2008年06月19日 09:55
同人ゲーム れーずンPie「twin soul」 −素晴らしい同人ゲーム−
れーずンPie公式サイト(twin soul)
ドラゴンクエスト関連作品
エロゲ総合一覧
これ、私がやってきた同人ゲームの中でも、最高にいいゲームで、紹介しよう、紹介しようと思いながらなかなか紹介できなかった作品、本当にいい同人ゲームです。ドラクエ4のパロディ同人なんですが、世界観的にオリジナルを超えていると思いました。ドラクエの最大の謎である、「なぜ人間と魔族(モンスター)はあい争わなければならないのか」ということに、オリジナルよりも、確りした根幹的な意味性を与えている。魔王という悪い奴がいて人間達を攻め滅ぼそうとするからとか、そういう何かを悪党に仕立て上げるような戦いの意味性じゃないんですよ。グレゴリイ・ベンフォードってSF作家がいまして、有機生命と機械生命が無限にあい争う宇宙戦争世界観の作品群を書いているんですが、それに近い。それは、根本的な存在の差異として描かれている。
ベンフォードの小説だと、有機生命は、主的な志向性が他者に向けられているんですね。ゆえに、争いも起きれば、信頼とか、友情とか、愛情のような共同の発展も目指してゆくことができる。機械生命は、主的な志向性は自己の発展に向けられているんですね。自己を無限に向上させることが主目的で、全てはそのための道具に過ぎない。そして、ちょうどこの同人ゲームで描かれる、ドラクエ世界の人間と魔族も同じです。この同人ゲームの世界の人間もとんでもない過ちを犯していて悲劇を沢山起こしているんだけど、それを悔やんだり、もう起こさないようにするために決意したり、また、敵対する相手を許したり、友達と友情を結び、愛する人と愛し合うことができる。この世界の魔族にはそれがないんですね。この世界の魔族の目的は自己の発展で、自己を無限に高める、他者はそのための道具に過ぎないんですね。だから、それぞれの力は魔族は人間を遥かに凌いでいるのだけれど、人間は魔族(モンスター)に比べて遥かに脆弱なのだけど、皆で協力して、信頼して、友情や愛情で、共に戦う人間に、なかなか魔族は勝つことができない。ドラクエの世界観をここまで深めている作品、私は始めてプレイして、凄く感動したな…。とても良かった…。
主人公の魔族の女の子は、人間の過ちによって生み出された魔族の子で、人間と魔族、両方の心、twin soulを持っているんですね。その子が、人間側を滅ぼす為のスパイとしてドラクエ4の勇者の陣営(この勇者達も色々背負っています…)に仲間として潜り込むことになるんですが、彼らとの触れ合いのなかで、彼女は心揺れながら、自分の道を歩んでいく物語です。本作18禁ゲームで、勇者パーティは全員女性なので、恋情・愛情の絡むエロティックなシーンはレズビアンエッチです。信頼感みたいのがあるエロシーンでなかなか良かったです。後は、魔族にパーティが凌辱されてしまうシーンもありますが、これは、主人公の魔族の女の子が、果たして自分はどう生きるべきか、ということに密接に関わっていて、心揺さぶられます。
人間でも魔族でもなく人間でも魔族でもある主人公の女の子の悩みと生き様を通して、物凄く古典的な、王道な、そして決して古びない、自らの裡なる善悪と如何にして戦うべきか、ということを、凄く一生懸命描いている作品です。本当に凄くいい作品です。同人ゲームの人気作ということでは、「ひまわり」が大人気でして、ひまわりもとてもいい作品ですが、この作品も、本当にとてもいい作品です。いい作品であること、私、心から思います。どうか、プレイして欲しい作品です。外なる善悪ではなく、裡なる善悪と戦うことを、描いています。そして、魔族の悲しみ…。人間と戦い続けて、人間に近しくなった魔族が、もし魔族が人間のような信頼や愛情や友情を持てば、魔族は魔族でなくなってしまうといって、最後まで自らの力で戦うことを選ぶ…。本当に良い作品、お勧めです。
裡なる戦いを描く作品は、本当の戦いを描く作品なのだと、思います。
twin soulのどちらを選ぶかは、個々の魂に委ねられているということが述べられています…。
参考リンク
れーずンPie公式サイト(twin soul)
参考作品(amazon)
ドラゴンクエスト関連作品
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グレゴリイ・ベンフォード著作一覧
エセンシャル・ユング―ユングが語るユング心理学
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これ、私がやってきた同人ゲームの中でも、最高にいいゲームで、紹介しよう、紹介しようと思いながらなかなか紹介できなかった作品、本当にいい同人ゲームです。ドラクエ4のパロディ同人なんですが、世界観的にオリジナルを超えていると思いました。ドラクエの最大の謎である、「なぜ人間と魔族(モンスター)はあい争わなければならないのか」ということに、オリジナルよりも、確りした根幹的な意味性を与えている。魔王という悪い奴がいて人間達を攻め滅ぼそうとするからとか、そういう何かを悪党に仕立て上げるような戦いの意味性じゃないんですよ。グレゴリイ・ベンフォードってSF作家がいまして、有機生命と機械生命が無限にあい争う宇宙戦争世界観の作品群を書いているんですが、それに近い。それは、根本的な存在の差異として描かれている。
