2015年02月

2015年02月27日 19:06

3DSの無料ポケモンゲーム「ポケとる」をプレイ中。課金要素のあるゲームですが、今のところ一切課金せずに楽しく遊べています。現在、ステージ90のメガクチート戦まできたのですが、このボスが手数+5を使ってもどうしても倒せない…。下記サイトさんが攻略されていますね。

3DSゲーム攻略ブログ。ポケとる 攻略 ステージ90 メガクチート クリア方法 倒し方
http://questnikki.blog.fc2.com/blog-entry-1278.html

上記のサイトさんの攻略を参考にして課金なしでクチート撃破がんばってみようと思います。PS3のドラゴンクエストヒーローズもプレイしてみたいんですが、手持ちのお金が無いので無理な感じです…。お金のないゲーム好きには、ポケとるのような無料で遊べるゲームは本当にありがたいですね…。

話は変わりますが、最近読んだ何冊かの本のうち、清少納言を主人公にした沖方丁さんの小説「はなとゆめ」が凄く面白かったです。僕は平安時代に関する知識がほとんどなかったのですが、本書を読んで、平安時代に興味を持って、本書巻末の参考文献をいくつか図書館で借りてしまいました。藤原道長との政争に敗れて滅んでいく藤原定子陣営の女房である清少納言が、主君である藤原定子への忠誠を持って、定子と共に滅びゆく陣営と生きていく姿を描いていて、凄く良かったですね…。藤原定子の優れた君主としての聖賢の主君としての愛と、清少納言の主君に捧げる忠誠献身の愛が交わってちょっとユリ的な感じ(プラトニックな女性同性愛要素)もあって、面白かったです。ぜひ一読をお勧めできる作品ですね…。

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2015年02月24日 13:38

「21世紀の資本」の著者トマ・ピケティさんを招いたシンポジウムの議事録を読みました。なかなか面白かったですね。少し引用致します。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11617309.html
ピケティ流、富の再分配とは シンポジウム「広がる不平等と日本のあした」

トマ・ピケティ
「富の分配という問題は、19世紀にはリカードやマルクスが政治経済学の中心に置いていたが、20世紀に入ると中心から外れていった。経済の発展が進めば不平等は自然に縮小するものだと、多くの経済学者が楽観的に考えるようになったからだ。しかし、いま、そんな話を本気で信じている人はいない。この数十年間、多くの国で、不平等が大きく拡大しているのだ。

 米国の経済学者クズネッツが指摘したように、1920年代から50年代にかけて、所得の不平等は大きく縮小していた。しかし、80年代くらいから拡大し始め、今や20年代よりひどくなっていると言える。(中略)

資産の不平等は、長い目で見れば所得の不平等より重要だ。上位10%の人たちが、欧州で60%、米国で70%の資産を所有している。日本では50〜55%くらいという分析があるが、私は過小評価されていると思う。

 現在の資産の不平等は、1世紀前ほどひどくはない。しかし、国民所得に比べてどれくらいの資産が存在するかを見ると、歴史的にも非常に高い水準になっている。第1次世界大戦、大恐慌、第2次世界大戦で落ち込んだが、その後増加しているのだ。

 世襲社会、相続財産に依存する社会が戻ってきている。とくに欧州と日本で。経済成長率が低いため、過去に蓄積した資産が重要になるからだ。(中略)

人口が減り続けるのは怖いことだ。もし、どの家も子どもが10人もいるような社会なら、遺産をあまりあてにできないだろう。それが、ひと家族あたり一人しか子供がいなければ、相続の重要性が増す。不平等の構造に影響を及ぼすことになる。だから長い目で見て最も重要な不平等対策は、人口を少しでも増やすことだ。

 日本の不平等は、たしかに米国ほどではないが、増大している。ゼロに近い成長のときに国民所得に占める上位の人々のシェアが増えるということは、購買力を減らしている人がいるということだ。深刻な問題だ。

 日本の最高所得への税率は、過去の水準、あるいは国際的な水準から見ても、高くはない。トップの人の所得は増えているのに、税率は低い。私は、日本の税制は、もっと累進を強めることができると思う。消費税の増税は、私には正しい方向とは思えない。低所得者、中所得者の税は減らし、高所得の人や資産の多い人には高めの税金をかける方が、日本の経済状況に合っているのではないか」(後略)

