ねこねこブログ

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2010年04月

GWにお勧めのフリーゲーム「ドラゴンクエスト 悪霊の勇者」「Merry X'mas you, for your closed world, and you...」

昨日更新できずに申し訳ありません。また風邪をひいたみたいで、とても熱っぽいです…。今回は、これから始まる長いお休み、ゴールデンウィークにプレイをお勧めの、フリーゲームならではのユニークさを持ち、時間的にもたっぷり楽しめるソフトを2本紹介させて頂きますね。皆様方のお役立てになれば幸いです。

「ドラゴンクエスト 悪霊の勇者」公式サイトさん
http://marassoft.oh.land.to/

一つ目の紹介はフリーのRPG「ドラゴンクエスト 悪霊の勇者」です。題名通り、「ドラゴンクエスト 悪霊の神々」をオマージュした、いわゆるクローンゲームです。しかしただのクローンゲームではありません。これはドラゴンクエスト兇5年後の世界を舞台に、オリジナルドラクエ供△修靴謄疋薀エシリーズを見事に反転させた内容になっているのですね。逆さまになったドラクエという感じです。

どういうことかと言いますと、本作はドラクエ兇離薀好椒糠鵬神シドーを倒すとき、シドーが今わの際に、ローレシアの王子へ裡なる欲望が目覚める呪いを掛けたところから始まる物語なんですね。ローレシアの王子はだんだんと自らの裡なるダークサイドに支配されてゆき、ついには王権簒奪の為に父王を暗殺することで完全にふっきれて、全世界を征服し、全てを自らの手中にしたいという欲望の為に行動するようになります。

通常のドラクエの価値観なら、このローレシアの王子を正気に戻す為にサマルトリアの王子やムーンブルグの王女が頑張るといったシナリオになるでしょうが、本作は「逆さまなドラクエ」なので、そうはなりません。ダークサイドに落ちたローレシアの王子を主人公として、サマルトリアの王子やムーンブルグの王女を屈服させ、世界を征服してゆく物語なのですね。これが非常に面白い。

ダークサイドに落ちたローレシアの王子は、5年前に世界を救った勇者だけあり、『凄く強くて凄く悪い』奴なんですね。しかも、周囲の人々は彼のことを「世界を救ってくれた勇者様」と認識している、その信頼を逆手に取って、世界を手中に収めてゆきます。スターウォーズエピソード3のアナキン・スカイウォーカー(ダースベイダー)みたいなもので、凄く強くて凄く悪い奴が活躍する物語は、実に爽快なものがありますね。勇者の時のような縛りがない分、ローレシアの王子の行動は半端なく欲望そのままで邪悪の極みですが、それが、ドラクエの勧善懲悪世界観を上手に逆転させていて爽快です。ピカレスク・ロマン(悪漢小説、悪人が主人公の物語)の傑作だと思いますね。RPGとしてのゲームバランスも良好、お勧めの作品です。プレイボリュームもたっぷりです。

「Merry X'mas you, for your closed world, and you...」(ベクター)
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/game/se481372.html

二つ目に紹介させて頂くのは、フリーのアドベンチャーゲーム「Merry X'mas you, for your closed world, and you...」です。これは、18禁ゲーム、いわゆる萌えエロゲーと呼ばれるゲーム世界に、現実世界に生きていた主人公がなぜか入ってしまったという物語でして、萌えエロゲーの価値観を徹底的に情熱を込めて批判した作品、反転した萌えエロゲー、逆さまの萌えエロゲーになっているゲームです。

どういうことかと言いますと、本作の舞台となる萌えエロゲーの世界は、無限地獄のような世界なのですね。テッド・チャンの小説の題名に「地獄とは神の不在なり」というのがありますが、これに習っていうならば、「地獄とは人間の不在なり」といったような世界です。萌えエロゲーに出てくるのは、ヒロインだけであり(ヒロインしかいない世界)、世界は背景があるところしか行けず、そして、当然のことながら、ヒロインは人間ではありません。

この物語において、主人公とヒロインしかいない学校世界で、人間としての魂を持つ主人公は孤独に悩まされることになります。なぜなら、ヒロインは、スクリプト(簡易プログラム)で動く、魂のない書割そのものの存在であり、しかも、不可能図形である二次元絵ヒロインが三次元に立体化されているので、クトゥルフ神話の化け物のように、三次元立体として物理的に決してありえない造形の存在なのですね。ヒロインを殴りつけた主人公がその感触(物理的にあり得ない感触)にクトゥルフ的恐怖を覚えるシーンは吹きました。

このヒロイン達の怖いところは、ただ決められた台詞を喋っているだけで、あらかじめゲームシナリオとしてゲームスクリプトに決められた対応しかできない、本当に単なる書割が三次元化されたものであるところです。主人公がゲームスクリプトにはない言動を取ると「は?」とか「へ?」としか言わないし、主人公の話を聞かず、ただひたすら、あらかじめゲームシナリオとして定められた台詞を喋るだけの存在です。例えば、あらかじめ定められたゲームシナリオで「ヒロイン同士がイベントによって知り合う」となっているところに到達するまでは、ヒロインは他のヒロインを認識できなかったり、まともな会話が不可能だったり(ヒロインはゲームシナリオで定められた書割台詞を一方的に喋っている)、何より極めつけの恐怖は、状況に耐えられなくなった主人公がヒロインを殺しても、何も無かったこととして平気で甦るんですね。

萌えエロゲーの中に入ってしまったらどうなるか、ということを、それは恐怖に充ちた孤独の無限地獄の世界、魂の牢獄であるとして、上手に描いている良くできた不条理ホラーですね、お勧めです。ただ、一つ難点がありまして、ラストが特に落ちのない投げっぱなしエンドになってしまっているんですね…。終盤までの盛り上がり、主人公の絶望と萌えエロゲーに対する情念の篭った怨嗟(萌えエロゲーに対する激しい全面的な批判)はなかなかのものなので、これでなんらかの意外性がある落ちがあったら、更に優れて完成度の高いものになったと思います、惜しいですね…。

それでも、ラストが投げっぱなしになっている点を鑑みても、全体的な完成度は極めて高いです。物語自体よりも、物語を通して訴えていることの方が比重が大きい、不条理な風刺物語の傑作だと思います。萌えエロゲーが如何に陳腐などうしようのないものであるか、小説を通して作者さんが物凄い情熱を込めて訴えているところに感銘を受けましたね。陳腐であること自体はどうしようもないことですが、陳腐であることを情熱を込めて批判することは、傑出したものになり得るのだなと感じさせてくれました。「凡庸な芸術家の肖像」を思い出しましたね。凡庸を主題にして非凡なものを書き得ることは可能なように、陳腐を主題にして傑出したものを書き得るということを示した良作アドベンチャーと思います。お勧めですね。

「ドラゴンクエスト 悪霊の勇者」公式サイトさん
http://marassoft.oh.land.to/

「Merry X'mas you, for your closed world, and you...」(ベクター)
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/game/se481372.html

今回紹介させて頂いた2作は、どちらとも商業作品としては決して出ないであろう作品、既存の価値(ドラクエ・萌えエロゲー)を徹底的に反転させて風刺した作品、フリーゲームならではのエッジの効いた作品です。既存の価値観とは別の価値観に触れるというのは、大きなリフレッシュになりますので、ゴールデンウィークに如何でしょうか。どちらもお勧めの作品です。今回紹介した2作ともに、ニーチェのパースペクティヴ主義に影響を受けているようなところがあって(Merry X'mas you, for your closed world, and you...ではよりダイレクトに示されている)、そこから上手に物語を組立てている。この2作は共に、プレモダン世界(固定化された単一の価値観世界、ドラクエ世界の価値観・萌えエロゲー世界の価値観)に対し、その価値観とは別の価値観の物語をその世界に持ってきて、プレイヤーの価値観を多様化するという手法を見事に成し遂げていますね。

「"よい"というのは、視点の問題だよ、アナキン。ジェダイの"善"が、唯一の善ではない」
(マシュー・ストーヴァー「スターウォーズ エピソード3 シスの復讐」)

