歪んだパロディ、エゴイスティックな狂信的殉教者になっている。

まどかは全てを愛しているがゆえに(故にこそまどかには神の資格がある。誰か一人を優先するのではなく、全てを無償で愛する、アガペー)、広い視野を持っていますが、ほむらは全く逆で、まどかだけしか見えていない。それも、本当のまどかではなく、『自分の中のまどか』だけを見ている。そして『自分の中のまどか』を『自分の中で幸せにする』ために他の全てを切り捨てる…。

ほむらは自分のことを悪魔として生まれ変わったといいますが、まさに、まどかが人間の善良さ(利他主義)の化身だとすれば、ほむらはそれと対極に位置する人間のエゴイズム(利己主義)の化身なのですね…。

そして善良さ利他主義アガペーとエゴイズム利己主義エロスの対決で後者が勝利し、世界にはエゴイスティックな悪意が密やかに蔓延る様になる。そしてその悪意こそが、人類を道具として利用してきたインキュベーター種族を逆に道具として使い捨てていずれは滅亡させ、人類を更に繁栄させるであろうという、非常にシニカルで絶望的に物語の幕は閉じていく…。

小説家の村上春樹さんが、物語において人間を描く作家は二種類いる、人間の根幹的基底として希望を置く作家と、人間の根幹的基底として絶望を置く作家だ、ということを書いていましたが、虚淵玄さんはまさに絶対的後者なんですね…。彼は作家として人間の根幹に絶望と恐怖(人間に内在する根幹的エゴイズムとそれが齎す他者への暴力)を見ている。村上春樹さんは後者の「絶望の系譜」の作家としてスティーヴン・キングを挙げ、そこでは愛すらも恐怖となると書いていましたが、まさに虚淵玄さんもこの「絶望の系譜」の作家であり、本作はその絶望と恐怖に充ちた作家性が十二分に発揮された傑作と思います…。

僕が彼(スティーヴン・キング)の小説を一番面白いと思うのは、それが喚起する感情の質である。とにかく見逃されがちなことだけど、ホラー・ストーリーにおいて一番大事な要素は、それがどれだけ読者を怖がらせるかということではない。ただ単に怖がらせるだけなら、ちょっと腕のよいストーリー・テラーなら誰にだってそれくらいのものは書ける。問題はそれがどれだけ(読者の価値観を揺らがして)読者を不安(uneasy)にさせられるかである。uneasyでありながらuncomfortable(不快)ではないというのが良質な怪奇小説の条件である。これはなかなか難しい条件だ。(中略)

(読者の価値観を揺さぶり感情を不安にする)キングの小説もやはり系統的に読まれるだけの価値はある。「何故スティーヴン・キングの小説が怖く、それが読むものの感情を刺激して不安にさせるか」と考えることによって、我々はスティーヴン・キングの定義した恐怖の質を知り、ひいては我々の世界や日常の中にひそむ内在的な恐怖を洗い出すことができるようになるからだ。(中略)

我々は自分の中にひそむアンイージネスを不快ではない形で明確にしてもらいたいと望んでいるのであり、そのような欲求を充たすにはいわゆる「純文学的」文学性は必ずしも必要ではないのだ。

スティーヴン・キングの考える恐怖の質はひとことで言ってしまうならば「絶望」である。スティーヴン・キングの小説と登場人物達はその絶望の影に怯えながら、ある暫定的な価値観のもとに救いのある生活を求めようとする。それは多くの場合男女の愛であり家庭である。はじめのうちそれはうまく機能しそうに見える。

しかし絶望はいつも抗うことのできないスーパー・ナチュラルな力として彼らの上にのしかかってくる。愛をもってしてもその力を押しとどめることはできない。何故ならば彼らは生まれながらに体に「絶望」という刻印を押されているからである。裏返して言えば、彼らは絶望という〈救いの不在〉をとおしてでしか愛を語ることができないのである。

例えば『セイラムズ・ロッド』の男と少年は吸血鬼と化した恋人を殺し両親を殺すことで、その暫定的な愛を自らのうちにとどめることができる。『シャイニング』では父を殺すことによって、『ファイアスターター』では世界を焼き尽くすことによって、『デッド・ゾーン』では逆に自らを犠牲にして世界を救うことによって、『ペット・セマタリー』ではそこに何の救いもないと知りつつ死児を再生させ、絶望のうちに死を選びとることによって、彼らはそこに愛をとどめようとする。そこには一片の救いもない。にもかかわらず彼らはそこで逆説的に愛を語っている。キングの小説がアンイージーでありながらアンコンフォタブルではないという理由はおそらくそこにある。
(村上春樹「雑文集」)

