ねこねこブログ

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2009年02月

月を越せました。感謝の気持ちで一杯です。元気の出るアルバム「ヨーヨー・マ・プレイズ・ピアソラ」

ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ
ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ

「PM11:39追記いたします。「ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ」、全く同じバージョンで1000円強安いアルバムが出ていました。追加しました。曲目だけ見ると一曲減ってるように見えますが、演奏時間が同じなので、1000円高い盤の2曲を後に出た安い盤は曲目上1曲にしている形で内容は全く同一のようです。最初に書いたときは気づかず、本当にごめんなさい。」
先日より連日悲しい暗い曲をご紹介して申し訳ありません。たいへん生活が苦しく、お腹がぺこぺこで胃が萎むのが感じるような状態ですが、月末で、アフィリエイト収入がもうそろそろ入るので、これで、明日は日曜なのでお金おろすとATMの休日利用費が100円ちょっとかかるので、あさってお金おろして暮らしてゆけます。助けてくださっているお方々、本当にありがとうございます。また月を越すことができました。生命の恩人として心から感謝致します。本当にありがとうございます。猫にはきちんとごはん(キャットフード)と水を1日2回あげているので元気です。猫は人間と違って体が小さいので、お腹が空くと人間より早い状態(3日程度)で、病気になってしまいます。だから、気をつけてあげています。僕は2、3日食を抜いても大丈夫です。本当にありがとうございます。皆様方に心から感謝致します。心からありがとうございます。

感謝の気持ちを込めて、久々に悲しくない曲を紹介しようと思います。昨日紹介させて頂いた世界的チェリスト、マイスキーに並ぶチェロの世界的な天才名手、ヨーヨー・マの演奏するピアソラタンゴ、「ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ」です。以前取り上げさせて頂きました素晴らしいヴァイオリニスト、クレーメルのピアソラシリーズがお好きなお方には特にお勧めのアルバムです。ライナーノーツよりご紹介させて頂きます。

昨日更新できず申し訳ありません。頑張ります。ギドン・クレーメル「ピアソラへのオマージュ」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/713750.html

ヨーヨー・マ
現代最高のチェリスト、ヨーヨー・マは中国人の両親との間に1955年、パリで生まれた。4歳から父親の手ほどきでチェロを始め、6歳の時には(既に神童と認められ)パリでリサイタルを開いた。1962年、一家はアメリカに移住してヤーノシュ・シュルツ、レナード・ローズにジュリアード音楽院で師事した。また、チェロの巨匠パブロ・カザルスに認められ、彼の推薦でバーンスタインのテレビ番組に出演し、それを契機にニューヨーク・フィル、ロスアンジェルなどの主要オーケストラと共演し、ザルツブルグ音楽祭等、世界各地の音楽祭にも出演。また、リサイタル、室内楽も数多くこなし、レコーディングも旺盛に行っている。ボビー・マクファーリンや、バッハの「無伴奏チェロ組曲」(1982年以来2度目の録音)プロジェクトでの、坂東玉三郎、マーク・モリス等とのユニークなコラボレーション、映画音楽への参加等、ジャンルをこえた活動で絶大な人気を誇る。
(「ヨーヨー・マ・プレイズ・ピアソラ」ライナーノーツより)

ヨーヨー・マは間違いなく世界最高峰のチェリストであり、彼は幼少の頃から音楽の天賦の才を発揮し、7歳の時にはジョン・F・ケネディ大統領の前で演奏しました。また、最近ではバラク・オバマ大統領の大統領就任式典の演奏を担当しました。

余談ですが、ケネディとオバマ、2人ともよき意味でリベラルなところのある大統領です。ケネディもオバマも諸外国との対話路線を掲げ、またオバマ大統領は新自由主義の下に米共和党がやってきた税のフラット化、反再分配政策を止め、富裕層を増税して、その分を他の支出(貧困層の健康保険等)へ回す政策、累進課税の復活政策(富再分配政策)を決定しました。とても良い政策決定です。日本も貧困層を苦しめる新自由主義を一刻も早く止めて、アメリカのように富の再分配へチェンジすべきです。アメリカのように富裕層への増税を行い、国民の生存権を保障する富の再分配を行う累進課税及び削減され続けてきた社会福祉施策を復活・充実させるべきです。閑話休題いたします。

僕は世界最高峰のチェリスト、ヨーヨー・マが2人のリベラル大統領の前で演奏を行ったことに僕は不思議な、魅力的な縁を感じます。このアルバム(「ヨーヨー・マ・プレイズ・ピアソラ」)を聴いていると、とても美しい演奏で、心が静かに穏やかになるような気持ちです。素晴らしい名演です。

チェロの低い音色をヨーヨー・マが完璧に引き出して、ピアソラの独特のリズムに合わせて見事な名演をこなしており、聴いていると美しくて涙がでそうです。ヨーヨー・マは中国系アメリカ人(ご両親はお2人とも中国人です)のお方ですので、東洋から国際的に最高峰の天才アーティストが音楽の世界に現れたことを感じて、このアルバムを初めて聴いたとき、あまりに素晴らしくて、嬉しくなりました。何度でも聴ける素晴らしく美しい演奏です。ヨーヨー・マがピアソラをチェロで見事に弾きこなしております。素晴らしいとしか言葉がでません。とても素晴らしいです。

本アルバムは大ヒットし、ソニーBGM・クラシックのなかで、非常に優れた作品に与えられるレーベル「ソニークラシカル:プレミア・ゴールド30」に入った名盤です。聴いていると、このアルバムを聴くと心から慰められ、素晴らしいなあ、音楽って良いなあと心から感じてきます。世界でベストセラーになったアルバムですので、聴いたお方もいらっしゃるかと思いますが、まだ未聴のお方は、ぜひご一聴をお勧め致します。

僕は、最近、起きる時、物凄い強烈な、うつ病で抗うつ剤投与される前に戻ったような、身体がすくんで動けなくなるような不安がこみ上げてくるんですが、そんなとき、このアルバムのような美しい音楽を聴くと、不安が和らげられます。「バレンボイム/サイード 音楽と社会」でサイードとバレンボイムが延べられるとおり(お2人とも僕がとても尊敬するお方です)、音楽は国境を越えて人を慰め、励ましてくれるものだと思います。『モーツァルトを鑑賞するためにドイツ語がわかっていなければならないということはないし、ベルリオーズの楽譜を読むためにフランス人である必要はないのだ』

アルゼンチンのアストル・ピアソラの作曲したリベルタンゴ(自由のタンゴ)を、中国系アメリカ人のヨーヨー・マが演奏するのを聴いて、その美しさに日本人の僕が励まされる、不思議な縁を感じます。音楽は各国言語と違い(各国言語は国家の枠を作り出しナショナリズムを作り出す一因です)、国境を越えて響きあい、分かり合える可能性を持っている。それが僕は本当に素晴らしいことだと思います。「ヨーヨー・マ・プレイズ・ピアソラ」のライナーノーツから再び引用させていただきます。マリーア・スサーナ・アッシの言葉です。

「とつぜん何かにぶつかったような感じだった。音楽が私に熱病のように取りついて離れなくなった」とブエノスアイレスでのレコーディング・セッションを終えたときにヨーヨー・マは言った。(中略)(ヨーヨー・マと共演した)キャシー(キャサリン)・ストットが「現実との3分間」を演奏した時にはみんなささやき合った。「きっとアルゼンチン生まれに違いない」と。マルビチーノは「40年やってきて、全部の音符が聴こえた演奏は初めてだ」と言った。

けれどタンゴはたんなる音符以上のものだし、これらの演奏が特別なのは、そこに、自由とか情熱とかエクスタシーといったタンゴの特別な性格が反映しているからに他ならない。私(マリーア・スサーナ・アッシ)のようなボルテーニャ、つまりブエノスアイレスっ子にとって、タンゴはブエノスアイレスの背景のように思える。タンゴはダンスであり、音楽であり、詩、歌、身振り、民族精神、そして生き方そのものなのだ。

ヨーヨーも言っている。「タンゴはただの踊りではない。深い底流に支えられた音楽だ。アルゼンチンが一つの国としての体験を重ねる中で、タンゴはアルゼンチンの魂になった。音楽は、人々がそれ以外の方法では自分を表現することを許されない時に、発言の手段として使われてきた。そしてピアソラの音楽には人々の真実の声が持つ力強さがある。」。(中略)

ヨーヨーは言う。「普通のタンゴと違って、ピアソラのは、まさに聴くタンゴだ。ピアソラに一度も会わなかったことをとても残念に思う。けれども、ブエノスアイレスにやって来て、彼の仲間の音楽家たちと一緒に演奏したことで彼に少し近づいたように感じた。そして今度、最新のテクノロジーという奇跡のおかげで、私とピアソラの距離はさらに縮まった。ピアソラがバンドネオンを弾いている録音を一部に使って、ホルへ・カランドレリが私のために新しく「追憶のタンゴ」という曲を書いてくれたので、私はピアソラと一緒に演奏することができた。今ではピアソラが生きてすぐそばにいるかのように感じることができる。この録音にはそんな気分が込められている」。(中略)

「私はブエノスアイレスが好きだ。ブエノスアイレスの、なぜか前を向いているように見えるノスタルジアと、まさに新しいアイデンティティーを獲得しつつあるこの都会が好きだ」とヨーヨーは言う。

ヨーヨー・マのようなミュージシャンがいる限り、そしてたった1人でもブエノスアイレスっ子が残っている限り、月明かりとタンゴの夜はいつまでも消えない。
(マリーア・スサーナ・アッシ。「ヨーヨー・マ・プレイズ・ピアソラ」ライナーノーツより)

とても素晴らしい名盤です。まだ未聴のお方々にはぜひご一聴をお勧め致します。慰め、励まし、元気をくれるような音楽です。

最後に、このアルバムをお気に入りになられましたら、ヨーヨー・マのもう一つのアルバム「ポートレイト ベスト・オブ・ヨーヨー・マ」もお勧め致します。このアルバムではヨーヨー・マが日本の「さくらさくら」を弾いてくれます。聴いてると日本人として嬉しくなってしまいます。世界最高峰のアーティストが日本の民謡音楽を弾いてくれるのは嬉しいです。とても感動しました。

僕の好きなヴァイオリニストのクレーメルも、日本のハープ奏者、吉野直子さんと組んで、「春の海」を弾いてくれています。これもとても嬉しかった思い出です。僕はクレーメルの演奏大好きなので、純和風音楽をクレーメルが弾いてくれるのはとても感動しました。このクレーメルが弾く春の海が収録されているアルバム「Insomnia (眠れない夜)キドン・クレーメル&吉野直子」には、クレーメルと吉野直子さんの演奏で、僕の大好きな曲ばかりが入っており、驚くべき豪華さです。サティの「星たちの息子」、ペルトの「鏡の中の鏡」、ニーノ・ロータの「ゴッドファーザー」、シュトニケの「古い様式による組曲」、ケージの「6つのメロディ」シュトラウスの「ダフネ練習曲」、きりがないのでこの辺にしますが、他にも好きな曲揃いで、僕にとって、とても大好きなアルバムです。こちらも、とても良いアルバムと思います。クレーメルファン、吉野直子ファン、クラシックファン、現代音楽ファン、どのお方々も楽しめる好演奏のアルバムと思います。

最後に、月を越せることができたのは、ギフト券・アフィリエイトでご支援してくださったお方々のおかげであり、心から深く感謝致します。本当にありがとうございます。心からお礼申し上げます。本当にありがとうございます。言葉にできないほど、深く、胸一杯に感謝しております。皆様方に平穏と幸せあることを心から祈ります。本当にありがとうございます。

平安あれ、平安あれ、
遠くにいる者にも、近くにいる者にも。
(イザヤ書57-19)

聖書が語る最も美しい言葉の一つ。簡潔で力強い。
(「聖書名言事典」)

皆様方に平穏と幸せがあることを心から祈ります。

参考作品(amazon)
ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ
ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ
ポートレイト 〜ベスト・オブ・ヨーヨー・マ〜
Insomnia (眠れない夜)キドン・クレーメル&吉野直子
バレンボイム/サイード 音楽と社会
バレンボイム音楽論──対話と共存のフーガ
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言辞典

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「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」星新一の猫ショートショート「災難」

グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」/3つの古代風小品

今日はとても寒くて(時計に付いている温度計みたら6.8度しかありません)、電気代節約の為に暖房機器は一切使わないようにしていて、寒くて寒くて、猫も寒いのか、くるまってずっと寝ておりました。寒くて、先日よりのお腹の重い気持ちが晴れず、「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」を聴いていました。グレツキは彼の境遇にとても境遇的が共感するところがあり、この曲はとても悲しい美しい鎮魂の曲で、僕の好きな曲です。

今日は、寒くて、気持ちも重く辛く、更新できそうにないと思っていたのですが、NHK総合PM3:45からの「星新一ショートショート」のなかで、僕の好きな星新一のショートショート(一頁以下から数頁程度の短編より短い超短編小説)、猫ショートショートである「災難」がやっていたので、ちょっとホッとした気持ちになり、頑張って文章を書こうと思いました。「災難」は星新一「気まぐれロボット」に収録された短編で、猫好きだとちょっと楽しい気持ちになる猫ショートショートです。ショートショートの落ちをばらすのはよくないと思うので、物語の紹介は致しませんが、本屋さんでも立ち読みでもすぐ読めてしまうぐらい短いショートショートなので、猫好きで、ショートショート好きのお方々は、お読みになると、ちょっと良い気分になれるかなと思います。

今日はとても寒くて、気持ちも重く、お腹も痛みがあり、暗い気分だったので、「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」を聴いていました。グレツキは1933年生まれのポーランド人で、幼少の頃は家族と共にナチスに弾圧され、やっと解放されたと思ったら今度はソ連に弾圧され、ソ連の長い間の弾圧で健康を害してしまった(腎臓と足がダメになってしまいました)、20世紀の音楽における巨匠作曲家の一人で、20世紀後半に最も成功した、世界中でベストセラーとなった本曲(日本でも1990年代前半にベストセラーになりました)交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』でやっと世界的に有名になり、長い長い弾圧の苦しみの中で、高齢になってからやっと、世界に認められ、自由を得た作曲家です。

しかし、交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』があまりに爆発的にヒットしたので、今度はクラシック業界の中にいる一部の了見の狭い人々から「交響曲第三番はポピュリズムに過ぎない」とか言われて、またもや苦労することになりました。これは見当違いの批判です。交響曲第三番が爆発的に売れたため、それにより、しょうもないレベルの音楽評論家や作曲家達に妬まれただけです。グレツキ自身は2009年現在ご健在でいらっしゃいますが、元々具合の悪かったお身体の加減が1990年代より更に衰弱なされております。心配です。

グレツキの心身の衰弱は、腎臓と足を害した数十年に渡るソ連邦の弾圧(ソ連邦の傀儡だった頃のポーランド政府の弾圧)が最大の原因ですが、もう一つは、1990年代に、「交響曲第三番」が爆発的なベストセラーとなり、そのことで妬まれて根拠なき批判を受けたのが一因とされています。また、才能ある愛弟子アンジェイ・クシャノフスキが1993年に亡くなったことも、彼にとても深い悲しみを齎しました。先のニーノ・ロータの時にも少し書きましたが、『曲が売れた』というだけの理由で「ポピュリズム」としてクラシックの作曲家を批判する一部の嫉妬深い音楽評論家の人々はクラシックの世界にとって百害あって一利なしです。僕はグレツキの今後のご健康ご長寿をお祈りします。以下、ライナーノーツ及びウィキペディアから引用致します。

ヘンリク・ミコワイ・グレツキは1933年12月6日に、ポーランドの南西部にあるカトヴィーツェ州リプニク近郊のチェルニツァで生まれた。ここはシレジア炭鉱地帯の広がる地域で、工場汚染の激しいところである。2歳で母親がなくなり、6歳のときにはその街がドイツの軍靴に蹂躙され、家族の中の何人かは捕えられてダッハウやオシュウェンツィウム(アウシュヴィッツ)の強制収容所で絶命している。それから何十年にもおよぶポーランドの共産党支配。その抑圧は想像を絶する悲惨な投獄体験を多くの人たちにもたらした。

グレツキの音楽は、こうした故郷をめぐる辛い記憶と深く結びついている。「東側の人たちが経験した投獄生活がどれほど悲惨なものであったか、西側の人たちには決して分からないでしょう。ですから、そのことが私の作品にどんな影響を与えてきたかを説明することはまったく不可能です」と(グレツキは)述べている。(中略)

オシュウェンツィウム(グレツキの家族を奪ったアウシュヴィッツ強制収容所)を訪れたときのことを、彼(グレツキ)は折にふれて思い出すという。秘密警察のあったザコパネの「パレス」の独房の壁には、当時、18歳だった若いポーランドのレジスタンスの女性が爪をたてて刻みつけた言葉、「お母さま、どうか泣かないでください…」が残っていた。その悲しい祈りが、交響曲第三番「悲歌のシンフォニー」の第2楽章で歌われる。

ポーランドでは(多数の国民やアーティストらによる自由を求める運動がソ連邦加盟国の中でも初期から始まり)、1956年からは<ワルシャワの秋>音楽祭がはじまり、民主化の兆しは旧東欧諸国の中でも早い方だった。(中略)グレツキも当初はそうした動きに大きな希望(自由と民主化への希望)を抱いていた。「1959」という副題が付けられて、音楽祭に出品された「交響曲第一番」には、新しい時代への期待が込められている。しかし、60年代に入っても独裁政権のもとでの自由のない暮らしは続き(独裁と独裁を支える秘密警察体制が強化され)、グレツキは自分の思い描いていた未来(ポーランドの自由と民主化)が夢にすぎなかったことを知って落胆する。何十年にも及ぶ抑圧のもとで、グレツキの身体は苛まれ、長年わずらって腎臓も弱くなり、足も萎えてしまったが、心の傷はさらに深かった。
(「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」ライナーノーツより)

ウィキペディア「ヘンリク・グレツキ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘンリク・グレツキ
ヘンリク・ミコワイ・グレツキ(Henryk Mikołaj Górecki,1933年12月6日- )は、ポーランドの現代音楽の作曲家。(中略)グレツキは(ポーランドの)カトヴィツェで音楽教授となるが、1970年代後期に(ポーランドの自由と民主化を求めるポーランド人のローマ法王)ヨハネ・パウロ2世のカトヴィツェ市訪問をポーランド政府が許可しなかったため、それに抗議して教授職を辞任する。(中略)

交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」は(グレツキの)全作品中とりわけ有名である。この作品はオーケストラとソプラノ独唱のために書かれ、3楽章形式を採用している。第1楽章では15世紀に書かれた哀歌、第2楽章ではザコパネに在るゲシュタポ収容所の独房の壁で発見された言葉、そして第3楽章では民謡からそれぞれ歌詞が使われている。延長されたカノンが延々と弦楽器群によって歌われる第1楽章(全演奏時間の約半分を占める)を持つこの作品は、全体にわたりスローテンポに徹し、同時に極めて沈思的である。(中略)

1990年代は幸か不幸かこの作品(交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」)のヒットによってholy minimalismの潮流に乗る作曲家が次々と紹介され、グレツキはその生みの親のように認識されるようになった。グレツキはこの作品のおかげで世界中で講演し、多くの音楽関係者は当然のごとく「交響曲第3番」の単純明快さを(ポピュリズムとして根拠なく)攻撃した。しかしグレツキの、第一次ポーランド楽派へ最も貢献した、実り多い第1期の作品を無視しつづけていたのは、一体誰だったのであろうか? この事情はグレツキも承知の上であり、その上で交響曲第3番が書かれている事を知る音楽関係者は稀少である。

