2009年02月24日 13:51

精神科医の先生と患者の信頼関係について。私有財産と富の再分配について。貧困と生存について。

格差と貧困がわかる20講

昨日上がった熱が下がらず、喉が痛くて頭と身体が重くて、あまりキーを打てそうにないので、文章が思うように書けず、申し訳ありません。先日のエントリ(下記)でも書きましたNHKスペシャル「うつ病治療」、僕はこの番組は精神医学界の中の良くない先生の一部を強調しすぎているように思い、心配なところがあったのですが、心配の予感が的中して、精神科医のお方々がやっているブログと、僕のような精神病の患者がやっているブログの相互に対する批判がクローズアップされてきていて、とても危惧を覚えます。

河原和音「青空エール」、セルゲイ・ナカリャコフ「ノーリミット」、NHKスペシャル「うつ病治療」について。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/729659.html


あまり多く例をだすと良くないと思うので一例だけ出しますが、精神科医側の患者及び患者家族批判としては以下のようなブログなどがネットでクローズアップされてきています。

臨床してて思うこと(精神科)さん「大量服薬を繰り返す人で困ること」
http://blog.m3.com/moromoro/20080627/1

しょっちゅう大量服薬して近くの救急病院に運ばれる人がいる。
すぐにうちの病院に連絡がくるんだけど、
「自殺未遂」として正しい対処をすると、その患者さんはすごく怒る。
入院治療をしましょう、いったん家を離れましょうと勧めると、
「死ぬ気はなかったという自分の気持ちを何故わかってくれないのか」
「死にたいくらい辛いけど、死ぬ気はないんだ」
「もらった薬1週間分全部飲んだけど、たぶん死なないと思ってた」
「全部もう飲んじゃってないから薬ちょうだい」
そういって薬をもらって帰ろうとする。

そんな患者さんはたくさんいるわけじゃないけど、
精神科医ならみんな何人かは抱えていると思う。

誰でも10年以上精神科医をやっていれば、
「死ぬ気はなく」ても亡くなってしまうケースを知ってると思う。
明らかに夫を試すとか、周りに分かってもらいたいとか、
そんな気持ちで中等量服薬をしたケースでも
状況やタイミングが悪ければ、簡単に亡くなったりする。
だから、死ぬ気はないからもう大丈夫と言ったって、
数日でいいから落ち着くまで入院してほしい。
自傷って立て続けにおきるものだし。

こういうのを読むと、精神科医の先生と患者との信頼関係に影響があるんじゃないかと思い心配になります。精神科医の先生と患者の信頼関係というのが精神医学の治療において大切だと思います。僕は今の主治医の先生にとても感謝していて、先生がいなかったら今生きていないので、命の恩人です。

僕がうつ病になったとき、発作的に自殺しそうになっていて、緊急的に強い鎮痛剤と抗うつ剤をだしてくれて、うつ病の初期は抗うつ剤が効かなくて、調子が悪くて、すぐ酷い不安になってしまって耐えられなくて、病院に朝電話して、急患で診てもらえませんかということをお願いしたら、緊急ということで、予約が一杯入っているにも関わらず、診断してくれて、抗うつ剤を増やしたり、真夜中に調子が悪くなったときも電話で対応してくれて、頓服でだしている方のお薬を3錠飲んで横になって休んでくださいって言われて、それでなんとか生きのびてきました。

入院はお金がなくてできなかったのですが、電話でお金取らずに対応してくれて、急患でもいれてくれて、うつ病が酷くてとても大変なとき、生きながらえるお世話にとてもなりました。

