2017年02月

2017年02月22日 03:50

けものフレンズ第7話「じゃぱりとしょかん」視聴。話が動いてこれまでの不穏な世界の影が本格的に現れて謎に満ちてきましたね。物凄いドキドキを感じました。重要そうなシーンを抜粋引用。

「かばんちゃんはどんなところに住んでいた子なのかなあ。楽しみだなあ」
「なんか、凄く暗いところだったり、寒いところだったらごめんね」
………
「人はもういないのです」
「人はもう絶滅したのです」(かばんちゃんの目のハイライトが薄くなる)
「ある日を境にいなくなったのです」
「ここに住めなかったということか」
「もしくは私達の知らないところに今もいるのか」
「いずれにせよ、人に適した地方に行くのが良いのです」
「合わない地方での暮らしは、寿命を縮めるのです」
「あと一つ、人の近くには…」
………
「かばん、人の近くにはなぜかセルリアンがよくいたそうです」
………
「フレンズや私達にとってとても大切なものが埋設されることが分かりました。その場所は…」

あと、サーバルちゃんの言葉の端々から推察して、フレンズは1種1個体ではなく、1種の中に複数のフレンズがいる可能性があります。またフレンズ達に寿命と健康・非健康の概念があることも確定しました。

下記のツイッターの考察が私には一番大きな説得力を持っているように感じますね。

れむれむさん
https://twitter.com/REMUx2/status/834092989626527744
「ここに住めなかった」「知らない場所にいる」「埋設」というワードが出てきたので、セルリアンから逃れるために地下シェルターでコールドスリープ状態になったヒトをかばんちゃんが復活させる最終回ではという気がしてきたけど、仮にそういう展開だったらけものフレンズは本当に神話になってしまうぞ

まさに神話ですね。上記の人類の夜明け的エンドならまさにゼーガペイン的な神話…。

ただ、セルリアンの不穏さ、一体どう考えればいいのか…。セルリアンが人間の成れの果てである可能性や、元々、人間のいた頃の世界から、世界自体がシミュレート世界であったとかも、もしかしたらあるかもしれませんね。不穏な謎の数々が示され可能性が拡散することで一気に先が読めなくなってきた。人類にとっては救いはないけど、フレンズ達やかばんちゃんは楽しく暮らしていくという終わり方も十分に考えられる訳で…。けものフレンズ、素晴らしいキャラクターと物語、そしてSFとしても、ミステリとしても、最高に面白いです!!

そして何よりも、本作の第7話を見て深く感じたこと、冷凍睡眠と人の絶滅、時間と種の運命、失われし世界の残した廃墟、本作には神話の始まりを感じましたね…。

本作(幼年期の終り)について言及するなら、この作品が「神話的な構造」(時間と超越的存在-非超越的な存在-私達自身としての存在)に沿って紡がれていることに気付きさえすれば、至極当然のことと言えるだろう。例えば、「The Overload」を我々現代人に、また作中人類を石器時代の人類に置き換えても物語の多くの部分が整合しうることから、本作が神話の様式を取り入れていることは見て取れる。これは作中でもほのめかされていることである。
(藤真千歳「神話的に紡がれる人類の未来史」「海外SFハンドブック」より)

彼らが話したという遠い島宇宙の――今では大宇宙の無数の死の中で永遠に消え去ってしまった遠い島宇宙の、黄金の太陽の下にある古い美しい世界のことを。
(バラード「時の声」「バラード短編全集」)

あらゆる存在のレベルの中には、その中核の謎を解く鍵がある。それらの鍵を手にすることによって、すべての生物は生命の階段を昇っていくか、それとも袋小路にたどりつく――繁栄するか、それとも絶滅するか。

私の見つけた鍵は、人類を衰退と死に追い込むような鍵だった。我々の住む世界は単なるウムヴェルト(複製)であって、宇宙ではないのだ。(中略)

いまもあそこで二つの映像は、果てしない会話を続けているかもしれない。電池のなくなるまで。そのとき、はじめて二つのしゃべる顔は、恵み深い無の中に沈み込み、去っていくだろう。

音声は絶え、映像は消え、静寂が残る。
(オールディス「見せかけの生命」「スティーヴ・フィーヴァー」より)

けものフレンズ関連エントリまとめ。随時更新(最新更新17/2/22)
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921487.html

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2017年02月17日 12:06

先ず、どうかお礼を述べさせて頂きたく。2月7日にamazonギフト券を贈って頂き、本当にありがとうございます。気付くのが遅れて申し訳ありません。生活が厳しく、本当に助かります。色々な諦念の中にあっても、生きる想いが沸いてきます。本当に心からありがとうございます。

生活苦と、頑張っていこうと思っていたツイッターにて、再び数日前より、検索(自分の行ったツイート全て・タグ・アカウント名などの全て)が一切表示されなくなり、サポートには連絡済みですが、何もお返事はなく、何一つ、ツイッターの機能を停止される心当たりはなく(ツイッター見て頂けくと分かると思うんですが、ずっと真面目にツイートやってきて、何一つ、スパム行為などのツイッターの規約に違反する行為は行っておりません)、厭世観と諦念がひどくなっていたので、贈り物(ギフト)を頂けることは本当に心が励まされ元気付けられました。ありがとうございます。

ツイッターで検索に表示されず、通知の送信・受信もできない状態(ツイッターの機能がツイート投稿以外は全て停止され、アカウントホーム以外では全て見えなくなる、繋がりの機能が一切停止される)になると、なぜこのような状態になったのか、それがどんなに心当たりのないものであっても、ユーザーには何も対応する手段がない(ツイッターに個別のサポートは存在せず、ツイッターは一度アカウントとると、もう二度と取り直すことはできません。機能を停止されると何も出来ません)、このことが、社会においては、ツイッター自体の社会的知名度はあっても、何かの陥穽で機能を停止されるとユーザーは何もできなくなり、ただ苦しむだけになること、そしてこのことがツイッターの知名度に比べて、社会に全く知られていないこと、本当に、社会に周知されてほしいです。

一番辛いのは、ツイッターで検索に表示されず、通知の送信・受信もできない状態、何が原因であるか全く分からないことで、心当たりなくそういう状態になった人々も、何が原因か推測することしかできない(フォローを沢山した、URL付きツイートをした、ツイートを沢山した等)、そしていつか解除されるのか、永遠に機能停止のままなのかも分からない、何も分からない状態にされるのが、一番辛いです。ツイッターにこういった側面があることが、社会における知名度と異なり、全く知られていないことを、社会の人々に知ってほしいです。

スタニスワフ・レムというSF作家の傑作に「枯草熱」という作品がありまして、現代社会の技術とシステムの複雑さによって、全く心あたりのない死へ向かわされる人々、彼らの変死の謎を解いて行く物語でして、謎を解こうとしても、解くことのできない世界を描いているのですね。個人の理解を超えた技術とシステムが、個人を消滅させる世界を描いています。

まさに、心当たりなきツイッターの機能停止と何もできることがないことも、そういった個人を消滅させる世界の一つの訪れの表れだと自分自身に起きたことを鑑みて、強く思っているのです。

枯草熱の中では、全く自分自身に心当たりも、そのようなことに巻き込まれる事柄も、何一つない人々が運命としか言いようのないものに巻き込まれて死んでゆく。そして、古代や近代で人々が戦ったり、嘆いたりした「巻き込まれた人々に見える『運命』」とは違い、全く何が起きているのかすらも分からない、巻き込まれているかすら分からない、それは「見えない運命」なんですね…。

それが眼鏡屋だとほとんど見分けがつかないくらい、主人は変わっていました。やつれはて、大病をわずらった後のように見えたのです。眼鏡屋はデュナン博士に、何かに中毒したらしく、夜中に恐ろしい気分に襲われ、妙な発作が起きた、と語りました。そして『なぜだかわかりませんが、今でも泣きたい気持ちがするんですよ!』話の終わりにそう言ったんだそうです。
(スタニスワフ・レム「枯草熱」)

(枯草熱の)そこから浮かび上がってくる現代世界像とは、気が遠くなるほどの偶然の絡み合いの中で、秩序と混沌が作用しあう奇怪な、とうてい個人の頭では理解しがたいものなので、奇妙な、開かれた(何も解決していない)ままのような後味を残すことは変わりがない。結末でソシュール博士がこう言う通りである。

「一連の事件は、現代の象徴というより、むしろ未来の前触れなのです。未来の予言なのですよ。まだ理解できない未来の……」(中略)

「枯草熱」で描かれる混沌たる現代世界は、今読んでも実に現代的である。(中略)次々に怪死事件が起こっていく世界の不条理とは、まさに9・11以後の現代世界そのままではないか。
(沼野充義「9・11以降にこそ読まれるべき作家レム」「彼草熱解説」より)

叙事詩は人を超えた英雄の物語であり、人間は運命と戦うことはできないと、ジョイスは「ユリシーズ」の冒頭で語っていますが、まさに現代は運命自体が見えない運命、個人を消滅させる世界、全くの不条理であり、しかもそれが巻き込まれている人々にも、外部からも、何も見えない世界になっている。人間に出来ることは何もない、ただ見えないシステムだけが支配する世界。人間はそこで、その何も分からなさに苦しむだけの立場に置かれている。

――怖かったさ、とスティーヴンは恐怖のつのるままに力をこめて言った。こんなところで、真っ暗闇のなかで、知らない男が黒豹を撃つぞなんてわめいたり呻いたり。きみは溺れ死にしかけた連中を助けたよ。でも僕は英雄じゃない。
(ジョイス「ユリシーズ」)

真実だと信じていることが、行動を規定するということを原則として認めることができる。とすれば、生存の不条理性の確信が、行動を支配するはずだ。
(カミュ「シーシュポスの神話」)

カミュが「シーシュポスの神話」で描くように、人間にとって運命とはあまりにも不条理的で、しかもそれは先のツイッターのような、高度技術の発展=システムの複雑さの増大によって、ますます人間にとって先を見通すことのできない真っ暗闇、恐怖と不安と苦痛を与えるものになっている。

これは、先に挙げたツイッターに起きていることは一例で、私自身で言うならば、生活困窮と健康不安、私は昔(20年以上前)から、右わき腹に持続的な痛みがあって、検査をしてもどうしても原因が分からない。数年前にうつ病になってから、痛みがひどくなって、お腹の痛みに関係すると思われる病に肝機能障害がある。数年前、肝機能が「すぐ入院した方がいい数値です」って状態って言われて、大きな病院で二週間後に検査すると、「かなり改善しています」って状態になって、しかも、またそれが数週間ごとに悪くなったり良くなったり。でも原因が分からない。

複数の大病院で、CT検査、エコー検査、血液・尿検査、脂肪肝検査、内視鏡検査、胃カメラ、腸の検査、色んな検査しましたが、痛みの原因と、肝機能障害が起きている原因も分からない。非常に不安です。病院の先生が、『肝機能障害は原因が分からないこともあります』って言っていたんですが、まさにその通りの状態です。食中毒とかでも起きるそうなんですが、食中毒でもないです。心因的にお腹が痛むので、心因的なものが関わっているのかも知れません。

