ねこねこブログ

ねこねこと申します。ねこ大好き(*^^*)アニメ、マンガ、ゲーム、本とかも大好きです。楽しいことたくさん書いていきたいと思います。今、うつ病で無職で生活が非常に貧困困窮しておりまして、買い物してくださるととても感謝します。メールについてはこちらをご覧下さい。リンクフリーです。ツイッターはこちらです。https://twitter.com/kemohure

2014年01月

映画版ゲド戦記をみました。この言葉だけしか浮かばない…。「これはひどい」

昨日放映されていたゲド戦記をたった今見ました。僕は原作既読なのですが、アニメ版見たのは初めてで…。この言葉だけしか浮かばない…。どうしてもこの言葉を言いたくてPCを立ち上げました…。

「これはひどい」

本当に…なんでこんなものを作っちゃったんだろう(涙)

原作者の言葉が、この映画の全てを代弁していますね。

ジブリ映画「ゲド戦記」に対する原作者のコメント全文
http://hiki.cre.jp/Earthsea/?GedoSenkiAuthorResponse
ル・グィン「全体としては、エキサイティングです。ただしその興奮は暴力に支えられており、原作の精神に大きく背くものだと感じざるをえません。全体としては、思うに、一貫性に欠けています。」

ほんとにこの通りで、原作が注意深く避けていることを全部やってるのがこの映画なんですね。近代三大ファンタジー「ナルニア国物語」「指輪物語」「ゲド戦記」、この三つにおいて、一番、つかみがOKではない(つかみづらい)、じっくり読まないと面白さや魅力がわからないのが「ゲド戦記」で、これは明らかに作者が意志してそう創っているんですね。

「ナルニア国物語」などにもっとも顕著ですが、西洋ファンタジーというのは、聖書をベースにして、善(キリスト教の唯一神)と悪(キリスト教の悪魔)との二元論的戦いを、幻想の異世界の様相として翻案したというケースが多いんですね。「ナルニア」はまんまそのまんまですし、「指輪」もその系列と言えます。日本の作品だとロードス島戦記とかこの系列ですね。だいたいにおいてどの作品もキリスト教の二元論的善悪の戦い(神と悪魔の戦い)をそのまんま持ってきているので、入りやすい。

やはり、善い奴と悪い奴がバイオレンス(暴力的)に戦って、善い奴が勝って悪い奴が負けて殺されるというのは、エンターテイメントの一番簡単にして大うけが狙える基本なんですね…。

でも「ゲド戦記」っていうのは、そういう暴力をすごく丁寧に否定している作品なんですよ。世界中の神話体系やユング心理学の影響が相当にある作品で、人間それぞれの心の中にあるシャドウ(影)の存在を認め、それを理解することで、自身の暴力性を自身自ら認め、それをむやみに外界に放出しないように制御する、自身を、自らの暴力衝動に支配されないように成長させていくというのが物語の重要な根幹としてある。

暴力(戦い)で物事を解決するとか、暴力(戦い)で読者をひきつけるとか、そういったことの奥にある人間の暴力性の根底を、「ゲド戦記」は自ら捉えなおそうとしている作品なんですね。

それなのに…。

映画はいきなり暴力(いきなり父親を刺殺するシーン)から始まって、そして最初から最後まで暴力で視聴者をひきつけることしか考えてない…。主人公は凶暴な暴力衝動に延々と支配されており、まったく成長しない。そしてその主人公の造形は、暴力シーンで視聴者をひきつけるという、ものすごく志の低い本映画製作者の作品論に支配されているだけ…。「全体としては、エキサイティングです。ただしその興奮は暴力に支えられており、原作の精神に大きく背くものだと感じざるをえません。」

ひどすぎる…。なんでこんな映画ができてしまったんだろう…。とても残念です…。

このコメント通りの感じがしましたね…。

今夜の金曜ロードSHOWは「ゲド戦記」 ネタ抜きで糞映画だよねこれ・・・
318 : ローリングソバット(山形県):2014/01/17(金) 19:37:59.09 ID:i4BKdYE10女
「命を大切にしない奴は大嫌いだ!皆殺しにしてくれるわ。」
的な感じだった