抗うつ剤が効いてくるとそれまでに比べて格段と楽になって、うつ病のときはそれまで周囲に対して配慮とかできなかったのですが、周囲に一杯迷惑を掛けていたなあと思って申し訳ないという気持ちになって、それで気持ちが落ち込んだんですが、そのとき、診察していた先生が「良かったですね」と言ってくれて、僕が「えっ、何がですか?」って聞きなおすと、「前は感情が顔から消えていて心配していたんですが、最近、顔に表情が戻ってきましたよ」って良くなってますよってことを言ってくれて、僕はとても嬉しかったです。この先生は、本当に患者を治すことに親身になって治療してくださっているという思いで一杯になりました。僕は主治医の先生をとても信頼しています。

先のブログに書かれているオーバードーズなどの問題も、うつ病が少し良くなってきてから主治医の説明してくださいまして、先のエントリに書いた「難治性うつ病」のお話と関連するんですが、僕はうつ病が治らないんじゃないかって心配していた頃、丁寧に説明してくれて、『うつ病が治らないケースとして多いのは、患者さんが勝手に薬の量を調節して、飲まなかったり、沢山飲んだりすると、身体に良くない影響でて、病気が悪化したりしますので、逆に、そういったことをしなければ、良くなっていきますよ』と説明してくださって、それで実際にきちんと薬飲んでいたらよくなってきたので、とても信頼感を持っています。

オーバードーズの問題については、先のブログの精神科医の先生のように、上から命令したり、入院しろっていったりするのではなく、きちんと患者さんに冷静に、「薬の量を患者さんが勝手に調節すると病気はよくなりませんよ」と論理的に説明する(インフォームド・コンセントを行う)といいんじゃないかと、素人考えですけど、僕はそう思います。僕の主治医の先生はいつも冷静で、とても論理的に説明してくれます。僕が論理的でないことをくよくよ悩んでいると、きちんとそのことを論理的に指摘してくれるので、本来なら保険適用外の行動認知療法に近いことを診察時にしてくださっていて、本当に心が助かっています。

精神科に通っている患者は、僕を含めて、病気を一日も早く治したいから通っているのであって、その気持ちを汲んで、「お薬を処方通りに飲むことは、とても大切なことで、処方どおりに飲めば病気はよくなりますよ」ということを、きちんと論理的に説明すれば(インフォームド・コンセントを行えば)、オーバードーズの問題は解決に向かってゆくのではないかと思います。患者は、医学知識が精神科のお医者さんに比べて圧倒的に少ないので、自分の病気の不安が一杯です。きちんと説明してくれる先生に僕は運良く巡り合えて、本当に幸運だったと思います。

家族の問題については、僕は独身一人身生活なので、主治医の先生と僕で一対一で契約して治療を受けておりますので、詳しくはわかりませんが、成人患者の精神医学治療においては、精神科医と患者さんで一対一で治療するのが基本で、家族は介入しないのが不文律なのではないでしょうか。勿論、夫婦間のドメスティック・バイオレンスなどの問題においては、夫婦で治療するなど、精神疾患と家族の関係に関連性がある場合は、家族も受診することが重要だと思いますが、そういったことがなく、お薬を自分で飲めて、通院できるレベルの判断能力のある成人の患者さんの場合は、一対一で契約して一対一で治療を受けるのが精神医学のセオリーではないのでしょうか。精神科への任意入院ということであれば、成人患者の場合、患者さんが望めば入院で、患者さんが望まなければ入院しないというのが基本で、基本的に家族の意向とは関係ないのではないでしょうか。通院できるレベルの患者さんの自己決定に家族が過干渉してきてそれを精神科が受け入れるとか、僕は病院でもデイケアでも見たことも聞いたこともないです。複数の精神科医の先生が一致して自傷他傷の恐れありと判断した場合の措置入院の場合は、患者の自己決定より複数の精神科医による合同の判断が優先しますが、任意入院の場合は、精神科医の判断より、本人自身の判断が優先されると僕は主治医の先生から聞いております。ただ、僕は、あくまで僕の体験しか語れず、精神科について素人なので、間違っていたら申し訳ありません。