本当に全面的にその通りだと思いますね…。あと結婚と出産が資産を流動させる最大の要因というのは、先に取り上げたエマニュエル・トッドさんも著書で述べていて、人口学や経済学では常識の範疇のようなのですが、日本ではあまり取り上げられないですよね…。

「長い目で見て最も重要な不平等対策は、人口を少しでも増やすことだ。」

結婚すれば夫と妻の両家の資産が主に相続時等に大きく流動的になる訳で(いわゆる玉の輿結婚、お金持ちと貧乏人が結婚すると、貧乏人の方にもお金持ちの資産が来る)、出産すればその流動性は更に高まる(両家の資産の相続人が増加する)。その資産流動性を減らす(資産を防衛する)為に上流階級同士(資産家同士)の政略結婚とかがある訳ですね。

結婚や出産する人が減って人口が減少するというのは、上記の資産流動性が減少して、資産格差が固定化する方向性ですから、その点、日本は世界の中でも非常に格差固定しやすい社会(結婚や出産する人が減って人口が減少しているため、資産流動性が低下している社会)ということが言えるんですが、日本の人口の減少が、格差固定の問題として語られることはほとんどないのは、心配な感じですね…。

累進課税の拡充などの税制の問題、教育格差、福祉格差の問題もとても重要な問題だと思います。そしてそれだけではなく、結婚や出産も経済問題(格差)における重要な問題であるということは、もっと周知されて然るべきことだと思いますね…。

21世紀の資本
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2015年02月19日 11:36

今日の朝日新聞に、社会アナリスト(分析家)として名高いフランスの著名な学者エマニュエル・トッドさんのインタビュー記事が載っていますが、とても面白かったですね。フランスのシャルリー襲撃テロ事件後、フランス社会での道徳性圧力が高まり、ジョークの一つも飛ばせない息苦しい道徳性に満ちていると述べていて、大きな事件が起きると社会の道徳性圧力が高まるのは古今東西どこも同じだなと思いました。

(インタビュー)分断される世界 仏人類学・歴史学者のエマニュエル・トッドさん
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11608952.html
エマニュエル・トッド
「事件後の私達は、酔っ払いが馬鹿を言っただけで捕まり、9歳の子が学校でのテロ発言での疑いで警察に呼ばれる国で暮らしています。国内メディアから(シャルリー襲撃テロ事件について)20件ほど取材依頼がありましたが、全て断りました。何の得にもならない、心置きなく話せる環境ではないと感じるからです。本来は大統領すら罵れる国ですし、私もそうしてきましたので、この現実は耐え難い。(復讐への意志と愛国心で)人々の感情が高ぶっていては、安心して話せません」

インタビュアー
――何か脅しのようなものが?

エマニュエル・トッド
「ありませんが、例えば仲間内のおしゃべりで私がシャルリーを批判する権利に触れたとします。(フランス国内の)社会的弱者が頼る宗教を風刺するのは品がないぜと。すると相手は、『君は表現の自由に賛成じゃないのか。本当のフランス人じゃないな』と決め付けて来る訳です。(中略)

『私はシャルリー』が、『私はフランス人』と同義になってしまっている。私はシャルリーじゃない、つまり宗教上の少数派を保護し、尊重しなければと言ったとたん、本物のフランス人ではないと…。

今日の社会で表現の自由を妨げるのは、昔ながらの検閲ではありません。今風のやり方は、山ほどの言説によって真実や反対意見、隅っこで語られていることを押しつぶし、世論の主導権を握ることです」

――フランスの空気が変に?

