2009年01月

2009年01月14日 19:25

フルトヴェングラー指揮 ベートーヴェン:交響曲全集
シューマン:交響曲第4番

非常に体調が悪く、風邪を引いたみたいで、昨日より症状が変わらず、治るまで、文章があまり書けそうになく、申し訳ありません。

体調悪く、ほとんど何もできず、音楽を聴いていました。僕はうつ病になる前は、総合的に、カラヤンのタクトがオーケストラ指揮者として一番好きだったのですが、うつ病になってから、少しずつ、それがフルトヴェングラーにうつってきたところがあって、フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲全集を聴いていました。僕の持っているのは昔買った海外盤ですが、今は僕が買った海外盤より安く昨年末に日本盤が出ているようです。

古い演奏なので、録音技術の問題などもあり、近年の録音演奏に比べるとどうしても全体的に地味ですが、その地味さをクリアしてあまりある、とても雄大かつ精力的にオーケストラを指揮していて、胸の奥にずしっとくるものを感じる演奏を、1940年代〜1950年代のフルトヴェングラーはしていて、カラヤンとはまた違った渋みがあって、とても心に響く名演奏、歴史に残るオーケストラ演奏であると僕は感じました。お勧めのアルバムです。ここにはベートーヴェン演奏の一つの極点があると僕は思います。

後、フルトヴェングラーは、シューマンの交響曲第四番が、驚くべき比類なき指揮をしていて、BPO(ベルリン・フィル)が全力稼動という感じで、1953年スタジオ録音の物凄い盤があるので、よろしければぜひそちらも、ご機会ございましたらご試聴をお勧め致します。とてもモノラルとは思えない強烈なインパクトを受けました。とても凄い演奏です。ご機会あれば、もっと音楽について詳しく書きたいのですが、背中が痛いのが限界で、これ以上書けず、申し訳ありません。

皆様方の御心身の平安と幸福を、心から祈っております。

Pet Shop Boys
「It's Alright」

アフガニスタンに命令が下った
南アフリカでは革命家が血を流している
苦境に立たされるユーラシアの人々
平和な世界になりますように
音楽が永遠に流れつづめますように

絶望的な速度で滅びていく森林
地球は瀕死で砂漠がとって代わろうとしている
抑圧された人々は餓死寸前

平和な世界になりますように
なぜって、音楽は永遠に流れつづける
いつまでも いつまでも いつまでも…
平和な世界になりますように
いつまでも いつまでも いつまでも…
そして音楽は永遠に流れ続ける
Alright Alright…
(「IN DEPTH」収録より。「Introspective」にも収録)

世界に平和があり、人々の生活に平穏があることを祈ります。

エドモン・ジャべス
「お前は何を……」

――お前は何を想っているのだ?
――地を。
――だがお前は地の上にいる。
――私は、私がやがて辿りつくであろう地を想っているのです。
――私達は顔見合わせ向き合っている。そして私達の足は地を踏んでいる。
――私は道の石しか知らない、地へ導き連れてゆくという石しか。
(「フランス詩体系」より)

参考作品(amazon)
フルトヴェングラー指揮 ベートーヴェン:交響曲全集
シューマン:交響曲第4番
Introspective
フランス詩大系

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2009年01月13日 21:52

ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集(全16曲)

昨日更新できずごめんなさい。先日より熱がでて、咳がとまらず、身体の節々が痛み、非常に辛い状態で、どうしても、何も書く事ができず、更新をお休みしてしまいました。申し訳ありません。ごめんなさい。

今年に入ってから、アクセス数も減り、昨日更新できなかった為、更にアクセス数が減少し、アフィリエイトが昨年度の月よりも減少し、今後どうやって生計を立てていくかとても辛い状況です。心痛が酷く、臥せっていることが多いです。

猫も、僕の調子が悪いからか、トイレの世話とかしていて、僕の飼っている猫は、猫トイレ以外のところで、トイレしたことがないんですが、猫トイレ以外のところでトイレしていて、猫トイレにも糞が入っていたので、猫トイレが使用済みだから他のところでしたのかなと、それとも身体の具合が悪いのかなと、心配になりました。様子は元気みたいで安心なのですが、いつも不安がいつも胸から離れない状態です。

今現在も調子が悪くてあまり文章を書けそうになく申し訳ありません。僕の好きなアルバムを紹介します。セル指揮のドヴォルザークスラヴ舞曲集全曲です。僕はここに収められているスラヴ舞曲がどれもとても好きなのですが、なかでも、スラヴ舞曲作品72第一番(これはとても有名な曲なので、皆さんもどこかでお耳にされたことがあるかも知れません)と、第五番(構成がとても変わっていて面白いです)、第八番(緩やかで綺麗な曲です)が好きです。僕のとても好きなアルバムで、皆様にご紹介できて幸いです。

アフィリエイト減り生活苦しく、もしお買い物の御用などございましたらお買い物してくださるととても感謝致します。最後がこのような文章になりごめんなさい。

参考作品(amazon)
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集(全16曲)
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集(全16曲)

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2009年01月11日 11:02

メンデルスゾーン:交響曲全集

先よりとても体調が悪く、睡眠がほとんど取れない状態で、終日床に伏せっている状態が続いています。更新しないと、収入を失ってしまうので、頑張っていますが、疲労困憊で、あまり文章が書けず、申し訳ございません。身体中が痛く、あまり椅子にすわっていることができず、PCの前にいられない状態です。申し訳ございません。

停戦拒否、世論が後押し=9割超がガザ軍事作戦支持−「壊滅」に恐怖・イスラエル
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&rel=j7&k=2009011000186
9日付のイスラエル紙マーリブが掲載した世論調査結果によると、ハマスに対する軍事作戦について、ユダヤ人市民の91.4%が賛成。反対はわずか3.8%だった。この極端な世論動向は、2月10日に総選挙を控えるイスラエルの政治家にとって、8日に採択された同決議より圧倒的な重みを持つ。

民意というのは、民主主義国家の主権の本質を為すものであり、こういった世論調査がでるということは、僕はとても残念です。ガザ地区の民間人150万人を「自衛の為の攻撃」の目的で今後、どうするのかと思うと心痛が酷いです。

ユダヤ人の人々は世界で活躍する優秀な人材数多く、教養深いユダヤ人イスラエル国籍の人々、普通にインターネットとかやって、国際世論なども見ているでしょう人々から、どうしてこういう結果がでてしまうのかと思うと、悲しいです。

教養は人間性を育むといわれ、メンデルスゾーンなんかはその代表格として、とても優れたユダヤ人の音楽家ですが、群集心理になると、個々人の教養による判断というのは、ル・ボンがいうように、影響力をもてないのかなと思い、とても暗澹とした気持ちです。

メンデルスゾーンの交響曲とか、僕はとても好きなので(カラヤンのメンデルスゾーン交響曲全集持っています)、今起きている事態がとても悲しいです。

モーツァルトを別格として、メンデルスゾーンほどにうまれながらの天分をそなえていた指揮者は古今いなかった。その富裕な家庭の環境は、高い精神的雰囲気と理想的な均衡を保っていたが、それもめったにあることではないだろう。こうして育った彼が、音楽家としてのあらゆる分野に精通していたのは、なかば当然のこととして、メンデルスゾーンはヨーロッパ最高の知識層との交流や広範な読書から得られた深い教養の持ち主であり、詩、哲学、絵画にも秀でた才能を発揮できた人であったのだ。(中略)

第三交響曲で用いられたスコットランドの音階や民謡的素材は、メンデルスゾーンのロマンテイックな精神の表現に独創的な性格を与えることになった。霧深い地方の情緒は、随所に使われた掛留音や優秀の気分によって、みごとな音の風景画として定着している。
(メンデルスゾーン交響曲全集ライナーノーツより)

メンデルスゾーン交響曲第三番「スコットランド」とか、自身が一面の凍った雪の上に立っているような心持になれる、暗い憂うつのある静謐な名曲で、僕がうつ病になる前から好きな曲です。言葉で語ることのできぬとても美しい名曲だと心から思います。メンデルスゾーンの交響曲はベートーヴェンやモーツァルトの後期交響曲が好きなお方には、とても心地よい優美な交響曲だと思います。

僕の心持はスコットランド第一楽章の序曲のように、見とおせぬ霧に包まれているようで、体調不良と暖房器具を電気代節約のためにつかわないようにしていることもあり、身体の様々な部位(頭、背中、お腹、喉)が痛くてとても寒いです。昨年よりamazonギフト券で助けてくださるお方のおかげで、猫の餌も含めて食べ物はあり、本当にありがとうございます。命の恩人に、心から感謝致します。ただ、今手持ちのお金が数十円しかなく、土日祝日に銀行ATMでお金をおろすと手数料を取られるので、火曜日まで、数十円で、生きていけるかなと思うと酷く心配でお腹が痛みます。