あと、入院の問題は、僕は、とても調子が悪かったとき、入院勧められたとき、僕としては入院したかったのですが、お金がなかったので入院費を払える目処がなくて入院できなくて、入院問題は、お金の問題(厚生労働省の社会福祉行政・医療行政の問題)が大きいのではないかと僕は思います。

あと、僕はお金がなくて最近出られませんが、まだ貯金が残っていた頃、デイケアに出ていて、人数が多い日は、統合失調症、躁うつ病、後は僕みたいなうつ病の患者さんで、大勢になりましたが、精神保健福祉士さんや臨床作業士さんや看護士さんに突っ掛ったり、お昼(デイケアはお昼代払えばお昼食べられます。デイケア・お昼代共に保険適用されます。)に薬を大量に飲む患者さんはいなかったです。だいたい、カードゲームしたり体操したり、後は大半はだらだらしてお喋りしたりしています。みんな互いに気を使っているので、数十回デイケアでましたが、喧嘩とか一度も見たことがないです。

余談ですが、統合失調症の人は頭の良い人が多い感じです。UNOなどのカードゲームやると、勝敗が、統合失調症の人が一番勝率が高く、次が躁うつ病、最後が僕みたいなうつ病の人という感じです。僕なんかは負けまくりです。閑話休題です。

あと、精神保健福祉士のお方も、保険適用内カウンセリングしてくださるのですが、保険適用内のカウンセリングは、NHKスペシャルでもやっていましたが「患者の言葉に傾注する」カウンセリングで、基本的に患者の話をよく聴くことで、患者をリラックスさせるカウンセリングです。患者とカウンセラーでやりとりをする認知行動療法は保険制度の関係で保険適用内の治療ではできないです。精神科医の先生のお方、精神保健福祉士のお方、カウンセラーのお方、看護士さん、皆様方が本当に大勢の患者さんの為に、一生懸命働いてくださっていて感謝の気持ちで一杯です。入院や行動認知療法、磁気療法などの色んなところで厚生労働省が財政を厳しくして、僕みたいな貧乏だと、どうしても治療に制限が掛かりますが、それは治療者・臨床の医療関係者のお方々の責任ではないと思います。責任があるのは医療に財政を投入してくれない財務省などの国家官僚達、また医療の制度作りを行う厚生労働省の官僚が行う医療行政の責任であると僕は思います。治療者のお方々は本当に治療を懸命にやってくれていると思います。先生も精神保健福祉士さんも看護士さんも休み無しでひたすら働いているので、とても頭の下がる思いです。

臨床の治療者・医療関係者は一生懸命命を助け病を治してくださっているお方々が、大多数であり、大勢いると思います。人々を助けるためにハードワークをこなしていて、本当に頭がさがります。一番の問題は臨床ではなく、厚生労働省、財務省、それら国家のシステム、富の再分配を否定して、貧乏な人には治療を受けなくさせる方向に進んでいる現在の政治及びビューロクラシー(官僚制)に最大の問題があると僕は思います。

本日の朝日新聞の朝刊で、一面丸々使って、富の再分配を説いたロールズの正義論を受け継ぎ、機会の平等ではなく、結果の平等を訴え、富の再分配を昔から主張してきたノーベル経済学賞の受賞者の学者さんのアマーティア・センさん(現ハーバード大教授)がインタビューに答えています。アマーティア・センさんは新自由主義とか規制緩和とか弱肉強食とか最小国家とか、ハイエクやノージック、日本では東浩紀氏のようなお金持ちの代弁学者・経済界御用学者達が主張する最小国家論などの思想に対して、「いい加減にしろ!!そんな思想は富の再分配を否定して大勢の人々を不幸にしているだけだ!!」という風に強く批判しています。アマーティア・センさんは昔から富の再分配を主張してきたのでとても説得力があります。アマーティア・センさんのインタビュー記事を引用致します。