エマニュエル・トッド
「連続テロ以来、メディアも政治家も神話の中に生きている。私たちは米国人や日本人と同様、長所も短所もある普通の国民です。なのに、我々はテロに屈せず約400万人が行進した勇敢ですばらしい国民だ、1・11(大行進)の精神だと。まるでその精神が国内問題を一気に片づけてくれるかの期待さえある。でも(移民が多い)郊外の問題は解決できないし、イスラム嫌いは広がっている。経済危機も雇用難もそのままです」

これ(大きな事件で道徳的圧力が高まる)は日本でも同じですね。作家の島田雅彦さんが地下鉄サリン事件の時の日本の雰囲気を以下のように書いています。

教団幹部達の逮捕が相次いだ。罪状は殺人罪、殺人予備罪から私文書偽造罪や偽証罪まで、暮らしの中の犯罪のオンパレードだった。私文書偽造なら千鳥(著者である島田雅彦本人をモデルにした作家の主人公)もしょっちゅうやっている。ホテルに泊まるとき、氏名を田谷力三としたり……クラブの女の子には歌ってお道化る独身の作曲家田谷力三と自己紹介した場合には、私文書偽造罪になるわけだ。(作家として)嘘を一ついくらで売り、うまく嘘をつくたびに活気づく商売の千鳥は、自分が不自由になるのを感じた。この国は、何か不吉なことが起きると、とたんに冗談やユーモアが通じなくなり、警察が元気になり、パンクやホームレスやアーティストの肩身が狭くなる。全てにおいていい加減で、無責任な連中は、その中には千鳥も含まれるのだが、とりあえず、まわりの雰囲気に合わせて深刻ぶって、七十五日が過ぎるのを待った。

この国に暮らす国民は好むと好まざるとに関わらず、何か不吉な出来事の直後、いっせいに道徳的になる。
(島田雅彦「子供を救え!」)

『この国は、何か不吉なことが起きると、とたんに冗談やユーモアが通じなくなり、警察が元気になり、パンクやホームレスやアーティストの肩身が狭くなる。』

島田雅彦さんは、日本固有の問題として語っていますが、これって全世界どこの国でも共通でこうなりますよね…。むしろ、日本は国民性として色々忘れっぽいので、七十五日でなんでもかんでも風化する、ある種、良い意味での忘れっぽさがそういった道徳性を和らげている部分もある。

エマニュエル・トッドさんは、十字軍などの遥か昔からの遺恨のある米欧とイスラム圏の問題と違い、日本はそういった大昔からのキリスト教対イスラム教の恩讐というものに全く関わっていないので、米欧の対イスラム戦略には乗らずに、どちらにもいい顔をして思想の問題には深く関わらないようにする(ビジネスだけ関わる)というのが一番だと思いますよ、日本はイスラムに関わるよりも近隣外交に力を入れて地政学的安定を目指した方が良いと、日本にアドバイスをくれていますが、本当にその通りだと思いますね。千年を超える宗教的な血みどろの恩讐には、仏教国日本は一切関わらないというのが一番良いことです。日本は仏教国ですから、西側のキリスト教国の宗教的仲間として振舞う必要もないし、イスラム圏に肩入れする必要もない。どちらとも距離をとって、争いに巻き込まれないようにするのが一番だと思いますね。

余談ですが、今後も数百年、数千年と、おそらくは人類が存続し続ける限り永遠にキリスト教とイスラム教は戦い続けるでしょうし、おそらくこれ、日本だけではなく世界中の仏教国が感じているのではないかと思いますが、日本が仏教国で本当に良かった…。『私どもの国は仏教国なんで、あなた方のやっている宗教戦争とは関係ないんです。どっちにも関わりません』って立場になれるのは、この世界においては、非常に有利な平和なポジションですからね…。閑話休題。

――過激派組織「イスラム国(IS)」が日本人を殺害したことについては何を思いましたか。

エマニュエル・トッド
「恐ろしい話だが、パリの連続テロに比べると、より偶発的だと考えます。国内でテロが起きない保証はないけれど、日本は原油確保のためアラブ世界には気をつかってきました。パニックに陥ることはない(中略)

(欧米の西側キリスト教諸国は)みんなロシアやアラブ世界にいら立っています。西側の熱病はまずリーダーの米国を襲い、欧州を巻き込み、好戦的な、いわば狂気が世界に広がりつつある。

70年代に米知識人の著書で見た『西側ナルシシズム』の言葉を思います。米国人の基本的な個性は、自分の中に閉じこもることだという分析です。自分にしか関心のない個人が集まれば、自己偏愛的な社会ができあがる。地政学的には、自分たちこそ世界の真ん中だと考える国になる、というわけです。そんな傾向が先進国に拡散しているのです。