私はこうして呻き続け、心は病に冒されています。
(聖書哀歌)

参考作品(amazon)
メンデルスゾーン:交響曲全集
群衆心理 (講談社学術文庫)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

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2009年01月10日 16:27

リヴァイアサン 1 (1) (中公クラシックス W 55)
リヴァイアサン 2 (2) (中公クラシックス W 56)

昨日の朝より、体調不良と心痛が酷く、今に至るまで夜も含めて一睡もできません。頭痛が酷いです。あまり文章を書ける状態でなく、申し訳ございません。

僕は21世紀は、政治(国際政治・国内政治共に)によって法が蔑ろにされて、弱まっていく世紀と予想します。これは、人々にとって、不幸なことであると思います。

中公クラシックスから「リヴァイアサン」が出ましたし、ホッブズとかモンテスキューとか、法の原点に立ち返って考える、いきなり、法を政治の道具にしてしまうシュミットとかの近代後の著作から読むのではなく、法の理念と政治との関係を考える古典から読んで、法と政治を考える、法の大切さを考えるということが、大事だと僕は思います。法を考えるというのは民主主義法治国家を形成する構成員(日本国民等)にとって、ひとりひとりにとってかげがえのない大切なことだと思います。

頭が痛くて、全身が寒く、あまり文章が書けず、申し訳ありません。法とは基本的に無法(弱肉強食の無法な闘争)を防ぐための大切なものであることを思います。世界に、戦乱が起きないことを望みます。戦わないのが最善であると孫子も仰っておられます。勝っても、武力で無理矢理ねじ伏せたらなら、それは非善であると。21世紀に大切な言葉だと思います。

百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。
(孫子)

参考作品(amazon)
リヴァイアサン 1 (1) (中公クラシックス W 55)
リヴァイアサン 2 (2) (中公クラシックス W 56)
法の精神〈上〉 (岩波文庫)
法の精神〈中〉 (岩波文庫)
法の精神〈下〉 (岩波文庫)
市民政府論 (岩波文庫)
統治二論
孫子・三十六計 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 (角川ソフィア文庫)

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2009年01月09日 11:33

小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

ガザ、救急車も標的 11台破壊、医療関係者44人死傷
http://www.asahi.com/international/update/0109/TKY200901090007.html

先日から一生懸命書いていますが、ますますイスラエルがエスカレートしていて、どこの国も止める気がない、建前として普遍的人権を掲げている西欧も本音むき出しで止める気がない、国際社会の秩序はもう終わりという感じです。先日のエントリで書いた均衡性と適正が完全に崩壊しているのを国際社会が傍観している時点で、国際社会は先日書いた通り、軍事的列強帝国主義に逆戻りしてゆくと予測します。絶望的です。

国際社会から人命と自由が消えてゆくのを見るのは非常に辛いです。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/661339.html


ウィキペディア「国際人道法」
「ジュネーブ法」とは、「ジュネーヴ諸条約 (1949年)」及びそれに付属する「ジュネーヴ諸条約の追加議定書 (1977年)」(「第一追加議定書」、「第二追加議定書」)及び2005年の「第三追加議定書」で定められた規則の総体で、戦争犠牲者を保護し、戦闘不能になった要員や敵対行為に参加していない個人の保護を目的とするものである。

武力紛争法においては、締約国は、たとえ条約によって規定されていない場合においても、市民及び交戦団体が「文明国間で確立した慣例、人道の法、公の良心の要求」([les] usages établis entre nations civilisées, [les] lois d'humanité et [les] exigences de la conscience publique)に由来する国際法の諸原則の下にありかつ保護下にあることを確認するという(前掲「陸戦の法規慣例に関する条約」前文ほか)、いわゆる「マルテンス条項」(Martens Clause; la Clause de Martens)が大変、重要である。

寒いです。酷い気分を通り越して疲れました。文章を書く気力も出ないです。

最後に、ヨハネ黙示録に出てくる獣の数字666は、暴君のメタファー(ローマのネロ帝のメタファー)と言われています。国際社会世界各国の施政者達は戦争を望んでいるとしか僕には思えません。

「理性のある者は、かの獣の数字を数え[て、それにどんな意味があるのかを考え]なさい。なぜなら、それはある人間の[名前を表わす]数字だからである。その数字は六六六である。」
(黙示録13-18)

第一と第二の獣による迫害の描写を締めくくる言葉。第一の獣の招待を数字の謎解きによって当てることを読者に促している。
ヘブライ文字もギリシア文字も、それぞれ一文字が一定の数値を持っているから、名前はそれを表記する一つ一つの文字の合計値から推定できる。この推定法を「ゲマトリア」という。
ここではおそらくヘブライ文字で記された「皇帝ネロ(QSRNRWN)」数値は、順に100、60、200、50、200、6、50が暗示されていよう。
(聖書名言事典)

参考作品(amazon)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

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2009年01月08日 23:03

テロリズム (チャールズ・タウンゼンド)
マーラー:交響曲第6番(テンシュテット)

イスラエル軍のガザ攻撃一時停止、開始から数分で崩壊
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200901080001.html
エルサレム(CNN) イスラエルは7日、イスラム原理主義組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザへの攻撃を、住民への人道物資搬入を目的に1日3時間中断すると発表したが、開始から数分で崩壊した。 (中略)
パレスチナ医療関係筋によると、昨年12月27日にイスラエル軍がガザ攻撃を開始して以来、パレスチナ側の死者は少なくとも680人、負傷者は3000人に増加した。国連人道問題調整事務所は(UNOCHA)は、死者の3分の1前後、負傷者の45%が女性や子どもだとしている。イスラエル側の死者は兵士7人と民間人3人。

下記のエントリ書いてからまだ一日もたっていないのに、なんだこれはです。驚きと衝撃で気分が悪いです。

今後の国際社会政情不安について。デスノートやアクメツの主人公原型ドリス・レッシング「The Good Terrorist」アリスについて。メシアン「世の終わりのための四重奏曲」
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/660677.html


体調不良で休んでいたんですが、先ほどニュースで「イスラエルがガザへ一時停戦から数分で攻撃」というニュースを見て驚愕しました。テロへの対応は、民主主義国家は民主主義における均衡性と適正によって図らねばならず、ただのカウンターテロの過剰による復讐戦・掃討戦になってしまうと、人命だけではなく民主主義国家の基幹を為す自由が失われてゆくということをテロリズムの専門家、キール大学教授のチャールズ・タウンゼンドが書いています。カウンターテロの時点で既に危険な領域なのに、人道支援の為の一時攻撃停止を数分で破るというのは明らかにどこからどう見てもやりすぎだと思います。チャールズ・タウンゼンドの「テロリズム」より引用致します。

テロリズムの対応で最も危険なことは(超法規的に振舞うテロリストと同じことを)模倣することであろう。長い間、(国家がテロに対する対応施策として行う)「アンタイテロ(antierrorism)」と「カウンターテロ(counterterrorism)」に、明確な一線が引かれてきた。前者は、国家がとるすべての法的措置で、特別法から戒厳令まである。後者は、暗殺や恣意的な報復のような(超法規的な)テロ行為を国家が採用することである。(中略)
われわれは、「カウンターテロに訴える」とか「カウンターテロで急襲する」という言い方にリベラル民主主義の規範を陥れる意味が内包されていることに注意する必要がある。なぜなら国家はさまざまな理由からあまりにもたやすくテロ対策の限度を越えられるからである。(中略)

「均衡性と適正」
テロリズムに対してとる行動にどのような制限が設けられるべきか?BBCのジャーナリスト、デービット・ジェッセルは、1985年に「問題の核心」で、「テロの残虐性に対して均衡感覚を保つことなどは宥和の勧告にうつるかもしれない。それでは、どんな道義的制約がテロリストを拘束するのか?」と指摘していた。もし反テロに制限があるならば、それは、脅威や攻撃にさらされたその社会の規範を反映するものだろう。「西欧文明(民主主義と人権と自由)」の担い手にふさわしいと考える社会においては、トマス・アクィナスが処方したような均衡性の原則が、「今日の正義と便宜の見方に対しても著しく説得力を持つ」とジェッセルは指摘した。国家の対応は、国家に加えられた損害に比例すべきであり、そのような行為は単に暴力で対抗すればよいというものではない。さらに、いかなる反撃も、交戦理由(casus belli)となったもの以上の不正義につながるものではあってはならない。(中略)