モンテーニュは(エセーにおいて何かを語るとき)、説得しようとはしないで、古人の故事(過去の出来事・過去の物語)を示す。それは、良心の命令とか道徳的義務のように強制するのではなく、考えさせるのである。故事が何を示しているのかを、完全に言い当てることはできない。そこから何を汲み取るかは、受け手に大きく依存するからである。モンテーニュが目指すのは、たんに盲目的な道徳性なんかではない。
(田島正樹「ニーチェの遠近法」)

参考作品(amazon)
スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐 (ソニー・マガジンズ文庫―Lucas books)
スター・ウォーズ エピソード3 / シスの復讐 [DVD]
ニーチェの遠近法 (クリティーク叢書)
凡庸な芸術家の肖像〈上〉―マクシム・デュ・カン論 (ちくま学芸文庫)
凡庸な芸術家の肖像〈下〉―マクシム・デュ・カン論 (ちくま学芸文庫)
エセー〈1〉
エセー〈2〉
エセー〈3〉

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フリーゲーム「僕とあの子の箱庭絵本」クリア。とても良いRPGです。切ない物語が良いですね…。

ゲイルズバーグの春を愛す ハヤカワ文庫 FT 26

「僕とあの子の箱庭絵本」公式サイト
http://ignisfatuus.nobody.jp/original/garden/garden_main.html

フリーゲーム「僕とあの子の箱庭絵本」クリア。とても良いRPG作品です。クリアまでに掛かった時間は6時間ほどですが、時を忘れてあっという間に夢中でクリアしてしまいました。ゲームバランスが素晴らしく良好で、サクサクテンポ良く進むので、プレイがとても快適です。

また、「ぬいぐるみの町」というメルヘンチックな舞台の描き方が上手い。そして物語にて活躍する登場人物のぬいぐるみ達がみんないい味だしたキャラクターで、この物語世界にいるのが純粋に楽しいですね…。物語は、とてもしんみりした鎮魂の物語で、哀しみに彩られた淋しげなストーリーが心を打ちます。僕は、ハッピーエンドの展開よりも、こういう淋しくて、しんみりとした余韻を残す物語が好きですね…。

フリーゲーム、特にRPGが好きなお方々ならぜひプレイする価値のある作品だと思います。僕はお金なくて困っているので、こういう、無料でプレイできる作品は、本当にありがたいですね…。ゲームバランス、シナリオ、キャラクター、物語、全てにおいて完成度の高い優れたRPG、自信を持って良い作品と言える出来、お勧めです。切ない物語が良いですね…。物語に叙情ファンタジーの名手ジャック・フィニイのエッセンスが入ってますね、「愛の手紙」…。

参考作品(amazon)
ゲイルズバーグの春を愛す ハヤカワ文庫 FT 26

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お腹が空き過ぎてふらふらです。韓国風卵かけごはん・卵わかめスープを食べました。

天体戦士サンレッド 第1巻 [DVD]
天体戦士サンレッド 1 (ヤングガンガンコミックス)

お腹が空き過ぎて、元気がでません…。昨日のエントリに書いたとおり、食費節約のため「ごはん+たくわん」で食事を済ませることが多いのですが、これだと脚気とか栄養失調になりそうで、体がへなへなになるので、今日は奮発して、韓国風卵かけごはんを食べました。これは、TVKで放映しているTVアニメ「天体戦士サンレッド」の先週放映分にてレシピ紹介していたので、その通りに作って見ましたら、結構美味しかったですね…。作り方はめちゃくちゃ簡単です。

材料
ごはん 茶わん一杯
生卵 一個
ごま油 適量
海苔 適量
しょう油 適量
わかめスープの元

つくりかた
_垢いごはんのてっぺんにちょこっと箸でくぼみをつくる(卵をこぼさないようにする為)
△瓦呂鵑砲気辰箸瓦淕をたらす
ごはんの上に小さくちぎった海苔を散らす(量はお好みで。海苔はまとめて入れると湯気でくっつくので気をつける)
卵を黄身と白身に分ける(ボウルの上で手のひらに乗せて黄身を転がすようにするとうまく分けられる。黄身がつぶれても後で混ぜるのできにしない。カラザ(白い部分)も取るのを忘れずに)
い瓦呂鵑僕颪硫身を乗せてさっとしょうゆを一振りして、できあがり
イ靴腓Δ罎梁紊錣蠅砲垢焼きのタレを使うと味に深みが出ておいしい
残った白身はもったいないのでインスタントのわかめスープに入れてたべましょう
(天体戦士サンレッド)

わかめスープもあったので、白身はわかめすーぷに入れたら、あっというまに卵わかめスープに!!これで、韓国風卵かけごはん+卵わかめスープという、いつもより豪華な食事を取ったので、これでなんとか元気が出ればいいなあと思います…。近年、手足の節々が何もしてなくても痛むことが多いので、脚気とかじゃないといいなと思いますね…。

参考作品(amazon)
天体戦士サンレッド 第1巻 [DVD]
天体戦士サンレッド 1 (ヤングガンガンコミックス)
リケン わかめスープファミリーパック 6.4g×10袋入り (2入り)

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白いご飯に最も合うおかずランキング、たくわん入っていない…。水木しげるのカランコロン。水木さんと空腹と猫。

水木しげるのカランコロン
カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る

http://cobs.jp/enquete/realranking/2010/04/25_2.html
Q.白いご飯に最も合うと感じる食べ物について教えてください。(単数回答)
1位 明太子(焼きたらこ) 20.7%
2位 納豆 14.9%
3位 梅干し 12.6%
4位 みそ汁 10.0%
5位 生卵 8.3%

たくわんが入っていない…。僕はお金がないのでごはんにたくわんで二品で終りのことが多いです…ううう…。ごはんもので一番食費が安上がりに済むのは、『ごはん+たくわん』なんですね。たくわんは長いたくわんがスーパーの安売りで300円くらいで買えるので、食事のたびに2、3枚ずつ切ってごはんのおかずにしてゆけば、2週間くらい持ちます。300円で2週間持つというのは最高のコストパフォーマンスです。

なんだか書いてて悲しくなってきました…。明太子とか、余りにも高すぎて(一食に明太子一個=何百円も掛かる)、好きなんだけど買えません…。ああ…。悲しくなってきました。

水木しげるさんのエッセイとか読むと、水木さんの戦時中のごはんのおかずは醤油だったと書いているので、それよりはまだ良いかなと思いますが、今は戦時中ではないのに、お金がなく戦時中のような食生活をしていることを思うとやはり悲しくなります…。僕は寝ていても、いつもまず最初にお腹が空き過ぎて空腹感で目が覚めるので、水木さんの戦時体験のエッセイや漫画と同じだなあと思いますね…。

飢え・空腹の恐怖は頭にこびりついていて、時々「銀メシ」が急に食えなくなる夢をみる。夢の中でハッとする。今の若い人のようにゆったりと楽しむ心が、何年たってもわいてこない。(中略)

食い物のことを心配しなくてもいいなんて時代は、「若い日の私」にとっては、それこそ「天国」としか言い様がない。(中略)

食料というのは、輸送する間にだんだん減るものらしく、我々(南方部隊)の口に入るのはいつもニギリメシ二個位が一日の食料で、おかずは醤油じるだった。中には何も入っていない。(中略)

一方、内地の方では、たらふく食って、もうける軍需産業の人もいたから、運、不運とか、幸福のモンダイに注目するようになり、
「幸福とはなんだ」
と、お化けの研究とともにいつも自問自答してみるくせがついた。

戦前は、なんでも成功すれば幸福になれるんだという感じの教育だったから、総理大臣とか陸軍大将なんかになると「幸福」になれると思っていたが、イロイロ調べると会社の社長でも、あまり幸福ではない。

はて、……と思って、好きなことをやっているかに見える文豪のたぐい、これもあまり幸福ではない。

はて、おかしい、と思いながら、多忙の中に自問自答を繰り返し、年を重ねるわけだが、アフリカのドゴン族にテレビの仕事で行くと、彼らはいう。「猫は幸せだ。食うために働かないから……」。なるほど考えてみると、猫は人間を働かして食べる。しかもゆったりと時間を使って昼寝なんかしている。人間は目の前の石を意味もなく持ち上げようとしてるだけかもしれない。

猫が幸福だ、というドゴンの人と、僕は同意見だった。
(水木しげるのカランコロン)