クロノス・クァルテットとのコラボレーションで知られる「弦楽四重奏曲第2番」あたりからは、死を暗示する沈黙の使用が目立ってくるが、この沈黙もブロック構造の中に取り込まれているので、特に厭世的には聞こえない。この時期から彼は体調不良を訴えることが増え、創作数が激減する。現在も特に目立った趣旨の変更はなく、同路線での作曲活動を細々と続けている。(中略)

グレツキ門下の最優等生であったアンジェイ・クシャノフスキを1993年に亡くした後は、創作ペースが極めて落ち込むようになった。彼(グレツキ)の聖なる響きは、自身の不遇に満ちた生涯抜きで語ることは出来ない。

グレツキは作曲家として優れていてなおかつ作曲家として向上する努力をずっとしてきた、そして自由と民主化のための努力をし続けてきたのに、幼少期はナチスから、そしてそれからずっと高齢になるまでソ連邦体制から弾圧されてきた、健康状態もソ連邦下の弾圧で損なってしまい、そして、やっとポーランドに自由と民主化が訪れて、世界中に自分の曲(交響曲第三番)がヒットしたら、彼のことを何も知らない西側の一部の音楽評論家達から「ヒーリング・ミュージックなどポピュリズムであり下らぬ!!」という嫉妬に満ちた偏見のバッシングを受けるという、報われていない、悲しい作曲家の一人です。僕は「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」はholy minimalism(聖なる音楽・癒しの音楽)というカテゴリの枠を超えた真の悲しみが歌われている名交響曲だと心から感じます。グレツキのご健康と心の平安と幸せを僕の心から祈ります。「グレツキ:交響曲第三番『悲歌のシンフォニー』」は名曲と思います。お勧め致します。

シュトニケ「3人のための協奏曲」のライナーノーツから、ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチが僕の好きな作曲家ショスタコーヴィチの言葉を引用している文章を引用致します。

彼(シュトニケ)は内に秘めた驚くべき力で、苦難(ソ連邦の弾圧)にめげることなく創造を続けたのだ。

ショスタコーヴィチは『音楽家はいかなる障害にも負けず、また上官にへつらうことなく戦い続ける音楽の戦士である』と言った。

シュトニケは、まさしく世界にはばたく崇高なる音楽の戦士と言えるだろう。
(ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ)

僕は、ショスタコーヴィチの言葉における音楽の戦士の一人はグレツキであると思います。僕の尊敬する作曲家です。

グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」/3つの古代風小品
グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」/3つの古代風小品

うつ病にかかるずっと前から、僕が好きになる曲の作曲家(旧ソ連や東欧の作曲家、西欧では貧困で夭折したシューベルトなど)や演奏家(ヴァイオリニストのクレーメル、チェリストのマイスキーなど)は、弾圧された、不遇な境遇で育ったお方々が多くて、なぜだろうと考えたことがあります。考えてたら分かりました。僕の好きになる曲はだいだいみんな暗さを持った名曲なんです。そして、暗さを持った名曲や名演奏は、不遇で恵まれていない境遇の作曲家や演奏家が演奏することが多いから、それが理由なんだろうなと思ったことがありました。世界の本当の真実は、僕は抑圧される側のなかにある、暗さのなかにあると思います。

バーンスタイン指揮ウィーン・フィルでクレーメルとマイスキーがメインというリベラルトリオの名アルバムがあるので紹介致します。バーンスタイン指揮ウィーン・フィル、ヴァイオリン演奏クレーメル、チェロ演奏マイスキー「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲」収録の「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調」です。これは凄いです。取り合わせ(バーンスタイン、クレーメル、マイスキー)が全員僕の好きな演奏家で更にウィーンフィルです。そしてこのメインの3人(バーンスタイン、クレーメル、マイスキー)は3人とも反戦と自由と平等と民主主義を求めるリベラリストです。超一流の演奏家にしてリベラリストの集まった名アルバムです。

大指揮者バーンスタインは政治スタンスがはっきりと左翼で、ベトナム戦争に対し反対し、大きな効果を持つ反戦運動を音楽を使って繰り広げました。この様子(音楽を使ったバーンスタインの政治活動)は手塚治虫がノンフィクション漫画「雨のコンダクター」に描き、手塚からこの作品を捧げられたバーンスタインは読んで喜んだというエピソードが伝わっています。「雨のコンダクター」は「手塚治虫マンガ音楽館」に収録されています。

クレーメルはソ連邦に弾圧され支配されてきたラトビアの出身者で、天才ヴァイオリニストとして大活躍、バルト三国の抵抗運動(レジスタンス)を文化的に支えました。

マイスキーはソ連邦に反体制音楽家として目をつけられて逮捕・拘禁され、その後あやうくシベリア送り(実質的な処刑)になるところを精神病院にかくまってもらってなんとかしのぎ、急いで西側へ命からがら亡命してきました。その後はクレーメルと同じく天才チェリストとして大活躍です。

このアルバム「ブラームス:ヴァイオリン協奏曲」はバーンスタイン、クレーメル、マイスキーという演奏家として超一流の三人であり、なおかつリベラルに世界を変革した音楽演奏家三人の取り合わせで、その点も考えながら聴く、そして作曲家のブラームスが、世界人類の自由と平等と協調を訴えたベートーヴェンに模範をとった作曲家であることも重ね合わせて聴くと、ただ聴くだけよりも、さらに音楽を聴く楽しみが広がると思います。

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

最後に、今年は音楽演奏家のなかでいま最も政治的に活動している一人、イスラエルのパレスチナ弾圧を昔からずっと批判し、昔から、アラブ諸国とパレスチナの主張する、イスラエルが西岸とガザの領土一切を放棄して国連の協定(最初の国連の協定ではパレスチナとイスラエルで領土を半分半分の50%にするはずだったのが、だんだんイスラエルの領土の取り分が大きくなるばかりで、今は77%対23%とかになっているという話で、明らかに不平等にイスラエルを厚遇するアメリカに操られている国連も問題なんですが、現在のイスラエルはイスラエルよりの国連すら完全無視状態です)を守って領土を分割し「パレスチナ国家」を樹立するという主張をし続けているユダヤ人の超一流ピアニストにして指揮者のダニエル・バレンボイムさんがヴェルディのオペラ「アイーダ」指揮(ミラノ・スカラ座)において来日されます。

バレンボイムさんはエドワード・サイードと対談し、イスラエルのどこからどう見ても公正を欠いた軍事行動と政治をずっと批判し続けており、イスラエル右派や軍部からは反ユダヤ主義者、国賊扱いされていますが、僕は彼は超一流の演奏家であり、なおかつその行動も立派だと思います。今年の九月に来日なされますので、ご資産にご余裕あり、オペラ「アイーダ」にご興味があるご方々はコンサートに行かれるのもよいのではないかと思います。公式サイトはこちらです。

NBS財団法人日本舞台芸術振興会公式サイト
http://www.nbs.or.jp/festival2009-2011/scala.html


僕は生活困窮しており、お金ないので行けませんが、皆様方に音楽を含め、様々な喜びあることを、心から願っております。もしご慈悲あるお方々いらっしゃいましたら、ギフト券・アフィリエイトでお助けくださると、とても助かります。心から感謝致します。

参考作品(amazon)
グレツキ:交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」/3つの古代風小品
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
手塚治虫マンガ音楽館 (ちくま文庫)
バレンボイム/サイード 音楽と社会
バレンボイム音楽論──対話と共存のフーガ
きまぐれロボット (角川文庫)

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ニーノ・ロータ「THE GODFATHER TRILOGY 機Ν供Ν掘彭治階級が貧困層を利用する戦争と差別について。

ゴッドファーザー・ベスト オリジナル・スコア
The Godfather Trilogy: I・II・III

励ましてくれるお方に、心からお礼申し上げます。ありがとうございます。生活は大変ですが、頑張ります。本当にありがとうございます。先ほど、昨日行われた、富の再分配を否定し私有財産権絶対を唱え最小国家論を主張する新自由主義派の学者東浩紀氏の取り巻きの右派右翼若手エリート達の乱痴気パーティーでの騒ぎの様相が伝わってきて、暗い気持ちになりましたが、それでも、僕は僕にできるリベラルなことを拙い微力でも一生懸命頑張ろうと思います。

昨日、乱痴気パーティを開いた右派右翼アカデミシャンの若手エリート達が日本の特権階級としてハイエリートの位置を世襲していく中、僕のような貧困層は結婚も出来ず子供を残せず、また万が一、貧しい人々が子供を残したとしても、その子がまた、貧困の中に組み入れられるという貧困の再拡大が現在の日本では急速に進んでいます。日本は憲法九条のショックアブソーバーがあるので、あまり表面化しておりませんが、諸外国では、貧困層の窮状を統治階級(特権階級)が利用して徴兵して戦争に使う問題があります。それは貧困者同士を戦わせ貧困者の命を奪うことで軍需産業を潤しています。雨宮処凛さんの執筆した「貧困と戦争の親和性」について引用致します。

雨宮処凛 たいせつな本
「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命」
『米軍への勧誘にみる貧困と戦争の親和性』
1月に誕生したオバマ政権は、「テロとの戦い」の主戦場をアフガニスタンと位置付け、米軍を増派する方針だという。テロとの戦い。本書は、03年のイラク戦争に「動員」された貧困層の若者達を中心としたルポタージュだ。

02年にアメリカで(軍事力強化の為に)成立した「落ちこぼれゼロ法」(就職先のない貧しい若者はみんな軍に入れることを目的とした法案、可決されて既に米国内で実施されています)は、「すべての高校生は、生徒の親から特別な申請書が提出されない限り、軍のリクルーターに生徒の個人情報(貧富の情報を含む学校側が持つ全個人情報)を渡さなければならない」とある。拒否した場合は政府からの助成金がカットされる。(基本的に政府=軍の要請を拒めない仕組みになっている)。生徒の携帯番号まで入手した軍は、(貧困層の)未来のない若者をピンポイントで勧誘する。

「一生時給5ドルのピザ屋の店員でいいのか?」と囁きかけ、入隊すれば大学費用を軍が出すので貧困から脱出できる、軍の医療保険が家族にまで適用される、と誘うのだ。

軍のリクルーター(リクルート部門の兵士)にもノルマがあり、ノルマをこなせない(競争業績主義で決められた人数の新兵をリクルートできない)と(無能なリクルーターとして懲罰的に実戦で投入される)歩兵隊に戻される。そうして戦場に駆りだされた若者が死んでも、国がつけた命の値段(遺族に支払われる慰謝料)は「一万二千ドル(約百二十五万円)」。運良く生きて帰っても、人を殺してしまったという罪悪感からアルコールや薬物に頼り、「壊れて」いく若者たち。帰還兵はPTSDに苦しみ、その一部はホームレス化している。(帰還兵は平均余命が短い)。

「大学費用を軍が出す」という話も、結局は(貧困層には用意できない額の)前金が必要だったりで、実際に軍から大学費用を受け取る兵士は35%、そのうち卒業するのはわずか15%。(残り20%はお金が払えなくなってやめざるえないか、軍との両立生活が負傷などで不可能になるか、戦死する)。

昨年、私はそんな「イラク帰還兵」の元米軍兵士と会ったが、彼は「アメリカでもっとも貧しく、もっとも教育を受けられない層が入るのが陸軍だ」と語った。

貧困から抜けれない若者達の姿は、日本ともだぶってくる。最近、ネットカフェ難民などを支援するNPOには自衛隊からの積極的なアプローチ(リクルート)があるそうだ。貧困と戦争の親和性を、この書は鮮やかに炙り出している。
(朝日新聞2月22日朝刊より)

報道が教えてくれないアメリカ弱者革命―なぜあの国にまだ希望があるのか
報道が教えてくれないアメリカ弱者革命

結局のところ、与党自民党の政治家、小泉純一郎氏や中川秀直氏、小池百合子氏、財界人(経団連)の御手洗氏、東工大教授東浩紀氏やその弟子達がこぞって推進すべきものとして唱える「新自由主義」なるものは、貧困層を互いに争い合わせて殺し合わせ、貧しい人々を根絶やしにする反倫理的・反人権的な恐ろしい政策にすぎません。そこには倫理性など一欠けらもなく、ただ、今の統治層の利権のエゴイズムだけが存在し、人命を蔑ろにしています。

僕が心から悲しく思うのは、「新自由主義」、更に過剰な「最小国家(警察と軍事しか存在しない国家)論」を唱える東浩紀東工大教授の取り巻きの右派右翼若手エリート達の資金集めも兼ねた乱痴気パーティーに大勢が参加するということで、日本の未来に、格差が更に広がり、階級が固定され、貧困の拡大再生産が起き、大切な一人一人の人命が貧しい人々同士が争わされることで、失われてゆくヴィジョンを感じて、気持ちが暗く重たくなりました。

僕は、東浩紀氏を新自由主義の宣伝塔として使う講談社や、その弟子であり、早川書房より賞を受賞しており、早川書房をバックに、日本の戦争責任を否定し、障害者差別発言や女性差別発言を繰り返し、円城塔氏(小説家、早川書房の重鎮、IT企業シングラムの重鎮)などの人物との交友関係を高らかに謳いあげ、戦争責任否定や障害者差別発言や女性差別発言をたびたび重ねる人物を重用する早川書房に非常に重い絶望感を抱いています。講談社も早川書房も産経グループと変わりない組織だということを大きく感じます。

僕は大きな企業が全部良くないことをしているとは思いません。たとえば、ユニクロで有名なファーストリテイリングは、僕のような精神障害者の人々や、身体に障害を持つ身体障害者の人々の雇用及び正社員登用に積極的な会社であり、障害者雇用率が社員100%のうち8.5%です。中小企業で障害者を積極的に雇用してくれる会社はありますが、大企業で10%近い割合で障害者を社員として雇用してくれる会社は日本ではこの企業以外皆無であり、人員募集があったら僕も障害者枠で就職できないかなと思っています。生活が大変苦しいので、はやくなんとかしたいです。他の大企業も、ファーストリテイリングや障害者雇用に積極的な中小企業のように、障害者を雇用してほしいと心から願います。

ファーストリテイリングのような障害者の雇用、また正社員への雇用を積極的に行う企業は全体からみるとごく少数であり(日本の大企業ではファーストリテイリングのみ、あとは経営陣に社会への公的な意識があって障害者を積極的に雇用してくれる複数の中小企業のみ)です。特に大企業においては、障害者雇用に積極的なファーストリテイリングは例外中の例外で、基本的に障害者の雇用をしてくれません。

今もって日本の多くの大企業は学歴至上主義及びコネ(閨閥)が支配しており、貧困層や障害者層は、ほとんど決して入れない閉ざされた世界です。産経グループや講談社や早川書房なども、まさにそういった大企業であり、そしてそういった産経グループや講談社や早川書房のような巨大なプロパガンダ能力を持つメディア業界の大企業が新自由主義や障害者や女性に対する差別を宣伝していることをきちんと考えることが大切だと思います。

ファーストリテイリングの現TOPであり、創業者である柳井正ファーストリテイリング会長兼社長はこう述べています。厳しい言葉に聞こえると思いますが、他の大企業と比較すると圧倒的に良心的です。他の大企業は差別意識がむき出して、学歴差別や障害者差別で、最初から僕のような人間(障害者)は相手にしません。人間扱いすらしてもらえないです。勿論、大企業も色々あります。例えば、セブンイレブン等のコンビニエンスストアは各々の店長に一定の権限があり、店長の独自判断で就職を左右できるので、店長がリベラルなお方で、障害者雇用に対して理解があるお方であれば、雇ってもらうことも可能です。ただ、大企業が企業方針として障害者雇用に積極的で、実際に実績として障害者を大勢雇っているのはファーストリテイリング以外には見当たりません。他の大企業は、障害者というだけで落としてくる企業が沢山あります。ファーストリテイリング会長兼社長の言葉を引用致します。全文引用致します。

柳井正ファーストリテイリング会長兼社長
「企業には社員を選ぶ権利がある。ふさわしくない人には退職頂くし、減らすときは減らさなければいけない。それは臨時でも正社員でも、経営者でもだ。だが、今回の「業績悪化だから即時臨時社員ゼロ」(派遣切り)は異常だ。しわ寄せが一番弱い人に一挙に行った。

日本は正社員偏重だ。臨時だけでなく、痛みは(経営者にも正社員にも)等分に分けるべきだ。

会社は公器。大企業の人(経営者)は(雇用の調整が)社会にどう影響するかを考えなければならない。自社都合だけを考え、株式市場ばかり見ているのではだめだ。

我々(ファーストリテイリング)は常に効率化を進めている。だから、いまはもちろん、フリースブーム直後でも社員を減らさずにすんだ。契約社員などの正社員化も進め、約2100人が正社員になった。臨時雇用では技能や知識を習得する時間がないからだ。(正社員として雇用して一人一人の人間にお金をかけることで)人件費はあがったが、それ以上に効率があがった。

日本の製造業は海外の市場に頼っており、反動が一気に来た。我々サービス・小売業にとっては(多くの人材を確保する)チャンスだ。いい人を採用し、吸収できるように頑張らなければならない。

政府の対応は最悪だ。(景気問題・失業問題に関して)何も現実的にはやっていない。定額給付金のような愚策に我々(国民)の税金を使ってほしくない」
(朝日新聞2月25日朝刊)

これは、厳しい言葉ですが、ただそれでも日本の経営者の中では圧倒的な正論な方です。ファーストリテイリングは実際に障害者雇用で、他の大企業と違い、実績を出しているので、言葉だけではありません。他の企業、特に大企業(先に挙げた差別発言を連発する人物に賞を与え重宝する早川書房などの企業など)は名門特権意識が強いのかなんだかよくわかりませんが、障害者というだけで見向きもしない状態で、ハローワークで障害者枠で検索して一番まともな実績を挙げているのがファーストリテイリングです。他の企業も、どうか、ファーストリテイリングの立場を見習って欲しいとお願いします。お金が無いと生きてゆけません。僕が今失業中で生きていられるのは、ギフト券・アフィリエイトで支援してくださるお方々がいるおかげで、それがなかったら命が尽きています。命を助けてくださるお方々ありがとうございます。ご慈悲あるお方々に心から感謝致します。

雨宮処凛さんはこう述べています。雨宮さんと同じこと(新自由主義という弱肉強食社会は自由経済市場自体も衰弱させて貧しい人々から滅ぼしながら全体が自滅してゆくということ)を湯浅誠さんも述べています(「格差と貧困がわかる20講」)。雨宮処凛さんの言葉を引用致します。

雨宮処凛
「(現在の日本社会は)仕事を奪われると同時に住まいも追われ、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされる。経営者は「国際競争に勝つため」と言いますが、あまりにも人命を軽視しています。

競走の挙句、一握りの人が儲けて、大多数は働いても食えない社会を目指すのでしょうか。企業は、非正規も労働者も消費者だということを忘れている。劣悪な雇用環境は、自身にはねかえってくることに気づくべきです。」
(朝日新聞2月25日朝刊)

僕はうつ病になる前、派遣社員でしたが、物凄く簡単に首を切られて失業しました。僕は、派遣は完全に禁止して、労働法を改正して労働者の権利をきちんと充実させて、それでも零れ落ちてしまった人々のための生存権を保障する社会保障のセーフティネットを万全の体制で築くべきだと思います。しかし現日本国(与党政権と国家キャリア官僚達)は全く逆方向に突っ走っており、ファーストリテイリング会長の言うように、定額給付金とか、税金を溝に捨てる信じがたい最悪の愚策を実行して貧しい人々を苦しめています。

