2009年03月29日 05:30

心痛と体調不良が酷いです。お勧めの本「世界がもし百人の村だったら 第二巻」踊りと初音ミクと猫。倫理的経済学。

世界がもし100人の村だったら 2 100人の村の現状報告
スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学 (講談社学術文庫)

3/26にも書きました通り、以前政治論について論争になった高橋直樹氏が、政治論とはもはや全く関係なく、文体模写で徹底的に嫌がらせして潰してやるとか、虫けらのように足を潰して歩けなくするとか、酷いことをツイッターなどを使って公言しており、非常に心痛が酷く、心を痛めております。ただひたすら、こちらを傷つけることしか考えていない、もう政治論などどこかにいってしまった、ひたすらの嫌がらせを行っており、酷く腹痛と心痛が酷い状況です。こういうやり口は卑怯だと僕は思います。高橋直樹氏の嫌がらせ他、先日からの体調不良も酷く、あまり文章が書けそうになく申し訳ございません。

お勧めの本「バースデイ・セイント」「M・L・キング説教・講演集」ジャズお勧め盤「ベスト・オブ・ニーナ・シモン」聖ユダさん。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/771230.html


心痛が酷く、腹痛が治らないのですが(腹痛に関しては病院にて心身症の症状と診察して頂いております)、それだけでなく、耳鳴りが酷く、ずっとキーンという金属音が耳の中で鳴っている形で、非常に辛いです。耳に症状があるのか、うつ病の症状なのか、薬の副作用なのか、まだ判明しておらず、また、耳鳴りに関しては、耳に異常が見当たらない場合、なぜ起きているのか、判明が難しいようです。

耳鳴りに関しましては、SSRIなどの抗うつ剤の減薬・もしくは断薬症状において、起こることもあると言われていますが、僕の場合、SSRIの中では副作用が一番穏やかと言われるジェイゾロフト100mg(うつ病で処方可能な限界処方量)を減薬せずに飲んでおります。減薬・断薬による禁断症状ではないと思います。この薬(SSRIジェイゾロフト)は日本で認可されているSSRI(パキシルetc)の中で副作用は最も穏やかと言われていますが、SSRIの中ではダントツに薬代が高いです。僕は障害者自立支援法の一割負担と低収入者自己負担額限定措置を受けておりますが、それでも、これは患者自己負担額が最低額でも月2500円(ジェイゾロフト日100mg処方、30日分、一割負担で、このお薬だけで月2000円近く薬代が掛かります、他の薬と比べてダントツに高いです)掛かる為、ジェイゾロフト代で自己負担額オーバーしていて、医療費負担が非常に辛いです。

うつ病は、症状が回復しても、治すのが難しい病気と言われており、それは、抗うつ剤、これはSSRI以外の抗うつ剤、三環系抗うつ薬、四環系抗うつ剤、SNRIなど多くの抗うつ剤がそうですが、どれも、副作用及び中毒性を持っており、薬を減らす、もしくは薬を断つと、中毒症状、断薬症状という様々な病的症状が起きて、症状が劇的に悪化し、最悪は、以前よりも思い重態に陥る可能性があるゆえと言われています。その為、うつ病の薬を断つのは難しいとされています。症状の改善が見られても、その後、減薬することで、症状がぶり返す場合は、薬の量を元に戻し、減薬を中止するような形で、薬と一生付き合ってゆかねばならないケースが多々あり、うつ病の病状の改善は、抗うつ剤の進歩により相当進みましたが、病気の寛解(治癒)は現在の医学技術を持ってしても、困難であると言われています。薬(抗うつ剤)を断つと、脳の状態がうつ期に戻ってしまうことが多いため、寛解が困難と言われています。

一度、生理学的にバランスを崩した脳を、元に戻すのは、現代医学を持ってしても、大変困難です。また、うつ病や他の精神障害の多くは、看過できない極めて重大なストレスの負荷によって、起こると言われており、そういった環境下ではなく、人間一人一人の人権が守られた、社会作りが、精神障害において、重要なことだと思います。これは、僕一人やうつ病患者さん達のみの意見ではなくて、統合失調症などで苦しむ他の精神障害の患者さんたちにおいても同意見なことであり、社会が、少しでも、個々の人権を守る社会に変わっていって欲しいと心から望みます。

世界がもし百人の村だったら 第二巻

すべての富のうち、6人が59%をもっていて、みんなアメリカ合衆国の人です。74人が39%を、20人が、たった2%を分け合っています。(中略)
住居・水
75人は食べ物の蓄えがあり、雨露をしのぐところがあります。でも、あとの25人はそうではありません。17人は、きれいで安全な水を飲めません。(中略)
思想・信仰の自由
もしもあなたが、嫌がらせや逮捕や拷問や死を恐れずに、信仰や信条、良心に従って、なにかをし、ものが言えるなら、そうではない48人より恵まれています。