アマーティア・セン
「政治力、所有物、経済手段などの巨大な不平等が世界に非対称性(貧困)を生み出したのだ。(中略)
市場経済体制はいくつもの仕組みによって動いている。市場(自由資本主義)はその一つに過ぎない。
なのに市場(自由資本主義体制)の利用だけを考え、国家や個人の倫理観を果たす役割を否定するなら、新自由主義は人を失望させる非生産的な考え方だということになる」

インタビュアー
――(小さな政府派・新自由主義推進派・構造改革派・規制緩和派であり、日本で言えば中曽根元首相や小泉元首相と立場を近くする)米国のレーガン大統領は「(大きな)政府は問題の解決策ではなく、(大きな)政府こそが問題だ」と主張しました。

アマーティア・セン
「愚かしい。確かに政府が(人々を抑圧する形態で)出しゃばりすぎれば問題だ。改革解放前の中国などがその例だ。
しかし、(富の再配分を行う)政府は解決でもある。(富を再配分する)国民皆保険制度を作るのは政府の役割だ。それ(富の再配分)は人々に幸福だけでなく自由をもたらす。健康でなければ、人は望むことも実現できない。識字教育だって公教育を通して実現される。国家の役割は社会の基盤を作る点で非常に大きい。
また国家は、金融機関の活動を抑制する点でも重要だ。早く儲けようとして(金融機関・投資機関が)市場を歪めるのを防がなければならない。米国は金融機関への規制を(新自由主義の名の下に)ほとんど廃止したので、市場経済は混乱(世界金融危機・世界恐慌)に陥った」

インタビュアー
――規制緩和は(米国でも日本でも)非常に良いことだと見られてきました。

アマーティア・セン
「その考え方にはとほうもない混乱(誤り)があった。つまり市場はとても生産的だから、それ以外は何もいらないというのだ(自由資本主義)。市場(自由資本主義)にできること(自由資本主義は弱肉強食の競争主義を行う)があればできないこと(市場を規制して市場の暴走を防ぐことや富の再分配などが自由資本主義にはできない)もあるし、国家が引き受けるべきこと(市場規制・富の再分配・機会の平等ではなく結果の平等、積極的差別是正措置Affirmative actionなど)もある。
こんな基本的なことが(新自由主義の名の下に)無視されてしまった。背景には「(私有財産権を公共の福祉の下に制限してリベラリズムを大切にする福祉重視の)国家は悪」という非常に強い右派(右翼)の政治思想(ハイエク、ノージック、東浩紀らの私有財産権のみを絶対とする最小国家論)があった。(右派・右翼の唱える私有財産権のみを絶対神格化し、富の再分配を否定する最小国家論は)理論というよりは衝動みたいなもので、思い込んでいる人は正当化の理屈を後から考える」(中略)

アマーティア・セン
「今重要なのは国家や宗教を超えて人々を統合する(他者への共感を重視する)グローバルなアイデンティティーだ。(自由資本主義の暴走に歯止めを掛けて富を再分配する)グローバルな諸制度を支えるためだけではない。(ハイエク派の右派・右翼が主張する私有財産のみ絶対権とする超個人主義的考え方と現実の世界の人間関係の在り方は違っており)現実に我々の行動が他者の生活に影響を及ぼすようになっているのだから。それにはまず、1人の人間がさまざまなアイデンティティーを持つことを認めなければならない。日本人で、ロンドン在住で、ジャーナリストでという具合に、人はいくつものアイデンティティーを持つ。居住地への愛着、母国への愛着、文化への愛着。どれも矛盾なく共存する」

インタビュアー
――いずれも争いごとの原因になりそうです。

アマーティア・セン
「争いごとは、様々なアイデンティティーの一つだけを特別視し、ほかを無視するから起きる。第一次世界大戦で争った欧州各国の人たちはみなキリスト教徒だし、ほかにも共通点が多かった。ところがナショナルアイデンティティーだけを特別視するから戦争になった。(歴史上最悪の戦争である)第二次世界大戦でもナショナルアイデンティティーがほかを吹き飛ばした。(中略)
グローバルなアイデンティティー(他者への共感意識)はだれにでもある。他者への基本的な同情心(共感)だ。道で転びそうになる人を見たら(どの文化に属する人でも)思わず支える。どこの国の人か、何教徒か、何語を話すか、助ける前に考えない。人間だから(普遍的なヒューマン・ネイチャー)としか言い様がない。人間としての(根底の)アイデンティティーとも言える。その理解を(世界的に)深めなければ」

インタビュアー
――どのようにして?