結局のところ、なぜ定額給付金に官僚達を始めとして公務員達が反対しないのかというと、定額給付金を実施すれば官僚達を始めとして公務員達に配布コストとして何千億もの事務費用がばら撒かれて官界に定額給付金利権が発生するからです。定額給付金利権(配布コスト)数千億円の数十分の一のお金があれば生活に困り果てている十数万人の無年金障害者を救う制度が作れます。僕は無年金障害者なので、障害等級が二級と認められても障害年金はでません。現在の日本に無年金障害者を救う法はありません。日本国の現状は全てが絶望的です。

音楽を紹介します。ニーノ・ロータ「THE GODFATHER TRILOGY 機Ν供Ν掘廚任后とても暗い気持ちなので、明るい音楽は聴くことができず、このアルバムを聴いています。本アルバムは映画音楽の巨匠ニーノ・ロータの作曲した映画「ゴッドファーザー機Ν供Ν掘廚硫山擇鯀管集めたアルバムで、ゴッドファーザーの音楽アルバムは、「パート汽▲襯丱燹廖屮僉璽鉢競▲襯丱燹廖屮僉璽鉢轡▲襯丱燹廚箸△蠅泙垢、それ全部集めると曲の重複が多い上に一万円弱掛かってしまいますので、「THE GODFATHER TRILOGY 機Ν供Ν掘廚鯒磴κがお得です。ただ、難点は、このアルバムは英語版しかでていないので、ライナーノーツが英語です。僕は、それを鑑みても、こちらの方が、「パート汽▲襯丱燹廖屮僉璽鉢競▲襯丱燹廖屮僉璽鉢轡▲襯丱燹廚瞭本語版アルバムを買うよりも、ダントツにコストパフォーマンスが良いと思います。(追記:申し訳ありません、上記の文章を書いた後、ブログを更新する前に本CDの日本盤がないか調べたら全く同じバージョンが日本盤でありました。日本盤名「ゴッドファーザー・ベスト オリジナル・スコア ニーノ・ロータ/カーマイン・コッポラ/ピエトロ・マスカーニ作品集」です。CDは中身は全く同じであり、全て同じ曲が収録されています。上記で英語盤しかでてないと誤りを書いてしまい申し訳ありません。ライナーノーツが日本語なので、英語版より百円前後高いですが、こっちの方がお勧めです。)

このアルバムの良いのは、ニーノ・ロータは様々な映画音楽を作曲し、イタリアのお方ですので、結びつきの強い有名どころ映画監督ではフェリーニ監督とヴィスコンティ監督、他にはコッポラ監督(上記ゴッドファーザーシリーズ)、ルネ・クレマン監督(太陽がいっぱい)、ヴィダー監督、ゼッフィレッリ監督、ギラーミン監督、モニチェッリ監督、挙げてゆくときりがないのでこのぐらいにしますが、有名監督の名作映画の音楽を沢山作曲したお方です。

このアルバム(THE GODFATHER TRILOGY 機Ν供Ν掘砲里茲い箸海蹐蓮▲法璽痢Ε蹇璽燭呂△蕕罎襯献礇鵐襪虜邏覆鮗蠅け、明るいコメディ調の音楽やクラシック音楽のパロディ、また荘厳な音楽や暗く沈うつな音楽など、手広く音楽を作曲しましたが、その中でも、聴いていると郷愁を感じさせる、深い悲しみと淋しさを称えた音楽が集められているところです。ニーノ・ロータの音楽の中でも叙情性が素晴らしい名アルバムだと聴いていて感じます。聴いていると涙が滲むような淋しさと郷愁を感じます。

ニーノ・ロータは若い頃から神童と呼ばれた音楽の天才で、ミラノ音楽院を卒業していますが、映画音楽(ポピュラー音楽)を主に手がけたところから、現代クラシック音楽からあまり評価されていないところがあり、とても悲しいところがあります。音楽の世界にも、他のアートと同じく、ハイ・カルチャー対サブ・カルチャーの対立的なものがあり、こういったものは無い方が、よりアートの世界は豊饒になるのにこういった対立がそれを台無しにしているのは勿体無いと思います。差別しあっててもお互いに傷つけあうだけなのに、どうしてこういうことがあるのかなと思います。

例えば、現在、世界最高峰のピアニストに位置するであろう天才ピアニストのポリーニは、「ポピュラー音楽はクラシックと違い、創造性を持たない音楽である」ということを述べて物議を醸しましたが、そういった考えは誤りだと思います。勿論、こういうハイ・カルチャー側に対してサブカルチャー側も反論してくるわけですが、こういう差別しあう対立自体が不毛な争いで、争うことで互いに損しかしていないと思います。ニーロ・ロータ音楽批判に対するエンニオ・モリコーネの反論文を引用致します。

フェデリコ・フェリーニ監督のためにニーノ・ロータが作曲した音楽は、多くの場合、うわべだけの分析をされ、その早まった結論によって、批判的に述べられてきました。(映画音楽の作曲家は音楽理論よりもポピュリズムに走るなどとされてハイ・カルチャーから不当に低く見られますが)映画音楽の作曲家は、映画と監督特有の必要性、そして監督の文化背景を考慮した上で仕事をしなければなりません。

フェリーニは、自らもよく認めていたように、非常に限定された文化及び音楽に関する趣味を持っていました。フェリーニ監督のロータに対する指示は、監督の音楽的文化背景と映画の必要性から生じるものでした。それゆえに、彼がフェリーニのために書いた曲だけからロータを判断するべきではなく、他の全ての映画作品及び、映画とは関係のない室内楽、交響曲、合唱曲などにも注目する必要があります。彼の作品全てを分析することによって、作曲家としての完全なる真の価値、今世紀前半の歴史に敏感で、視野の広い(ニーノ・ロータの)音楽的意識を発見することができます。

(数々のポピュラー音楽の作曲を手がけた)ロータのおかげで、(クラシック音楽と連続性を持っている)映画音楽は大衆に向けてかつてないほどの大きな広がりを持つことになりました。彼の音楽が与えてくれた多くの大切なもののうち、これだけでも偉大な功績であると思います。
(エンニオ・モリコーネ。「NINOROTA1999」ライナーノーツより)

僕はエンニオ・モリコーネに同感です。僕はニーノ・ロータは二十世紀における最大の音楽の巨匠の一人であると思います。THE GODFATHER TRILOGY 機Ν供Ν靴房録されている有名なゴッドファーザーのテーマ曲「LOVE THEME FROM THE GODFATHER」とか、聴いているだけで涙が滲んできます。フェリーニ監督「カサノバ」のロータ作曲の音楽「ヴェテンベルクの公爵」とか、新古典主義の傑作だと思います。新古典主義音楽は、システムの支配する絶望的な世界を描く悲劇性を持ちますが、それがよく出ていると思います。「ヴェテンベルクの公爵」が収録されているアルバム「ベスト・オブ・ニーノ・ロータ」から引用致します。

(フェリーニの描くカサノヴァは一般的なイメージのカサノヴァと違い)いわば、(世界に対して絶望感を抱き)孤独や空虚感に不断に苛まれて続ける、(古典主義的な明るさを持たない新古典主義的な暗さを持つ)ネガティヴな方のカサノヴァなのだった。(中略)
そういう「カサノバ」(新古典主義的な世界のカサノヴァ)の世界は、新古典主義者(世界に希望を持つ古典主義者と違い、世界に対する絶望を抱く新古典主義者)としてのロータにはまさにうってつけの題材だったといえるだろう。
(「ベスト・オブ・ニーノ・ロータ」ライナーノーツより)

ゴッドファーザーの音楽にも新古典主義的な悲しみ、ロータの優れた曲が持つ素質である「世界に対する絶望と悲しみ、失われた喜びに対する郷愁の想い」が溢れ出ていて、聴いているだけで、静かに心が揺さぶられます。このアルバムを聴いていると、猫が寂しそうに鳴いているので、猫にもきっと分かるのかなと思います。僕が心から愛する、とても切なくて悲しい、聴いていると心が静かに郷愁の想いで満たされてゆく、大事なアルバムです。ぜひ、御一聴を皆様方にお勧めするアルバムです。

参考作品(amazon)
ゴッドファーザー・ベスト オリジナル・スコア
The Godfather Trilogy: I・II・III
ニーノ・ロータ映画音楽集
8 1/2
ニーノ・ロータ ピアノ作品集
ベスト・オブ・ニーノ・ロータ
NINO ROTA 1999
報道が教えてくれないアメリカ弱者革命
格差と貧困がわかる20講
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

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ひれ伏して、救いを祈っております。ヴァイル指揮「モーツァルト『レクイエム』ランドン版」

モーツァルト:レクイエム(ランドン版)

先に書きましたとおり、財界と繋がる政治家達が資金集めのパーティーを開催するように、富の再分配を否定し差別発言を繰り返す東工大教授にして出版界と閨閥で繋がった財界与党御用学者の取り巻きの右派右翼エリートブルジョワジーの若手アカデミシャン達が乱痴気パーティをただいま現在開いているようで、とても胸が重くて気分が辛いです。この国に対する絶望が深く増してゆくばかりで、とても悲しい気持ちです。お腹が痛いです。

とても気持ちが重くて、お昼ごろ、猫のために尿シート買いに行って、本屋さんで「猫生活」立ち読みした後、帰ってきて、猫の世話をして(去年から太ってきているので心配で、ダイエット用にキャットフードを切り替えました、猫用のささみ肉が好きでにゃ〜んて鳴いてお腹すいているときにあげると喜ぶので、よくあげてたのがよくなかったのかなと思って反省しています)、猫は可愛くて心和んだのです。猫のダイエットについては以下のリンクが詳しいです。おやつあげすぎはよくないみたいです。あと、餌をあげないのは絶対にダメです。今までちゃんと定期的にごはんを食べていた猫が三日間食べられないでいると、脂肪肝になってしまいます。人間よりも猫は身体がちっちゃいのでデリケートです。以下のリンク先勉強になります。

ネコの健康・ネコの病気−Vol.3 ネコの肥満とダイエット
http://allabout.co.jp/pet/cat/closeup/CU20041010B/index2.htm


猫の世話をして猫と遊んだあと、その後横になっていたら、やはり僕は病気なのか、うつ状態が出てきて、残酷で無慈悲な日本の若手エリート達の酒宴パーティが今行われているのかと思い出してぐったりしてしまい、ひたすらモーツァルトの作曲した鎮魂歌、ヴァイル指揮ランドン版「レクイエム」を聴いていました。モーツァルトの「レクイエム」は不可解な経緯を辿った奇異な名曲でして、モーツァルトの未完成の遺筆を様々な弟子達が改稿・追稿させて完成させた曲であり、後の世でもたびたび改変が行われたので、僕の知る限り十種類近い数の異稿があります(もっとあるかも知れません)。主に使われるのは歴史性を重視したジュスマイヤー版ですが、僕は美学性を重視したランドン版の方が好きです。ゴテゴテしており、聴いていてどうしてもモーツァルト的ではない感じのジュスマイヤー版より、ジュスマイヤー版よりもシンプルなランドン版は、遥かにモーツァルトのオリジナルの感性を残した「レクイエム」であるように僕には聴こえます。

モーツァルトの曲の中でもフリーメーソン関係楽曲と並んで謎が深いと一般にされるのがこの「レクイエム」です。モーツァルトの作曲したフリーメーソン関係楽曲の謎というのは、単にモーツァルトが人道的コスモポリタン団体としてのフリーメーソンの熱心な会員だったからフリーメーソンに曲を捧げただけで、実際は特に謎でもなんでもないのですが、後世、フリーメーソンが陰謀論によって陰謀組織に仕立て上げられてゆくなかで生まれた偏見的俗説です。こういった偏見的俗説の誕生には後のナチスと通ずるドイツの右派国粋主義派が関わっているとされています。こういった偏見的な謎話は相手にする必要はない話です。実際のモーツァルトの曲の真の謎として存在するのは、こちらの「レクイエム」の方です。余談ですが、僕はモーツァルトのフリーメーソン関係楽曲はとても好きです。モーツァルトはフリーメーソンに理想を抱いていたのだろうなということが感じられる名曲揃いです。「モーツァルト:フリーメーソンのための音楽集」で聴くことができます。

モーツァルト:フリーメーソンのための音楽集
モーツァルト:フリーメーソンのための音楽集

また、これも余談ですが、ついにモーツァルトの170枚組全集が二万円を切っております。昔(といっても十数年ぐらい近い前です)五十万円とかだったことを思うと、良いことなんですが、昔から三千円でコツコツモーツァルトのアルバム買っていた身としてはとても複雑な気分です。二万円弱なので、普通のアルバムより高いですが、170枚組なのでコストパフォーマンスは抜群です。モーツァルト好きでお金のあるお方にお勧め致します。モーツァルトの十代の頃の曲とかとてもいいです。神童だということが実に良くわかります。

モーツァルト:作品大全集(170枚組)/Mozart: Complete Works 170 CD BOX
モーツァルト:作品大全集(170枚組)/Mozart: Complete Works 170 CD BOX

閑話休題して「レクイエム」の話に戻します。「レクイエム」は頼んだ者も不明という伝説がありますが、今のところ、フランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵が秘密裏に使いを出して頼んだのだろう、またモーツァルト自身は伯爵の依頼であることを知らなかった可能性が高いとされているのが定説と考えてよいかと僕の知る限りでは思います。レクイエムの不可解さは、モーツァルトの未完成の遺稿がどのような弟子及び弟子達の合議(モーツァルトには何人もの弟子がいます)によってどのような意図でどのように改変されたか、詳細が分かっていないことです。モーツァルトの意志がどのくらい、弟子に反映しているかも謎です。資料探しは徹底的に行われており、それでも情報が足りないので、おそらくは永遠のミステリーとなると思われます。クラシック音楽はその名の通り古くからの音楽であるので、過去の情報が失われたことによるクラシック史上のミステリーが無数にあり、そこがまたクラシックの興味の尽きないところです。

余談ですが、モーツァルトの死因について色々取りざたされていますが、僕は画家ラファエロ(僕の好きな画家です。いつか機会があれば、もう一度絵を見て、文章を書きたい画家さんです)などと同じ原因、疲労心労によって身体が弱ったところに感染症に感染した病死だと思います。殺人とかそういうことは単なるゴシップ話の粋を超える話ではないと思います。映画「アマデウス」ではサリエリが悪者(殺人犯)にされてましたが、サリエリがモーツァルトを殺すとか、音楽史的に考えられない話だと思います。サリエリは映画とは逆に穏健温厚な人柄で知られ、モーツァルトの支援者でした。僕は「アマデウス」を見てサリエリを気の毒に思いました。吉良上野介もそうですが(吉良は暗愚な君主として知られる浅野長矩よりもはるかに名君で良き治世を行い、領地の民達にとても敬愛されていました。しかしそれにもかかわらず、芝居として暗愚の浅野を名君、名君の吉良を悪者にした虚構の「忠臣蔵」が日本中にばら撒かれたことにより、吉良は気の毒に日本史に名だたる悪者にされています)、史実的には立派だった歴史的人物がフィクションで悪者にされているのを見ると僕は気の毒に思います。忠臣蔵の史実的実際については、小林信彦さんの小説「裏表忠臣蔵」がとても詳しく、また実際の史実を丹念に探って書かれた極めて上質のノンフィクション的な小説であり、お勧め致します。閑話休題して「レクイエム」の話に戻します。

モーツァルトの未完成遺稿「レクイエム」を彼の妻、コンスタンツェ・モーツァルトが完成させようと、アイブラーに依頼しましたが、その以前に既にフライシュテットラーとジュスマイヤーが改稿・追稿をしているとされています。またアイブラー自身は『私は死に際のモーツァルトを助けた』と書き残しているので、アイブラーの改稿・追稿がモーツァルトが亡くなる前にモーツァルト自身に指示されて行ったのか、彼自身の独断の構想なのかも不明です。モーツァルトの指示説と独断説が両方あります。アイブラーの改稿・追稿はジュスマイヤーらの改稿・追稿よりも遥かに優れておりモーツァルトらしいのですが、証拠が何も無いので、全ては謎に包まれています。

マニアックな話を長々してしまい申し訳ありません。まとめますと、モーツァルトのレクイエムは、モーツァルト自身が完全に完成させたところは、第一楽章レクイエム・エテルナムのみで、あとは未完成の草稿しかなく、それを弟子や後世の作曲家達が様々に改稿・追稿して完成させたものなので、様々なバージョンのレクイエムのうちどれが一番完全なバージョンに近いレクイエムかというのはナンセンスなんですが(モーツァルトが書いたもののみを認めるということになると、第一楽章しか演奏できません)、僕個人としては、一番完成度が高い、モーツァルトらしい良い意味のシンプルさを持っているのはランドン版(H・C・ロビンズ・ランドンが完成させたバージョン)だと思います。モーツァルト好きとして様々なバージョンの「レクイエム」を聴き比べた結果、ランドン版が一番美しかったと感じています。あくまで僕の個人的感想ですが、ジュスマイヤーの作曲家としてのレベルはかなり低いと感じます。モーツァルトとは作曲能力の桁が違いすぎるため、ジュスマイヤー版を聴いていると違和感(曲がモーツァルトらしくなくゴテゴテしている)を感じます。ランドン版はそういった違和感を感じることがすくない滑らかなレクイエムだと僕は感じます。以下、ヴァイル指揮ランドン版「レクイエム」のライナーノーツから引用します。

未完のまま残されたモーツァルトの「レクイエム」は、周知のように、弟子のジュスマイヤーにより完成された。ランドンの解説にもある通り(明らかに師モーツァルトとは作曲能力に極端な差があった)ジュスマイヤーの補筆は作曲理論上の初歩的な誤りを含むだけでなく、モーツァルトの個人様式、さらには18世紀後半の時代様式にも合値しない点が散見される。(中略)
20世紀後半(クラシック音楽を歴史的オリジナル性よりも美的オリジナル性で評価する傾向が高まり)、特に1970年代からはジュスマイヤー版の不備を正した形で作成されたエディション(異稿)が次々に出版されるようになったのである。(中略)1980年代以降になると、さらに積極的な訂正・加筆を実施したエディションが乱立することになった。(中略)

新しいエディションの態度は、いわば「歴史的な観点」と「美学的な観点」のどちらかによるかで、評価が別れる。つまり、いくら拙劣(モーツァルトの遺稿を初歩の初歩からミスしているレベルの低い補筆で台無しにしている)とはいえ、弟子のジュスマイヤーが亡き師匠の遺作を完成させたという歴史的事実を重視するのか、あるいはジュスマイヤーの「非モーツァルト」的な様式をよりモーツァルト的なものとし、「レクイエム」をより(美学的に)充実した作品に変貌させることを良しとするのか、ということである。(中略)

ジュスマイヤーが完成させたという歴史的事実(歴史的観点重視の立場)からすれば、(ジュスマイヤー版とはかなり違っている)このランドン版もフィクションの産物以外の何物でもないとは言えるだろう。だが、かれがこのフィクション(ランドン版)を構築する際に用いた素材は、(モーツァルトの弟子でコンスタンツェ・モーツァルト未亡人から遺稿を託された)アイブラーの補筆という「歴史的」なものであり、その点が、他のエディション、特にモーンダー版やドゥルース版との大きな違いである。(中略)

ランドン版は、アイブラーの補筆を積極的に取り込んだ結果、特にオーケストラレーションの面でジュスマイヤー版とはやはり大きな違いが見られる。例えば、「ディエス・イレ」におけるトランペットとティンパニのファンファーレ音型は、モーツァルトが好んだ付点リズム付きものを中心としており、アイブラーがジュスマイヤーよりもモーツァルトの個人様式に接近していることがわかる。(以下、延々と違いの説明が続きますが略します)
(ヴァイル指揮「モーツァルト『レクイエム』ランドン版」ライナーノーツより)