これまで虚淵玄さんの作品を初期の頃からプレイしたり視聴したり読んだりしてきましたが、まさにその全ての作品に『生まれながらに体に「絶望」という刻印を押されている』。Phantomもヴェドゴニアも鬼哭街も沙耶の唄も続・殺戮のジャンゴもFate/Zeroも…。そして、本映画により、まどかマギカにも決定的な『絶望』の虚淵印の刻印が刻まれました…。虚淵玄さんの深い業を感じずにはおれない映画でした…。

「だからあなたは裏切りや暴力が……人間の残虐性が……逃れがたい人間の本性だと言おうとしたのね。あなたは罪から逃れるために、人間の本性のどす黒さを証明し続けているんだわ。恐ろしい数の人達の命で」
(伊藤計劃「虐殺器官」)

本映画、作品としては凄く優れていると思います。ただ、今現在、凄く生活に困っていて、病気もしていまして、凄く弱っているので、こういう絶望に充ちた作品を鑑賞するのは、凄く衝撃でショックはあって、弱っている人は余り見ないほうがいいかもです…。すごく生活が辛いので、『世界は結局弱肉強食、絶望とエゴイズムが支配するのだ!』なんて物語よりは、せめてフィクションの中では利他主義が生む希望が見たいと思ってしまうところもありますね…。本作は端的にはまどか神が敗北する物語、人間のエゴイズムの顕現たるほむらがアガペーの真の愛の神であるまどかを打ち破ってエゴによって支配する物語ですから…。結局、インキュベーターもほむらも、自分以外の他者をまどかを含めて全て、自分の道具にしているという点で同じ穴の狢で、人類の敵たるインキュベーターがほむらに滅ぼされても、それは今までインキュベーターのいた位置にほむらが座するだけなんですよね…。

個人的には、利他主義を顕現する光まどかと利己主義を顕現する闇ほむらが、戦いの中で和解し、より新しい第三の道が開けていく、対極の価値観を止揚する第三の道を描いた次回作を見たいと願うところですが…、虚淵玄さんの作家としての業により、もし次回作があるならば、闇よりの力が光を支配してしまうような絶望を基底とする展開に再びなる気がしますね…。虚淵玄さんの描く希望を基底にした物語も、いつか見てみたいと思っています…。今回映画を見ていて、そこまで人間のどす黒さ、暗い絶望を基底にしなくても…と思ってしまいましたが、それは虚淵玄さんの作り手としての何らかの深い業故に、それがあるからこその優れた作家性なのかなとも感じます…。

最後に、今凄く生活に困っていまして、更新があまりできないこともあり、ブログのアクセスもアフィリエイトもほとんどなく(月数千円です)、ギフト券の残りもない状態でして、もしよろしければ、アフィリエイトでお買い物して頂いたり、amazonギフト券を贈って頂けると、とても助かります…。ギフト券を贈ってくださる方、ありがとうございます…。

魔法少女まどかマギカ作品一覧

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2013年05月21日 14:42

本月20日にギフト券贈って頂きまして、ありがとうございます。お心遣いとても嬉しく、心からありがたく思いました…。とても助かります…。

最近視聴した作品では、「進撃の巨人」のアニメがとても良いですね…。特に、最新話である第7話には涙がでました…。戦時的な、非常に残酷な例外状態の世界を描きながら、なおかつ人間の他者への思いやりの心の尊さを描いて感動させるというのは、非常に難しい手法なんですが、それを見事に成功させていると感じました。ライトノベルなどが代表するようなエンターテイメントコンテンツの主流である喜劇とは全く逆の方向性、悲劇から、作品を形成させるという荒業を見事に成功させているアニメだと思います。

基本的に、エンターテイメントコンテンツというのは、『視聴者を楽しませること』が主眼ですので、主人公達は、物語的に優しく包摂されているんですね。ノースロップ・フライは物語を「喜劇的(主人公は物語世界において包括される、世界は楽園である)」「悲劇的(主人公は物語世界において孤立する、世界は残酷である)」に分けましたが、それでいうと、エンターテイメントコンテンツの多くは「喜劇的」に相当します。田中ロミオさんが指摘するように特に昨今のライトノベル(またそれを原作としたアニメ等)などはそれが顕著ですね。

ライトノベルの多くは、主要登場人物を取り巻く環境が難易度イージーに設定されていることが多い。主人公やヒロインが破天荒なふるまいをしても、周囲の人々(物語世界)が優しく受け入れてくれる。これは作風をポップにするための手法で、よほどの意図がない限り(ライトノベルにおいて)外すべきではない部分だ。これが(物語世界が主人公やヒロインにとって)ノーマルモードになってくると、主人公やヒロインがあまり特別扱いされなくなり、わりと社会の悪意にさらされやすくなってくる。人間関係の世知辛い部分もでてくる。辛いことも多い。

