2009年01月18日 18:30

お心遣い頂き、深く感謝します。「シベリウス:悲しきワルツ」音楽の奥深さについて。

グリーグ:ペール・ギュント/シベリウス:悲しきワルツ他

体調不良が続いておりますが、ギフト券でお心遣い頂き、生活とても助かり、深く感謝しております。ありがとうございます。お礼申しあげます。

体調は、先日より寝込みながら一進一退で、肉体的には痛みがありますが、気持ち的には、とてもどんよりとしたダウンした心境で、シベリウスの「悲しきワルツ」のような沈んだ心境です。あまり文章が書けそうになく、申し訳ありません。

僕のよく聴いているシベリウス「悲しきワルツ」は、1967、BPO、カラヤン指揮ですが、カラヤンのこの頃(1960年代)、日本の小澤征爾さんがカラヤンのお弟子さんになっていて、その頃のカラヤンのシベリウスについて語っているので、ご紹介致します。

小澤征爾
「(ヨーロッパに渡航してシャルル・ミュンシャのところで学んだ後)カラヤン先生の内弟子になるためのテストにも受かって半年間教えられたの。カラヤン先生は内的でね。棒なんかどうでもいいというようなことをいうわけよ、本当に。僕が立っている指揮台の真下の椅子に腰掛けて、背後から睨むようにして。シベリウスのシンフォニーの終り、ターリーラー、ラーリーラーがあるでしょう。僕が一生懸命に振っていると「セイジ!振りすぎる」棒なんかどうでもいい、流れがあればいい。精神が終りまで持続すればいい、じーいっと立っていればいい、そういう禅問答みたいなことを半年間ぐらいやられたんだよ。彼からは手の動かし方、スコアの読み方は勿論、音楽のキャラクターの作り方を教えられた。そして演奏を盛り上げるには、演奏家の立場よりも聴衆の心理状態になれ、理性的に少しずつ盛り上げて行き、最後の土壇場に来たら、全精神と肉体をぶつけろ!そうすれば客もオーケストラも自分自身も満足する、ということを教えられた。」
(小澤征爾・武満徹「音楽」)

シベリウス以外にも、カラヤン指揮の曲々には、引いて引いて引いて、凝縮した後、一気に押して盛り上げるところが大きいので、ここで、小澤征爾さんが言っていることはとてもよく分かるなあと思います。

指揮者は立体的に演奏をパーフェクトに創りあげていくタイプと、演奏をエンタテインメント的に緩急つけて爆発させるタイプがあって、例えば、ワルター指揮のモーツァルト交響曲とカラヤン指揮のモーツァルト交響曲なんか聴くとそれがよくわかる感じです。ワルターのコロンビア交響楽団指揮のモーツァルト交響曲第36番リンツとか、モーツァルトのパーフェクトとしか云い様がない演奏ですが、聴き比べるとカラヤンのモーツァルトは、ワルターに比べると音楽の立体感が低いけれど、とにかく盛り上げようとしているのが分かる感じです。

同じ曲でも指揮者によって全く違う解釈されるので、色々な指揮者を聴き比べてゆくと、音楽の楽しみはより奥深く広がってゆくと思います。

参考作品(amazon)
グリーグ:ペール・ギュント/シベリウス:悲しきワルツ他
モーツァルト : 交響曲第36番「リンツ」第39番
モーツァルト:交響曲集
音楽 新潮文庫

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