水木しげるさんのエッセイは僕と感性が合うようで、とても好きですね…。上記のカランコロンは、水木しげるさんが長年書き続けたエッセイを総集成した本であり、とてもお勧めです。下記とか、全く同感ですね…。

もともとらくして生きられればそれが最高と考えていたわけだが、半生はその逆にバカ苦しい人生になってしまったが、できたら、楽園か楽園みたいなところで暮らしてみたいという考えは今も変わっていない。

よく成功者とか、文豪とかいわれる人なんかが、死ぬ前まで働いてカッサイをあびているようだけど、私にはサッパリ分からない。

死ぬ時には、仕事なんかせずに、ゆっくり死ぬのが最上だということは猫でも知っていることで、ゆったり死んだ方がいいと思うが、どうしたわけか、日本人は畳みの上で死なないとか、とかく短い一生を働き蜂みたいに、それこそ狂い死するほど働くのが美徳みたいにいわれているが、これもわからない。(中略)

猫みたいにらくして生きるというのが、私の憲法みたいになっているから、仕事の少ない時はやたらに寝る。
(水木しげるのカランコロン)

水木しげるさんの人生目標はそれこそ若いときから今の世まで首尾一貫して猫(猫のように暮らす)であり、猫大好きなところも共感を感じますね…。

――水木先生の作品には猫又とか猫忍とかやたらと猫が登場しますが、猫好きなんですか?

水木しげる
「犬はね、愛嬌がないんです。ネコの方が面白いんです。犬ってのは、ペコペコして人間の後を忠実についてくるでしょ。ネコはちゃんと独自のものを持ってますからね。それに、ネコの道なんてあって、ネコだけの道があったりね。スズメなんかを取ってるのを、時々見たし、後ろの寺でね。一匹は屋根に登って、一匹は下におるのです。そして、スズメを取ろうとしてるのです。面白いと思って見てたんです。愛嬌があって面白いと思って見てたんです。なんでも人間に例えてみるから」
(水木しげるのカランコロン)

ああ…お腹すいたです…。

参考作品(amazon)
水木しげるのカランコロン
カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る

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ドイツ語版ヘルシング、きちんと翻訳されているんですね。良いことです。チャールズ・ストロス「残虐行為記録保管所」

HELLSING I [DVD]
残虐行為記録保管所 (海外SFノヴェルズ)

ドイツ語版へルシングレビュー
http://www.geocities.jp/kazami_akira/diary/diary0412.html#1226-02

先のエントリ(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1160039.html)の続きです。なんとなく、ドイツ語翻訳版のヘルシングはどうなっているだろうと思って調べてみたら、鍵十字(ハーケンクロイツ)以外の部分はきちんと翻訳されているそうで驚きました。あのナチス大活躍ぶりがドイツで出版されているとは、感動的ですね。表現の自由を確り守っていて、素晴らしい!武装親衛隊の軍服のカッコよさはハーケンクロイツがあってこそだと思うので、ハーケンクロイツがNGというのは残念ですが(映像作品におけるこの辺のドイツでの線引き基準がさっぱり分かりません。ドイツ映画「ヒトラー最後の12日間」とか普通にハーケンクロイツ出ていたように思うのですが…)、ハーケンクロイツ以外はちゃんとオリジナルのまま翻訳して出ているというのはGoodですね。

思ったより、ドイツが寛容でほっとしました。表現規制が厳しい国(=自由の少ない国)ほど全体的にろくでもない状況の国であるという法則は近代の原則としてあると思いますね。ヘルシングのOVAもドイツの人々に楽しく喜んでもらえたら良いなあ…。「ナチスドイツの吸血鬼つえー」みたいな。

そういえば僕は、昨年、イギリスの作家チャールズ・ストロスが書いたファンタジー軍事冒険小説「残虐行為記録保管所」を読んだのですが、これはヘルシングとか、「鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」「とある魔術の禁書目録」「女神転生」あたりが元ネタになっているんじゃないかなと思いましたね。後書きを読むと、特に日本の作品が元ネタにはなっていることはなさそうですが、ただ、それでもやはり日本の漫画・アニメ・ライトノベル・ゲームにネタが似ているなあと。

本書の舞台となるのは、コンピュータによる数学的魔術によって異界(魔界)とのコンタクトが可能となった世界。数学的魔術というのは、女神転生の「悪魔召喚プログラム」のようなものです。なんだかよく分からない数学の計算で、悪魔(異界の存在)の力を借りたりすることが可能になったファンタジック現代で、イギリスの魔術諜報機関ランドリーに勤める諜報員の主人公(ランドリーの魔術装備を使うことでそこそこの魔術が使えます)が、魔術を使うテロリストとかと戦う話です。戦うといっても派手に敵と真っ向戦うようなことはせず、情報収集で敵の行動目的を探り出し、敵の行動を上手く逸らして敵の失敗を誘うような絡め手の戦法で戦うのが面白いです。

ナチスは、この物語の世界に魔術(異界の力)を持ち込んだ張本人です。これは標題の「残虐行為」という言葉に掛かってくるんですが、異界(魔界、物理法則の違う奇怪な平行世界)とコンタクトするには、情報のエントロピーを広げる必要があり、情報が集積した生命体である人間が命を失う必要(生贄の必要)があるんですね。ナチスがホロコーストで大量虐殺したのは、異界とコンタクトし、その力を利用するためだったのです。ナチスの時代はコンピュータが低性能で魔術的計算能力が低かったので、大量の生贄が必要でした。

この物語の舞台となる現代では、魔術的計算能力がコンピュータの発達により発展しているので、数百万人といったとんでもない数の生贄は不要ですが、それでも魔術には最低限の生贄は必要なんですね。例えば主人公が所属するイギリスの魔術諜報機関ランドリーは、「栄光の手(ハンズ・オブ・グローリー)」を魔術装備として使うのですが、これも生贄が必要な武器なんですね。栄光の手というのは、『切り取られた人の手に魔術的儀式を施したもの』ですから。これを作るために「どこどこの病院でこれこれな死人が出ているからまた栄光の手が作れるな」みたいな、いかにもイギリス風(モンティ・パイソン)の捻くれたブラックユーモアが多めでして、全編結構笑えます。

この本、図書館で借りて昨年読んで、今手元に本がないのでうろ覚えですが、本書における魔術装備は、軍事的な武器のように使われていて、例えば「栄光の手:魔術レベル5、安定レベル3、B級魔術装備、発動」みたいな感じで、魔術の使い方が如何にも日本の漫画やアニメやライトノベルにありそうな感じなのも吹きました。読んでて「魔法少女リリカルなのは」を思いだしていましたね。魔術がミリタリー。

ただ、この小説、日本のライトノベルとは対極にあるような小説でして、描写は物凄く細かいけれど、派手な見せ場は全くないんですね。描写は物凄く簡略化されていて、派手な見せ場がてんこもりである日本のライトノベルとは全く逆の技法で書かれていると言ってよいと思います。主人公の行動のほとんどは地道に魔術使って地道に情報収集しているだけで、主人公がいよいよ動くときも、全く派手さはなく、地味に動いて地味に解決してゆくので…。なので、小説はテンポ良く派手でなければというお方々にはあまりお勧めできない小説かなと。地味な魔術師諜報員の地味な諜報活動を楽しめる気の長い人向けです。

後書きに、ジェームズ・ボンドは諜報員がやってはいけないことをことごとくやっている、実際の諜報員は、地味の極致で、その辺の味を出したかったということが書いてあります。まさにこの後書きでの表明どおり、作中にて胸がわくわくするような設定が一杯でてくる(視線によって相手を石にするメデューサの魔術プログラムをロンドン中の監視カメラに送り込む計画の阻止とか)割には、全編物凄く地味なので、最初から最後まで肩すかしっぽい作品ですね。これはこれで味があって僕は面白かったですが、あまり一般向けの娯楽作品とは言えないかなという気もしますね…。最後に、他の方の書評をご紹介。あらすじを綺麗にまとめて紹介されています。

