2009年03月26日 03:34

お勧めの本「バースデイ・セイント」「M・L・キング説教・講演集」ジャズお勧め盤「ベスト・オブ・ニーナ・シモン」聖ユダさん。

私には夢がある―M・L・キング説教・講演集

先より調子が悪く、心痛が酷いです。先に政治論を論争した高橋直樹氏が、僕の文体を真似した文章を書いた後、創造性皆無の駄文であるなどとこちらの心を痛めつけるだけの嫌味を書いて、全く政治論的に何の意味もない、せこい嫌がらせをしてくるので、お腹の痛いのが酷く治らず、体調崩しております。

また、もうすぐ月末なので、アフィリエイトの収入パーセンテージがあがるかどうか心配で、昨年は4〜5.5%ぐらいだったのが、今年に入ってから1月2月ずっと4%〜ぐらいで、今年に入ってから収入が低下してきていて、アクセス数と照らし合わせて見ると、きっと不景気の影響があると僕は思うのですが、借金と重ね合わせて、心配です。月末は、カードローンの支払い請求書と、amazonの収入振込みがあるので、収入振込みがあってから、すぐに借金を返すようにしていて、お金を上手く回せるかで、気持ちが重いです。

生活困窮につき、ギフト券、アフィリエイトでご慈悲を持ってお助けくださるお方々がいらっしゃいましたら、心から感謝致します。

今日は僕の好きな本と好きな音楽CDをご紹介致します。僕の好きな本は、鹿島茂さんの著書「バースデイ・セイント」とM・L・キング牧師の「私には夢がある M・L・キング説教・講演集」です。まず、「バースデイ・セイント」からご紹介致します。

この本「バースデイ・セイント」は、うるう年も含めた、366日のそれぞれの守護聖人をその聖人のエピソードをご紹介している本で、一日にコンビで代表的な守護聖人がいる場合もあり(1/2、9/26など)、また、その日のその他の守護聖人についても載っている、守護聖人ハンドブックとでもいうような内容で、読んでいると心慰められます。守護聖人の人間的なエピソードが載っているので、コミックの「聖☆おにいさん」とかお好きなお方々には、聖人の人間味を身近に感じて、楽しめるご本ではないかと思います。例えば、1月1日はこんな感じです。

1月1日
「聖テレマキウス」
400頃。古代ローマでは剣闘士による死を賭した競技がコロセウムで行われていた。東方(オリエント)出身のテレマキウスは1月1日の大競技会の折に、その殺し合いをやめさせようと、剣闘士が闘っているコロセウムに降りていったが、競技が中断されたことに憤怒した観衆の手により殺されてしまった。これを知ったオリノウス帝は、血を流す見世物を廃止させたという。

剣闘士の殺し合いをやめさせようとして殺されたことから剣闘士の守護聖人となる。ボクサー、レスラー、カラテ、柔道、合気道、K-1、アルティメットなど格闘家の守護聖人と見なしてよい。

「剣闘士の守護聖人」、その本来の姿とは、愛と平和を望む自己犠牲心の象徴。
(鹿島茂「バースデイ・セイント」)

こんな感じで、自分の誕生日の守護聖人や、自分の仕事の守護聖人が分かる本で、読んでいると、心が癒される、癒し系の本です。聖人の善行(聖テレマキウスは善行の結果、殺されてしまいましたが、善行を行って天寿を全うした聖人も沢山います)がずらっと載っているので、読んでいると、ほっとします。

僕のような、大変困っている人の為の守護聖人もいます。聖ユダです。引用してご紹介致します。

自分の誕生日や洗礼名にちなんだ聖人を守護聖人とするほか、職業や身分で守護聖人を選ぶ場合もあります。というのも、各々の守護聖人にはそれぞれ守護分野というものがあって、その守護分野に属する職業や身分の人々を守ってくれるのです。(例えば、1月1日の守護聖人聖テレマキウスは、格闘家を守護する)。(中略)

またそれぞれの守護聖人は、職業、身分ばかりか、教区や町や国を保護し、さらには病気や災難からも人々を守ってくれると信じられています。

フランスは聖女ジャンヌ・ダルクとリジューの聖女テレーズ、アイルランドは聖パトリック、スコットランドやロシアは聖アンドレ、パリは聖女ジュヌヴィエーヴと聖ドニをそれぞれ守護聖人にしています。ちなみに日本は聖ミカエルです。

皮膚病だと聖アントニウス、出産のときには聖女アンナと聖女ドロテア、火事の時は聖アガタ、絶望して、どうしようもないときは聖ユダなど、それぞれの守護聖人の名前を唱えて祈ります。同じく「アンジェラの灰」(フランク・マコートの小説)には、やたらとこうした救難聖人に祈る場面がでてきます。