敵(テロリスト)を正確に確定できない、あるいは所在がわからない場合には、報復(retaliation)と復仇(reprisal)さらには単なる復讐(revenge)の区別がなかなかつかないものだ。特に間接的報復の効用については疑問が絶えない。アダム・ロバーツはテロリズムへの復仇として懲罰的空爆を行うことに対する長年の懐疑論に論点をあてて、国の指導者に一撃を加えることは「ロシア皇帝を暗殺したテロリストが明らかに誤りであったのに、今度は一転してカウンターテロリズムの名のもとにテロの指導者に一撃を加えるということならば、非常に皮肉な状況であろう」と記した。このような懐疑論は、自爆テロが関係するところではとくにあてはまるだろう。(中略)

「自由と安全」
リベラルデモクラシーという自由と民主主義が合成された社会では、国内暴力(国内でのテロ)に対して(国民から)脆弱の源とみなされるのはデモクラシーよりもむしろリベラリズムの方かもしれない。市民文化を決定的に支える要素である寛容、穏健、理性、非暴力は、「市民的自由」実施の諸条件を経世している。テロリズムとは、どのように定義しても明らかに理性の文化への計算された攻撃である。
また、暴力それ自体というよりも国家の反動によって脅かされるのも、デモクラシーではなくリベラリズムの方である。国家の反動は、アレックス・シュミットも強調したように、しばしば市民からの要求で促進される。(中略)
死活的問題は、リベラルな法制度が(テロの)組織暴力に対処できなくなるときに現れる。(中略)その対応としては、特別法廷、特別法、そして特殊部隊の創設が考えられるが、これらすべてはやがて「(軍事的に)強い国家(strong state)さらには「兵営国家(garrison state)」への変質への予兆となるかもしれない。(中略)
アメリカでは民意のコンセンサス(デモクラシー)が(テロの)脅威の性質や情報収集目的などを明瞭にしようとする試みや討論を圧倒できることを改めて示した。
すなわち、一握りの法学者が、「テロ容疑者の権利(人権)はわれわれの権利(人権)でもある」と警告したが、アメリカの多数意見はそのようなリベラルな良心の呵責を軽蔑したかにみえた。クレリンステンが冷静に論じているように、「大部分の人は脅威を感じれば、安全のために(自らの)自由を犠牲にするだろう」。
(チャールズ・タウンゼンド「テロリズム」)

イスラエルの民間人の被害者の方のこともお気の毒に思いますが、ガザの民間人の大勢の人々のことをとてもお気の毒に思います。そして、今回のように、テロを口実にすれば国家はなんでもやってもいいんだ、誰も(どの国も)それを止められないんだということが、国際社会にニュースとして流れることは、国際社会全体が、自由を捨てて統制と軍事の方向へ動く足がかりになると思います。これは恐るべきことで、それこそ、テロリストの思うがまま、暴力だけが社会の要になってしまう危険、争いが無限に拡大してゆく危険性を孕みます。

世界において、宥和のプロセスとは逆の事態が起きていることを、非常に心痛に思います。

足の怪我と背中がずっと痛いのですが、腹痛もしてきて辛いです。現状の世界はマーラーの交響曲第六番「悲劇的」のような運命を必然的に辿る道筋を歩んでいると思います。寒気がします。お腹痛くてうつが酷い悪化しそうです。僕は音楽好きでメンデルスゾーンやマーラーを始め、ユダヤ人の人々、イスラエル国籍の人々で尊敬しているお方々が沢山いるので(例えばイスラエル国籍の素晴らしい指揮者、心から尊敬する大指揮者クレンペラーや現在活躍中の演奏家バレンボイムさん)、このような事態が起きていることを、非常に心痛に思います。最後にバレンボイムさんについてWikiからの引用と、マーラーの交響曲第六番「悲劇的」のライナーノーツより引用致します。

ウィキペディア「ダニエル・バレンボイム」
ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年11月15日 ブエノスアイレス - )はアルゼンチン出身のユダヤ人ピアニスト・指揮者。現在の国籍はイスラエル。(中略)
イスラエルの良心的文化人として・パレスチナ問題
バレンボイムは、イスラエルによるヨルダン川西岸地区やガザ地区の占領に批判の声を上げ続け(つまり、アラブ諸国とパレスチナの主張する、西岸とガザでの主権を放棄し「パレスチナ国家」を樹立するという主張に沿う発言をしている)、今やイスラエルが「ある民族のアイデンティティと戦うことによって、倫理的な柱を失いつつある」と述べた。2003年には、イギリスの音楽評論家ノーマン・レブレクトによる取材に応じて、イスラエル政府の動向を、「倫理的におぞましく、戦略的に誤っていて」、「イスラエル国家のまさに存在を危機に陥れる」姿勢であると糾弾した。(中略)
バレンボイムとサイードの共著 Parallels and Paradoxes は、ニューヨークのカーネギー・ホールで催された連続公開討論に基づいている。
2005年9月、イスラエル陸軍ラジオの記者に対し、軍服を着た者とは話したくないとインタビューを拒否したところ、イスラエルの教育大臣はバレンボイムを「本物の反ユダヤ主義者」だと非難した。
2008年1月、パレスチナ自治政府から名誉市民権を与えられた。
受賞歴
2004年5月、バレンボイムは、クネセト(イスラエル国会)のセレモニーにおいて、ヴォルフ賞を授与された。この機をとらえて、バレンボイムは政治状況について、次のような持論を唱えた。

『心に痛みを感じながら、私は今日お尋ねしたいのです。征服と支配の立場が、はたしてイスラエルの独立宣言にかなっているでしょうか、と。他民族の原則的な権利を打ちのめすことが代償なら、一つの民族の独立に理屈というものがあるでしょうか。ユダヤ人民は、その歴史は苦難と迫害に満ちていますが、隣国の民族の権利と苦難に無関心であってよいものでしょうか。イスラエル国家は、社会正義に基づいて実践的・人道主義的な解決法を得ようとするのではなしに、揉め事にイデオロギー的な解決を図ろうとたくらむがごときの、非現実的な夢うつつにふけっていてもよいものでしょうか。』

以上の発言に対して、イスラエルの元首と数名の国会議員から、バレンボイムは名指しで非難されている。

(マーラーの交響曲の中で)第六交響曲は最も深い失望につつまれている。〈悲劇的〉という題名はこの曲の初演の際与えられた。確かに悲劇的な終末を持つのは、マーラーの交響曲中でもこの曲だけである。(中略)
第四楽章(最終楽章)
終曲、序奏はソステヌート、ハ短調、2分の2拍子。主部は、アレグロ・エネルジコ、イ短調。規模の大きな序奏はそれ自身の主題を持つ。ヴァイオリンの高音による嘆きのような旋律である。金管が運命動機を奏し、陰気なティンパニのうめきが暗い背景を形造る。つぎの主部に現れる諸動機が提示される。魂の向くところすべて、どこも運命によって脅かされている(レンナー)。(中略)イ音のオルガン・ポイントの上に運命動機の和音がひびき、すべての力は破れ、死の諦観によって曲は終わる。
(マーラー交響曲第六番「悲劇的」ライナーノーツ)

バレンボイムさんのような優れた演奏家で良心的な発言力のある方が、新年のウィーン・フィルに平和を唱えたのに全く無視されるようでは、人類社会はいずれ、近いうちに、第四楽章のような必然的運命を辿ると思います。お腹が痛いです。既に昨年の世界金融危機から、人類はもう取り返しのつかない第六番の第四楽章に歴史として入ってしまっているように思います。非常に暗い気分で酷い気分です。
参考作品(amazon)
テロリズム (チャールズ・タウンゼンド)
マーラー:交響曲第6番(テンシュテット)
ショパン:夜想曲集(バレンボイム)
メンデルスゾーン:無言歌集(全48曲)(バレンボイム)

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メシアン : 世の終わりのための四重奏曲&武満徹 / カトレーン2
草は歌っている

体調が悪く喉が痛いです。電気代節約の為に暖房器具を一切使用していないので、風邪引いたみたいです。生活が厳しいです。下記先日のエントリの続きです。僕は景気の下支えがなくなった今後、日本だけでなく、単独、もしくはネットワーク双方において、国際的にテロは更なる増加をしてゆくと思います。先行きのことを考えると不安です。テロとテロに対する報復の為の国家のカウンターテロの連鎖によって生命の価値は今後、蔑ろにされてゆく可能性が高いと思います。不安です。