アマーティア・セン
「教育が重要だ。学校教育だけではない。たとえばメディア。どう(公平に)ニュースを伝えるか、どんな意見を紹介するか。それは教育的意味を持つ」

インタビュアー
――メディアもグローバル化しなければならないと。

アマーティア・セン
「新聞などはもっと自由になるべきだ。愛国主義的である必要はない」
(朝日新聞2月24日朝刊)

アマーティア・センさんと同様のことを先日お亡くなりになられた(ご冥福をお祈りいたします)加藤周一さんも仰っていたことを思い出しました。加藤周一さんはこう仰っていました。『熱烈な愛国者は隣人を愛さない。彼は国だけを愛する』。最近の、右派・右翼の論壇界での動きなどを見ると、アマーティア・センさんや加藤周一さんの仰っていたことは正しかったと思います。右派・右翼系論壇紙の「SPIO」とかもう酷い有様で『派遣村は詐欺』『生活保護は甘え』『首切られたら自業自得』『今こそ軍事力増強の時期』とか、なんだかもう、この雑誌、どんな人が読んで一体どのような共感してるんだろう?と心底から不思議に思わずにはいられない様相を呈しています。「SPIO」とか読むと(こんな雑誌絶対買わないので立ち読みです)アマーティア・センさんのいう『他者への基本的な同情心』とは真逆な方向にひた走っていて、加藤周一さんの言った『熱烈な愛国者は隣人を愛さない。彼は国だけを愛する』というのは実に真実の言葉であると思いました。

僕は無年金障害者で失業していて生活困窮していて、生活保護も跳ねられて受けられず、国から見捨てられているので、生きのびるのが極めて困難な状況にあり、日本国に義理立てする必要とか、全く一欠けらも感じません。むしろ、あくまで仮定の話ですが、第二次世界大戦直後みたいにどっかの国が日本を占領して貧困層に富を再分配してくれたら、少なくとも今の状況よりは生きのびることができてその方がとても助かります。現在の日本国の超新自由主義的様相では、生存が困難です。とても辛いです。生活苦は、精神科の治療ではどうにもならないので(僕がその話すると先生も困っていますので、とても申し訳ないと思います)、本当に辛いです。

最後に「格差と貧困がわかる20講」(日本がいかに巨大な格差と巨大な貧困の国家であるか、専門の学者の先生達が客観的なデータで詳細に検証している良書です)から湯浅誠さんの文章を引用致します。

(自由資本主義の弱肉強食社会では)人生がギャンブル化してしまうわけです。(自由資本主義を放置すれば現在の世界のような弱肉強食と運不運で全てが決定される反自由的な社会化が進み、ごくほんの少数だけが勝利して大金持ちになり、その他大勢は貧困に喘ぎ、餓死してゆく)。
私としては、全体としてそういう社会(私有財産権を神格化する自由資本主義至上社会)は止めようといった方が、自分自身(社会の大勢の人々)も生き残れる確率が高いのではないかと思っています。
上を見ればキリがありません。自分の能力は高い(自分は自由資本主義社会で勝ち抜ける)と思っていても、それ以上の人は山ほどいます。だから、自分の努力が報われるとは限りません。
逆に、下を見てもキリがありません。だから、自分の下にはまだたくさん人がいると自分を慰めても、自分の暮らしは楽になりません。
全体として楽になる社会、生きやすくなる社会にしていかないと、(ごく少数のお金持ち以外)みんなボロボロになるんじゃないかと心配しています。私はそのために活動しています。(中略)