こちらのメディアは『国際社会が非難している』という表現を使いますが、それは米国+同盟国だけだったりする。中国やインドが抜けたら人類の半分以下かもしれない。西側世界は熱狂しやすく、自己偏愛や不寛容が膨らみ、世界全体が見えていない。大いに心配しています」

――日本は大丈夫でしょうか。

エマニュエル・トッド
「居心地は悪いでしょう。西側世界の一員なのに、米欧のように世界の中心だなんて思えないからです。日本は安全保障的に西側であり続ける必要があるが、こと中東対応では最低限の連帯を口頭で示しておけばよい。戦略的課題はまず中国です。米国、中国、ロシアとどう付き合うか。巨大な中国は不安定ですから、対米の次に重視すべきは対ロ外交だと思われます。その正しい方向性がウクライナ危機でぼやけたのは、日本にとっては痛恨事ですね」

『日本は安全保障的に西側であり続ける必要があるが、こと中東対応では最低限の連帯を口頭で示しておけばよい。戦略的課題はまず中国です。米国、中国、ロシアとどう付き合うか。巨大な中国は不安定ですから、対米の次に重視すべきは対ロ外交だと思われます』

これは完全に僕も同感ですね。外交リソースを割くべきはどう考えても、アメリカ外交はまあ別格として、そのほかの外交は、地政学的安定のための近隣諸国外交、アジア諸国・ロシア・オーストラリア外交が最優先でしょう…。

世界の多様性 家族構造と近代性
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2015年02月17日 22:06

まず始めにギフト券ありがとうございます。とても助かります。スペースダンディは本当に良い作品でした。ぜひ三期を期待したい作品ですね…。

少し前にライトノベルは馬鹿にされているということが話題になったようなので今回はそのことについて少し書いてみようと思います。

ライトノベルが馬鹿にされがちな三つの理由
http://kazenotori.hatenablog.com/entry/2015/01/31/171831

上記ブログさんのエントリーがこの話題の発端だと思うのですが、僕個人の意見としては、ライトノベルは寧ろ読書家、文芸界隈では、新規の文学として評価されているように見受けられるのですね。寧ろ、その新規な文体の文学的評価は一般にベストセラーになるような純エンターテイメント小説より高く評価されていたりするように思います。

文芸批評家の福田和也さんは、舞城王太郎の斬新さを最も早く見出して評価した論者ですが、舞城王太郎や佐藤友哉のようないわゆるライトノベル界隈の作家の文体(即物的・反写実的・断片的・子供っぽい内容・ミニマルな文体)を評価していて、僕も賛成ですね。以下、少し長いですが引用致します。

舞城王太郎が、平成10年以降を代表する、あるいは象徴する作家であることはたしかなことだろう。舞城の存在、あるいは作品は、明確にある切断を示している。

その断面を分かりやすく言えば村上春樹的なものとの徹底的な決別にあるだろう。村上春樹の特徴が、(小説技法の)技術的な洗練、対象との距離の保持、趣味の良いポピュラリティ、倫理への問い、ストイシズム、成熟だとするならば、過剰と混沌、技術への軽蔑、悪趣味、衝動、幼児性に彩られている舞城作品は、まさしく対極に位置すると言っていいものだ。(中略)

(舞城作品の)その他の登場人物といえば、ほとんどポンチ絵的に類型的な、つまりは中学生が漫画やテレビなどから作りあげたような存在でしかありえない。冒頭のサンディエゴの病院は、著者独特の手数の多い饒舌さで語られるけれども、そのリアリティを支えているのは、あくまですべてを自らの了解の中に閉じ込めてしまう断定と童貞的な、つまりは知らないがゆえの全能感である。(中略)

メディアで問題にされるような事件を主題として考えるならば、幼児性を帯びて現れる舞城作品の暴力こそが、現実的なのだといえるかもしれない。たとえば、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」における、ノモンハンでの皮剥ぎの拷問や、新京の動物園での射殺といった目的を持った暴力は、むしろファンタジーの極みであり、今日における暴力は、舞城の、荒唐無稽にすらなりきれない、未熟さ、認識と想像の欠如に発するものではないか。

