2009年05月06日 00:47

僕の好きな現代音楽家、ヒルディング・ルーセンベリ、ニコライ・カプースチン、アレクサンドル・ローゼンブラット。聴衆を大切にしたマエストロ達。古今東西の傑作の構造。

ルーセンベリ:交響曲第3番
自作自演集「8つの演奏会用エチュード」

最近、古典クラシック音楽の話が多いので、久々に現代音楽の話をしようと思います。まず始めは僕の好きな現代音楽家、ヒルディング・ルーセンベリからご紹介させて頂きます。彼は、スウェーデン生まれの20世紀を代表する現代クラシック作曲家でして、聴いていてユニークで面白い、そして何より一般の聴衆の人々を魅了する音楽を多数作曲したことであり、スウェーデンのマエストロです。

ルーセンベリは元々舞台音楽作曲家・ラジオ音楽作曲家として活躍しており、舞台劇音楽・ラジオ演奏音楽の演出・作曲を手がけていました。『一般の聴衆に分からない難解な音楽でなければ現代音楽にあらず』というような、音楽を衰退させる悪しき風潮に彼は染まりませんでした。スウェーデンにおいて彼が今も人気のある作曲家であるのは、彼の一般聴衆を大切にして、分かりやすく、なおかつ高度に洗練された音楽を作曲するという姿勢が大勢の人々に支持される大きな一因と思います。お弟子さんたちの自主性を重んじ、スウェーデンの友人達を大切にして、人柄も円満として知られており、シュトックハウゼン一派あたりの現代音楽作曲家とは対極にいる現代音楽作曲家です。

彼の音楽は、良い意味でポピュリスティック(一般的)に好まれる楽しく面白い音楽やドキドキするようなドラマティックな音楽であり、なおかつ技法的には、古典対位法をきっちりマスターした上で、十二音技法なども理解し、なおかつそれに縛られない自由な作風のスタンスで、様々なイメージの曲を作曲しており、僕はとても好きです。日本だと、すぎやまこういちさんや植松伸夫さんのゲーム音楽作曲に感じが似ているかも知れません。聴いていると喜び、悲しみなどの様々なイメージがシーンとして湧き上がってくるような素敵な音楽です。無調の前衛シェーンベルクの流れに縛られずに、作曲家が自由に作曲できる恵まれたスウェーデン音楽界の風潮が彼に幸いしました。

彼は、以前、下記エントリで紹介致しましたコルンゴルトと作曲スタンスが似ており、その点、『一般聴衆に理解できない訳の分からないものが正義』という訳の分からない前衛音楽勢力から『ポピュリスト』のレッテルを貼られて追放されたコルンゴルトに比べると、恵まれた環境におりました。

絶対権威化した前衛音楽に抵抗する、美を求める音楽。吉松隆「プレイアデス舞曲集」シチェドリン「封印された天使」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/808309.html


前衛音楽界に染まらず、一般の人々の為に音楽を作曲していたところが、彼の曲がスウェーデンの人々に今も愛される大きな要因となっていると思います。現代クラシック音楽のなかではダントツに聴きやすいお勧めの音楽です。スゥエーデンの音楽評論家ヤーッコ・ハーパニエミのルーセンベリ評を引用致します。

ルーセンベリは1892年に労働者階級の家に生まれた。父親は庭師で、その父や義父と同じく近所の修道院の庭の手入れを生業にしていた。両親は音楽家でこそなかったものの、ルーセンベリ家にとって音楽は重要な娯楽だった。父親は合唱隊員として熱心に活動し、母親は古い宗教的な歌を子供たちに歌って聞かせた。それがルーセンベリの子供時代の音楽環境だった。

彼は早くから父親の仕事(庭師)を手伝っていたが、16歳頃から音楽の勉強に専念するようになった。そうして1909年(17歳の時)にカルマルで行われた試験に合格して教会オルガニストとなった。(中略)ピアニストとしては正式な教育(才能が認められストックホルム王立音楽アカデミーでピアノを学ぶ)を受けていた、しかも有能だったルーセンベリだが、作曲家としてはほとんど独学だった。(中略)1920年半ばに、おそらく20世紀前半のスゥェーデンで最も重要な作曲家と言えるヴィルヘルム・ステンハンマルから対位法を学んだ。ステンハンマルはこの若き(独学の)作曲家の才能を早い段階から見抜いていた。

