2009年03月27日 03:58

頭痛が酷く、あまり更新できず申し訳ありません。世界最古のサウンドトラック。C=テデスコ「ゴヤによる24のカプリッチョ」

テデスコ:ゴヤによる24のカプ
[豪華愛蔵版] 楳図かずお・イアラ

最近、急激に寒くなったためか、熱はないのですが、先日より頭痛と耳鳴りが酷く、体調がよくありません。寒いので、寒くて布団をかぶって床に伏せっていることが多いです。ときどき猫も布団の中にはいってきて、その時は暖かくなります。猫は気ままなので、すぐどこかに行ってしまうのですが、それも猫の猫たるゆえんかなあと思います。

僕はクラシック系統から流れている近現代音楽が好きでして、アルヴォ・ペルト、ジョン・ケージらミニマル・ミュージックなどの前衛も好きですが、ネオ・ロマンティシズム、ネオ・クラシカル、新古典主義の流れも好きです。この流れのなかにある音楽家の音楽、先にご紹介させていただきましたショスタコーヴィッチ、メシアン、メトネル、エネスコ、ベルク、C=テデスコ(マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ)、フィリップ・グラス、サミュエル・バーバーなどの音楽をよく聴きます。

ネオ・ロマンティシズム、、ネオ・クラシカル、新古典主義の音楽作品の大きな特徴としては、極めて率直に語れば、多くはおうじて暗いということが言えると思います。勿論、これだけではないと思うのですが、主に、世界中を巻き込んだ恐慌と戦争、そして大量殺戮、第一次世界大戦、世界大恐慌、第二次世界大戦と、人類史上例をみない様々な大量殺戮によって、人類と世界に対して、希望が持てなくなっているアーティストの心情が反映され、ロマンティシズムやクラシカル(古典主義)が挫折と屈折を持ってもう一度、絶望を持ってやりなおされていると言われています(ネオ・ロマンティシズム、ネオ・クラシカル、新古典主義)。

そこにおいて、狂熱的な情緒は常に危ういという意識が醸成されており、暗く、冷ややかな香りのする、情緒ではなく理性を重視する、そして理性をも冷たく見据える醒めた音楽(ネオ・ロマンティシズム)を大きな流れとして、近現代のクラシカル(古典主義)の流れを継ぐネオ・クラシカル(新古典主義)は創造されていると思います。

前置きが長くなりました。ネオ・ロマンティシズムにおいて、僕の好きな音楽家の一人、C=テデスコの「ゴヤによる24のカプリッチョ」をご紹介致します。これは、日本人であって良かったと思える数少ないクラシックの好アルバムで、僕の知る限り、この曲のアルバムは日本からしか出ていません。この曲の全曲録音をしているのが、日本人の世界的クラシカル・ギターリスト山下和仁さんただ一人だからです。

山下和仁(ウィキペディア)
山下 和仁(やました かずひと、1961年3月25日 - )は日本を代表するクラシックギタリストである。
1961年長崎市生まれ。幼い頃から父 山下亨にギターを学ぶ。16歳の時にラミレス(スペイン)、アレッサンドリア国際(イタリア)、パリ国際(フランス)の世界三主要ギター・コンクールにいずれも史上最年少記録の16歳で1位となる。

通常のクラシック・ギターのレパートリーのみならず、超絶技巧を駆使したオーケストラ作品の編曲でも知られ、ヴィヴァルディ「四季(ジャズギタリストであるラリー・コリエルとのデュオ」、ストラヴィンスキー「火の鳥」、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータや無伴奏チェロ組曲、リストの「ハンガリー狂詩曲第2番」などをギター独奏に編曲、特にムソルグスキーの「展覧会の絵」(ドイツ・レコード賞受賞)の全曲演奏は有名。

山下和仁さんは、クラシック音楽(ギター)において現在、全世界的に誰もが認める最高峰に位置する演奏家です。基本的に国内市場で完結しており、クラシック始め、全世界的に音楽を発信することを苦手とすることの多い日本人演奏家にしては極めて稀な、全世界的クラシカル・アーティスト(クラシカル・ギタリスト)です。日本国内だけでなく、海外での評価も日本と同等以上に高い、世界的な実力の持ち主です。

先に書きましたとおり、C=テデスコ「ゴヤによる24のカプリッチョ」を全曲録音しているのは、僕の知る限り、現在のところは山下和仁さんのみなので、山下和仁さんのギターもテデスコの音楽もゴヤの絵画も好きな僕にとってはとても嬉しいアルバムの一枚です。日本のアーティストが成した好快挙だと思います。