だとすれば、舞城作品がまとっている、幼児性、子供じみた、肉親とクラスメートしかいない世界もまた、今日の現実感覚に沿っているのかもしれない。さまざまな他者との接触、親交、対立などを通して、人格なり見識なりを育んでいけるような「社会」などというものは、もはや、存在しないのかもしれない。(中略)

それはただ、社会的訓練ができていないなどと非難される若い人たちのことだけではないだろう。市場とネットワークに適応し、分かりやすい成果を追求する人々にとっても、社会などないのかもしれない。いわゆる経済小説のたぐいに、市場の幻影以外には人らしい人が出てこないことを考えれば、舞城作品は、むしろ社会の不在を忠実に表現しているとも言える。

少なくとも、舞城王太郎は、自作の幼児性については意識的である。それはいわば作りこまれた幼児性であり、成熟の不可能性を認識する遥か手前、ただ子供として癒され、慰められ、満足させてもらうことを求めている、そういった欲望しか抱き得ない存在として「俺」は造形されている。しかしまた、同時に「俺」は、それが安っぽくなさけないことだということを熟知している。(中略)

(おふざけ・ナンセンス・幼児的衝動によるアンチヒューマニティの舞城作品は)だからこそ、推理小説の正当に連なると見るべきなのだ。というのも推理小説というジャンル自体が、人間性の軽視、ヒューマニティの縮減を必然的に要請するからである。

エドガー・アラン・ポーの作品と理論が、ボードレールをはじめとするフランスの詩人達から熱狂的に受け止められたのは、そこにロマン主義が肥大化させきった人間性を、ヒューマニティに対する誇大妄想を、打破する契機を見い出したからに他ならない。(中略)

佐藤友哉作品では、本来もっとも作者が力を入れて書くべき箇所、さまざまな意味でクライマックスとして措定されるべき部分が、故意にか、無意識的にか、もっとも平板に書かれている。(中略)

(佐藤作品の重要箇所での文体は)小説の記述というよりは、むしろ芝居のト書きに近い文章だろう。「ただ動くだけ」というフレーズが、二度使われているなど、文章というよりむしろ記号、あるいは合図といった方がいいのかもしれない。「ここは、こういう場面なんだから、分かるでしょ、まあ、そういうことで」というような。(中略)

こうした事態(文体の反写実性・断片性)はおそらくライトノベルとよばれるジャンル全体に見られるのだろうが、佐藤の場合それは、技巧の欠如とか、煩雑さの回避、情報量の低減による読者への迎合といったことではない、より本質的な事のように思われる。

それはおそらく、写生文が作り出してきた、近代日本小説の時間と内面を解体しようとするような、そこまでいかなくとも対抗しようとする潮流を代表するように思われる。
(福田和也「現代人は救われ得るか」)

ここで述べられてる「写生文が作り出してきた、近代日本小説」というのは、大河ロマン小説なんかが特徴的ですが、登場人物達の行動(=行動と直結した内面)やその舞台に一貫性のある整然とした小説のことです。村上春樹さんの1Q84なんかそうですね。あれはポストモダン風に見せかけた、実は完全にモダニズム長編大河小説という感じでした。

福田和也さんなどの文芸批評家は、もう日本の現代社会においてはそういった行動=内面や舞台=社会の一貫性は解体されてしまっているし、そういった解体後の世界(現代)においては、むしろライトノベル的断片文体の方が、少なくとも読み手にとってはリアリティのある世界を描いていると述べていて、なるほどなと思いましたね。吉本ばななさんや川上弘美さんの作品なんかも、その点でライトノベルに通ずるなと思います。

ドゥルーズ Gilles Deleuze(1925-1995)
http://www.ne.jp/asahi/village/good/deleuze.htm
ドゥルーズは、健全な「欲望」の姿と本当の「私」のあり方を、語っている。以下は、二十代の女性が酔って書く日記の一節。

「私の心と私の言葉の間には、決してうめられない溝がいくつもあって、それと同じくらい、私の文章と私の間にも距離があるはずだ。
 でも一般にみんな、日記に向かうとき素直になっているような気になっている感じがして、気持ち悪いから何となく日記は気取っていて、いやなのだ。
 本当に人を救う尊い仕事をしている男が、ある朝交差点で世にもHなお姉さんの後ろ姿に勃起し、さらにその日のうちに幼い娘に八つ当たりし、妻と話しあって高次の愛に接したら、それはみんなその人で、その混沌が最高なのにみんな物語が好きだから、本人もそうだから、統一されたいと願ったり、自分をいいと思ったり悪いと思ったり、大忙しだ。
 変なの。」(吉本ばなな『アムリタ』)