貧困問題は、見えにくいのが特徴です。たとえば、借金を作って首が回らなくなった人(多重債務者)がいると聞くと、多くの人たちは「自業自得だ」と思います。しかし、借金をする人の一番の原因は生活苦であることが、日本弁護士連合会の調査で判明しています。借金はギャンブルや奢侈品の買いすぎによって起こっているのではなく、生活が苦しいために起こっているのです。(中略)その他、犯罪や児童虐待などにも、背後に貧困の問題のあることが判明しています。

これらの問題(生活苦、借金苦、精神病、自殺、不景気、犯罪等々)の背後に貧困があるのだとしたら、解決策は貧困を解消することによってもたらされるはずです。しかし、貧困が見えないと、原因が見えていないわけだから、間違った対処法(定額給付金などの誤った方向への財政投入や制度作り)を取ってしまいます。犯罪に対する厳罰化などはいい例です。貧困を背景にしている万引きなど犯罪に対しては、厳罰化はほとんど意味を持ちません。なぜなら、いくら厳罰にしたところで、塀の外で食べていけなければ、死なない限りはそうでもしなければ生きてゆけないからです(貧困者は法を守って飢えて死ぬか、食品の万引きなどで法に違反して犯罪者になるかの瀬戸際にいる)。このように、貧困が見えない(不可視)であるによって、社会は様々な弊害を被っています。効果のない対策(犯罪厳罰化や定額給付金等)にお金がつぎ込まれ、結果として税金の無駄遣いが行われているような場合もあります。(中略)

貧困の問題は、はるか昔から存在する、非常に難しい問題です。したがって簡単に解決できる魔法の近道はありません。しかし、(現在の日本のような)貧困を生み出し、放置する社会は弱体化してゆく。これは、少子高齢化問題一つを取ってみても明らかです。自分の子供が生活苦に陥る可能性がない社会(貧困層が増大し、実質的なセーフティネットが機能していない現日本国)で、誰が進んで子を産み育てようと思うでしょうか。

だからといって、非常に難しい問題ではありますが、何もできない、何をしても無駄というわけではありません。この間、ますます多くの人たちが関心を持つことによって、状況は、少しずつですが、(一部では)改善していく傾向も見られています。日雇い派遣のグッドウィルという会社が、働く人たちから不当に天引きしていた「データ装備費」の一部を(世論の意向を受けて)返還するようになったことなどは、その一例です。そうやって、一歩一歩間違ったことを改めていくことによって、私たちの社会が少しずつですが、住みやすい社会になっていくのだと思います。

自殺者が10年連続で3万人を超えるような社会は、異常です。(日本の自殺率はG7のTOP、また、20代及び30代の若年層の死因のTOPが自殺なのもG7の中で日本のみ)。それ一つを見ても、日本が世界的にも異常に生きづらい国だということがわかります。生きづらさは一人一人のせい(自己責任)ではないのです。(統計データとして諸外国と比較しても日本社会の異常な状況が出ている)。ここまで生きづらい国に暮らしているのだから、生きづらさを感じるのは、いわば当たり前です。(苦しんでいる人々の自己責任ではなく、日本社会が諸外国と比較して超新自由主義弱肉強食国家として非常に異常な格差・貧困状況下に統計データから見て陥っている)。

問題は、それをそのままにするのか(このまま自由資本至上主義を掲げて超新自由主義弱肉強食国家を続けるのか)、それとももっと住みやすく、生きやすい社会にするためにみんなが力を合わせるのか、という点にあるのだと思います。

実際にさまざまな活動や取り組みを行うためには、膨大なエネルギーが必要だし、時間も掛かります。そんな余裕はない、という方がふつうだろうと思います。自分を犠牲にする必要は勿論ありません。しかし、こういう問題があって、それを放置してはいけない、ということは知っておいていただければと思います。
(湯浅誠。「格差と貧困がわかる20講」20講目より)

