2009年03月07日 22:21

風邪を引いており文章かけず申し訳ありません。JRについて。落合信彦「ケネディからの伝言」信義を持った公正なる革命について。ファイナルザクティ革命とやらの不公正について。

ケネディからの伝言 (集英社文庫)

昨日より風邪を引いており、熱が38度あり、文章かけず申し訳ありません。昨日、病院の診察日だったのですが、とてもすごい土砂降りの雨で、僕はお金(交通費)ないのでいつも病院まで片道2時間前後かけて通っており、びしょびしょになってしまったので、喉と頭が痛くなり、今日熱を測ったら38度で、猫の世話をして、その後、寝込んでおりました。

後、病院(精神科)が、いつもに比べてとても混んでおり、待ち時間が長かったです。顔見知りの患者さんだけじゃなく、明らかに新規でやってきた患者さんが大勢いました。先日、NHKスペシャルでうつ病の特集を組んでいた影響、また、NHKスペシャルが放映された後日、NHKの夕方5時からやっている「ゆうどきネットワーク」という番組で2回2日間に分けてNHKスペシャルの補足番組を流しており、うつ病の先端治療として、グループ治療、デイケア治療を行っている病院を紹介しており、僕の通っている病院はグループワーク治療、デイケア治療を行っているので、先端治療を行っている病院として人気が上がったのかなと思いました。

新しい患者さんは病院の呼ばれる順番のシステムが新規なので分かっていないようで、『まだですか、まだですか?』って受付さんや看護士さんに聞きまくっていたので、(ああ…新しい患者さんがきてるなあ…)と思いました。元気がある感じの患者さんなので、その方はうつ病ではないのかなと思いますが(聞きまくったあと、ぐったりしていたので、もしかしたらうつ病かも知れません)、また、他にも、暗い顔して眉が八の字に下がってる見たことのない患者さんが何人もいたので、新しいうつ病の患者さん増えているのかなと思いました。

NHKスペシャル「うつ病治療」を後日補足した「ゆうどきネットワーク」(この番組によると、NHKスペシャル「うつ病治療」は大きな反響があったそうです)で紹介しておりました、うつ病リワーク研究会の公式サイト(公式サイトが紹介されていました)をご紹介致します。また、うつ病などの精神障害者や退職した高齢者を支援する独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構の公式サイトも紹介させていただきます。

うつ病リワーク研究会
http://www.utsu-rework.org/
独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構
http://www.jeed.or.jp/index.html

NHK「ゆうどきネットワーク」では、メディカルケア虎ノ門をグループワーク治療、デイケア治療を先進的に治療に取り入れている、とても先進的で優れた精神病院として特集しておりました。また、同番組内において、うつ病リワーク研究会傘下の病院(現在28病院)を上記の公式サイトを紹介する形で先進治療(グループワーク、デイケアを行っている)病院として紹介しておりました。精神的にお悩みをお持ちのお方々に参考となる糧となれば幸いです。

風邪と雨の話に戻りますが、他の障害者手帳(身体障害者手帳等)と違い、僕の持つ精神障害者保健福祉手帳におきましては、JRの交通費の割引を利用することができません。その為、精神障害者は、JRの料金に苦しんでいる人々が僕を含めて大勢います。なぜ、JRは、他の障害者の方々と違い、精神障害者だけを差別するのか、それは、JR側の回答として、『「精神障害者保健福祉手帳」には他の障害者手帳と違い、手帳に本人写真が添付されていない為、本人確認が不可能であり、悪用を防ぐため、障害者割引を行わない』と回答しております。

しかし、既に今の精神障害者保健福祉手帳は既に他の障害者手帳と同じく、本人写真が手帳に添付されており(僕の障害者手帳にもついております)、JR以外の私鉄の多く、また都道府県が運営するバス及び私営バスなどの多くは、他の障害者手帳と同じく精神障害者保健福祉手帳においても、本人確認をして割引という制度が多く行われております。それにも関わらず、JRは精神障害者に対してのみ、障害者割引を行ってくれず、とても辛いです。

