2008年08月04日 21:10

音楽が聴けなくなり心身共に大変な1日でした。胸の裡の聖性について。

今日は暑くて、朝から酷く調子が悪く、午後になって更に悪化し、大変な1日でした。

僕は冷房器具が十五年ぐらい前のボロボロの扇風機と十年ぐらい前の安い冷風機(エアコンではなく床に置くタイプです。フィルターがぶっ壊れててもう何年も替えられません、音がうるさいだけで冷房能力は扇風機と対して変わりません)しかないのですが(エアコンはありません)冷風機の様子がおかしくて、どんなに使っても満水ランプがつかないから変だと思っていたんですが、うつ病の始めの頃、排水タンクを入れ替えて、それを間違えて前後逆にいれてたみたいで、冷風機の周りが水びだしになっていることに今日の朝気づいて、急いで冷風機を動かしたら、転ばしちゃって、水がバチャーンってパソコンとその周りに掛かって、急いで全部ふき取ったのですが、パソコンはなんとか動いたんですが、水を諸に受けた外付けのDVDドライブ(DVR-21U2っていうこれも何年も前に買った奴です)とかこわれちゃったみたいです。どうやっても動きません。それで、ミニコンポもCDラジカセも売って、PCのCDドライブは壊れてて(これはずっと昔から壊れています、1000回くらいイジェクトボタンを押してやっと1回ドライブが開くかどうかという、ドライブがほとんど開かない壊れ方しています)、外付けのDVDドライブから音楽CDを聴いていたんで、もう音楽を聴くことができなくて、大ダメージで心身ともに非常に調子が悪くなりました。頓服用の薬を何錠か飲んで寝込みました。

冷風機運んでいるとき、焦っていて変な運び方しちゃって、良くなりかけていたギックリ腰が再発してしまい、行こうと思っていた心理療法の治療にも行けなくて、物凄い不安と憂鬱と焦燥に襲われて、扇風機回しても暑くて暑くて、暑くて脱水しているのか、また感覚のない酷い強烈な発作が襲ってきて、急いで病院連絡して見てもらおうかと思ったんですが、動けなくて、土日ではないですから家族にも頼れなくて(仕事中)、ずっと家の中で熱中症みたいな状態で倒れてて、頑張って猫に餌あげて糞の始末だけして、ずっと寝込んでいました。部屋が暑いので猫もずっとぐったりしていました。

暑くて心身の状態が酷いのは辛いですが、音楽が聴けないのが一番辛いです。もう何も聴けません。絶望的です。10年ぐらい前に買った携帯用のCDプレイヤーがあるんですが、これも壊れていて、CDがあっても聴く機械がありません。

寝込みながら蒸し焼きにされるような暑さと腰の痛みの辛さと不安と焦燥の苦しさのなかで「いつの世も歓びは悲嘆をもって終わるものである」というニーベルンゲンの歌の最終章の言葉を思い出しました。不眠で眠れないので、クラシック音楽だけが心の支えで、PCにスピーカー繋いでモニタ切って聴いていたので、聴けないのが辛いです。
それでもなんとか、ギフト券贈ってくれた方々のおかげで、ファイバーインゼリーが飲めて、命を繋ぐことができました。本当にありがとうございます。

貧困と病というのは『全てを奪っていく』ものだということを、今日はとても強く感じました。もう、僕には何もないと感じます。猫のために生きている感じです。

うつ病で寝込んでいるときも、これまでは音楽があったから、寝込みながら美しい音楽を聴いていると、自分の中に聖なるヒロイン、AIRの神尾観鈴や榛野なな恵さんが漫画で描くヒロインのような、繊細さとともに聖なる清らかな芯の強さを持った輝くような女性的存在を胸の裡から感じられたんですが、それができなくなって、辛いです。