崩壊する国際社会における今後のヨーロッパと日本について僕の予想です。西欧は国際的に不穏になってゆき、日本はアクメツ的テロリズムと金目当ての犯罪が増加すると思います。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/659000.html


上記エントリでも触れましたが、「グローバル・ジハード」やタウンゼンドの「テロリズム」が触れるように、希望のない閉塞した社会で、社会(社会を代表する国家等)に対する不公正感が強まると、テロは発生します。それを軍事力で根絶させることはできません。不公正感を取り除くには、未来に対する希望が必要ですが、世界金融恐慌が始りかけている現状、国際社会において、未来に対する希望は皆無であり、テロは今後も増加し、テロリズムに対する報復及び治安作戦としての軍事オプションも安易に使用されてゆく可能性が高いと僕は推測します。

例えば、ソマリア近辺での海賊行為、あれも一種のテロ行為と考えることができると思います。ソマリアの海賊軍はかなりの戦力を保有しているので、国連の多国籍軍と本格的な戦争状態に入る可能性はあると思います。世界が混乱すると、ソマリアの海賊軍に見られるような、法をぶっちぎったとしかいいようのない存在が国際社会の表面にでてきて、国際社会が継続的な混乱に陥り、国家や国連による軍事オプションの行使が安易化します。十年前は海賊対国連多国籍軍の戦争とか、考えられなかったことで、グローバル化によって、国際社会の武力的な裏が、景気の下支え(経済というパワー)が弱まると一気に噴出してきます。池内恵氏(アラブ研究者、東大准教授)の文章を引用致します。池内恵氏と塩野七生氏との対談ですが、池内氏はかなり的確に国際情勢を捉えていると思います。

「パクス・ロマーナ(世界秩序)が壊れるとは、どういうことなのか」
(池内恵氏と塩野七生氏との対談)
池内恵(アラブ研究者、東京大学先端科学技術研究センター准教授)
「EU(ヨーロッパ諸国)の政治家や官僚が表向きに話すことはきれいごとが多いですよね。でも正式なインタビューが終わると、(差別的な)露骨な嫌悪感や敵意をむき出しにする。本音と建前の使い分けは日本にしかないなどという(国際社会を知らない)人がいますが、そんなことは全然ないわけです。」

塩野七生(作家)
「まったくそう。現実の問題として、もしトルコがEUに入ると、トルコの出生率からいって、早晩トルコはEUで最大の国になる。EU議会の構成は、(建前的に)各国の人口比で決まることになっているので、これは大変な問題なんです。」

池内恵
「本音と建前の乖離が激しいという点では、ヨーロッパにおけるイスラム問題ほど乖離が激しいテーマはありません。ヨーロッパには、「自由と平等」というような、近代のとても美しい理念が(建前的には)あり、その理念は一応普遍でなければならないわけですが、そこにはイスラムは入らないじゃないかということを、ヨーロッパ人は感覚的にわかっている。しかし、それをいうと、「差別」「非寛容」とされてしまうから言わない(西欧は建前と本音を使い分けて、実際は本音で動く)。そしてさらに、イスラムに適用できないんだったら、そもそもヨーロッパの人権理念は普遍ではないことになってしまう(ヨーロッパの建前がばれてしまう)。それもあって、決して(公式の場では)言わない。」(中略)

塩野七生
「要するに法の精神(世界秩序)がなくなるとどうなるのか。腕力(軍事力・武力・暴力)が全面に出てくる。」

池内恵
「自力救済の世界(法なき弱肉強食の闘争世界)になってしまうわけですね。」

塩野七生
「よく言えば、自力救済ですが。」

池内恵
「しかし、大抵、(個々人の生命が危ない時)自力だけでは対応できないので、(国家に見捨てられた貧しい人々は)宗教で補完するようになる。」(中略)

池内恵
「つい十年前まで、国際政治の中で海賊が大きな役割を果たすなんてのは冗談の領域でしたが、海賊に対抗するために各国が海軍を派遣したり、国連安保理でも海賊を取り締まる決議がなされるようになってきた。国際政治の中に力の空白ができると、海賊はほんの数年で現れてくるものなのですね。(中略)今のところ彼ら(海賊達)も非常に賢くて、(何らかの裏の情報ネットワークがあったとしてもそれは不可視で)アル=カイーダとはつながりがない、と強調していますね。」

国際的に今後は、ネットワークテロリズムと、単独のテロリズムが両方とも発生頻度が高まって起きてくると僕は思います。しかも、ネットワークテロリズムは、単独のテロリズムのフリをする(ネットワークが破壊されないように動く)から、どっちのテロリズムなのか、分からなくなってくる、そうすると、国際社会状況は更に混乱して手の打ち様がなくなってくると思います。またテロネットワークといっても、それは国家の官僚制度のようながっちりしたネットワークではなく、極めて一時的な接触に過ぎないので、把握は不可能であるとテロ研究者のタウンゼンドなどは述べています。一瞬だけ接触して情報をお互いに身元を知られないようにしながら情報を交換するようなことが、国際的な高度情報網(インターネット等)などを利用して可能になっています。

計画的な「国際的」行為(ネットワークテロ)と、たまたま国境を越えて発生した事件(単独テロ)は違う。後者の方が(テロとして)日常茶飯事だが、これを「トランスナショナル」と名づける者が多い。このトピックについては相当な文献がある。だが、「国際的」「トランスナショナル」「グローバル」は、ほとんどの分析者がそれらをごちゃ混ぜに使用しているため、テロリズムの形容詞としては明確ではない。いずれにせよ、テロ組織間の協力について最も注意深い体系的な研究によれば、本質的に異なるテロ集団間においては一時的な協力はありえても、それ以上は困難である(それぞれが独自にシンプルテロとして活動している)。またある研究においては、(アメリカが唱えるような国際社会の裏幕・ボスとしての)「『テロリスト・インターナショナル』は存在しない」とはっきり結論付けられている。
(チャールズ・タウンゼンド「テロリズム」)

グローバル・ジハードにも同じようなことが書いてありますが、シンプルテロは、テロリストが社会の不公正感、相対的欠乏感などに対して、勝手にいきなりテロを起こすので、黒幕はいないのですね。これはテロ研究者の誰もがいうことですが、軍事力だけでテロを根絶するのは不可能で、社会が不公正で希望がないと、必ず一定数誰かがテロリストになって、社会を破壊しようとするので、社会を公正で希望ある方向に改革してゆくしかないんですね。しかし、現実はそうならず、テロリズム・国家によるカウンターテロリズム・再びテロリズム・国家によるカウンターテロリズムのくり返しで、逆に悪い方向に連鎖しています。国際経済が恐慌状態になれば、この連鎖はとどまるところなくエスカレートすると予想されます。

また、もう一つ大きな問題があって、社会が不公正で閉塞しており、未来に希望がない状態であると、世論の本音がテロリズムを支持し始めるのですね。例えば、イスラエルのカウンターテロ(ガザ侵攻)に対して、ヨーロッパの上層部及び民衆の一部の本音は、池内恵氏がいうように、差別的な感覚に基づく、親イスラエルの心情で、それがヨーロッパの鈍い動きに現れていると思います。一番停戦に動いているように一見みえるフランスのサルコジ大統領などは、親イスラエル派の大統領として有名です。サルコジ大統領がパレスチナに公平な停戦案を出すとは、予測できません。

世論がテロリズムを支持し始めるというのは、テロリズムにおける最終段階にまで既に事態は推移しているということであり、世界が武力闘争の場と化してゆくプロセスで、これは国際的に、世界(社会)が終わっているということで、もう絶望的な状況であるということです。

例えば、日本でも漫画の「デスノート」や「アクメツ」で、テロによって世界を変革しようとする主人公(キラや生)の方に共感を覚える人々の数は決して少なくないと思います。もうこれは最終段階に入っている、テロリズムが一概に悪とされるのではなく、ドリス・レッシングやチャールズ・タウンゼンドが分析する「善良なテロリスト(正義のテロリスト)」として位置づけられてゆくプロセス、社会の不公正(腐敗)が限界まで来ていることを現す目安になるんですね。これはその社会がもう、破滅的状況であることを示します。例えば、デスノートや、アクメツなどの主人公のテロリズムの概念は、宗教的概念ではなく、ドリス・レッシングがいうところの「善良なテロリスト」に類似しています。「善良なテロリスト」の定義は、社会から憎まれている存在(例えば日本でいえば、国民のサーヴァントとしての意識が一欠けらも見受けられない、日本国をメチャクチャにしておいて天下りまくる国家第一種キャリア官僚等)などを倒すということです。その時、他の人々(一般大衆)に危害を加えないことによって、「善良なテロリスト」は世論の本音の支持を集めると、チャールズ・タウンゼンドは分析しています。デスノートやアクメツの主人公の原型は、ドリス・レッシングが描いた「善良なテロリスト」(The Good Terrorist)アリスだと思います。以下、引用致します。