もし、JRに障害者割引で乗ることができたら、どしゃぶりの雨でも、電車に乗ることができるのに、それができない現状は、とても辛いと風邪の中で辛く思いました。JRが精神障害者に対してのみ、他の障害者の方々とは違う差別的扱いを行っていることを、皆様方に知っていただき、そのことをどうか、考えていただいて、JRが、精神障害者に対する差別を改めてくれることを心から望みます。

落合信彦さんが、J・F・ケネディとボビー・ケネディの兄弟、特にボビー・ケネディが、いかに差別問題に対して、差別という不公正の是正の為に強く大きく様々にコミットメントしたかを、詳細に描いているノンフィクション「ケネディからの伝言」より引用してご紹介させて頂きます。落合信彦さんがボビー・ケネディを支援するボランティアとして活動しながら実際に直で接して見たボビー・ケネディの姿です。

黒人、プエルトリコ人、メキシコ人、プアー・ホワイトなどのボビー(ボビー・ケネディ)への支持は圧倒的だった。反対派はこの点をついてボビーの支持層は都市部のスラム街の住人だけで、最もあてにならない票であると吹聴した。(中略)彼ら貧しい者は、投票に行きたくても車(交通手段)もないし、選挙のための登録すらしていない者が多い。だから彼らの間にいくら人気があっても、それが直接票に繋がるとは考えられない。それよりももっと票になる層になる層にアピールした方がはるかに得策である。普通の政治家ならそう考えるだろう。しかし、ボビーはその票にならない層(マイノリティで最も弱い層)を最も大切にした。(中略)

(票になる)彼(ボビー)の最大の支持層は(差別を嫌い、ケネディ家の掲げる公平と正義の理想に共感する)人種や党派を超えた若者たちだった。すべての予備選を通じて30歳以下の人々の票は、2対1の割合でボビーに投じられた。

ボビーはよく兄ジョン(J・F・ケネディ)と比べられて、冷酷で情け容赦なく傲慢きわまりない男と言われていた。確かにジョン・ケネディは表面は穏やかで外交的、そして常にクールだった。ボビーの場合は(犯罪や差別などに対する怒りと正義感がJ・F・ケネディより強く)直情型で嫌いな者は嫌いとはっきり態度に出した。彼の(司法長官としての)マフィアに対する徹底した取り締まりは衆人承知の事実だったし、人種差別をめぐってアラバマのウォラスやミシシッピーのバーネット(差別を肯定する白人保守政治家達)をやり込めて恥をかかせたことも事実だった。それ(犯罪や差別に対してはっきりNoを断言すること)を冷酷で情け容赦ないというのならなにをか言わんやである。

彼がそれほど冷酷な男ならなぜあれほど黒人やインディアンに慕われたのか。彼らのように迫害され続けた人々は敵と味方を本能的に区別できる。その彼らがなぜボビーをジョン・ケネディ以上に慕ったのか。

その答えの一部を私は最初の予備選地であるインディアナ州で見つけた思いがした。インディアナ・キャンペーン(選挙キャンペーン)が始まる前日、私(落合信彦)は他のボランティアたちとひと足先にインディアナポリスに入った。(中略)

(ボビー・ケネディがインディアナへ飛行機で移動中に)最悪の事態が持ち上がっていた。公民権運動の指導者でノーベル平和賞受賞者でもあるキング牧師がテネシー州メンフィスで白人狙撃者にライフルで撃ち殺されたのだ。(中略)

(落合信彦氏の前で、キング牧師の暗殺直後にインディアナで公開演説予定だったボビー・ケネディに対しインディアナポリス警察署の署長が)ボビーに言った。

「セネター・ケネディ、あなたは命を狙われている。すでに二人のスナイパー(暗殺者)がビルの屋上で見つかり私の部下が捕らえた。まだまだいる可能性がある。今日は町に入らない方がいい」

