ねこねこブログ

ねこねこと申します。ねこ大好き(*^^*)アニメ、マンガ、ゲーム、本とかも大好きです。楽しいことたくさん書いていきたいと思います。今、うつ病で無職で生活が非常に貧困困窮しておりまして、買い物してくださるととても感謝します。メールについてはこちらをご覧下さい。リンクフリーです。ツイッターはこちらです。https://twitter.com/kemohure

2013年10月

まどかマギカキャラクター診断をやってみました。結果、巴マミ…。確かにヒロイン達のうちで一番シンパシーがあるキャラですね…。

魔法少女まどかマギカ作品一覧

下記、魔法少女まどかマギカ新編叛逆の物語キャラクター診断をやって見ました。結果は…

魔法少女まどかマギカ新編叛逆の物語キャラクター診断
http://heart.okwave.com/campaign/madoka-magica

あなたのタイプは……『巴マミ』
他人に優しく模範的な性格のあなたは、多くの人から慕われ頼りにされる存在。使命感が強く、自分の信念に忠実なため、他人によい意味での影響を与えるタイプと言えるでしょう。そんなあなたに似ているキャラクターは、鹿目まどかや美樹さやかに魔法少女の“現実”を見せて覚悟を持つ大切さを説いた巴マミです。彼女のように、ときに厳しく、ときに優しく他人を導くことができれば、きっと真の意味での尊敬を勝ち得ることができるでしょう!

うーん…。自分はヒロイン達の誰とも似ていないと思いますが、まあ一番人間的にシンパシーを感じるヒロインが巴マミであることは間違いないので、その点でマミさんが選ばれたのかな。この診断なかなか面白いのでお勧めです。マミさんって本編ではすぐリタイアしてしまいましたが、他のメディア(スピンオフ作品)では相当にクローズアップされてて、凄く人間味のあるキャラクターなんですね。そして、他のヒロインには無い、「自分が魔女になって誰かを傷つけてしまうということに耐えられない他者への優しい繊細さ」、そこが好きですね…。

余談ですが、マミさんの持つ「自分が見知らぬ誰かを傷つけてしまうことが耐えられない繊細さ」と一番対極にある「自分の目指す目標の為ならどんな非道でも行ってみせる」という信念の持ち主が、まどかのために他の全てを切り捨てているほむらであって、マミさんとほむらが一番相容れないと今回の映画のパンフレットで虚淵玄さんが述べておられましたが、それはその通りなんだろうなあと…。個人的には、今回の映画のほむらは、まどかへの執着にあまりにそれだけになっていて、病的で痛々しくて見てられなかったです…。人間って言うのは、そこまで一つの物事のみに執着できるようにはできていないですし、ほむらは明らかに無理をしすぎておかしくなっている…。『今回の映画のほむらは過去(TV編)のほむらと同じく継続的にずれずにぶれずに、まどかのみを追い求めている、ゆえに本映画は完成度が高い』みたいな今回の映画評を幾つか見ましたが、僕は全く逆に感じましたね。人間の心理というのはそれぞれが相反する無数の群体のようなもので、何か一つに極端に執着するというのは非常に無理がある状態(パラノイア)であって、その状態が継続的に進むというほむらの心理展開に非人間的な不自然さを強く感じるところがありました…。少なくとも、僕の見る限りにおいては、過去(TV編)のほむらはここまでパラノイアにはなっていなかった…。閑話休題。

まどか(無私の愛)、さやか(上条への愛)、ほむら(まどかへの愛)、杏子(後悔からくる信念)のそれぞれが持つ非常に純粋すぎるようなところ、ある種作り物めいた非人間性すら感じさせるような極度の純粋無垢な情熱、マミさんはほかのヒロインに比べるとそういった純粋な要素は薄くて、その代わり、相反する思い(魔法少女としての使命感と、それに相反する魔法少女であるが故の孤独の苦しみ)を抱いていていつも揺れ動いてるところが、すごく人間味のある暖かさを感じさせて好きなキャラなんですね…。マミさんを主人公にしたスピンオフ作品「The different story」とか最高に好きな作品ですね…。

ドゥルーズ Gilles Deleuze
http://www.ne.jp/asahi/village/good/deleuze.htm
ドゥルーズは、健全な「欲望」の姿と本当の「私」のあり方を、語っている。以下は、二十代の女性が酔って書く日記の一節。

