2009年02月

2009年02月06日 15:06

現実に非常に困難な状況で(インターネット関連とは関係ありません)、辛いことが起きております。祖母の容態が甚だしく、あまり更新できなくなるかと思いますがお許しください。

生活困窮しており、もしギフト券かアフィリエイトでお助けしてくださるお方がいらっしゃいましたら、心から感謝致します。

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2009年02月04日 22:43

寄生獣―完全版 (1) (アフタヌーンKCDX (1664))
ヘウレーカ (ジェッツコミックス)

昨日よりも、体調が急激に悪化し、全身に酷い疲労と倦怠感があり、背中が物凄く痛くてたまりません。朝から食事が取れず、一日一食(夕食のみ)になってしまいました。なんとか、生活に規律(朝と晩)を持って生きていられるのは、猫の世話をしているおかげであり、それがなかったら、死んでいるように思います。非常に心身状態酷く、自分の文章があまり書けそうになく、申し訳ございません。今日のエントリのメインは昨日、以下のエントリで触れた村上春樹さんのエルサレム賞受賞についてです。

勇気ある強くて優しく思いやりについて。ダニエル・バレンボイム「無言歌集全48曲」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/700606.html


筒井康隆さんが、文学の政治性について論じているので、それを引用してご紹介致します。自分の言葉で書けず、申し訳ありません。筒井康隆さんの「文学部唯野教授の女性問答」から引用させて頂きます。婦人公論に連載されたQ&Aで筒井康隆さん(文学部唯野教授)が婦人公論の読者からの手紙の質問に答えていくコーナーを単行本化した本です。

筒井康隆「文学部唯野教授の女性問答」

Q(筒井康隆さんの読者の葉書からの質問)
先生(筒井康隆さんの「文学部唯野教授」の唯野教授の小説内講義の)の「文芸批評論」の講義に圧倒されました。わたしは長らくソ連、東欧の文学を中心に勉強してきましたが、こんなにもダイナミックな現代文学史の捉え方に出会ったのは初めての体験で、感激しました。文字通り目からウロコが落ちた思いです。

ただひとつだけ残念だったのは、マルクス主義文学論についてほとんど触れられていないことです。わたしはルカーチの初期論文に敬意を表する者ですが、彼のような存在を先生はどう位置づけていらっしゃいますか。とくに東側の「民主化」が進み、かの国々の文学にも新しい状況が生まれつつある今日、その問いの意味は逆説的であれ重要になってくるはずです。

マルクス主義文学論をはじめ、文学と政治の問題について、ぜひご高説をお聞かせください。

そして、できましたら、わたしのいちばん尊敬する日本の作家、筒井康隆の存在が現代日本の政治・社会状況とどう対応するものなのかも、あわせてご教授いただけましたら幸いです。(千葉県市川市・大学院生・25歳)

A(文学部唯野教授=筒井康隆さんからの答え)
ルカーチやったんだって。凄い凄い。ルカーチってのはご存知のように、ハンガリーのマルクス主義者でもって、筒井先生の好きなハイデガーを批判して、ハイデガーの歴史性ってのは実際には無歴史性だなんて言った人なんだよね。さらにまた、筒井先生が『文学部唯野教授』を書くときこっそり下敷きにしたT・イーグルトンが、『文学とは何か』を書くときにこっそり下敷きにした人です。初期の論文って何を読んだのかな。「リアリズム論」かな。「理性の崩壊」かな。

さて「マルクス主義批評」なんだけど、ぼくはこれ、「政治的批評」のひとつとして捉えていて、それ以上でもそれ以下でもありません。だけどここで言っておきたいのは、そもそもどんな批評も政治的批評にしかなりようがないってことなの。

あなたの言う「東側の『民主化』」だとか「湾岸戦争」だとかいった重大な問題よりも文学理論の方が大事だ、なんて言う人がいたらぼくだって「馬鹿。何言ってるんだ」って言っちゃうだろうけど、実際にはそんなこと言うまでのことさえなくって、どんな文学理論だって、政治の中から抜け出すことはできません。(「文学部唯野教授」の中の)「ポスト構造主義」の講義でも話したけど、どんな文学だってイデオロギー的なんだし、歴史や政治を無視しようとした文学理論ほど、かえって明確にイデオロギー的になっちまうの。たとえば日本にいて日本語で書いてるというだけで、日本という国家の束縛や制度からは逃れることができません。いくらそれに反逆する文章を書いても、それがまたイデオロギー的になっちまって、いわば公認されたイデオロギーのひとつに分類されちまうんだものね。

たとえば多くのSFは機械技術文明に嫌悪を示し、テクノロジーの暴走を批判してきました。そして個人の自由や選択の権利を主張してきたわけで、こういうのはSF以外の小説にもたくさんあるよね。しかしこれも、実は現代の資本主義社会にとって、実に都合のいい主張なの。大企業の中の個人にとっても機会技術文明やテクノロジーを選択する自由や権利があるって主張できるんだものね。おまけに最近の文学理論なんてものは、政治との無関係や公正さを装って、かえって科学技術的、機械技術的になっちまってる。月刊誌『すばる』で渡辺直己ってひとのやってる、○×△式の機械的批評ごらんなさい。

いくら文学や文学理論が、政治から超然としていようってんで、生なましい現実から逃避して、ことばそのものだとか、美そのものだとか、想像だとか、夢だとか精神分析だとかをテーマにしたって、そうはいかない。そういうものにはかえってブルジョワ意識、プチ・ブル意識、小市民的日和見主義、エリート意識、男権意識、差別意識、個人主義なんてものが入りこんできちゃう。

