2008年06月16日 21:08
- PERSONA -trinity soul- 心の傷と癒し
DVD「ぺルソナ トリニティ・ソウル」
僕の大好きなアニメに「- PERSONA -trinity soul-」っていうアニメがあります。このアニメの素敵なところは、一般的なヒロイック・ファンタジー(超越的力を持った善玉と悪玉が一般人おいてけぼりで戦う)とは違い、主人公側も、敵側も、そしてごくごく一般的な人々として描かれる人も、みんな、一人一人生きている人間として描かれていて、みんな、みんな、傷を負っているんですね…。僕、これを見てるとよく泣いちゃって…。
僕は、凄い力を持った善玉と悪玉が戦って、その余波で一般の人が大勢死んだり傷ついたりしているのに、それを全然気にも留めないような善玉を善玉だとは思っていません。僕はそういうとき、あの爆発で転がったバスの人どうなったのかな、ビルの人はどうなったのかな、みたいなことがどうしても頭に残ってしまいながら画面を見ています。この前、18禁ゲームで「G線上の魔王」という作品をプレイしたときは、主人公達の個人的な因縁で、街の人々が虐殺されているのに、主人公達が全然気にしていなくて、その後も全くケアがなく放置されていて、凄く吃驚しました。でも、こういう作品、沢山あって、有名どころでは、TYPE-MOONのゲーム「Fate-stay night」でも、桜シナリオで虐殺された街の人々も同じように放置されていました…。
僕は、こういうゲームやると、いくら主人公とかが正義感ぶったって、自分の仲間だけが大切で、他の人間を塵芥のようににしか見ないんじゃ、それは、人間として一番ダメな見方だと思います。
僕の好きな主人公に、これも18禁ゲームですが、クロックアップ「Zwei Worter」というゲームのイズモ・キョウシロウという軍人がいます。彼は、戦争で被害を出すことを、どうしても割り切れない軍人です。自分の全力を持って人々を守ろうと一生懸命戦って、それでも被害を出してしまったとき、どうしようもなく、苦しんで、沢山沢山、傷を負って、そしてそれでも自分にできうるかぎり全てで人々を守ろうとする優しい強さを持っている。僕は、彼に共感できるとプレイしていて思いました。彼は、なんといったらいいかうまく云えないけど、いい奴です。
「- PERSONA -trinity soul-」の人々、主役達だけじゃなくて、でてくる全ての人々に、そういう、傷を持って生きている人間の脈動みたいなものを僕は感じます。それは、他の人に対する優しさとして現れて、少しずつ心の傷にかさぶたが生まれていく…。
心的外傷の研究で最も基本的なものであるジュディス・L・ハーマンの研究(心的外傷と回復)によると、心的外傷、傷つけられた心を最後に回復するものは、他者との絆、自分から人への優しさ、自分からの支援などだと云います。人(見知らぬ人も含めた、世界で一緒に命が生きている、我々みんな共世界の生命)に優しくし、人を助けることが、傷ついた心を救ってくれる。感謝と喜びによって、社会との絆を取り戻すことが、最後の大切な回復なんだそうです。
これはかなり大人しめに書いてありますが、ジュディスの文章はいつももっと情熱的で、読んでて、その強さに、僕は本当に尊敬します。心から、敬意を覚える…。
僕は「- PERSONA -trinity soul-」の人々が、一生懸命、傷を負いながらもジュディスのようにみんなを助けようと頑張っているように見えます。本当の優しさを感じます。僕はこの作品が、とても好きです。僕は弱い人間ですが、それでも、できたら主人公達のように勇気を出して優しくなりたいと、できたらいいなと、いつも思っています。
DVD「ぺルソナ トリニティ・ソウル」
ペルソナ ~トリニティ・ソウル~ Vol.1 【完全生産限定版】
ペルソナ~トリニティ・ソウル~ Vol.2
ペルソナ~トリニティ・ソウル~ Vol.3
ペルソナ~トリニティ・ソウル~ Vol.4
ペルソナ ~トリニティ・ソウル~ Vol.5
ツヴァイウォルター
くろふぁん4GHz
心的外傷と回復
精神医学の名著50
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僕の大好きなアニメに「- PERSONA -trinity soul-」っていうアニメがあります。このアニメの素敵なところは、一般的なヒロイック・ファンタジー(超越的力を持った善玉と悪玉が一般人おいてけぼりで戦う)とは違い、主人公側も、敵側も、そしてごくごく一般的な人々として描かれる人も、みんな、一人一人生きている人間として描かれていて、みんな、みんな、傷を負っているんですね…。僕、これを見てるとよく泣いちゃって…。
僕は、凄い力を持った善玉と悪玉が戦って、その余波で一般の人が大勢死んだり傷ついたりしているのに、それを全然気にも留めないような善玉を善玉だとは思っていません。僕はそういうとき、あの爆発で転がったバスの人どうなったのかな、ビルの人はどうなったのかな、みたいなことがどうしても頭に残ってしまいながら画面を見ています。この前、18禁ゲームで「G線上の魔王」という作品をプレイしたときは、主人公達の個人的な因縁で、街の人々が虐殺されているのに、主人公達が全然気にしていなくて、その後も全くケアがなく放置されていて、凄く吃驚しました。でも、こういう作品、沢山あって、有名どころでは、TYPE-MOONのゲーム「Fate-stay night」でも、桜シナリオで虐殺された街の人々も同じように放置されていました…。
