2014年05月

2014年05月23日 12:52

シャーロック・ホームズの帰還 (新潮文庫)

本日5月23日の朝日新聞朝刊のコラム天声人語、PC遠隔操作脅迫事件の事をシャーロック・ホームズシリーズの一編「ノーウッドの建築業者」(「ホームズの帰還」に収録)になぞらえていますね。これは中々見事と思いますね。主に毀誉褒貶の貶の方でネットでは非難されることの多い朝日のコラム天声人語ですが、今回は中々の名コラムであったと僕は思いますね。

天声人語
http://www.asahi.com/paper/column.html
(上記公式リンク先に5月23日本日のみ全文有り)
狡猾な男が、他人を罪に陥れるたくらみに成功しながら、さらに証拠を偽造してダメを押そうとした。それが墓穴となってお縄になる。「あの男には」と名探偵シャーロック・ホームズが言う。「打ち切るべき時を知るという才能がなかったのだ」。古い小説の話である

時は流れて、真犯人を装った自作自演のメールで、パソコン遠隔操作事件の片山祐輔被告(32)は墓穴を掘った。きのうの公判で一転して犯行を認めた。狡猾なたくらみで無実の4人が誤認逮捕された事件の展開に、驚いた人は多いだろう(略)

〈アナログがバーチャル犯に復讐し〉と朝日川柳にあった。警察の地道な尾行で、埋める姿が目撃されていたからだ。その努力は買いつつ、デジタルの闇に分け入る捜査能力の一層の向上を求めたい

被告は愉快犯的に振る舞いながら小心な印象だ。だから尻尾を出したともいえる。ネット世界には、冷徹で無表情な「手強い犯罪者」たちが大勢うごめいている

ホームズに戻れば、捕まった男は「ただのジョークだったんです。悪ふざけですよ」と哀れっぽく訴える。片山被告も初めはそんなつもりだったかもしれない。しかし愚行のツケは、きっちり現実の世界で払うほかはない。

これは巧いと思わず膝を叩きましたね。確かに今回のPC遠隔操作脅迫事件と「ノーウッドの建築業者」には通ずるものがある。シャーロキアンとして一本見事に取られました。

上記天声人語で挙げられているのはホームズの「ノーウッドの建築業者」ですが、この作品は、真犯人が自作自演によって自分が殺人事件の被害者であると見せかけることで、被害者に濡れ衣を着せて、その被害者を殺人罪という冤罪によって死刑にして殺そうとするというトリッキーな作品です。分かりやすい犯人-被害者の図式で単純な構造の多いホームズシリーズの中では、この作品は異色の作品なんですね。

「ノーウッドの建築業者」の犯人は凄く狡猾な知能犯で、自分を殺人被害者に見せかけて、相手に殺人罪の濡れ衣を被せることで相手を司法の力によって殺そうとするというのが、入れ子構造的に複雑な形になっていて面白い短編です。

ホームズって結構犯人に甘くて(「私は警察の代理人ではないからね」って「青い紅玉」で自分でも言ってます)、魔がさして衝動的にやってしまったという単純なタイプの犯罪者や、やむを得ない事情がある犯罪者は見逃すことも多いんですね(「青い紅玉」等。そればかりかホームズ自身が法律違反の行動をすることもある、「高名な依頼人」等)。

ただ、他人に濡れ衣を着せて警察の力でその被害者を抹殺しようとするこの事件の犯人にはホームズもワトスンも最大に厳しく、これは作者のコナン・ドイルの思いが反映しているんですね。何しろ本短編の地の文でも犯人を「邪悪なる動物」と記しているくらいですから。

この短編では警察も犯人の道具にされている訳で、社会秩序を守るという警察の機能が悪用されている。ある意味において、人々の善意(社会秩序維持の為の負担と信頼)というものを食い物にしている犯人と言っていい。こういった犯人に対して厳しいというところに、僕はシャーロック・ホームズシリーズの良さを感じますね。近代的なヒューマニズムを大切にしているんですね。

コンプリート・シャーロック・ホームズ
「ノーウッドの建築業者」
http://www.221b.jp/h/norw.html
「上出来だな!」ホームズが静かに言った。「ワトソン、バケツの水を麦わらにかけてくれ。それでよし、レストレード、見逃された重要証人を紹介させていただきたい。ジョナス・オルデイカー氏です」