文化全般の問題に拡げて見ると、現代資本主義社会や機械文明への否定をあらわしたバレエやドラマが、最近そういうことに熱心になった大企業からのどう見たって偽善行為なんだけど文化援助金だの賞金だのを貰ったり、それによって建てられたホールに招かれたりして演じています。笑っちまうよね。

でも、文学だって例外ではありません。これもやっぱり偽善行為なんだけど、各地の市町村がやたらに文学賞を出してるよね。ここで要求されてることは、社会的に認められている方法(出版社から出版)で、日本語を使って(賞が認める形式的に)書くということです。大学の文学部だってそうだよね。どんな危険思想を論文に書こうが、そんな内容はどうでもよくて、問題は日本語がきちんとしていて、文学用語を正確に使っているかどうかだけが判断基準になって、それで卒業させて貰ったらもう、あとはその自分の資格に束縛されて生きていくしかないでしょ。ちょっと変った自分の考え方に忠実に、違う書き方したりしたら、たちまち文学用語の管理人たる批評家から、たとえば「……などと、はなはだ非文学的な表現をしているが」とか、中上健次みたいに「日本語になっていない」などとやられてしまう。この点、文学制度と大学制度は(政治権力・政治権威・政治形式の組織化された制度として)からみあってるよね。こうした批評の言説の権力は筒井先生もさんざ感じてるんじゃないのかな。その権力ってのはつまり言語表現を管理する権力でもって、たとえば文学と非文学、純文学とエンターテイメントを分類したりする権力だからね。

政治的、ということでは、だから筒井先生だって例外じゃないんだよね。政治的には無党派で、時には無政府主義者だなんて言われたりもしてるけど、(政治体制側の出した)金沢市の出してる泉鏡花文学賞貰ってるんだしさ。もう、どんな批評家だって、作家だって、否応なしに政治的にならざるを得ないんです。でも別にそれがいけないってわけじゃないの。いちばんいけないのはむしろ、文学理論の中には政治に左右されない純粋なものがあり得るって考え方です。何度も言うけど、無自覚に政治を無視したりしていると共犯関係がもっと密接になっちまうんだよね。ぼくがマルクス主義批評を評価するのは、あなたの言う「逆説的に」とは違うかもしれないけど、そうした立場(文学の逃れられない政治性を自覚している立場)からです。
(筒井康隆さんの回答終了)

長文引用で疲れました。腕と指が痺れてあまり自分の言葉書けそうになくごめんなさい。僕は上記の筒井康隆さんの考え方に全面的に賛同しています。他者に文学(文章)を公表するという行為自体が政治的であり、他者に公表されながらも非政治的な言説はどこにも存在しません。僕は中学生の頃から筒井康隆さんの大ファンで、筒井康隆さんの文章は、うつ病になってからは本がほとんど読めなくなり分かりませんが、それ以前に公表された文章は僕の知りえる限り全てを読んでいます。村上春樹さんの方は、「羊をめぐる冒険 」「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」「海辺のカフカ」「アフターダーク」、後はエッセイ程度しか読んでいません。なので、村上春樹さんの本の批評をするのは難しいですが、どの本も僕が読んだ上記においては、ノンポリティクス(非政治性)を意識的に装うがゆえ、筒井康隆さんの言うところの

『いくら文学や文学理論が、政治から超然としていようってんで、生なましい現実から逃避して、ことばそのものだとか、美そのものだとか、想像だとか、夢だとか精神分析だとかをテーマにしたって、そうはいかない。そういうものにはかえってブルジョワ意識、プチ・ブル意識、小市民的日和見主義、エリート意識、男権意識、差別意識、個人主義なんてものが入りこんできちゃう』

というのが入り込んだ、極めて政治的な小説やエッセイの文章であると僕の読んだ限りでは思います。

しかし、村上春樹さんは意識的にそれを無意識的なレベルに落とし込んで本を書いていると思います。村上春樹さんの読者にも二種類いると僕は感じています。政治的なものが巧妙に無意識的なレベルに落とし込まれていることを理解しながら読む読者さんと、文学の政治的な無徴という特権を信じて、村上春樹さんの描く『政治的無徴』に自己を同一化しながら読む読者さんの二種類がいると感じます。後者は村上春樹さんの政治的イデオロギーにコミットメントする政治関係(政治性)に入ってしまっています。

そして、今回、村上春樹さんがエルサレム賞を受賞するのは、極めて政治的なものであるにも関わらず、村上春樹さんの無政治性を唱えて、村上春樹さんを政治から離れた無徴というどこにも存在しない特権的な立場に置こうとしている村上春樹さんの一部の読者の人々がいらっしゃいます。その一部の読者の人々においても、『文学の無徴性などどこにもないけど、自分の立場を優位にするためにあえて分かってやっている人(村上春樹さんと同じく、何かを作ったりするクリエイターさんやファンの一部さん等)』と『文学の無徴という特権性を信じている人(ファンの一部の人さん)』の二種類がいて、両者とも村上春樹さんの政治的イデオロギーにコミットメントしています。

例えば、今回の村上春樹さんのエルサレム賞受賞について、文学(芸術)の無徴性を主張するPCゲームライターの高橋直樹さんなどが前者の立場におられると思います(文学・芸術が非政治的でありえないことは分かっているけれど、あえて文学・芸術を非政治的なものとしての立場におき特権化する自覚的な人々)。そして前者の人々の言説に素朴に賛同してしまう人々、例えば「魔王14歳の幸福な電波」さんの管理人さんとかは、後者にあたると思います。