モーツァルトに長生きしてほしかったというのは、僕も含めてあらゆる世界中の大勢のモーツァルトファンの切なる願いであると思います。モーツァルトの夭折は悲しく無念です。また、ジュスマイヤー版「レクイエム」を聴くと、あまりにもゴテゴテしていて、なぜ未完成遺稿を完成させたのがジュスマイヤーなのか、もう少しモーツァルトのニュアンスに近い作曲能力を持つ作曲家がいなかったのだろうかという思いを抱きます。その点、ランドン版はシンプルで、ジュスマイヤー版よりもモーツァルト本来のニュアンスに遥かに近いと感じられる作品です。僕はモーツァルトのレクイエムの様々な異稿の中でも、このランドン版が一番好きです。辛いことがあったとき、うつ病になる前からたびたび聴いていました。ジュスマイヤー版をくり返し聴くのはちょっと辛いですが(ジュスマイヤー版はゴテゴテしているのでくり返しきくと疲れます)、ランドン版はすっと心に良い意味で入り込んでくる感じのする名曲でくり返し聴いていると気持ちが少し楽になります。お勧めのアルバムです。既にジュスマイヤー版やモーンダー版、ドゥルース版、レヴィン版などの他のエディションをお聴きになったお方々にも、このランドン版の「レクイエム」をまだ未聴のお方々には、ぜひ聴いてほしいなと思います。他のエディションを既にお聴きのお方々にもお勧めできる名盤だと僕は思います。

今、心痛と生活困窮で大変辛いので、今も聴いていて、ちょうど第四楽章みたいな気持ちです。お恵みもてお助けしてくださるご慈悲あるお方々いらっしゃいましたら、心から感謝致します。辛い気持ちです。最後に、第四楽章を引用致します。

モーツァルト
「レクイエム」
第四楽章「思い出したまえ」

あわれみ深きイエズスよ、わがために
天降りたまいしを思い出したまい、
かの日、われを失いたもうことなかれ。

おんみはわれを求め、疲れて座したまい、
われを購わんとし十字架の苦しみを忍びたまえり。
かかる辛苦を空しくしたもうことなかれ。

正しく罰したもう審判者よ、
応報の日の前に
赦しのめぐみをほどこしたまえ。

われ罪人なれば嘆き、
罪にわが顔は赤らむ。
神よ、ひれ伏して願い奉るものを惜しみたまえ。

おんみはマグダラのマリアをゆるし、
盗賊の願いをききとどけたまえ、
われにもまた望みを与えたまえり。

わが願いはふさわしからざれども、
おんみはよきお方にてあれば、めみぐみもて、
われを永遠の火に焼かれざるよう救いたまえ。

われを羊の群のなかにおき、
山羊の群よりひきはなし、
おんみの右に立たしめたまえ。

あらゆることが激変して、大変何もかも苦しくて、ひれ伏して、救いを祈っております。

参考作品(amazon)
モーツァルト:レクイエム(ランドン版)
モーツァルト:フリーメーソンのための音楽集
モーツァルト:作品大全集(170枚組)/Mozart: Complete Works 170 CD BOX
アマデウス [DVD]
裏表忠臣蔵 (文春文庫)
猫生活 2009年 03月号 [雑誌]
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言辞典

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非常に絶望的で気分が悪いです。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ「交響曲第九番『第七の十字架』」

Hans Werner Henze: Symphonies Nos. 7 & 9; Barcarola; Three Auden Songs

非常に絶望的で調子が悪いです。昨日よりも調子が悪いです。驚いたことに、この不景気と貧困の増大の中、昨日のエントリに挙げました富の再分配を否定する新自由主義アカデミストの弟子筋の無慈悲な右派右翼ブルジョアジー若手アカデミスト達が、酒場に人を集めてどんちゃん騒ぎのパーティーをすると聞き、気分が恐ろしく絶望的になりました。非常に暗い気持ちでお腹が痛くて眠れません。

映画「ヒトラー最後の12日間」で、ナチスドイツの末期、ナチスの高官達が国民を無謀な市街戦に無理矢理狩り出し、逆らうもの、隠れるものは容赦なく殺し、自分達だけは滅びてゆく国の特権階級として酒で乱痴気騒ぎをしているのと通底する事態が起きていると僕は感じていて、とても辛いです。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェの交響曲第九番のような気持ちになりました。この曲は人間における最大の恐怖と悲しみを歌った優れた名歌曲交響曲です。ぜひ御一聴お勧めする名盤です。ヘンツェは左翼の政治的作曲家として保守的な一部の音楽界からは不当に評価されているところがありますが、音楽として非常に優れた作品を沢山創っている人です。本曲「交響曲第九番」も「反ナチス音楽」という政治的括りにされておりますが、勿論本曲は反ナチスの歌曲交響曲ですが、そういった括りを超えた絶対的な過ちの悲劇を描くことで、救いなき悲劇を描くことによって、個々の生命一人一人の尊さ、ヒューマニティを必死に訴えている音楽だと思います。

この曲を作曲したヘンツェは非常に優れた作品を創る有名なドイツ出身の作曲家かつ人権重視・マイノリティの権利の活動を行う実際のアクティヴィスト(行動家)、左翼活動家であり(東ドイツの作曲家にして親友デッサウと共に1950年より左翼として活動しており、バリバリの左派アクティヴィストです)、過去、ドイツで同性愛の権利を擁護して(過去のドイツは同性愛に対して非常に不寛容な態度を取っていました、ヘンツェ自身も同性愛者でありカミングアウトしています)、同性愛を認めない右派右翼から散々攻撃されて、イタリアに亡命のような形で移住しました。作曲家としても左派アクティヴィストでして左派のための政治音楽をじゃんじゃん作りました。「ゲバラに捧げるカンタータ『メデューサ号の歌』」、革命歌集『声』『ナターシャ・ウンゲホイエルへの家への険しい道程』等々です。政治音楽を数々作曲し、政治活動も行った為、保守的な一部の音楽界からは評価されていませんが、音楽界全般から見れば非常に評価の高い作曲家で、僕は二十・二十一世紀を代表する偉大な作曲家の一人だと思います。2009年現在、ご健在でいらっしゃいます。

ヘンツェは反資本主義的学生運動が盛り上がる前からの若い頃からの左翼であり、それには、彼は少年の頃は右翼(ナチスドイツのヒトラー・ユーゲントの一員)として13歳でナチスドイツに参加し、東部戦線・デンマークと転戦し、ヒトラー・ユーゲントの少年兵として戦場で戦い続けたことに対する非常に深い悔恨、そして人々を無慈悲に殺戮したナチスドイツへの怒りと憎しみ、絶望があると言われており、また作曲にもそういった悔恨などが、昇華されて反映されていると言われています。交響曲第九番『第七の十字架』の第六楽章など、聴いていて胸が張り裂けそうになります。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ自身の言葉を引用します。

ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ「交響曲第九曲『第七の十字架』について」

この曲は、若き日の私(ヘンツェはヒトラー・ユーゲントのナチスドイツ軍少年兵士として東部戦線からデンマークと戦場を転戦)が見てきた第三帝国時代のドイツをテーマにしています。(中略)
この曲は、恐怖と悲しみの極致を表現したものです。一言で言えば(元ヒトラー・ユーゲントであり、戦後は左翼として抑圧的な体制と戦う政治作曲家として活動してきた)私の音楽の集大成であり、私達を突然襲った独裁的で前の見えない悲惨な状況を音楽という形に昇華させたものです。この曲には喜びや輝きの歌はありません。あるのは恐怖と迫害、今日にまで影響を与えている暗黒の世界の描写です。(かつてヘンツェが加担した)ナチとその凶暴な治世に抵抗し命を投げ出してまで自由を手に入れようとした人々(かつて若き日のナチスだったヘンツェが戦った連合軍の人々やナチスに抵抗したレジスタンスの人々)をたたえること…これが(ナチス時代の)ドイツの真実を描くにあたっての私の最大の願いでした。

全く、旧日本軍(大日本帝国軍)をいまだに称えている日本の一部の人々とは大違いです。こういうところが、以前も書きましたが、ドイツは本当に偉いなあと思います。アメリカの名提督、穏やかで温厚な気質で知られるミニッツ提督は戦後、旧日本海軍を『恐ろしい優れた敵、強敵、実に見事な敵だった』と評価して語っていますが、日本軍を批判してアメリカ軍を評価する人は日本には水木しげるさん以外(水木しげるさんは「コミック昭和史の中で如何に旧日本軍が酷かったか、実地体験と資料に基づいて批判し、アメリカ軍を評価しています)、僕の知る限り全然見当たらないことは、日本という国のある一面を表しているように感じて、気持ちが痛くて重いです。以前も書きましたが、ドイツと日本はなぜこれほど違うのかと思います。現在のドイツは日本よりずっとリベラルな国家で人権意識が発達しており、社会福祉も日本より整備されています。それはやはり、自らの過ちを過ちとして認めたからこそ、出来た国づくりだと僕は思います。どう考えても、枢軸軍ではなく連合軍が勝利したことは行幸だったと思います。もし万が一、枢軸軍が勝利したなどということがあったら、フィリップ・K・ディックの描いた「高い城の男」の世界のような地獄のような全体主義社会が争いあう、オーウェルの「1984年」的世界が現れて、人類は二十一世紀前に全面核戦争で滅んでいたと思います。旧日本軍やナチスドイツのような人命を蔑ろにするファシズム軍隊は、間違いなく、万が一第二次世界大戦で勝利していたら、その後は全面核戦争という狂気の戦争を引き起こしたと思います。日本は、戦後ドイツから学ぶことが沢山あると僕は思います。

映画「ヒトラー最後の12日間」戦後ドイツの真摯さに、腐敗した日本との違いを深く感じました。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/686777.html


ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ「交響曲第九番『第七の十字架』」本アルバムのライナーノーツから引用致します。

交響曲第九番は、(ヘンツェの最高傑作の一つである)レクイエムをはるかに超えた恐怖を描いていた。レクイエムは交響曲第九番のための九つの前奏曲とも思える。七つの楽章の音楽と歌詞はナチの時代を舞台にしたアンナ・ゼーガースの小説「Das siebte kreuz」(「第七の十字架」)をもとにした。七つの楽章はすべて合唱によって歌われ、歌詞は第一人称で語られる。(中略)

「Das siebte kreuz」(「第七の十字架」)は(ナチスドイツの強制収容所からの)逃亡をテーマにした作品である。強制収容所から脱走した七人の囚人に(見せしめとして)磔刑が言い渡される。六人は再び捕まってしまう(磔刑で処刑される)が、一人は逃げ続ける。(中略)

これ(交響曲第九番)は、彼の交響曲として初めてテキストと声を伴う。テキストは、左翼の小説家でナチ時代は外国に逃れ(政治亡命。ナチスは共産党を始めとする左翼を徹底的に弾圧し処刑したので、ドイツ国内に留まっていたら間違いなく殺されていたと見られている)、戦後は東ドイツで活躍したアンナ・ゼーガース(1900〜1983)が、大戦中の1944年に発表した反ナチ小説『第七の十字架』に基づき、ハンス・ウルリヒ・トライヒェル(彼はヘンツェの近年の幾つかのオペラの台本作者でもある)が書いたもの。つまりは、ヒトラー・ユーゲントに在籍した経験を持つ(その後、左翼活動家に転進した)作曲家による、反ナチがテーマの深刻なカンタータ交響曲ということになるが、たとえば第四楽章は自然を支配する人間の野蛮について、第六楽章は宗教の意味について、終楽章は人類がユートピアへと逃走できる可能性について……という風に、単なる反ナチを超えた、(1997年、二十世紀末に作られた本曲は)この世紀末の人類への問いかけも含まれている。(中略)

あなたは、この第九番に何を聴く?
全体主義への憎悪?
ヘンツェの作曲法の多彩な手練手管への賛嘆?
それとも世紀末的憂うつ?
(ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ「交響曲第九番『第七の十字架』」ライナーノーツより)

非常な名曲、二十世紀、二十一世紀を代表する作曲家ヘンツェが、反ナチスをテーマにして、そして普遍性を持って、全体主義と弱い立場の人々を苦しめる抑圧的権力(巨大な暴力)に対しての逃走と抵抗する人々のヒューマニティ、生命の尊さを神懸り的に描いた、とてつもない名曲だと僕は思います。僕もヘンツェのように、富の再分配を否定する新自由主義アカデミストの弟子筋の無慈悲な右派右翼ブルジョアジー若手アカデミスト達には抵抗し続けたいです。彼らは日本の戦争責任を否定し、他にも精神障害者差別発言、女性差別発言などを行い、若手のエリートアカデミシャンとして大御用学者の権力及び大手出版社の権力(講談社及び早川書房)をバックにつけて、右派右翼ブルジョワジーエリートの立場から彼らは富の再分配否定発言や戦争責任否定発言、また弱い立場の人々に対する様々な差別発言を行い、弱い立場の人々を傷つけ、やりたい放題を行っています。彼らの振る舞いは余りにも酷すぎると思います。

僕はうつ病で失業しており、生活困窮しており、今もお腹がぺこぺこで眠れなくて、将来が真っ暗闇で、どこにも行く先が見えませんが、それでも、人々を抑圧する体制とその体制の代弁者達には、少年時代の自らの過ちを認め、左翼として生涯活動されておられる尊敬する作曲家ヘンツェのように、必死に抗って行きたいと思います。

最後に、「交響曲第九番『第七の十字架』」の中で僕が一番好きな楽章、死に瀕した磔刑にされた人々が歌うシーンの歌詞を引用してご紹介致します。

第六楽章「NACHTS IM DOM」
「大聖堂の夜」

焼かれる肌も
壊される身体も
足の下の火も
わが身のうちの爪で
舌に乗った鉛でわれらは歌う
血まみれの唇でわれらは歌う
頬にあいた穴で――

参考作品(amazon)
Hans Werner Henze: Symphonies Nos. 7 & 9; Barcarola; Three Auden Songs
Hans Werner Henze: Streichquartett 1-5
高い城の男
1984年
コミック昭和史 (第1巻) 関東大震災~満州事変

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精神科医の先生と患者の信頼関係について。私有財産と富の再分配について。貧困と生存について。

格差と貧困がわかる20講

昨日上がった熱が下がらず、喉が痛くて頭と身体が重くて、あまりキーを打てそうにないので、文章が思うように書けず、申し訳ありません。先日のエントリ(下記)でも書きましたNHKスペシャル「うつ病治療」、僕はこの番組は精神医学界の中の良くない先生の一部を強調しすぎているように思い、心配なところがあったのですが、心配の予感が的中して、精神科医のお方々がやっているブログと、僕のような精神病の患者がやっているブログの相互に対する批判がクローズアップされてきていて、とても危惧を覚えます。

河原和音「青空エール」、セルゲイ・ナカリャコフ「ノーリミット」、NHKスペシャル「うつ病治療」について。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/729659.html


あまり多く例をだすと良くないと思うので一例だけ出しますが、精神科医側の患者及び患者家族批判としては以下のようなブログなどがネットでクローズアップされてきています。

臨床してて思うこと(精神科)さん「大量服薬を繰り返す人で困ること」
http://blog.m3.com/moromoro/20080627/1

しょっちゅう大量服薬して近くの救急病院に運ばれる人がいる。
すぐにうちの病院に連絡がくるんだけど、
「自殺未遂」として正しい対処をすると、その患者さんはすごく怒る。
入院治療をしましょう、いったん家を離れましょうと勧めると、
「死ぬ気はなかったという自分の気持ちを何故わかってくれないのか」
「死にたいくらい辛いけど、死ぬ気はないんだ」
「もらった薬1週間分全部飲んだけど、たぶん死なないと思ってた」
「全部もう飲んじゃってないから薬ちょうだい」
そういって薬をもらって帰ろうとする。

そんな患者さんはたくさんいるわけじゃないけど、
精神科医ならみんな何人かは抱えていると思う。

誰でも10年以上精神科医をやっていれば、
「死ぬ気はなく」ても亡くなってしまうケースを知ってると思う。
明らかに夫を試すとか、周りに分かってもらいたいとか、
そんな気持ちで中等量服薬をしたケースでも
状況やタイミングが悪ければ、簡単に亡くなったりする。
だから、死ぬ気はないからもう大丈夫と言ったって、
数日でいいから落ち着くまで入院してほしい。
自傷って立て続けにおきるものだし。

こういうのを読むと、精神科医の先生と患者との信頼関係に影響があるんじゃないかと思い心配になります。精神科医の先生と患者の信頼関係というのが精神医学の治療において大切だと思います。僕は今の主治医の先生にとても感謝していて、先生がいなかったら今生きていないので、命の恩人です。

僕がうつ病になったとき、発作的に自殺しそうになっていて、緊急的に強い鎮痛剤と抗うつ剤をだしてくれて、うつ病の初期は抗うつ剤が効かなくて、調子が悪くて、すぐ酷い不安になってしまって耐えられなくて、病院に朝電話して、急患で診てもらえませんかということをお願いしたら、緊急ということで、予約が一杯入っているにも関わらず、診断してくれて、抗うつ剤を増やしたり、真夜中に調子が悪くなったときも電話で対応してくれて、頓服でだしている方のお薬を3錠飲んで横になって休んでくださいって言われて、それでなんとか生きのびてきました。

入院はお金がなくてできなかったのですが、電話でお金取らずに対応してくれて、急患でもいれてくれて、うつ病が酷くてとても大変なとき、生きながらえるお世話にとてもなりました。

抗うつ剤が効いてくるとそれまでに比べて格段と楽になって、うつ病のときはそれまで周囲に対して配慮とかできなかったのですが、周囲に一杯迷惑を掛けていたなあと思って申し訳ないという気持ちになって、それで気持ちが落ち込んだんですが、そのとき、診察していた先生が「良かったですね」と言ってくれて、僕が「えっ、何がですか?」って聞きなおすと、「前は感情が顔から消えていて心配していたんですが、最近、顔に表情が戻ってきましたよ」って良くなってますよってことを言ってくれて、僕はとても嬉しかったです。この先生は、本当に患者を治すことに親身になって治療してくださっているという思いで一杯になりました。僕は主治医の先生をとても信頼しています。

先のブログに書かれているオーバードーズなどの問題も、うつ病が少し良くなってきてから主治医の説明してくださいまして、先のエントリに書いた「難治性うつ病」のお話と関連するんですが、僕はうつ病が治らないんじゃないかって心配していた頃、丁寧に説明してくれて、『うつ病が治らないケースとして多いのは、患者さんが勝手に薬の量を調節して、飲まなかったり、沢山飲んだりすると、身体に良くない影響でて、病気が悪化したりしますので、逆に、そういったことをしなければ、良くなっていきますよ』と説明してくださって、それで実際にきちんと薬飲んでいたらよくなってきたので、とても信頼感を持っています。

オーバードーズの問題については、先のブログの精神科医の先生のように、上から命令したり、入院しろっていったりするのではなく、きちんと患者さんに冷静に、「薬の量を患者さんが勝手に調節すると病気はよくなりませんよ」と論理的に説明する(インフォームド・コンセントを行う)といいんじゃないかと、素人考えですけど、僕はそう思います。僕の主治医の先生はいつも冷静で、とても論理的に説明してくれます。僕が論理的でないことをくよくよ悩んでいると、きちんとそのことを論理的に指摘してくれるので、本来なら保険適用外の行動認知療法に近いことを診察時にしてくださっていて、本当に心が助かっています。