「私の心と私の言葉の間には、決してうめられない溝がいくつもあって、それと同じくらい、私の文章と私の間にも距離があるはずだ。
でも一般にみんな、日記に向かうとき素直になっているような気になっている感じがして、気持ち悪いから何となく日記は気取っていて、いやなのだ。
本当に人を救う尊い仕事をしている男が、ある朝交差点で世にもHなお姉さんの後ろ姿に勃起し、さらにその日のうちに幼い娘に八つ当たりし、妻と話しあって高次の愛に接したら、それはみんなその人で、その混沌が最高なのにみんな物語が好きだから、本人もそうだから、統一されたいと願ったり、自分をいいと思ったり悪いと思ったり、大忙しだ。変なの。」
(吉本ばなな『アムリタ』)

これは意図的に幼稚な感じの文章で書かれている(吉本自身の文章は名文だ)が、言っていることは誰でも判る。人間の経験は、多様で、「分裂病(=統合失調症)」的であるということだ。にもかかわらず、われわれはそれらを、例えば「立派な先生」といったような、一つの「物語」に統一することを異常に好む。そうであるがゆえに、自分を誤解してしまう。ドゥルーズが批判しているのは、「みんなが好き」な、こうした「物語」だ。

マミ「一緒に帰りましょう。みんなのところに」

さやか「……いやだよ。帰りたくない。悪者になんかなりたくないんだ。あたしが最低な人間だってこと、大切な人に知られたくない。だからって、自分に都合のいい部分しか伝えないようなずるい自分にもなりたくなくて…。それでも、結局どっちか選ばなくちゃいけないなら、いっそあたし、逃げちゃおうかって…」

マミ「……言いたくないなら、黙っていればいいじゃない。自分に都合のいいことだけしか伝えなくたって、ずるい子になったっていいじゃないの。私だって、ずっとそうしてきたんだから」

さやか「マミさん…?」

マミ「美樹さんは、私のことをどう思ってる?もしも、正義の為に戦う真面目な先輩だって思っているなら、それは私が騙してたの。私はね、正義の味方でいたかったわけじゃない。誰かと一緒にいたかっただけなの。本当の私はただの寂しがりなのに、ずっと嫌われるのが怖くって、あなた達の前では真面目な先輩ぶって、いつもみんなにいい顔してた。…でもね、そんなウソはもうやめるの。お願い美樹さん。あなたのためでも他の誰かのためでもなくて、私のために、一緒にいて。あなたが自分を許すつもりがないのなら、私だって、正義の味方なんてやめてやる。だから…私の前からいなくならないで」

さやか「……駄目だよ。そんなマミさん、あたしの憧れのマミさんじゃないよ。あたしは、正義の味方のマミさんが好きなんだ。だからこそ、マミさんの足手まといは絶対に嫌だった。なのに…そんなこと言われちゃったらさ…」

さやか「……いいの?」(あたしは悪い子だよ? それでも、マミさんはいいっていうの?)

マミ「当たり前じゃない」

さやか「……はは、参ったな。ここは厳しく言い返さなくちゃいけないところなのにな…。嬉しいんだ。こんなあたしを、必要としてくれて」

マミ「…………これからの事は、皆でお茶をしながら考えればいいのよ。さあ、帰りましょう。鹿目さんが待っているわ」
(「魔法少女まどかマギカ The different story」)

魔法少女まどかマギカ作品一覧

魔法少女まどか☆マギカ ~The different story~ (上) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
魔法少女まどか☆マギカ ~The different story~ (中) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
魔法少女まどか☆マギカ ~The different story~ (下) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
魔法少女まどか☆マギカ Blu-ray Disc BOX(完全生産限定版)
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語/[後編] 永遠の物語【完全生産限定版】 [Blu-ray]
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
魔法少女まどか☆マギカぴあ (ぴあMOOK)

アマゾンギフト券ストア



アマゾンOTAKUストア
TVゲーム総合ストア
アニメーション総合ストア
漫画コミック総合ストア
ホビー・フィギュア・トレカ総合ストア
食品&飲料総合ストア
ペット用品総合ストア
電化製品・家電製品総合ストア
パソコン及び周辺機器・消耗品総合ストア
PC18禁ゲーム総合ストア
amazon液晶テレビ総合ストア
クラシック音楽総合ストア
アマゾンギフト券ストア
amazonトップページ