前者の人々は分かっていて、あえてやっている(政治的な立場として動いている)から、僕としては何も言うことはないのですが、後者の人々、文学の非政治的な無徴という特権性を信じる人々には、どうか、次の筒井康隆さんの言葉を考えて欲しいと、僕は心から望みます。

『政治的、ということでは、だから筒井先生だって例外じゃないんだよね。政治的には無党派で、時には無政府主義者だなんて言われたりもしてるけど、(政治体制側の出した)金沢市の出してる泉鏡花文学賞貰ってるんだしさ。もう、どんな批評家だって、作家だって、否応なしに政治的にならざるを得ないんです。でも別にそれがいけないってわけじゃないの。いちばんいけないのはむしろ、文学理論の中には政治に左右されない純粋なものがあり得るって考え方です。何度も言うけど、無自覚に政治を無視したりしていると共犯関係がもっと密接になっちまうんだよね。ぼくがマルクス主義批評を評価するのは、あなたの言う「逆説的に」とは違うかもしれないけど、そうした立場(文学の逃れられない政治性を自覚している立場)からです。』

ぜひ、文学の無徴性、非政治性というものを信じるお方々には、いかに文学、そして文学賞が政治的なものであるかを描いた筒井康隆さんの「大いなる助走」を読んで欲しいです。例えば、川端康成と三島由紀夫がノーベル賞候補になったとき、川端康成がノーベル賞を受賞した理由の一因は、川端康成の方が村上春樹的(非政治的に振舞う政治性の持ち主)だったからと言われています。作品自体の海外の一般的な評価ではどちらかというと三島由紀夫の方が評価が上でしたが、三島は自らの政治性を自覚して政治的に振舞っていた(川端康成ほど老獪ではなかった)ゆえに、ノーベル賞受賞を逃したと言われています。また、川端と三島は深い師弟愛で結ばれていたため、川端の自殺の一因は、三島の自殺(盾の会自決事件)にあり、三島の自殺の原因の一因は、彼が非常に欲しがっていたノーベル文学賞受賞の夢が断たれたからだと言われています。文学は、非政治的に自らを見せかけることのできる政治的なものです。哲学者プラトンはそれに気が付いていたゆえに、芸術(詩)の全てを一切追い払おうとしたのです。プラトンのように極端になることはありませんが、文学・芸術、そして文学・芸術に関わらず、他者と関わる人間の行為とは常に政治的なものであることは、決して忘れてはならないことだと思います。

最後に、こういったテーマ(人間が他者・そして他の生命と生きて行動する以上、どこにも非政治的な立場などありえない)を描いた作品では岩明均さんの名作コミック「寄生獣」、そして同じく岩明均さんのローマ対シチリア戦争を描いたコミック、あまり評判になりませんでしたが、僕は高く評価するコミック、古代のローマ・シチリア戦争を描いた作品「ヘウレーカ」をお勧め致します。

両方の作品とも昨年生活費捻出のために売ってしまったので、正確な引用ができないのですが、「ヘウレーカ」のなかにこんな言葉がありました。手元に本がないので正確な引用ではないのですが、確か、「一人殺せば殺人犯、世界の半分の人を殺せば英雄、人間全部殺せば神だ」という言葉です。

「ヘウレーカ」の主人公はローマ人の恋人がいるシチリア在住のスパルタ人の青年で、彼は殺人犯にも英雄にも神にも決してなろうとしない、全ての人命を尊重するコスモポリタンな人道的理念を持つヒューマニストですが、ローマとシチリアの戦争の中で、彼はどうしても、どのように動いても、極めて政治的に大きな動きをせねばならない羽目になり、苦悩しながら軍事戦略家として働くのですが、最後は悲劇を迎えてしまう物語で、僕の好きな物語です。この物語の良いところは、主人公は国と国との政治(戦争)のなかで政治的に振舞いながらも、常に自らの政治性に自覚的で、最後までコスモポリタンな人道主義、誰も殺さない、全ての人命を助けるという政治性の立場にいようとする努力を忘れないところです。ゆえに、悲劇的で無常観の漂う物語ですが、僕はとても好きな作品です。お勧め致します。

また、岩明均さんの「寄生獣」や「ヘウレーカ」に比べると、かなり分かり辛く、娯楽性も削った形でですが、『他者と関わる以上、この世界のどこにも無徴という特権的な非政治性は存在しない』ということを、見事に描いたコミック作品として、岡崎京子さんの「うたかたの日々」があります。この作品も昨年売ってしまって手元にないです。

この作品は、フランスの持つ芸術性及びアカデミズム(哲学)によって偽善的に糊塗されている世界(実際はフランスは世界有数の軍事国家・軍需産業国家であり、なおかつ国内に格差と貧困と争いを抱えていること)を背景に、その世界の実相が明らかになるに連れて、周囲の人々と共に破滅してゆく無垢な、そして無垢なゆえに戦争(軍需産業)に加担することになるブルジョワの主人公(主人公の造形はドストエフスキーの小説「白痴」の主人公ムイシュキン公爵が下敷きにされていると思います)の悲恋を描いた恋愛小説、ボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」を岡崎京子さんがコミック化した作品です。両作(コミック・小説)とも優れた作品と思います。「うたかたの日々」はコミック版の方が読みやすいので、始めて読む方は先にコミック版からお読みになることをお勧め致します。