ベンフォードの小説だと、有機生命は、主的な志向性が他者に向けられているんですね。ゆえに、争いも起きれば、信頼とか、友情とか、愛情のような共同の発展も目指してゆくことができる。機械生命は、主的な志向性は自己の発展に向けられているんですね。自己を無限に向上させることが主目的で、全てはそのための道具に過ぎない。そして、ちょうどこの同人ゲームで描かれる、ドラクエ世界の人間と魔族も同じです。この同人ゲームの世界の人間もとんでもない過ちを犯していて悲劇を沢山起こしているんだけど、それを悔やんだり、もう起こさないようにするために決意したり、また、敵対する相手を許したり、友達と友情を結び、愛する人と愛し合うことができる。この世界の魔族にはそれがないんですね。この世界の魔族の目的は自己の発展で、自己を無限に高める、他者はそのための道具に過ぎないんですね。だから、それぞれの力は魔族は人間を遥かに凌いでいるのだけれど、人間は魔族(モンスター)に比べて遥かに脆弱なのだけど、皆で協力して、信頼して、友情や愛情で、共に戦う人間に、なかなか魔族は勝つことができない。ドラクエの世界観をここまで深めている作品、私は始めてプレイして、凄く感動したな…。とても良かった…。
主人公の魔族の女の子は、人間の過ちによって生み出された魔族の子で、人間と魔族、両方の心、twin soulを持っているんですね。その子が、人間側を滅ぼす為のスパイとしてドラクエ4の勇者の陣営(この勇者達も色々背負っています…)に仲間として潜り込むことになるんですが、彼らとの触れ合いのなかで、彼女は心揺れながら、自分の道を歩んでいく物語です。本作18禁ゲームで、勇者パーティは全員女性なので、恋情・愛情の絡むエロティックなシーンはレズビアンエッチです。信頼感みたいのがあるエロシーンでなかなか良かったです。後は、魔族にパーティが凌辱されてしまうシーンもありますが、これは、主人公の魔族の女の子が、果たして自分はどう生きるべきか、ということに密接に関わっていて、心揺さぶられます。
人間でも魔族でもなく人間でも魔族でもある主人公の女の子の悩みと生き様を通して、物凄く古典的な、王道な、そして決して古びない、自らの裡なる善悪と如何にして戦うべきか、ということを、凄く一生懸命描いている作品です。本当に凄くいい作品です。同人ゲームの人気作ということでは、「ひまわり」が大人気でして、ひまわりもとてもいい作品ですが、この作品も、本当にとてもいい作品です。いい作品であること、私、心から思います。どうか、プレイして欲しい作品です。外なる善悪ではなく、裡なる善悪と戦うことを、描いています。そして、魔族の悲しみ…。人間と戦い続けて、人間に近しくなった魔族が、もし魔族が人間のような信頼や愛情や友情を持てば、魔族は魔族でなくなってしまうといって、最後まで自らの力で戦うことを選ぶ…。本当に良い作品、お勧めです。
裡なる戦いを描く作品は、本当の戦いを描く作品なのだと、思います。
人間の本性は測り知れない悪を抱えうる。したがって、人がそれを経験し、こころがその判断と分化を行う限り、悪行は善行に劣らず現実的なのだ。無意識だけは善と悪の区別を行わない。こころの領域では、正直にいってどちらが優勢なのか分からない。われわれはただ自分自身に相応しいと思えるもの、すなわち善が優勢であって欲しいと願うしかない。おそらく誰も善が一般的にどんなものか述べられないだろう。われわれの道徳的判断の相対性や誤謬性がいかに洞察を深めようとも、この欠陥から解放されることはない。自分は善悪を超越したと思っている人は、たいていの場合、人類にとって最悪の苦悩をもたらす人であり、彼ら自身が、自分の病がもたらす苦痛と恐怖に歪められている。
自身の内に潜む悪の危険性を見過ごしてはならない、ということが今日ほど重要な時代はほかになかった。不幸なことに、悪にはあまりに現実性があり、それゆえ心理学では、悪の実在性を主張せざるをえず、悪が些細なことで、現実には非存在だとする定義はすべて受け入れられない。心理学は経験科学であり、さまざまな現実を扱う。したがって、一心理学者として、形而上学のなかに紛れ込もうと私は思わないし、またそうする能力もない。ただしかし、形而上学が、経験的世界にそぐわない仕方で経験に進入し、解釈する場合、議論せざるをえないのだ。私が〈善の欠如〉が誰の目にも明らかなように〈先決問題要求の虚偽〉だと分かるのであり、最後に導き出される結論がかならずはじめに挿し入れておいた内容になっている。この手の議論は何ら説得力を持たない。しかし、こういう議論が行われていただけでなく、疑いもなく信じられていた事実(善を願う信仰)は、そう簡単に捨てきれないであろう。そもそものはじめから、適切か不適切かは問題外として、力の及ぶかぎりあらゆる手段を講じて「善」に優先権を与えようとする傾向が我々にはある、ということがそこから理解される。それゆえ、キリスト教神学が〈善の欠如〉にあくまでこだわるとすれば、つねに善を増し悪を減少させようとするその傾向が現れているということになろう。それならば〈善の欠如〉ということも形而上学的に真理なのかもしれない。この件については判断を控えることとしよう。ただ、われわれ(個々人の裡なる心理)の経験領域では、白と黒、光と闇、善と悪などは、つねに互いを前提とする、価値の等しい対立するもの同士である、と主張するにとどめたい。
(ユング「対立するものと自己」「エセンシャル・ユング」より)
twin soulのどちらを選ぶかは、個々の魂に委ねられているということが述べられています…。
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れーずンPie公式サイト(twin soul)
参考作品(amazon)
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