劇場版魔法少女まどかマギカ新編叛逆の物語視聴。全てをひっくり返す史上最悪の極めて優れた物語。虚淵玄、絶望の系譜。

魔法少女まどかマギカ作品一覧

劇場版魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語を視聴してきました。なんと言いますか…、映画館でこれほど打ちのめされるのはデヴィッド・フィンチャー監督の「セブン」を見たとき以来、十数年ぶりのことです…。

「こう考えたんだ。こんなに酷い世界に生まれる子供がまともに生きていけるだろうか?って」
(デヴィッド・フィンチャー「セブン」)

今までのまどかマギカというのは、主人公まどかの善良さを軸に物語が展開していたが故に、全体として人間の善良さ、人間の善きところ、善性を描いていました。本映画「叛逆の物語」も、ラスト15分前くらいはそんな感じ、『今までのまどかマギカ』の暖かみと抱擁感を予見させるような感じで進むのですが…。

ラスト15分で全てがひっくり返されます。人間の悪意、欲望、歪んだエロスと究極のエゴイズムが、まどかの持つ善性、利他主義、アガペー(無償の愛)を粉みじんに破壊し、世界をエゴで歪んだ悪夢の世界に作り替えてしまう…。

凄い衝撃と共に、ここまで大ヒットしている作品の基底である『人間の善意と希望』を粉々に破壊して『人間の底知れぬエゴイズム』へと作品世界を作り替えてしまう本作の作り手虚淵玄さんの凄まじい業を感じずにはおれませんでした…。

作品としては素晴らしい、価値観を完全に真逆にしてしまう物凄い荒業は見事で、作品としては素晴らしいのですが、これまでのまどかマギカを大切に思ってきた感覚から言えば史上最悪としか言いようのない破壊であり、なんとも複雑な余韻がいまだに強く残っています…。

しかも、更に皮肉なのは、まどかの善良さでは人類を道具として使うインキュベーター種族に対抗することはできず、いずれ人類はインキュベーター種族に滅ぼされていた可能性が高く、人間の根底的邪悪さの顕現として生まれ変わった悪魔ほむらの邪悪さ(インキュベーター種族を自分の道具として使い捨てる邪悪さ)によって、人類は宇宙にいずれ進出できるような未来が開けているっぽいのが何とも…。善良さ(まどか)は邪悪さ(ほむら)に破れ、それによって人類は未来も繁栄するであろう、悪意賞賛的な展開が、なんとも…。今までの全てがひっくり返されている…。

本作は、ほむらの一人称で進むのですが、ほむらの寡黙さがある種の叙述トリックを可能にしていて、そこも見事です…。黒幕としてインキュベーターがミスリードされていて、すっかり騙されました…。『所詮、人間の敵は人間だよ』ですね…。

ほむらの真の目的は、まどかを神の座から引き摺り下ろして人間に戻し、人間まどかをあらゆる全てから守ることであり、それはまどか自身が望んでいないことにもかかわらず、インキュベーターのまどかに対する干渉を千載一遇のチャンスに変えてそのことを実行するのですね。そして神まどかは敗れる…。

苦しむ主体が問題なのです、と医者は言った。
(伊藤計劃「虐殺器官」)

ほむらの欲望は、ほむらとまどかの主体が入れ替わっているだけのエゴイズム(自分はまどかであり、まどかは自分)になっている。SF作家の伊藤計劃さんがよくモティーフにしていたテーマですね。彼女が受ける苦難は全てまどかのためになると彼女は考えるが故に、苦難すら彼女の喜びなのですね。ほむらは信仰者の歪んだパロディ、エゴイスティックな狂信的殉教者になっている。

まどかは全てを愛しているがゆえに(故にこそまどかには神の資格がある。誰か一人を優先するのではなく、全てを無償で愛する、アガペー)、広い視野を持っていますが、ほむらは全く逆で、まどかだけしか見えていない。それも、本当のまどかではなく、『自分の中のまどか』だけを見ている。そして『自分の中のまどか』を『自分の中で幸せにする』ために他の全てを切り捨てる…。

ほむらは自分のことを悪魔として生まれ変わったといいますが、まさに、まどかが人間の善良さ(利他主義)の化身だとすれば、ほむらはそれと対極に位置する人間のエゴイズム(利己主義)の化身なのですね…。