参考作品(amazon)
寄生獣―完全版 (1) (アフタヌーンKCDX (1664))
ヘウレーカ (ジェッツコミックス)
文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)
文学部唯野教授の女性問答 (中公文庫)
文学部唯野教授のサブ・テキスト (文春文庫)
[オーディオブックCD] 筒井康隆 著 「文学部唯野教授 」(CD10枚)
大いなる助走新装版(文春文庫)
文学とは何か―現代批評理論への招待
新文学入門―T・イーグルトン『文学とは何か』を読む (岩波セミナーブックス)
うたかたの日々
うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)
白痴 (上巻) (新潮文庫)
白痴 (下巻) (新潮文庫)

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2009年02月03日 17:12

メンデルスゾーン:無言歌集(全48曲)(バレンボイム)
ローマ法王 (ちくま新書)

ブログに書いていること以外にも私的に非常に辛いことが続き、どうしても起き上がれず、ずっと臥せっていました。気持ちが重くて胸がとても苦しいです。僕の心身が酷く調子悪く、この状態が続くと今度更新が滞りそうで申し訳ありません。アクセス数も減り、生活辛く、生活のためにも、なんとか更新は頑張りたいと思いますが、もしできなかったら申し訳ありません。

今日はダニエル・バレンボイム演奏、メンデルスゾーン「無言歌曲全48曲」を聴いていました。ショパンの夜想曲のような、静かで優しい曲の数々で、僕の好きなアルバムの一つです。メンデルスゾーンの「無言歌曲」のなかでも、僕はこのダニエル・バレンボイムさんの「無言歌曲」が、一番だと思います。ショパンの夜想曲に似ていて、静かで、優しく、そしてとても親しみやすい美しいピアノ曲をとても素晴らしく弾いておられます。ライナーノーツから引用致します。

メンデルスゾーンの性格小品(短い曲、無言歌集等)は、ショパンやシューマンと比べて、一段低い親しみやすいだけの小品という評価が横行している。しかし、バレンボイムは、必要以上に重厚にならないように注意しながらも力強いタッチで音楽を彫啄して行き、決して軽く流したりはしない。

ひとつひとつの楽曲を、時には厚い響きで覆い、時には夢見るようなカンタービレで歌い、様々な性格を持った小品の連なりが、あたかもひとつのドラマとして連続しているかのように演奏する。その結果、「無言歌集」に今まで気づかなかったような奥行きがあることを教えてくれる。

その意味で、この録音は、カップリングされている他の小品も含めて(子供のための小品作品72、ヴェネチアの舟歌、2つの小品、アルバムの綴り作品117)、根底に深いロマンティシズムを貯えているバレンボイムの良さがストレートに出た演奏と言える。
(小林宗生。無言歌集全48曲ライナーノーツより)

とても綺麗で美しいピアノ曲で、ぜひ大勢の皆様方にお勧め致します。優しく静かな、心を慰めてくれるような美しい演奏です。

僕がダニエル・バレンボイムさん凄いなと思うのは、音楽家として、世界のTOPピアニストである、それだけでなく、一生懸命、イスラエルとパレスチナの和平の為に尽力して、イスラエルの均衡性を欠いたパレスチナへの攻撃に対する批判をくり返していることです。バレンボイムさんは、イスラエルが行っているガザの検問封鎖解除ずっと昔から要求しています。

先ほど、NHKの国際ニュースで、パレスチナガザ地区を統治するハマスの報道官が、「イスラエルがガザの検問封鎖解除に応じるなら、一年間の停戦に応じる」と記者会見しておりました。世界中にこれは流れていると思います。イスラエルがガザを懲罰的に封じ込めている(ガザ検問封鎖している)のは、『ガザからハマスによるロケット弾攻撃があるからだ』というのが説明理由なので、イスラエルがガザ封じ込めを止めればハマスはロケット弾攻撃をしないと停戦の条約を交わすなら、イスラエルが、それを断る理由はどこにも、これまでイスラエルがしてきた説明の中からは、作り出せない筈です。このことは、きちんと考えて、国際的な流れの今後を見て行くこと大切だと思います。

イスラエルは外交ロビイング活動が物凄く巧みな国家で(国際社会で間違いなくNo1のロビイング能力を持っている国家だと思います)、例えば、今回、イスラエル・パレスチナ問題については中立的な立場を取ることが多い日本の著名作家、ノーベル文学賞候補作家の村上春樹さんへ、エルサレム賞が送られます。これは、僕は、この受賞はイスラエルの外交ロビイング活動の一環と考えています。

ここで、村上春樹さんが、ノーベル文学賞受賞のために(ノーベル文学賞を受賞するには、ユダヤ系ロビーの力を借りた方が有利です。ノーベル文学賞は政治的ロビー力が受賞を大きく判断します。例えば、ノーベル文学賞受賞作家である大江健三郎さんは中国系ロビーの後押しで受賞したので、大江さんは中国で何が起ころうとも決して中国の体制側を批判することはこれまでも、これからも一切ないと考えられます)、村上春樹さんがエルサレム賞受賞して、「イスラエルに感謝を!」とかスピーチしてしまうと、村上春樹さんの政治的なメリットとしてはプラス(ノーベル文学賞が受賞しやすくなる)ですが、日本に対する外交ロビイング的にはイスラエル大勝利という感じです。日本国(日本政府)も日本人のノーベル賞を欲しているからです。

僕は、そういう展開にならずに、ダニエル・バレンボイムさんや、昨日挙げましたキラールさん、そしてローマ教皇ヨハネ・パウロ二世のように、『非人道的なことは、普遍的に良くないことなんだ』ということを、村上春樹さんに、はっきり言って頂けたら嬉しいなあと望みます。

