2009年01月24日 00:12

口座に2800円しかないのに4000円の請求書がきてどうなるのか不安です。生活保護について。

ディキンスン詩集 (海外詩文庫)
山頭火句集 (ちくま文庫)

口座に2800円しかないのに4000円の電光熱費等の請求書がきてどうしようもないのでそのままにしているんですが、こういう場合どうなるのか始めてなので、どうなるかわかりません。電光熱費は滞納するといきなり止められるのか、猶予期間があるのか分かりません。いきなり止められるのでなければ、アフリィエイトで月始め(二月始め)には後払いで払えるのですが、月末前に引き落としなので、今のままだと口座残高が電光熱費未払いになったときどうなるのかよく分からないです。

もしも電気が止まったらネットから遮断されるのでお知らせをしておきます。更新が止まったら電気が止まったということで、更新不可能状態になります。申し訳ありません。手持ちの音楽CDとか売ればお金が少し作れるので、お金作って、電光熱費未払いにしないよう努力します。

先の更新より背中の痛みが酷く、たいへん気分が悪いです。あまり文章を書けず申し訳ありません。

海外詩文庫「ディキンスン詩集」から詩を引用してご紹介致します。

エミリー・ディキンスン
「苦痛は空白の要素をもっている」

苦痛は空白の要素をもっている
いつ始まったか
それは思いだすことができない
また苦しまない日が一日でもあったかどうかも

ただ現在でも未来をもたない
その無限は
過去を含む それがまた――
苦痛の新しい長さを思わせる

今の日本の景気状況だと、今年の三月末には数十万人という失業者の人々が発生すると思いますが、国は、失業して生活が困窮している人々に対しての対策を、どうか即急に打ち出して欲しいです。定額給付金二兆円とかばら撒くお金が国家財政にあるのなら、生活の豊かな富裕層の人々に更なる消費喚起の名目でお金(定額給付金)をばら撒くのではなく、低収入層・失業者の生活を生死から生へ救う為に使って欲しいです。生活保護は機能していないので、今年三月末に数十万人の失業者が発生したとき、間違いなくほとんどは保護を受けられず切り捨てられると思います。

日本の今の現状、生活保護が犯罪組織の闇資金などの腐敗の温床になっている大問題、本当に困っている人々が生活保護を受けられず、犯罪組織などがホームレスの人々を集めたりして不正受給をする問題などが横行しているのは、保護費を現金で支払っているからというのが一番大きいと思います。生活保護を現金支払いで生命を保護する現行の制度ではなく、最低限の電光熱費支援や食糧支援をフードチケットや電光熱費チケットの現金化不能の限定的なチケット配給のようなやり方で、本人確認が最初から最後までできるようにして、犯罪組織などが不正利用ができないようにして、きちんと本当に困っている人々全てに最低限の生を保障するようにして欲しいです。

このままだと、大勢の失業者(数十万〜)が餓死したり自殺したりする最悪の事態が日本に今年中に訪れると思います。国が貧困層の大多数を完全に見捨てて無限の苦痛の状態においている日本国の社会保障の状況は異常で、この異常状態を放置すれば、今年取り返しのつかないことになる、数万、数十万の人々が今年中に貧困死すると思います。社会保障を切り捨てて貧困層を見殺しにする時点で、今の日本はとても先進国と言える国ではない、前近代的な国家であると思います。

もう一つ、ディキンスンの詩を引用致します。

エミリー・ディキンスン
「酷い苦しみのあとに 堅苦しい感情がやってくる」

酷い苦しみのあとに 堅苦しい感情がやってくる
神経はいかめしく坐る 墓石のように
こわばった心はたずねる 「耐えたのはあのひと?
そして昨日? それとも幾世紀も前のこと?」

足は機械的に歩きまわる
地面でも空でも 所かまわない
ぎこちない動作
石に似た石英質の満足

今は鉛の時間――
もし生き残れたら思い起こされる
凍死するひとたちが雪を思いだすように
始めは寒気
次に麻痺
それから完全に気を失う――

僕の人生は、思えば、種田山頭火が残した言葉通りの人生でした。「無駄に無駄を重ねたような一生だった」(種田山頭火。「人間臨終図鑑より)心の底から自分に対して深い虚しさを感じます。

「種田山頭火」
明治二十五年、十歳のとき、母親が井戸に身を投げて死んだ。(中略)大正五年、当時運送業を営んでいた家が破産し、父は行方不明になった。彼は熊本に逃げ出して額縁店を開いたが、彼みずから「なまけもの也、わがままもの也、きまぐれもの也、虫に似たり」と自重したように、通常の生活を営む能力も意欲もない男であった。(中略)
(額縁店は失敗し、その後も失敗ばかりの転落人生を歩みながら)大正十五年四月、四十四歳で一鉢一傘の乞食僧として放浪の旅に出た。それは尾崎放哉がやはり放浪のはてに小豆島で餓死に近い死をとげた同年同月のことであった。(中略)
山頭火は(悟りを開いた)放哉と異り、(最後まで)完全に人の世や、なまなましいおのれの欲望を断ち切れないで苦しんだ。
(山田風太郎「人間臨終図鑑」)

僕もとても悟れそうにはないので、種田山頭火には深い共感を覚えます。まさに僕は、「なまけもの也、わがままもの也、きまぐれもの也、虫に似たり」ですし、「無駄に無駄を重ねたような一生だった」と後悔しながらいずれ死ぬように思います。

参考作品(amazon)
ディキンスン詩集 (海外詩文庫)
山頭火句集 (ちくま文庫)
山頭火のぐうたら日記
種田山頭火の死生―ほろほろほろびゆく (文春新書)
人間臨終図巻〈1〉 (徳間文庫)
人間臨終図巻〈2〉 (徳間文庫)
人間臨終図巻〈3〉 (徳間文庫)

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