「お母さんはわかってない。」
アリスは静かに確信にみちて言った。
「わたしたちは(腐敗した)すべてを引きずり落とそうとしているの。
すべてを。
いまいる、このくだらない屑(社会を腐敗させている統治層)を全部倒す。
そうすれば(正義の社会が)見えてくるの」
(ドリス・レッシング「善良なテロリスト」
原題「The Good Terrorist」邦訳されていません。)

余談ですが、この本はテロリストの正義に基づく信念を描いた、ある種デスノートやアクメツ的な話です。レッシングの本の中でも面白い本(エンターテイメント性が高い本)で、ブッカー賞候補作で他にも文学賞を取っています。この本が邦訳されないところに、『テロ=悪』、『ノーベル賞受賞者(ドリス・レッシングはノーベル文学賞受賞者)=善・正義』にしておきたい日本の「良識的」出版界の意図が感じられて、僕は日本の出版界に絶望感を覚えます。洋書で買えますので、洋書を特に問題なく読める方々にはお勧めです。下記です。

The Good Terrorist (Vintage International)
The Good Terrorist (Vintage International)
まさに、デスノートやアクメツの主人公の原型はこのアリス(ドレス・レッシングの著書「The Good Terrorist」の主人公)であると思います。このアリスの言葉と類似したことを、デスノートやアクメツの主人公は唱えていて、シンプルテロリストも、宗教的ネットワークではなく、この原理(悪を倒すという正義感)で動いているテロリスト達がいて、彼らは世論の本音を世俗社会においても引きつけるとタウンゼンドは分析しています。

「僕は正義だ!! 悪に脅える弱い者を救い、誰もが理想とする新世界の神となる男だ」
(夜神月。「デスノート」)

「国民はこの事態(悪徳官僚などがテロで殺される事態)を喜んでいる」
「(テロが横行する)国家破綻に等しいこの状況を国民が望んでいるだと?」
「我々(官僚)の管理下にあるテレビや新聞は当たり前(テロ=悪という建前)のことしかいわないが、ネットを見てみろ。一般人の感情が噴き出している。アクメツをこの国を破滅させた重罪人を倒したヒーローと祭り上げているのだぞ!」
(日本の国家上層部層達の会議。「アクメツ」)

もし「テロリスト」が「単純な狂信者」ならば、(国家を信奉して国家のカウンターテロや国家の軍事力による戦争を支持する)多くの善良な市民にもまたそれ(信奉による暴力の肯定者であること)があてはまるのである。

テロリズムと戦争のもう一つの顕著な相違は、テロの実行において(一般に社会的に男性より弱く低い立場である)女性が傑出して目立つことである。1878年、ナロードニキ初の攻撃としてぺテルブルグ市長を狙撃したヴェラ・ザスーリチから2002年一月にイスラエルで自爆テロを決行した最初の女性ワファ・アル・イドリスまで、(社会の他の分野に比べ)女性はテロの前線に立ち、ジェンダーの役割を変えたパイオニアである。(中略)

テロリズムの論議を続けてゆくと、どこかで(世論に支持される)「善良なテロリスト」という謎の人物に言及することになる。それはドレス・レッシングが1970年代と1980年代のヨーロッパを徘徊したセクトの一人の人生を描いた小説のタイトルにもなっている。善良なテロリストとは、彼らが抵抗するシステムの抑圧性によって、その行為が正当化される人々のことである。例えば、現代テロリズムを保守主義的(テロの徹底的否定の立場)に捉える立場においても、19世紀ロシアのポピュリスト、ここではナロードキニを指す、たちは、渋々ながら一定の賞賛を集めた。ポピュリストは、右翼テロリストと違って、「自由で非暴力的な社会を本当に信じていた」と評価されたからである。これは、ほとんどすべてのテロリストが抱く、(現状の最悪の状況に比べれば)どんな変化でも今よりはマシという彼らの信念における重要な点であった。

多くの学問(アカデミズム)は、テロリストを病的なモンスターとみなすステレオタイプを修正しようと試みたが、その偏見は長い間、根強く生きのびてきた。多くの研究によれば、一般的にテロリストは全く普通の人間である。テロリストの性格として、同情の欠如、あるいは邪悪さがあげられるが、実際には、それらは特別なものではなく、一般人と変わらない。(中略)「テロリストのパーソナリティ」研究には相当なエネルギーが注がれたが、今のところ役立っていない。

では誰がテロリストになるのか?それは環境次第といえそうだ(テロリストになりにくい環境、自身が恵まれた環境にいればテロリストにはならないし、テロリストになりやすい環境、自身が不遇な環境にいればテロリストになりやすい)。(中略)

さて、善良なテロリスト(世論の支持を集めるテロリスト)にとっては、暗殺こそが完璧な手法である。暗殺は最小限の力で抑圧者を葬れるから、古典的な暴君殺害(社会から憎まれている統治階級の暗殺)には一定の価値があった。(中略)(テロリストが)テロリズムに打って出るのは、「それが機能するから」と考えてもよいが、これが全てではない。イタリアの研究者が述べるように、「テロリストは、単に成功の可能性とリスクを比較検討しているだけではない。彼は大義(正義)という抽象的な価値をその方程式に加える」のである。だからこそ、テロリストに対しては(万人に対する人命尊重などの)伝統的な抑止があまり用をなさない。
(チャールズ・タウンゼンド「テロリズム」)

無差別に人を殺すようなテロリストは、基本的に世論の支持を得られませんが、社会から憎悪されている統治階級(日本でいえば官僚などの統治階級)を暗殺するテロリストは、その社会が抑圧的で閉塞している(希望がない、欠乏した社会「グローバル・ジハード」)ならば、世論の本音的な支持を集める、これはもうその社会が末期的(システムの限界にきている)である指標として機能します。

日本だけでなく、世界的に恐慌で社会が抑圧的で閉塞感が溢れていますから、もう国際社会のシステムが限界にきていると思います。日本だけでなく、世界中真っ暗闇で希望は一欠けらもありません。僕は非常に絶望的な気持ちで気分が酷いです。テロリズムを抑えるには、富を再分配して世界的に万人に対する人命尊重の方向性に行くしかないんですが、現状はまるで逆で、酷い気分です。苦痛を覚えます。日本も正月早々からNHKの特番で竹中平蔵が「更なる法人税の引き下げを!!企業優遇を!!日本の労働者は努力が足りない!!」とかのたまっていて、見ていて吐き気がして倒れそうになりました。竹中氏は自分の政治的発言がどれほど社会の貧困層・若年層に苦痛をあたえているのか、理解しているのでしょうか。この特番で、竹中氏とは違うゲストの一人が「日本は特権階級の高齢者層が若者から搾取している」って発言したら、バーッと観客席の若者達から拍手が起きていました。ちなみに竹中氏の発言に拍手する若者は一人もおりませんでした。

国際社会も日本も真っ暗な方向に進むと思います。富の再分配は行われず、格差はますます拡大し、テロと犯罪が増大し、カウンターテロ(軍事オプション)と治安の統制が強化される方向に進むと思います。非常に絶望的です。

僕は、この文章を、メシアンの「世の終わりのために四重奏曲」を聴きながら絶望的な気分で背中とお腹が痛くて苦痛を感じながら、書いています。メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」(ヨハネ黙示録がモティーフの名曲)はまさに今、世の終わり(世の衰退)に相応しい名曲であると感じます。まさに世は第六楽章です。ライナーノーツより引用致します。

メシアンの室内楽曲中の代表作である「世の終わりのための四重奏曲」は、第二次大戦中の1941年に特殊な状況下において作曲された。当時、メシアンは、独軍に捕らえられて、ポーランドのゲンリッツ捕虜収容所に収容されていた。この四重奏曲の起草と作曲は、その収容所内での、肉体的、精神的極限状態の中で行われ、ヴァイオリン、クラリネット、チェロとピアノという編成も、その時たまたま捕虜として居合わせた演奏家をよせ集めた結果である。初演も同収容所内で行われた。そういう意味では、極限状況と偶然が生んだ、予期せぬ傑作ということができよう。(中略)