もちろん、これは勇気のいること、本音を打ち破って、理想を貫くことで、とても困難なことです。既に安泰な高い地位にいる人は、誰も、モサドを持つイスラエルを敵に回す発言はしたくないのが、身の安全を考えるに、本音としてあると思います。それは、人間の自己防衛機能として、仕方がないことだと思います。

でもそれでも、ダニエル・バレンボイムさんはイスラエルを批判して、イスラエルのタカ派から、酷い扱いを受けています。僕はダニエル・バレンボイムさんの演奏が好きなので、彼の身の安全が、心配です。

ただ、それでも、ダニエル・バレンボイムさんの勇気を、心配を越えて一番深く僕は、敬愛しています。キラールさんや、ヨハネ・パウロ二世と同じく、コスモポリタンな普遍的な勇気ある強くて優しく思いやりを感じるからです。それは、この世で最も尊いものであると僕は思います。

昨年少し触れさせて頂きましたが、普遍的な人道主義を掲げたヨハネ・パウロ二世は、ソ連邦の支配する東側で弾圧されている人々に連帯の共感を示し支援しました。そして、ソ連邦体制の東側において、カトリック信者が最も弾圧されていたという歴史があります。なぜ、カトリック信者が最も弾圧されたのか、それは、カトリック信者が、他の宗教の信者に比べ、『政治に物申す』信者だったからです。それゆえにソ連邦の体制側から疎まれ、激しく弾圧されました。ヨハネ・パウロ二世も自らの身の安全よりも、弾圧されている人々への共感を訴えたゆえに、ソ連邦の送り込んだ暗殺者と見られている暗殺者から銃撃され、大変な重傷を負いました。竹下節子「ローマ法王」より引用致します。

(1981年の1月、ヨハネ・パウロ二世は)はっきりと(ソ連邦の支配に抵抗している)ポーランドの労働者たちの権利を擁護することを宣言した。(ワレサ会談)(中略)

1981年の2月23日、法王(ヨハネ・パウロ二世)はプレジネフに、ポーランドの主権と「連帯」の権利を尊重するようにという手紙を送った。もし(軍事制圧の準備を行っている)ソ連の戦車がポーランドに侵入すれば法王は自ら戦車と自国民の間に立ちはだかるつもりだ、と言った噂まで広がった。(中略)

法王はポーランド政府がソ連の圧力に屈して「連帯」の動きをつぶしにかかるだろうと予測した。CIAはポーランドとソ連の(軍事制圧が行われた場合の)ポーランドとソ連の軍事力の分析をしていたが、ポーランド人(ポーランドの民衆)の心情の襞(反ソ連の気持ち)やソ連政府の微妙なテンションをつかむのには法王の情報網が卓越していた。

しかしCIAは法王の知らなかった情報をもたらした。ワレサがローマへ来たとき接触したイタリア労働組合連合のルイジ・スクリチオは、(ソ連邦が支配する)ブルガリア共産政府のスパイであるというのだ。スクリチロオは「連帯」の組織作りにも協力し、物資の支援もしていた。ヴァティカンにいる法王の身も決して安全ではない。(中略)

(1981年5月31日水曜の午後)法王は5時にはじまる一般信者の謁見のために聖ピエトロ広場を横切ろうとしていた。広場に集まっている群衆に挨拶するために聖ピエトロ広場を横切ろうとしていた。広場に集まっている群衆に挨拶するためにオープンカーはゆっくり広場を回った。突然銃声がして、広場の鳩がいっせいに舞い上がった。

6メートルの距離から発射されたブローイング9ミリ自動拳銃の弾丸は2発法王に命中した。直後、侍従にもたれかかった法王の白い僧服には血の跡が見えなかった。秘書が後ろから支えた。「どこですか?」「腹だ」「痛いですか?」「ああ」と短い言葉がかわされた後、救急車に運ばれてから法王は「マリア、私の母、マリア、私の母」と唱え続けた。

8分後に病院に運び込まれた。血圧は下がり脈が弱った。弾は腹の右肘と左手の指を傷つけていた。60%以上の血が内出血で失われていた。手術の前に、臨終者のための終油の秘蹟が急いで執り行われた(それほどの重傷だった)。手術は5時間続き、腸が22センチ摘出され腹腔が洗われ、結腸施術が施された。法王の口に呼吸管を差し込んだ麻酔医師は法王の歯を1本折ってしまった。

3日には(ポーランドの)クラクフで3000人が法王の回復を祈る戸外ミサに参加した。

法王は一命をとりとめた。直径9ミリの弾丸が(奇蹟的に)大動脈から数ミリのところでとまっていた。発射された弾丸に聖母が手を添えて弾道を変えてくれたのだと後に法王は確信した。(中略)

狙撃直後に逮捕されたアリ・アグサはトルコ人テロリストだった。1979年の11月に、トルコ訪問中の法王を殺すと公言していた男だ。アグサは単独犯であると自供した。1月にはワレサの命も狙っていたという。背後にブルガリアの諜報局が関わっているとされたが、アグサ自身もすべての背後関係を知らされてはいなかった。「連帯」のシンボルである法王を抹殺しようとしたソ連の影が見え隠れしたが、法王は関心を持たなかった。すべては悪魔の仕業であったからだ。

四日後の日曜日にはもう、法王は病床からコメントを発表して狙撃者を赦した。(中略)

1983年の12月、法王が(アグサに)面会に来て、20分話し合い、アグサはその後のインタビューに答えて「法王は全てを知っている」と言った。法王はアグサに宗教上の赦しを言い渡し、世界中がそれを見て、ソ連はますます孤立した。(中略)