ライトノベル界には『娯楽作品の中くらい楽しい気分にひたりたい』というイージー志向の読者が多いだろうから、難易度ノーマルはなかなかリスキーな選択となる。だが、ノーマルでないと表現できない物語もあるから、どちらが正解とは断定できない。
(田中ロミオ。荒川工「ワールズエンド・ガールフレンド」解説より)

ここで、田中ロミオさんは、喜劇的な世界では描くことのできない表現が存在することを語っていますが、まさに進撃の巨人はそれを表現していると思いますね…。この作品は、まさに『悲劇』なんですね…。悲劇でしか語れないもの、それは、人間の裡なる崇高さ(裡なる善)です。世界が残酷であるからこそ、より人間の裡なる崇高な善が輝く、それを見事に体現した作品として進撃の巨人はあるんだなあと、第7話を見て感じ入りましたね…。

かつて私は人生に価値を与えるものは『美』だけだと信じたが、今はそうは思わない。『美』は一つの終止符なのだ。美しいものは、ただただ感心して眺めているだけのものだ。『真』も『美』も本質的な価値を持つとは言えない。

では、『善』はどうか。『善』の大半をなすものは、慈愛(ラヴィング・カインドネス)である。慈愛は、性愛の欠点である移ろいやすさに侵されない。慈愛は、『善』の中身である厳しい徳目に穏やかさを付与し、自制、忍耐、規律、寛容などを喜ばしく実践できるようにする。『善』はこの現象界において、それ自体が目標だと主張可能な唯一の価値である。『善』を行えば、それだけで充分報われるのだ。(中略)

我々は『善』に、人生の理由や説明をつけてもらっているのではない。人生を取り囲む悪を軽減してもらっているのだ。この出来損ないの世界において、我々は揺りかごから墓場まで悪(残酷さ)に取り囲まれている。そこにおいて善は、挑戦でも答えでもなく、(世界という残酷さから)人が自立した存在であることを確認することに役立つのである。善は、運命という悲劇的な愚劣さに対するユーモアからの反撃である。
(サマセット・モーム「サミングアップ」)

勿論、ライトノベルのような喜劇志向の作品も沢山あっていいと思うのですが(最後に引用いたしますが、喜劇志向の作品は、田中ロミオさんやサマセット・モームが言うように、願望充足という現実からの逃避志向を持つため、大勢の広範な読者の支持を得やすい)、進撃の巨人のような、悲劇志向の作品もあっていい、こういった悲劇志向のエンターテイメント作品が増えて欲しいと、私の個人的な作品志向の趣味としては、思いますね…。昔から悲劇作品を視聴することが私は好きなので…。ただ決して、喜劇を否定しているわけではないです。ライトノベルの主流のような喜劇は喜劇で良いものであると思います。最後に、モームが喜劇小説について語った言葉を引用させて頂きます。

「楽しく読める本に対して、そんな楽しい本(喜劇小説)を読むのは時間の無駄であるという人がいる。これは多くの人が抱く残念な誤解である。そんなことはない。読書は楽しくあるべきである。

もし読み始めて、どうしても楽しめないと気付いたら、たとえ国中の批評家が傑作だと保証しても、読むのをおやめなさいというのが私の助言である。

逃避のための文学だって、立派な文学であることをお忘れなく。アメリカで生まれた最高の本の一冊はハックルベリー・フィンだが、これが逃避のための文学でないとしたら、一体何であろうか」

「私が皆さんに強調したいのは、何かの目的のためではなく、ただ楽しいからというので読書することの大切さです。読書の習慣を身につけると、この世の不快なことから身を守ることができます。風邪の頭痛を我慢するのにも、報われぬ恋の苦悩にも、毅然として耐えることができます。

読書の習慣は早くに身につけるべきなのですが、手にする本が楽しくなければ、習慣はつきません。これを読め、あれを読めと命ずると、子供は容易に読書嫌いになります。子供が下らぬものを読むといって、教師や牧師は叱りますが、あれはいけません。子供が読むのは楽しいからです。下らぬものを読むのが時間の浪費だというのならば、自分に楽しみを与えることは時間の浪費でしょうか?」
(サマセット・モーム「モーム語録」)

若い人々に楽しい読書の習慣を身につけるということで昨今のライトノベルが果たした役割は素晴らしく大きいと感じます。出来ればここから、喜劇だけではなく、悲劇の面白さ楽しさも、理解してもらえるような作品がでてくることを期待致しますね…。