そして善良さ利他主義アガペーとエゴイズム利己主義エロスの対決で後者が勝利し、世界にはエゴイスティックな悪意が密やかに蔓延る様になる。そしてその悪意こそが、人類を道具として利用してきたインキュベーター種族を逆に道具として使い捨てていずれは滅亡させ、人類を更に繁栄させるであろうという、非常にシニカルで絶望的に物語の幕は閉じていく…。

小説家の村上春樹さんが、物語において人間を描く作家は二種類いる、人間の根幹的基底として希望を置く作家と、人間の根幹的基底として絶望を置く作家だ、ということを書いていましたが、虚淵玄さんはまさに絶対的後者なんですね…。彼は作家として人間の根幹に絶望と恐怖(人間に内在する根幹的エゴイズムとそれが齎す他者への暴力)を見ている。村上春樹さんは後者の「絶望の系譜」の作家としてスティーヴン・キングを挙げ、そこでは愛すらも恐怖となると書いていましたが、まさに虚淵玄さんもこの「絶望の系譜」の作家であり、本作はその絶望と恐怖に充ちた作家性が十二分に発揮された傑作と思います…。

僕が彼(スティーヴン・キング)の小説を一番面白いと思うのは、それが喚起する感情の質である。とにかく見逃されがちなことだけど、ホラー・ストーリーにおいて一番大事な要素は、それがどれだけ読者を怖がらせるかということではない。ただ単に怖がらせるだけなら、ちょっと腕のよいストーリー・テラーなら誰にだってそれくらいのものは書ける。問題はそれがどれだけ(読者の価値観を揺らがして)読者を不安(uneasy)にさせられるかである。uneasyでありながらuncomfortable(不快)ではないというのが良質な怪奇小説の条件である。これはなかなか難しい条件だ。(中略)

(読者の価値観を揺さぶり感情を不安にする)キングの小説もやはり系統的に読まれるだけの価値はある。「何故スティーヴン・キングの小説が怖く、それが読むものの感情を刺激して不安にさせるか」と考えることによって、我々はスティーヴン・キングの定義した恐怖の質を知り、ひいては我々の世界や日常の中にひそむ内在的な恐怖を洗い出すことができるようになるからだ。(中略)

我々は自分の中にひそむアンイージネスを不快ではない形で明確にしてもらいたいと望んでいるのであり、そのような欲求を充たすにはいわゆる「純文学的」文学性は必ずしも必要ではないのだ。

スティーヴン・キングの考える恐怖の質はひとことで言ってしまうならば「絶望」である。スティーヴン・キングの小説と登場人物達はその絶望の影に怯えながら、ある暫定的な価値観のもとに救いのある生活を求めようとする。それは多くの場合男女の愛であり家庭である。はじめのうちそれはうまく機能しそうに見える。

しかし絶望はいつも抗うことのできないスーパー・ナチュラルな力として彼らの上にのしかかってくる。愛をもってしてもその力を押しとどめることはできない。何故ならば彼らは生まれながらに体に「絶望」という刻印を押されているからである。裏返して言えば、彼らは絶望という〈救いの不在〉をとおしてでしか愛を語ることができないのである。

例えば『セイラムズ・ロッド』の男と少年は吸血鬼と化した恋人を殺し両親を殺すことで、その暫定的な愛を自らのうちにとどめることができる。『シャイニング』では父を殺すことによって、『ファイアスターター』では世界を焼き尽くすことによって、『デッド・ゾーン』では逆に自らを犠牲にして世界を救うことによって、『ペット・セマタリー』ではそこに何の救いもないと知りつつ死児を再生させ、絶望のうちに死を選びとることによって、彼らはそこに愛をとどめようとする。そこには一片の救いもない。にもかかわらず彼らはそこで逆説的に愛を語っている。キングの小説がアンイージーでありながらアンコンフォタブルではないという理由はおそらくそこにある。
(村上春樹「雑文集」)

これまで虚淵玄さんの作品を初期の頃からプレイしたり視聴したり読んだりしてきましたが、まさにその全ての作品に『生まれながらに体に「絶望」という刻印を押されている』。Phantomもヴェドゴニアも鬼哭街も沙耶の唄も続・殺戮のジャンゴもFate/Zeroも…。そして、本映画により、まどかマギカにも決定的な『絶望』の虚淵印の刻印が刻まれました…。虚淵玄さんの深い業を感じずにはおれない映画でした…。

「だからあなたは裏切りや暴力が……人間の残虐性が……逃れがたい人間の本性だと言おうとしたのね。あなたは罪から逃れるために、人間の本性のどす黒さを証明し続けているんだわ。恐ろしい数の人達の命で」
(伊藤計劃「虐殺器官」)