共産圏が崩壊していくにつれて、(世界唯一の超大国として傍若無人に振る舞い始めたアメリカが法王を蔑ろにし始めて)法王の国際政治における影響力は傾いていった。1991年の湾岸戦争について、アメリカのブッシュ大統領は(平和を求める)法王の声明を無視した。(中略)

ソ連から独立したカトリック諸国は法王をあたたかく迎えた。幼くして亡くした母の国リトアニアの黒い聖母の前で、法王は深い祈りを捧げた。
(竹下節子「ローマ法王」)

ヨハネ・パウロ二世、ダニエル・バレンボイムさん、キラールさんといったお方々の勇気ある強くて優しく思いやりのある行動は、人間は如何にして生きるのかということについて、深く考えさせてくれるものであると僕は心から思います。

参考作品(amazon)
メンデルスゾーン:無言歌集(全48曲)(バレンボイム)
教皇ヨハネ・パウロ2世により挙行された荘厳ミサ モーツァルト:ミサ曲ハ長調 K.317
わが故郷からーバルトの音楽
ローマ法王 (ちくま新書)
ワレサ自伝―希望への道
ポーランド・ウクライナ・バルト史 (世界各国史)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

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キラール:祈り/出エジプト/クシェサニ
コルチャック先生 (岩波ジュニア新書 (256))

僕は数年前(確か、五年ぐらい前だったと思います)に買ったシチズンのエコドライブ(光充電)腕時計を使っていたんですが、昨日、それが壊れてしまい、とても悲しく辛いです。数日前も止まってて、変だなと思ったのですが、その時は光(太陽光)に浴びせたら直ったんですが、今回は光に当てても、光に当てていると、しばらくして動き出すんですが、秒針が一秒ごとに動くのではなく、三秒ごとくらいに一回動くおかしな動きをし始めて、三時間ぐらいすると、光に当ててても十分くらい時間がずれてしまいます。また、光にあてていないと、秒針がすぐに止まってしまいます。これでは、時計として使えません。保証書も説明書も無くしているので、直し方も分かりません。

ずっと長いこと使っていた腕時計だったので、壊れたのがとても悲しく、辛いです。精神的に酷いショックです。生活費のために色んなものを売ってしまって、腕時計まで壊れてしまったので、何もかも失われてゆくんだという思いで、絶望的です。

amazonで一番安い時計(カシオの一番安い時計が980円です)をギフト券で買わせて頂こうかと思ったのですが、まだ置時計が壊れていないので、僕は、猫の世話と病院の通院日(通院時間)以外、時間の観念がない真っ暗なトンネルみたいな生活を送っているので、特に腕時計は今のところ、必要ないので、買わないことにしました。

この真っ暗なトンネルからはやく出たい気持ちで一杯です。とても辛いです。僕は昨日、アルヴォ・ペルトに並んで好きな現代音楽家キラールの管弦楽・合唱作品集を聴いていました。僕はジョン・ケージも好きで聴きますが、更にこの二人(ペルト、キラール)の方が好きです。両者とも、素晴らしい音楽、音楽理論を上手に使った美しい幾何学性(美しいくり返しのパターン)を感じられる音楽を作られます。

僕はキラールの作品の中でもこの「管弦楽・合唱作品集」が一番好きです。どの曲も好きな曲ばかりです。ペルトに比べると非常に派手で、なおかつペルトよりも音調が複雑(ペルトは単純性を限界まで追い詰めた作品が多いです。「鏡の中の鏡」等)で、古典的クラシックのオマージュを行うので、ペルトに比べ、更に万人のお方々が楽しめる現代音楽だと思います。古典クラシックファンのお方々には、オマージュとしての楽しみも感じられて良いアルバムだと思います。

どの曲も好きなんですが、三曲目の「Exodus」(エクスドゥス)には逸話があり、キラールはポーランドの音楽家さんで、ソ連邦の支配するポーランドの抑圧的体制に対して抵抗する労働者達の自主労連「連帯」を支援していましたが、この組織「連帯」は、1980年12月に時の政権によって粛清弾圧され、消滅しました。その後(「連帯」消滅後)に、この曲が発表されたのですが、1981年の初演時、キラールはこう述べています。「この曲のアイデアは、1979年2月に現れた。全体を『作曲』したのは2分間であり、総譜を書くのに二週間を要した。この作品のために、私は2年間働いた」。つまり、キラールは、この曲は弾圧的な政権に捧げる曲ではなく、連帯に捧げる曲として作ったのだ、と遠まわしに言ったとされています。これは、当時のポーランドにおいては非常に勇気ある振る舞いで、凄いなあって僕は思います。

また、キラールは、ソ連邦の弾圧的支配体制に反抗する「連帯」などに共感を示したローマ教皇ヨハネ・パウロ二世に敬愛を抱いており、ヨハネ・パウロ二世に捧げられた曲でもあると言われています。ソ連邦崩壊後、2001年にキラール作曲「平和へのミサ」がヨハネ・パウロ二世の前で演奏されました。

この曲の題名「Exodus」(エクスドゥス)は出エジプト記からの曲名であり、キラールは、ソ連邦の支配、弾圧的体制の支配からの脱出(Exodus)を望んで、この題名をつけたと言われております。今もポーランドでご健在のお方なので、そのあたりのことを語っているみたいなんですが、日本では入る情報量が少なく、あまり分からない(ライナーノーツなどからしか分からない)のが残念です。