第六楽章〈七つのトランペットのための狂乱の踊り〉
四つの楽器がユニゾンで、特異なリズム(狂的なリズム)の狂乱舞曲を激しく奏する。これは全くメシアン以外には考えられない(クラシックの枠を打ち破った)独創的な楽章と言える。黙示録のさまざまな破局を示す六つのラッパと、神の奥義を告げる第七の天使のラッパ。赤い熱狂の巨大な塊り、凍りついた陶酔、恐怖の最終のフォルテッシモ。
(世の終わりのための四重奏曲ライナーノーツ)

この第六楽章こそ、今という時を象徴していると僕は感じます。最初は静かなんですが、突然狂気の悲鳴のようなミュージックに変わり、最後は断末魔の叫びのような終わり方をします。明らかに、世の終わりを示した音楽です。クラシックなんですが、この第六楽章はラッパを無茶苦茶に吹いて金属音をガンガン鳴らしてへヴィメタルっぽいです。クラシック好きだけじゃなく、へヴィメタル好きもこの曲は聴いてみると、面白いと思います。

第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。
(聖書ヨハネ黙示録)

僕はアリスウォーカーの「なぜ戦争はよくないか」(平和を訴える絵本です)を読みましたが、これは明らかに、ヨハネ黙示録の第三の天使を意識しているなと思いました。人命尊重という立場からも、アリスウォーカーはこの絵本で平和を訴えているのですが、それだけではなく、このまま戦いが続けば、いずれ戦いに核が使われるようになり、地球環境が汚染され、汚染された水をみんな(火種で戦争が起きているのを傍観している先進国の人々)も飲むことになる、そうなったら、もう他人事じゃないんだよ、ということを説いている絵本でして、僕もアリスウォーカーに同意です。このまま行けば、いずれ核が使われるようになって、生命種全体が衰退してゆくと思います。

なぜ戦争はよくないか
なぜ戦争はよくないか
戦いを止めて共存する方向に進まなければ、世の終わりだと思います。地に平安あることを、心から願います。

最後に、僕も生活が厳しくて困窮しており、もしご慈悲をお賜わりになられるお方々、何かのお買い物の御用ございますお方々ありましたらお買い物などして頂けると、心から感謝致します。このままだと世の終わりの前に僕が終わるのは確実な状態です。どうか憐れみ深きご慈悲を心からお願いしたく助けていただけると心から感謝致します、最後がこのような文章になり申し訳なく思います。ごめんなさい。

後、体調が非常に悪く、今後、更新が滞りましたら申し訳なく、ごめんなさい。

参考作品(amazon)
メシアン : 世の終わりのための四重奏曲&武満徹 / カトレーン2
草は歌っている
テロリズム (チャールズ・タウンゼンド)
グローバル・ジハード
なぜ戦争はよくないか
The Good Terrorist (Vintage International)
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典
アクメツ 1 (1) (少年チャンピオン・コミックス)
DEATH NOTE デスノート(1)
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2009年01月07日 11:10

グローバル・ジハード
アクメツ 1 (1) (少年チャンピオン・コミックス)

昨日より、お腹がキリキリ痛んで、このような痛みは始めてなので、よくわからないのですが、何か、あまりお役立てできるようなことが書けず申し訳ありません。それにも関わらず、ご慈悲心優しさを持って、ギフト券やアフィリエイトで昨年度より助けてくださるお方々に心から感謝致します。ありがとうございます。

僕のようなうつ病で頭が鈍っている人間の予想ですが、僕は今後、中東やアジアだけでなく、ヨーロッパ(EU中枢の西ヨーロッパ)も不穏になっていくと予想します。それは、イスラエルがガザで非人道的な掃討戦を行っているにも関わらず、ヨーロッパの動きが非常に鈍いことからそのように考えます。動いているのはせいぜいフランスで、しかも、サルコジ大統領は親イスラエル派なので、本気で停戦に持ち込む気はないと思います。

西ヨーロッパ各国社会というのは、ある意味、日本以上に建前と本音の社会で、建前は「人権」なんですが、本音は「階級社会」であるところが大きく、世界金融不安により、それが崩れてきていると思います。経済的危機が西ヨーロッパの本音である「階級社会」を支えられなくなってきていることから、西ヨーロッパ各国が不穏になっていく(EUが崩れてゆく)可能性が高いと僕は推測しています。これはどういうことかというと、長期的にはユーロの力が落ちてゆくと僕は予想しています。ウェッジウッドの破綻などにそれが象徴的に現れていると思います。

ヨーロッパ批判というのは、村上春樹さんが実際にアメリカやヨーロッパで暮らして、ヨーロッパ批判(建前としての普遍的人権と、実際としての階級社会)について、ときどき書いておられるので、引用致します。

(階級というものが厳然と存在するヨーロッパは日本やアメリカなどとは車産業においても)全然違う。速い車(ハイソサエティー用高級車)と遅い車(庶民用一般車)というヒエラルキーがはっきりと存在しているヨーロッパの高速道路では、速い車というのは(ハイクラスの高額なビジネスに使われる)すなわち実用車である。高い車ほどファースト・レーンをひた走って短い時間で目的地に到達できる(ハイソサエティーとそのほかの階級が移動においても分断されている)。

でも(ヨーロッパに比べると階級社会性が低い)アメリカではそういう理屈はほとんど通用しない。七十マイルのスピードならどんな車だって簡単に出せる。たとえばファラデルフィアからニューヨークまでの95号線を、ポルシェで行っても、トヨタ・カローラで行っても、それほど極端な所要時間の差はないだろう。(中略)

(BMW会長のフォン・クーエンハイムが日本車批判をしていることについて、階級を重んじるヨーロッパの高級車産業では)どうしても日本車に対する嫌悪感がむきだしになる。日本の高級車は、高級車とは名ばかりで、結局は「洗練された大きなカローラ」じゃないか。料理でいえば(マクドナルドのような)ファースト・フードに毛が生えた程度のものじゃないか。俺たちの作っている車はそれとは全然違うんだ、伝統が違うんだ、各が違うんだというのが会長(BMW会長)の言い分である。(中略)まあそれはそれとして、インタビュー(フォン・クーエンハイムBMW会長のインタビュー)の中にちょっと面白い発言があった。

フォン・クーエンハイムBMW会長
『日本車のことだけどね、我々は彼ら(トヨタ等日本企業)に比べて大きなアドヴァンテージを持っているし、そのことを我々は誇りにしている。それはね、我々はバックグラウンドを持っているということなんだ。この二千年、三千年の歴史の源はギリシャであり、ローマなんだ。そしてルネッサンスなんだ。スタイリングの全てはヨーロッパで創りだされたんだ。ギリシャの寺院を見たまえ。いわゆる黄金分割というやつだよ。そして平面やら、スタイリングならの組み合わせに目をやってほしい。たとえばフランスのファッション、イタリアの高級メンズ・スーツ。価値とはそういうものだよ。そしてその価値を手にしているのは我々(ヨーロッパ上層階級)だよ。何故ならそういうものをきっちりと身につけるには、(階級社会による)伝統というものが必要とされるからだ。そして何世紀にも渡る教育というものがね』

BMWは(性能的には)良い車だと思うけれど、このクーエンハイム会長の発言は基本的にいささか不穏当だし、細部にはいくつかの間違いがある。たとえばこの二、三千年の歴史の源がギリシャ、ローマだというのはあまりといえばあまりの話である。世界史においてヨーロッパがはっきりと主導権をとったのは、せいぜいが産業革命以来(ヨーロッパによる世界に対する帝国主義が発展した後)のことである。

デザインの専門的なことは僕にはよくわからないけど、黄金分割なんていうものがそれほど絶対的な価値を持っているとは思えない。それに教育制度が完備しているのは何もヨーロッパだけではない。クーエンハイム会長の話を聞いていると、欧米以外の国は、あるいは白色人種以外の人間は、伝統もなければ教育もない野蛮国、野蛮人ということになってしまいそうである。こういう(ヨーロッパ上層階級の)本音が出た発言を聞くと、(ヨーロッパの下層階級に、上層階級の裏返しとして)今ネオナチが台頭しているのもむべなるかなという気がしてくる。(中略)

そこ(ヨーロッパ階級社会)に見受けられるある種の不寛容な選良性は、その鮮明な階級意識は、アメリカの風土とは明らかに異質のものである。
(村上春樹「やがて哀しき外国語」)

村上春樹さんが上記でかなり分かりやすく書いていますが、ヨーロッパの本音は「階級社会の維持」ですから、それを維持する為には各国なりふりかまってられなくなる可能性が高く、ヨーロッパの今後はかなり不穏になるのではないか(最悪はEUが分裂するのではないか)と僕は考えています。イスラエルの非人道的な行為に対するヨーロッパ各国の動きの鈍さもヨーロッパがかなり切羽詰っていることを暗示しているように思います。