耳鳴りもうつ病になってからひどく、聴覚検査で高音域の聴力低下が見られるので、これが原因で高音域の耳鳴りがしているのではないか、と言われているんですが、耳鳴りも心因的に聞こえるときと聞こえないときがあるので、やはり心因的なものも関わっていると思われ、耳鳴りが聞こえ出すと落ち込んで余計耳鳴りが酷くなる悪循環に陥っています。

生活困窮と、うつ病と、様々な健康不安、今回のツイッターのことなど、カミュの述べる「世界は根源的に理不尽で、人間の生のことを一顧だにしない」という言葉を感じ、非常に近年は生に対する諦念が大きく、諦念が自らの全てを支配しているような心持になることもしばしばあります。

そんな中、贈り物を頂けることは、本当に心が励まされることであり、諦念の心理状態の殻を破ってみずみずしさの感覚を味あわせてくれるものでした。深くお礼を申し上げます。

先に挙げたように、高度技術の発展=システムの複雑さの増大が、不条理に個人を消滅させる世界へと地歩を進めつつある現代において、人間同士の絆が、どうか見直されてほしい、分断ではなく、ゆるやかにでも人間同士が繋がることのできる社会へとなってほしい、このことを心から、人間という各々の存在のために願うばかりです。

我々は太陽の古い混沌の中に生きている
それとも昼と夜の古い依存関係のなかに
それともあの広い水面に浮かぶ島の孤独の中に
後ろ盾もなく 自由に 逃れがたく生きている
鹿は地上の山々を歩き ウズラはわれわれの
まわりで おのずからなる鳴き声をあげる
甘いベリーは荒野で熟する
そして大空の孤独のなかで
夕暮れには 何気ない鳩の群れが
あいまいな波形を描きながら
翼をひろげて 下の闇のほうに沈んで行く
(ウォレス・スティーブンス「日曜の朝」)

シーシュポスの神話 (新潮文庫)シーシュポスの神話 (新潮文庫)
著者:カミュ
新潮社(1969-07-17)
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天の声・枯草熱 (スタニスワフ・レム コレクション)天の声・枯草熱 (スタニスワフ・レム コレクション)
著者:スタニスワフ レム
国書刊行会(2005-10)
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アメリカ名詩選 (岩波文庫)アメリカ名詩選 (岩波文庫)
岩波書店(1993-03-16)
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ユリシーズ 文庫版 全4巻完結セット (集英社文庫ヘリテージ)ユリシーズ 文庫版 全4巻完結セット (集英社文庫ヘリテージ)
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2017年02月15日 18:46

まず、表題の前に先題としてお知らせを。現在、ツイッターの検索表示、私のツイート・タグ・アカウント名全てが、ツイッターの検索から一切表示されなくなっており、また他の方のツイートに返信ツイートや引用ツイートを行っても、一切非表示(通知も行ってないと思われる)の状態で、アカウントをフォローしてくださっているフォロワーさんと、アカウントのホームに直接ログインする以外の方法では、ツイートを見ることができません。全く心当たりがなく、困り果てております。ツイッターのサポートフォームからは解除申請を出しておりますが現在特に何も返信や対応はありません。ツイッターは一度アカウントを作ったら二度と作り直せない仕様のため(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921203.html)本当に涙が出るほどに困り果てています。何か、ご解決法お知りの方いっしゃいましたら、どうかお教え頂けると、本当に助かります…。

表題に入りますと、「けものフレンズ6話はフレンズをダシにした戦争の話」「人類は死者やケガ人続出の戦争で血みどろの領地争いをしていましたが、ある時野見宿禰と當麻蹴速がルールを定めた決闘で勝負を決めました。後にそれは遊戯化し相撲になりましたみたいな話」というツイートが凄い勢いで2000ツイート、恐らく万ツイート行きそうで、

「6話は、原始的な戦争を行っていた未開のフレンズ達をかばんちゃんが理性によって戦争をスポーツ化して調停した」

という解釈が、完全にインターネット世論全般におけるけものフレンズ6話の絶対的解釈にされており、これ以外の解釈はネット上に皆無な状況、あまりにも酷すぎる状況なので筆を取らせて頂きました。検索が凍結されているため、ツイッターからのアクセスはフォロワーの皆様方(いつもありがとうございます)以外はほぼ望めない状況ですが、それでも、蟷螂の斧をせめて一振りの気持ちで書かせて頂きます。けものフレンズは第一話から今回の第六話に至るまで、一度もフレンズをだしに人間中心主義的視点を持ち込んだことはありません。全く逆で、けものフレンズは、とても真摯かつ公正に俯瞰した視野で世界と無数の生命の相互連関した姿を描いている。

まず、第六話についてですが、ライオン共同体とヘラジカ共同体が行っていたのは、戦争ではありません。現代における戦争の概念は、敵と見なした相手の共同体成員の集団を集団で殺傷しあう行為であり、まさに、先のツイート元の方が述べている通り、『人類は死者やケガ人続出の戦争で血みどろの領地争いをしていました』という概念です。

かばんちゃんとサーバルちゃんが訪れる前のフレンズ達はそんなことをしていたでしょうか?

全くそんなことはしていません。前回のエントリでも書きましたが、フレンズ達は完全に遊びとしての楽しい争いを楽しんでいた。

けものフレンズ第6話「へいげん」フレンズ達はなんて良い子なんだ!そして人類種の可能性の希望を感じさせてくれる作品!
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1922381.html

フレンズ達は、楽しい遊びとしての争いの中で、相手を怪我させてしまうことに不安を感じていた。つまり、相手に怪我をさせないということを、明言化されていない暗黙の前提法としてフレンズ達は共有していた。各人の自由な意志においてお互いに相手への気遣いがあること、これは遊びの根源的特徴であり、そして争う相手を抹消すべき命とみなす戦争とは全く対極にあるものです。

動物のじゃれあい(血族同士等のお互いに手加減した遊びの争い)から発する、人類の自然状態の自由のじゃれあいから自発的な自己制約が生まれ、明文化された規則が生まれ、社会秩序が生まれ、愛と公正が生まれたというのは、「自然状態は万人の万人に対する闘争」とは、全く逆で、人類に希望を見ているんですね。

「人類は死者やケガ人続出の戦争で血みどろの領地争いをしていましたが、ある時野見宿禰と當麻蹴速がルールを定めた決闘で勝負を決めました。後にそれは遊戯化し相撲になりましたみたいな話」

上記は、ルールを暴力性から生まれた暴力性の制御として考えているわけです。しかし、なぜ無法化した「自然状態は万人の万人に対する闘争」状態からルールが生まれると考えるのでしょうか。暴力から生まれるのは混沌だけです。上記は歴史を逆さまに見ているのですね。我々人類種の原初的な共同体は、動物と同じく、血族を中心とした群れであり、その群れにおける関係性(仲間、すなわちフレンズとの関係性)からルールというものは生まれたのです。人間は突然に一個体で現れて、他の固体と「万人の万人に対する闘争」ところからルールを生み出したのではありません。全く逆です。

最初に血族と群れがあり、そこには遊びとしての「自己を制限する暗黙のルールある楽しいじゃれ合い」もあった。そういった楽しく他者と遊ぶための暗黙の群れのルールが明文化されてゆき、「法規則、祭祀、兵法、美学、倫理」などの『文化』として明文的な構造化をされていったのです。そのルールから、他の共同体との調和可能性も生じたのです。自己を制限する掟の始まりは暴力ではなく、遊びなのです。それはたーのしー!から生まれているのです。

けものフレンズ第6話のかばんちゃんとサーバルちゃんが訪れる前のライオン共同体とヘラジカ共同体の争いは、遊びの争い、最も根源的な、親しみを持つ他者との暗黙のルールの上での遊びであったと、心から思います。そして、かばんちゃんはそれを明文化した。すなわち、『文化』を作り出したのです。

遊びと争い(手加減の暗黙のルールのある争い)は原初において一体のもので、他者に対する想像力(第三者視点)と他者がいるゆえに可能になる自己の力の最大限の発揮(陶酔)であり、掟とは人類が遊び他者を愛するゆえに生まれたというのは、掟は人類の暴力を縛る束縛的考えより、ずっと希望が感じられますし、道理が通っていると思います。

原初の遊びから、全て始まったんです。それは現代人が考えるルールなき戦争ではないんです。現代の戦争は遊びの精神が失われているというのが、ロジェ・カイヨワの思想で、現代の戦争の観点(相手への敬愛なき殲滅全体戦の観念)で、古代の親しみを込めた楽しい遊びと争いが未分化の「戦い」を語ってはいけないと述べているんですね。本当にその通りだと思う、けものフレンズ第6話は、未分化な遊びが文化になっていく話だと思います。

「けものフレンズ第6話は戦争と戦争がスポーツ化していくのを描いたアニメ」説は、自然状態は万人が万人に対して闘争するを前提に、ゆえに無制限な自然の原初的暴力の嵐から掟が生まれ、掟で暴力性を縛らなくてはならないと考えている訳です。でも、本当は最初の他者(血族等周囲にいる人)との親愛なる闘争こそが、掟を生み出している。歴史が逆なんです。

けものフレンズ6話は、周囲にいるフレンズ達の楽しみとしての戦い=遊びが掟を生み出している。それはかばんちゃん達が来る前からそうなんです。『怪我をさせたらどうしよう』戦う相手に対する敬意と愛情がそこにはある。現代の「戦争」というのは、全く逆で、その原初の掟を破って、ひたすら相手の命を消去するものである。かばんちゃん達が来る前の戦いを、現代の戦争の観点で考えるのは、ホイジンガやカイヨワが一番戒めていたことなんですね。

けものフレンズの世界は蓄積のない狩猟採取的社会なので、集団戦闘も遊び(楽しみとしてのコミュニケーション)として行われている。そしてそういった遊び(自由の中で自発的にルールに従う制約を行っていく)によって、明文的文化(遊び=戦いをルール化したかばんちゃん)が生まれて来るんですね。6話のフレンズ達の遊び=戦い世界こそが、人間が互いに調和する可能性である『文化』を孕む母体なんですね。

フレンズ達の共同体は「楽しいから遊んでいる」原初的共同体。それは、血族や周囲に住む人々からなる、親愛的共同体であって、兄弟姉妹とか友達とか先輩後輩とかサークル仲間とかと一緒にゲームしたり、スポーツしたり、議論したり、みたいな争いとして争いがある。それは遊びなんですね。争っているけど、相手を殺そうとなんて全く思ってない訳ですよ。相手と一緒に楽しむということが目的なんですね。

そしてそういった楽しみの為の遊びから、自己を制約して楽しむことを行い、そこから共同の明文化されたルールが生まれて来る。それは法規則、倫理、兵法、美学などの『文化』と根源一体のものなんですね。根源的遊びから『文化』が生まれる姿をけものフレンズ6話は描いていると思います。