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2012年10月24日 19:16

魔法少女まどか☆マギカ作品一覧

劇場版魔法少女まどか☆マギカ「前編始まりの物語」「後編永遠の物語」を映画館にて視聴してきました。最高に良かったですね…。

僕は涙腺が弱いので、劇場版ということできっと泣かせに来るが泣かないぞという気持ちもあって見に行きまして、前編はほむらがまどかに思いのたけを打ち明けるシーンでぐっと来ましたが、泣かなかったので、平気かなと思ったら、後編で涙腺が決壊しました(^^;

やはり、劇場版は良いですね…。本作はTV版まどか☆マギカを新作映像を加えながら再構成したものですが、30分ごとの細切れになっているTV版と違い、映画という形態の構成の上で、とても綺麗に全体が流れるように再構成された、綿密に練られた怒涛の展開で、前編が全編感情の溜めなんで、後編のカタルシスが物凄くて感情がぐーっときます…。

特に、まどかがまど神様になって全ての魔法少女を救済するシーンからは、もう涙腺崩壊して、涙で画面が見えない状態でした…。

見ていて思ったのですが、本作は本当にキリスト教的ですね…。ジャパニメーション的な新しい聖書みたいな感じを受けました。信仰者のあり方としても、まど神様以降のほむらは、カルヴァン信徒的な、まど神様予定説信徒としての神に忠実な生を送っていることが描かれていますね。まど神様は、無条件にあらゆる魔法少女をその生の最後において救済するわけで、全ての魔法少女はまど神様に選ばれた存在といえる訳ですね…。

ウィキペディア「予定説」
予定説とは、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済に与る者と、滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。(中略)

予定説に従えば、その人が神の救済に与れるかどうかは、予め決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。

予定説の場合、予め予定された最終的な絶対の救済が約束されているわけで、予定説の中の選ばれるものとして、神に忠実な生を送っている信徒さん達には凄く安心感のある信仰なんだろうなと感じますが、信仰者となったほむらにもそれを感じましたね…。既に神に選ばれていて、常に神と共に神に忠実にあるわけですから…。

映画版前編・後編通して見て感じたことは、神の絶対的な無限の愛から生まれる絶対的な恩寵を前提とした、とても美しく綺麗な宗教説話の形に纏まっているということですね。本作劇場版にけれん味とかグロテスクとか求めると梯子を外されると思いますが、人々を愛し救う神を中心とした美しい宗教説話を映画で見たいというお方々には、とてもお勧めできる作品になっていると思いましたね。

やはり、自分のことしか考えない特殊な人は例外として、世の中の大多数の人々は、より善く生きたい、他者の幸せの為に、社会の幸せの為に、正しく生きてみたいという思いがあるわけで、まど神様は、そういった人々(作品内の少女達)の利他的な思い(思いやり、他者への優しさ)を神の無限の愛と恩寵を持って絶対的に肯定してくれる絶対善の神様ですから、僕はこれは宗教説話の物語として、とても善い形だと思いますね。見ていて、本当、見ている自分がいつのまにか魂がconversionという感じですからね…。

回心
回心(かいしん、英: conversion)は、神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験のことを指す。(中略)

正教会において、回心は神成の始まりであり、死にいたるまで続く新生の涙の感動であると捉えられる。回心は恩寵への入り口として通過されるべき一つの段階ではなく、絶えず続く状態(神との一致)を渇望する者の恒常的態度であり、洗礼後に神から与えられる「第二の誕生」である。

回心は、高慢や無知から自身を「恩恵の状態にある」と考える、新約聖書に登場するファリサイ派の心の状態とは全く逆のものである。

「回心は - 救いを願う罪人にも義人にも - 常にすべての人々にふさわしいものです。完全になることに限りはないのです。だから最も完全な人々の完全さも、一つの不完全さにすぎません。そういうわけで、死の瞬間にいたるまで、回心はその堅牢さと結実において完成されることなどないのです。」とシリアのイサアクは述べている。

「回心とは人間性に反するものから人間性に固有なものへ、デーモンのとりこから神へと立ち返ることです。それは努力と骨折りによって実現されます。」とダマスコのイオアンは述べている。

新共同訳新約聖書 ルカによる福音書

善いサマリア人

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」

イエスが「律法には何と書いてあるか。」と言われると、彼は答えた。

「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば正しい命が得られる。」

しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、私の隣人とはだれですか。」と言った。

イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。

ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

同じようにレビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。

ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。

『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」

そこで、イエスは言われた。

「行って、あなたも同じようにしなさい。」

劇場版魔法少女まどか☆マギカ「前編始まりの物語」「後編永遠の物語」、とても良い宗教説話映画だと思います。他者の為に行為を為すことができる利他的な善き魂が神の愛によって救われる絶対善の神の恩寵を描いた善き宗教映画です。ぜひ、先入見を持たずに、多くの方々に虚心坦懐に見て頂きたい映画ですね…。