ひるがえって、日本ですが、おそらく、日本国内に金目当ての単純犯罪とテロリズムが以前より多く出てくることは、間違いないと思います。金目当ての単純犯罪は単純に社会の貧困化に伴うものですが、テロリズムは、先日紹介した著書「グローバル・ジハード」にも書かれている通り、社会が不公正で閉塞感が充満していると、これもまた必然的に起きてくると思います。幾つか引用致します。

(日本のハイソサエティーの高齢者は)若いって素敵ねえ、なんてバカなことを(日本という衰退してゆく国に絶望している若者達に対して)平気で言う。
今の日本を支配しているのは(ハイソサエティーの)年寄りだから、ずーっと年寄りが支配してきた、連中は、あと十年、十五年しか生きないので、世の中がどうなろうと知ったことではない。
自分の保身だけが気になる。このまま世の中がずっと続けばいいと思っていて、そのための努力はする。
どこかで苦しんでいる少数者(貧困層)がいても、そっちは見ない。
少数者(貧困層)がうるさく言えば、なだめるフリだけをする。
その(ハイソサエティーの)年寄り達の下に、そういう年寄りになりたいと思う(ハイソサエティーの配下の)おじさん達(政府の御用学者らTVコメンテーター等)がいて、マスコミの現場等で働いたり、CFを作ったり朝までテレビで喋ったり(朝まで生TV)している。(中略)

おもに経済と金融の分野だが、いろいろな人にあって話を聞いている。ほとんどの人(専門家)が(長期的な)日本の未来について非常に悲観的だ。今だったら、近未来の小説で(日本がボロボロになっているという)相当乱暴なシミュレーションをしてもリアリティがある。三十年後の日本がどういう状況になっていても不思議ではないが、今までのような繁栄はありえないだろう。(中略)

(閉塞された経済的に衰退してゆく日本の中で)彼ら(若者達)の一部は不気味な危機感を持ち始めているはずだ。そして実際に恐慌が発生したら、金目当ての単純犯罪は増えるだろうが、(遊びとしての)援助交際や少年犯罪はさらに減るのではないか。生きてゆくことが実際に困難だと彼ら(若者達)が知るからだ。
(村上龍「すべての男は消耗品である。Vol.5)

「今年の犯罪 勝手な「断罪」強まる恐れ」
(2008年の犯罪傾向には)犯罪にまつわる暴力性が「暴発」の形から、(単独犯が)あらかじめある方向性をもった、よりテロリズムに近い形に変化しつつある兆しを見ることができる。
今年(2009年)はこの傾向がさらに顕著になり、自分の思いつき(正義感・思想)に固執したタイプの犯罪が増加し、それが真正の政治テロを派生させかねない危険な状態にあると思う。
また、今のような経済の低迷期に発生しやすいのは頭脳プレー的な経済事犯ではなく、強盗、ひったくり等々、手口は単純だが暴力的なそれ(金目当ての粗暴犯)ということになる。
(朝倉喬司。朝日新聞2009年1月7日朝刊より)

2009年は景気の一段の悪化、解雇の大量拡大、社会全体の閉塞感と不満感が強まり、犯罪研究家の朝倉喬司氏が指摘するように上記で指摘されるように、単独のテロリズム及び貧困拡大による金目当ての犯罪の増加が起き、日本は一層混迷の度を増してゆくと思います。

もし、日本に漫画の「アクメツ」の主人公のような自己の正義感・思想による断罪的テロリスト(アクメツの主人公のように悪徳官僚を殺害するテロリスト)が出てきたとき、世論も、建前と本音に分かれていくほどの、絶望的な閉塞感と衰退が日本の現状であると思います。

少しでも日本を平和にするには、竹中平蔵がいまだに唱える法人税の一層の引き下げや人頭税などはとんでもない話で、富の再分配を強化する必要があると思います。少しでも、そちらの方向(富を再分配して日本を少しでも平和にする)に日本が進んで欲しいと心から僕は願います。以下の、アクメツの言葉は真実です。僕は現在、お金に困っている、生活困窮しているので、それがよく分かります。

「お金がないとあたり前の生活なんてできないんだよ」
(「アクメツ」第一巻)

生活に窮乏していると、身体が痛くても病院に行くこともできないです。僕は精神障害者認定されているので、精神科は一割かつ上限負担の制限があって、精神科だけは通院できますが、他の科(内科や外科)に行くことはお金なくてできないです。

参考作品(amazon)
グローバル・ジハード
アクメツ 1 (1) (少年チャンピオン・コミックス)
やがて哀しき外国語 (講談社文庫)
すべての男は消耗品である。 Vol.5 (幻冬舎文庫)
パレスチナとは何か (岩波現代文庫―社会)
テロリズム (1冊でわかる)
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

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2009年01月06日 23:13

サウンド・オブ・サイレンス

今日、起きて、猫に餌挙げて、朝食をとった後、テーブルから落ちたものを拾おうとして椅子からしゃがみこんでお腹を折り曲げたら、左わき腹に今まで感じたことのない、鋭い、酷くキリキリする腹痛が走って、痛みで動けず、そのまま床に横になって臥せっていました。だんだん時間と共に痛みが薄れてきましたが、この文章を書いている今現在も痛いです。

先日より心痛と肉体的な痛みが酷かったのですが、こんなキリキリするような、切り傷のような痛みがお腹に走ったのは始めてで、動揺しています。次の診察日に病院の先生に相談してみようと思います。

今も切ったような痛みがしていて、あまり文章を書けずに申し訳ありません。お腹が痛くて伏せながらケンプのベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第14番「月光」、第17番ニ短調「テンペスト」 、第21番「ワルトシュタイン」、第23番「熱情」、ピアノ・ソナタ第26番「告別」を聴いていました。僕は「悲愴」と「月光」が好きです。ベートーベンのピアノ曲はケンプが僕は好きです。特に月光の第一楽章:アダージョ・ソステヌートの静かさは痛みを和らげてくれます。

まとまりのない文章になってしまい、申し訳ありません。痛いのと寒くて、心痛で文章を書くのが難しいのですが、書かないと、唯一の収入源が途絶えてしまうので、お見苦しい文章を書いてしまい、本当に申し訳ありません。ごめんなさい。

ピアノ・ソナタの話に戻りますと、月光の第一楽章のような静けさの美しさは、今の世界に評価されて欲しいなと僕は、思います。TVとか非常にうるさくて、とても見ていられません。静かな音楽が心を助けてくれます。サイモン&ガーファンクルの名曲、「サウンド・オブ・サイレンス」を思い出します。日常のノイズ(世界のノイズ)に耐えられなくなった主人公の心情を歌った歌詞と僕は理解しています。

ポール・サイモンの「サウンド・オブ・サイレンス」論
http://www.st.rim.or.jp/~success/soundofSi_ye.html

サイモン&ガーファンクル
「サウンド・オブ・サイレンス」(抜粋日本語訳)

裸電球の明かりにぼくは見た
一万人かもっと沢山の人々を
話すことなくしゃべり
耳を傾けることなく聞き
声に出して歌われぬ歌を書いていた
そして誰も沈黙の音を遮ろうとはしない

沈黙の音というのは、あまりに情報が多すぎて、情報が全てノイズのようになってしまっている、本当は意味のある情報もあるのに、それらも全部一緒くたに巻き込まれて、意味を失っている、まさに高度情報化社会である現代社会の有様を的確に捉えている歌詞だと思います。

意味のある情報、それは生命に関する情報、戦争や貧困の情報だと僕は思います。今日一日お腹の痛みで臥せながら、NHK衛星第一で放映しているアメリカのABCなどのニュースを見ていましたが、オバマ大統領の娘さんが新しいスクールに初登校日とかいうのが、大きなニュースとして取り扱われており、世界情勢、特に中東の情勢を知りたかったんですが、日本のTVニュースと同じく、全く国際情勢には触れずにABCニュースは終わってしまい、愕然としました。ABCニュースが、オバマ大統領の娘さんが新しいスクールに入ってチーズ入りオムレツかなにかを食べたことを大々的に報じており、わざわざ心理学者のコメンテーターまで用意して『学校を代わった訳ですから、今日の娘さんはオバマ氏よりも、大変ですね』とかコメントを発表し、ABCニュースのあまりのワイドショー化(ノイズ化)に絶望しました。