これは意図的に幼稚な感じの文章で書かれている(吉本自身の文章は名文だ)が、言っていることは誰でも判る。人間の経験は、多様で、「分裂病(=統合失調症)」的であるということだ。にもかかわらず、われわれはそれらを、例えば「立派な先生」といったような、一つの「物語」に統一することを異常に好む。そうであるがゆえに、自分を誤解してしまう。ドゥルーズが批判しているのは、「みんなが好き」な、こうした「物語」だ。そうした「物語」の親分(=元締め)が、フロイトの言う「オイディプス(エディプス)・コンプレックス」である。(中略)

『リゾーム』(『千のプラトー』第一章)

「リゾームになり、根にはなるな、決して種を植えるな! 蒔くな、突き刺せ! 一にも多にもなるな、多様体であれ! 線を作れ、決して点を作るな! スピードは点を線に変容させる! 速くあれ、たとえ場を動かぬときでも! 幸運の線、ヒップの線、逃走線。あなたのうちに将軍を目覚めさせるな! 正しい観念ではなく、ただ一つでも観念があればいい。短い観念を持て、地図を作れ、そして写真も素描も作るな! ピンクパンサーであれ、そしてあなたの愛もまた雀蜂と蘭、猫と狒狒のごとくであるように。」(宇野邦夫他訳)

「リゾーム」とは、「根茎」とも訳されるが、地中でジャガイモの根が相互に繋がりあうように、どこにも中心のない相互関連する組織を言う。これには、同じ一つの幹から順次に枝分かれしてゆく権威主義的な「樹木(ツリー)」が対置される。
『リゾーム』の翻訳は20年くらい前に出たので、その時に読んだ覚えはあるが、その意味がやっと分ったのは、インターネットの時代になってからのことである。

アムリタの上記文章のオマージュを舞城王太郎さんは作品世界の中で述べていますね。

人生は混沌として文脈も主題もなく連続性すら時として失われてしまう。そこにはそもそも理由も原因も根拠も無く結果も帰結も結論も無い。それはまるでとてつもなく眠いくせに妙に興奮している小学生のだらだらした独り言のようなもので注意して確かめればあらゆる種類の馬鹿げたことや驚嘆すべきことや退屈でありふれたことが脈絡なく羅列されてることに誰だって気づく。曖昧さと混乱、それが結構人を疲れさせるのだ。
(舞城王太郎「煙か土か食い物」)

結論としては、ライトノベルは寧ろ文芸畑では、日本のポストモダン文学としてかなり評価されているという感じです(文学フリマなどの影響もある)。特にラノベ独特の文体はまさしくポストモダン文学の潮流と呼べるものと思います。ライトノベルを読みもしないで馬鹿にする人がいたら、その人こそが実は読書家ではないと判断できるという感じでしょうか。ある程度の読書家であれば、ライトノベルを評価するか否かはともかくとして、まずは慎重に個々の作品を読んでから判断する為、ライトノベルを一概にして馬鹿にする人はいないのではないかと思います。

現代人は救われ得るか―平成の思想と文芸
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2015年02月04日 15:51

ドラクエ10の課金(月1000円)を停止しました。ネトゲを持ち上げるような言説が少し前に流行りましたが、MMOをプレイしてきた実感として、もうこういった積み重ねるタイプのMMOはあまり流行らないんじゃないかなという気がしますね…。

これはドラクエ10だけではなく、膨大な時間と積み重ねと運を必要とする古いタイプのMMO全てに言えることなんですが、そういった膨大な時間はまったく無意味なんですね。これはゲーム外においてゲームのデータが無意味であるとかそういうことではなく、『ゲーム内においても積み重ねがまったく無意味』なんですね。ドラクエ10とFF14はその点が特に大きいように感じます。