「聖ユダ様、どうしようもない場面の守護聖人様、お助けください。私はどうしようもありません」

聖ユダというのはキリストを裏切ったイスカリオテのユダではなく、「タダイのユダ」と呼ばれる12使徒のひとりですが、混同されやすいため、使徒の中では(イスカリオテのユダと名前が同じということで)冷遇されてきました。

ところが、そのため、逆に、不当に差別されたり、絶望した人の守護聖人になったのです。
(鹿島茂「バースデイ・セイント」)

今の僕は聖ユダさんにひたすら祈るという感じです。ちなみに、コミックの聖☆おにいさんに出て来る、ミクシーのユダさんは、こっちのユダさん(タダイのユダさん)のネタでいずれやるのかな、「ユダ違いだよ」みたいな展開で行くのかなと思っています。この漫画も好きだったんですが、うつ病になって失業してから生活に余裕なく読んでいないので、今どのような展開かわからないです。

バースデイ・セイントの聖人の話に引き続き、20世紀の最大の聖人の一人、M・L・キング牧師の話に移らせて頂きます。

キング牧師については、彼の語ったことが全てであって、彼の講演集「私には夢がある M・L・キング説教・講演集」を読むのが、一番良いのではないかなと思います。読んでいるだけで心打たれます。本書から幾つか、好きなところを抜粋して紹介させて頂きます。

われわれに投票権を与えよ
1957年5月17日ワシントンDCリンカーン記念堂
自由のための祈りの巡礼における演説

『われわれはその闘い(黒人公民権運動)において、自らの手が潔白であることを確認していかなければならない。決して偽りや憎悪や悪意をもって闘うようなことがあってはならない。どうかお互いに決して怨恨を持つことがないようにしよう。

たしかに、われわれが時にどんな感情になるかを、私は知っている。余りにも長い間悲惨な抑圧の闇夜の真っ只中を生きざるをえなくされてきたわれわれには――ただただ踏みにじられてきた者であるわれわれには――、たしかに怨恨を抱くようになる危険がある。だが、もしわれわれが怨恨を抱き、憎悪のキャンペーンを張るようになるならば、今勃興しつつある新しい秩序も所詮は古い秩序の複製に他ならないものになってしまうだろう。

われわれは憎悪に対しては愛を対決させなければならない。肉体的暴力に対しては魂の力を対決させなくてはならない。時の流れを越えて今も叫ぶ声が聞こえる。

「あなたの敵を愛し、あなたを呪う者を祝福せよ。あなたをののしる者のために祈れ。(注:マタイ福音書第五章を参照)」

その時に、そしてその時にのみ、あなたは「永遠の命」という大学に入学を認められるのである。その同じ声が宇宙大の音声で叫んでいる。

「剣を取る者は皆、剣で滅びる。(注:マタイ福音書26・52)」

と。そして歴史は、この御言葉に従わなかった諸国民の白く枯れた骨で満ちている。われわれは非暴力と愛の精神に従っていかなければならない。

今、私は感傷的で浅薄な愛について語っているのではない。私は美的でロマンティックな愛である「エロス」について語っているのではない。また私は個人的友人同士の親近感情である「フィリア」について語っているのでもない。私が語っているのは「アガペー」(注:無償の愛の意)についてである。

私は人々の心の中にある神の愛について語っているのである。わたしが語っているのは、一方でその人がなす悪事を憎みつつも、悪事をなす人を愛するように促す愛についてである。われわれはそのような愛を実行しなくてはならない。(中略)

(白人至上主義によって貶められているアジアやアフリカの地位向上、黄色人種の日本人も含み、全世界的に貶められている有色人種全体の地位向上を訴えた後)われわれは決して、われわれの勃興しつつある自由と育ちつつある力を、白人少数者に対して、何世紀にもわたってわれわれが受けてきたのと同じことをするために用いてはならない。われわれの目標は決して、白人を打ち負かしたり辱めたりすることではない。われわれは黒人が優越しているという哲学の犠牲に陥ってはならない。神は単に黒人や褐色人や黄色人を解放することにだけ関心を持っておられるのではなく、全人種を解放することに関心を持っておられるのである。

われわれは断固として次のような社会を創り出していかなければならない。すなわちそこでは、黒人が優越していて他の人々は劣等であるとかあるいはその反対であるとかいうのではなく、全ての人々が兄弟として共に生き、人間としての人格の尊厳と価値を尊重し合うような社会をである。』
(M・L・キング牧師。「私には夢がある M・L・キング説教・講演集」)