精神科に通っている患者は、僕を含めて、病気を一日も早く治したいから通っているのであって、その気持ちを汲んで、「お薬を処方通りに飲むことは、とても大切なことで、処方どおりに飲めば病気はよくなりますよ」ということを、きちんと論理的に説明すれば(インフォームド・コンセントを行えば)、オーバードーズの問題は解決に向かってゆくのではないかと思います。患者は、医学知識が精神科のお医者さんに比べて圧倒的に少ないので、自分の病気の不安が一杯です。きちんと説明してくれる先生に僕は運良く巡り合えて、本当に幸運だったと思います。

家族の問題については、僕は独身一人身生活なので、主治医の先生と僕で一対一で契約して治療を受けておりますので、詳しくはわかりませんが、成人患者の精神医学治療においては、精神科医と患者さんで一対一で治療するのが基本で、家族は介入しないのが不文律なのではないでしょうか。勿論、夫婦間のドメスティック・バイオレンスなどの問題においては、夫婦で治療するなど、精神疾患と家族の関係に関連性がある場合は、家族も受診することが重要だと思いますが、そういったことがなく、お薬を自分で飲めて、通院できるレベルの判断能力のある成人の患者さんの場合は、一対一で契約して一対一で治療を受けるのが精神医学のセオリーではないのでしょうか。精神科への任意入院ということであれば、成人患者の場合、患者さんが望めば入院で、患者さんが望まなければ入院しないというのが基本で、基本的に家族の意向とは関係ないのではないでしょうか。通院できるレベルの患者さんの自己決定に家族が過干渉してきてそれを精神科が受け入れるとか、僕は病院でもデイケアでも見たことも聞いたこともないです。複数の精神科医の先生が一致して自傷他傷の恐れありと判断した場合の措置入院の場合は、患者の自己決定より複数の精神科医による合同の判断が優先しますが、任意入院の場合は、精神科医の判断より、本人自身の判断が優先されると僕は主治医の先生から聞いております。ただ、僕は、あくまで僕の体験しか語れず、精神科について素人なので、間違っていたら申し訳ありません。

あと、入院の問題は、僕は、とても調子が悪かったとき、入院勧められたとき、僕としては入院したかったのですが、お金がなかったので入院費を払える目処がなくて入院できなくて、入院問題は、お金の問題(厚生労働省の社会福祉行政・医療行政の問題)が大きいのではないかと僕は思います。

あと、僕はお金がなくて最近出られませんが、まだ貯金が残っていた頃、デイケアに出ていて、人数が多い日は、統合失調症、躁うつ病、後は僕みたいなうつ病の患者さんで、大勢になりましたが、精神保健福祉士さんや臨床作業士さんや看護士さんに突っ掛ったり、お昼(デイケアはお昼代払えばお昼食べられます。デイケア・お昼代共に保険適用されます。)に薬を大量に飲む患者さんはいなかったです。だいたい、カードゲームしたり体操したり、後は大半はだらだらしてお喋りしたりしています。みんな互いに気を使っているので、数十回デイケアでましたが、喧嘩とか一度も見たことがないです。

余談ですが、統合失調症の人は頭の良い人が多い感じです。UNOなどのカードゲームやると、勝敗が、統合失調症の人が一番勝率が高く、次が躁うつ病、最後が僕みたいなうつ病の人という感じです。僕なんかは負けまくりです。閑話休題です。

あと、精神保健福祉士のお方も、保険適用内カウンセリングしてくださるのですが、保険適用内のカウンセリングは、NHKスペシャルでもやっていましたが「患者の言葉に傾注する」カウンセリングで、基本的に患者の話をよく聴くことで、患者をリラックスさせるカウンセリングです。患者とカウンセラーでやりとりをする認知行動療法は保険制度の関係で保険適用内の治療ではできないです。精神科医の先生のお方、精神保健福祉士のお方、カウンセラーのお方、看護士さん、皆様方が本当に大勢の患者さんの為に、一生懸命働いてくださっていて感謝の気持ちで一杯です。入院や行動認知療法、磁気療法などの色んなところで厚生労働省が財政を厳しくして、僕みたいな貧乏だと、どうしても治療に制限が掛かりますが、それは治療者・臨床の医療関係者のお方々の責任ではないと思います。責任があるのは医療に財政を投入してくれない財務省などの国家官僚達、また医療の制度作りを行う厚生労働省の官僚が行う医療行政の責任であると僕は思います。治療者のお方々は本当に治療を懸命にやってくれていると思います。先生も精神保健福祉士さんも看護士さんも休み無しでひたすら働いているので、とても頭の下がる思いです。

臨床の治療者・医療関係者は一生懸命命を助け病を治してくださっているお方々が、大多数であり、大勢いると思います。人々を助けるためにハードワークをこなしていて、本当に頭がさがります。一番の問題は臨床ではなく、厚生労働省、財務省、それら国家のシステム、富の再分配を否定して、貧乏な人には治療を受けなくさせる方向に進んでいる現在の政治及びビューロクラシー(官僚制)に最大の問題があると僕は思います。

本日の朝日新聞の朝刊で、一面丸々使って、富の再分配を説いたロールズの正義論を受け継ぎ、機会の平等ではなく、結果の平等を訴え、富の再分配を昔から主張してきたノーベル経済学賞の受賞者の学者さんのアマーティア・センさん(現ハーバード大教授)がインタビューに答えています。アマーティア・センさんは新自由主義とか規制緩和とか弱肉強食とか最小国家とか、ハイエクやノージック、日本では東浩紀氏のようなお金持ちの代弁学者・経済界御用学者達が主張する最小国家論などの思想に対して、「いい加減にしろ!!そんな思想は富の再分配を否定して大勢の人々を不幸にしているだけだ!!」という風に強く批判しています。アマーティア・センさんは昔から富の再分配を主張してきたのでとても説得力があります。アマーティア・センさんのインタビュー記事を引用致します。

アマーティア・セン
「政治力、所有物、経済手段などの巨大な不平等が世界に非対称性(貧困)を生み出したのだ。(中略)
市場経済体制はいくつもの仕組みによって動いている。市場(自由資本主義)はその一つに過ぎない。
なのに市場(自由資本主義体制)の利用だけを考え、国家や個人の倫理観を果たす役割を否定するなら、新自由主義は人を失望させる非生産的な考え方だということになる」

インタビュアー
――(小さな政府派・新自由主義推進派・構造改革派・規制緩和派であり、日本で言えば中曽根元首相や小泉元首相と立場を近くする)米国のレーガン大統領は「(大きな)政府は問題の解決策ではなく、(大きな)政府こそが問題だ」と主張しました。

アマーティア・セン
「愚かしい。確かに政府が(人々を抑圧する形態で)出しゃばりすぎれば問題だ。改革解放前の中国などがその例だ。
しかし、(富の再配分を行う)政府は解決でもある。(富を再配分する)国民皆保険制度を作るのは政府の役割だ。それ(富の再配分)は人々に幸福だけでなく自由をもたらす。健康でなければ、人は望むことも実現できない。識字教育だって公教育を通して実現される。国家の役割は社会の基盤を作る点で非常に大きい。
また国家は、金融機関の活動を抑制する点でも重要だ。早く儲けようとして(金融機関・投資機関が)市場を歪めるのを防がなければならない。米国は金融機関への規制を(新自由主義の名の下に)ほとんど廃止したので、市場経済は混乱(世界金融危機・世界恐慌)に陥った」

インタビュアー
――規制緩和は(米国でも日本でも)非常に良いことだと見られてきました。

アマーティア・セン
「その考え方にはとほうもない混乱(誤り)があった。つまり市場はとても生産的だから、それ以外は何もいらないというのだ(自由資本主義)。市場(自由資本主義)にできること(自由資本主義は弱肉強食の競争主義を行う)があればできないこと(市場を規制して市場の暴走を防ぐことや富の再分配などが自由資本主義にはできない)もあるし、国家が引き受けるべきこと(市場規制・富の再分配・機会の平等ではなく結果の平等、積極的差別是正措置Affirmative actionなど)もある。
こんな基本的なことが(新自由主義の名の下に)無視されてしまった。背景には「(私有財産権を公共の福祉の下に制限してリベラリズムを大切にする福祉重視の)国家は悪」という非常に強い右派(右翼)の政治思想(ハイエク、ノージック、東浩紀らの私有財産権のみを絶対とする最小国家論)があった。(右派・右翼の唱える私有財産権のみを絶対神格化し、富の再分配を否定する最小国家論は)理論というよりは衝動みたいなもので、思い込んでいる人は正当化の理屈を後から考える」(中略)

アマーティア・セン
「今重要なのは国家や宗教を超えて人々を統合する(他者への共感を重視する)グローバルなアイデンティティーだ。(自由資本主義の暴走に歯止めを掛けて富を再分配する)グローバルな諸制度を支えるためだけではない。(ハイエク派の右派・右翼が主張する私有財産のみ絶対権とする超個人主義的考え方と現実の世界の人間関係の在り方は違っており)現実に我々の行動が他者の生活に影響を及ぼすようになっているのだから。それにはまず、1人の人間がさまざまなアイデンティティーを持つことを認めなければならない。日本人で、ロンドン在住で、ジャーナリストでという具合に、人はいくつものアイデンティティーを持つ。居住地への愛着、母国への愛着、文化への愛着。どれも矛盾なく共存する」

インタビュアー
――いずれも争いごとの原因になりそうです。

アマーティア・セン
「争いごとは、様々なアイデンティティーの一つだけを特別視し、ほかを無視するから起きる。第一次世界大戦で争った欧州各国の人たちはみなキリスト教徒だし、ほかにも共通点が多かった。ところがナショナルアイデンティティーだけを特別視するから戦争になった。(歴史上最悪の戦争である)第二次世界大戦でもナショナルアイデンティティーがほかを吹き飛ばした。(中略)
グローバルなアイデンティティー(他者への共感意識)はだれにでもある。他者への基本的な同情心(共感)だ。道で転びそうになる人を見たら(どの文化に属する人でも)思わず支える。どこの国の人か、何教徒か、何語を話すか、助ける前に考えない。人間だから(普遍的なヒューマン・ネイチャー)としか言い様がない。人間としての(根底の)アイデンティティーとも言える。その理解を(世界的に)深めなければ」

インタビュアー
――どのようにして?

アマーティア・セン
「教育が重要だ。学校教育だけではない。たとえばメディア。どう(公平に)ニュースを伝えるか、どんな意見を紹介するか。それは教育的意味を持つ」

インタビュアー
――メディアもグローバル化しなければならないと。

アマーティア・セン
「新聞などはもっと自由になるべきだ。愛国主義的である必要はない」
(朝日新聞2月24日朝刊)

アマーティア・センさんと同様のことを先日お亡くなりになられた(ご冥福をお祈りいたします)加藤周一さんも仰っていたことを思い出しました。加藤周一さんはこう仰っていました。『熱烈な愛国者は隣人を愛さない。彼は国だけを愛する』。最近の、右派・右翼の論壇界での動きなどを見ると、アマーティア・センさんや加藤周一さんの仰っていたことは正しかったと思います。右派・右翼系論壇紙の「SPIO」とかもう酷い有様で『派遣村は詐欺』『生活保護は甘え』『首切られたら自業自得』『今こそ軍事力増強の時期』とか、なんだかもう、この雑誌、どんな人が読んで一体どのような共感してるんだろう?と心底から不思議に思わずにはいられない様相を呈しています。「SPIO」とか読むと(こんな雑誌絶対買わないので立ち読みです)アマーティア・センさんのいう『他者への基本的な同情心』とは真逆な方向にひた走っていて、加藤周一さんの言った『熱烈な愛国者は隣人を愛さない。彼は国だけを愛する』というのは実に真実の言葉であると思いました。

僕は無年金障害者で失業していて生活困窮していて、生活保護も跳ねられて受けられず、国から見捨てられているので、生きのびるのが極めて困難な状況にあり、日本国に義理立てする必要とか、全く一欠けらも感じません。むしろ、あくまで仮定の話ですが、第二次世界大戦直後みたいにどっかの国が日本を占領して貧困層に富を再分配してくれたら、少なくとも今の状況よりは生きのびることができてその方がとても助かります。現在の日本国の超新自由主義的様相では、生存が困難です。とても辛いです。生活苦は、精神科の治療ではどうにもならないので(僕がその話すると先生も困っていますので、とても申し訳ないと思います)、本当に辛いです。

最後に「格差と貧困がわかる20講」(日本がいかに巨大な格差と巨大な貧困の国家であるか、専門の学者の先生達が客観的なデータで詳細に検証している良書です)から湯浅誠さんの文章を引用致します。

(自由資本主義の弱肉強食社会では)人生がギャンブル化してしまうわけです。(自由資本主義を放置すれば現在の世界のような弱肉強食と運不運で全てが決定される反自由的な社会化が進み、ごくほんの少数だけが勝利して大金持ちになり、その他大勢は貧困に喘ぎ、餓死してゆく)。
私としては、全体としてそういう社会(私有財産権を神格化する自由資本主義至上社会)は止めようといった方が、自分自身(社会の大勢の人々)も生き残れる確率が高いのではないかと思っています。
上を見ればキリがありません。自分の能力は高い(自分は自由資本主義社会で勝ち抜ける)と思っていても、それ以上の人は山ほどいます。だから、自分の努力が報われるとは限りません。
逆に、下を見てもキリがありません。だから、自分の下にはまだたくさん人がいると自分を慰めても、自分の暮らしは楽になりません。
全体として楽になる社会、生きやすくなる社会にしていかないと、(ごく少数のお金持ち以外)みんなボロボロになるんじゃないかと心配しています。私はそのために活動しています。(中略)

貧困問題は、見えにくいのが特徴です。たとえば、借金を作って首が回らなくなった人(多重債務者)がいると聞くと、多くの人たちは「自業自得だ」と思います。しかし、借金をする人の一番の原因は生活苦であることが、日本弁護士連合会の調査で判明しています。借金はギャンブルや奢侈品の買いすぎによって起こっているのではなく、生活が苦しいために起こっているのです。(中略)その他、犯罪や児童虐待などにも、背後に貧困の問題のあることが判明しています。

これらの問題(生活苦、借金苦、精神病、自殺、不景気、犯罪等々)の背後に貧困があるのだとしたら、解決策は貧困を解消することによってもたらされるはずです。しかし、貧困が見えないと、原因が見えていないわけだから、間違った対処法(定額給付金などの誤った方向への財政投入や制度作り)を取ってしまいます。犯罪に対する厳罰化などはいい例です。貧困を背景にしている万引きなど犯罪に対しては、厳罰化はほとんど意味を持ちません。なぜなら、いくら厳罰にしたところで、塀の外で食べていけなければ、死なない限りはそうでもしなければ生きてゆけないからです(貧困者は法を守って飢えて死ぬか、食品の万引きなどで法に違反して犯罪者になるかの瀬戸際にいる)。このように、貧困が見えない(不可視)であるによって、社会は様々な弊害を被っています。効果のない対策(犯罪厳罰化や定額給付金等)にお金がつぎ込まれ、結果として税金の無駄遣いが行われているような場合もあります。(中略)

貧困の問題は、はるか昔から存在する、非常に難しい問題です。したがって簡単に解決できる魔法の近道はありません。しかし、(現在の日本のような)貧困を生み出し、放置する社会は弱体化してゆく。これは、少子高齢化問題一つを取ってみても明らかです。自分の子供が生活苦に陥る可能性がない社会(貧困層が増大し、実質的なセーフティネットが機能していない現日本国)で、誰が進んで子を産み育てようと思うでしょうか。

だからといって、非常に難しい問題ではありますが、何もできない、何をしても無駄というわけではありません。この間、ますます多くの人たちが関心を持つことによって、状況は、少しずつですが、(一部では)改善していく傾向も見られています。日雇い派遣のグッドウィルという会社が、働く人たちから不当に天引きしていた「データ装備費」の一部を(世論の意向を受けて)返還するようになったことなどは、その一例です。そうやって、一歩一歩間違ったことを改めていくことによって、私たちの社会が少しずつですが、住みやすい社会になっていくのだと思います。

自殺者が10年連続で3万人を超えるような社会は、異常です。(日本の自殺率はG7のTOP、また、20代及び30代の若年層の死因のTOPが自殺なのもG7の中で日本のみ)。それ一つを見ても、日本が世界的にも異常に生きづらい国だということがわかります。生きづらさは一人一人のせい(自己責任)ではないのです。(統計データとして諸外国と比較しても日本社会の異常な状況が出ている)。ここまで生きづらい国に暮らしているのだから、生きづらさを感じるのは、いわば当たり前です。(苦しんでいる人々の自己責任ではなく、日本社会が諸外国と比較して超新自由主義弱肉強食国家として非常に異常な格差・貧困状況下に統計データから見て陥っている)。

問題は、それをそのままにするのか(このまま自由資本至上主義を掲げて超新自由主義弱肉強食国家を続けるのか)、それとももっと住みやすく、生きやすい社会にするためにみんなが力を合わせるのか、という点にあるのだと思います。

実際にさまざまな活動や取り組みを行うためには、膨大なエネルギーが必要だし、時間も掛かります。そんな余裕はない、という方がふつうだろうと思います。自分を犠牲にする必要は勿論ありません。しかし、こういう問題があって、それを放置してはいけない、ということは知っておいていただければと思います。
(湯浅誠。「格差と貧困がわかる20講」20講目より)

僕は上記の湯浅誠さんの言葉に心から同感です。本書はとても良書と思います。ご一読お勧めするご本です。僕自身も生活苦で自分が借金して暮らすようになるなんて考えたこともなかったので、毎日、お金返せなかったらどうしようというのがお腹に重くあって辛いので読んでいてとても共感しました。

もういい加減、アメリカすらリベラルへ方針転換しているのにも関わらず、日本の右派右翼の政治家(小泉純一郎、中川秀直、小池百合子等)や右派右翼の御用学者(東浩紀等)だけが未だに新自由主義とか自由資本至上主義とか構造改革とか規制緩和とか最小国家とか私有権のみ絶対(富の再分配否定)とか唱えていて、もう止めてほしいです。僕はこの状況(富の再分配がされない状況)だと生存できません。僕以外にも、大勢の貧困層がこのまま新自由主義・構造改革が続くと命を奪われてしまうと思います。

なんで上記の一部の政治家、小泉純一郎、中川秀直氏や自民党のフィクサー中曽根大勲位(中曽根大勲位は新自由主義です)、読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆の渡邉恒雄氏(渡辺氏は中曽根氏の親友で、新自由主義を積極的にバックアップしました)、また最小国家論を唱え新自由主義を支援する学者東浩紀氏らが『私有財産権のみが唯一不可侵絶対神聖で、富の再分配はゆえに否定される、最小国家規制緩和新自由主義を推進せよ』などと唱えているのか全然分かりません。最小国家論・新自由主義などの自由市場と私有財産権のみを絶対化する考え方は生存権を無視した不平等と階級社会・格差社会を完全に肯定する反近代・反人権の封建的右翼思想、貧しい人々の生存権を侵害する思想であり、それは反近代・反人権の弱肉強食の社会化によって大勢の人々を苦しめる思想であると思います。アメリカも欧州も諸外国はリベラルに転換しているのに、日本は、新自由主義のまま、与党自民党のままです。辛いです。

僕みたいな私有財産がマイナス(生活困窮で借金で生活している)の人間にとって、私有財産権は毎日債務状態(マイナスの私有財産権状態、他者=クレジットカード会社の所有する私有財産権へ僕の生存権が私有財産優先の市場原理に従って譲渡されている状態)ですから、私有財産権は凄く重荷です。僕だけじゃなく、貧困生活苦で借金している人々(債務者)は、債権者の私有財産権優先の市場原理により債務者の生存権が奪われている形なので、とても苦しい辛い状態だと思います。