警部は真っ白になるほどの驚きで新参者をまじまじと見つめた。相手は廊下の明るい光で、目をぱちぱちさせていた。そして我々とくすぶっている火を覗き込んだ。ずる賢そうな、意地の悪そうな、悪意に満ちた、ずるそうな灰色の目、白髪交じりのまつ毛、・・・・醜悪な顔だった。

「これはどうしたことだ、いったい?」遂にレストレードが言った。「この間ずっと何をしていたんだ、ええ?」

オルデイカーは、警部が怒りに逆上して真っ赤な顔になったのに怯え、わざとらしく笑った。

「実害は何もないですよね」

「実害がない?無実の男を絞首刑に送るために悪知恵の限りを尽くしただろうが。もしこの紳士がいなかったら、お前の思い通りになったかもしれないぞ」

卑劣な男は泣き言を言い始めた。

「ちょっとしたジョークなんで。本当です」

「ほお!ジョーク、そうか?言っておくが、お前の方が笑えることは絶対ないぞ。下に連れて行け。私が行くまで居間に止めておけ。ホームズさん」警官が出て行った後、彼は続けた。「巡査の前ではお話できませんでしたが、ワトソン博士の前なら言っても構いません。これは今までで一番お見事でした。どうやってこれが出来たか、私には謎ですが。あなたは無実の男の命を救いました。そして私の警察での評判を破滅させかねなかった深刻な不祥事を未然に防ぎました」

ホームズは微笑んで、レストレードの肩をポンと叩いた。(中略)

「その説明はそれほど難しくはないだろう。非常に根の深い、底意地の悪い、執念深い人物が、今階下で待っている紳士なのだ。君は彼がかつてマクファーレンの母親に拒絶されたことを知っているか。知らない!僕は君に、まずブラックヒースに、その後ノーウッドに行くべきだと言っただろう。この屈辱は、 ―― 彼はそうとらえただろうが ―― 、彼の底意地の悪い陰謀好きの頭脳に居座ってうずいていた。彼はずっと復讐を望んでいたが、チャンスは来なかった。しかし去年から一昨年、彼は逆風に見舞われ、 ―― 僕の考えでは秘密投機だ ―― 、深刻な状態に陥いる。彼は債権者を欺くことを決意する。この目的で、彼はコーネリアス氏なる人物に多額の小切手を振り出す。この男は、僕の想像では彼の別名だ。僕はまだあの小切手を調査していないが、まず間違いなく、その金はどこか地方都市の銀行にコーネリアス名義で預金されているはずだ。オルデイカーはその地で、時々二重生活を送っていた。彼は名前を完全に変えるつもりだった。彼は金を引き出し、姿を消し、どこかでもう一度人生をやり直す」

「まったくありそうな話だ」

「彼は突然ひらめいた。殺されたことにすれば、すべての追跡を逃れられるかもしれない。同時に、もし彼女の一人息子によって殺害されたという印象を与えることができれば、かつての恋人にこの上なく破滅的な復讐を遂げる事が可能になる。極悪の名人芸だ。そして彼はそれを名人の手際で実行した。犯罪に明白な動機を与える遺産のアイデア、彼の両親にも知らせない秘密の訪問、杖の確保、血痕、材木の山の動物の残骸とボタン、すべてが見事だった。それは罠だった。僕は数時間前まで、そこから抜け出すことが出来なかった。だが彼は芸術家の究極の才能を欠いていた。どこで筆を置くかという判断だ。彼はすでに完璧なものを一層良くしようと望み、 ―― すでに不幸な犠牲者の首に巻きつけられていたロープをさらに強く引っ張ろうとし ―― 、そしてすべてを台無しにした。下に行こう、レストレード。彼に一つ二つ聞いてみたいことがある」

悪性の動物は自分の客間に座っていた。両側に警官が立っていた。

「ちょっとしたジョークだったんです、警部さん、・・・・悪ふざけで、それ以上ではありません」彼はひっきりなしに泣き言を言っていた。「分かってくださいな、警部さん。ワシは自分がいなくなったときの影響を知りたくてただ身を隠しただけです。これは確かです。私が可哀そうな青年のマクファーレンさんに何か害を与えようとしたと考えるのは不当です」