こういうの読んでいます「残虐行為記録保管所」
http://www-fue.fukuoka-edu.ac.jp/~kanamitu/Blog/2008/01/post-184.html
数学者チューリングが基礎を築いた数学的魔術により平行宇宙との交流が可能だという設定の世界。英国政府は、平行宇宙からの異生物侵入という魔術的災厄の防止を目的とする秘密組織<ランドリー>を設立し、対抗策をとっている。<ランドリー>の新米エージェントのボブ・ハワードは初の現場任務として、偶然、オカルト的な研究にかかわった赤毛の美人哲学教授モーとの接触をすることになる。初級任務のはずが、中東系テログループにモーが誘拐されたことを皮切りに、背後にナチス・ドイツの魔術研究機関アーネンエルベの存在がちらついたり、異世界に通じる穴から再度誘拐されたモーを追って異世界への救出作戦に参加したりする羽目に。最後には陰謀の黒幕の魔術的な正体も判明し何とかモーを救出し世界を救うことができるわけだが、面白いのは細かい描写に現れる作者の趣味の一端。クトゥルーなどの魔術的な事項と情報数学的なガジェットが混在し、不可視効果を持つ<栄光の手>や<バシリスク銃>、クヌースの著作の第4巻のエピソードなど、事情を知っている者なら楽しめることうけあいである。

参考作品(amazon)
HELLSING I [DVD]
HELLSING II [DVD]
HELLSING III〈通常版〉 [DVD]
HELLSING IV〈通常版〉 [DVD]
HELLSING V〈通常版〉 [DVD]
HELLSING VI 〈通常版〉 [DVD]
HELLSING OVA VII [〈初回限定版〉 [DVD]
HELLSING OVA VII Blu-ray (初回限定生産)
HELLSING OVA VI Blu-ray 〈初回限定版〉
残虐行為記録保管所 (海外SFノヴェルズ)

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OVA「HELLSING」機銑擦泙濃訥亜A農欧蕕靴ぁ!OVAの傑作です!!「萌え萌えナチス読本」

HELLSING I [DVD]

先週のTUTAYAのレンタル100円均一デーを利用して、700円で一週間レンタルしたOVA「HELLSING」機銑算訥亜A農欧蕕靴い任后TVアニメ版は原作と掛け離れたおかしなオリジナルストーリー展開によって見るに耐えないものでしたが、本OVA(オリジナルビデオアニメーション)版「HELLSING」は、原作への忠実度が凄まじい。完全完璧なまでに原作漫画の一コマ一コマをアニメーションとしてトレースし、そして原作以外の要素、オリジナル要素は一切入れてない!!その結果、原作の持ち味を100%活かす、最高のOVAに仕上がっていますね。まさに原作ファンが夢見た「HELLSING」そのものです。

本作は、超常能力を持つ能力者を有する特殊機関らとナチス残党が闘争を繰り返す大人気漫画のアニメ版。原作の持ち味であるバイオレンス描写、戦争へと発展してゆく暴力的な闘争のシーンが素晴らしくよく出来ていて、僕は本作に最高の評価を致しますね。TVアニメでは絶対描けぬであろう、原作通りのバイオレンスシーンはまさに見物です。超常能力を持つ吸血鬼で構成されたナチス残党がイギリスに戦争を仕掛ける話なので、暴力シーンから戦場のシーンに発展してゆく描写が半端ないですね。特に敵側のナチスが悪の魅力を煌々と放っているところは実に素晴らしい。これ見ていると、手塚治虫や三島由紀夫がナチスの悪の美学に魅了されたように「ああ、ナチスの存在は人類の歴史にとっては災いだったが、エンターテイメントにとっては福音だったのだな…」と心から実感します。ナチス、ドイツ第三帝国はエンターテイメントにおける『最高にカッコイイ魅力溢れる悪役』ですからね。

こういっちゃなんだけど、ナチってのは憎らしいが、なんでああカッコいいんだろうね。(中略)(映画の)「荒鷲の要塞」「特攻大作戦」「特攻大戦略」「ナバロンの要塞」「コンバット」(中略)それから、ひとクセある大スターは、たいがい一回はナチの服を着ている。「バルジ大作戦」のロバート・ショー、「レマゲン鉄橋」のロバート・ボーン、「将軍たちの夜」のピーター・オトゥール、ちゃんとサマになってる。(中略)

ところでなぜナチはこうも映画でモテるんだろう。それは、カッコいいからだと思う。暗く、ニヒルで、残忍なカッコよさだ。アメ横のモデルガン店で、いろんな国のモデル軍服を売っているが、いちばんよく出るのがナチの制服だそうだ。いちどぐらい、ハリウッドスターが日本軍の制服を着たらどうだと思うんだが、これは着ないね。どうも泥くさくって。(中略)

今回、なぜこんな話をするかってえと、昔、「沙漠の鬼将軍」(ヘンリー・ハサウェイ監督――ああ、若き日のあこがれの名匠)という、ロンメル将軍を描いた映画があった(テレビで何度もやっている)。このロンメルに扮したのが、ジェームズ・メイスン。このメイスンのカッコよさ。ぼくはすぐさま、ぼくの(マンガの)持ちスターの中に、メイスンという名の悪役を加えたぐらいだ。(中略)

(手塚が虫明亜呂無との座談会で)「メイスンのに、「ゼンダ城の虜」というのもあったっけね」といったら、虫明亜呂無さんが、思わず、「出たァー」と叫んでよろこんだ。この「ゼンダ城の虜」で、悪役ルパートに扮するメイスンが、また印象が強かったからだ。ナチをモデルにしたと思われる、ボタンがキラキラとたくさんついた軍服を着て、スカーッとして出てくる。

「よかったですねエ」
「いや、あの映画、三島由紀夫さんが好きだっていいましてねエ」

それを聞いて、ぼくはハッとなった。すぐあとで、三島氏が死ぬ前につくった私設軍隊「盾の会」の写真を探した。三島氏の着ている制服を見てギョッとした。「ゼンダ城の虜」の悪役ルパートの服とソックリ同じではないか。「盾の会」の制服の原型はこの映画だったのだ!

おそらく三島氏は――あの映画のメイスンに惚れこんで――三島美学の象徴をあの服装に見出したのじゃないだろうか。そしてそのデザインを流用した……。偶然の一致なら申し訳ない。だが、三島氏のナルシシズムの追求を考えると、ありえないことじゃない。そのくらいカッコよかったのだ。
(手塚治虫「ナチの軍服――「ゼンダ城の虜」と三島由紀夫」「ぜんぶ手塚治虫!」より)

本作では、敵側の邪悪なナチスの方が、国家の安全と秩序の為に戦う味方側のイギリス特務機関よりも魅力に感じますね。本作の敵役であるナチス武装親衛隊「最後の大隊」は、まさに『暗く、ニヒルで、残忍なカッコよさ』を煌々と放っていて、実に素晴らしい。アニメならではの動き、武装親衛隊の軍服を着た邪悪な吸血鬼達の動きに痺れます。

戦後、連合国・枢軸国関係なく、表現の自由がある自由主義諸国各国(アメリカ・日本・ヨーロッパ諸国など)のエンターテイメント(娯楽)は、ナチス(ナチスのドイツ人)を史上最高の魅力を持つ悪役、主人公(アメリカ人とかイギリス人とか)を遥かに食ってしまう魅力持つカッコイイ悪役として様々な小説・映画・漫画・アニメなどに描きまくりましたが、本作はその正統なる後継にして最高の作品の一つだと思いますね。日本のエンターテイメント作品でここまでナチスがダークにカッコイイのは、他にはないんじゃないかなと。

僕は、ナチスを娯楽作品で自由に表現できるような創作環境こそ、ナチスのような存在を生まないことに繋がると考えていますね。こういった創作が、日本やアメリカ、ヨーロッパ諸国ではじゃんじゃん可能なのにも関わらず、ナチスの生みの親であるドイツでは、創作表現(娯楽作品)においても、ナチスをカッコよく描いたりしてはいけないというおかしな法律があるということは、ドイツにとって大きくマイナスなことだと思います。表現の自由の観点から考えて、明らかにこのような規制法は間違っています。また僕は、こういった規制こそが、ドイツのアンダーグラウンドにおいて危険なネオナチなどの思想を生んでいる土壌だと思います。表現の自由の観点だけでなく、ナチスのような組織を二度と生み出さないという観点から考えても、「萌え萌えナチス読本」みたいな本がドイツ国内で自由に販売されドイツの人々に読まれた方が、明らかに良いことだと思いますね。