本映画、作品としては凄く優れていると思います。ただ、今現在、凄く生活に困っていて、病気もしていまして、凄く弱っているので、こういう絶望に充ちた作品を鑑賞するのは、凄く衝撃でショックはあって、弱っている人は余り見ないほうがいいかもです…。すごく生活が辛いので、『世界は結局弱肉強食、絶望とエゴイズムが支配するのだ!』なんて物語よりは、せめてフィクションの中では利他主義が生む希望が見たいと思ってしまうところもありますね…。本作は端的にはまどか神が敗北する物語、人間のエゴイズムの顕現たるほむらがアガペーの真の愛の神であるまどかを打ち破ってエゴによって支配する物語ですから…。結局、インキュベーターもほむらも、自分以外の他者をまどかを含めて全て、自分の道具にしているという点で同じ穴の狢で、人類の敵たるインキュベーターがほむらに滅ぼされても、それは今までインキュベーターのいた位置にほむらが座するだけなんですよね…。

個人的には、利他主義を顕現する光まどかと利己主義を顕現する闇ほむらが、戦いの中で和解し、より新しい第三の道が開けていく、対極の価値観を止揚する第三の道を描いた次回作を見たいと願うところですが…、虚淵玄さんの作家としての業により、もし次回作があるならば、闇よりの力が光を支配してしまうような絶望を基底とする展開に再びなる気がしますね…。虚淵玄さんの描く希望を基底にした物語も、いつか見てみたいと思っています…。今回映画を見ていて、そこまで人間のどす黒さ、暗い絶望を基底にしなくても…と思ってしまいましたが、それは虚淵玄さんの作り手としての何らかの深い業故に、それがあるからこその優れた作家性なのかなとも感じます…。

最後に、今凄く生活に困っていまして、更新があまりできないこともあり、ブログのアクセスもアフィリエイトもほとんどなく(月数千円です)、ギフト券の残りもない状態でして、もしよろしければ、アフィリエイトでお買い物して頂いたり、amazonギフト券を贈って頂けると、とても助かります…。ギフト券を贈ってくださる方、ありがとうございます…。

魔法少女まどかマギカ作品一覧

魔法少女まどか☆マギカ Blu-ray Disc BOX(完全生産限定版)
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語/[後編] 永遠の物語【完全生産限定版】 [Blu-ray]
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
魔法少女まどか☆マギカぴあ (ぴあMOOK)

村上春樹 雑文集
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
【初回生産限定スペシャル・パッケージ】セブン [Blu-ray]

アマゾンギフト券ストア



アマゾンOTAKUストア
TVゲーム総合ストア
アニメーション総合ストア
漫画コミック総合ストア
ホビー・フィギュア・トレカ総合ストア
食品&飲料総合ストア
ペット用品総合ストア
電化製品・家電製品総合ストア
パソコン及び周辺機器・消耗品総合ストア
PC18禁ゲーム総合ストア
amazon液晶テレビ総合ストア
クラシック音楽総合ストア
アマゾンギフト券ストア
amazonトップページ


9月25日にギフト券を贈って頂きありがとうございます。「宮河家の空腹」メタ・マルクス的で面白いですね。日常系と生活系。

宮河家の空腹作品一覧

9月25日にギフト券を贈って頂きありがとうございます。生活とても助かります。気づくのが遅れて御礼を申し上げるのが遅くなり申し訳ありません。本当にありがとうございます。身体を壊しておりまして、ギフト券やアフィリエイトのお買い物で助けて頂き、本当に深くありがとうございます。

最近は新作アニメの「宮河家の空腹」を見ています。本作は大人気作品「らきすた」のスピンオフ作品でして、僕としてはこちら(宮河家)の方が好きですね…。「けいおん」と並ぶ日常系作品(毎日遊び暮らしている幸せな日常の日々が無限に続く系統の作品)の金字塔として有名な「らきすた」ですが、らきすたのスピンオフ「宮河家の空腹」は、そういった日常系の下部構造にメスを入れている、いわば日常系の対極的作品、社会的視点のある生活系作品(生活系については後述)なのですね。

どういうことかといいますと、日常系な日々を送る幸せな人々とは、経済的特権階級たる高等遊民であり、その安楽な暮らしを支える遊興費や生活費がどこからか出ているということなのですね。そのお金の部分(下部構造)こそが重要である、というマルクス経済学的な視点をきちんと持っているのが「宮河家の空腹」と言えます。