ダグラス・ラミス(政治学者)
「貧乏な人達は一生懸命働かないから貧乏なのか?
違う。概して、仕事中毒の人を別として、より豊かな人たちはあまり働かない。、そして、スーパーリッチは全く働かない。(中略)(リッチな人々がいかに働いても)スェット・ショップ(訳者注:低賃金・劣悪な労働条件の工場。「苦汗労働工場」との訳語もある」に比べて、苛酷な労働をしているわけではない。

貧乏な人たちは経済発展の遅れた地域に暮らしているから貧乏なのか?
これは大多数の人々が信じていることで、今の世の中で支配的な考え方だ。しかし、(データで見ると)それは大変な幻想だ。(中略)

「経済発展」は世界の貧しい人々をその貧困から救いあげる慈善事業のようなものではない。むしろ、地球上の全ての社会で産業革命を遂行させるプロジェクトなのだ。言い換えれば、これは世界中全ての人を資本主義システムに動員するものだ。

その初期段階、この動員は植民地主義という方法で行われた。(中略)今度(戦後)はそれが「発展」とか「近代化」と呼ばれるようになった。今日では「グローバリゼーション」と呼ぶのが流行っている。名前や方法は変わったが、世界を資本主義産業プロセスの下に再編するという本質的なプロセスは変わっていない。

このプロセス(世界的自由資本主義)によって絶対的貧困を無くし貧富の差を減らすことができる、と信じている人達がいるようだ。しかし、それは奇妙なことだ。19世紀の始め(産業革命後、貧富の差が極端に拡大し、労働運動、修正資本主義への運動などが盛んだった頃)からよく知られていたように、資本主義システムはそれ自体に任され、つまりその働きは自由市場に任され、貧富の差を拡大させている。(自由市場は富の再分配機能を持たないため、それ単独で動いた場合、労働条件を悪化させ、貧富の差を拡大させ、それらによって大資本を有利化し、自由市場経済ではなく、実質的な専制市場経済に近づく)。

資本主義の初期、西洋諸国においてこれは労働者階級の貧困を意味した。その後、植民地化で始まった経済システムのグローバル化によって、そのシステムが必要とする貧困労働者階級は植民地、後に「第三世界」「グローバル・サウス」と呼ばれるようになるが、で形成されるようになった。(中略)

この傾向は第二次世界大戦後の半世紀に渡る開発を通じて続いてきた。1960年、金持ち国に住む世界人口のうちの20%の最富裕層は、貧乏国に住む最貧困層の平均して30倍の収入を得た。1990年までに比率は倍になり、60対1となった。

繰り返すが、これは発展が予期に反して失敗したということではない。(中略)(自由市場のみを重視するグローバリゼーション市場によって)貧困は貧困として発展させられてきているのだ。貧困は再編され、合理化され、体系的に利益を引き出すものに作り変えられてきた。これは「貧困の近代化」と呼ばれている。(中略)

(都市の)中心部にはガラスと鋼鉄でできた高層ビルがあり、その郊外にハンドメイドのスラム街があるだろう。私達は前者を「発展している」また「近代的」、後者を「発展が遅れている」と考えがちだ。しかし、それは間違っている。両者とも等しく新しく、開発の(自由市場)プロセスの産物なのだ。

スラムの住民(低所得層・貧困層)はグローバル経済にいろんな形で結びつけられている。もしかすると、彼らは高層ビルの窓を拭いたり、(高層ビルの)トイレを掃除したり、車を駐車させたり(駐車場の管理をしたり)、リサイクルのためのビンやプラスティックを集めているかもしれない。ちょうどスウェットショップでブランドもののスポーツシューズを作るのが近代的なように、これらは全て高度に近代的な職だ。しかし、人びとを貧困から解放する職ではない。

世界経済システム(自由市場)は不平等を前提に、不平等を再生産する。ちょうど、ピストンの上下にかかる圧力の不均等が内燃機関を動かしているように、経済的不平等が世界経済を動かしている。そういう「富」の概念に不可欠なのが、よりお金をもつことで他人に対してもてる権力だ。(中略)

「成長の限界」で示された強い懸念は、ドネラ・メドウズ(百人村原作者)の「ザ・グローバル・シチズン 村の現状報告」の重要な部分になった。ネットロア(インターネットで広まった)の「100人村」では、それ(自由市場至上主義)が生み出す世界経済の不平等と暴力、政治的抑圧が第一の焦点に当たっている。しかし、(ローマ・クラブのレポート)「成長の限界」がよく認識したように、これら(100人村問題と、環境問題、人口問題、工業問題、食糧問題、資源問題、大量生産大量廃棄問題etc)は相互に絡み合っている。(中略)

「成長の限界」の執筆者達はその釣り合いの取れた状態(人類が存続しながら持続可能な地球環境)という考え方を説明し、まず何よりも食糧生産により多くの努力を注ぐべきだという。(人口問題は飢餓等の最低限の生活が不可能な貧困によって引き起こされている側面が大きい)。(中略)