「それは陪審員に言うことだ」レストレードは言った。「とにかく、警察はお前をもし殺人未遂が適用できなくとも陰謀罪で告訴する」

「そして債権者がコーネリアス氏の銀行口座を差し押さえることになるでしょうね」ホームズは言った。

小柄な男はぎくりとした。そしてホームズに敵意の目を向けた。

「ずいぶん色々してくださってありがとう」彼は言った。「たぶん、いつかこのお礼はさせてもらう」

ホームズは余裕たっぷりに微笑んだ。

「たぶん数年は、あなたの予定は詰まっているでしょうな」

この辺、実は漫画のジョジョなんかにも通ずるなと感じますね。周囲の人々を巻き込み人の善意や人生を食い物にするような本当に悪い狡猾な奴(チョコラータ等)には、それこそ最大限のオラオララッシュがぶちこまれるところとか、ジョジョのヒューマニズムなんですね。本当に悪い奴の表現が「人々を食い物にする人間」であるというところと、そういった本当に悪い奴は最大の全力を持って完全に始末するという苛烈なところに、近代的なヒューマニティ(共同体の人々との善意と信頼を大切にする人間性)の一面が現れているところがジョジョの面白いところの一つだと思いますね。

ピクシブ百科事典
「チョコラータ」
チョコラータにとって人は全て実験動物でしかなく、自らの知的好奇心を満たすためには町の住民を皆殺しにしても何も感じない。罪悪感というものが欠如しているのである。

吉良吉影が、殺人衝動が抑えられない殺人鬼ならば、チョコラータはその衝動を抑える気が全くないどころか、どうやって殺すかということばかり考えている、より悪質な殺人マニアである。

無差別に他者を殺傷する能力を見たジョルノ・ジョバァーナは「悪の限界のない男」と評し、ボスにすら「最低のゲス」といわれた。 (中略)

ボスの正体の手がかりを掴んだブチャラティ達を抹殺するべく、セッコと共に解き放たれた。

案の定、グリーン・デイの能力で漁村を壊滅させ、ローマ市内でも無差別攻撃を行い多くの市民を殺害した。

ボスはこの一件が終わった後に二人を自らの手で処刑するつもりであり、チョコラータもボスの座を奪おうと考えていた。ナランチャを負傷させ、ジョルノとミスタを追い詰めるが、最終的には敗北。

ジョルノのゴールド・エクスペリエンスによる7ページ半に渡る122連発無駄無駄ラッシュを打ち込まれ、その衝撃でゴミ収集車に文字通り「燃えるゴミ」としてバラバラのまま放り込まれ死亡した。

断末魔は「ヤッダーバァアァァァァアアアアア」。

シャーロック・ホームズの帰還 (新潮文庫)
ジョジョの奇妙な冒険 30~39巻(第5部)セット (集英社文庫―コミック版)

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2014年05月07日 01:26

TVアニメ「selector infected WIXOSS」、実在のカードゲーム「WIXOSS」をテーマとしたアニメで、「萌え絵柄の女の子達がカードゲームでキャッキャウフフするありがちな凡百のカードゲームアニメかな?」と思ってそれほど期待しないで見ていたら…良い意味でとんでもないアニメでした。

このアニメにおけるカードゲーム「WIXOSS」は邪悪な魔の力の宿った呪われし対人カードゲームで、このカードゲームで対人戦を行い3回勝利することで、プレイヤーの心から望む願いを一つ叶えることができるのですが、逆に3回負けると、プレイヤーが望んだ願いがまったく逆の形で巨大な災いの呪いとして降りかかるのですね。

例えば、プレイヤーの願いが「健康」であれば、もし3回負ければ、健康という願いが逆転してプレイヤーに降りかかり、プレイヤーは究極の不健康、すなわち死ぬことになる。

例えば、「ピアノの名手になりたい」が願いなら、もし3回負ければ、願いが反転した呪いによって両腕が失われるなどの事象がおきて死ぬまで永遠にピアノの演奏と関われなくなる。例えば、「お金」を望んで負ければ死ぬまで呪いによる貧困に苦しむことになる。