そして…。

646 : ジャーマンスープレックス(新潟県):2014/01/18(土) 03:04:48.09 ID:niXnpVsK0初めてまともに見た
伏線回収なさ過ぎるしそもそも伏線が無いし展開強引だし
原作知らない奴にとっちゃ謎だらけ過ぎて感情移入する暇無いからワクワクも感動も無い
ある意味歴史に爪痕残してるわさすがだわ(棒)

原作読んでいるけど、原作とまったく違う、ただ固有名詞持ってきただけであとは完全に別物なので、原作読んでいても謎だらけです(涙)

あと、テルーがさらわれるときの「テルーテルー」とか、あまりにも下手な棒読みすぎてなんか吹いた。ここだけかな唯一面白かったところは…。これで原作も低評価されるのかと思うと原作が気の毒すぎる…。

638 : ダイビングフットスタンプ(関東・甲信越):2014/01/18(土) 01:41:54.50 ID:VHwoJD06O
ドラゴンが少女に変身して種蒔きをするラストは和んだ。

つまりはハウスシチューのイメージビデオなんでしょ。

そうだったんだ!!(棒)

影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)
こわれた腕環―ゲド戦記〈2〉 (岩波少年文庫)
さいはての島へ―ゲド戦記〈3〉 (岩波少年文庫)
帰還―ゲド戦記〈4〉 (岩波少年文庫)
ドラゴンフライ アースシーの五つの物語―ゲド戦記〈5〉 (岩波少年文庫)
アースシーの風―ゲド戦記〈6〉 (岩波少年文庫)
ゲド戦記別巻 ゲド戦記外伝 (ソフトカバー版)
イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会)

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鬼頭莫宏さんが語る戦争への無関心とフィクション(ハリウッド映画や日本の漫画等)における名もなき人々の大量死への無関心。

先日の朝日新聞に掲載された漫画家の鬼頭莫宏さんの語る戦争論がとても興味深い、実感として僕も常々感じるものであったので、抜粋引用してご紹介致します。

2014年1月7日朝日新聞より

鬼頭莫宏「命のエゴが生んだ無人兵器」

現在、戦争の最大の抑止力は「敵味方問わず人命は尊い」という人道主義ではなく、「他国民の命に関心はないが、自国民の命を失うのは耐え難い」というエゴイズムです。(中略)

ならば、無人兵器やロボット兵器が発達し、自国民の犠牲なしに機械を使って戦争ができるようになったらどうなるのか。近未来を舞台にした「ぼくらの」という作品では、無人兵器による戦闘を禁ずる「天津条約」という国際協定を描きました。「戦争を起こすには、自国民を死の危険にさらす必要がある」という制約を設けないと、戦争のハードルが下がりすぎると考えたからです。「ぼくらの」の連載を始めたのは10年前ですがその後、現実世界では予想を超える早さで無人兵器が発達しました。(中略)

(現実世界においては)国際条約で無人兵器を実際に制限できるのか、疑問です。戦争とさえ呼べない、(無人兵器を使って人々を殺傷する)いびつな形での殺戮が広がるのではないか。

問題の根にあるのは、自国民と他国民の生命を完全に分け隔てる思考法です。(中略)

自分が自らの人生の主役であるように、見知らぬ他人(自分と関わることのない人々)もその人の人生の主役。ならば、「自分の幸せのために他人の人権を侵さない」というのが最大のルールです。それぞれがそれを守れば、個人間の争いも戦争もなかなか起きないはずです。(中略)

古今東西の戦争は「人の幸せを踏みにじっても、今以上に自分達が幸せになりたい」という動機で始まる。(中略)

自分達が主役と思い込み、ハッピーエンドを追求するが、その過程で多くの他人が巻き込まれ不幸になっても「しょせんは脇役」と無関心になる。多くのハリウッド映画や日本の漫画にも共通する感覚です。