有名人を殺したがる異常者はどこにもいるものだ。特に(リベラルな気風の一族の為、白人至上主義者から憎まれている)ケネディ家の場合は最も狙いたいターゲットなのだろう。兄のジョン(J・F・ケネディ)は誰かがやった。弟のボビーを殺るのは自分だと思い込む馬鹿は必ずいる。それまでにもボビーを狙った何人かの仲間(先のスナイパー等)が挙げられていたが彼らは皆白人だった。(中略)

ボビーは一応(彼の身の安全を考える)その署長に礼を言って待たせてある車に向かおうとした。するとその署長は両手を広げてボビーをとおせんぼする格好で行く手をさえぎった。ボビーの顔にいら立ちの表情が映った。彼が何よりも嫌うのは、無駄なことに時間を費やすことだ。いったいどうなるのだろうか。その場にいた全ての人々が息を飲んでボビーを見つめていた。

ボビーはその署長の目をジーッと見据えた。そしてハッキリとした口調で言った。

「命というものは意味がある時に使って初めて価値があるのだ。私は行く」

背筋をぞっとさせるような迫力だった。署長は催眠術にかかったような表情でわきにどいた。

その日の夜、ボビーは予定通りインディアナポリス市のスラム街に現われた。彼が到着した時、広場にはすでに立錐の余地もないほど人が集まっていた。1万5000人はいただろう。(キング牧師暗殺直後であり白人がキング牧師を殺害したことに黒人は怒っており)すべて黒人で白人はひとりもいない。皆不気味なほど静かだ。すでにキング牧師の死のニュースは全米を走り抜けていた。私は他のボランティアたちとプラットフォームの下で聴衆に向かって立った。トラブルになったら大変なことになると感じていた。自分(落合信彦)は同じ有色人種(日本人)だから少しは手加減を加えてくれるかもなどというあさましい思いが頭をかすめたりした。

ボビーが壇上に立った。いつもならここで(リベラル派政治家として人種差別主義政治家を非難し、マイノリティの権利を推進し、貧しい人々、差別されている人々、黒人に人気のある政治家であるボビー・ケネディへの)ボビー・コールが起きて大騒ぎになるのだが、声ひとつ聞こえない。まさに水を打ったような静けさだ。皆壇上のボビーをにらみつけている。ボビーはマイクを抜いてそれを握りしめた。

「愛と平和の使者キング牧師は死んだ」

何かがノドにつまっているような語り口だった。

「あなた方の中には白人に対する憎しみと復讐心に燃えている者もいるかも知れない。しかし、耐えて欲しい。私の兄も殺された……白人に殺されたのだ」

しぼり出すような声だった。それまでの五年間ボビーは兄ジョンの死について公衆の面前で語ったことは一度もなかった。聞いているこっちも胸がえぐられる感じだった。

私は振り返って彼を見上げた。その目がわずかにうるんでいた。

彼が続けた。

「今この国に必要なのは分裂ではない。今この国に必要なのは憎しみでもない。今この国に必要なのは暴力でも無法でもない。必要なのは愛であり英知であり、互いにいつくしみ合う慈悲の心であり、そして黒人、白人を問わずいまだこの国で苦しんでいる人々への公正の感情を持つことなのだ……。

だからあなた方にお願いする。今夜はこのまま家に帰ってほしい。そしてキング牧師の家族と彼の魂のために祈りを捧げて欲しい。そして同時にわれわれ皆が愛するこの祖国アメリカのために祈ってほしい……」

あちこちから嗚咽が聞こえてくる。群集が静かに散り始めた。私の目の前に立っていた二メートル近い男はそのごっついこぶしで目をこすりながら体を震わせていた。

ひとりの老婆がプラットフォームに近づいてきてボビーを見上げて両手を差し出した。ボビーがしゃがみ込んで彼女の手を握った。老婆の声はかすれていた。

「ボビー、あなたがこの国の最後の希望です。もう一度この国をひとつにして下さい」

「ドント・ウォーリー、マザー、ウィ・ウォーント・レット・ユー・ダウン」(心配しないで、お母さん、決して落胆はさせないから)