しかも、呪いが降りかかった後は、その呪いが降りかかる原因となった
「WIXOSS」に関する記憶が全て消去され、自分がなぜ苦しむことになったのか自分自身でもまったく自覚できないまま苦しみ続けるという…。

そしてさらに、「WIXOSS」によって起きた呪いは、一度起きたら、もう二度と消すことができないという…。「WIXOSS」の3回勝利による願いを使って他人の呪いを消すということはできないんですね…。

今回放映された第5話においては、3回負けたカードバトルのプレイヤーの願いが「友人が欲しい」だったので、その願いが反転した呪いにより、今後一生の間、他人と接触すると激しい肉体的苦痛が起きる呪い(一生孤独になる呪い)が掛かってしまい、しかも本人はなぜそんなことが起きるのかわからない(記憶が消去されているため)。

なんとも凄まじい邪悪な魔のゲームですね。こんなリスクの高すぎる呪いのゲーム、絶対やりたくないと思うのが人情だと思うのですが…。カードゲームとして呪いのゲームを売り出すという、とてつもないぶっ飛んだ商業戦略、なんとも…個人的には面白い試みと思いますが、売れるとは思えない(^^;

ただ物語としては、猿の手的な邪悪な呪いをテーマにしたサスペンスとして中々面白く、普通のカードゲーム販売促進アニメにはない面白さがありますね。この作品のカードゲームのプレイヤー達は、勝てばあらゆる願いが叶えられ、逆に負ければ人生が完全に破滅するため、願いが叶うという欲望に目が眩めば、カイジ的な命がけの勝負をやらざるをえない。

そして本作の独特の面白い点は、この呪われたカードゲームに使うカードのうち、カードの一枚だけは意志と人格を持っており、そのカードを所有するプレイヤーのアドバイザーになるんですね。ここで面白いのは、カード達はプレイヤー達に情報を隠蔽し、都合の良いことしか言わない(勝てば願いが叶うことはプレイヤーに教えるが、負けると呪いが降りかかることは言わない)ことで、プレイヤー達が呪われたカードゲームに参加するように操っているんですね。非常に悪魔的なカード達(都合の良いことしかいわずに欲望を煽ることで人間を操る邪悪さはまどかマギカのキュウべえに似てますね)で凄く面白いなと。

カードゲームのカードというのは通常は人間の道具な訳ですが、本作では逆に、カードが甘言を弄して人間の欲望を煽り、呪われし魔のカードゲームに参加させることで、人間がカードの道具にされている。人間と道具(カード)の主従が逆転しているんですね。この辺は、本作独自という感じでとても面白い点です。

魔のゲームで戦うプレイヤーがみんな少女であることもあって(魔のゲームのプレイヤーには少女しかなれない模様)、少女版カイジ+まどかマギカって感じですね。全般的になかなか面白い発想で作られていると思います。

一つ本作の難点を挙げるならば、商業展開されているカードゲームでの勝負がテーマなので、勝負が複雑すぎてなんだかよく分からないんですね。カイジやライアーゲームのような、「物語を盛り上げる」為に作られた分かりやすいバトルルールではないので…。その点が難点ですね…。どういう風に勝負がついているのかなんだかよく分からない。

ただその点を差し引いても、呪われた邪悪なカードゲームによって、自らの人生の命運を賭けて少女達が戦うというのは、なかなか面白くて、カードゲームアニメとして良い感じに仕上がっていると思います。

最後に、本作は舞台となるカードゲーム「WIXOSS」を「欲望を煽ることで人を破滅に導く呪われしカードゲーム」として明らかに描いていますが(意志を持ったカードが情報を操作することで人間を騙しているところ等)、この辺からは商業的カードゲームの商業性に対する批判も読み取れてしまうところがなんとも皮肉な感じで好きですね。アニメ製作側の商業的スポンサーに対する反逆心的なものが感じられて、僕はここが凄く面白くて好きですね。

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2014年05月05日 02:12

賛否両論の凄いアニメ「メカクシティアクターズ」、僕はボカロのカゲロウデイズとか一切聴いたことがなく、アニメで初めて触れて見ているのですが、今回の第四話、13分30秒から18分30秒の映像は凄く良かったと感じましたね。抽象的な映像で不安心理を表現する(視聴者を不安にする)というのが良くできていて感心しました。