この作曲家さんは映画音楽もよく作っていらっしゃいますので、実は皆様方、気づかないうちにキラール音楽に触れていたりすることもあるのではないかなと思います。有名な映画作品では「トゥルーマン・ショー」「コルチャック先生」「戦場のピアニスト」などの映画音楽を作っておられます。また、日本のアニメ映画監督宮崎駿さんが高く評価されたアニメ映画「王と鳥」の音楽も作られました。余談ですが、うつ病になる前、これらの映画全部見ていたので(僕は映画好きでもあります)、そのことで、うつ病になる前、自分の好きな作曲家が自分の好きな映画の音楽を作っていることを知って、嬉しかったのを覚えています。コルチャック先生は、数年前、NHKで放送していたのを見たんですが、DVDとか出てないみたいで、驚きました。良い映画ですのに、残念です。本は出ています。

このアルバム、僕は心からお勧めできるアルバムの一枚であると思います。音楽の美しさが皆様方の心の安らぎになれば、心から幸いに思います。

参考作品(amazon)
キラール:祈り/出エジプト/クシェサニ
コルチャック先生 (岩波ジュニア新書 (256))
決定版 コルチャック先生 (平凡社ライブラリー)
CASIO (カシオ) 腕時計 デジタルウォッチ F-28W-1 メンズ
トゥルーマン・ショー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
トゥルーマン・ショー(通常版) [DVD]
戦場のピアニスト [DVD]
王と鳥 スタンダード版 [DVD]
王と鳥 エディシオン・コレクトール [DVD]

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2009年02月02日 10:42

新・生活保護バイブル

先日よりたいへん調子が悪かったのですが、生活保護申請で直接社会福祉事務所の窓口に行って窓際作戦(窓口で申請書類を書くことすら拒否されて追い返される)にあわないように、生活保護が郵送申請でも可能なことを先日、ご善意あるお方(先日のもやいのスタッフのお方とはまた別のお方です)から教えて頂きました。窓際作戦と違って、受理後調査という形式になるので、窓口で追い返されるより受理される可能性が高くなるみたいです。教えて頂きどうもありがとうございます。もし、僕のケースで上手く行ったら(受理可能だったら)、郵送申請について実例として紹介して、少しでも、貧しいお方々の一助になれば、幸いに思います。

インターネットにおいても、「生活保護 郵送申請」で調べると幾つかでております。郵送申請で第一段階の窓口が突破できること、これまで知りませんでした。郵送の場合、その後、面接と調査があります。ただ、郵送の場合は、窓口で追い返すのとは違う形で、窓口で申請したその後の面接と調査になるという形のようなので、窓口で追い返されるより一歩前進するようです。教えて頂きありがとうございます。お礼申し上げます。インターネットの方で具体例と郵送申請書類の見本をあげてくださっており、一番具体的に例を紹介されておられる(郵送申請書類の見本も置いてくださっています)分かりやすいと思ったリンク先さんを載せておきます。

生活保護2
http://www.incl.ne.jp/~ksk/ksk/seido/seiho2.html
生活保護申請について
 相談の内容では、生活保護を申請することが出来ない理由はありません。もし、相談員が申請を拒んでいるようなら、明確に申請をしますと意思表示をしてください。更によいことは、申請書を自分でつくり、提出するか郵送することです。生活保法上はここからしか問題は進みません。違法な説明を行っている相談員とは、どこまで行っても平行線になりやすく、建設的でありません。舞台を次の場面に切り替えるほうがよいでしょう。

 申請はいかなる理由があっても、福祉事務所は拒否をすることは出来ません。今の状態は申請権侵害の状態といえます。相談員は申請の意思表示があれば適切な処理を行う義務が行政手続法上もあります。おそらく相談員は知らないでしょう。

 相談員は法違反を犯しています。多くの裁判例(2002年6月大阪高裁裁判例)では、「生活保護の申請意思」が明確であったかなかったが争点になっています。明確に申請すると伝えることが重要です。出来れば第三者が立ち会うことが望ましい。更に住所、氏名、申請したい旨を書いた申請書(メモでもかまわない)を自分で作り窓口に置くことです。多くの弁護士は内容証明郵便で郵送している。とにかくまず権利行使をすることです。

 政府の生活保護世帯を減らす「適正化」政策にそって、「水際作戦」などと称し、役所の窓口でいろいろな理由をつけて申請者に申請書を渡さずに追い返すやり方が広がっています。

 しかし、生活保護法第七条で申請にもとづいて保獲をするとなっている点や基本通知(「7役所の不当な・・・」の項を参照)で「国民にたいして保護の請求権を認めた」としている点からみても、国民に申請権・請求権があることは明らかです。政府も国会答弁や全生連との交渉のなかで、「申請の意思のある人の申請は受け付けなければならない」と回答しています。

 生活保護の支給が決定されると申請受付日から支給開始となりますから、役所の窓口では、まず「生活に因っているので生活保護を受けたい」と申請の意思をはっきりと述べて申請を受け付けさせることが必要です。

 申請は口頭でもできますが、あとで争いになったときや前述した支給開始日との関係もありますので文書でおこなうようにしましょう。

 生存権を否定する臨調「行革」路線のもとで役所はすぐに申請書を渡さない状況となっています。これは、国民の申請権を保障するための手続的権利や不当な行政のやり方と争う権利の侵害です。

 本来、申請書は窓口に置き、だれもが無条件で使えるようにするのが原則です。この点を追及し、実現することが生活保護運動の重要な課題となり、いくつかの自治体で成果をあげています。