「死者やケガ人続出の戦争で血みどろの領地争い」と「仲良しの子供同士が紙を丸めた棒で互いにちゃんばらして遊んでいる」のを、混ぜてはいけないんですよ。明らかに全く別物な訳です。

戦争=スポーツとかいう主張も盛んにされていますが、スポーツは根源は遊びであって、現代的な戦争(敬意なき殲滅戦)を根源にするのではないんです。互いに遊びとして争う、すなわち競争する中において公正な競争要素と肉体の能力とが結びついたものがスポーツであって、戦争が根源じゃないんです。

共同体の争いやルールについて根源的に追って行くと、最終的には争いが非殺傷的な、楽しむための争い=遊びに繋がるというのが、人類に希望を感じさせるところで、共同体と共同体の遊びと楽しみによる調和可能性を再び表すということを、ロジェ・カイヨワは考えていたんだなあと「遊びと人間」を読んでいると思いますね。

楽しむための争い=遊びを既にかばんちゃん達が来る前にライオン共同体とヘラジカ共同体はやっていた訳で、それは根源的な遊びである。かばんちゃんはさらにその遊びを文化(明文的規則化)した訳ですね。文化は現代的な戦争を止める手段、人間と人間と、そして共同体と共同体を、『楽しさ(たのーしー!)』によって調和させうる可能性を孕むものであって、遊びから文化が生まれる姿は、たのーしー!(遊びの気持ち)の広がりが人類の調和可能性を示すという、人類の希望だと思います。

けものフレンズ関連エントリまとめ。随時更新(最新更新17/2/13)
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921487.html
ホモ・ルーデンス (中公文庫)ホモ・ルーデンス (中公文庫)
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けものフレンズ第6話「へいげん」視聴。先週の次回予告で「武器を使った集団の縄張り争い」ってことが告知されていたので、もし、サツバツ!って感じの争いの展開だったら、それこそSRS(サツバツ・リアリティ・ショック)を受けそうで心配しながら視聴したのですが…。

完全に動物の兄弟姉妹達がやっているじゃれ合いレベルの争いだった!!

私は、フレンズ達の敬愛と善良さを甘く見ていました!!フレンズ達は私が考えている以上にみんな善良な良い子だった!!ああ…。本当に良い意味で驚かせてくれる暖かく優しい作品、素晴らしいですね!!

そして、じゃれ合いの争いとは、遊びであり、かばんちゃんが知恵を出すことで、それは文化へと昇華される。ホイジンガは「文化とは遊びから生まれたのだ」と説きましたが、それを思い出しました。

遊びはあらゆる文化に先行して存在している(人間以外の動物も仲の良い動物同士で共に遊ぶ)。(中略)ここで明らかにしようとすることは、文化とは遊びの形式の中で発生し、はじめのうち、文化は遊ばれたということだ。(中略)文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。言うなれば、遊びの中で始まったのだ。
(ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」)

今回の第六話は、遊びの中から文化が生まれる姿を描いているように感じて、本当に文化的に感動致しましたね。サーバルちゃんとかばんちゃんの絆、かばんちゃんの気高い心、フレンズ達の素晴らしい善良さと優しさ、そして遊びの中から始まる文化の姿!!なんという多重的な感動!!素晴らしいとしか、もう素晴らしいとしか云い様のない作品です!!

原始古代の社会はちょうど子供が遊び、動物が遊ぶように遊んでいた。このような遊びは始めから遊び本来の要素、すなわち秩序、緊張、動き、楽しさ、無我夢中で一杯だった。社会生活の後期の時点になって始めて、この遊びに、この遊びの中で何かを表現しようとする観念が染み込んできた。それは生きることの観念だ。かつて言葉のない遊びだったものが詩的形式をとるようになった(文化の発生)。(中略)遊び自体が、最初の基本的行為であった。
(ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」)

全て遊びとは規則の体系である。規則は、何が遊びであり何が遊びでないか、すなわち、許されるものと禁じられるものを決定する。(中略)遊びとは、喜んで受け入れられた自発的制約の総体を意味する。それは安定した秩序を打ち立てる。それは法なき世界にあって暗黙の立法を時には策定するのである。(中略)(共同体は)自然の無秩序状態を規則付けられた世界に変える必要があり、遊びはそのような世界の予見的モデルを提供しているのである。(中略)

(ホイジンガはこう主張した)文化こそ遊びから生まれるのである。遊びは自由であり創意である。気まぐれであり、同時に規律である。重要な文化現象は全て遊びを真似て作られたのである。(中略)

『本当に遊びから(人類文明の)全てが生まれたのであろうか』人間は『ホモ・ルーデンス』を閉じながらこう自問する。(中略)

(遊びと文化は古代において本質的に同質であり)要するに、遊びか、真面目な構造(文化・法規則・兵法・美学・宗教等)か、どちらが先かという問題は、あまり意味のないものである。遊びを法律、慣習、礼拝から説明するか、それとも逆に、法律、典礼、兵法や三段論法や美学の規則を遊びの精神から説明するかは、相補的な操作であって、互いに排斥しあうのでなければ、ひとしく実りの豊かなものである。(中略)私は単に遊びの社会学を考えているのではない。遊びを出発点とする社会学の基礎付けを考えているのである。(中略)

(現代社会では遊びが社会に与える力が衰弱しており、それに代わって)直接的利益、冷笑主義、あらゆる規範に対する否定が存在するだけでなく、それらが絶対的な存在に祭り上げられ、全ての遊び、全ての尊い活動や名誉ある競争の前提となる規則に取って代わっている。ほとんどあらゆるものが、戦争への地ならしをしているとしても、驚くにはあたらない。

その上、あらゆる規範は単なる約束事、束縛に過ぎぬとして退ける人々の意思によって、もはや、競合としての戦争ではなく、暴力としての戦争だけが問題になってきた。すなわち、問題となるのは、強者がその勇気と技量を測る試練ではなく、人員と武装に優れた者が弱者を粉砕し殺戮する仮借なき敵意なのである。(中略)

(遊びというのは人間同士が共存する為に必要であり)遊び、しかも束縛されない遊び(自発的に自分の行動を規則の元に制約する遊び)がなければ、また意識的に作られ、自発的に尊重される約束事がなければ、文明というものは存在しえない。

(遊びに夢中の子供同士がひたすら無心に遊ぶときのように)邪心がなく、勝利におごらず、負けても怨まず、つまり『立派な遊戯者』としてフェアに勝負を行うこと、もしこういうことができず望みもしないのなら、文化というものはありえないのである。

結局のところ、(遊び・文化がなければ)一切の倫理、一切の相互信頼、他者への尊重はありえない。
(ロジェ・カイヨワ「遊びと人間」)

『(遊びに夢中の子供同士がひたすら無心に遊ぶときのように)邪心がなく、勝利におごらず、負けても怨まず、つまり『立派な遊戯者』としてフェアに勝負を行うこと、もしこういうことができず望みもしないのなら、文化というものはありえないのである。』『(自発的に自身を制約する能力の発露である遊び・文化がなければ)一切の倫理、一切の相互信頼、他者への尊重はありえない。』

本当に、フレンズ達を見ていると心からこれを感じさせますね。一話の『狩りごっこだねー負けないんだからみゃーあーみゃーあ!』『た、食べないでくださーい!』『食べないよー!』とか、五話の『えっ!』『えっ!』『ごめんよー!そこまでやるつもりじゃ…』『あうわああああー!ヘラジカやべえよおおおー』とか(作り物のヘラジカをヘラジカ本人と間違えて壊してしまい動揺している)、本当にフレンズが、理想的な遊びをしているんですよね。武器に使ってるのも紙をぐるぐる巻いてつくったただの棒(子供の頃を思い出す!こういう棒作ってちゃんばらして遊びましたね)、完全に楽しく遊んでる。本当にフレンズは素晴らしいですね!

『みな、ご苦労だったな。今日の合戦は終わりだ。勝負は惜しくも引き分けだったが、私もライオンとようやく一試合できて、とても満足だ』
『こちらも、今日は、とても楽しかったよー。そうだ、引き分けだから、私達も城から出るよ。またやろう!』

人類史的に考えると、ホイジンガとロジェ・カイヨワの遊びの理論は非常にエポック・メーキングなものなんですね。それまで、人類史は、『人間が能力を拡大させること』を人類の拡大と結びつけて考えてきた。しかし、遊びの理論は、遊び・文化・真面目な構造(法とか色々)は、逆に『人々が外部の制約とは関係なしに、他者と遊ぶ為に自発的に自身を制約すること』によって、生まれていると考えた。しかも『他者との関係性において自発的に自身を制約する』ゆえに、それは、『他者との関係性との楽しさ』として現れるのだと唱えたんですね。これは、それまでの能力拡大主義的人類史観に強烈な一撃を与えたのですね。

(制約は根拠なき束縛であるとして古来からある倫理秩序や遊びなどの制約を疑い否定する人々は)、自分達で、もっと愉快でもっと大事でもっと新しい遊びの規則を作ろうという心積りで偶像を破壊し、冒瀆を行っているなら話は別だが、そうでないのならば、彼らは、無限の苦労が蓄積してきた宝を、あだし心から傷つけているに過ぎないのだ。
(ロジェ・カイヨワ「遊びと人間」)

今回のけものフレンズ、まさに楽しい一撃を与えてくれる素晴らしい回でした。これは皮肉とかそういうのでは全然なく普通に純粋に、『けものフレンズは人類が能力を拡大していく人類史観』等、そういったタイプのブログを書いていらっしゃるお方々が、今回の第6話を見て、一体どのようなことを書かれるのか、それも楽しみだなと感じますね。勿論、他者のために制約を自発的に守ることを能力の拡大と考えることはできるんですが…。

他者の為に自発的に自己に制約を掛けることは究極的には、『公正』と『愛』に繋がるんですね。そして、この二つは、拡大主義的価値観及び功利主義的価値観からはどうしてもはみ出すものを持っているんですね。『こちらも、今日は、とても楽しかったよー。そうだ、引き分けだから、私達も城から出るよ。またやろう!』フレンズ達を見ていると、本当に心から、『公正』と『愛』を感じますね…。カイヨワは、『遊び』を『公正』と結びつけると共に、『愛』を『聖なるもの』と結び付けているように感じますね。

もし、集団や個人の利害を越える聖なるものの支配が存続しなければ、全て創造的な営為の条件であるところの倫理や相互信頼や他者の尊重はありえないのである。誰もあえて異を唱えようとはせぬ聖なるものの支配、これを守るためには自分の生命を犠牲にし、万一の場合は、自分の属する集団の存続そのものを賭す価値があると誰しも考えている、そのような聖なるもののことを、ここでは言っているのだ。
(ロジェ・カイヨワ「遊びと人間」)

第6話で一番感動的、圧倒的に感動的なのは、フレンズ達に食べられると勘違いしたかばんちゃんが、サーバルちゃんを庇って、

『たたたた、た、食べるならボクを!』

ってライオンちゃんに言うところですね。最初の頃は『食べないでくださーい!』って言っていたかばんちゃんが…。まさに聖なるもの、愛、超越です。サーバルちゃんを庇ったかばんちゃんが、人類であるというところに、人類種に対する可能性の希望を与えてくれるところが、本当に優しい物語で胸にぐっときますね…。