ささやくようにボビーは言った。

その瞬間、私(落合信彦)はボビーをこれからの人生の師にすると勝手に決めてしまった。

その夜、キング牧師の暗殺に怒り狂った黒人たちが、カルフォルニアからニューヨークまでアメリカ中の大都市で暴動を起こし略奪と破壊の限りを尽くしたが(白人政治家達は警察と軍隊を使って武力でそれを鎮圧したが)、インディアナポリスだけは平静を保った。

彼らにとってボビーはソウル(魂)を持った唯一人の政治家だったのである。(中略)

ジョン・ケネディは公民権法を提案し、それが議会を通過するのを見ぬまま(暗殺され)他界した。
ジョンソンの力でそれは法律となるのだが、それはあくまで差別撤廃の第一歩にすぎなかった。差別や偏見は心の問題である。心の障壁(差別する側の差別を肯定する意識)がとり除かれないかぎりそれらが完全に消えることはない。人の心だけは法律でもどうにもできない。ボビーはこの心の問題に真正面から取り組んだ。(中略)

白人の聴衆を前にすると(ボビーの演説の)そのトーンは全く違ってくる。(白人に心の差別意識を撤廃するよう呼びかける)
「今われわれの中で偉大なる革命が起きている。黒人アメリカ市民たちの完全平等と自由獲得のための戦いである。それは単に法律や政府のアクションプログラムによって成就されるものではない。……中略……(ボビー・ケネディは貧しい層への再分配を主張。富の再分配による社会保障の拡充によって貧困に喘ぐ人々が放置されている)スラム街は取り除かれねばならない。

しかし、まずわれわれ(白人)の心のスラムを取り除く必要がある。無知と憎しみ、恐怖心と不信感に満ちたスラムがわれわれの心の中にある限り、この国は精神的貧しさ(差別意識)を克服できない。……中略……

ある人々は黒人は大きな進歩を果たしたではないかという。それは事実である。そして、こうも言う。黒人は現在の進歩に満足すべきでもっと我慢すべきだ、と。これは間違っているし、現実的でもない。……中略……

絶望と迫害に甘んじ、希望を捨てた人間は革命など起こしはしない。期待が服従にとって代わり、可能性が絶望にとって代わる時、初めて正義への情熱と願望(公正さへの希望)が人間の中に沸き上がってくるのだ。……中略……

最も裕福で最も力のある者も、最も弱く、最も飢えに苦しんでいる子供たちも皆この上なく尊いものを共有している。それはアメリカ市民というタイトルである。かつてわれわれの祖先は迫害され差別を受けたが故に、新天地へやってきた。彼らは自国では異邦人であり迫害された民だった。

今日のアメリカに異邦人があってはならない。迫害を受ける民があってはならない。

もし誰かを異邦人扱いし、差別する者は、自動的に彼自身が(公正なる)アメリカ人であることを否定していることになるのだ……」

このようなスピーチを彼(ボビー・ケネディ)は進歩的(リベラル)な北部や東部だけでなく、(人種差別が溢れかえった酷い状態の)超保守的なディープ・サウス(深南部)や南部でも行った。南部ではいまだ(人種差別を肯定する保守政治家の)ウォラスが大きな支持を集めていたが、若者やインテリ、(リベラルな)教会関係者、ビジネスマンなど(差別のない)新しい南部を建設する熱意を持っていた人々には、ボビーのメッセージは熱烈に受けた。(中略)

(ベトナム戦争に対し、完全な反戦の立場を取ったボビー・ケネディは)政策面よりもモラルの哲学(普遍的な人権の立場)の面から語ったものが多かった。政策がまずいからそれを見直すべきというより、道義的に間違っているからストップすべきという主張だった。1967年3月、上院の壇上から彼は他の議員に訴えた。