萌え萌えナチス読本

禁止されればされるほど、それはよりタブーの持つ力を増してゆくものです。ナチスのような、実際に存在した邪悪に対する一番の処方薬は、それを秘密にするのではなく、その正体を明かして、それを取り扱えるものにすることです。「幽霊の正体みたり枯れ尾花」の言葉通り、なんだかよくわからないということ自体が力の源泉です。秘密は力であり、力を失わせるには秘密をなくすことが一番なのです。ナチスをエンターテインメント、大衆文化における魅力的かつ最高最悪の悪役として活用し始めた元祖はアメリカ(アメリカハリウッド映画)であり、流石はアメリカ、よくわかっていると思いますね。

育ちの良い読者はジュネ(ジャン・ジュネ)のナチズム讃美の口調に面食らうに違いない。

「ただドイツ人のみが、ヒットラーの時代に、同時に『警察』であり『罪』であることに成功した。この反対物の壮大な総合、この真理の大塊は真に恐ろしいものであった。そしてそれに充ちていた磁力は今後長い間、我々(フランス人)を熱狂させ続けるだろう」

ジュネを熱狂させるものは、ナチズムの権力意志ではない。あの良かれ悪しかれ独創的な政治形態のうちに、危機の形で露呈された独乙(ドイツ)精神の有名な「悲劇性」なのである。私は思うのだが、ナチズムは本来、ニヒリスティックな芸術理念の無謀な現実化あるいは政治化であり、結果的にはその無力と破滅は目に見えている肉体崇拝の宗教だった。ナチスの破滅ほど、理念の破滅に似ない、胆力に秀でた青春の肉体の破滅を思わせるものはないのである。

ナチズムにはひどく耽美な危険がある。ナチ占領下のパリをひとり歩く男色家ダニエル(サルトル「自由への道」)は、「美、おれの宿命」と呟く。サルトルは、ダニエルをして、必然的に、ナチズムを、悪を、殺人を容認させている。ここらあたりが、小説家の悪智慧というものである。
(三島由紀夫「ジャン・ジュネ」「三島由紀夫文学論集機廚茲蝓

実体としてのナチスは滅び去りましたが、世界中のエンターテイメントの中においてこれからもずっと生きるであろう「悪の美神」になりましたね…。ナチスは元々、三島由紀夫が言うように、特殊な悪の美学のイメージを重視した組織(実際に悪の美学を世界の現実として打ち立てようとした組織)ですから、世界中の創作の中でこれまでもこれからも「悪の美神」として在り続けることは、彼ら(ナチス)にとってはある種の本望かも知れませんね…。

あと、ナチスに比べ、一応はナチスと共に第二次世界大戦を戦った大日本帝国軍を顧みると、日本軍って物凄くかっこ悪いイメージ…。日本人として残念です…。国際的なイメージ戦略を重視してニーチェ思想を援用し、『世界を変革する高貴にして残虐な金髪碧眼の野獣の群れ』というイメージをドイツの兵士達に付与することに戦中の時点で既に成功していたナチスに比べると、日本は、…ゲゲゲの鬼太郎のねずみ男みたいな冴えない容貌の兵士達のイメージとか…軍の幹部がことごとくどうしようもないバカばっかりとか(まあ、ナチスの幹部もどうしようもないバカが多いのでこれはどっちもどっち)…牟田口廉也とか…どうしようもないイメージしか頭に浮びません…。ナチスドイツをカッコイイ悪役として描くエンターテイメントは星の数ほどありますが、日本軍は、描かれるとしても、カッコ悪い悪役としての描かれ方ばかりで、ううう…。これは、ナチス自体が行っていたイメージ戦略がナチス滅亡後も生きているというのはありますが、それともう一つ、どうしても…日本人とドイツ人では外見が違いすぎるのが…orz

最後に、ナチスの悪の魅力が好きなお方々には、ナチス映画の傑作として「地獄に落ちた勇者ども」をお勧めします。僕は十年ぐらい前にDVDを500円で買って視聴しまして(著作権が切れているみたいで、今もDVDの安売り店に行けば、定価100〜500円くらいで売っています)、5000円で買っても惜しくはなかったと思えましたね。良い作品、古いけど古さが全然気にならない映画作品です。お勧めですね。

参考作品(amazon)
HELLSING I [DVD]
HELLSING II [DVD]
HELLSING III〈通常版〉 [DVD]
HELLSING IV〈通常版〉 [DVD]
HELLSING V〈通常版〉 [DVD]
HELLSING VI 〈通常版〉 [DVD]
HELLSING OVA VII [〈初回限定版〉 [DVD]
HELLSING OVA VII Blu-ray (初回限定生産)
HELLSING OVA VI Blu-ray 〈初回限定版〉
萌え萌えナチス読本
ヒトラーの呪縛
地獄に堕ちた勇者ども [DVD]
サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)
三島由紀夫文学論集 I (講談社文芸文庫)

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手稿版カフカ小説全集5、6を読んでいるのですが、一番面白いな…。文字で書かれた音楽のようです。

ノート〈1〉万里の長城―カフカ・コレクション (白水uブックス)
ノート〈2〉掟の問題―カフカ・コレクション (白水uブックス)

今年の始めぐらいから白水社の手稿版カフカ小説全集(現在、カフカ小説全集版と、この全集を廉価にしたカフカ・コレクション白水Uブックス版の二種類がありまして、冊数以外はどちらも全く同じ内容です。全集5、6はコレクションの7、8)を図書館から借りて第1巻からちまちまと読み進めていまして、今は第5、6巻「万里の長城」「掟の問題」を読んでいるのですが、全集を1から順番に読んできた実感として、これ(全集5・6、コレクションの7・8)が一番面白いですね…。

僕はカフカにおいて、一般的な小説の形態にあたる作品(著名な「変身」など)よりも、一般的な小説の形態を逸脱したもの(カフカの短い作品に多い、話が途切れるように始まり途切れるように終わっているもの)の方が好きなのですね。今読んでいるもの(全集の5・6)は、それまで読んでいたもの(全集1〜4)のように、一応はそれなりに「小説」として纏められていたものとは違います。もはや「小説」とは呼べないような不条理・支離滅裂な内容、カフカが自由連想で手稿(ノート)に延々と書きなぐった警句や詩や書かれなかった小説の一部や何かの謎めいた説明文のような無数の断片的文章が延々と訳されて延々と続くものであり、読んでいて非常に面白い。ぱっと開いて適当に引用するとこんな感じです。

わたしが触れるものは、壊れ

服喪の年が過ぎた
鳥の羽はグッタリしていた
小寒い夜ごとに月が出た
アーモンドとオリーブはもう熱していた

この年の恵み

通行税徴収人

彼はすわり、しきりに計算していた。長い数字の列。ときおり顔をそむけ、手に顔をうずめた。こんな計算をして何になる。もの悲しい計算であって
(カフカ小説全集5)

真理は分割がきかない。だからみずからを認識できない。真理を知ったと言い張るものは必ずや偽っている。

しょせんは自分を損なうようなことを誰も願ったりはしない。人によってそんな風に見える場合――おそらく、いつもそうだろうが――真相は以下の通りだ。当人のなかにある者が何かを願っており、その何かとは、ある者に対しては確かに役立つが、第二のある者、このケースの判定に多少ともかかわり合っている者にとってはひどく害になる。もしその人が判定にあたり、いち早く第二のある者の側に立っていれば、第一のある者は消え失せ、おのずとあの願いも消えていた。

どうしてアダムとイヴの堕罪を嘆くのだ?楽園を追われたのはそのせいではなく、われわれに生命の樹の実を食べさせなかったせいである。

我々が罪を負ったのは、認識の樹の実を食べたからだけではなく、生命の樹の実を食べようとしなかったせいである。罪とは別個に、我々のいる状態そのものが罪深い。

我々は楽園で生きるべく創られていた。楽園は我々のために用意されていた。我々の定めが変更になったのであって、天国の定めが変化したとは語られていないのだ。

悪は、ある特定の移行状態における人間の意識の写し絵である。感覚世界が本来、仮象というのではなく、その世界の悪が仮象であるのだが、我々の目には感覚世界と映るのだ。
(カフカ小説全集6)

こんな感じで、一見は物凄く意味ありげに見えるけれど、実はあらゆる意味を否定しているような断片的文章の羅列が延々と続いて、最高に面白いです。カフカがきちんと「小説」として仕立て上げた作品群(全集1〜4)よりも、こちらの方が遥かに面白いように感じますね。