ルーセンベリが生涯で最も深遠な音楽体験を得たのは学生時代のことだった。1917年、彼は、ストックホルム・コンサート協会主催のコンサートでシベリウスの交響曲第四番を聴いた。その体験は、ルーセンベリに言わせると「音楽の過激さゆえではなくむしろ雰囲気の極端な濃密さゆえに」深い影響を残した。(中略)

ルーセンベリは人気のある教師でもあり、学生たちに作曲家の職人芸(一人よがりの曲ではダメで、技術をしっかりと身につけ、人々の為の曲を作らねばならないこと)の重要性を強調し、作曲家たる者は対位法を手の内に入れておかねばならないと説いていた。ルーセンベリ自身はその職人芸を実践する機会を、1926年から52年にかけて書いた49の舞台音楽の中に見い出した。彼はラジオ放送用にも沢山の音楽を書き、1930年代以降はスウェーデン放送からの依嘱作品の占める割合がしだいに増えていった。(コルンゴルトと同じく、一般の聴衆から支持される商業音楽家として成功した)(中略)

(ルーセンベリの交響曲第三番は、十二音技法を駆使しながら)それにも関わらずこの主題は、現代的(前衛的)というよりは古典的で均整がとれているように感じられる。これは(調性音楽、一般聴衆を大切にした)ルーセンベリではよくあることである。彼は後年の作品でもしばしば十二音技法を使ったが、決してむやみやたらに使うというのではなく、旋律を作り出すための一つのプロセスに過ぎない。(中略)

(シェーンベルクの前衛の技法もマスターしながらシベリウスに範を取る)伝統志向の作曲家であった彼は交響曲というジャンルをきわめて真剣にとらえ、交響曲は作曲家がすべての技術と生涯の体験を注ぎ込むべきもの、と考えていた。管弦楽協奏曲の場合は、彼の想像力はもっと自由に羽ばたく。(中略)

(前衛の技法を駆使しながらも、一般聴衆に支持される良い意味でポピュラーな要素を持つ曲を作曲した)ルーセンベリは現代音楽のあらゆる現象に賛成していた訳ではなかったが(彼は一般聴衆を排斥する前衛音楽には否定的)、それら(前衛音楽)に対して常に興味を抱いていた。音楽家は、時代に遅れることなく、新しい傾向にいつも敏感であらねばならない、というのが彼の信念だった。
(ヤーッコ・ハーパニエミ。ルーセンベリ「交響曲第三番、他」ライナーノーツより)

ルーセンベリの曲は高度な技法を駆使しながら、人々を魅了する良い意味のポピュラーな古典性を持った曲が多く、僕はとても好きです。僕は一般の聴衆の人々をパージするような、音楽を専門的に学んでいないと訳の分からない音楽は好きではないので、ルーセンベリのような、高度な技法を駆使しながら、なおかつ、純粋に、ごくごく普通にラジオなどで流れていたら綺麗な曲だなと感じて楽しめる曲作りをした彼を尊敬しています。こちらの方向で現代クラシック音楽作曲界が進めば、今のように訳の分からない前衛に占められて作曲分野が凋落することもなかったのに…、と一介のクラシック音楽好きとして思います。

現代クラシック音楽は、演奏分野は技術的に常に進歩発展を遂げておりますが、作曲の方は、それに比べて、大勢として非常に難解な前衛的な方向に走っており(『訳の分からない前衛であらずんば現代クラシック作曲ではあらず』のような風潮)、結果、訳の分からないものだらけになっていて、そのようなものを一般のお方々が好んで聴く筈もなく、結果、凋落しており、残念に思います。

ルーセンベリのような作曲家の曲は、僕はもっと高く評価されて然るべきだと思いますが、日本盤が、僕の知る限り、ルーセンベリ「交響曲第三番、他」の一枚しか出ていません。悲しすぎます。僕はニコライ・カプースチンとかアレクサンドル・ローゼンブラットとか現代音楽作曲家では大好きなお方々なのですが、彼(ローゼンブラット)のような、一般の人々が聴いても受けそうな現代クラシックのアルバムが日本で全然出ないことに心痛めております。お二人とも、ジャズのセンスをクラシックに取り入れた、娯楽性に富んだエンターテイナーな音楽を作曲されるお二人です。ローゼンブラットさんは現在活躍中のお方です。鉄腕アトムをリスペクトして曲を捧げております。