「はるか遠く離れた地に、アメリカの強力な爆弾が降り注がれている。この戦争がベトナムにとってどんな意味があるのかを、(戦争に参加しているアメリカ人である)われわれが本当に感じるのは難しい。地球の裏側にあり、その人々(殺されているベトナムの人々)はわれわれにとっては赤の他人だからだ。われわれの中でも直接戦いにたずさわっている者はごく少ない。大部分は日々の戦場の叫びや恐怖に全くわずらわされずに生きている。

しかし、(アメリカ人に殺戮される)ベトナム人にとっては、毎日が聖ヨハネの預言が成就されたように見えるのではなかろうか。『私は目を上げた。そして蒼ざめた馬を見た。その馬の上にすわった者の名は死であった。地獄が彼−死−に続いた。そして彼らにこの地上の四番目の部分において剣で殺し、飢えで殺し、死によって殺す力が与えられた』(米国の保守政治家達とその支持者達であるベトナム戦争推進派を、世界の生命を滅ぼす黙示録の悪魔と比喩した強烈な反戦への演説)

不完全なこの世界は、時には戦争という行為を必要とするかもしれぬ。しかし、心に正義を持った人間は、それらの行為がたったひとりの子供にももたらす苦しみと痛みから目をそむけてはならない。……中略……

この戦慄すべき状況(ベトナム戦争)が作り上げられた裏には、我々(アメリカ人)にも一部の責任があるという前提でわれわれは語り、行動しなければならぬ。単に国家の責任ではなく、あなた方と私の責任なのだ。裕福な生活に浸りながら、わが国の若者を死地に送り込んでいるのはわれわれなのだ。ベトナムの子供たちを焼き殺しているのは、われわれの化学兵器であり、村々を破壊しているわれわれの爆弾なのだ。

責任(道義的責任)を感じることは、国家の利益を無視するとか、自由と安全は時には血で支払わねばならないということにはつながらない。(ベトナム戦争を米国益によって肯定する論に対する道義的責任からの強い反論及びベトナム戦争を米安全保障から肯定する論に対する道義的責任からの強い反論)。国家としてやらねばならないことがあるにせよ、それがもたらす苦悩をわれわれは人間として感じとらねばらない。……中略……

畏怖すべき神にとってかわってどの町とどの村が破壊され、誰が生き誰が死に、誰が難民となって廃墟をさまようなどという決定を、われわれは下すことができるのだろうか。……中略……

(このまま戦争を続行すれば)最終的には(演説している現在よりも)より多くのアメリカ人が殺され、より多くの金が国庫から消え、何十万単位でベトナム人が殺戮されることになろう。そしてかつてローマ帝国についてタキタスが言ったように、世界はわれわれに対してこう言うかもしれない。『彼ら(アメリカ人)は砂漠を作り、それを平和と呼んだ』と。(ボビー・ケネディのこの予想はボビーが暗殺された後、全世界のあらゆる生命にとって不幸なことに当たった。枯葉剤散布やソンミ村虐殺等。人権を掲げていたはずのアメリカの名は失墜した)(中略)

(ベトナム戦争に反対し、差別に怒り、平和と理想のある公正な社会を築こうと強く語るボビーは若者に人気があり)当時、政治家や議員、芸能人なども含めた中で全国の大学から一番多く公演を依頼されたのはボビーだった。それだけ(平和と理想を求める)学生たちが彼のメッセージに飢えていたのだ。

時間が許す限り、ボビーはそれらの依頼を受けたが、もちろんごく限られた数しかこなせなかった。

学生たちの反応は非常に興味深いものがあった。ボビーがスピーチを始める前は、彼らの表情は好奇心と期待感に溢れている。しかし、スピーチが終わった後は彼らの表情がまるっきり違うのである。なにかやらねばならないという決意のようなものがハッキリと彼らの顔に見え、格段にひきしまって見えたのだ。(中略)

それらのスピーチの中でも、1967年6月にニューヨークのフォーダム大学で行ったスピーチは、ボビーの哲学や信念が凝縮されていたといえる。今日の日本の若者に対して最も的確なメッセージであるとも思う。そのスピーチの中で彼は、まず世界がひと昔前に比べてずっと小さくなり、人間はどこに住もうともはや自分達だけのことを考えて生きてはいけない。一国の問題は全人類の問題であると定義付けて続ける。