ウィキペディア「下部構造」
唯物史観(史的唯物論)では、人間社会は土台である経済の仕組みにより、それ以外の社会的側面(法律的・政治的上部構造及び社会的諸意識形態)が基本的に規定されるものと考えた。(土台は上部構造を規定する)

よい子の社会主義
http://www.thought.ne.jp/html/text/socio/02is5.html
親たちは自分がすでに身につけ、労働や消費生活のなかでそれが「賢明」なやりかただと自明視している行動様式を、子どもたちに習得(あるいは納得)させていく。労働者階級の家庭では、労働者としての立ち振る舞い、口の聞き方、モノの考え方が、ほかの階級でもその階級にふさわしい立ち振る舞い、口の聞き方、モノの考え方がそれぞれ植え付けられる。いわば、それは親から子へ手渡される、無形の遺産として。たとえばレーニンだって、同志労働者諸君がスープを音をたてて飲むのが我慢ならなかった。

宮河家の空腹OP「KACHIGUMI」(平野綾)
産まれてこの歳まで ガマンはしたことない ガマンする理由がどこにもない ラッキーなスターの下で のびのび育ってきたの

食べたいもの食べて 寝たいときに寝て自由気まま奔放 生きてるの いいとこ生まれた それまた運命じゃん

宮河家の空腹ED「MAKEGUMI」(島形麻衣奈・川崎琴)
白いお米を 噛み締める 噛み締めれば 噛み締めるほど 消化酵素

もやし炒め 35円 豆腐特売 3パック100円 カレーライス 具はない カップラーメン なんてごちそう

節約なのよ ケチじゃない わびしくないわ 貧しいだけ お肉は 幻の 食べ物(中略)

ただの数字に 支配され 右往左往 しているよりは 幸せだわ なーんていうけど 強がりよ お金は大事 大事だよ

要するに、上記の歌詞で歌われているように、「らきすた」は、富裕層のキャラクター達の幸せな日常を描くアニメですが、本作「宮河家の空腹」は、貧困層のキャラクター達の特に幸せではない日常を描いているアニメでして、作品そのものが、「らきすた」や「けいおん」に対する痛烈なアンチテーゼとなっている、『らきすたやけいおんの幸せな世界は、主人公達が皆富裕層の学生達だからこそなりたっているのだ!』ということを下部構造から突きつけている作品でして、凄く痛快で面白いと感じますね。本作は浅羽通明さんの言うところの日常系と対極になる生活系(作品の中に労働生産と経済的・社会的視点がある)と言える作品だと思います。

『生活』という漫画がありました、作者は福満しげゆき。彼には『僕の小規模な生活』という作品もあります。作者と妻の間のたわいないあれこれをギャグ化して描いておりますが、これは「日常系」ではまったくない。そこには漫画家とその妻とが、経済的に生活を成り立たせている現実が、ひしひしと伝わってくるのです。

思うに「日常系」と「生活系」との違いは、「日常系」では消費しか描かれないのに対して、「生産系」が何らかの生産(労働)を描く所ではないのか?「日常系」ではチョココロネとかお菓子や紅茶が消費されますが、「生活系」では三度のご飯が描かれる。こちらは消費であって(遊興的な)消費にとどまりません。明日の労働に耐える心身を養う生産。マルクス経済学の用語でいうところの労働力再生産なのです。

漫画家福満しげゆきの家庭生活はそのまま家庭内手工業の労働に他なりません。作品が出来上がりその数が着実に増えていく。そこには付加逆な「直線的時間(変化する日々)」が流れています。

福漫夫婦はやがて子供を授かり、漫画は子育て漫画ともなってゆく。子育ては世代を超えた労働力再生産の際たるものです。ですから「うさぎドロップ」など最近人気の子育て物は「生活系」といってよいでしょう。育ってゆく子供こそは、日常に入り込んだ「直線的時間」に他なりません。

さらにはコロコロ系の「ドラえもん」とか「おぼっちゃまくん」も生活系と言うべきです。野比のび太は孫の孫のセワシが借金に苦しむ未来を到達させないため、しずかちゃんと結婚できる未来を実現するため、ドラえもんの力を借りて成長しようとしているのですから。御坊茶魔は、厳父亀光の手で御坊財閥の次代当主に相応しい帝王学教育を施されています。