あなたの剣をもとのところに収めよ。「剣をとるものは皆、剣で滅びる」からである。
(マタイ福音書26−52)

この言葉は、イエスを捕縛しようとしていた者達に向かい、イエスと共にいた者達の一人が剣を抜いて大祭司のしもべを打ち、その片耳を切り落としたときに、イエスが語った戒めの言葉である。これは言葉が発せられた状況を超えて、正義を武力で貫徹しようとする者は、その正義と共に武力で滅びるという普遍的真実性を衝く。「あなたの剣を元のところに収めよ」は、ヨハネ福音書におけるイエス捕縛の場面にも見い出されるので、状況に結びついて伝承されていた言葉と思われる。
(聖書名言辞典)

「いっそ地上を灰にしちゃえばいいのよ、リヴァイアさん。神々の子供達(人間)には結局地上を理想郷に仕立てあげる能力がないことは明白じゃない。本当のことじゃない。未だにひとつになれない種族なんて」

「文明持ってたかだか数千年。まだまだ可能性に満ちとるやん」

「おやぁ。むろみさん、今日はやけに大人対応だね」

「あたしは人間の味方やもん」

「繁栄しすぎた動物は必ず滅びの運命を辿っていったわ。どうせ人間達も同じ末路よ!」

「歴史上、ここまで知恵をつけた動物は人間達が初めてなんやし…」
(波打際のむろみさん第3巻)

けものフレンズ関連エントリまとめ。随時更新(最新更新17/2/22)
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921487.html
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2017年02月13日 02:46

けものフレンズ、色々な影を感じさせる垣間見える世界の設定や、かばんちゃんが如何に英雄的に知性を発揮してフレンズを導くか、とか人類とは何か、みたいなところが凄くクローズアップされて、様々なブログやニュースサイトなどで大きく取り上げられています。私もそういったところをこれまで取り上げてきました。ただ、何度もけものフレンズを見ているうちに、私はそれにどうしても違和感を感じてきて、どうしても、そういった、ある種の功利主義的な分析や教養主義的な理解では、けものフレンズの魅力の大きなところが全く説明不可能に感じるのですね。

私は、けものフレンズを何度も見ていると、本当の暖かさ、本当の関係性というものを作品から大きく感じるのです。そして何度も何度も1〜5話見直すとだんだん分かってきた感じがします。『けものはいても、のけものはいない、ほんとの愛はここにある』

けものフレンズは、現在放映中の1話〜5話の全てを通して、かばんちゃんの心が、だんだんほどけて行く物語のように感じます。かばんちゃんは登場時から、自己が何者か分からないことに常に引け目を感じているんですね。第1話とか象徴的ですが、初めてあった他者であるサーバルちゃんに対してかばんちゃんは凄く距離を置いて接している。

そんなかばんちゃんの寂しい孤独な心に、サーバルちゃんが「かばんちゃんが何であっても関係ないよ。かばんちゃんはかばんちゃんだよ」って、かばんちゃんという存在を丸ごと肯定してどんどん踏み込んで行くんですね。かばんちゃんは、だんだんサーバルちゃんを信頼し心を開くようになっていく。

そして道中で出会うフレンズ達も、サーバルちゃんと同じく「かばんちゃんが何であっても関係ないよ、かばんちゃんはかばんちゃんだよ」っていう、かばんちゃんの存在自体を肯定したフレンズさん達なんですね。厳しめのことを言うカバさんとかでもそうでして、このジャパリパークでのフレンズ同士の関係性自体が、相手が何者かで判断するのではなく、相手を相手そのものとして接する世界なんですね。何気ないフォッサさんとかとの会話でもそれが分かる。『何の動物かわからないから、図書館に行くのー!』『気をつけていきなよー!』

そしてそれ(相手を立場ではなく、丸ごと相手としてみること)を可能にする外部世界(徒党を組んで争いあわなくても生きてゆける外部世界)自体がきちんと構築されている(サンドスター、ジャパリまん)。ただ、やはり外部世界の設計は背景であって(世界を背景化しているこの辺はメルヘンに近い)、物語の本質的には、かばんちゃんとフレンズ達の率直で丸ごとの関係性を描いている作品であると感じます。生命と生命の丸ごとの存在自体との相互関係性があるんですね。

生命と生命の存在丸ごと自体との相互関係性があるというのは、まさに動物の関係性であり、そして人間にも根幹的なところにおいて存在する関係性。人間の関係性で最も根幹的なのは、家族関係(生育に携わる非血縁関係や法的には家族とみなされない関係性なども含めた広義の家族関係)ですね。赤ん坊は一人では生きられない、意思疎通もできない、誰かが、赤ん坊の生命としての存在丸ごとを守り助け育てなくては赤ん坊は生きてゆけない。人間もこの、動物の関係性、生命と生命の存在丸ごと自体との相互関係性を生まれた時から持っているんですね。

フレンズ達の関係性は、家族関係に見られるような、存在丸ごと同士の関係性が、丸ごと外部世界の生命同士の間に広がっている。そして、これまで出てきたフレンズ達の無欲(所有欲の欠如)が、フレンズ達の存在丸ごとの関係性に、他者に対する肯定と利他という特性を与えている。

かばんちゃんとフレンズ達の無数の共同作業は、既に様々なブログが指摘しているビジネス的な目的作業から、明らかにはみ出したものを持っている、それは、フレンズ達の外世界と他者に対する肯定と利他から生まれているのだと思います。『ジャパリバスっていうの!みんなで直したんだよ!』これは、真に善良な関係性と呼ぶべきものだと思いますね。ネット上ではこの言葉を使うと批判される訳の分からない残念なことになっていますが、それでもあえて使うと「友愛」という言葉が字義の本来的に適切だと思います。これまでに出てきたフレンズ達の世界は友愛で結ばれている。『かばんちゃんはかばんちゃんだよ!』

涼元悠一@SuzumotoYuuichi
https://twitter.com/SuzumotoYuuichi/status/828577354838482945
けもフレ絡みのつぶやきで『生きてるだけで全肯定』って茶化して書いたけど、これって本当に重要で尊い理念であって、『この世界に今存在するという事実そのものが、この世界に存在していいという揺るぎない根拠』であることは、いつどんな瞬間でも忘れてはいけないと思う。

パウロがコリントの信徒への手紙2-5章で語っていること(「神はイエス・キリストによって世をご自身と和解させた」)は、バルトにとっても同じく根本的なものであった。神はそれを欲したもうただけでない。神はそれを何ものにも取って代わられることのない行為としてなしたもうた。

神はまさに「世」を、世がそれを認識しようがしまいが、承認しようが否認しようが、どちらにしてもそれと関わりなくご自身を和解させた。単に信仰者達とだけでない。単にキリスト者とだけでない。神はここで本当に私達の周りの私達自身の仲間、私達の愛する人々を突き抜けていく。
(エーバーハルト・ブッシュ「バルト神学入門」)

この私が、世の終わりまで、すべての日々にわたり、あなたたちと共にいるのである。
(マタイ福音書28-20)
イエスがガラリヤで十一人の弟子たちに顕現し、彼らに異邦人への宣教を命令する。この言葉によって、宣教命令が閉じられているとともに、福音書全体が締めくくられている。
(聖書名言辞典)

また、フレンズ達の生命としての存在丸ごとの関係性が、全く自己犠牲的なものではないことにも留意すべきだと思います。先に挙げた、肯定と利他の自然性がそれを可能にしている。そしてかばんちゃんもそれを持っていることは、人間に対して希望を与えるものであると思います。

よろこびの感情をひろげるものが善だと、考えた哲学者はいる。それはスピノザだ。よろこびを増やすものを善、へらすものは悪。善は存在者にとって、肯定性の尺度にすぎないと彼は考えた。そうすれば幸福は、究極の目的や最高善にまきこまれずにすむ。
(中山元「思考の用語辞典」)

幸福な人生は、不思議なまでに、良い人生(道徳的な生)と同じである。職業的な道徳家は、従来、自己否定を重んじすぎてきた。そして、重んじすぎることによって、強調の置き所を間違えてきた。意識的な自己否定は、人を自己に没頭させ、自分が犠牲にしたものをまざまざと意識させる。その結果、自己否定は、往々にその当面の目的を達し得ないばかりか、必ずと言っていいほど究極の目的(道徳的な生)も達し得ない。必要なのは、自己否定ではなく、興味を外に向けることである。(中略)

子供がおぼれるのを見て、助けたいという直接の衝動に駆られて子供を救ったとしても、あなたの行為はやはり道徳的と言えるだろう。これに反して(助けたいという直接の衝動を押し殺して)、「無力なものを助けるのは美徳の一部である。私は道徳的な人間になりたい。それゆえ、私は子供を助けなくてはならない」と自分に言い聞かせるとすれば、あなたは、助ける前よりも助けた後の方が遥かに良くない人間になるだろう。この極端な場合に当てはまることは、これほど明白ではない他の多くの場合に当てはまるのである。(中略)

もちろん、私達は、愛する人々の幸福を願うべきである。しかし、私達自身の幸福と引き換えであってはならない。実は、自己否定の教義に含まれている、自己とその他の世界との対立は、私達が外部の人や物に本当の関心を寄せるようになると、たちまちことごとく消散するのである。そういう関心を通して、人は、自分が生命のその他の生命の流れの一部であって、衝突する以外に他の実体と関係を持ち得ない、ビリヤードの球のような固い孤立した存在ではない、ということを実感するようになる。
(ラッセル「幸福論」)

サーバルちゃん『わたしたち、あんまり出番ないね』
かばんちゃん『そうだね。お掃除、やっておこうか』

ラッセル(世俗化したスピノザ的幸福論を唱えた)の幸福論は、複雑化した人間社会において、あまりにも楽観的ではあると認めざる得ませんが、それでも、

『私達が外部の人や物に本当の関心を寄せるようになると』
『自分が生命のその他の生命の流れの一部であって、衝突する以外に他の実体と関係を持ち得ない、ビリヤードの球のような固い孤立した存在ではない、ということを実感する』

というのは、まさにフレンズ達やかばんちゃんが自然に生きていく中で示していることで、けものフレンズを見ていると心から感じ入るところでありますね…。

私は、けものフレンズ1〜5話を通して、最も本質的にあるのは、文明論や謎の魅惑ではなく(勿論、こういった面白さがけものフレンズの大きな魅力であることは間違いありません)、その最本質は、フレンズ達の関係性、フレンズ達とかばんちゃんの関係性、それが、最も深くそして肯定的な、存在丸ごとを認めあうという関係性で結ばれていることだと思います。フレンズ達がかばんちゃんの寂しい孤独な心をほどいて、かばんちゃんもまた、フレンズ達を丸ごと存在として認め肯定するようになる。