僕は失業していて、就職先も見つからず、今生きていられるのは、ご慈悲あるお方々のギフト券とアフィリエイト収入で生活しています。本当にありがとうございます。心から毎日感謝しております。言葉にできないほど、感謝しております。本当にありがとうざいます。

僕は現在の日本国、最小国家規制緩和新自由主義の現日本国からは完全に見捨てられている存在です。自民党与党政権やその御用学者たちに貧しい人々を救う気持ちは全く無いと思います。今のアメリカのように、今の欧州各国など他の諸外国のように、新自由主義を止めて、左派リベラルへ方針転換して、累進課税を上げ、消費税を引き下げる、貧困層に食料と住居の低額配給などの左派リベラル施策を行い、貧しい人々への社会福祉に富を再分配してほしいです。今の与党自民党の右派右翼の施策、大金持ちと企業のみを優遇する右派ネオリベラルの施策がこのまま続いたら、僕は生存できません。本当に助けてほしいです。毎日、生活費のことがあって火の車なのでお腹が重くて痛いです。生活苦は本当にとても酷く毎日辛いです。社会福祉への富の再分配を重視するリベラル施策に一日も早く日本国が方針転換してほしいです。

参考作品(amazon)
格差と貧困がわかる20講
人間の安全保障 (集英社新書)
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

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河原和音「青空エール」、セルゲイ・ナカリャコフ「ノーリミット」、NHKスペシャル「うつ病治療」について。

青空エール 1 (1) (マーガレットコミックス)
ノー・リミット〜ウルトラ・スーパー・テクニック

朝起きたときから酷く喉が痛くて治らず、先日から出ていた熱が38度近くまであがっているので、今後更新滞りましたら申し訳ありません。昨日ご紹介したNHKスペシャル「うつ病治療」を視聴いたしました。精神科選びのポイントを具体的に示していたのは、とてもよかったと思います。NHKスペシャルで放映していた精神科選びのポイントをご紹介致します。こういった精神科医には掛かってはいけないという項目を示していました。以下の項目です。録画していたと思ったら、録画に失敗していて、正確な引用ができずに申し訳ありません。

09/02/22NHKスペシャル「うつ病治療」、よくない精神科医のポイント
・診察時、患者の話を聞いてくれない。
・インフォームド・コンセント(治療説明)をしない。
・薬以外の対応をしない。
・同効果の薬剤(抗うつ剤)を複数出す。
・薬をどんどん増やす。
・薬の副作用について話すと怒る。
・経歴に精神科の臨床経験がない。
・マスメディアの露出が多い精神科医にはよくない精神科医がいる

こういったことだったと僕の記憶では思います。僕は個人開業のメンタルクリニックではなく、きちんとしたある程度の歴史と規模を持つ精神病院で、ベテランの先生に掛かることが大切だと思います。僕の主治医の先生はベテランの先生で、お薬も同系統を一種類しか出さず、色々説明してくれて、話も聞いてくれて、認知療法的なことも診察時にやってくれているので、運が良かったと思います。

また、NHKで放映していた「テレビ(マスメディア)の露出が多い精神科医」は要注意というのは、僕も経験があります。テレビ(ワイドショーや民放のニュース番組)によく出ている精神科医の本を読んで酷く不安になったことがあって、心配で胸が潰れそうになって、僕の主治医の先生がお休みだったので、急患でかかって同じ病院の別の先生に診察して頂きましたら、テレビに出ている精神科医の先生は、精神科の患者さんを実際に見る診断・臨床をやっていない、別分野で医学博士号を所得していて、実際に精神科医はしていないのに精神医学の専門家を名乗っていたりしている人達がいて、センセーショナルなマスメディアに出たがる自称「精神の専門家・精神科医」を名乗る人は変わっている人が多いので、あまり気にしないでくださいと言われて、気分が楽になりました。その後、主治医の先生の受診を受けたときも同じことをお話されていました。

また、僕はうつ病で死に掛かっていて東京都医療機関電話案内サービス「ひまわり」を使って急患で掛かって病院に通い始めたのですが、そのとき、急患では掛かれない他の病院(大きな総合病院の精神科)にも予約を入れて、そちらは予約が満杯で、かなり後になってやっと受診できたのですが、今掛かっているお医者さん(僕の主治医さん)は処方も診察も適切な治療をされているので、問題ないと思いますと言われて安心しました。そのとき、ちょうど、テレビに出ているお医者さんの本のことがあった時で、大きな総合病院の偉い先生(若い精神科のお医者さんが見習い研修医として一人後ろについていました)にもお話したら、総合病院の偉い先生が、やはり、同じお話をしてくださいました。ワイドショーなどのセンセーショナルなマスメディアに出たがる専門家は精神科医の中でも特殊な目立ちたがり屋の変わった人が多いので、医学的に問題のある発言も多く、そういう人の言うことを真に受けて心配しないでくださいというお話でした。

テレビに出ている、ワイドショーなどのセンセーショナルな番組でセンセーショナルな俗受け発言をして目立ちたがる精神の専門家を名乗る人には要注意というのが、実際に多くの患者さんを診察しておられる実践臨床の精神科医の先生のお方が3人とも仰っていましたので、僕は重要だと思います。

僕の読んだテレビなどによく出ている精神科医の方が書いた本には、「うつ病は治らない」とか「精神病は犯罪の温床」みたいなことが書いてあって、とても不安になって相談したのですが、どのお医者さんもとても丁寧に説明してくださって、こう説明してくれました。

『「うつ病が治らない」というのは、確かに一部には治らない難治性うつ病がありますが、これはうつ病患者の中でも、とても割合が低い稀なケースのうつ病です。また、適切な治療によって、治らなくても症状を緩和することが可能です。
また、精神病は犯罪の温床というのは、単なるセンセーショナルな俗受けの発言や文章であり、うつ病に限らず、他の精神病も入れた精神病患者の犯罪率は、精神病ではない人の犯罪率よりも低く、センセーショナルな犯罪が起きるとマスメディアに出てきてなんでもかんでも精神病に結びつける自称「精神の専門家・精神科医」のコメンテーターは、明らかに医学的ではない偏見の意見を発していることが多く、臨床で実際に治療を行う精神医学にとって、困った存在(社会の精神病に対する偏見を増幅させ社会不安を煽りたて、精神の病を持つ患者さんを不安にし無意味に苦しめているだけの存在)なので、そういったものはなるべく気にしないようにして大丈夫ですよ』

ということを、僕の受診した先生は3人とも仰っておられました。

医療コミックの傑作「ブラックジャックによろしく」でも書かれていましたが、実践的に患者さんを治療するために働いておられる臨床の精神科医の先生のお方々と、患者の治療はせず、大学教授などをやりながら、ひたすらワイドショーなどのマスメディアに露出して何らかの事件が起きるたびにセンセーショナルな発言をしてコメンテーター料金と本で稼いでいる目立ちたがりの芸能人精神科医の人々(一例としてはワイドショー精神専門ゲストコメンテーターの人物、香山リカさん等が有名)は非常に立場が大きく乖離した存在であるようです。NHKの番組でも触れられていましたが、後者の方(精神科医という名目でワイドショー等で目立ちたがる芸能人精神科医)は実際に患者を治療する臨床の精神医学から乖離している存在であることが多いことに気をつけることは大切だと思います。

先に挙げました医療漫画の「ブラックジャックによろしく」は、凶悪な犯罪・犯罪者がでると、根拠なく犯罪と精神病と結びつけて精神病患者への偏見を拡げ、社会から隔離しようとするセンセーショナルな俗受けマスメディアと、それ(マスメディアとその御用達の自称「精神の専門家・精神科医」が垂れ流す俗受け用のデタラメな情報)に一生懸命できうる限り立ち向かう、実際に治療をしている精神科医の先生の物語が描かれていました。僕が実際に受診した先生は3人ともセンセーショナルなマスメディアが垂れ流す情報を否定して、そういうこと(センセーショナルなマスメディアとそれに結託した目立ちたがりの芸能人精神科医が精神病への偏見を拡げ、患者の不安と精神病に対する社会不安を煽っていること)に対して、否定的な見解、「ブラックジャックによろしく」の良心的な精神科医の先生と同じ見解を持っており、僕はとても安心しました。

後は精神治療は現在の日本で保険が適用される治療は投薬治療が中心なので、自分が今どのようなお薬を飲んでいるかということを常に自分でチェックすることが大切だと思います。僕はSSRIジェイゾロフトを飲んでいますが、胃腸障害と性機能障害が出ていて、性欲は無いので性機能障害は特に困らないのですが、胃腸障害は副作用についてお話して、副作用を和らげるお薬(胃腸薬・下剤)を出して頂いています。ジェイゾロフトについて調べたところ、抗うつ剤の中では副作用の少ない方ですが、その中で大きな副作用としては胃腸障害・性機能障害が起こるようです。以下、データです。

グッドマン&ギルマン 薬理学・治療学マニュアルp.283
Antidepressants: Chemical Structures, Does and Dosage Forms, and Side Effects (Continued)
抗うつ薬:化学構造、作用、処方量、副作用
Nonproprietary Name (TRADE NAME)  
(+)-Sertraline(ZOLOFT) (+)−セルトラリン(ゾロフト:日本名ジェイゾロフト)
Does and Dosage Forms
Usual Dose, 100-150mg/day
Extreme Dose, 50-200mg/day
Dosage form O
Amine Effects 5-HT
Side Effects 副作用
Agitation0 興奮0
Seizures0+ 発作0+
Sedation0 鎮静0
Hypotension0 低血圧0
Anti-cholinegic Effects0 抗コリン作用0
Gastro-intestial Effects3+ 胃腸作用3+
Weight Gain0 体重増加0
Sexual Effects3+ 性機能副作用3+
Cardiac Effects0 心臓効果0

ゾロフト(ジェイゾロフト)は胃腸作用と性機能作用に副作用が主に発現する(便秘などの胃腸障害、ED等の性機能障害等)ということがデータとして出ています。日本語の文書としては、「こころの治療薬ハンドブック」がデータ調査用に良い本と思います。胃腸障害は問題ですが、性機能障害はうつ病だと性欲がなくなるので、性機能はなくても困らないというか、ない方がすがすがしい感じが個人的にはします。勿論、これは僕が独身一人身なので性機能がなくても困らないということがあります。ただ、実感的に性的欲動がないと心の流れが穏やかな感じで、性欲が自己防衛を超えた攻撃欲・破壊欲などの欲望に繋がっているのではないかと僕は実感として考えています。後、僕の場合なので、一般的にはどうか分かりませんが、僕の場合は性欲が消えても美的感受性は残りました。美的に見事な裸体表現・性表現は他の芸術の表現と同じく美しいなと感じます。ただそれに、性的欲望を感じなくなって、より純粋に審美的に美しさのみを鑑賞するような形になります。服を着た人物像も裸体の人物像も美的な尺度のみの同じ尺度で見る感じになります。

余談ですが、岡崎二郎さんのコミック「アフター0」の中の一篇に、人類種が戦争戦乱で滅びかけているのを見かねた神様が慈悲で、人類種に『あらゆる栄養素を兼ね備えており、食べるだけで食糧補給の全てが出来、すぐに育ち、食べると心が幸せで平穏になり和やかになる美味しい果物の種』を与えて、結果、人類種は食糧問題と戦乱の問題を解決し、戦乱の中で滅びるのではなく、非常に穏やかな社会の中で温和に滅びてゆく話(温和で穏やかになったことで人類種から性欲が消えたので子孫は残らない)がありますが、この話は人類種というものの事実の一面を突いているのではないかと僕は思います。閑話休題します。

NHKの番組「うつ病治療」では精神科医は信用できないという側面が強調されすぎていたように思いますが、芸能人精神科医やNHKの番組で紹介していた悪質な精神科医とは違う、真面目な、患者さんの治療を第一に考えてくれる精神科医の先生も大勢いると僕は思います。

あと、精神治療にお金が掛かってなかなか受けられないというのはその通りで、僕は障害者自立支援法を受けているのですが、ほとんど部屋から出られず、引きこもり状態で、それで先生が心配してくださって、調子がよくて外出可能なときは出来る限りデイケアに出て、また、外出できないときは、障害者自立支援法の一割負担が適用される訪問看護(精神保健福祉士などの保険が適用される心理療法の専門家のお方が、家を直接訪問して、カウンセリングしてくださる制度)などを受けたらどうでしょうということを治療として提案してくださったのですが、これが、訪問看護は調べて頂いたら、一割でも一回の負担額が数千円かかりまして、「これは金銭的に難しいですか?」「難しいです」ということで金銭的に受けられず、毎日引きこもり状態で不安が一杯です。また、番組で流していた磁気療法、認知行動療法、脳血流検査、どれもお金がとても掛かります。イギリスは各地域に国営の心理療法センターがあってカウンセリングが無料で受けられるとのこと、またそのセンター費用は三百億円とのこと、定額給付金に二兆円超(配布コストを入れると公務員残業費の増大及びアルバイト雇い入れにより二兆数千億円)をかけるなら、医療に定額給付金の数十分の一、百億円でも回してくれたらどれだけ助かるか分かりません。

また、僕は無年金障害者なので、障害年金も受けられず、今も失業しており、現在の収入はご慈悲で命を救ってくださるお方々のギフト券とアフリィエイトのみで、銀行のキャッシュカードについているクレジットカード機能で借金して、返済して、借金してという状態で生活が火の車なので、毎日とても辛いです。なんとか生活できているのは、ギフト券を贈ってくださったお方々、アフィリエイトで買い物してくださったお方々のおかげで、心から感謝致しております。本当にありがとうございます。

就職先を探していて、全部落とされている状態で、なんとか就職できないかと「31才からのハローワーク」という、中年層向け再就職ガイドブックを読んだのですが、これに紹介されている職業が極めて重く、30過ぎてから就職できると紹介されている職業は「パチプロ(パチンコでお金を稼いで暮らす職業)」「マルチ商法勧誘員」など、一般企業に就職は無理なので、もうアンダーグラウンドな職業に就職するしかないという感じの職業紹介ブックで、読んでいて真っ暗な気持ちになりました。僕は生まれてから一度もパチンコはやったことがありませんし、元出となるお金もありません。「パチプロ」は職業として合法(法律に違反していない)なのでまだいいですが、「マルチ商法勧誘員」は法律的にグレー、最悪は真っ黒の犯罪で、このような法を踏みにじる職業には僕はたとえ死んでもつきたくありません。読んでいて、絶望的な気分になってお腹が痛くなりました。

何もかも絶望的な気分でお腹が痛いのが治らず、昨日の夜はずっとお腹が痛くて胸が重くて辛かったです。だんだんアクセス数も減ってきており、前途に絶望を感じます。猫のことが心配です。いまもにゃおーって鳴いているので、僕がいなくなったら外では生活できないと思うので、心配です。

暗いことばかり書いて申し訳ありません。皆様方の気持ちが明るくなるような、最近読んで良いなあと思ったコミックを紹介します。別冊マーガレットで掲載されている河原和音さんのコミック「青空エール」です。とっても良かったです。お勧めのコミックです。

この本は内向的で内省的で引っ込み思案で、うつむき加減な、ちょっとうつっぽいところのあるヒロインの女の子が、一生懸命音楽(吹奏楽部のトランペット)を頑張ってゆく物語で、読んで心が少し明るくなりました。とても良い作品だと思います。

この作品の良いなと思ったところは、音楽コミックの傑作には「のだめカンタービレ」「神童」など色々とありますが(両方とも優れた作品で僕の好きな作品です)、大体、こういった音楽コミックの主人公は音楽の天才なんですね。音楽の天才としての抜群の才能+努力によってスターダムを駆け上ってゆきます。だけど、この「青空エール」の女の子は、決して天才ではないんです。むしろどちらかというとそれほど才能はない子です。音楽センスはごくごく普通の女の子なんです。そんな女の子が、色々なことがありながら、周りに支えられて、一生懸命音楽を少しずつ上達させてゆくのに、とても共感が持てます。僕は天才ではないので、天才でない主人公の方が、いいなと思います。世界の頂点を目指して音楽界のスターダムを駆け上がるだけが、音楽ではないと僕は思うので、主人公にとても共感します。音楽はもっと裾野の広いもので、それをとても良い形で表現している作品だと思います。

あと、音楽の初心者がだんだん上達して行く描写がとても上手くて、ジンときました。僕もピアノをやっていたので分かるんですが(といっても僕はピアノが弾けるといってもバイエルを一冊完了したまでの初心者に毛の生えたぐらいの低いレベルです)、音楽を弾くというのは実に体育会系で『一に練習、二に練習、三四も練習で、五も練習』みたいな感じで、頭で考えるというよりは、身体に覚えこませて条件反射的に音符を見たら手が動くようにひたすら練習して身体に覚えこませます。暗譜なんかも、楽譜を一々覚えてそこから参照してピアノを弾くとタイムラグが起きるので、楽譜の記憶に頼らず、身体に演奏自体を覚えこませて弾くという形です。西部邁さんが『音楽演奏というのは体育会系のスポーツ』ということを仰っていましたが、それを聴いたとき、西部さんは音楽のことがよく分かっているなと思いました。

勿論、音楽の理論も大切ですが(まず一番最初に楽譜が読めないと意味がありません)、ただ、理論というのは後からついてくるもので、音楽演奏というのは、とにかくひたすら練習の世界、頭で覚えるのではなく、ひたすら練習して身体に動きを覚えこませるので、肉体的にハードです。まさにスポーツ(頭ではなく、身体に動きを覚えこませる)だと思います。基本的に上半身、腕と手を使って弾くピアノでも相当疲れるので(練習をやりすぎると腱鞘炎になりますのである程度のセーブも必要です)、息によって音を出す、直接的に肉体の力(肺活量)を必要とする吹奏楽は、大変にハードな体力を使うと聞いています。僕は楽器演奏はピアノだけで、トランペットはやっていないので、トランペットの詳細については分かりませんが、トランペットの初歩の初歩から初心者が始めて、だんだんと少しずつ上達する様子がとてもよく書けているのではないかと思います。

また、ヒロインの女の子や彼女を支える周囲の男女の友人達(ボーイフレンドっぽくなってゆく野球部の男の子も)、そして吹奏楽部の皆がとても魅力的に描けており、音楽は一人でやるものではないというのがよく描けています。音楽を一人でやるのは困難です。ピアノではピアノの先生がいなければ一人で独習のみで弾いて上達させることはほぼ無理だと思われますし、トランペットも同じく一人でやるのは無理な話で、吹奏楽部で教わりながらひたすら体力つけて練習して少しずつ上達していく様が、ヒロインが挫けそうになるたびに支えてくれる周囲の人々ともどもよく描けていて、基本的に出てくる人物で厳しい人はいても悪い人はいない、善意とヒューマニティと真剣に音楽に取り組むことの楽しさを描いたコミックなので、安心してゆったり読めて、読んだ後は明るくなれるとても良い作品と思います。お勧めの音楽コミックです。

青空エール 1 (1) (マーガレットコミックス)