これらにも子育て漫画と同様、明日が見える。「直線的時間」が包含されているのです。幼年向けという性格上、のび太は永遠に小学生、茶魔は小学五年生、忍たま乱太郎はずっと一年坊主ですが、そこにはたしかに未来があるのです。「直線的時間」があるのです。

これは、進級進学をしっかり描く「らき☆すた」や「けいおん!」がそのために少女たちの変わらなさ、即ち「円環的時間(変化しない日々)」を際立たせているのと好対照といえましょう。

そういえば、この講義を熱心に聴いてくれた芝浦康一という早稲田卒の若い人が、「日常系」と「生活系」に関して誠に興味深い指摘をしてくださった。日常系と猫派、生活系と犬派がそれぞれ対応するのではないかというのです。

たしかに「らき☆すた」には猫型クッションがシンボルマークのように出てくるし、「けいおん!」の唯一の後輩はあずにゃんですね。「日常」にも坂本という猫がでてくる。犬も出ますがレギュラーではない。「あずまんが大王」には大型犬が出てくるけど、あずまきよひこは、子育て漫画「よつばと」も描いています。

私がこの指摘で連想したのは、また漱石と鴎外です。漱石はご存知「吾輩は猫である」で知られ、実際モデルとなった名無しの黒猫を可愛がっていた。弟子筋も、寺田寅彦、内田百間と文学史に残る猫好きが多い。

鴎外は犬ですね。戦地から連れ帰ったセントバーナードみたいな大型犬ジャンに始まり、何匹も犬を飼っていました。
(浅羽通明「時間ループ物語論」)

最後の猫と犬が日常系と生活系に対応するというのは、僕からみると少々牽強付会に過ぎるかなとも思いますが、日常系と生活系という区分そのものは優れていると思います。例えば「ロウきゅーぶ」なんかは、生活系な訳ですね。かの作品の中ではスポーツ(バスケットボール)が変化する日々(直線的時間)を裏付ける労働力再生産として機能している。日常系だと「そらのおとしもの」「To LOVEる」などは典型的な日常系にあたると考えられます。オーバーテクノロジーによって無限に消費(主にセクシーな色々を消費)して生産はしない、変化しない日々(円環的時間)の物語な訳です。

本作「宮河家の空腹」の面白いところは、ただの生活系ではなくて、日常系作品世界そのものを成り立たせている下部構造(経済的諸問題)を、貧しい層の貧しい生活を描くことで、ダイナミックに突きつけてきているところですね。ここは、通常の日常系作品では隠されている(特に語られるところのない)、ある種の秘中の秘なわけです。「らきすた」にしろ「けいおん」にしろ「そらのおとしもの」にしろ「To LOVEる」にしろ、富裕なバックボーンを主人公達が備えているからこそ、安楽で面白おかしい日々を無限に送れる訳ですが、そういうところは、特に語られることとはされない。

その秘に対して、思いっきり突っ込んでいるのが、「宮河家の空腹」であり、本作は単なる生活系アニメにとどまらず、本作自体が日常系アニメに対する優れた批評として機能としている。そこが見ていて凄く面白い。ようするに『お金さえあれば日常系アニメみたいな生活ができるけど、お金が無いからできない!!』っていう貧しい生活を面白く描いているわけです。単独で作品が成り立っているというより、日常系アニメへのツッコミ(下部構造から上部構造へのツッコミ)として作品が面白く成り立っている、メタ・マルクス的な視点を持ったパロディ作品と言えます。僕は本作、非常に面白くて意欲的な作品だと思いますね。僕もお金がなくて、生活が苦しくて困っているので、その点でもすごく共感できます。「宮河家の空腹」お勧めの作品ですね。

宮河家の空腹作品一覧

時間ループ物語論

アマゾンギフト券ストア



アマゾンOTAKUストア
TVゲーム総合ストア
アニメーション総合ストア
漫画コミック総合ストア
ホビー・フィギュア・トレカ総合ストア
食品&飲料総合ストア
ペット用品総合ストア
電化製品・家電製品総合ストア
パソコン及び周辺機器・消耗品総合ストア
PC18禁ゲーム総合ストア
amazon液晶テレビ総合ストア
クラシック音楽総合ストア
アマゾンギフト券ストア
amazonトップページ


最新記事
livedoor プロフィール
記事検索
  • ライブドアブログ