カフカに限らず、いわゆる「小説」は書かれている事柄の意味を理解してゆくものですから、一度理解してしまう(一度読んでしまう)と、そこで全てが終ってしまうことが多いです。再読に耐える小説は極めて稀、ごく僅か。しかし、このカフカの断片集は何度でも読める、簡単に再読できる。意味があるように見えて意味のない文章の繋がりのない羅列をただひたすら読んでいくことが、何度やっても面白い。これは『文字で書かれた音楽』という感じですね。

一度読んだ小説を何度も読むのは辛いですが、音楽(特に器楽)は小説とは違い、一度聴いた音楽を何度も楽しく新鮮に聴くことが出来ます。音楽(器楽)は、言葉の意味とは離れたところにあるもの(抽象芸術)であるから。意味を理解するとは事象を限定して捉えること、事象をパターン(一定の規則)として捉えることと同一です。ゆえに意味を表す言葉・物語は常に限定的なものにならざるを得ません。しかし、音楽や抽象絵画はそれ(限定)を超越することができる。感覚世界、言語的意味の外にある世界に出て楽しむことができる。カフカ小説全集5・6におけるカフカの無数の断片は、意味を否定して、文字の連なりで音楽を奏でているような感じのものであり、非常に良いですね。意味の否定が詩よりももっと極端な形で表されていて、表現媒体は文章という形態だけれど、その実は音楽や抽象絵画に近いように感じますね…。

20世紀音楽のいくらかは、色彩や線を抽象的な集合体として自律的に考えるようになる。印象派からゴッホ、ゴーガン、マティス、ピカソらを経由し、カンディンスキーらに至ってついに成立した抽象絵画のようなものだといえばいいだろうか。それらの絵画は、「何が描かれているか」という、物語的な「意味」よりも、かたち(フォルム)の自律的なあり方や、色彩の自律的な扱いに見るものの注意を喚起しようとする。
(宮下誠「20世紀音楽 クラシックの運命」)

僕の好きなピアニストの一人ブーニンの奏でるバッハのイギリス組曲を本書を読むときのBGMにしていました。僕はフランス組曲よりイギリス組曲の方が遥かに好みなのですが、特にブーニンの奏でるイギリス組曲は、世界最高のイギリス組曲だと思います。これほどの名盤(ブーニン「イギリス組曲」)が日本においては絶盤というのは実に嘆かわしいです…。

私がコンサートで演奏するバッハの作品は、ピアノの他にオルガンの曲も含まれています。その基礎となっているのは当然のことながら、まさに私が敬愛するピアノの先達が作りあげてきた20世紀前半におけるピアニズムの伝統です。私はこの数ヶ月間、バッハ時代に作られた古いチェンバロ(1675年)の鍵盤に向かい、「イギリス組曲」の解釈研究に取り組んできました。このことを通して私は、これらの作品が持つ音楽的リズムの新たなニュアンスと洗練された感覚を発見することができたように思います。それに加えて、フレージングとダイナミズムに関する私のイメージを形作る基礎となっているのは、声楽作品とオーケストラ作品ですが、ここ数年これらの作品を聴くにつけ、現代のコンサート用ピアノの鍵盤で、これらの全てを体験することが出来るのは、しみじみ幸せなことだと思います。

20世紀の様式と議論に関するささやかな話の締めくくりに、ゲンリッヒ・ネイガウスの思い出の一つをご紹介致しましょう。ある日、数ある弟子の一人を教えていたとき、ネイガウス教授は、「平均律クラヴィーア曲集」第二巻のホ長調のフーガについてこんなことを言いました。「君の手の下でピアノがオルガンのように響かないことに激昂し、楽譜を投げつけ、悩み苦しむのもよかろう。しかし、しばらくしたらまた楽譜をピアノにのせて、ピアノが遂にはオルガンの響きを奏でるよう努力したまえ」と。
(スタニスラフ・ブーニン「バッハ 世紀を超える力」)

オルガンやチェンバロの為に書かれた曲を優れたピアニストがピアノで美しく弾くように、意味を表すための言葉を駆使して意味をなくし、音楽のように文章を奏でているカフカのノートのような作品が、今後再び出てくることがあれば嬉しいですね…。

参考作品(amazon)
ノート〈1〉万里の長城―カフカ・コレクション (白水uブックス)
ノート〈2〉掟の問題―カフカ・コレクション (白水uブックス)
20世紀音楽 クラシックの運命 (光文社新書)
20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す (光文社新書)
バッハ:イギリス組曲
バッハ:イギリス組曲(全曲)
バッハ:フランス組曲(全曲)

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Angel Beats!第4話視聴。普通につまらないですね。だんだん視聴するのが辛くなってきました。

時間封鎖〈上〉 (創元SF文庫)
時間封鎖〈下〉 (創元SF文庫)

Angel Beats!第4話視聴しました。最初から最後まで普通につまらなくてがっくりです。あまりにもつまらなくて、後半は本を読みながら見てたのですが、前半も後半も全く盛り上がることなく、最初から最後まで平凡なつまらなさがだらだら続いて終わりました。

がっくりですね…。第3話はつまらなすぎて突き抜けてしまい、逆に面白みを感じるところがありましたが、第4話は、第3話のように突き抜けるところはなく、単に平凡につまらないアニメとなっている。だんだん視聴するのが辛くなってきたので、次回次々回ぐらいもこういった普通につまらない作品だと、視聴する気力がなくなりそうです…。

ちなみにAngel Beats!第4話見ながら読んでいた本はロバート・チャールズ・ウィルスンのヒューゴー賞受賞SF「時間封鎖」でして、先ほど読了しました。こちらはなかなか面白いSF小説です。本書は最初から最後まで上手くサスペンスを盛り上げており、飽きることなく一気に読了することが出来ました。『地球及び地球の周囲以外の時間が一億倍の速度で進むという異変が発生した』という設定のSFでして、『なぜこのようなことが起きたのか?』ということを最後まで探ってゆくため、最後までサスペンスが持続します。先日感想を書いたゲーム「素晴らしき日々」もこのような構成(最後まで謎が存在しサスペンスを盛り上げる構成)になっていれば良かったのですが…。

ただ、本書「時間封鎖」は、如何にもアメリカ人がアメリカ人向けに書いたアメリカのエンターテイメントだなあという感じで、その辺が、日本人の僕が読むと大きなマイナス点として現われてきますね…。本書は現代世界に先の地球全体規模の異変が発生したという設定なのにも関わらず、アメリカ人の主人公とアメリカ政府とアメリカの組織だけが、この異変に意欲的に対処しているという展開なんですね。地球規模の大異変を解き明かす為の重要な手がかりや重要事件もなぜか都合よくアメリカ国内で起こります。しかも、この無理のある設定を正当化するために、『アメリカとヨーロッパの民衆には物事を科学的に考える理性と科学知識があるが、アジアやアフリカ、日本などのアメリカ以外の世界の民衆は中世レベルの知識しか持たない無能愚鈍であり、ゴミ拾いで生きているような連中だから異変に対しての危機感や行動がなくて当然だ』というようなことを小説内における常識的かつ肯定される視点として描いている。『アメリカは優秀で他は無能愚鈍である』というのを現代世界の大前提とした上でこの小説は書かれているんですね…。

世界の人々の圧倒的多数は、未だスピン(地球規模の大異変)の存在すら信じていなかった。大掛かりな世論調査がこの点を明確にした。NASAは、ダイアンと僕がジェイスンからあの話を聞かされた直後に、打ち上げた探査船のデータを公表した。ヨーロッパのロケットが慌てて後から続き、NASAの結論を追認した。にもかかわらず、スピンの実態が公表され8年を経た時点においてさえ、スピンが「自分自身及び家族に対する直接的な脅威である」と認識している一般市民はヨーロッパと北アメリカにしかいなかった。アジアとアフリカ、そして中東のほとんどの国の人々は、これはアメリカの陰謀である、あるいは昔のスターウォーズ計画を蒸し返した挙句の重大事故に違いないと思い込んでいた。