「日本人の自分が家族に注ぐのと同じぐらいの愛情を、他の国の人々も自分の家族に注いでる」「戦争で土地や財産を奪われたら、その人や家族はどうなるのか」というほんの少しの想像力が欠けていた。(中略)

僕は、どんな戦争も許されないと考えているわけでありません。食料が全然足りないなど極限的な状況では、残念ながら戦いが避けられそうにない場面も生じる。理想論ではすべての命は平等ですが、現実には、個々の人間にとって命の大切さには順番がある。身近な人と、見知らぬ他者。どうしてもどちらかを選ばなくてはならないのであれば、たいていの人は身近な人を選び、他人を殺すでしょう。それもエゴイズムですが、人が生きることの根底に身近な人を大切に思う気持ちがある以上、むやみに否定されるべきではない。

「ぼくらの」では、そういう状況下の人々の葛藤を描きました。だが、そんな時でも「殺す相手も主人公」ということを前提に考え抜き、ぎりぎりまで殺し合いの回避を模索するべきです。ほとんどの戦争は「我々と彼らの両方が生き延びることはどうしてもできない」という極限的な状況でもないし、理性的に考え抜いたわけでもない。思考を停止してしまうことで起きていると思います。

僕は上記に物凄く同感です。特に日本のオタク文化において常々感じていて、物凄くもやもやしていたことを明確に言語化して頂いて、とても明晰で優れた文章と思いました。

『自分達が主役と思い込み、ハッピーエンドを追求するが、その過程で多くの他人が巻き込まれ不幸になっても「しょせんは脇役」と無関心になる。多くのハリウッド映画や日本の漫画にも共通する感覚です。』

これ本当にその通りで、特にオタク系のコンテンツにおいては、どれほど大量の虐殺が、主人公達の関与によって起きたとしても、まったくもってぜんぜん気にしないんことが多いんですよね…。そのたびに僕は見ていて、『え、え、え、お前らのせいでものすごく沢山の人々が死んでるよね!?!?なんでスルーしてるの!?!?どうなってるの!?!?』って気持ちに毎回なってて、すごくもやもやするんですね…。

この感覚がこれまで一番大きかったのは、大人気作品「Fate / stay night」の最終トゥルーシナリオである桜シナリオですね。ヒロインの桜によって街中の人々が大虐殺されたにも関わらず、物語においてそのことは完全スルー。プレイしていて、思わずポルナレフ状態になっていました。

桜シナリオをプレイする前に 言っておくッ!
おれは今 やつのシナリオを ラストまで 体験した

い…いや… 体験したというよりは まったく理解を 超えていたのだが……

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

「魔人化した桜が 街中の人間を大量虐殺していたが
魔人から人間に戻った後 虐殺事件については完全スルー」

な… 何を言っているのか わからねーと思うが 

おれも 何をされたのか わからなかった…

頭がどうにかなりそうだった… ガンダムAGEだとかチャージマン研だとか

そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…

『自分達が主役と思い込み、ハッピーエンドを追求するが、その過程で多くの他人が巻き込まれ不幸になっても「しょせんは脇役」と無関心になる。多くのハリウッド映画や日本の漫画にも共通する感覚です。』

というのは漫画やアニメなどを見ていると本当に凄く感じますね。それによって物語が凄く薄っぺらくみえてしまうこともたびたびです。

『自分が自らの人生の主役であるように、見知らぬ他人(自分と関わることのない人々)もその人の人生の主役』

ということは、現実においても、そして日本のオタクコンテンツにおいても、もっと意識されるべきことだと僕は思います…。

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あけましておめでとうございます。先月28日、31日にギフト券お贈り頂き本当にありがとうございます。

あけましておめでとうございます。先年、ギフト券やアフィリエイトで助けて頂き本当にありがとうございます。先月の28日と31日にそれぞれ別々のお方々からギフト券を贈って頂き、とてもありがたく、本当に感謝しております。ありがとうございます。今年は身体を治して生活を立て直してブログもきちんと更新できるようにしたいと思っています。あとお勧めの本など読んでみたいなと思います。