 この原則を主張しても、まだ渡さないときは次のような方法もあります。

 図表欧慮本を使って、必要なことを記入し、役所に申請します。この場合でも、役所が申請を受けとらないことも考えられます。

 しかし、生活保護を受けたいと言って申請用紙を置いてくるだけで、法律的には申請がなされたことになります。この場合、あとで争いになることも考え、役所に受け付けたことを確認するようにしましょう。役所が受け付けない場合は、近くの福祉事務所に、「内容証明郵便」(内容証明用の用紙は文具店などで市販されています)で郵送することもできます。

 郵送でも申請が可能なことは、あとで紹介している「生活保護法の解釈と運用より」でも明らかです。

 なお、役所は申請書にいろいろな書類がついていないことを理由に申請を受け付けない場合がありますが、生活保護施行挽則では申請に必要なことがらは、申請を必要とする理由と申請の意思、住所、氏名だけでいいことになっています。この点を主張し、まず申請を受け付けさせ、必要書類はあとから出すことを認めさせるようにしましょう。

上記のリンク先さんは図表18のリンクで、具体的な書類の書き方を見本をだして教えて下さっております。生活保護の本は図書館で借りて、調べてみようと思います。郵送後、書類不備やその後の面接などで跳ねられるケースもあるようなのですが、もし、うまく行きましたらご紹介致します。ただ、審査等、かなり時間がかかるみたいですので、すぐに、結果報告できず、申し訳ございません。

また、ギフト券を贈ってくださり助けてくださった、アフィリエイトで買い物してくださった、助けてくださるご善意あるお方々全てに、本当に心から感謝致します。現在、生存できているのは、ギフト券を贈ってくださるお方、アフィリエイトでお買い物してくださるお方、ご善意あるお方々のおかげで、本当に心から深く感謝致します。本当にありがとうございます。命の恩人さんとして、心から感謝致します。本当にどうもありがとうございます。とても感謝しております。心の底から全部ありがとうございます。本当に心からありがとうございます。

参考作品(amazon)
新・生活保護バイブル

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2009年02月01日 17:49

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
貧困襲来

先日、もやいのスタッフのお方に励まして頂いて、本日、もやいの主催者の湯浅誠さんがテレビに出るということで、湯浅誠さん出演された日本テレビの討論番組を先ほど見ていたのですが、絶望的な気持ちになりました。状況が僕はどうあっても生き残れなさそうで絶望的です。身体がぞわぞわして寒気がして頭がくらくらします。

湯浅誠さん、雨宮処凛さん、ユニオンの人さん(名前忘れました)、そして宮崎哲弥さんが左側の席(左翼側・貧困側)の論客です。そしてソニー前CEO・元経団連副会長の出井伸之氏、派遣会社ザ・アールの社長で小泉政権時代の政府の改革会議委員の奥谷禮子氏、台湾人で右翼の小林よしのり氏と立場を同じくする国際学園JET日本語学校理事長で台湾独立ロビイストの金美齢氏、あとはどっかの学者(名前忘れました)が右側の席(右翼側・富裕層側)で、両席で対論していたのを視聴していました。

そうしたら、左側(湯浅さん、雨宮さん、ユニオンの人さん、宮崎哲弥さん)は「今あるミクロの貧困問題をどうするのか」「緊急に同一賃金・同一労働・セーフティネットを実施せよ」と、僕と同じような主張をしていました。

しかし右側(出井伸之氏、奥谷禮子氏、金美齢氏、どっかの学者氏)は巨大なマクロの抽象論に終始し、「今は百年に一度の経済危機ではなく明治維新以来の危機だから日本国の生き残りが最優先」「国際競争に生き残るためには正社員をなくし全社員の派遣社員化が必要」(出井氏)、「同一賃金・同一労働では能力のない人間を雇うことになり国際競争に生き残れない。同一賃金・同一能力にして能力性を高めるべき」(奥谷氏)、「今はどの国も薄氷を踏むような時代。自分自身の力で生き残らなくてはいけない。能力のない人間が生き残れないのは仕方がない。その人が自分で選んだ道だから助ける必要はない。それを助けろというのは間違っている」(金美齢氏)、「今派遣を規制すると逆に派遣切りが進むことになるから派遣規制はできない」(どっかの学者氏)が言っていて、聞いていて絶望的な気分になって死にたくなりました。

右側(出井伸之氏、奥谷禮子氏、金美齢氏、どっかの学者氏)の発言を纏めると『貧困層と能力のない階層は全員弱肉強食グローバル経済社会で淘汰されて死ね』と言っているだけで、能力のない僕が死ねと言われている気持ちになり、ぞわぞわして寒気がして頭がくらくらします。僕は生き残れないという意識が物凄く大きくなって胸が不安で一杯で苦しくて辛いです。

先日、もやいのスタッフのお方に励まして頂いたんですが、もし全部失ってもやいにいっても、千代田区役所で生活保護申請はねられたらどうしようと思うと、物凄く苦しくて辛くて助けて欲しい気持ちで一杯です。「生き残れない」という不安で物凄く苦しいです。

僕は猫を赤ちゃんの子猫の時代から飼っているので、猫も野良じゃ暮らせないし、それも凄く悲しいです。

何もかも絶望的で辛くて生きているのが苦しいです。これからどうやって生き残ればいいのか分かりません。話を聞いてくれる精神科の主治医の先生に相談したいのですが、先日診察日があったばかりで、かなり次の診察日までかなりあるので、物凄く辛いです。

辛くて苦しくて絶望的で不安で一杯です。すごく苦しいです。

参考作品(amazon)
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
貧困襲来
グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに (岩波新書)
貧困という監獄―グローバル化と刑罰国家の到来
餓死迫る日本
資本主義黒書 上―市場経済との訣別
資本主義黒書 下―市場経済との訣別

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