こういう形象のある映像として感情(主に不安感)を表現するアヴァンギャルド映像(ドイツ表現主義やその系譜等、近年の作品ではタルコフスキー作品とか好きです)を僕は昔から凄く好きなので、カリガリ博士や松本俊夫実験映像集とか見ていて思い出しましたね…。ドイツ表現主義−松本俊夫・実相寺昭雄・市川崑−アニメへ影響−虫プロ系表現主義−新房昭之のようなラインでドイツ表現主義の系譜が日本のアニメに流れているのかな…。

淀川長治「カリガリ博士」
http://www.ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/title/yodo18023.html
『カリガリ博士』、おもしろい名前ね。『カリガリ博士』、これ、ドイツの表現主義の頃の最も代表的な作品ですよ。

舞台が背景が、全部不思議な感覚の絵ですね。もう全部カキワリですね。けどカキワリと言えませんね、ドイツ美術ですね。ドイツの本当の、この表現主義の、すごい美術の中で事件が起こり、人物が出てきますね。その人物がその表現形式の絵画の中で見事に収まっていますね。これはヴィーネと言う監督の見事な名作です。(中略)

ストーリーは、私はかすかに覚えてるだけですけど、この表現形式ですね、これは凄い。これはドイツでないとやれない、アメリカじゃとってもこんな大胆な事やれない。フランスでもやれない、ドイツですね、ドイツは、こういう頃、こういう時代に最もモダンだったんですね。最もいわゆるハイカラだったんですね。

『メトロポリス』なんかもありますけど、これは本当に絵画がそのまま映画になってるんですね。その表現形式、不思議な不思議な感覚、これは後にいろんな国が真似しましたけど、やっぱりドイツが最初のオリジナルですね。(中略)

衣笠貞之助なんかが非常にこれに影響されましたね。『狂った一頁』とか、いろいろつくりましたけど、この感覚は、とっても大胆なこの感覚は、もうこのドイツ映画以外つくれませんでしたね。

『カリガリ博士』、不思議な、不思議な、見事なドイツ文化ですよ。ドイツ美術ですよ。

ちょっとだけ映画学 ===カリガリ博士と表現主義===
http://filmstudies.blog21.fc2.com/blog-entry-16.html
映画ってのは写真と同じように「現実感」が極めて強いメディアです。一応「現実の風景をそのまま写し取る」ということで(これは単純に「そのまま」とは言えないのですが・・)、絵画のような描かれたイメージよりも遥かに現実に近く、その現実感が映画の大きな特徴になってきました。

しかし、映画に絶大な力を与えてきた現実感は、一方で制限にもなります。「目に見えないものをどうやって表現するのか」という問題が出てくるんですね。人間の感情や、抽象的な概念などを表現するのが難しいわけです。

この問題は、絵画が映画よりも早くに手をつけていました。それが、目に見えるものを内面の反映として表現する表現主義です。分かりやすいのはやっぱこれ(ムンクの叫び)でしょうか。

基本的には、感情というのは人間の内面にありますよね。そんでその人がのっている橋とか、その人が見ている空、というのは外面であって、彼の内面とは繋がっていないですよね。でもこのムンク「叫び」では、山とか空とか橋、といった、叫んでいる男の内面ではないものも、彼の内面の苦悩とか絶望と連続した空間として描かれています。別な言い方をすると、本来内面であったものが外面にでてきているわけです。これを一般的に表現主義、というみたいです。

そんで「カリガリ博士」ですが、これもムンクの「叫び」に通じるような歪んだ世界が主人公を包んでいます。

これって見りゃわかるけど、みんなセットなんですよねー。スゴイですね。このセットを作った人達は、実際に絵画の方の表現主義を知っていて、影響を受けた人達です。

「カリガリ博士」はぜひ見ていただきたい映画で、ネタバレになるので言いませんが、この世界の歪みってのが「ただこういうのが絵的に面白いからやってみよー」っていう話ではなくて、何らかの、内面的歪みの反映としてあるわけです。外面的で目に見えるものが、目に見えないものの延長、連続として表現されているわけですね。これが映画というメディアが、自分の弱点である「目に見えないものを表現できるか」という問いに対して出した一つの答えであり、映画の表現主義と呼ばれるものです。