なぜかといいますと、それはビジネス的な都合なんですね。簡単に言うと『10000時間のプレイを積み重ねることでプレイできるエンドコンテンツ』と『100時間のプレイを積み重ねることでプレイできるエンドコンテンツ』では、ビジネス的に、圧倒的に後者の需要が高いわけです。前者をプレイできるのは極一部のネトゲ廃人だけですが、後者は大勢のプレイヤーがプレイできますから。MMOはプレイするプレイヤーが多ければ多いほど収益が増えますから、なるべく新規や時間のないプレイヤーに優しい構造こそが、収益構造的に優れている訳です。

よって、MMOというのは基本的に新規が有利なように、なるべく先行と後続の差を縮めるように、様々な運営、バランス調整(バランス緩和)が為されていくわけです。そうすると究極のところ、MMOのサービスが終わる寸前にプレイするのが最も効果的なプレイになる。初期からプレイしている人が10000時間費やした到達点が、10時間とかで到達できるぐらい緩和されているわけです(収益構造的に先行と後続の差を縮め続ける必要があるため)。

しかしそれ(新規を獲得する為の緩和)は、積み重ねるタイプのプレイヤーの離反離脱をも招くわけです。MMOは構造的に大きなジレンマを抱えている。下記のブログさんが上手に表現しています。

ろろろぐ 続・イストルティア。
http://rorotea.com/blog/2015/01/002411.html
投稿日:2015年1月15日 by me カテゴリ: ドラクエ

ゲームを遊ぶと損をする、という話。

 ◆

イストルティア騒動の結末は、こんな公式発表が出ていた。

・逆天井はお咎め無し
・回線抜いて無限レイドをやった人は処罰する
・逆天井自体は修正して出来なくした
・後続のためにポーカーでレイドを出やすくした

モラルを理由に逆天井をやりたくても我慢した人にとっては悲しい結末。

「回線引っこ抜き」が善悪の境界になっていると解釈出来るので、今後似たようなことが起きたら、モラル派から転向する人は少なくないだろう。

興味無いよって人は、何も補償を受けられない。

既に理論値揃ってた、って人は単純に緩和によって損をした事になる。

 ◆

関連コンテンツが軒並み暴落するので、アクセのカード枠、コインボス、香水、おみくじボックス、関連家具は、ゴールドに換算する価値が暴落するだろう。おみくじ経由で、ふくびき券、小さなメダルも価値が減る。福の神150週を500万で買ってたような人は、ある意味損だな。(中略)

・モラルを理由にして儲けようとしない人は損をする(中略)

・努力をする人も損をする

ここが一番、自分の中でショックだった事だけど、よく考えたら、元々MMORPGにおける努力って、報われないものだった。

たまねぎマンとガルゴルを各2万匹ずつ倒した俺は純真だったのだ。門買いをしないでソロバザでレベルをあげる俺は大層な努力家だ。でもそれは報われる行為じゃないし、報われるようであってはいけないのだ。

 ◆

仕様緩和によって過去の努力が無駄になることは、新規ユーザーの誘致、ひいてはコミュニティの継続という観点で、およそ正しい。

でもユーザーはそうは考えていない。努力に価値を求めている。ユーザーの「努力を認めろ」って声が大きいと、既得権益だらけの世界になるし、努力を本当に完全に無意味にされれば、誰も真面目にゲームを遊ばなくなる。

社会主義の人民コントロールの本質が、このあたりにあるような気がする。

何か市場に影響する大きなトラブルが発生した際に、なんでもかんでも「緩和」で済ませるのは、努力の否定に繋がる。

逆天井でゴールドをカンストした人は、他プレイヤーから金を受け取っただけなので、市場がいきなり崩壊する事は無いし、見た目の影響は少なく見えると思う。でも「努力が否定された」という経験は、関係したプレイヤーの心に残るだろう。

努力の否定の先にあるのは、社会主義というより、もはや共産主義である。MMORPGの世界では、ユーザーが生産を行うことはないので、総ニート化が起こる。(ゲーム内コンテンツで)働かなくても、十分に生活していくことが出来る。

「日課をしなくても乗り遅れないゲーム」の果てにあるのは、「数ヶ月ログインしなくても許されるゲーム」であって、 「ゲームを遊ぶこと自体が損をする行為」なのだけど、それで経済(運営の収益)が成り立つのかは、ちょっと興味深い。