その関係性の描き方が、とても暖かくて、本当に見ていて気持ち良いですし、これまで書いてきたこのように言語化しなくても、無意識のうちにその暖かさが伝わって、「けものフレンズ、なんだか分からないけど見ていると、とても暖かい」という気持ちになれるように思います。

存在と存在の根幹同士が肯定し認め合っている暖かい関係性を描くことで、心を暖かくするとともに、人間に、人間も存在まるごと認め合う外世界の他者との関係性を築けるかもしれないと感じさせてくれる、それが、けものフレンズの素晴らしい暖かい魅力ではないでしょうか。

見返すと分かりますが、フレンズもかばんちゃんも、本当に心から気持ちよさそうに嬉しそうに笑っている。嬉しいね、楽しいねという気持ちから生まれる笑い。こんなにも登場人物が楽しそうで全編通してよく笑っているアニメは初ではないかと感じます。かばんちゃんは最初は暗くてあまり笑わない、でも、かばんちゃんの存在を丸ごと肯定するサーバルちゃんと出会って、サーバルちゃんがどんどん『かばんちゃんはかばんちゃんー!』って感じでかばんちゃんを肯定してゆく。そしてそんなサーバルちゃんと一緒にフレンズ達と打ち解けていって、かばんちゃんの心がほどけて行くと、だんだん笑顔が多くなってきて、かばんちゃんが笑う、そうするとサーバルちゃんも笑う。一番よく笑っている第3話とか本当に心が和む。本当に生を肯定して丸ごと認め合って生きている、そんな暖かさが伝わってきます。『フレンズのみんな、あつまれー!』

もし、ある人に百匹の羊がいて、そのうちの一匹がさ迷いでたら、彼は九十九匹を山に放っておき、出かけて行って、さ迷い出た一匹を探さないであろうか。そして、もしそれを見い出したとなれば、アーメン、私はあなたたちに言う、さ迷い出てしまわなかった九十九匹よりも、むしろその一匹のために、彼は喜ぶ。このように、これらの小さい者たちのうちの一匹でも滅ぶことは、天におられるあなたたちの父の意思ではない。
(マタイ福音書18-12〜14)

『けものはいても、のけものはいない、ほんとの愛はここにある』

けものフレンズ関連エントリまとめ。随時更新(最新更新17/2/13)
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2017年02月11日 03:52

けものフレンズが、ヤフーニュースのTOP記事を始めとした大ムーブメントとなり、けものフレンズを毎回楽しく拝見している一ファンとしてとても嬉しいのですが、ただ、一つだけ気がかりがあるので筆を取らせていただきました。

けものフレンズが大ムーブメントになるにつれ、「けものフレンズは知能を下げる作品」というような言説が巷にあふれ出していますが、決してそんなことはありません。けものフレンズは非常に確りと作られた、製作側の真摯な姿勢を感じる優れた作品で、視聴者の心に残る物語と、可愛らしく魅力的なキャラクター達が織り成す真面目な作品です。決して視聴者を甘く見ているような程度の低い作品ではありません。

吉崎観音さんがデザインした、子供にも親しみやすい可愛らしいけものフレンズのキャラクター達は、アニメにおいて、それぞれ真剣に考えられた確りとしたキャラクター造形が脚本においても演出においても演技においても為されており、キャラクター達はそれぞれキャラクターとして、一生懸命に生きている、その真摯さの上に成り立つ、キャラクター達の優しい信頼関係が胸を打つ物語であるんですね。本作はユーモア作品としても優れており、ほのぼのとした暖かいユーモアが溢れていますが、それもまた、決して、愚かしさを上から笑うユーモアではなく、逆に、あたふたしているフレンズ達に親しみを感じて見ている方が応援したくなるような、優しいユーモアです。

ちょっと厳しいことを書くと、「可愛らしいゆるさを感じるキャラクター」と、その「キャラクター達があまり頭がよくないように見える」(実際はかばんちゃんは聡明ですし、フレンズ達は善良で一生懸命で応援したくなるようなキャラクターです)そして、「優しい雰囲気」というだけで、『見ている人間の知能を下げる』という、一般的にはネガティヴに捉えられる言説を唱えるのは、それこそが偏見に充ちた先入見であり、批判されるべきものだと思います。

こういった偏見に充ちた先入見に苦しめられてきたのは、それこそこれまで創作を楽しんできた人々であるのに、どうしてネガティヴ情報を拡散することで力を得ている一部の問題あるまとめサイト群などに煽られて簡単にそういう偏見に充ちた意識を受け入れてしまう人々が多いのかなと…。

それこそ、これまでずっと、創作者と創作を楽しむ人々は、偏見と差別的意識に充ちた「見識ある現実的な人々」から、「漫画は活字より劣っている」だとか、「18禁作品は須らく愚劣である」とか、「実写映画に比べればアニメは下らない」とか、偏見以外の何物でもない先入見からの差別を受けてきたではないですか。これまで偏見に苦しんできた人々が、どうして、一部のまとめサイト群などに煽られると偏見を持つ側に立ってしまうのか、本当に理解に苦しみます。

頭の悪い作品と呼べるのは、視聴者のことを甘く見ていることが分かる作品、視聴者の程度を甘く見て(製作側が視聴者を馬鹿にしていて)、「こういうパターンを流せば視聴者は喜ぶだろう」みたいなパターンでしか作品を組み立てていないような作品、製作側に創作者としての誇り高さが全くないような作品ならば、頭の悪い作品と呼ぶこともできるかも知れません。しかし、けものフレンズは、そういった作品とは全く逆な訳です。けものフレンズの製作側が真剣に創作に向き合って作られていることが、きちんと見ればきちんと分かる。作品の見事な真摯な出来として伝わってくる。

例えば、作品で描かれるフレンズ達の知性は、フレンズ達が善良であり、衣食住に困っておらず、単独者として自然の中で生きているところから生まれている知性であり、それは、現代日本の人間の知性とは異なる形の知性であるということ(フレンズは我々のような「歴史的な熱い社会・変化蓄積がないと崩壊する膨張世界」ではなく「神話的な冷たい社会・変化蓄積が無くとも安定している平衡世界」に生きているということ)が作品を通してきちんと描かれている。きちんと世界と存在の関係が論理的に構築されている。

それを、作品で描かれる世界を全く見ずに、表層的な描写を馬鹿にする行い、異なる世界(社会環境)から生まれた異なるフレンズ達の知性を、ただ現代日本の知性とは異なっているという理由だけで断罪して嘲笑する行いこそ、反知性的な行いそのものであると思います。私などは、フレンズ達の善良さとその行為(例えばカワウソさんの遊びやジャガーさんの無償渡し舟やアルパカさんの無償カフェやビーバーさんとプレーリードッグさんの協調的分業など)に我々の持つ文明性とは異なった可能性の文明性を感じます。

人間の思考は一直線に進歩していく、と考えるのがあまりにも単純であること(中略)「未開」社会の人々が、まさか現代数学を知っている訳じゃない。また、文字や数字のような記号も使わない。けれど、彼らの思考は、数学と同じ論理で動いている。そして、「考えるのに便利 good to think」な自然の事物を使って、彼らを取り巻く世界や宇宙について考えている。そう思って、レヴィ・ストロースは、こういう思考を「野生の思考」と呼んだ。ありあわせの材料を使って考えていくので、日曜大工みたいな「プリコラージュ(器用仕事)」になる。
(橋爪大三郎「はじめての構造主義」)

フレンズ達の、現代日本が考える知能や知性とは異なりながらも、そこに世界の裏づけを感じる真摯な行動、そこにある我々の持っていない文明性を学んでいくことが、見ているときは心から楽しみながら、そして見終わった後は、意識的にしても無意識的にしても、そういったフレンズ達の文明性をいつのまにか学んでいるところが、けものフレンズの真に凄い素晴らしいところの一つだと思います。けものフレンズは、見て楽しめ、また構造としてもいつの間にか新しい視野を学んでいる、作品として優れた多重性を持っている。

そしてその体験は、異なる他者の異なる思考に素晴らしいものがあるという、私達の様々な先入見自体を揺らがして新しい視野を開いてくれる体験となる。虚心坦懐にけものフレンズを見れば、私達の様々な偏見はいつのまにか打破してくれている。新しい視野を開いてくれる作品、本当に素晴らしい作品と感じています。

私にとって「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ、未開人類や原始人類の思考でもない。効率を高めるために栽培したり、家畜化したりする思考とは異なる野生状態の思考である。
(レヴィ・ストロース「野生の思考」)

「きみは 最新流行の服を着て 自動車に乗って映画や音楽会へ行くのが文明人だと思ってるんじゃないだろうね?」
(手塚治虫「原人イシの物語」「タイガーブックス文庫版1」)

けものフレンズ関連エントリまとめ。随時更新(最新更新17/2/13)
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タイガーブックス(1) (手塚治虫文庫全集)タイガーブックス(1) (手塚治虫文庫全集)
著者:手塚 治虫
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イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)
著者:シオドーラ・クローバー
岩波書店(2003-11-14)
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野生の思考野生の思考
著者:クロード・レヴィ=ストロース
みすず書房(1976-03-30)
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はじめての構造主義 (講談社現代新書)はじめての構造主義 (講談社現代新書)
著者:橋爪 大三郎
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2017年02月08日 05:07

けものフレンズ第5話視聴。物事を組み立てていく思考が得意なビーバーさんと、木を切って加工する作業が得意なプレーリードッグさんが、かばんちゃんとサーバルちゃんの仲立ちによって、お互いに分業して一緒に住む家になるログハウスを組み立てていくという物語でして、ずっとそうでしたが、本当に心から優しい世界なんですね、けものフレンズの世界は。見ていて心が和んでゆきます。物語もすばらしいですが、映像が本当に心地よい。サンルーフから顔を出して外を見ているかばんちゃんとサーバルちゃんを乗せたジャパリバスが豊かな自然の中を走っていく姿を遠景の後景から描いているシーンとか、もう見ていて、映像の本当の気持ちよさを感じますね。ロードムービーの映像として最高に素晴らしいとしか言い様がありません。涼元悠一さんとかきっと喜んでくれそう。

涼元悠一@SuzumotoYuuichi
https://twitter.com/SuzumotoYuuichi/status/828610343127523329
ていうか、どうして俺はこんなにもジャパリバスのことばかり気になるんだろう。

第5話の物語はビーバーさんとプレーリードッグさんは二人で分業してログハウスを作っていくんですが、思考に優れているが作業は苦手なビーバーさん(ログハウスの写真を一枚見ただけでログハウスの構造を理解した。フレンズ達は自身の得意な分野の知性に関しては人間を超える知性を発揮できるように思われる)と、思考は苦手だが実際の作業が得意なプレーリードッグさんが、互いに分業して一緒の家を作っていくんですが、これがとても優しいんですね。サーバルちゃんも含めてフレンズ達とかばんちゃんは、私利私欲がなくて本当に内的純粋性による衝動で、物事を進めていく(思考したり作業したりする)ので、自分にないものを持っている相手(フレンズ)に対して、本当に心からのリスペクトがあるのみで、それがお互いの長所を引き出し短所を補って、素晴らしい共同作業になってゆくという展開なんですね。

フレンズ達は、七つの大罪(「暴食」「色欲」「強欲」「憤怒」「怠惰」「傲慢」「嫉妬」)から、完全に解放されているように見受けられて、そしてそんなフレンズ達が、上記の大罪から解放されて、お互いに無償の「慈愛」「友情」「敬意」「贈与」の関係の中にいるのが、本当に、優しくて、輝いていて、暖かい気持ちになるんですね。ディストピアとして批判的な視点が生まれる前の古典的なユートピア世界の牧歌的な暖かさを感じますね。理想的な共生の営みを感じます。ビーバーさんとプレーリードッグさんがお互いに自分の理想のログハウスを述べていくところとか、凄く楽しい。ログハウスの遊びの仕掛けで「こんにちはであります!」のところも大好き!