「ニューヨーク市には差別があり、南アフリカにはアパルトヘイトがあり、ペルーの山奥には未だ農奴制が存在する。インドの街頭では人々が飢えで死に、ロシア(ソビエト連邦)では反体制派の人々が刑務所にぶちこまれる。インドネシアでは何千人という人々が虐殺されている。そして世界の富は(アメリカの軍産複合体を中心として)惜しげもなく軍備拡張にそそがれている。

これらはみな一様に悪であるが、所詮人間が作り出した(人間自身に責任のある)悪であり、人間の正義感の不完全さ、人間の慈悲心の欠落、他人の不幸に対するわれわれの感覚の欠如を反映しているに他ならない。故にわれわれは怒りと良心を持ってこれらの(人間が作り出し続ける)悪をとり除くという決意を分かち合わねばならない」

これらの言葉は当時より(ボビーが唱えた公正さと平和の連帯の理想が失われた)今日の世界により正確に当てはまるのではなかろうか。(中略)ボビーは語り、こう続ける。

「すべてが急変している今日、時代遅れの教義や使い古されたスローガンはもはや通用しない。(中略)

まず第一の危険は何をしようとも無駄であるという考え。無知、不正、暴力、苦悩などとこの世界が抱える問題に対して、ひとりの人間ができることは何もないという無力感(ニヒリズム)に溺れることは、戦う前に白旗を上げるに等しい。(中略)

(個人一人一人が良心を持って立ち上がり)勇気と信念に基づいた数限りない行動によって人類の歴史は形成されてゆく。一人の人間が理想のために立ち上がり、不正を攻撃し、苦しんでいる人々のために行動を起こすたびに、彼は希望のさざなみを送り出している。百万人が行動を起こせば(ベトナム反戦運動、公民権運動等、リベラル運動)、それらのさざなみは、いかなる迫害、いかなる抵抗をも突き破る津波となり、歴史をも変えてしまうエネルギーとなりうるのだ。(中略)

第二に危険なことは、(人道の危機に対して)さし当たっての必要性の前に希望や信条は妥協されなければならないという効率第一主義(誤った現実主義)だ。(中略)道徳的観念と価値観に裏付けられず、ただ目先の問題を(自己利益のためのみに)解決しようとするのは現実的ではないし、冷静に物事を見つめているともいえない。それは単なる思慮のない暴挙(エゴイズムの暴走)にすぎない。(中略)(道徳的観念と価値観を常に行動に持ち続ける)新しい理想主義こそ、『能率第一主義(誤った現実主義)はアウシュヴィッツの死のキャンプや血のブダペストに繋がり、(普遍的な全ての生命に対する)愛と理想だけがアクロポリスの丘(平和)を登りつめることができる』としった世代の後世に対する遺産なのだ。

第三番目の危険は、恐れである。仲間の不快を買い、他人の非難の的になり、社会ののけ者にされることを恐れない人間は少ない。道義的勇気というものは、戦場での果敢さや偉大なる知性よりもずっとまれなものだ。しかし、それは(不正を正してゆく)変化を恐れる人々の世界に新しい動きをもたらすための絶対不可欠な要素である。アリストテレスはわれわれに言っている。『オリンピックで栄冠を勝ちとるのは最も早く走り、最も強い人間ではなく、参加リストに名をつらねた者たちである。故に人生においても名誉と善をもって正しいことを行う者にのみ栄冠は与えられる。』

今、この時代に道義的戦いに参加する勇気を持っている者は世界いたるところにその仲間がいると私は信じている。

われわれの中で恵まれた者(諸権力を持つ人々)には四番目の危険が待ち受けている。それは安楽な生活への誘惑である。(諸権力を利用して)経済的成功や個人的野望を追求するという楽な道を選ぶ者は多い。しかし、それは歴史がわれわれ(諸権力を持つ人々)に与えた道ではない。……中略……いずれは(諸権力を持つ人々がその権力に見合う道義的責務を果たしたか否か)歴史という法廷で、新しい人間社会建設のためにわれわれがどれだけ努力し、どれだけの貢献をしたか問われるときがくるだろう。」(中略)