元日なので、皆様の元気が出るような何かおめでたい特別なことを書きたいのですが、何も思い浮かばず…。夏目漱石は『元日向けに何かおめでたいことを書いてくれと新聞社から毎年依頼されるが、正月に書くわけでも無し、正月は暇である以外に特に書くこともなくて困る…』みたいなことを元日向けのエッセイとして書いていますが、それが頭に浮かびました(^^;

夏目漱石「元日」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2674_6494.html
元日を御目でたいものときめたのは、一体何処どこの誰か知らないが、世間がそれに雷同しているうちは新聞社が困る丈だけである。雑録でも短篇でも小説でも乃至ないしは俳句漢詩和歌でも、いやしくも元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないにきまっている。

もっとも師走に想像を逞くしてはならぬと申し渡された次第でないから、節季に正月らしい振をして何か書いて置けば、年内に餅を搗いといて、一夜明けるや否や雑煮として頬張ほおばる位のものには違ないが、御目出たい実景の乏しい今日、御目出たい想像などは容易に新聞社の頭に宿るものではない。(中略)

去年は「元旦」と見出を置いて一寸ちょっと考えた。何も浮かんで来なかったので、一昨年の元日の事を書いた。一昨年の元日に虚子が年始に来たから、東北と云う謡をうたったところ、虚子が鼓を打ち出したので、余の謡が大崩になったという一段を編集へ廻した。(中略)

元日新聞へ載のせるものには、どうもこう云う困難が附帯して弱る。現に今原稿紙に向っているのは、実を云うと十二月二十三日である。家では餅もまだ搗かない。町内で松飾りを立てたものは一軒もない。机の前に坐すわりながら何を書こうかと考えると、書く事の困難以外に何だか自分一人御先走ってる様な気がする。

ここで書かれた「一昨年の元日の事を書いた。」とは夏目漱石のエッセイ「永日小品」ですね。

夏目漱石「永日小品」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html

夏目漱石が新聞社からの依頼で元日に公開される文章として書いた『今原稿紙に向っているのは、実を云うと十二月二十三日である。』というのは、まさに明治時代という感じですね。現代はインターネットによる文章の同時刻性の更新(書かれた文章はすぐさま衆目となる)によって、元日に書いた文章が元日に読めるわけですが、『正月らしいことを書こうとしても、何書いたらいいかわからない!!』というのは、本日、元日に文章を書いている(これから書く)多くの人々が、心から思うことであろうなあと実感しますね…。

ただまあこのような悩みは小事であって、元日に平穏無事に特に何事もなく過ごせるということは、とても良きことなのだろうなあと思いますね…。永井荷風の作品に「一月一日」という、ちょっとフェミニンな、純日本的なものをレディファーストの視点から皮肉って描いた洒落た短編があって、僕はかなりこの作品が好きなのですが、『安楽と優しさこそが大切である』と描いているこの作は、まさに現代の正月を先取りしているなと感じますね。ショートショートと言えるきわめて短い作品なのでぜひ読んでみてくださいな。

永井荷風「一月一日」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/50275_37747.html

佛大通信 月々の名言 ―12月― 坪内 稔典(文学部教授)
http://www.bunet.jp/world/html/meigen/507_meigen/index.html
『女が男のようにするより、男が女のように優しくなった方が世界はよくなる。西村伊作』(中略)
さて、今月の名言は『西村伊作人生語録 われ思う』(1963年)から引いた。男が女のようにやさしくなることの必要を伊作は次のようにも語っている。「文化とは男性の女性化――文明というものは、つまりは男性が女性化してゆくことだ。文弱に流れるという言葉もあるように、文化とは男性の女性化なのかもしれない。だから、女が同権だといって男性化するのは反対だ。むしろ男性が女性に近づいてゆくのがゼントルマンで、平等となる」。

皆様の今年一年良き年であることを心から願っております。

あめりか物語 (岩波文庫)

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