僕は、こういうゲームやると、いくら主人公とかが正義感ぶったって、自分の仲間だけが大切で、他の人間を塵芥のようににしか見ないんじゃ、それは、人間として一番ダメな見方だと思います。
僕の好きな主人公に、これも18禁ゲームですが、クロックアップ「Zwei Worter」というゲームのイズモ・キョウシロウという軍人がいます。彼は、戦争で被害を出すことを、どうしても割り切れない軍人です。自分の全力を持って人々を守ろうと一生懸命戦って、それでも被害を出してしまったとき、どうしようもなく、苦しんで、沢山沢山、傷を負って、そしてそれでも自分にできうるかぎり全てで人々を守ろうとする優しい強さを持っている。僕は、彼に共感できるとプレイしていて思いました。彼は、なんといったらいいかうまく云えないけど、いい奴です。
「- PERSONA -trinity soul-」の人々、主役達だけじゃなくて、でてくる全ての人々に、そういう、傷を持って生きている人間の脈動みたいなものを僕は感じます。それは、他の人に対する優しさとして現れて、少しずつ心の傷にかさぶたが生まれていく…。
心的外傷の研究で最も基本的なものであるジュディス・L・ハーマンの研究(心的外傷と回復)によると、心的外傷、傷つけられた心を最後に回復するものは、他者との絆、自分から人への優しさ、自分からの支援などだと云います。人(見知らぬ人も含めた、世界で一緒に命が生きている、我々みんな共世界の生命)に優しくし、人を助けることが、傷ついた心を救ってくれる。感謝と喜びによって、社会との絆を取り戻すことが、最後の大切な回復なんだそうです。
(傷の癒しの途上にある)サバイヴァー(心が傷ついた人)は、しかるべきときは他者を信頼し、そうでないときは信頼を撤回するということができる。過去に受けた残虐行為は帳消しにすることはできないが、それを超越する方法はある。それは、自己の被害体験を他者への贈り物とすべく、公衆の意識を高めることに献身することである。例えば、自分と同じに被害者になった人々を各方面において救済し、あるいは将来被害者がでないようにし、あるいは加害者を法廷に引き出そうとすることである。社会との絆の取り戻しは、「私は一人ではない」という発見をもって始まる。この体験にもとづいて生存者がグループを形成すれば、互酬的な集団有力化の場とすることができる。生存者(サバイヴァー)の回復における治療者の役割は、オープンで共感的な聞き手であり、犯罪の証人=目撃者であることである。治療者は生存者を救済しようとしたり、コントロールしようとしたりしてはならない。独りで外傷と取り組める治療者はいない。治療者は孤立することなく、自分自身にも良質のケアを供給していかねばならない。
(「精神医学の名著50」より、ジュディス・L・ハーマンの項目)
これはかなり大人しめに書いてありますが、ジュディスの文章はいつももっと情熱的で、読んでて、その強さに、僕は本当に尊敬します。心から、敬意を覚える…。
多くの(被害者をケアする)臨床家が対処するすべを身につけなくてはならなかった脅迫と嫌がらせの戦術こそ、長年に渡って、女性、児童、およびそれ以外の被圧迫者の弁護に立った草の根の人達が耐え忍んできたものと同じやり口である。傍にいあわせた者の立場にある私達は、暴力の被害者達が日々奮い起こしている勇気のかけらでも私達の中にあるのかないのか、自分の中を覗き込んでみるべきである。
攻撃のあるものは全く愚劣そのものである。多くは実に醜い。むろん、恐ろしさにふるえながらであるが、こういう攻撃は、目に見えないところで、治療関係の力をむしろ強化している。それは、私達が、被害者がその真実を語れる保護的空間を創造することが一つの解放行為であることを思い出させてくれる。また、被害者と加害者との間の闘争には道徳的中立という選択肢がないことも思い出させてくれる。傍にいあわせたものは皆そうであるが、治療者も、時にはどちらの側に立つかの選択を強いられる。被害者の側に立つ者は、加害者のむき出しの怒りに直面せざるえない。これは避けられないことであるが、私達の多くにとって、これ以上の名誉があろうか。
(ジュディス・L・ハーマン「心的外傷と回復」)
僕は「- PERSONA -trinity soul-」の人々が、一生懸命、傷を負いながらもジュディスのようにみんなを助けようと頑張っているように見えます。本当の優しさを感じます。僕はこの作品が、とても好きです。僕は弱い人間ですが、それでも、できたら主人公達のように勇気を出して優しくなりたいと、できたらいいなと、いつも思っています。
俺は惚れた女はなかせねぇ
自分を信じてくれる奴をうらぎらねぇ
(- PERSONA -trinity soul-)
DVD「ぺルソナ トリニティ・ソウル」









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