ビーバーさん「はやいっす。切り口も綺麗っすね。尊敬するっす」
プレーリードックさん「我々チームで穴掘りますから、指示通りに進めるのはなれたものでありますよ。ビーバーどのこそ凄い知恵であります、尊敬であります」
(けものフレンズ第5話)

人間が生きることは、たんに自分の生存のための労働に従事するためだけじゃないと、アレントは強調する。マルクス主義が人間の類的な本質は労働にあると考えたときから、人間の全ての営みが労働に還元されるようになったと彼女はいう。でもただ労働で生存するだけじゃなく、人間が自己の創意をもって他者と交わる空間をつくりだし、そこで自己の名誉(本質)を賭け、創造的な営みをすることが、もっと大事なんじゃないかと。(中略)

(生存の為の)労働を拠り所にする社会の共同性とは異なる公共の領域にこそ、人間の本質的な営みが向けられるべきだ。アレントはそう考えたんだね。
(中山元「思考の用語辞典」)

ビーバーちゃんとプレーリードッグちゃんが、お互いに分業しながら、お互いを思いやりながら理想のログハウスを組み立てていく(サーバルちゃんとかばんちゃんとボスも喜んでお手伝いしている)というのが、様々なユートピアがディストピアを内蔵するものとして批判を受ける前の、古代、人間が人間性の善性をまだ信じられていた頃の古典的ユートピアを感じさせますね…。牧歌的な優しい古代の夢の楽園の世界。エリュシオンとかアルカディアとか…。近代ユートピアの元型であるトマス・モアの「ユートピア」自体は、すでに人間の善性が信じられなくなった時代の物語なのですね…。

イギリス国内に(トマス・モアが心を痛める)問題は山のようにあった。例えば羊毛場が盛んになるにつれ、農場はそのために囲われ、農場を追われた者達は餓死するか、泥棒するか、しなければならなかった。窃盗罪に対する処罰は死刑であった。「一つの絞首台に二十人ずつ」泥棒は処刑されていった。ヘンリー八世の治世だけでも窃盗罪によって死刑になった者の数は一万二千人に及んでいた。(中略)

こういうイギリスの、更にはヨーロッパの有様に対して、モアの良心は鋭く反応していた。プラトンの『国家』に親しみ、アウグスティヌスの『神の国』を読み耽っていたこの良心的な法律家は、現実の世界と現実の彼方にある世界、この二つを眺め、人間に対して痛烈な怒りを感じながら、しかしまた、人間を愛しながら、自分の小宇宙の中に、一つの国家を想像していたに違いなかった。

この想像のうちに浮かんでくる国家像は、現実からの投影であると共に、超現実からの投影でもあった。一方では(イギリスの実地の法律家として)貧乏人の苦しみや支配階級のあくなき搾取や犯罪や非衛生や陰謀に対する、たとえ科学的な分析ではないにしろ、とにかく深い、透徹した把握があった。また他方では、古代の哲学者や神学者が考えた、理想国家への想像的な熱情があった。いわば、上と下から、現実と理想から、それぞれ投じられる影像が(著書「ユートピア」として)一つの焦点を結ぼうとしていたといえよう。
(平井正穂。岩波文庫トマス・モア「ユートピア」訳者解説)

トマス・モア自身も、ユートピアの究極的な根源が成り立つかどうかは、人々の心、人々が思いやりの心、フレンズ達が自然に持っているような心を持てるかどうかにあると考えているのですね…。

他人に利益を与えるために自分の利益をいくらかでも犠牲にするということは、じつに愛情と高貴さにみちた行為である。もっともこの行為は、必ずしも自分の利益を犠牲にするというより、むしろ大きな利益をもたらすといってもよいものである。なぜなら、まず第一に、それはいろいろな恩恵をもって報いられるからである。次に、善行をしたという意識、相手のしめした愛情と感謝のしるしの記憶、そういったものが、自分のみを削って相手にほどこしたものが本来ならわれわれの肉体に与えるはずであった快楽よりも、さらに大きな快楽をわれわれの心に与えてくれるからである。(中略)

そういうわけで、この問題を充分に考えた結果、人間のすべての行為は、いやすべての徳そのものでさえ究極的には快楽をその目的ともし、幸福の源ともしていると、彼らは考えるのである。
(トマス・モア「ユートピア」)

トマス・モアは、全ての人に衣食住を保証するベーシックインカム的な制度のある世界では、人々はお互いに優しく、お互いのことを思いやって暮らすことができると考えたのですね。衣食住の問題を解決し公正な法制度を整えれば人々がフレンズのようになれると考えたのです。アニメの「ARIA」とかこういったユートピア世界を描いていますね。

真の意味での「ユートピア(理想郷)」とは? - 書評あれこれ〜
http://takezou022000.blog.fc2.com/blog-entry-228.html
 モアの唱えるユートピアは決して、エデンの園のような楽園ではない。資材や資産を国が管理することで衣食住が十分に保証されるとともに、刑罰によって国の安全も保証されています。こうした安全や生活に関わる必要物資を国が保証することで、国民は幸福の源である快楽を追求することが出来るのだと思います。つまり、生活に必要な基盤を国が保証する事で、生きるための労務や、外部からの危害から解放されて、自らの幸福を追求するための行為に集中することが出来る社会がモアの唱えるユートピアなのだと思いました。

しかし、このように考えた人間の根源的な善と自由とキリスト教を信じるモアの最後は悲惨なものでした…。「法の名の下に行われたイギリス史上最も暗黒なる犯罪」…。

ウィキペディア「トマス・モア」
トマス・モア(英語: Thomas More、1478年2月7日 - 1535年7月6日)は、イングランドの法律家、思想家。カトリック教会と聖公会で聖人。政治・社会を風刺した『ユートピア』の著述で知られる。(中略)

ロンドンの法律家の家に生まれた。大司教・大法官のジョン・モートンの家で従僕として教育を受け、オクスフォード大学、リンカーン法曹院で学び、法律家となった。1504年、下院議員。1515年からイングランド王ヘンリー8世に仕え、ネーデルラント使節などを務めた。1529年、官僚で最高位の大法官に就任した。

ヘンリー8世が離婚問題からローマ教皇クレメンス7世と反目すると、大法官を辞任。ヘンリー8世の側近トマス・クロムウェルが主導した1534年の国王至上法(国王をイングランド国教会の長とする)にカトリック信徒の立場から反対したことにより査問委員会にかけられ、反逆罪とされて同年ロンドン塔に幽閉、1535年7月6日に斬首刑に処された。

モアは俗人が教会の最高の長になりうることをあくまで否認したため断頭台で刑死したロチェスターの司教ジョン・フィシャーのことを知っていた。また、これと全く同じ理由から、しばり首になり、まだ息のあるうちに四肢を切られ腹を割かれて死んでいった修道士達のことも知っていた。彼の前に死刑以外の何ものもないことは明らかであった。(中略)

(1535年7月6日)モアはゆっくりと断頭台に登り、跪いて、「ああ神よわがために清き心をつくり、わがうちになおき霊をあらたにおこしたまえ。われを聖前よりすてたもうなかれ」云々という言葉のある「詩篇」51篇を頌した。いよいよ最後になった時、モアはその場所にいた人々に向かって「どうか私のために祈って下さい。そして私が聖なるカトリック教会の信仰を持ち、またその信仰のために、ここに死刑に処せられるというこの事実の証人になって下さい」といった。

また伝説的な物語として、一度首切り台に首を横たえてから、また急に首切り人に向かって、「一寸待ってくれ、髭をのけるから。この髭だけは大逆罪を犯していないからね」といったという話がある。

かくして「法の名の下に行われたイギリス史上最も暗黒なる犯罪」が行われた。
(平井正穂。岩波文庫トマス・モア「ユートピア」訳者解説)

トマス・モアの最後を我々は知っている訳で、ユートピアが描く人間の善性の世界というものが、果たして他の様々なものを超えられるのかということに、やはりどうしても疑問を感じずにはおれない。けれど、やはり、どこかに信じたいという気持ちもある訳で…。

涼元悠一@SuzumotoYuuichi
https://twitter.com/SuzumotoYuuichi/status/828577354838482945
けもフレ絡みのつぶやきで『生きてるだけで全肯定』って茶化して書いたけど、これって本当に重要で尊い理念であって、『この世界に今存在するという事実そのものが、この世界に存在していいという揺るぎない根拠』であることは、いつどんな瞬間でも忘れてはいけないと思う。

かばんちゃん「(ログハウスができたのは)かばんどのの一声あってのことであります!」
ドッグさん「いやあ、僕、力もないし、あんまりお手伝いできなくて」
ビーバーさん「そういう動物なんじゃないすか?考えるのが得意とか」
ドッグさん「そうであります!良い動物に違いないであります!」
かばんちゃん「……うん!」
(けものフレンズ第5話)

けものフレンズは現代の人間を元気付けてくれる、人間の根源的な善性を信じる気持ちをまた呼び覚まさせてくれる作品だと見ていて心から感じますね…。人間には根源的な善性があり、それを活かすことでみんなが幸せな世界を創り出すことができると信じられていた古代の人々が希望と夢を抱いて思い浮かべていた世界というのは、こんな世界なのではないだろうかと、けものフレンズを見ていると深く感じます…。

しかし彼はやはり一つの問いを抑えることはできなかった。ここの哀れな人々が取り残されたものであり、平和に恵まれない古き星の末裔だったとしても、またこれらの人々の生活がびくびくとした痙攣のように過ぎ去り、自暴自棄な殺戮に終わり果てるとしても、彼らが死人を戦場に遺棄し、それどころか、食らい尽しさえするかも知れないとしても、――そういうことが昔のおとぎ話の二つ三つに語られている――そうだとしても、未来の予感、神々の夢、魂の芽のようなものが、彼らの中に存在するに違いなかった。そうでなければ、この美のない世界は誤りであるか、無意味であるかにすぎないだろう。(中略)