この本は感動的な演説でキング牧師に魅了される本で、他にも引用したいところが沢山あったのですが(特に非暴力の大切さについて解くところ)、体調が極めて悪く、キーを叩くのが限界で、あまり引用できず、申し訳ありません。ぜひ、皆さんに読んで欲しい本の一冊です。本書の副読本として岩波ジュニア新書の「キング牧師―人種の平等と人間愛を求めて」をお勧め致します。この本(私には夢がある M・L・キング説教・講演集)には現在もチベットの人々の人権と自由のため、政治活動中のダライ・ラマさんの文章も載っておりますので、抜粋してご紹介致します。

その背景は全く違っていたにも関わらず、キング博士はマハトマ・ガンディーと共に、近年の更なる平和革命にとっての絶えざる希望の光であった。そしてその平和革命は今度は未来の世代に対して、成功した非暴力的変革の素晴らしい範例になっていくであろう。これら偉大なる両人が主張したことは、平和と自由への願望は人間性の最も基本的なレベルに存在するものであり、暴力はその正反対のものであるということだ。(中略)

私(ダライ・ラマ)は自分自身の経験から、彼が非暴力を奉じたため蒙った圧力と悲しみを深く理解することができる。今日四十年以上による占領を経たチベットにおけるわが民の状況は、キング博士がそのために戦ったアフリカ系アメリカ人のそれに、非常によく似ている。彼らは自分自身の国で抑圧されたマイノリティとなってきたのである。それゆえ、私はアメリカにおける公民権に対する彼の偉大な貢献を想起しながら、この講演を読む人々に向かって、是非ともチベット人に対してだけでなく、全世界の基本的人権を奪われているすべての人に対しても、何らかの関心を寄せていただきたいと、訴えるものである。
(ダライ・ラマ。「私には夢がある M・L・キング説教・講演集」より)

この本(私には夢がある M・L・キング説教・講演集)とてもよい本で、ぜひご一読をお勧めします。

最後に、ジャズのお勧め盤をご紹介致します。ニーナ・シモンさんの「ベスト・オブ・ニーナ・シモン」です。彼女は、『お飾りとしての女性歌手』ではなく、はっきりとした、『自律的な女性歌手』としての歌を歌った黒人歌手さんで、ピアノを弾きながらジャズソングを歌い、そのピアノの腕が素晴らしく、しかも弾きながら素晴らしい声で歌っているので、凄いです。黒人の地位向上と女性の地位向上、そして女性歌手の地位向上に大きな役割を果たした歌姫さんです。女性歌手が独立した歌手、男性歌手と対等な歌姫であると認められているのは、彼女の功績が大きいです。

かつてピアニストの八木正生が、「ニーナのピアノは凄い」と賛めていたことがあある。彼女はピアノに徹していたとしても、十分ジャズ界で活躍できた筈である。ピアノの弾き語りのうまさからいえば、ナット・キング・コールに匹敵する存在だったといえるだろう。(中略)

ニーナ・シモンの歌はまずそのたくましさに圧倒されるが、戦前の女性歌手はビリー・ホリディなどごく一部の例外を除けば、可憐なタイプが多く、悪い言い方をすれば、男性の愛玩的な可愛い歌い方の歌が多かったが、ニーナこそが女性解放時代の先駆者ともいうべき歌い方に徹して時代をリードした一人であった。
(岩浪洋三「新しいジャズ・ヴォーカルを開拓したニーナ・シモン」)

ぜひ、彼女が歌う、「ホワイ(キング牧師は死んでしまった)」を聴いて欲しいです。ニーナ・シモンは人種差別と女性差別という二重の差別を受けて苦しみながら、歌を歌って差別撤廃の公民権活動・女性解放活動に参加したアメリカの偉大な歌姫さんです。

これ以上、疲労が酷く、書けそうにないので、最後にキング牧師の言葉をもう一度引用させていただきます。生活困窮にて、ご慈悲あるお方々いらっしゃいましたら、心から感謝致します。

人々が至るところで自身の肉体のために日に三度の食事をとることができ、知性のために教育と文化を学ぶことができ、魂のために尊厳と平等と自由を得ることができることを、私は大胆に信じている。利己的な人間がぶち壊したものを利他的な人間が築き上げ得ることを、私は信じている。
(M・L・キング牧師。「私には夢がある M・L・キング説教・講演集」)

参考作品(amazon)
私には夢がある―M・L・キング説教・講演集
キング牧師―人種の平等と人間愛を求めて (岩波ジュニア新書)
バースデイ・セイント
アンジェラの灰 (上) (新潮文庫)
アンジェラの灰 (下) (新潮文庫)
ベスト・オブ・ニーナ・シモン
小型聖書 - 新共同訳
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