なぜそう思いこめるのか、一度ジェイスンに訊いたことがある。

「かれらに、なにを理解させる必要があるのか考えてみればいい。世界には、ニュートン以降の天文学の知識を全然持っていない人々がおおぜいいる。自分と家族を養うために、動物性廃棄物を拾い集めることがすべてだとしたら、月や星について本気で考える必要なんか感じるか?」
(ロバート・チャールズ・ウィルスン「時間封鎖」)

上記の引用を読めば一目瞭然と思いますが、本書で描かれるのはアメリカ国内のみを世界の全てとした価値観で構成された地球なので、日本人の僕から読むと、不自然さを感じるところが多々あります。アメリカ人の娯楽小説家達は、アメリカ以外を見下した傲慢な価値観の小説を結構な頻度で書きますが、本書はその中でもかなり酷いですね…。本書、SF小説としては面白いですが、『アメリカ人>ヨーロッパ人>越えられない壁>日本人などの愚鈍なその他連中』という、作者の抱いている典型的な人種差別の価値観が小説内に現われ過ぎていて、アメリカ人以外が読むと不快感を覚えるところが多いのではないかと思います…。

参考作品(amazon)
時間封鎖〈上〉 (創元SF文庫)
時間封鎖〈下〉 (創元SF文庫)
Angel Beats! 1 【完全生産限定版】 [Blu-ray]
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ケロQ「素晴らしき日々」コンプリート。旧作「終ノ空」より遥かに出来の良いサイコミステリに仕上がっていますね。

素晴らしき日々 ~不連続存在~ 特装初回版

ソフトハウスケロQの新作ゲーム「素晴らしき日々」コンプリート。1999年に発売されたケロQの処女作「終ノ空」を再構成した作品です。旧作「終ノ空」に比べて、遥かに完成度が高く出来の良いサイコミステリに仕上がっていますね。メインとなる叙述トリックが作品全体を貫く大掛かりなものであり、その効果もあって、謎が解き明かされてゆく物語前半の盛り上がりには素晴らしいものがあります。ただ、前半のシナリオ(プロローグ及び前半の水上・間宮・高島シナリオ)で物語に仕掛けられた重要トリックがみな明かされてしまうので、後半の物語展開は、前半に比べると大きく失速してしまうのが残念ですね…。

本作は最初、スーパーナチュラル要素(超常的要素)を含むホラーかと思いながらプレイしたのですが、実際は、スーパーナチュナル要素のない、ロジカルに全てが構築された純然たるミステリ(小林泰三さん風味のサイコミステリ)だったのも、僕的には好感ですね。どうも最近は、『モンスターが出てきて人々がキャー、ヒーローヒロインが不思議な能力で敵をぶっ飛ばす』みたいなファンタジックな新作に対しては、興味が湧かなくなってきているので…。ホラー界の各賞を総なめにしている新進ホラー作家にしてスティーヴン・キングの息子ジョー・ヒルが、『スーパーナチュラルホラーにはもううんざり』みたいなことをよく書いていますけど、僕もまさにそういう感じですね…。

いまでは、いったん読み始めても、結末まで読み通す(ホラー小説)作品はほとんどない。(物語の陳腐さに)耐えられないのだ。またぞろ吸血鬼と吸血鬼がセックスする話を読まされると思うと、それだけで気力が萎えた。ラヴクラフトを模倣した作品を無理して読み進めても、痛々しいほど真剣な「旧神」への言及が目にはいったとたん、自分の内面のどこか重要な部分が麻痺するのを感じた。血行が阻害されて手足が眠ったようになるのにも通じる感覚。
(ジョー・ヒル「年間ホラー傑作選」「20世紀の幽霊たち」より)

本作「素晴らしき日々」は、大掛かりな叙述トリックが仕組まれたミステリと言うことができると思います。物語のメインとなる叙述トリックから派生する展開の不可解さが物語前半にホラー的な面白みを出していて、前半の3シナリオ(水上・間宮・高島シナリオ)は非常に面白いです。超常現象風に見える事象の謎が、理詰めで解けてゆくミステリの楽しみがたっぷりと味わえます。

本作の物語は、舞台となる学校にて謎めいた集団自殺事件が起きるまでの数十日間の様相を、複数の視点から描くことで解き明かすミステリー。ネタバレを避けるため具体的記述はしませんが、メインとなる叙述トリックは、気づいたときはやられたと思いましたね。一人称であることを最大限に活かした叙述トリックです。プレイし始めた最初は、極めて奇怪にして謎の超常事象が起きているのではないかと感じさせられますが、事件を眼差す視点がスイッチしてゆくことで、それらの謎は論理的に明晰に解けてゆくので、シナリオを読み進めることが純粋に楽しい作品ですね。まさにミステリの醍醐味です。

ウィキペディア「ミステリー」
仁賀克雄によるミステリー小説の定義では、「発端の不可思議性」「中途のサスペンス」「結末の意外性」が挙げられている。「発端の不可思議性」とは、最初に奇妙な事件や謎を提示して読者を引きつけることを指す。これを作者は論理的に解明していくが、同時に読者が自ら推理を試みることを期待し、作者との知恵比べが行われる。「中途のサスペンス」は謎の提示と最終的な解明をつなぐ部分をいう。不安感を煽る事件を起こしたり、推理の手がかりを提供したりして、エンターテインメントとして読者の興味を引き離さない工夫がなされる。「結末の意外性」はそれらを受けた最も重要な部分であり、読者の予想を裏切る形で謎や真相の解明がなされる結末のことである。

ただ、本作は物語の前半において、作中の重要な謎は全部明かされてしまうんですね…。物語前半、高島シナリオまでは、たっぷりの謎とサスペンス、そして謎解きに満ちたシナリオが非常に面白いのですが、本作の謎解きシナリオである高島シナリオ以降のシナリオは、既に答えが分かっている問題の答え合わせをひたすらしているだけになっています。物語前半の面白さに比べると、物語後半の失速ぶりは甚だしいです…。

この作品、前半の出来の良さ、前半の面白さだけで言うならかなりのものなんですが、前半で重要な謎が全て明かされてしまうことで、後半が著しく失速してしまうので、評価が難しいですね…。ただ、PCゲームのシナリオは先に述べた『モンスターが出てきて人々がキャー、ヒーローヒロインが不思議な能力で敵をぶっ飛ばす』のような超常的なファンタジーばかりがやたら多いので(ファンタジーはどんな設定でも可能なため、安易に多用される)、そういった安易な設定に逃げず、『一貫した論理的整合性のある読めるミステリ』として作品をきちんと完結させているのは称賛に値すると思います。

本当に惜しい作品です。本作は前半でミステリの3要素(発端の不可思議・中途のサスペンス・最後の謎解き)が全部完結してしまう。前半が本作の全てであり、後半は前半の絞りかすみたいな作品なんですね。前半が良く出来ているだけに、本当に惜しいです。構成に手を入れて、前半のシナリオにある緊迫感と謎解きの醍醐味が後半にも持続するように出来ていたら、PCゲーム史上におけるサイコミステリの最高峰になっていたと言っても過言ではないと思います。前半の出来の良さを見るに、後半のグダグダぶりで、作品としての出来が下がっているのが非常に惜しいとしか言い様がありません。

本作、物語前半はとても面白いので、ミステリが好きで、面白いミステリゲームがやりたいというお方々にはとても良い作品であると思います。ただ、後半の展開はひたすら前半の答え合わせをしているぐだぐだ展開なので、作品は一貫して完成度が高くなければダメというお方々にはあまりお勧めできないかも知れません。

参考作品(amazon)
素晴らしき日々 ~不連続存在~ 特装初回版
20世紀の幽霊たち (小学館文庫)
モザイク事件帳 (創元クライム・クラブ)

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ギフト券で助けて頂き、心からお礼申し上げます。ありがとうございます。うつ病アンヘドニア、太宰治「トカトントン」。

毎月定期的に助けて頂いているお方から、今月もギフト券で助けて頂き、心からお礼申し上げます。生活費が底をついていたので、とても助かりました。心からお礼申し上げます。ありがとうございます。生活が助かり、言葉では表せぬ深い感謝をしております。本当に御礼申し上げます。にゃんこたんと共に、とても助かりました。ありがとうございます。