きっと誰の心の裡にも聖なるものはいて、たまたま僕は象徴的に観鈴とかの聖なる女性のイメージと重ねて見ているのだと思いますが、うつ病になってからの僕は、聖なるものと僕を繋げるものは音楽だけで、それが聴けなくなったの辛いです。聖性と繋がれません。

聖なるヒロインは、ファウストを迎えに来るグレートヒェンみたいな感じで、本当に聖なるものとして感じます。それは肉体的な魅力とかそういったものではないんですね。もっと真から感じる聖性です。今の僕はうつ病の症状と抗うつ剤の副作用で性的な欲望・衝動などが一切ありませんが(もう数月、そういった行為は一切していません)、そういったもの(性的な魅力等)を超越した、いいあらわすことのできない、良き輝きを超えた輝き、良き暖かさを超えた良き暖かさのような、表現できないものです。それが、ボロボロの僕の中から、優しくて暖かい力を与えてくれる感じだったのですが、今は無音の中で寝込んでいて、感覚が無くて、腰の痛みだけがあって辛い状態です。

辛いことしか書けなくて、皆様、本当にごめんなさい。大変厚かましいお願いで恐縮ですが、もし、よろしければ、買い物するとき、こちらのアフィリエイトで買って頂けると、生活の助けになり、本当に感謝致します。明るい話が書けなくてごめんなさい。病気で生活苦だとどうしても、辛いとき、明るい文章が書けなくて、すまないです。

音楽聴きながら僕が裡から感じる聖なる存在(ヒロイン)の感覚、聖アウグスティヌスがとても綺麗に簡潔にいいあらわしている美しい名文があるので、最後にそれをご紹介致します。皆様の心に少しでも美しいものが伝わればいいなと心から願います。

わたしがあなたを愛するとき、わたしは何を愛するのであるか。それは物体の美しい形ではなく、時間的なものの優雅ではなく、わたしたちの目に快いうららかな光ではなく、さまざまな歌の美しい調べではなく、花や香油や香料の香りでもなく、マナや蜜でもなく、また肉体の抱擁にとって好ましい肢体でもない。

わたしはわたしの神を愛するとき、このようなものを愛するのではない。しかも私の神を愛するとき、私は一種の光、一種の音声、一種の高貴、一種の食物、一種の抱擁を愛するのである。

私が愛するのは、内的人間の光であり、音声であり、香気であり、食物であり、抱擁である。そこでは私の魂に、どんな場所もいれない光が輝き、どんな時間も奪い去らない音が響き、どんな湿気も吹き散らさない香りがただよい、食っても減じない糧食が味わわれ、飽いても離れない抱擁がからみついているのである。そしてわたしが神を愛するとき、わたしが愛するのはこういうものである。
(聖アウグスティヌス「告白録」。ユング「変容の象徴」より)

僕の場合は、女神のようなイメージです。ルクレティウスが歌った豊穣のウェヌスへの賛歌の詩のようです。でも、今は媒体(音楽)を絶たれ、絶望的に心身の調子が悪く、繋がれません。悲しくて辛いです。

女神よ、あなたひとりが宇宙をつかさどる
あなたがいなければ生きものは光の野へさそわれない
あなたなしにはこの世のよろこばしいもの、
かがやかしいものはなにひとつ生まれない……
(ルクレティウス。ユング「変容の象徴」より)

皆様の心身のご健康があって、貧困に陥らないこと、心より願っています。病と貧困は本当に全てを奪っていくので、そのようなことがないことを心から願います。皆様の裡にある聖なるものを、大切に、守ってあげて下さい。

参考作品(amazon)
変容の象徴―精神分裂病の前駆症状〈上〉 (ちくま学芸文庫)
変容の象徴―精神分裂病の前駆症状〈下〉 (ちくま学芸文庫)
ファウスト〈第1部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
ファウスト〈第2部〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
ニーベルンゲンの歌〈前編〉 (岩波文庫)
ニーベルンゲンの歌〈後編〉 (岩波文庫)

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