「あなた方は、正しいことをしていないということを、心の中ではお気づきではないでしょうか?明るい朗らかな神々や、分別のある陽気な指導者や指揮者への憧れを抱いてはいないでしょうか?皆の欲しないことは誰も欲しないような、理性と秩序で成り立っているような、人間同士がお互いにひたすら朗らかさといたわりをもって臨み合うような、別な美しい生活を、あなた方は眠っているうちに夢見ることは一度もありませんか?世界は一つの全体であり、全体を予感しつつ敬い、愛しつつこれに捧げることこそ、幸福であり、救いであるという考えを持ったことは一度もありませんか?私達の国で音楽、礼拝、浄福と呼ばれているものを、全くご存知ありませんか?」

王様はこの言葉を聞いているうちに頭を垂れた。頭をあげたとき、彼の顔は変わり、微笑のかすかな光に包まれていた。目には涙を湛えていた。

「美しい少年よ」と王様はいった。「お前が子供であるか、賢者であるか、あるいはひょっとしたら神であるか、わしはよく知らぬ。しかし、わし達は、その方の話したことの全てを知っており、心の中に抱いておる、と答えることができる。わし達も、幸福や自由や神々をほのかに感じている。わし達も昔の賢者の伝説を持っておる。その賢者は、世界の統一を宇宙の調和的な和音として聞いたということだ。この答えで満足するかな?その方は彼岸からきた聖者かもしれぬ。神そのものかもしれぬ。いずれにしても、その方の心の中にある幸福や力や意志にして、わし達の心の中に予感や反映や更に影として生きていないものは一つとしてない」

突然、彼はすっくと立ち上がった。少年はびっくりした。一瞬、王様の顔はあけぼのの光に照らされたように、影のない明るい微笑にひたされたからである。

「さあ、行くがよい」と彼は言った。「行け、そして我々が戦争をし、殺人するのに任せておけ!だが、お前のおかげで、わしはしんみりとし、母を思い出した。もうこれで充分だ、充分だ、充分だ、愛らしい少年よ。さあ、行け、新しい戦闘の始まる前に、逃げよ!」
(ヘッセ「メルヒェン」より「別の星の奇妙な便り」)

ヘッセの短編集「メルヒェン」は第一次世界大戦中に戦争に反対していたヘッセが戦争と憎悪ばかりしている世界に対しての気持ちを込めて発表した作品が多く収録されており、上記もその一つです。彼は第一次世界大戦に反対していましたが、戦争の為に傷ついた自国民や傷病兵や敵国に抑留されている捕虜を慰問する国の慰問文庫の仕事に精力を注ぎ、そんな彼のアンビヴァレントな苦しみと、人類に対する絶望と希望が交じりあわさっている作品、私は心打たれてとても好きな作品です。けものフレンズのような美しいユートピアについて思うとき、この作品を思い出しますね…。

けものフレンズ関連エントリまとめ。随時更新(最新更新17/2/13)
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メルヒェン (新潮文庫)メルヒェン (新潮文庫)
著者:ヘッセ
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ユートピア (岩波文庫 赤202-1)ユートピア (岩波文庫 赤202-1)
著者:トマス・モア
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2017年02月03日 23:04

タニグチリウイチ@uranichi
https://twitter.com/uranichi/status/827114406701969408
僕も『けものフレンズ』を見ながら泣いているんだが。OPの「けものはいてものけものはいない」という歌詞のところとか、かばんちゃんじゃないサーバルがボスに認知されずバスにはね飛ばされる場面とか、スナネコが砂にサーバルやかばんちゃんやバスの絵を描いて寝ているところとか。切ないよねえ。

私もけものフレンズを見ていて、胸に込み上げる切なさを感じるので、これは凄くよく分かる言説です。けものフレンズ達はみんな自己充足的に楽しく暮らしていますが、それと共に、フレンズ達はとても善良で人懐っこく、他者に対する手助けを惜しまない。色々お手伝いをしてくれたカワウソちゃんやスナネコちゃんやツチノコちゃんも、フレンズ達のために渡し舟を引いているジャガーちゃんも、カフェを開いているアルパカちゃんも、歌を歌いながら仲間を捜し求めているトキさんも(余談ですが野生絶滅種であるトキさんが仲間を捜し求めているという物語内では触れられることのないこの文明批判がまた見事!)、みんな、完全に代価なしの無償で、カバンちゃんやフレンズ達の手助けをしている。私は見ていて、レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」や「野生の思考」を思い出していました。

冷たい社会は、ある制度を作り出すことによって、歴史的な要因が社会の安定と連続性に及ぼす影響をほとんど自動的に消してしまおうとする。
(レヴィ・ストロース「野生の思考」)

けものフレンズ達がみんな人懐こくって善良なのは、フレンズ達の生活とフレンズ達の社会、ジャパリパークのフレンズの人口分布が希薄なことも起因していると感じるのですね。フレンズ達は一種につき一体しかおらず、ジャパリパークの広大さから考えると非常に数が少ないように見受けられる。何より彼らは、一種につき一体のため、みな群れずに個体として孤独な基本生活を送っている。詳細は後述しますがこれは、人類種と同じタイプの言語を持つ知的生命にとっては、そうとうに寂しいことだと思います(また砂漠で一人に戻ってしまったスナネコちゃん…)。ただ、このことによって、フレンズ達の社会はクラストルの言う「抑圧システム」(国家等)を創りだして支配被支配関係のある社会を築いてしまうことを防いでいる。フレンズのユートピアと孤独は表裏一体なんですね。

(共同体の分業生産により)富が蓄積されると、そこには宗教や国家などの体系ができはじめる。メソポタミアの歴史なんかみても、このなりゆきは、避けられないみたいらしいんだ。そしてさらに富が増大するにつれ、生産性の可能性も向上し、人口も増える。そしてこれに対処するために官僚機構が成立し、法や軍隊が形成されて、ますます抑圧的になっていく。こういうのが歴史の流れみたいだ。でも贈与は、このプロセスをぷつりと断ち切れるということなんだ。
(中山元「思考の用語辞典」)

ユートピア論において一番難しい問題は、支配・被支配の関係性がユートピアであろうとした社会をディストピアに変えてしまうということであり、その答えとしては、一人ひとりが基本的に孤独に暮らすしかないという、非常に寂しい答えが出てきてしまうんですね…。真のユートピアと孤独は表裏一体のものとしてあるのです。けものフレンズの世界はユートピアですが、そこを人間の眼差し(言語構造からの眼差し)で見たとき、また切なく寂しいものを感じてしまう。それは広大なサバンナに人間が一人でいるとき孤独を感じるのと同じように…。

獣であったら、群れない動物であれば、一匹で生きていく孤独に強靭に耐えうるでしょう。しかし、けものフレンズ達は人類種と同じタイプの言語コミュニケーションが可能な知性を身につけている。そして、言語こそ、抽象的認識・抽象的思考を可能とし、他者とのコミュニケーションを根源的に求めてしまう、自己充足性の壁に穴を開けて欠如を作り出してしまうものなのです。ゼウスは言語の剣によって自己充足性の壁を切断したのです。

ゼウスは決断した。「人間を真っ二つに両断しよう」。その言葉通り、人間は両断された。両断後アポロンが修正を加えた姿、それが現在の人間の姿である。それ以来、人間は己の失われた半身を焦がれ求めるという。(プラトン『饗宴』))

人類学者レヴィ・ストロースは、奥地でのフィールドワークによって、全く代価なし(物々交換でもなく、完全に無償の贈与。有名なものではポトラッチ等)に見える関係性が、貨幣経済や分業経済の発達していない奥地などに多く見受けられることを研究し、

『人間は、他者に何かを贈与したり贈与されたりすることで(これは物々交換ではない純粋な贈与や純粋な受け取りも含む)、関係性を築くことを根源的に希求する生物であり、それは共同体の言語(言語から生まれる構造)から発露する知性に拠っている』

というようなことを発見したんですね。

例えばこれは現代の高度分業社会(私達の住むこの社会)にもあって、昔のインターネットとか無償性が非常に高い世界でしたが、今と同じように普通に賑わっていた訳です。この無償の贈与と受け取りの賑わいは、利害関係を基にした功利主義だけでは説明不可能な訳ですね。ただ、現代のインターネットは経済活動として行われる一部悪質なまとめサイトやキュレーションサイトが圧倒的に蔓延っている、経済功利主義の下部構造になってしまったところが大きいですが…。

余談ですが、レヴィ・ストロースを批判したジャック・デリダは、レヴィ・ストロースの理論を換骨奪胎(脱構築)して『「語りかける言葉」こそが真の贈与である』という理論を構築したんですが、日本に限らず世界中の現在のインターネットの偽ニュースサイトや悪質なまとめサイトや大企業のキュレーションサイトの跳梁跋扈ぶり(「語りかける言葉」の経済的功利主義化)を見ると、あっという間にデリダの理論の重要な部分が技術発達により崩れ去ってしまったなと感じますね…。レヴィ・ストロースの理論こそが、今も燦然と基礎理論として機能している。閑話休題。

フレンズ達は人類種に比べると遥かに自己充足的(孤独に対する耐性が非常に強靭)ですが、それでも寂しそうです。人類種のタイプの言語コミュニケートを取る知的生命の他者に対する善良さと人懐っこさは寂しさと表裏一体なんだと思いますね…。

フレンズ達が獣から変異して言語コミュニケーションを行える高度知性を得たということは、人類種と同じく、言語を持たない動物の自己充足性からは切り離されてしまった、獣の頃に持っていた完全な自己充足性が不完全になったということなんですね。言語を得るということは、それは自分が抽象的世界の一員であることを知るということであり、他者を知ることであり、死を知ることであり、抽象的関係性への希求が生まれることなんですね。

そして、その抽象的関係性の最も大きなものが、フレンズ(他者との無償の友情)なんですね。ゆえに、本作の題名は『けものフレンズ』なのだと思います。

ただ、最後に補足すると人類種は人類種以外の視点を得るというのは不可能な訳で、もしかしたら上記で書いたことは全て的外れであるかもしれない。あくまで人間の眼差しでけものフレンズ達を解釈したものに過ぎず、人間と異なる種であるフレンズ達は真に充足し真に全力で他者を手助けすることを望む知的生命なのかも知れない。相手に思いを寄せる思考の果てを考えさせてくれるところが、けものフレンズの優れたSF性であり、孤独を絶対性から感じさせる詩情であり、寂しく切ないところであると感じますね…。

萩原朔太郎

「さびしい人格」

さびしい人格が私の友を呼ぶ、わが見知らぬ友よ、早くきたれ、ここの古い椅子に腰をかけて、二人でしづかに話してゐよう、なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう、遠い公園のしづかな噴水の音をきいて居よう、しづかに、しづかに、二人でかうして抱き合つて居よう、母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、母にも父にも知らない孤児の心をむすび合はさう、ありとあらゆる人間の生活らいふの中で、おまへと私だけの生活について話し合はう、まづしいたよりない、二人だけの秘密の生活について、ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか。

わたしの胸は、かよわい病気したをさな児の胸のやうだ。わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情のうるみに燃えるやうだ。ああいつかも、私は高い山の上へ登つて行つた、けはしい坂路をあふぎながら、虫けらのやうにあこがれて登つて行つた、山の絶頂に立つたとき、虫けらはさびしい涙をながした。あふげば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、おほきな白つぽい雲がながれてゐた。