このスピーチからもうかがえるように、(公正への意志、正義感が強く、ノブレス・オブリージュの塊のような)ボビーは(勉強家でもあり)ギリシャ悲劇やギリシャ、ローマの歴史を精読し、よく引用していた。古典ばかりでなく、他の本も実によく読んでいた。ある時、集会(ベトナム反戦集会)で(ボビー・ケネディのスピーチが)ベトナムの子供たちがナパーム弾で焼き殺されていることに触れ、『世界中の真実を集めても罪のない赤子の涙一滴に値しない』と彼が言った時には、驚くと同時にうれしくなってしまった。私(落合信彦)の好きなドストエフスキーとカミュからの引用だったからだ。
(落合信彦「ケネディからの伝言」)

僕は若いときこの本を読んで涙が出まして、とても感動しました。僕はボビー・ケネディが好きなのですが、それはこの本を読んだからです。こういった公正への理想の意志を大切にしたいと思いました。革命とは、こういった公正への意志からこそ全ての生命にとって良きものとして生まれるのだと思います。

しかし、現在の日本では、ボビー・ケネディと全く反対の方向性を持つ、差別主義の保守政治家ウォルトのような政治家達に日本は支配され(自民党支配体制)にあり、その政治家達の御用学者の尖兵たる東工大教授にして、自民党の新自由主義者中曽根氏支持を唱え、社会福祉を一切切り捨てた最小国家論を唱え、新自由主義を唱え、貧しき人々を見殺しにすることをボビー・ケネディいうところの能率第一主義(誤った現実主義)で肯定し、公正への理想に反対し、人権・生存権を第一に唱える、僕と立場を同じくするロスジェネ論壇の人々を非難し『貧しき人々への共感を切断せよ』と唱えている東浩紀教授の一番弟子、藤田直哉氏から先日メールをうつ病になる以前から縁のあるしろうとさんというライターの方経由(しろうとさんとは昔からメールのやりとりあるので、藤田直哉さんからしろうとさんにメールが送られ、しろうとさんが転送してくる形で届きました)で頂きました。

そこには、東浩紀氏・ゼロアカに色々いいたいこともあろうが、僕の対応如何によっては、ギフト券を贈ってもやぶさかではないといったようなことが書かれていましたが、僕は、公正への信念を、如何に貧困に喘ごうとも、それだけは絶対に曲げるつもりはないし、東浩紀氏が新自由主義を唱え、貧しき人々への共感を切断せよと、ボビー・ケネディの政敵ウォルトのような発言をくり返し続ける限り、それに対する批判も行ってゆくということを、ここではっきりと宣言しておきます。僕は今現在大変に生活困窮しておりますが、だからといってダーティーな資金(僕の言説を歪める資金)は一円たりとも受け取る気はないです。

僕は、僕をギフト券、アフィリエイトで助けくださるご慈悲あるお方々に心から感謝しております。ご慈悲ある皆様方、無償で助けてくださっております。藤田直哉さんのように、交換条件の取引ではありません。言説と引き替えのような取引には一切乗らないということを、ここで宣言しておきます。無償で助けてくださる、真のご慈悲をお持ちのお方々に、僕は生命を持って、深く感謝しております。本当にありがとうございます。

藤田直哉氏はファイナルザクティ革命とか名乗って、一作品数十億円する現代の前衛TOPアーティストにして東浩紀氏の友人、村上隆氏と組んでいるようです。僕は無産で何も持ちませんが、ボビー・ケネディのように、公正さへの意志を信じます。現代美術の名の元に莫大な富を持つ外国人達とどんちゃん騒ぎする不公正な革命とやらに興味はありません。