魔法少女まどか☆マギカ作品一覧
小型聖書 - 新共同訳



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2012年07月24日 13:50

おおかみこどもの雨と雪 (角川文庫)

今日は、映画「おおかみこどもの雨と雪」見てきました。ガンダムの富野由悠季監督が大絶賛していたのと(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120720-00200036-mantan-ent)、僕はケモナーでケモナーの絵描きさんをピクシブなどでチェックしているんですが、ケモナーの絵描きさん達、皆さん大絶賛していたのを見て、これは見に行かなくてはと思い、見に行ってきたんですが…。

予想を遥かに上回る、言葉では表現できない素晴らしさだった…。僕はケモナーなので、『ケモナー属性として萌えられるかな』とか、それぐらいの軽い気持ちで見に行ったら…。

見る前の軽い気持ちやオタク的な表層的な見方は全て完全に消し飛ばされたとしか言いようがない…。

萌えとか、属性とか、そういう表層的な条件反射心理反応みたいなものは完全に消し飛びました…。なんていうか…胸の奥の更に奥、人間の最も深い魂の深奥を揺さぶるとしか言いようのない、素晴らしいと言う言葉すら超越した作品…。

午前10時過ぎの第一回放映を見に行ったので、『午前中だからあまりお客さんいないだろう』と思っていたら、結構お客さん入っていて(午前中にも関わらず五割くらい入っていました)、映画がシングルマザーのお母さんをテーマとした映画ということで、お客さんも小さい子を連れたお母さんが多かったのですが(お母さんの次に多かったのがカップル。僕みたいなロンリーなアニオタは全然いませんでした)、怒涛のクライマックスの後のエンディングロール、誰一人立たないし、誰一人喋らない…。

怒涛のクライマックスから、映画館がしーんと静まり返っていて、エンディングロールが終って映画が完全に終って明かりがついても、小さい子からお母さんまで、誰も座席を立たずに、みんなの感動の吐息が聞こえる状態…。僕も感動で動けなかったです…。こんな凄い映画見たの、何年ぶりだろう、何十年ぶりかも…。僕がこれまで見た映画で間違いなく最高峰の映画、それも、いわゆるエンターテイメント系の映画ではなくて、ビクトル・エリセ監督が撮るような文芸系の最高峰の映画です…。アニメ映画=エンターテイメント映画という風にこれまで考えていましたが、アニメーションでこれだけ文芸的な感動する作品を撮れるということに、そして映画自体の超越的な素晴らしさに、本当に言葉を失った状態にしばらく陥っていました…。今も頭がぽーっとしています。

最初はケモノ萌え的な、いわゆる普通のアニメの見方、すなわち「キャラクターの可愛さに萌える」という表層的な見方(昨今の通常のアニメは表層的な見方に特化されて作られている)をしていたのですが(最初は『絵柄や展開が高橋留美子さんっぽいな』ぐらいの軽い気持ちで見ていました)、だんだん引き込まれて、ゴミ清掃車のところで強烈に吹っ飛ばされて、表層的な見方は消し飛んで、そしてそれからは、もう、例えようのない世界…。子育てや生活が圧巻で、そして、何よりも凄いのが、台風の怒涛のクライマックス…。これまでの思い出がアルバム形式で振り返られるエンディングロールは、言葉にできないとしか言いようのない、言語化不可能な感動を感じました。魂がジーンとしたとしか言いようがない。

ぜひ日本中のお母さん、世界中のお母さんに見てほしい映画だと思いましたね。母性の素晴らしさの映画であり、胸を深く深く真に打つ母親賛美の映画ですので…。ファンタジーなのに『絵空事』ではないんですね。日本の映画にありがちな『絵空事』めいた過剰な感情演技、お仕着せの感情演技みたいなものは本映画には全くなく(ゆえにリアリティがある)、みんな普通に暮らしているところを撮っているだけなのに、登場人物達の深い情感を感じ取り、静謐な深い感動が押し寄せてくる、ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」やフランソワ・トリュフォー監督の「大人はわかってくれない」などの静謐にして深く感動的な魂を揺さぶる映画を彷彿とさせました。アニメーションでこういった文芸的な深い真なる感動に充ちた優れた映画を撮れるんだということを示したことは、本当に素晴らしいことだと思います。