青空エールのヒロインに敬意を表して、トランペットのお勧めの名アルバムをご紹介致します。セルゲイ・ナカリャコフ「ノーリミット」です。セルゲイ・ナカリャコフの才能が抜群に発揮されたとても優れたアルバムです。セルゲイ・ナカリャコフは、今は歳とってしまいましたが、今もダンディな、有名なトランペットの演奏者です。彼は若い頃は外見のカッコよさと天才的なトランペットの技量を持っていて(今もトランペットの天才奏者です)、ヴァイオリンの天才奏者クレーメルと同じく、クラシックからジャズまでなんでも弾きこなせる万能タイプの天才演奏者で大人気の奏者です。彼は特に十代くらいの若い音楽家の卵達にとても人気があり、「トランペットの貴公子」の異名をとっていました。特に世界的に、若い吹奏楽部の子、女の子たちに人気があり、世界中の若い吹奏楽部の子達に人気のある演奏家です。日本でもバンドジャーナルが「若くてカッコいい天才トランペット奏者あらわる!!」って特集して、吹奏楽好きの若い女の子達を魅了しました。今もダンディですが(まだ30ちょいです)、若いときは更に今風にとてもカッコよく、男の僕が見ても「この人はトランペットが見事なだけではなく外見もカッコいいことを認めざる得ないな」と感じるくらい外見もカッコよい人でして、とても人気があります。ノーリミットは僕の聴いたナカリャコフのアルバムの中で一番の名アルバムだと思います。最高にノリノリでトランペットを弾いており、実に見事としか云い様がありません。天から音楽の才能と外見のカッコよさという二物を授かったトランペットの名手です。

95年2月には(セルゲイ・ナカリャコフ、当時17歳は各国の中でも人気の高かった)日本デビューを果たした。なかでも東京での初リサイタルでは、公演終了後、女子中、高校生を中心にした1000名近いファンがサインを求めて楽屋口に長蛇の列をつくるなど熱狂的大成功を収めた。その後、全国の(主に女性ファンの)熱い要望を受け、96年4月、97年2月、97年10月と来日を重ね、全国各地で、クラシックの粋を超えた爆発的な人気を獲得している。
(セルゲイ・ナカリャコフ「ノー・リミット」ライナーノーツより)

なんといいますか、ナカリャコフの演奏は本当に素晴らしいのですが、ライブで成功するには若さと外見のカッコよさも重要だなあということを心の底から感じさせてくれるところがあります。後、彼の日本のライブですが、吹奏楽部の子は音楽に真剣で生真面目な子が多い感じで(ちょうど先に紹介した「青空エール」みたいな感じです)、ナカリャコフが来日するということで、ライブのチケットは取れなくても、吹奏楽部で練習頑張りながら一生懸命お小遣いを節約してお金をためて、地方から上京して、ナカリャコフからサインを貰った女子高生さんのお話とか、ホッと気持ちが楽になる感じの「青空エール」っぽいほのぼのとしたエピソードがあります。青空エールは北海道の高校の吹奏楽部を舞台とした物語です。

ナカリャコフは10歳でデビューし、その頃からショタコンの音楽好きお姉さんに人気があったのですが、成長するにつれて更に音楽の技量が抜群になり(1992年、15歳でワーナーのクラシック・レーベルと専属契約し、ベストセラーを連発)外見も更にカッコよくなるという、真剣な努力家かつ天の才能に恵まれており、1990年代は世界中の吹奏楽部生のアイドルでして(今も人気あります)、日本の若い吹奏楽部の女の子達にもモテまくったとても凄い演奏家です。ナカリャコフは生まれた頃からピアノを本格的に学んでおり、将来の天才ピアニストとして有望視されていたのですが、6歳の時、交通事故に遭ってハンディがあり、それまで習っていたピアノを肉体的ハンディで断念したのですが、そういったハンディの不運に負けずに、今度はトランペットを死に物狂いで頑張って練習して、音楽の道一筋で、10歳でトランペット奏者としてデビューしてその後もめきめきトランペットの名手として伸びていった、真剣に努力してきた演奏家であるところも人気です。青空エールを読んでいて、ナカリャコフのことを思い出しました。両方とも努力家で一生懸命やっています。

ノー・リミット〜ウルトラ・スーパー・テクニック
ノー・リミット〜ウルトラ・スーパー・テクニック

「ノーリミット」は僕が昔からとても好きなピアニストであるアシュケナージが指揮をしていて、そこも僕はとても気に入っています。「ノーリミット」はナカリャコフの才能が見事に発揮されたトランペットの名盤、吹奏楽部生必聴の名盤だと思います。万人の皆様方にお勧めできるトランペットのアルバムです。青空エールを読むとき、BGMにするのも良いアルバムと思います。

参考作品(amazon)
青空エール 1 (1) (マーガレットコミックス)
ノー・リミット〜ウルトラ・スーパー・テクニック
のだめカンタービレ(1)
神童 (1) (Action comics)
ブラックジャックによろしく (1) (モーニングKC (825))
アフター0―著者再編集版 (1) (ビッグコミックスオーサーズ・セレクション)
こころの治療薬ハンドブック
31歳からのハローワーク (宝島社文庫)

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にゃんにゃんにゃんの猫の日。NHKスペシャル「うつ病治療」クレンペラー「ベートーヴェン:荘厳ミサ曲」

ベートーヴェン:荘厳ミサ曲
「うつ」と「躁」の教科書

昨日から熱が出ていたんですが、熱が上がって寒くて辛く、午前中に図書館に本を返しに行った後、酷く寒気と疲労がして、風邪薬の効果もあると思うのですが、ほとんど一日中寝ていました。今日は猫の日(今日は2月22日、222=にゃんにゃんにゃんで猫の日です)なので、久々に猫にブラッシングをしました。最近寂しそうににゃ〜んにゃ〜んと鳴いていることが多いので、体調が悪くあまり相手ができなくて悲しいです。今日はNHKスペシャルで僕の病気である精神障害「うつ病」のスペシャル番組が放送されるので、はやく治す為に頑張ってみないとと思い、なんとかさきほど起きました。NHK総合で本日午後9時00分〜10時13分「うつ病治療 常識が変わる」が放映されます。本日の朝日新聞朝刊にて本番組の特集記事が掲載されておりましたので、記事の文章引用させて頂き皆様方にご紹介致します。

朝日新聞2009年2月22日朝刊
「NHK」スペシャル うつ病治療 常識が変わる」
NHK 夜9・00

恐ろしい話だ。間違った治療で症状が悪化したり長期化したりするのはうつ病に限らないが、「精神科」は大学で専門に学んでいなくても看板を掲げられるという。最低限の基準作りや専門医制度も現在整備中、と聞けば、背筋が寒くなる。
うつ病患者は百万人を超え、誰もがかかりうる「心のかぜ」とも言われる=写真。(NHKスペシャルの本番組公式サイトに掲載されている画面右一番上のうつ病の男性が顔を押さえてぐったりと倒れている写真です。公式サイトURLは以下のURLです。)
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090222.html
なのに医師の技量や診断に大きなバランスがあることが、患者の実体験から次々に明らかにされる。多くは実名で登場。「生きているのではなく、まだ死んでないだけ」。日に19錠も処方され、意識障害の副作用が生じた男性は、絶望感にさいなまれる。
診断が難しい症例の増加といった医師側の事情、新診断技術や治療法、英国の成功例も紹介される。医者選びの注意ポイントなど、どの病気も参考になる視点が多数。

上記記事に掲載されております状態、「生きているのではなく、まだ死んでないだけ」という状態が、僕は抗うつ剤SSRI投与前と投与後しばらくがこのような状態で、今も記憶能力が酷く損耗しており、頭が痴呆の状態になっていて、時々薬を飲み忘れたまま寝てしまったりするのですが、飲み忘れによってSSRIを飲み忘れるとこの状態に戻ってしまいます。僕の命を繋げているのは間違いなく抗うつ剤SSRIで、これがなかったら多分今生きのびていないので、向精神薬に命を助けられた身からすると、向精神薬と薬効生理学に基づく脳医学(精神医学)を安易に否定するような番組ではないといいなと思います。僕は現在日に胃薬や下剤を含めると処方薬を20錠飲んでいるので、日に19錠飲んでいらっしゃる患者さんよりも1錠多く飲んでいますが、必需のSSRIと抗不安剤と睡眠薬と胃腸薬と下剤以外の向精神薬は暫時減らしてゆく形です。精神薬理学は、経験主義の世界なので、ロジックに乗っ取った治療をという要求は難しいとされています。まだ脳はブラックボックスで、脳のメカニズムの多くは解明されておりません。

(脳のメカニズムの多くが解明されていない)いまのところ、精神科の処方はほとんどが経験主義に基づいておりますから。私の実感では、精神薬理学もまだ処方の絶対原理として依拠できる段階ではございません。いま話に出たうつ病をとっても、ありとあらゆる向精神薬が用いられているのが現状です(患者それぞれに薬との相性があり、どの薬が一番副作用が少なく治療に効果的か判別不能な為、処方して試すしかない)。
第一選択はもちろん抗うつ薬でしょうが、うつに伴う焦燥感、不安感を抑えるためには抗不安薬、焦燥感がきわめて強い場合や自殺年慮が強いような場合には、抗精神病薬が用いられています。また、抗躁薬の炭酸リチウムは、うつ状態にも有効なことがあります。さらに抗てんかん薬のカルバマゼピンとバルプロ酸も、やはりうつ状態に有効という報告があります。
このように精神科の薬の処方については、マニュアル的なものよりは(大勢の患者を診た経験豊かなベテラン精神科医の実践に培われた処方方法、またその処方を見習ってゆく新人精神科医がベテラン精神科医に指導を受けながら大勢の患者を診てその処方の技を継承することによる)慣用的なやり方が一般的で、教科書を読むだけでその全貌を理解することは困難でしょう。
(精神科医山登敬之。「薬のウラがわかる本」より)

精神の病(脳の病)は、風邪や外傷、骨折などの、肉体が自然修復し、その修復作業を医学がお手伝いする病気とは違い、脳のメカニズムの解明がいまだ多くが不明な為、どのようにすれば、修復・治癒するのか不明な点が多く、その点も取り上げて、公平な番組作りがされていればいいなと思います。

僕も、文章書いているときも、SSRIをきちんと服用しているときも(今現在は抗うつ薬、抗不安薬、抗精神病(統合失調症)薬、睡眠薬服用しています)、不安が酷く、今この文章書いていても不安が一杯で辛いです。自分の病を治しそうと、うつ病関係を中心に脳生理学・精神薬理学の本などを読みましたが、うつ病を完全に治す方法はどこにもありません。ある人は治り、ある人は軽くなり、ある人は重いまま、ある人は再発し、ある人は再発しないということが、同じ治療を行っていても起きる病気で、その病の解明(脳メカニズムの解明)は不明です。ドーパミンの過剰、セロトニン・ノルアドレリンの減少、特に脳内におけるセロトニンがうつ病に大きく関わっているとされていますが、詳細は不明です。僕はドーパミンのブロックとセロトニンの増加の薬物治療を行っているので、うつ病治療としては基本的なきちんとした治療を行って頂いており感謝しています。自殺なども、今治療して頂いている先生にご迷惑をお掛けするようなことはと思って、しないように心がけているので、精神障害、脳障害の病を起こしたときは、一日も早く精神科を受診することが大切だと思います。うつ病の本では「「うつ」と「躁」の教科書」がお勧めです。この本はお教え頂いた本であり、ありがとうございます。僕のような精神の病で現在投薬治療中のお方々には、「こころの治療薬ハンドブック」も薬効が詳しく書かれた良い本だと思います。

僕は、失業しているのと、お金がないのと、借金生活なのが厳しく、食生活をギフト券にて賄っているおかげで生活できており、心から感謝しております。ありがとうございます。ギフト券・アフィリエイトで命を助けてくださっているお方々に心から深くお礼を申し上げます。音楽の歴史及び理論の研究書「中世・ルネサンスの音楽」の付録にミサ通常文とその訳が載っておりますので、引用して感謝を込めてご紹介致します。クラシックのミサ曲を聴くときはぜひミサ文を頭に入れておくと、より豊かに聴くことができると僕は実感として思います。

ミサ通常文とその訳

1.Kyrie キリエ
主よ、あわれみたまえ。
キリスト、あわれみたまえ。
主よ、あわれみたまえ。

2.Gloria グロリア
天のいと高きところには神に栄光、
地には善意の人に平和あれ。

われら主をほめ、
主をたたえ、
主をおがみ、
主をあがめ、
主の大いなる栄光のゆえに
主に感謝しまつる。
神なる主、天の王、全能の父なる神よ。
主なる御ひとり子、イエズス・キリストよ。
神なる主、神の子羊、父の御子よ。

世の罪を除きたもう主よ、
われらをあわれみたまえ。
世の罪を除きたもう主よ。
われらの願いを聞き入れたまえ。
父の右に座したもう主よ、
われらをあわれみたまえ。
主のみ聖なり、
主のみ王なり、
主のみいと高し、イエズス・キリストよ。
聖霊とともに、
父なる神の栄光のうちに。
アーメン。

3.Credo クレド
われは信ず、唯一の神、
全能の父、天と地、
見ゆるもの、見えざるものすべての造り主を。
またわれは信ず、唯一の主、
神の御ひとり子イエズス・キリストを。
また主はよろず世のさきに、
父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、
まことの神よりのまことの神
造られずして生まれ、父と一体なり、
すべては主によりて造られたり。
主はわれら人類のため、またわれらの
救いのために、天よりくだり、
聖霊によりて、乙女マリアより御体を
受け、人となりたまえり。
ポンシオ・ピラトのもとにて、われらのために
十字架につけられ
苦しみを受け、葬りたまえり。
聖書にありしごとく、三日目によみがえり、
天に昇りて、父の右に座したもう。
主は栄光のうちにふたたび来たり、
生ける人と死せる人とを裁きたもう、
主の国は終わることなし。
われは信ず、主なる聖霊、生命の与え主を、
聖霊は父と子よりいで、
父と子とともに拝みあがめられ、
また預言者によりて語りたまえり。

われは一・聖・公・使徒継承の
教会を信じ、
罪のゆるしのためなる唯一の洗礼を認め、

死者のよみがえりと、
来世の生命を待ち望む。
アーメン。
(皆川達夫「中世・ルネサンスの音楽」)

ミサ文はヒューマニズムの根底にあることを感じます。クラシックのミサ曲を聴くときは、ぜひ、歌われているミサ文の内容も頭に入れて聴いて頂けると、より豊かに聴くことができると思います。クレンペラー指揮のベートーヴェンの荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)などは、うつで苦しくて寝ながら聴いていて、その苦しみを和らげ、超越的な天上への昇り道を開くように感じさせてくれるミサ曲の名曲です。派手さはありませんが、心が安らかに落ちつく素晴らしい演奏であると思います。

ベートーヴェン:荘厳ミサ曲
ベートーヴェン:荘厳ミサ曲

amazonのレビュアーの方が「クレンペラーの残した録音の中でも最高の作品といっていい。」と書かれておられること、僕も心から同感に思います。クレンペラーは宗教音楽の指揮者の最高峰のお方ですが、さらにその中でも素晴らしい指揮・演奏であり、心が安らぎます。苦しみを和らげる音楽だと思います。心からお勧め致します。

天のいと高きところには神に栄光、
地には善意の人に平和あれ。

参考作品(amazon)
ベートーヴェン:荘厳ミサ曲
中世・ルネサンスの音楽 (講談社学術文庫)
バロック音楽 (講談社学術文庫)
「うつ」と「躁」の教科書
こころの治療薬ハンドブック
薬のウラがわかる本
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言辞典

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フルトヴェングラー「ベートーヴェン:交響曲第三番《英雄》」フルトヴェングラーのマイ・ベスト・アルバムです。文化と言語。アラヴィンド・アディガ「グローバリズム出づる処の殺人者より」

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
グローバリズム出づる処の殺人者より

先日より、頭がとてもクラクラして、向精神薬の影響と思っていたのですが、昨日、酷い寒さと身体のだるさを感じて、熱が図ったら37度少しあったので、風邪みたいです。風邪で頭がクラクラしていたのかも知れないので、申し訳ありません。風邪薬、以前出してもらったPL錠があるのですが、これ含めて、一日に数えてみたら朝昼夜寝る前で20錠飲んでいるので、大丈夫なのか心配になってきました。うつ病治療の初期からSSRIで胃腸の調子がおかしく、それを押さえるための胃腸薬と下剤を飲んでおりますので、全部が全部、向精神薬ではないです。あと、SSRIは飲まないと生存が不可能(今も飲み忘れるとひどい状態になり何もできなくなります)なので、副作用として胃腸の調子がおかしくなる及び食欲、性欲などの睡眠欲以外の欲望減退(SSRIは飲むと眠くなるので、睡眠欲は増幅する感じです)、性機能障害がありますが、それでも、とても大切なお薬です。薬の話ばかりながながと書いてしまい申し訳ありません。音楽の話をしようと思います。後、言語と小説の話をしようと思います。

頭がぼんやりするなか、先日「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」を読了しました。本書においてベルリン・フィルの団員のお方々の証言が、フルトヴェングラーの音楽スタイル(フルトヴェングラーはレコード化・アルバム化の為のセッション録音演奏よりライブ演奏を重視する、カラヤンはレコード化・アルバム化して録音を残すセッション録音演奏を重視する)の方に親近感を覚えているような感じでした。僕としては逆に、ライブに行った人しか分からない音楽よりも、アルバムで聴く音楽の方が身近なので、団員のお方々とは逆にカラヤンの音楽スタイルの方に親近感を覚えるので、その点については、ベルリン・フィルの演奏をライブで聴きにゆくことのできない極東の島国の貧乏人の僕と、ベルリン・フィルの演奏家のお方々では、感覚に違いがあるのだなあと読んでいて思いました。

ライブの一期一会を大切にするということは、幸運にもそのライブに参加できるお方々のみに得られる特権であるので、僕としては、万人に開かれたセッション録音演奏もカラヤンのように大切にしてもらえると、多くの人々、世界中の人々に演奏が伝わり、その方が、僕としては嬉しいことだなあと思いました。

それと、ライブ演奏にしか一期一会がないというのは誤りだと僕は思います。僕は、始めて音楽アルバムを聴くときは、その音楽アルバムに集中できる姿勢で、眼を瞑って、全身全霊を込めて聴いています。それで、音楽アルバムの中に、まさに一期一会、これは素晴らしいアルバム、真剣に何度でも聴く価値のアルバムだと感じましたら、その演奏の記録をノートにメモしています。逆に、特に一期一会を感じないアルバムであれば、特に何度も聴きかえすということはありません。

僕がフルトヴェングラーの演奏で、一期一会、演奏家と聴き手(僕自身)が全力で対峙していると感じられ、胸が一杯になるような感動を覚えたのは、フルトヴェングラーのライブ録音演奏ではなく、セッション録音演奏です。1952に録音されたフルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第三番《英雄》です。始めて聴いたとき言葉に尽くせぬ感動し、胸が一杯になり、何度聴いても、素晴らしいという感嘆のみが溢れ出る、フルトヴェングラーの最高のアルバムだと思います。僕にとってフルトヴェングラーのマイ・ベスト・アルバムです。一期一会はセッション録音演奏の中にもあるということを、フルトヴェングラー自身がひしひしと聴き手に感じさせてくれる、音楽史上に残る名アルバムと僕は思います。

以下、本CD(フルトヴェングラー「ベートーヴェン:交響曲第三番《英雄》」1952セッション録音演奏)のライナーノーツより引用致します。

フルトヴェングラーによるベートーヴェンの《英雄》交響曲の録音は、ライブ録音を含めると現在10種類以上が知られているが、レコードのためにセッションを組んで録音されたものはたった2種類しか存在しない。そのひとつは1947年にフルトヴェングラーが戦後初めてウィーン・フィルを振って録音したもので、こちらも名盤として知られているが、残るひとつが1952年に同じくウィーン・フィルを指揮して録音したこのCDに収められた演奏である。