上記のブログさんが述べられている通り、究極的には、『何もプレイしない』というのがMMOの最も効率的なプレイとなる。ドーナツの中心みたいな感じですね…。MMOというドーナツの真ん中(最も効率の良い中心点)には何もないのです。まさに空虚…。

MMOの世界は現実の世界よりも合理的であり良い世界であるとか書いてるブログもありますけど、どこからどう見てもMMOの世界の方が現実の世界よりも不条理な非合理的世界ですよ。それは当たり前で、運営が収益の最大化を求めて運営しているのですから、その世界がメッチャクチャなものになるのは至極当然です。世界のバランスよりも上位に運営の意志があるのですから。

そしてそのメッチャクチャさが思い切りゲーム内で噴出してしまうと、それをきっかけにして一気にゲーム内のプレイヤーがゲームから離れる。FF14は既に人がぜんぜんいませんし、ドラクエ10もカジノショック後、自分も含めて休止する人がどんどん増えていますからね…。カジノショックの原因である逆天井組とそれ以外では、どんなに緩和してももう取り返しのつかない緩和で修正不能な格差がある訳で、しかも今の意味不明なカジノ調整で、更に訳の分からないことになって、大勢のプレイヤーがドラクエ10というゲーム自体にやる気や興味を失ってますね…。

運営の失敗でMMO世界全体のバランスが崩壊すると、一気にその世界全体が色あせて見えます。今まで楽しんできた幻想の世界が、その実はただの『運営の為のビジネスの場』でしかないという現実を突きつけられるからでしょうか…。しかも、積み重ねの継続性の問題があるので、一度崩壊した世界は、もう決して再生することができない…。

「緩和しないと新規が入ってこれない」「緩和すると積み重ねが無駄になる為、先行が離脱する」という、どうしようもない構造上のジレンマがある限り、積み重ねていくタイプのMMOは衰退していくことを免れないと思います。

さらに積み重ねていくタイプのMMOには、今回のドラクエ10の逆天井カジノショックのように、「運営がゲームデザインに関わるレベルの調整失敗をすると、その時点でゲーム世界全体が修正不可能なレベルで崩壊する」という巨大なリスクもある訳で、その時点で世界全体が詰んでしまう。あまりにもリスクが高い世界であると言わざるを得ない。

MMOをやっていると、現実世界というのは、実に精妙自然なバランスの上に成り立っているのだなと、現実世界に対する敬意の念が湧き上がってきますね…。

多分今後のオンラインゲームで生き残っていくのは、バトルフィールドやEXVSみたいな、短い時間で勝負が決まるアクション性の高いPVPタイプのチーム戦ゲームだけではないでしょうか…。積み重ねていくタイプのMMOは構造的に繁栄が無理だと思います。その世界はジレンマに満ちている上に、世界の継続性がゲームの根幹にあるため、運営の失敗を取り消せない。ゆえに運営の調整の巨大な失敗=世界の修正不可能な崩壊であり、ゲームとしてもビジネスとしてもリスクが高すぎる。

PvP 【 Player versus Player 】 Person versus Person
オンラインゲームで、プレイヤーの操作するキャラクター(プレイヤーキャラクター)同士が戦うこと。また、ゲーム中で特別にそのように作られた対戦モードや場所、サーバ。

ちなみに長年やっていたMMOをやめると、ドラえもんが帰った後ののび太君のようなぽっかりとした感じになりますね…。次第に慣れるとは思いますが…。個人的に、積み重ねるタイプのMMOは最初から手を出さないというのが最善の選択ではないかと思いますね…。MMOにおいて積み重ねることはゲーム内においてすら全く無駄ですし、やめるとひどい空虚感に襲われることになります…。最初からやらないのが一番かと思います…。

俺は医学、文学、絵画、女、映画、酒、食うこと、眠ること、日の光、雲の姿、ぼんやりしていること、考えること、喋ること、……あらゆるものに対して、既にその一端が触れただけで、或いは全然接触することもなく、総て興味を失ってしまった。あらゆる事象、心象に完全に無感動である。この傾向は数年来のことであるが、時と共にだんだん深刻に、救われないものになって来る。
(山田風太郎「戦中派焼け跡日記 昭和21年」)

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