自然はどこでも私を苦しくする、そして人情は私を陰鬱にする、むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、ぼんやりした心で空を見てゐるのが好きだ、ああ、都会の空をとほく悲しくながれてゆく煤煙、またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。

よにもさびしい私の人格が、おほきな声で見知らぬ友をよんで居る、わたしの卑屈な不思議な人格が、鴉のやうなみすぼらしい様子をして、人気のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。

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饗宴 (岩波文庫)饗宴 (岩波文庫)
著者:プラトン
岩波書店(2008-12)
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思考の用語辞典―生きた哲学のために (ちくま学芸文庫)思考の用語辞典―生きた哲学のために (ちくま学芸文庫)
著者:中山 元
筑摩書房(2007-02)
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はじめての構造主義 (講談社現代新書)はじめての構造主義 (講談社現代新書)
著者:橋爪 大三郎
講談社(1988-05-18)
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野生の思考野生の思考
著者:クロード・レヴィ=ストロース
みすず書房(1976-03-30)
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悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)
著者:レヴィ=ストロース
中央公論新社(2001-04)
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悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)
著者:レヴィ=ストロース
中央公論新社(2001-05)
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萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)
著者:萩原 朔太郎
岩波書店(1981-12-16)
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2017年02月02日 15:28

今、天恵のようにぱっと閃いたんですが、「けものフレンズ」って、完全に「人類補完機構」シリーズの初期の話と通じ合うところがあるんじゃないでしょうか。人類補完機構の宇宙史における初期を描いた「マーク・エルフ」「昼下がりの女王」(「人類補完機構全短編1」収録)が完全に今のけものフレンズぽい。

人類補完機構の初期の時代を描く、「マーク・エルフ」「昼下がりの女王」の世界は、今から数千年先の未来、壊滅的な戦争によって人類がほぼ絶滅した世界、人類が遺伝子操作で作り出した獣人達、犬族、猫族、熊族などの獣の各種族の獣人達が、人類なき後の地球を平和裏かつ牧歌的に、そして非文明的(獣人達は遺伝子操作により争いや戦いは好まず獣の自己充足を持っているので欲望も強くなく、平和な世界だが文明レベルは低い)に暮らしているんですね。

でもそこは、平和に暮らす獣人達をおびやかすセルリアンもといマンショニャッガーという殺戮兵器が徘徊している世界でもあるんですね。マンショニャッガーはドイツ第六帝国の創り上げた殺戮マシン(ドイツはどれだけ帝国作って戦争やりまくったんだと読んでいて思わず突っ込む)で、ドイツ人以外をすべからく殺戮するマシンであり、ドイツ人の言うことしか従わない厄介なマシンなのです。

そして、時代を遥か遡り第二次世界大戦の時、ドイツの大貴族の科学者がヒトラーの危険性を危惧し最終的にドイツが戦争に負けることを見通して、自分の娘達(ドイツ貴族の美少女姉妹!)を冷凍睡眠装置にいれて冷凍睡眠状態にしてロケットに乗せ、戦火の届かない場所である地球静止軌道に打ち上げるんですね。そして、遥かなる刻を経て、人類なき後の獣人達の地球に再び少女は戻ってくるんですね。

そして、姉妹の片方が冷凍睡眠から目覚め、右も左も分からない遥かな未来の地球に降り立った少女は心優しい獣人達や、恐るべき殺戮マシンでありながら、純粋なるドイツの血統を持つ彼女には騎士の如く従うマンショニャッガーと共に(ドイツ第一主義の殺戮マシンのマンショニャッガーは流石にその後の歴史からはいなくなるんですけど)、活力を失った人類に活力を取りもどし、新たな人類の世界を再生させていく――そして少女は神話となる――というのが、人類補完機構の壮大な宇宙史の始まりなのです。「マーク・エルフ」で降りてきた少女が姉妹のもう片方を呼び寄せる話が「昼下がりの女王」です。

人類補完機構は、コードウェイナー・スミスの創造した壮大な宇宙史でして、幻想とSF性の入り混じった独特の幻想性、そして何より、作者のスミスが動物好き、特に猫が熱狂的に大好きな人物で(ちなみにどうでもいい余談ですが熱狂的に猫が好きなところは私と同じです!!)、人類補完機構の短編「鼠と竜のゲーム」などで、人間と猫がそれこそ完全に心通じ合ったパートナーとなった世界を描いており、なおかつ獣人が、とても魅力的なんです!ぶっちゃけ人類よりも獣人の方を魅力的に描いていることは全作品を通して明らか。

さらに、人類補完機構シリーズ最大の特徴は、人類が遺伝子操作によって創り上げた獣人達が、世界において大いなる役割を果たしているところで、この獣人達こそが人類補完機構シリーズの真の主役といっても過言ではありません。ちなみに外見は獣の特徴と人間の特徴を併せ持った外見であり、まさにけものフレンズ、ケモナー大歓喜です!!(耳が何個あるかは描写されていないので不明ですが、獣の特徴を持った外見であることは書かれているのでケモノ耳はついているような気がするというか読んでいると頭の中のイメージで付いてくる)。

そして何より、猫の獣人の真祖である、人類補完機構シリーズの最大のヒロイン、ク・メル!!ク・メル!ク・メル!ク・メル!ク・メルぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!

失礼しました。まさにコードウェイナー・スミスこそ、早すぎたケモノ萌えの開拓者であったことは昔(1960年代)から指摘されておりますが、「マーク・エルフ」「昼下がりの女王」とけものフレンズの通じあう展開もまた考えられてよいのではないかと思うところであります。そして、ケモノ耳が正義と善と自由と希望と未来と可愛いの全てであるということもけものフレンズ・人類補完機構の全てを通してまた確かなことであるのです。

こてんねこみみ(ク・メル)
http://chemne.hiho.jp/neko/kotenneko2.htm
人類補完機構シリーズ≪猫耳作品としてのみどころ≫

 補完機構シリーズにおける未来では、ほぼ全ての労働が高度な科学技術で機械化されているため、普通の人間(真人と呼ばれます)はほとんど働く必要がありません。しかし、機械の保守点検といった機械自体で補えない単純労働を、動物から作り出された亜人間が担っています。この亜人間たちは人権のない下級民として、奴隷のように真人に仕えているのです。

 下級民には犬、鳥、牛、熊、蛇、カメ等、ベースとなる動物によってバラエティがあり、もちろんその中には猫の下級民も存在しています。その代表格はシリーズ全体を通じてのヒロインともいえる猫娘ク・メルなのですが……。

 実は彼女が『ネコミミ』として描写されている場面は一つもありません!

 元が猫である、猫らしい、という描写は結構あるのですが。基本的に『遊び女(ホステス嬢)として作られている』という以外に外見の描写があいまいで、登場作品ごとに微妙に設定が違っていることもあり、自由な想像が入り込む余地が多いのでしょう。

 なぜか日本では彼女の姿を絵にすると、ネコミミになっていることが多いようです。ネコミミの方が先なのか、ク・メルの方が先なのか私には分かりません。猫耳が今ほどのブームになる以前も、ク・メルのイラストは猫耳だった、という噂を聞いたこともあります。ただ、ク・メルという最古世代の猫娘ヒロイン(初登場はおそらく1961年!)が、今のネコミミに何か影響を与えているに違いない!と、スミス作品の一ファンである私は思うわけなのです。(中略)

  (ク・メルの)外見は、ロッドいわく『オールド・ノース・オーストラリアの女性がみんなラードの袋に思えるほど(文庫版P208)』愛らしく、地球一の魅惑的な美女を生み出すように交配された猫娘。
 
  動きはすばやく、隙が無く、抱きしめたくなるほどかわいくて、休息している時でさえ官能的。しなやかですべすべした体と、赤い髪と鋭い目と幅広いヒップ、野性の鈴のようなソプラノの声、というあたりが具体的な特徴です。ただし、普通の人間から見ると一目で猫娘と分かるらしいのですが……。(耳についての記述がないことに注意。このあたりにク・メルを猫耳と解釈する余地があるのかもしれません)

 ク・メルは『遊び女』として育てられてはいますが、その内面は派手好きでも軽薄でもなく、仕事として与えられた役を完璧に演じきる、どちらかというと知的な娘です。元々群れをつくらない猫の出身であるせいか、身分の上下をあまり気にかけず、誰にでも明るく接します。

最後に、けものフレンズの関連エントリをまとめました。こちらになります(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921487.html)あと、人類補完機構昔から大好きなので(エヴァが放映される前からファンでした)、ケモナー絵師のみなさんがク・メル書いてくれたら嬉しいなあ…。

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私の書いたけものフレンズ関連エントリまとめです。今後も随時更新致しますね。新しい順に並んでいます。

けものフレンズ第8話「ぺぱぷらいぶ」視聴。今回も安定して面白かった!音楽の楽しみと歴史的・儀礼的要素。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1923415.html

けものフレンズ第7話「じゃぱりとしょかん」視聴。神話の始まりを感じます。「人はもういないのです」「人はもう絶滅したのです」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1922909.html

けものフレンズ6話は戦争の話ではない。遊びの話である。たーのしー!から人類史のルールが生まれた。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1922423.html

けものフレンズ第6話「へいげん」フレンズ達はなんて良い子なんだ!そして人類種の可能性の希望を感じさせてくれる作品!
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1922381.html

けものフレンズの存在丸ごと認め合う優しい関係。「かばんちゃんが何であっても関係ないよ、かばんちゃんはかばんちゃんだよ」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1922230.html

けものフレンズは知能を下げる作品ではない。寧ろそういった他者への偏見を打破する優れた作品。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1922101.html

けものフレンズ第5話視聴。優しさに胸が一杯になるユートピア物語。トマス・モア「ユートピア」とヘッセ「メルヒェン」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921861.html

けものフレンズはなぜ見ていて泣きたくなるほど切ないのか。寂しいフレンズ達と題名『けものフレンズ』
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921587.html

けものフレンズと人類補完機構。心優しい獣人達と第二次世界大戦を避けて宇宙で冷凍睡眠していたドイツの美少女から始まる壮大な大宇宙史とケモノ耳。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921488.html

けものフレンズは本格SFだった!第4話考察。SFの面白さに目覚めさせてくれる作品。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921376.html

プリキュアやけものフレンズの暖かさについて。村上春樹「あなたのためのファンタジー」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921172.html

けものフレンズの優しいユートピアとポストID論。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921139.html

けものフレンズの「考察」とは根源的に何であるか。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921095.html

けものフレンズの切ない寂寥感について。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1921077.html

けものフレンズが如何に本質的SFであるか。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1920969.html

早川書房はけものフレンズ特集を出すべき
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1920876.html

けものフレンズ好きにお勧めのフリーゲーム
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1920846.html

けものフレンズ第2話視聴。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1920493.html

けものフレンズ第1話視聴。オースティン「地球の長い午後」クリフォード・D・シマック「都市」ばりのSF設定を感じるよ!!
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1919840.html

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