ただ、この界隈は、クラシック好きの知るひとぞ知るという世界なので、商業的な成績としては、日本国内で成功しているJPOPなどのアーティストとは売り上げが全然違いますが(結果、ますます知られないことになります)、それでも、世界初の全曲録音として、世界的に評価されたアルバムであり、こういうアルバムが、未だに絶盤にならずに出ているのは嬉しいことです。日本クラウンにクラシックを長期的な長い眼で見ている、文化に理解のあるお方がいらっしゃるのかなと思います。

本アルバムは「ゴヤによる24のカプリッチョ」は、ゴヤの第一版画集「ロス・カプリチョス」のサウンドトラック(背景音楽)としてC=テデスコによって作曲されたもので、ライナーノーツにそれぞれの版画の縮小版コピーが載っています。絵を見ながら、音楽に想い馳せる形態の、いわゆるサウンドトラックであり、第一版画集「ロス・カプリチョス」を持っている人向けですが、ライナーノーツに「ロス・カプリチョス」の版画が全て解釈とともに載せてありますので、版画集を持っていなくても大丈夫です。僕も版画集持っていません。うつ病になる前から、ゴヤは好きなんですが、版画集が買えるほどお金がありませんでした。

余談ですが、僕がゴヤが好きなのは、楳図かずおさんのコミックが子供の頃から好きだったという影響があると思います。僕は、最初にゴヤの絵画を見たとき、楳図さんだなあと懐かしく思いました。勿論、これは順番が逆で、ゴヤが先に楳図さんに影響を与えている、楳図かずおさんが、ゴヤを意識した漫画を創り、それを先に僕が読んで、ゴヤの絵を見たときに親近感と懐かしさを感じるという形です。ゴヤの絵画がお好きなお方には、楳図かずおさんの「イアラ」とその短編集などを心からお勧め致します。閑話休題致します。

ゴヤの第一版画集、「ロス・カプリチョス」は、貴族や聖職者などの特権階級を風刺していた為、異端審問所の手入れが入りそうになり、ほとんどが回収されてしまったという経歴を持ちます。基本的に堕落を描いた風刺版画集であり、C=テデスコの暗いネオ・ロマンティシズムによる作曲と、それを見事に弾きこなす山下和仁さんの淋しげかつ主知主義的なギターの音色が素晴らしくよく合っています。ライナーノーツから引用致します。

スペインの大画家フランシスコ・ゴヤが1799年に出した版画集「ロス・カプリチョス」についてはべつに説明される通りだが(既存体制に対する風刺版画であり、異端審問所を恐れて回収になった)、甘美な宮廷画家の一面とはまるで異なった皮肉な風刺、この版画集に曲をつけてみようとは、また卓抜な思いつきであった。若い頃からシェイクスピアに親しみその全作品に通じていたことからも察せられるように、C=T(テデスコ)は非常な教養人であり、ギリシャ、ラテン、ヘブライ各語を含む数ヶ国語を原書で読んだ。美術にも深い造詣を持つ彼がゴヤの版画集をとくに対象としたのは、祖先の地に繋がるスペインへの愛着とともに、すぐ前の年に完成した「プラテーロと私」により、ギターという楽器の「イラストレーション効果」に興味をかきたてられたからに違いない。「プラテーロと私」の場合と同じように、一曲一曲は独立した価値を備えていると同時に、絵への「付随音楽」(サウンドトラック)でもある。当CDでも(ライナーノーツに縮小版画集を収録した事で)実現するように、版画と共に味わうのが、やはり最も正しく、かつ楽しい方法であろう。
(C=テデスコ「ゴヤによる24のカプリッチョ」ライナーノーツより)

ゴヤの第一版画集ロス・カプリチョスは、「プラテーロと私」より更に1,2世紀古い(18世紀に出版)なので、今のところ、世界で最も古いサウンドトラックの組み合わせ(18世紀に出たゴヤの版画集への付随音楽として、1961年、本曲が完成し発表された)であると思います。その辺も考えながら、ライナーノーツを捲りながら音楽をゆっくり聴いていくと、色々と感じるところのある、ユニークで優れたサウンドトラックではないかと、僕は思います。

頭痛が酷く、これ以上文章が書けそうになく、申し訳ありません。ゴヤの版画が気に入ったお方々には、楳図かずおさんの「イアラ」をお勧め致します。これは逆のことも言え、楳図かずおさんの漫画が好きなお方々には、ゴヤは見る価値深い画家であると思います。また、クラシカル・ギターの響きが気に入りましたら、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」をお勧め致します。

頭痛が酷く、あまり更新できず申し訳ありません。たいへん生活苦につき、あまり頭が動かず、どうかご慈悲ありましたら、心から感謝致します。

参考作品(amazon)
テデスコ:ゴヤによる24のカプ
テデスコ:《プラテーロとわたし》
悪魔のカプリッチョ〜カステルヌオーヴォ=テデスコを弾く
山下和仁ギター小品集/鳥の歌 [DVD]
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲
[豪華愛蔵版] 楳図かずお・イアラ

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