昨日は更新できずに申し訳ありません。僕は抗うつ剤ジェイゾロフトを飲んで、普段は薬の力で調子を良くしているのですが、ときどき、この薬を飲んでいても、非常に深く、絶望的としか言い様のない状態に陥ることがありまして…。ここ数日そういう状態が続いております。胸の裡、心象の全てが灰色に埋めつくされている、言い様のない暗い気持ちです…。何もかもが、全てが無意味に疎遠に感じられるのですね…。

太宰治の短編小説「トカトントン」みたいな状態です。僕は、耳鳴りはありますが、幻聴症状はないので、トカトントンとは聞こえませんが、ただ、全てが無意味に疎遠に感じられるのは、トカトントンと同じですね…。詩人のバイロンが貧しさ(物理的な貧しさに限らない、全てにおける貧しさです)について書いた文章にも似た状況が語られてますね…。

(貧しきは)全ての親しきものから離れて、私は孤独に、哀しみにやつれてゆく。
(バイロン)

決して、兇暴な発作などを起すというわけではありません。その反対です。何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。(中略)

 もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こないだこの部落に火事があって起きて火事場に駈けつけようとして、トカトントン、伯父のお相手で、晩ごはんの時お酒を飲んで、も少し飲んでみようかと思って、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトントン。
(太宰治「トカトントン」「太宰治全集8」より)

トカトントンという幻聴がない状態で、トカトントンで描かれるような状況が起きたら、これはうつ病の症状ではないかなと、トカトントンという音がない状態でトカトントンのような気持ちになっている僕の実感として思います。何一つ、感じるものがない、無意味に感じる状態になりますね…。音楽を聞いても、本を読んでも、映画やアニメを見ても、何にも感じず無意味としか感じられず、心が平坦なのが苦痛です。僕は何度もこの状態になっているので、大体、一週間〜十日ぐらい続くと治ってきて、一ヶ月に一度くらい発症する症状ですね…。

あとこの状態でも、知性の動きは変わることはないようなので、生存の為の行動、日常生活を送ることなどは可能なのですが、精神的には、全てが無意味に灰色に感じられ、何一つ未来に希望が感じられないのが非常にきついです。ただ、この状況でも、にゃんこたんの世話とかは、楽しいですね…。にゃんこたんとは長い付き合い(もう五年ですね…)、そして音楽や本、映像作品などと違い、にゃんこたんはこちらの予想がつかない能動的な動物だからかなと思います。

あと、この症状が出ているときは、学術書などの感情を喚起しない論理的な本などを読むと、ほんの少しですが、気が紛れます。感情を喚起するものは、何も感じられないので苦痛なのですが、学術書などは、感情が平坦なまま読み進めてゆくものなので、気が紛れるのですね。音楽ですと、非ドラマティックな、ミニマリズムの音楽などはなんとか聞けます。

昨日はジャン・ボードリヤールの「悪の知性」を読みましたが、世界の全てはインテグラル(全面的)に計算された予想に基いて動き、全ては起こっていないことを元に書かれた筋書き通りにされ、全ては無となるということが書かれており、まるでトカトントンの響きが全世界に広がったような世界だなと思いました。

この本は、バーチャル(仮想)のシミュレーション(予想)が、予防の名の元にリアルを支配するということを説いている本です。現実の事象というものが、全てシミュレーションに置き換えられるので、現実は無と化します。感情を感じられないときは、自らの全ての物事の先行き(予想)が、絶望的な朽ち果てたものとして論理的に可視化されているように感じるので、「実際には起こっていないにも関わらず、先行きをシミュレーションして絶望を感じる」というところに、通じるものがあるように思います。

ボードリヤールはイラク戦争を例としていますが、日本で行われる非実在青少年規制もイラク戦争と同じ構造、ボードリヤールが述べる無の世界ですね。起こっていないことに基いて全てが動き、何も罪を犯していない人々が、未来に罪を犯すとの名目で懲罰を受ける世界です。

現実のないオペレーショナルなプロジェクトの世界(シミュレーションに基いて全てが動く世界)を、私は「インテグラル(全面的=集積的)な現実と呼ぶ。全てがリアルで、可視的で、透明になる世界。(中略)未来の予防措置は遺伝学的で、遺伝子内部に働きかけるだろう。(中略)この操作(オペレーション)は、未来の人間存在がどのようなものになるかについて多くのことを示唆する、それは、修正・更正された人間だろう。彼は始めから理想として達成すべき者なのであり、それゆえけっして、いまそうである自分にはならないだろう。彼は、最良のものであるにせよ、最悪のものであるにせよ、現実の存在以前の段階で修正を加えられてしまっているがゆえに、疎外される=発狂することもないだろう。未来の人間は、自らのモデルに初めから飲み込まれているから、自分自身の他者性にあうこともないだろう。(中略)

(シミュレーションから生まれる)抑止のためのあらゆる戦略が、今日では普遍的な戦略となる。(中略)これこそ、まさにイラク戦争のシナリオである。つまり、実際には起こらなかった行為(サダム・フセインによる大量破壊兵器の使用)に基いて、犯罪を卵の状態で除去するのだ。もちろん、この場合問題になるのは、[もしイラク戦争がなかったら、大量破壊兵器の使用という]犯罪が現実に起こったかどうかだが、この点については、何も分からないだろう。(中略)今日の「政治的」権力は、結局、この点に要約される。権力とは、もはや何らかの肯定的な意志によって動かされているのではない。それは、抑止と公衆衛生と治安警察の否定的な権力、(シミュレーションに基いて起こっていないことの懲罰を与える)免疫と予防の権力なのだ。

そこ(起こっていないことをシミュレーションで管理する現代社会)では、全てがイメージとコメントに先立たれて無力化している。それはおそらく、結局、あの戦争[イラク戦争]のように、最終結果について一抹の不確実性もない、(シミュレーションの名の元に起こっていないことに対して権力行使として行動される)冷酷な筋書きに従って展開されることがらには、言うべきことなど一つもないからなのだ。
(ジャン・ボードリヤール「悪の知性」)

全ては良くない方向に向かっているように感じられて、気持ちが落ち込み、暗いです…。昔に比べると、お医者さんが言われるには、僕の症状は良くなっているということなので、はやく、この症状から脱することが出来れば良いのですが…。今出ているこの症状(アンへドニアという症状だそうです)は、薬で治せない(抗うつ剤を飲んでいても症状が出るので、症状が出たら、安定剤を飲んで休むしか対処法がない)ので、特に治療法はないみたいです…。この症状が出ているときは、全世界に何一つ未来への希望が感じられないので、精神的に、じくじくとした痛みが、ずっと伴い続けるような状態で、酷くきついです…。情動が絶望の灰色に平坦化された状態は非常な苦痛なので、早く、医学・薬学の発展と、生活環境の改善で、少しでもこの苦痛が和らぐことを願っています…。

精神科インターネット用語辞典
http://www.geocities.jp/kokorom9696/douga3.htm
アンヘドニア=今まで楽しかったことにも、興味や喜びを感じなくなる状態、失感情症。うつ状態で見られる症状です。

kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)
「アンヘドニア」
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10017716569.html
アンへドニアと言う言葉は一般の人には聞き慣れないと思うが、「無快楽症」などと訳される。 検索的には有名だと思うのでグーグルくらいで検索してみてほしい。 アンへドニアとは何もかも楽しめないような状態で、統合失調症、うつ病、離人症などいろいろな疾患で出現しうる。 だからアンヘドニアというのは病名と言うより、1つの精神症状といえるだろう。(中略)

テレビを観ていて周りが笑っているのに自分だけ輪に入れなくて全然楽しくない状況はまさに離人症と言えるが、アンヘドニアと言っても間違いではない。 感覚的にはアンへドニアはすべての疾患で使って良いけど、離人症は統合失調症圏で使いたい感じ。 ほんとうはそんな風な住み分けなんてないのだろうけど。(中略)

うつ病が治っていく過程で、どうも生活が楽しめなくて、まわりから取り残されているというか、のれていない状態が長く続くことがある。 これはある意味アンヘドニアなのだが、これはうつ病では最後に残る症状なんだ。 時間をかけて見守っているとやがて軽くなる人が多いように見えるが、この最後の症状がなかなかとれない人もいる。 この症状を解決する積極的な方法と言うか薬物療法があまりないのだ。

参考作品(amazon)
太宰治全集〈8〉 (ちくま文庫)
悪の知性
バイロン詩集 (新潮文庫)

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