僕は、落合信彦さんはとても良い師匠ボビー・ケネディに巡り合い、共に政治活動を行って過されたなと思います。落合信彦さんはボビー・ケネディのボランティアとして彼と一緒に活動していました。東浩紀教授の弟子である藤田直哉さんや峰尾俊彦さんや坂上秋成さん達は、東浩紀氏という、新自由主義を唱え、安楽な生活を送るための階級の固定化を齎すための『人間は他者に共感できない説』を唱える学者、自らの弟子である坂上秋成さんをイジメている動画(僕のPCは壊れているので、動画の音は聞こえませんが、動画の画像を見ることはできます)を公開している東浩紀教授を師匠としていること、それは人間として真に正しいと胸を張っていえることなのか、彼らにどうか真剣に考えていただきたいと、僕は心から思います。

最後に、ケネディからの伝言の最後を引用致します。

(ボビーがスピーチを終えた後)突然、三発の銃声(実際は八発だった)とともに怒号と悲鳴が聞こえた。冷水が全身に浴びせられたような感じで、一瞬私はその場に立ち尽くした。次の瞬間、周囲の人々を押し分けてボビーのいる方に走りよった。

ひとりの黒人が小さな男(ボビー・ケネディ暗殺犯サーハン)の上に馬乗りになって、拳を振りおろしていた。その黒人はルーズヴェルト・グリアーというプロ・フットボール選手で(身の安全に気を使わないボビーを心配して)ボビーの個人的ボディガードを買って出ていた。ののしりの言葉を吐きながら、彼はその男(暗殺犯サーハン)を殴り続けた。

そのそばではボビーがウェイターに頭をかかえられて横たわっていた。至近距離から八発の銃弾を撃ち込まれていたのである。

気がついた時、私は彼から一メートルぐらいのところに立って彼を見おろしていた。血染めのシャツと見動きもしない身体が全てをものがたっていた。

大きく開いたその両目は、あたかもこっちに向かって、『命というものはこうして使うのだ』と語りかけているようだった。

1968年6月6日、午前1時44分。ジョン・ケネディ亡き後、その夢と理想を再生でき得た唯一人の男、ロバート・フランシス・ケネディは四十二歳にしてこの世を去った。そして私の青春の一ページもまた閉じられた。

ボビーの遺体はロス・アンジェルスから大陸横断の汽車で東部に運ばれた。その汽車が西部のインディアン居留地を走り抜けていた時、一人の(インディアンの)少年が汽車に向かって立っていた。荒涼たる原野をバックに、その少年は板紙でできたプラカードを両手でしっかりと持っていた。そのプラカードにはこう書かれてあった。

「ボビー、プレイ・フォー・アス」(ボビー、僕たちのために祈ってくれ)
(落合信彦「ケネディからの伝言」)

書いていて涙がでてきました。東浩紀氏は自らの権力を振りかざせばなんでもできると思い込んでいるようですが、それはただ周囲にゼロアカとかいうおべんちゃら使いの取り巻きのイエスマンをならべているだけで、命を賭けてもそういった不公正な権力のいいなりにならない信念を持った人間がいることを知っておいた方がいいと思います。

(1992年6月23日、落合信彦はボビー・ケネディの墓参りに行き、ボビーの息子ジョセフと会った)
ジョセフに、彼の父が好んで使った言葉をぶつけてみた。Some men see things as they are and say,why.I dream things that never were and say, why not.(ある人々は現実を見て言う。なぜだ、と。私は不可能な(理想の)夢を見る。そして言う。やってみよう、と)

ジョセフの目がわずかにうるんだ。そして右手の親指を突き立てた。

「ライト・オン」(その通り)
(落合信彦「ケネディからの伝言」)

参考作品(amazon)
ケネディからの伝言 (集英社文庫)
キング牧師―人種の平等と人間愛を求めて (岩波ジュニア新書)
ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)
私には夢がある―M・L・キング説教・講演集
黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録 (集英社新書)
アメリカ黒人の歴史 (岩波新書)

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