あと、アニメ製作者のお方々にもぜひ見て欲しいです。この映画見たら、表層的な萌えアニメとか作っているアニメ製作者さんはきっと自分が恥ずかしくなって、『見る人の深い魂を揺さぶる真なるアニメを作りたい』と思うでしょうし、それによって日本のアニメがキャラクターの可愛さ第一主義の表層的なアニメから脱却して、真に魂を揺さぶる作品へと変わってゆくきっかけとなってくれたらと思いますね…。

本当に凄い映画でした。アニメーションで、最も優れた文芸映画の感動を深く味わうことがあるとは、今まで思っていなかった、アニメーションの可能性というものを甘く見ていたと自分のこれまでの考えの足りなさを痛感しました。本当に凄い、真に優れた映画です。真であり、真に美であり、真に善なるものとしての、家族を育む母性というものの力と美しさを描いていると魂の深奥に深く深く感じました。ぜひ、皆さんに見て欲しい、素晴らしい映画です。

「心が綺麗になるというか。懸命に生きる花達に力をもらった気がします。その力は美しさでもある」
(「おおかみこどもの雨と雪」おおかみおとこ役大沢たかお)

なんだか、今も頭がぽーっとしちゃってて、解釈とか分析とかできない…。本当に凄い映画は、本当に凄いんだ…。大沢たかおさんが言うように、心が浄化されるような感覚を味わう映画、母性という真なる大いなる力、それは生命の深い力であり、言葉や概念では表現不可能な輝き、究極に美しいと感じましたね…。

おおかみこどもの雨と雪 (角川文庫)
おおかみこどもの雨と雪 (角川文庫)

映画「おおかみこどもの雨と雪」主題歌 「おかあさんの唄」
劇場公開映画「おおかみこどもの雨と雪」オリジナル・サウンドトラック
おおかみこどもの雨と雪 (1) (カドカワコミックス・エース)
おおかみこどもの雨と雪 オフィシャルブック 花のように
おおかみこどもの雨と雪 絵コンテ 細田守 (ANIMESTYLE ARCHIVE)
アニメスタイル001(特別付録『おおかみこどもの雨と雪』設定資料集) (メディアパルムック)
キネマ旬報増刊 ANIME KINEJUN vol.02「おおかみこどもの雨と雪」大特集
SWITCH Vol.30 No.8 特集:細田守『おおかみこどもの雨と雪』はこの世界を祝福する
細田守ぴあ (ぴあMOOK)
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フランソワ・トリュフォーDVD-BOX「14の恋の物語」[I]
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2012年06月25日 15:43

猿の惑星 DVDマルチBOX (初回生産限定)

やっとポケウッドで映画撮影を一通り制覇。これでやっと船に乗れるのです…。ちなみにポケウッド女優としてはまだ「中堅女優」みたいな扱いなので、ゲームを進めるともっと映画撮影できるのかな?

ポケウッドは楽しかったですね。主演女優である主人公のカットインがそれぞれの映画ごとにえらく凝っていて可愛い。このときほど「女主人公にして良かった!!」と思えたことはありませんね。ポケウッド女優をする主人公の絵ないかなと思って探してみたけど、ピクシブのタグに「ポケウッド」が登録されていなくて見つけにくい…。やっと一件見つけました。ハチクマンに出てくる女主人公扮するリオルガールです。リオルガール可愛いなあ…。

リオルガール
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=28198322

SF映画「タイムゲートトラベラー」に出てくるレディアンとカラテオーと博士(女主人公)の絵とかファンタジー映画に出てくるお姫様(女主人公)の絵とかUFO映画に出てくる防衛隊員(女主人公)の絵とか見たいなあ…。各映画ごとに女主人公の服装がガラッと変わるのは各映画ごとにコスプレしてるみたいな感じで楽しかったですね。絵心のあるプレイヤーさん書いてくれるのを期待です。タイムゲートトラベラーとか、如何にもSFという感じでSF好きとして嬉しかったなあ…。ポケモンの知性を人類以上に進化させる「超進化の石」は本編でも出てくるのかな?

イキシチブログさん「ポケモン男 三回目」
http://oasisu4326.blog.fc2.com/blog-entry-664.html
(ポケウッド映画の)脚本は結構ぶっ飛んでる。

「タイムゲート トラベラー」という映画。

ストーリーは未来の話だが、

超進化の石によって超進化した虫ポケモンが人間をヒューマンボールにつかまえて奴隷にしてたり。捕獲された空手王が「気合パンチ」や「マッハパンチ」を撃ってくる。

人間は洗脳されてて、虫ポケモンの保存食になってる。

どういうことなの・・・。

これがポケモン世界の未来の公式設定かも知れないと思うとSF映画の傑作「猿の惑星」みたいな感じで楽しいなあ…。「超進化の石」で超進化して人類以上の知性を身につけたポケモン対人類の戦争で人類は敗北して、ポケモンが地球の主権を握り、人類はポケモンの奴隷兼家畜として支配されているというのは面白いと思いますね。人類は、中に入った人間を強制的に従わせるヒューマンボールの中に閉じ込められ、ポケモンに支配されているというのが、ちょうど、ポケモン世界が反転した形になっているんですね。ポケモンBW1でNの訴えていた「ポケモンを人類から解放する」というテーゼに通ずる「ポケモンが人類に支配されていることは正しいのか」というテーマが映画の根底に流れている。