(持続可能な人類の存続する地球を目指すローマ・クラブの提案として)そして、(大量生産・大量消費モデルから)教育や健康管理(福祉)といった、人を助け、資源を枯渇させず、公害を出さないサービス産業に努力の比重を移すべき、という。さらに「芸術、音楽、宗教、基礎的科学調査、運動競技、人との触れ合い」そして、このような活動ができるようなような余暇時間についても言及する。

(「ザ・グローバル・シチズン 村の現状報告」及び「100人村」の最後の文章である「踊ってください」の)踊ることはこういった種類の活動の象徴になれる。踊っているときは、消費しないし、何も買わないし、資源を使い果たさないし、汚染しないし、誰も搾取しない。(中略)踊るのに余暇は必要だが、富はいらない。踊ることは他人が貧乏であることに依存したり地球を壊したりせずに、人々に喜びと満足を与える数多くの活動のシンボルになれる。

「成長の限界」で要求された「考え方のコペルニクス的転回(大量生産・大量消費モデルからの脱却)」とは、金持ち国の人々(リッチ)が道徳的な理由から自ら進んで貧乏(プア)に戻らなくてはならない、という意味ではない。「富」や「貧困」という言葉の概念自体が変革されるべきという意味だ。踊ることは経済発展が決してもたらせない富の形を意味する。繰り返すが、踊るということは、文字通り音楽に合わせて踊ることだけを意味するのではなく、いろんな種類の(他者を搾取・支配しない)自由な自己表現のシンボルなのだ。

「考え方のコペルニクス的転換」には次のような(現代の多数派の認識とは逆の)認識も含まれるだろう。まず、主に仕事中毒と消費中毒でできており、その主な満足が「出世すること」「他人より抜きん出ること」「新しいものを買うこと」である生活は貧しい。そして、たとえ、物質的に質素でも(衣食住が保障され、貧困状況ではなく)、踊りや歌、音楽、芸術、愛、友情、その他の形の自己表現に注げるたっぷりの余暇と時間がある生活は豊かだ。
(世界がもし百人の村だったら 第二巻)

ミリオンセラーになった「世界がもし百人の村だったら 第一巻」よりも、「世界がもし百人の村だったら 第二巻」の方が、客観的データとその説明や学者や実地活動家の解説が豊富で、シリーズ内(全五冊)において圧倒的に内容が濃いです。どちらかをお勧めするとしたら、第二巻を僕はお勧めします。総集編として、安いバージョンが出ており(マガジンハウス文庫)、データ的には、こちらが最新です。

僕が初音ミクがいいなあと思うのは、初音ミクに、ダグラス・ラミス氏が書く、『踊り』を感じるというのがあります。『踊ることは他人が貧乏であることに依存したり地球を壊したりせずに、人々に喜びと満足を与える数多くの活動のシンボルになれる。』ミクも、またこういった、未来への希望のシンボルとしての力を持った存在だと僕は心から思います。

また、猫とか、動物を飼ったり、大切にすることも、そういった未来への希望だと思います。動物を飼ったり、大切にすることは、踊ることや歌うこと同じく、人類発祥の原初時からある、古い古代の喜びであり、そういった生命を慈しむ喜びを大切にすることが、とても重要だと思います。

ARIAで描かれるような、共生型社会(大量生産・大量消費の競争主義モデル社会ではなく、余暇と時間を重視する共生・共有モデル社会)に社会を少しずつでも切り替えてゆかないと、市場需要創出の為の大きな戦争が避けられなくなってしまうと僕は思います。

ダグラス・ラミスさんの文章は、一つには文章内で挙げられている「成長の限界」がベースとなっておりますが、もう一つには、スティグリッツやアマルティア・センら倫理的経済学者達と同じく、倫理的経済学を唱えたE.F. シューマッハーの倫理的経済学論がベースとなっております。こちらについて学術的に詳しく知りたいお方々には、シューマッハーの著書「スモール・イズ・ビューティフル」をお勧め致します。

体調不良が酷く、耳鳴りと頭痛が絶え難く、本当は、もっと書きたかった(フォーレのレクイエムやエンヤの音楽について触れようと思っていました)のですが、心身が酷い状態で、筆を置かせて頂きます。今後、更新が滞りましたら申し訳ございません。大変生活困窮しており、ギフト券、アフィリエイトでご慈悲がありましたら、心から深く感謝致します。お礼を申し上げます。最後がこのようになり、申し訳ございません。

参考作品(amazon)
世界がもし100人の村だったら
世界がもし100人の村だったら 2 100人の村の現状報告
世界がもし100人の村だったら 3 たべもの編
世界がもし100人の村だったら 4 子ども編
世界がもし100人の村だったら 完結編
世界がもし100人の村だったら 総集編 POCKET EDI (マガジンハウス文庫 い 1-1) (マガジンハウス文庫)
経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか (平凡社ライブラリー)
成長の限界―ローマ・クラブ人類の危機レポート
「成長の限界」からカブ・ヒル村へ―ドネラ・H・メドウズと持続可能なコミュニティ
スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学 (講談社学術文庫)
スモール・イズ・ビューティフル再論 (講談社学術文庫)
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