何かもう、世界はどうなっているのかと僕は思います。非常にお腹の痛みと心痛と不安で酷い状況です。辛いです。

『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
(マタイ福音書)

世界に意味を感じ取る心優しき慈悲のお方々がいることを、心から願います。皆様方の生の平安を心から祈ります。

参考作品(amazon)
サウンド・オブ・サイレンス
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第14番「月光」、第21番「ワルトシュタイン」、第23番「熱情」
ベートーヴェン:Pソナタ第21
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ全集
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

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2009年01月05日 20:50

グローバル・ジハード
世界認識のための情報術

今日(2009年1月5日)の新聞主要各誌を図書館で見てきましたら、朝日新聞に佐藤優氏が書いている文章が興味深かったので、抜粋して引用致します。

朝日新聞2009年1月5日朝刊「私の視点」
佐藤優(作家・元外務省主分析官)

昨年の二つの出来事で国際秩序は大きく変化した。まず8月のグルジア・ロシア紛争で国家間の係争を武力に訴えて解決するときのハードルが著しく低くなった。また、9月の米国証券会社リーマン・ブラザーズの破綻が世界不況を引き起こした。主要国は「保護主義に陥ってはいけない」といいながら、世界恐慌の足音におびえ、現実には保護主義的傾向を強めている。新自由主義にもとづくグローバル資本主義に代わって、今後、経済に対して与える国家の影響力が強化される。

米国の一極支配は終わった。しかし、それによってよりよい時代が到来するとはいえない。強国が露骨にエゴを主張し、「これ以上、ゴリ押しすると、諸外国の反発を買って、かえって自国が損をする」という状況で初めて国際協調に転じるという(軍事オプションを利用した)帝国主義が再び頭をもたげている。

(現代の)帝国主義において、強国が平和を維持するよりも戦争に訴えた方が国益を圧倒的に増進するという認識を持つと躊躇なく戦争に踏み込む。(中略)帝国主義においては「食うか食われるか」というゲームのルール(ルールなき弱肉強食)が適用される。食われる側に回って、永遠にその状況に耐える人々など存在しない。かつては共産主義と結びついた植民地解放運動が帝国主義に対する抵抗勢力となったが、それに代わって(現代は)イスラム原理主義の影響を受けたテロリストが主要な抵抗勢力となった。テロを軍事力だけで封じ込めようとしても不可能だ。(中略)

今後、想定される最悪のシナリオは、アフガニスタンとパキスタンの一部にイスラム世界革命を輸出する拠点国家ができることだ。そうなると、この拠点国家が司令塔になり、インドネシア、フィリピンのミンダナオ、中国の新疆ウイグル、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタンなどで、現政権を転覆し、イスラム世界帝国を建設しようという動きがでてくる。この動きは国際秩序を著しく混乱させる。わが国(日本)は米国、ロシア、中国、インドなどとの提携を強め、この動きを封じ込める必要がある。(中略)

アフガニスタンにおいてタリバーンとつながる勢力を含めた連立政権ができることを恐れるべきではない。現状でタリバーンを完全に排除することは、アフガニスタンで最も影響力のあるパシュトゥン人を統治から締め出すことになるので非現実的だ。(米国が)いくら(軍事的)圧力をかけても、タリバーンを根絶することはできない。産業を定着させ、中産階級を育成し、タリバーンが策動する基盤をなくしていくという(アフガニスタンを復興させる)中長期戦略を組み立てるべきだ。

テロや戦争の問題は、アメリカの属国である日本国はあまり関与できる余地のない問題ですが、これからの国際世界を思うと暗澹として苦痛を感じます。先ず間違いなく、列強帝国主義が復活してくると思います。しかも、21世紀の戦争は戦術核が軍事オプションとして行使される可能性があり、「歴史は繰り返す、二度目は更なる悲劇として」と僕は感じます。一応、日本国はアメリカの核の傘の中にいるので、核攻撃は仕掛けられないと思いますが、不安は募ります。

テロリズムが軍事的に根絶不可能なのは、松本光弘さん(警察庁公安課長、前国際テロ対策課長)の書かれた「グローバル・ジハード」にも載っています。弱肉強食の不公正な社会から生まれる「相対的欠乏感」が、社会(世界)に不公正感を抱いている人々を牽引してテロリズムに引き付けると書いています。福田和也さんの言う通り、本書は優れた書であると思います。

保護主義については、世界各国が保護主義に走る中、日本だけ経済を全面解放という訳にはいかず、日本もある程度、保護主義化してゆくことは避けられないことであるし、仕方のないことであると思います。グローバル資本主義からいかに日本を経済的に防衛するかを考えた場合、ある程度の保護主義は必要だと僕は考えています。法政大学社会学部教授の田中優子さん(白土三平さんの漫画「カムイ伝」から江戸の社会経済文化システムの考察を行っています。著作「カムイ伝講義」など)の「『カムイ伝』から見えてくる江戸と現代社会」より抜粋引用致します。

「『カムイ伝』から見えてくる江戸と現代社会」田中優子(法政大学教授)

『カムイ伝』を通してみると(漫画の中に経済システムが克明に描かれていることにより)江戸時代の印象がずいぶんと変わるのではないでしょうか。江戸の前の戦国時代は、とにかく戦争に明け暮れていた時代という印象がありますが、(国際貿易が盛んで)実は現代にも通じるグローバルな時代だったのです。

世界遺産にもなった石見銀山を含め、たくさんの銀山が開発され、発掘された大量の銀は、国外に対する支払いに使われました。当時、日本はインドや中国と貿易をしていて、銀で品物を購入するという、貨幣社会だったんです。しかし、銀にも限りがあるわけで、無計画に掘り起こせば、いずれ底を尽きます。同時に南アメリカの銀が大量にフィリピンに流れ込んだことで競争力が落ちてしまったんです。(日本のグローバル化経済に行き詰まって)焦った豊臣秀吉が海外侵略を企てるのですが、これも失敗してしまいます。八方塞がり(資源国としての地位低下)の状況下で、(徳川家康が)抜本的な政策転換(鎖国という反グローバル政策)を図った結果、江戸時代が成立するのです。だから、江戸時代は自然発生したわけではなくて、(経済的な要請に迫られ)意図的に、政策的につくられた時代だったのです。

鎖国というのも、単なる閉鎖的な社会にあったわけではなく、日本がそのような行き詰まった状況(競争力を失い海外との貿易に敗れる)を乗り越えるために、重要な意味を持っていました。新井白石が銀の輸出を制限しなければ、銀はたちまち尽きてしまったでしょうし、絹織物などについては、鎖国により必然的に国内での生産を迫られたことで、結果的に生産能力を高めること(内需の育成)に繋がったのですから。輸入を制限し、生産能力を高めたことについては、現代を生きる私たちも大いに学ぶ点があると言えるでしょう。

僕も、上記の田中優子さんの意見に賛成で、世界各国が保護主義に走っているなか、日本だけグローバルなんてやっていたら、世界各国の保護主義の餌食になるだけであり、日本も世界各国と足並みを揃えて、自国防衛の為のある程度の保護主義、反グローバル的な施策を行い、日本国民の財産と生活を守る為に努力するべきであると思います。

最後に、先日より書いておりますように、中東で大きな戦乱が起きて、石油価格が高騰すると、ただでさえ衰弱している日本経済は本当に参ってしまうので、和平の道を、どうか探して欲しいと心から願います。今のイスラエルの行為は、まさに佐藤優さんのいうところの「21世紀の新帝国主義」な訳ですが、ガザ地区だけにとどまらない中東全域に広がるような大規模戦乱が起きてしまったら、イスラエルにとっても損害は大きいと思います。どうか当事国及び世界各国に起きましては和平の道をどうか探って欲しいと、心から願います。僕は旧約聖書も新約聖書も全部読みましたが、イエス・キリストは戦争を否定していると思います。イスラエルの人々には、どうか、第六戒の言葉を思い出して欲しいです。心から願います。

「あなたは殺してはならない。」
(出エジプト記20-13)

十戒の中の第六戒。ヘルマン・ヘッセによれば、この言葉がはじめて掲げられた時代の人々にとって、これはほとんど、「あなたは呼吸してはならぬ!」と言うのと同じくらいの意味があった。(『戦争と平和』)。
(聖書名言事典)

参考作品(amazon)
グローバル・ジハード
世界認識のための情報術
第三次世界大戦 世界恐慌でこうなる!
第三次世界大戦 新・帝国主義でこうなる!
暴走する国家恐慌化する世界
カムイ伝講義
決定版カムイ伝全集 カムイ伝 第一部 全15巻セット
小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

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