鉄腕アトムなんかも最終的にはこの形なんですよね(鉄腕アトム別巻1収録「アトムの最後」)。アトムも、未来の世界では最終的に人類とロボットの戦争が起きてロボットが勝利し、ロボットが地球の主権を握って人類はロボットの家畜にされている。不思議の海のナディアとかも捻った形でそうですね(人類は宇宙人であるアトランティス人の家畜として作られた人造生命だが、アトランティス人が戦争で滅んだことで、人類が地球の主権を握った)。こういう主従が入れ替わる未来は面白くてSFの中でも好きなジャンルですね。

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2012年06月11日 05:30

回路 [DVD]
黒沢清監督映画作品一覧

ファミ通.comで傑作ホラーゲームとして名高いフリーゲーム「Ib」特集が行われています。ファミ通がコンシューマ(家庭用)ゲームやPCゲームのような商業作品ではない、フリーの純然たる同人ゲーム作品を取り上げるとは珍しいですね。僕はお金なくて、フリーゲームはよくプレイしているので、こうやってフリーゲームの知名度が上がるのは嬉しいですね…。

ファミ通.com「狂気に満ちた美術館からの脱出――その先にある感動。口コミで広まったフリーゲーム『Ib』の人気の秘密に迫る」
http://www.famitsu.com/news/201206/11015557.html

ベクター「Ib」
http://www.vector.co.jp/soft/win95/game/se495899.html

ちなみに「Ib」は、信じられないような偶然なのですが、このゲームをプレイするたびにプレイ中に部屋の電灯が消えて部屋が真っ暗になって、ゲーム自体の恐怖と、突然電灯が消える恐怖が重なって、恐怖のあまり心臓がばくばくして意識を失いそうになるほどの恐怖を味わったので、プレイが途中でストップしているのですね…。プレイ中に三回電灯が消えて、しかもプレイしているときは、深夜、部屋でカーテン閉めてプレイしていたので、電灯が消えると部屋は真っ暗で「Ib」の恐怖の画面のみ煌々と光を発しているという…あまりの恐怖に悲鳴すら出ず、心臓がばくばくして卒倒しそうになりました…。

電灯は先日取り替えたので、もう突然消えることはないと思うのですが、このゲーム本当に怖いゲームなので、一人でプレイしていると恐怖のあまりマジ辛いって感じなんですよね…。画面がより怖い形にいつのまにか変わっていて、そしてプレイしていると孤独な一人プレイゆえ、恐怖が凄まじく伝わってくるという…。本作はマジ怖いゲームです。ホラーとしてマジ怖いというのは、最高の褒め言葉であって、まさにホラーの真髄という感じですね…。

「Ib」、赤の間まで行ったところでストップしているのですが、プレイ再開すべきなのか…。がんばって恐怖に耐えないと…。「零」シリーズ、「トワイライトシンドローム」シリーズ、「学校の怖い話」シリーズなど色々ホラーゲームやってきましたが、本作はそれらとは比較にならない恐怖です…。

「ホラーゲーム」というのは、だいたいにおいてドッキリ的な恐怖、「突然オバケが出てきてギャー!!」みたいな感じの恐怖の演出が多いんですが、「Ib」の場合はそういうこけおどし的なショッキングの恐怖ではなく、物語世界の雰囲気が怖いんですね。

非常にゾクゾクする恐怖を感じる壮絶に不気味な世界観の演出が物凄くて、Ibの世界をプレイしているだけでゾクゾクする恐怖が凄いんです…。「突然オバケが出てきてギャー!!」みたいな恐怖は、ぶっちゃけ驚かされるだけで、慣れてしまえば恐怖は感じないのですが、Ibみたいな「世界そのものが恐怖」というのは、プレイが全編、恐怖の緊張感の連続で、常にプレッシャー的恐怖を感じて、うわあああああ…って感じですね…。セーブは無くて、ちょっとでも気を抜いたら即死する超難易度のアクションゲームをプレイしているようなギリギリの緊張感としての恐怖のようなものを強烈に感じるゲームです。ホラーゲーム好きはぜひにプレイするべき作品だと思いますね…。