僕は上記の湯浅誠さんの言葉に心から同感です。本書はとても良書と思います。ご一読お勧めするご本です。僕自身も生活苦で自分が借金して暮らすようになるなんて考えたこともなかったので、毎日、お金返せなかったらどうしようというのがお腹に重くあって辛いので読んでいてとても共感しました。

もういい加減、アメリカすらリベラルへ方針転換しているのにも関わらず、日本の右派右翼の政治家(小泉純一郎、中川秀直、小池百合子等)や右派右翼の御用学者(東浩紀等)だけが未だに新自由主義とか自由資本至上主義とか構造改革とか規制緩和とか最小国家とか私有権のみ絶対(富の再分配否定)とか唱えていて、もう止めてほしいです。僕はこの状況(富の再分配がされない状況)だと生存できません。僕以外にも、大勢の貧困層がこのまま新自由主義・構造改革が続くと命を奪われてしまうと思います。

なんで上記の一部の政治家、小泉純一郎、中川秀直氏や自民党のフィクサー中曽根大勲位(中曽根大勲位は新自由主義です)、読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆の渡邉恒雄氏(渡辺氏は中曽根氏の親友で、新自由主義を積極的にバックアップしました)、また最小国家論を唱え新自由主義を支援する学者東浩紀氏らが『私有財産権のみが唯一不可侵絶対神聖で、富の再分配はゆえに否定される、最小国家規制緩和新自由主義を推進せよ』などと唱えているのか全然分かりません。最小国家論・新自由主義などの自由市場と私有財産権のみを絶対化する考え方は生存権を無視した不平等と階級社会・格差社会を完全に肯定する反近代・反人権の封建的右翼思想、貧しい人々の生存権を侵害する思想であり、それは反近代・反人権の弱肉強食の社会化によって大勢の人々を苦しめる思想であると思います。アメリカも欧州も諸外国はリベラルに転換しているのに、日本は、新自由主義のまま、与党自民党のままです。辛いです。

僕みたいな私有財産がマイナス(生活困窮で借金で生活している)の人間にとって、私有財産権は毎日債務状態(マイナスの私有財産権状態、他者=クレジットカード会社の所有する私有財産権へ僕の生存権が私有財産優先の市場原理に従って譲渡されている状態)ですから、私有財産権は凄く重荷です。僕だけじゃなく、貧困生活苦で借金している人々(債務者)は、債権者の私有財産権優先の市場原理により債務者の生存権が奪われている形なので、とても苦しい辛い状態だと思います。

僕は失業していて、就職先も見つからず、今生きていられるのは、ご慈悲あるお方々のギフト券とアフィリエイト収入で生活しています。本当にありがとうございます。心から毎日感謝しております。言葉にできないほど、感謝しております。本当にありがとうざいます。

僕は現在の日本国、最小国家規制緩和新自由主義の現日本国からは完全に見捨てられている存在です。自民党与党政権やその御用学者たちに貧しい人々を救う気持ちは全く無いと思います。今のアメリカのように、今の欧州各国など他の諸外国のように、新自由主義を止めて、左派リベラルへ方針転換して、累進課税を上げ、消費税を引き下げる、貧困層に食料と住居の低額配給などの左派リベラル施策を行い、貧しい人々への社会福祉に富を再分配してほしいです。今の与党自民党の右派右翼の施策、大金持ちと企業のみを優遇する右派ネオリベラルの施策がこのまま続いたら、僕は生存できません。本当に助けてほしいです。毎日、生活費のことがあって火の車なのでお腹が重くて痛いです。生活苦は本当にとても酷く毎日辛いです。社会福祉への富の再分配を重視するリベラル施策に一日も早く日本国が方針転換してほしいです。

参考作品(amazon)
格差と貧困がわかる20講
人間の安全保障 (集英社新書)
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

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