訳の分からない海外前衛クラシックのアルバムを出すよりも、一般のお方々に、現代クラシック作曲にも、こんなに魅力的な作曲家がいてこんな魅力的な曲があるんですよ、ということをきちんと伝えることのできる、良い意味でポピュラーな魅力の要素を持ったアルバムを出していくことが、現代クラシック音楽作曲界の復興に繋がると思います。カプースチンのアルバムが日本で沢山リリースされているのはとても良いことと思います。

詩人のハイネは(著書)『死せるマリア』のなかで(ロッシーニなどのポピュラーなクラシックを愛好する一般聴衆を、音楽理論を振り回すことで馬鹿にするクラシック音楽界のインテリ達に腹を立て)ペダンティックなインテリをいまいましく批判している。

『イタリア音楽の嘲笑者たちはいつかは地獄で必ず刑罰を受けるであろう。…』(ハイネ「死せるマリア」)
(西原稔「聖なるイメージの音楽」より)

昔からこういう問題はあるんですね…。僕は一般の人々を馬鹿にしたような対応のジャンルは、現代クラシック音楽作曲ジャンルに限らず、必ず崩壊の道を辿ると思います。今では、ロッシーニらイタリア音楽は高く評価されているわけで、イタリア音楽を聴く一般聴衆を笑ったインテリ達こそがなにをいわんかやです。

最後に、僕の好きな漫画家、前衛性・実験性と娯楽性を上手く融合させた作品を書かれる、井上三太さんの言葉を引用させて頂きます。前衛的・実験的でなおかつ面白い傑作バイオレンスコミック、「ボーン・トゥ・ダイ」単行本収録インタビューより引用致します。

最近DVDを買ったんで、きのうは『アビス』見て今朝は『タクシードライバー』みたんだけど、おもしれえなあ、同じ映画でも(歴史の評価を生き残ってきた)クラシックは違うなあ、なんかそこにあるよななんて思って。(中略)スコッセシの『グッド・フェローズ』なんかもすごい好きなんだけど、最近ではジェームズ・キャメロンとかにすごい惹かれてて、『アビス』はいい映画だなあなんて思って。夫婦の絆を取り戻す映画で、奥さん一回仮死状態になるところがあるんだけど、あんなのすげーなって。DVDには30分以上メイキングがついてて、びっくりしちゃったんだけど、いいなあこれはとか思って。それで、キャメロンがそのシーンのためにこの映画はあるようなものだって言ってて、あれが結構理想だな。(中略)

今、アメリカの12インチの切り方って、コアな人向けとヒットチャートに入るようなのと2ヴァージョン収録しているのが多くてね、結局両方あるわけなんですよ。キャメロンなんかも、コピー機の濃いから薄いみたいに自分の趣味趣向が、メジャーからマイナーとあって、自由にずらせるんじゃないかなと思うんですよね。そのバランスを僕もずっと考えていて。無意識もあるんですけどね。ただ、読者をシャットアウトするのはやだなっていうのはあって『ある程度の知識がないとわかんねえ』みたいのはやだな。知識要求しすぎるのは、なんか会員制の(排他的な)クラブみたいな感じがしてね。

『スターウォーズ』はいいなあ。あの、アメリカ人のサブカルじゃない奴も、SF好きじゃない奴も、『スターウォーズ』は見てるっていうのがね。あれはマニアックな造りだと思うんですよね。よーく目をこらさないと分からないことも多いし。でも単純明快なお姫さまを守るみたいな話でもあるからね。ああいう、いい例もあるんだなとか思って。
(井上三太。「ボーン・トゥ・ダイ」より)

僕は上記で井上三太さんが述べていること、完全に同感に思います。『あれはマニアックな造りだと思うんですよね。よーく目をこらさないと分からないことも多いし。でも単純明快なお姫さまを守るみたいな話でもあるからね。ああいう、いい例もあるんだなとか思って。』というのは、古今東西の真の傑作の構造、音楽で言えばモーツァルト後期交響曲のような感じで、僕はこういった作品がとても好きです。

参考作品(amazon)
ルーセンベリ:交響曲第3番
聖なるイメージの音楽―19世紀ヨーロッパの聖と俗 (音楽選書)
ボーン・トゥ・ダイ
自作自演集「8つの演奏会用エチュード」
24の前奏曲
自作自演集 ピアノソナタ第2番第3番
カプースチン・リターンズ!
カプースチン:ラスト・レコーディング
ローゼンブラット作自演集 鉄腕アトムの主題によるファンタジー
トカレフ・プレイズ・ローゼンブラット
モーツァルト: 後期6大交響曲集

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