「Ib」の恐怖は、日本の恐怖映画において、最も恐ろしい作品を製作される映画監督、黒沢清監督作品に通ずるものがあるように感じます。黒沢清監督のホラー映画は、雰囲気が凄まじく怖いんですよね…。一見、何気ない日常のように見えて、実は位相がずれている恐怖の世界の感覚、「Ib」に通じると思いますね…。「Ib」プレイしていて、黒沢清監督のホラー映画「回路」とか思い出しました…。現世(現実性)と異界(幻想)が、区別されるような形で存在するなら、それは怖くないんですが(ホラーゲームのほとんどはこのタイプ)、「Ib」や「回路」は、それらが渾然一体となっているんですね。狂気に陥った人が描いたアウトサイダー・アートとか見たときの恐怖の感覚、狂気の幻想世界と日常の現実性には実は区別など無く、幻想と現実は混在して存在しているということを感じさせて、それが世界全体の強烈な恐怖感に繋がっています…。

「Ib」、あまりの恐怖にプレイがストップしていますが、がんばって、プレイ再開するべきかな…。うう…やはり怖い…。怖いというのは、ホラー作品において最も素晴らしいことですから、今度新作がでるwiiのホラーゲーム「零」も怖いといいな…。

零 ~眞紅の蝶~
零 ~眞紅の蝶~

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2012年06月07日 00:23

シックス・センス [Blu-ray]
シックス・センス(買っ得THE1800) [DVD]

TBSで放映されていたシックスセンス、良かったですね…。既に以前見ているのでオチは知っているのですが、オチを知っているので、伏線を重視していて見ていたら「最後になるまで、ブルース・ウィリスを絶対真後ろから映さない」ところとか実に凄いと思いました。物凄く丁寧に伏線に気が使われていて、凄いな…。そして、終盤は怒涛の感動で、涙がぶあっと溢れたんですが…

映画ラストシーン→突然アートネイチャーのCMに

実況スレ
禿げてる人が見えるんだ…アートネイチャーのCMで
笑ってる人は…自分が禿げてることに気がついてないんだ

爆笑しちゃいましたよ(^^;涙の止まらぬ感動的な映画が、CMと実況コメントによって爆笑映画に…。

昨日の任天堂E3カンファレンスで放映されたアメリカンドラマも、以下のコメントを見て吹いてしまいました(^^;

任天堂公式サイト「E3カンファレンス」
http://www.nintendo.co.jp/n10/e3_2012/index.html
私のおじいさんがくれた初めてのアドバイス
それは「スキャナー強化して使え」で私はナードでした
そのアドバイスは的確でクリーミィで
こんな素晴らしいアドバイスをもらえる私は
きっと特別な存在なのだと感じました
今では私がおじいさん
孫にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル
なぜなら彼もまた特別な存在だからです

E3カンファのアメリカンドラマの「ゾンビボスが倒せない」ってそのまんま歌になりそうですよね。エアーマンが倒せないで替え歌作ってみましたよ〜。

「ゾンビボスが倒せない」
http://www.youtube.com/watch?v=KLbFctG3tw0
気がついたら同じ面ばかりプレイ
そしていつも同じ場所で死ぬ
諦めずにゾンビボスに挑戦するけど、すぐに噛まれて死ぬよ
ハンドガンがあれば楽にドアを開けるところまで着くけど
何回やっても 何回やっても ゾンビボスが倒せないよ
あの噛み付き何回やっても避けれない
うしろに回って撃ち続けてもいずれは噛み付かれておしまいだ
ナイフ連打も試してみたけどゾンビボス相手じゃ意味が無い
だから次は絶対勝つために僕はスキャナーだけは最後までとっておく

気がついたらライフももう少ししかない
そしていつもそこでスキャナー強化して使う
諦めずにゾンビボスのコアをサーチするけれど、すぐにサーチ消える
バッテリー残量があれば楽にゾンビボスを倒せるけど
何回やっても 何回やっても バッテリー置き場のドアが開かないよ
鍵を守っているゾンビ軍団は何回やっても避けれない
後に下がって距離をとってもいずれは距離を詰められる
ナイフ連打も試してみたけどやつらの突撃はかわせない
だから次は絶対勝つために僕はスキャナーだけは最後までとっておく

ハンドガンがあれば楽にドアを開けるところまで着くけど
何回やっても 何回やっても ゾンビボスが倒せないよ
あの噛み付き何回やっても避けれない
うしろに回って撃ち続けてもいずれは噛み付かれておしまいだ
ナイフ連打も試してみたけどゾンビボス相手じゃ意味が無い
だから次は絶対勝つために僕はスキャナーだけは最後までとっておく

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