フルトヴェングラーが死の2年前に、ウィーンの楽友協会大ホールで録音したこの《英雄》はゆっくりしたテンポによる非常にスケールの大きな演奏で、セッション録音にもかかわらずライブを思わせるような緊張感に満ち溢れている。それはウィーン・フィルが全力でフルトヴェングラーの要求に応えているからで、オーケストラにフルトヴェングラーの魂が乗り移ったかのような錯覚を聴き手にもかんじさせるほどである。

セッション録音ゆえに演奏の完成度、録音状態もフルトヴェングラーの《英雄》の中では最もよい。フルトヴェングラーの《英雄》への最終回答となったこの演奏は、この世紀的巨匠の最高の《英雄》と言ってよいだろう。いや、それだけではない。数あまたある古今の《英雄》の名演の中でもひときわ高くそびえ立つ、極めつけの名盤と言っても過言ではないだろう。
(音楽評論家高木正幸。(フルトヴェングラー「ベートーヴェン:交響曲第三番《英雄》」1952セッション録音演奏盤ライナーノーツより)

僕は上記の文章に完全に同意致します。このアルバムはフルトヴェングラーの演奏したベートーヴェンの交響曲第三番の最高峰であり、なおかつ現存する全てのベートーヴェン交響曲第三番の演奏の中で、最高峰に位置する現在における極限的な名演奏であると僕は思います。少なくとも、21世紀中にこの演奏を超える交響曲第三番は出てこないのではないかと思うほど、数百年に一度レベルの名演奏であると思います。万人の皆様方にお勧めできる名盤だと僕は心から思います。セッション演奏録音のなかに、一期一会はあるということを音楽を通して伝えてくれる素晴らしい名盤と思います。

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

話は変わりますが、世界中で多数の言語が滅び、また滅びの危機に瀕する中、日本で幾つもの言語が危機に瀕しているそうで、危機に瀕している言語は絶対にあらゆる努力をして守った方がいいです。言語というのは根本文化であり、その文化に属する人の思考をその人自身の制御を超えたところで定義するものであり、言語が失われるというのは、根本文化の絶滅に等しいこと、悲しむべきことです。例えば、僕は日本の東京で生まれ育ち、東京弁及び標準日本語(主にテレビで使われる言語です)で思考が定義されています。それは僕の意識的な制御を超えたところにあります。僕の外国語語学力は低い(広く浅くという感じで、英語、ロシア語、中国語が少しだけできます)ので、その他の言語を基底として思考することはできません。英語、ロシア語、中国語などの原書を読むときは頭の中で外国語を日本語に変換して読みます。原書のまますらすら読むことは僕はできません。だから読むのにとても時間が掛かります。

余談ですが、僕はブッカー賞受賞作が好きで、ブッカー賞受賞作の方が、ノーベル文学賞受賞作よりも娯楽性に富み、なおかつ文学としてもより優れていると思うのですが、ノーベル文学賞受賞作は日本語に邦訳されますが、ブッカー賞受賞作は邦訳されないことが多いので、邦訳されていない場合は原書(英語以外の言語で書かれていた場合は英訳書)で読むしかありません。2008年度のブッカー賞受賞作「THe White Tiger」を頑張って原書で読んでいたら、あっという間に先月(2009年1月)、邦訳版(題名「グローバリズム出づる処の殺人者より」アラヴィンド・アディガ著)が出て、原書じゃなくて邦訳版で先に読了してしまいました。僕はお金ないので、原書も邦訳も本読むときは図書館です。なんとも、こんなはやく邦訳が出るなら、原書で読む必要がなかったです。原書で読むと邦訳の百倍以上読むのに時間が掛かるので、図書館の返却期限もあってなかなか読みきれません。この小説はエンタテイメントとして抜群に面白く、心からお勧め致します。下記の文章(冒頭)に引かれるものを感じられるお方は、きっと楽しめる、小説の大傑作だと思います。ブッカー賞受賞作の中でも娯楽性が抜群に富んでいる、エンタテイメント小説として最高に面白い小説です。小説の冒頭の数ページを引用致します。小説の一番初めの出だしからです。

アラヴィンド・アディガ「グローバリズム出づる処の殺人者より」

初日の夜

自由を愛する国、中国の首都
北京
首相官邸内
温家宝閣下机下

インド
バンガロール
エレクトロニクス・シティ・フェイズ1(ホスール・メイン・ロードからすぐ)
世界のテクノロジーとアウトソーシングの中心に住む
企業家にして思想家
ホワイト・タイガー拝

拝啓、首相殿
首相殿もわたしも英語を話しませんが、世の中には英語でしか言えないこともあります。
そのひとつをわたしは、雇い主だった故アショク様の元奥様、ピンキー奥様に教わりました。
で、きょうの午後十一時三十二分、いまから十分ほど前ですが、国営ラジオで「中国の温首相が、来週バンガロールを訪れます」というニュースを聞いたとたん、それを口にしました。
というより、あなたみたいなえらい人がこの国にやってくるたびに、それを口にしています。
別にえらい人に反感をいだいているわけではありません。わたしも自分なりにあなたがたの仲間だと思っていますから。
でも、この国の首相が名高い取り巻き連中とともに黒塗りの乗用車で空港に乗りつけて、テレビカメラの前であなたみたいな人にナマステをしてみせ、インドがどれほど精神的で高貴な国かを語ると、わたしはその英語を口にせずにはいられなくなるんです。(中略)

十四平米の部屋にシャンデリアがついているなんて、バンガロールでここだけです!
とはいっても、やはりせまくるしいし、ここでわたしは夜通しおきていなくてはなりません。
起業家の宿命です。つねに事業を見守っていなければならないのです。
さて、扇風機のスイッチを入れて、シャンデリアの光を部屋に撒き散らすとしましょう。
わたしは楽にしますから、あなた(首相)もそうしてください。
では、始めましょう。

その前にひとつ。わたしの雇い主だった故アショク様の元奥様、ピンキー奥様に教わったその英語というのは――

ホワット・ファッキング・ジョーク、です。

冒頭からこんな感じです。ちなみに「ホワット・ファッキング・ジョーク」の意味は、意訳するのがかなり難しいのですが、「超クソッタレ過ぎて笑える」を千倍ぐらい下品にして性的な要素を混ぜたようなニュアンスと考えてよろしいかと思います。僕はここで大いに笑ってしまいました。非常にシニカルでブラックなユーモアに富んだ小説(日本の作家に例えると筒井康隆のブラックユーモアに近い鋭い切れ味があります、小説全編が物凄いエネルギーに満ちていて飛ばしまくりです)であり、ユニークかつ直接的な形でインドの在り方や国際社会の在り方の批判、グローバル経済化の批判にもなっています。インドに抱いているイメージが一変する大傑作だと思います。ブッカー賞に選ばれましたが、ブラックユーモアに満ち溢れているのでどう考えてもノーベル文学賞は無理な作品です。それは政治的な問題です。

本作は文学作品としての質自体は僕はノーベル賞級を凌駕していると思いますが、作品内でインドに対する辛らつな皮肉風刺が一杯で、中国にも「自由を愛する国」とかしょっぱなから皮肉風刺をばんばん飛ばしていますので、強力な権力を持つ諸外国間の政治権力ロビー闘争によって受賞が決定するノーベル文学賞の受賞はどう考えても無理な作品です。逆に言えば、政治的にあたりさわりのないノーベル賞受賞作と違い、とても面白く素敵な文学作品、僕の大好きなタイプの文学作品です。作者のアラヴィンド・アディガさんは物凄くレジスタンスの意志、抵抗意志というものを持っているインドの作家さんで、娯楽小説としても抜群に面白い大傑作です。僕としては皆様方にご一読をぜひお勧め致します。インドに抱いていたイメージが変わると思います。

グローバリズム出づる処の殺人者より
グローバリズム出づる処の殺人者より

閑話休題して話を戻しますと、上記の小説でも取り上げられていますが、言語は文化の根底にあります。強力な支配力のある文化が他の文化を根底から滅ぼすという弱肉強食の闘争的事態が起き、それが支配力のある文化が勝利するというとき、滅ぼされた文化の言語は消えてしまうのです。言語は思考を定義し、文化の根底にあるということは、よく考えられるべきことだと思います。僕は、言語は多様性を尊重して絶対に守るべき重要な存在であると思います。

言語が思考を定義することについては、長らく絶版だった重要文献、I・イリイチ、B・サンダース「ABC―民衆の知性のアルファベット化」が岩波モダンクラシックスで再刊されましたので、言語が思考を定義することについて専門的なご興味がおありのお方には、ご一読をお勧め致します。

最後に、生活が困窮おさまらず、そんななか、ギフト券・アフィリエイトでお助けくださったお方々に心から感謝致します。今も借金状態(クレジットで実質の財産がマイナス状態)で非常に厳しい状態なのですが、なんとか生きのびられていることを、皆様方に心から感謝致します。本当にありがとうございます。命を助けてくださっていること、深く心から感謝致します。ありがとうございます。

参考作品(amazon)
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
グローバリズム出づる処の殺人者より
証言・フルトヴェングラーかカラヤンか (新潮選書)
ABC―民衆の知性のアルファベット化 (岩波モダンクラシックス)

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日中寝ていて夜眠れないです。悲しい暗い気持ちです。クレメラータ・バルティカ「ヴァスクス:遠き光・声」

ヴァスクス:遠き光・声
静かなる決闘 [DVD]

先日より心痛が辛く、眠れず、うつ病治療の抗うつ剤・抗不安剤・睡眠薬とは別にお薬(レボトミンその他)を出して頂いているんですが、僕の身体には効き過ぎるお薬みたいで、日中の眠気が抑えられず、日中どうしても寝てしまい、夜眠れません。夜起きていると暗い気持ちになります。今日は、NHKの衛星放送で黒澤明監督の病者に対する差別問題と病者の苦悩を描いた見事な名作「静かなる決闘」が深夜放映していたので、ぼんやり見ていました。以前ならシナリオが頭に入ってきたのですが、頭がふらついて、ぼんやりとしか世界が見えません。

とても、悲しい気持ちです。感情が戻ってきた形でとても悲しいです。とても暗い気持ちで、辛く、僕の好きなヴァイオリニストクレーメルが、バルト三国の音楽家の人々と共に結成したクレメラータ・バルティカの代表的な作品の一つ「ヴァスクス:遠き光・声」(原題名「Vasks: Distant Light / Voices」)を聴いていました。本アルバムはクレーメルの演奏の中で最も悲しいアルバムであると思います。残念ながら日本盤・海外盤とも絶盤のようです。暗い現代音楽は、一般受けしないのかなと思います。とても悲しいときに明るい音楽を聴くことはできないので、この音楽を聴くことで、悲しい音楽が、僅かでも、気持ちを少しだけ悲しみにむき合わせてくれます。

本CDのライナーノーツにクリストフ・シューレンのヴァスクスについての文章と、ラトヴィアの作曲家ヴァスクス自身が声・遠き光について思いを語った文章が掲載されているので引用してご紹介致します。

クリストフ・シュレーレン
「ペーテリス・ヴァスクスについて」

バルト三国の国民はソビエトの圧制に苦しめられていたが、ラトヴィア、エストニア、リトアニアの国民は、自由と民族としてのアイデンティティ、言語、文化を求め、それは強い力(レジスタンス、抵抗)となって三国の独立が導かれた。ラトヴィアの作曲家「ペーテリス・ヴァスクス」の音楽には、ラトヴィアの国民ならば誰もが持っている感情や自由への意志が写しだされている。しかし、ヴァスクスの音楽に込められたメッセージは普遍的なもの(人間の絶望と希望)である。

ヴァスクスの音楽で扱われるものは、ほとんどいつも「原型」の衝突である。一方には、人間的なもの、素朴なもの、儚くも美しいものが存在する。それらはラトヴィアの民謡を思わせる素朴な旋律や、(静かで優しい)内向的な和声に象徴されている。その一方で、粗野なもの、攻撃的なもの、破壊的なものが存在する。それは荒々しく断片的に現れる響き(優しさを荒々しく引き裂き胸を打つ響き)や、アレアトリーの技法で書かれた(不安感をかきたてる)カオス的な響きの増殖に聞かれ、そこではどの声部ももはや共通の秩序に従うことはない。

ヴァスクスは運命論に屈したペシミストではない。だからカオスが勝利を占めることはない。(ヴァスクスの音楽はいつも静けさを湛えていて、静かに終わる。)しかし、世間離れした楽天家ともいえない。だからヴァスクスの作品は、ほとんどいつも「遠き光」のように、あるいはグルジアの作曲家、ギヤ・カンチェリの作品のタイトルを借りるならば、「明るい悲しみ」のように終わってゆく。打撃に打ち勝った愛の勝利。(傷ついたものを表現するヴァスクスの音楽は)柔らかで静かなものだ。(常に深い悲しみが湛えられている。)ヴァスクスの作品にはいつも鳥の声が現れる。それは純真さと自由を象徴するかのようだ。(交響曲「声」では「命の声」の役割をも果たしている)。ヴァスクスはあるとき「音による説教者(宗教者)」と呼ばれたことがある。

ペーテリス・ヴァスクスは1946年、ラトヴィアのアイズプーテに生まれた。宗教を禁じたソビエト政権下にあって、バプティスト派の聖職者の息子として生まれたヴァスクスは、生まれながらにして「国家の敵」だった。(聖職者の子ということで様々な差別を受け、音楽も学ばせてもらえず)ヴァスクスはほとんど独学で作曲を学んだ。(中略)

ヴァスクスは(弾圧された人々の為に)「リテネ」や「ゼンガレ」のような極めて先鋭的な合唱曲を作曲した。これらの作品は悲劇的で激しい表現力に満ち、ラトヴィア国民が受けた深い傷に真正面から取り組んだものである。
(クレーメル「ヴァスクス:遠き光・声」ライナーノーツより)

次にヴァスクス自身の言葉を引用してご紹介致します。

ペーテリス・ヴァスクス
「《声》と《遠き光》について」

弦楽のための交響曲《声》は1991年に完成した。それは末期症状にあったソビエト帝国の弾圧と、バルト三国の国民による(バルト三国の人々の文化・生活も全て含めた)徒手空拳の抵抗のさなかだった。(バルト三国のレジスタンスを軍事制圧する)戦車、流血、ラトヴィアとリトアニアにおける(ソ連邦の弾圧で命を奪われた)犠牲者。忘れたがいバリケードの日々。1991年6月14日に私はスコアを書き終えた。その日、バルト三国ではいたるところで半旗が翻っていた。

ちょうど五十年前の1964年6月14日、ソビエト支配下における最初の大量国外追放措置が生じた。女子供を含むバルト三国の国民数十万人が、(ソ連邦の支配に逆らう抵抗勢力として)窓に格子をはめられた貨車に乗せられてシベリアの強制収容所に運ばれた。それは死を意味した。(シベリアでの強制労働を行う強制収容所の囚人の余命平均は五年以下、脱出は不可能であり、実質的な大量処刑。)

《声》は1991年9月8日、ユハ・カンガス指揮のオストロボスニア室内オーケストラによってフィンランドで初演された。まさにその初演の日、バルト三国の国旗がフィンランドのあらゆる新聞の第一面を飾り立てた。ソビエト連邦はとうとう三国の独立を認めたのだ。

私の交響曲(ヴァスクスの代表作である「声」)は三つの部分から成っている。

第一部《沈黙の声》
無限に広がる星空に耳を傾ける。弦楽器による永遠の静けさのコラール。止むことのない時の流れにいくらか悲しみを感じる。従うべきものへの序曲。

第二部《命の声》
雄大な音楽によって目覚めつつある造物主《大自然》を描く試み。鳥の声。美の象徴としての、存在の象徴としての鳥たち。太陽が昇り、たぶんひとりの子供が生まれる。祝福――ただし短調で。それ(子供が生まれることを手放しで喜ぶ音楽は作れないこと)は私の個人的な性格的特徴なのだろうか、それとも、(ソ連邦に支配され秘密警察と密告と処刑が支配する中で50年間ものあいだ生活し)自由というものをほとんど知らなかった私たちラトヴィア国民に本質的な特徴なのだろうか。

第三部《良き良心の声》
現実への回帰。私たちは20世紀末を生きている。差し迫る環境破壊。戦車、巡航ミサイル(ソ連邦崩壊後もアメリカの湾岸戦争等、圧倒的軍事力で人々を抑圧する諸国の批判)、圧政にあえぐ人々の存在。聴き手にも私にも、私たちすべてに直接関わる問題だ。音楽は暗くなる。全滅のヴィジョン。

ここで再び《沈黙の声》のコラールが鳴り響く。それはたぶんずっと鳴り続けていたのかもしれない。慰めと問いかけ。星に満ち満ちた空が私たちの上に大きく広がり、それと対位法をなすものとして心臓の鼓動の響きを表す低音楽器が聞かれる。
(クレーメル「ヴァスクス:遠き光・声」ライナーノーツより)

とてもよいアルバムだと思うのですが、海外盤も日本盤も絶盤というのは、悲しいです。僕は、世界は悲しいものだと思います、そしてその悲しいことを真剣に考えることが大切なことだと思います。ヴァスクスの音楽はとても静かに悲しく、それはとても意味のあることだと思います。

あと、「ヴァスクス:遠き光・声」は残念ながら絶盤ですが、以前ご紹介したヴァスクスの曲も演奏されている僕のベストアルバム「わが故郷からーバルトの音楽」は、日本盤は絶盤ですが、海外盤(原題「From My Home」)は絶盤になっておらず、きちんと売っていました。良い音楽CDが絶盤にならずに売っているのは良いことだと思います。以下のエントリと以下のリンクです。

バルト三国と今後の日本。僕のベストアルバム「わが故郷から−バルトの音楽」静謐な美の響き。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/685715.html


From My Home
From My Home

また、アートと政治についてお考えになるお方々にお勧めのアルバムは、クレーメルがシュトニケの音楽を演奏した「Kremer Plays Schnittke」をお勧め致します。音楽アルバムとしても良い作品であり、人々の生命を蔑ろにする体制と戦うアートということを、深く考えさせてくれます。amazonのベスト10レビュアーのvoodootalkさんがこう書かれています。

「自らの音楽を通したシュニトケ(シュトニケはソ連邦から弾圧されました)を演奏する意思というもの自体が旧ソ連のアーティストには大変なことだったのだ。そういうことを頭においてこのアルバムを聴くとやはり違う。」

僕も心から同感に思います。人々の生命を蔑ろにする政治権力と戦うアートは、その背景と共に生命の価値を信ずるという普遍性を持っていて、その要素があってアートとして完成していると僕は音楽を聴いていて深く感じます。アートには背景があります。その背景を思いながらアートが鑑賞されてほしいと僕は願います。

Kremer Plays Schnittke
Kremer Plays Schnittke

現在の世界の体制が人々の生命を蔑ろにするものである以上、いつまでも、世界の未完性さ、悲劇を訴え続けるヴァスクスやシュトニケの音楽はずっと永遠に悲劇的で未完成であり、そこにこそ、永遠の絶望のなかの最後の希望が永遠にあるのだと思います。

最後に、とても僕の生活は困窮しており、もしよろしければ、ギフト券やアフィリエイトでお助けしてくださるお方がいらっしゃれば、僕は心から感謝致します。最後の文章がこのような文章になり、誠に申し訳ありません。ごめんなさい。心がとても落ち込み、お腹の痛みが辛く、食欲もなく(レボトミンは食欲を増加させる副作用があるようですが、僕の場合それは全く当てはまらないようで、食事が喉を通りません)、とても疲れており、今後更新が滞りましたら申し訳ありません。

参考作品(amazon)
ヴァスクス:遠き光・声
From My Home
Kremer Plays Schnittke
静かなる決闘 [DVD]

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