こういった表現主義(外面的で目に見えるものが、内面の不安感などの目に見えないものの延長、連続として表現される)を、アニメにもどんどん取り入れて欲しいと願いますね。そしてそれに今一番積極的な作り手が、新房昭之監督であると思います。

ただ僕個人として今回残念だったのは、メカクシティアクターズ第4話、後半の18分30秒からは、いかにも世俗的なキャッチーなメロディラインの歌が流れ始め、映像もそれに引っ張られる感じで表現主義的映像から通常の世俗的説明的映像に戻っていってしまうように感じられることですね。僕はもっと表現主義の映像を楽しみたかったので、歌よりも映像を重視した作りにして欲しかったなと感じました。

いつの日か、新房昭之監督に表現主義アニメ映像作家として、完全オリジナルかつ商業要素を抜きにした映像作品を自由に撮って欲しいなと感じますね…。

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2014年05月02日 01:55

なかなか更新できず申し訳ありません。体調を崩しており、生活も苦しく精神的にも落ち込んでいて、なかなかアクティブな活動はできない状態で、ブログも更新できず、本当に申し訳ありません。少しでも何か書ければということで、先日読んだコミック田中相「千年万年りんごの子」が中々良かったのでご紹介させて頂きます。

本作は、どうしようもない大きな流れとしての運命に抗おうとし、そして敗れる人々をしっとりとした丁寧な筆致で描いていて、僕は読んでいて好感が持てました。人身御供の秘祭を行っている閉鎖的な村にて起こる幻想的な超常現象を大きなテーマにしながら、エンターテイメント的なハッピーエンドよりも、遠野物語的な暗い寓話として仕立てている。それが、地に足のついた独特のリアリズムを感じさせて良く出来ていると思いましたね。

本作を読み終わって、「ああ、これは映画のミスティック・リバーを日本土着的なものにしたような感じだな」と思いました。読了感(視聴後の感覚)が似ている感じですね…。生きるということは大きな運命の流れに流されていくことであり、個々人がそれに抗うことには限界があるということ、人間という「運命に抗えぬ存在」として生まれてきたことの悲しさをしっかりと描いています。漫画で言うと水木しげるさんの戦史漫画(コミック昭和史など)に感じが似ているように思いますね。映画「ミスティック・リバー」については荒木飛呂彦さんが見事な文を書いているので引用させて頂きます。

この映画では、普通の映画だったら助かりそうな人も助かりません。また残された者の悲痛さ。運命に弄ばれる人生の残酷さ。そして暴力や死と、とにかく暗い要素ばかりです。

それぞれの人間がドブの中のような暗い暗い闇を抱えながら、生活を営んでいる――。そうした暗黒面を奇をてらわず、きっちりと描くのが「ミスティック・リバー」のすごいところです。目を背けず、とにかく分かりやすくひとつひとつのシーンを、確実に撮っていく感じです。これは他のイーストウッド映画にも通じる特徴であって、派手なことをせず、平凡なものを一つ一つ確実に演出していく。するとそれらが積み重なった結果、異常なもの、非凡なものへと昇華するんです。(中略)

「ミスティック・リバー」は、(運命という大きな流れの中にしか存在できぬ人間存在として)生まれてきたことの悲しみが一つの軸になっています。だから、観終わった後、運命って悲しいよな、という結論に導かれるので、息苦しさの中にも(全ての人間の諦念としての)カタルシスがある。それゆえ、こんな暗い映画なのに、何度も見られるのかもしれません。
(荒木飛呂彦「荒木飛呂彦の超偏愛!映画の掟」)

まさにこんな感じの漫画でしたね…。水木しげるさんの戦記物などの漫画においても、どんなに個々人が頑張って行動しても、大きな運命の流れの中においては、巨大な水流に流される小石のようなもので、全ては流され行く、人間の根源的な悲しさを諦念と共に描いている。そういった、人間の根源的宿命としての運命と諦念を、本作「千年万年りんごの子」も継いでいて、僕はすごく良く出来ていると感じましたね。暗い漫画が好きな方にはぜひお勧めの作品ですね。

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