2009年01月

2009年01月23日 08:52

タウンゼンド「テロリズム」
エドワード・サイード (シリーズ現代思想ガイドブック)

先よりずっと体調不良が続いているのですが、今朝方、口から血がでてきて気分が悪いです。口内炎にずっと悩まされているのですが、口の中が痛く、口の中見たら、口内炎が破けてそこから血が出ていました。ずっと食欲がなくて、昨日とかパン一枚と牛乳しか食事をとっていないので、そのせいかな、栄養失調かなと思います。

うつ病に掛かってから食欲がなくて、うつ病の治療薬(SSRI)は食欲中枢を抑えるらしいので、前から食欲はなかったんですが、最近は気力がなくて、一日二食から一日一食になってしまうことしばしばです。猫は一日二食で食欲あるのですが、僕は猫より食欲ない感じです。引きこもってほとんど臥せているので、ほとんどカロリー消費もしてないので、餓死とかはしないと思うのですが、栄養失調はあるのかも知れないと思います。

今朝方口が痛いのを堪えてニュースを見ていましたら、テロリスト容疑者に対する拷問などを行っている超法規的な収容施設であるアメリカのグアンタナモ刑務所が閉鎖されることになったそうで、オバマ大統領がテロリスト容疑者の取調べであっても人権を侵害することは許されないって言っていて、アメリカ国民の過半数(51%)がグアンタナモ刑務所の廃止に賛成しているそうで(CNN米世論調査調べ)、良かったと思いました。久々にアメリカ国民の良識というものを見た思いです。

超法規的に犯罪を行うテロリストであっても、国家が拷問などの超法規的なカウンターテロリズムに走ってはいけないというのは、チャールズ・タウンゼンドなどのテロ研究者や、法学者達が口を酸っぱくしてずっと言っていたこと(タウンゼンド「テロリズム」等)なのですが、ブッシュ政権、特にブッシュ政権の中枢を占めたネオコンと呼ばれる政治集団はそれを完全に無視していて、僕は法学部の出なので、国家が法律を軽々しく破って拷問などのカウンターテロリズムに走ることは、法治国家の危機であるとずっと思っていました。国家がテロリストと同じように超法規的に暴力を振るうことは、法治国家の正当性自体を崩す破滅的危機です。

法治国家の正当性は、「相手が超法規的に振舞っても、国家は法規的に振舞う」という一線にあって、それを超えてしまったら、テロリストの思うつぼ、国家自体がテロリズム国家に変質してしまうのです。これは、国民を危険に晒す行為です。国家とテロリズムの違いとは何かというのは、カール・シュミットが「パルチザンの理論」で書いていますが、テロリズムは人々を超法規的な暴力の人質に取ることで政治的目的を達成しようとする、逆に、法治国家が真に法治国家たらんとすれば、功利主義的なデメリットは覚悟の上で、あくまで法を守り貫き通すことで、国家はテロリストと違って国民を超法規的な暴力の人質に取らないということなのです。シュミットの理論は極端で賛成できないところが多々ありますが、上記は正鵠を射ている考えではないかと僕は思います。

テロリストが超法規的な暴力を振るうから国家も超法規的に暴力を振るっていいというブッシュ政権・ネオコンのような考え方は、法治国家の正当性を崩壊させ、国家がテロリストと同じテーブルについてしまうことを意味し、究極的にはそれはテロリスト側の勝利なのです。法治国家の成員は、あくまで法を遵守することで、そのデメリットも甘受するというダメージの引き受けがあって、法治国家の成員としての役割、テロリズムと一線を引いた役割を果たすのです。その点で、「テロリスト容疑者の人権は守られるべき、国家は拷問をしてはならない」というオバマ大統領の発言はとても真っ当で正しい意見であると僕は思います。テロリスト容疑者の人権は認めない、拷問OKなんて法を無視した無茶苦茶な行為(ブッシュ政権・ネオコンの行為、国家による超法規的私刑賛成論)に賛成している法学者は僕の知る限り、存在しないと思います。みんな反対しています。それは法学の土台を破壊する最悪の暴挙だからです。

余談ですが、現行の日本の裁判員制度に僕は反対です。日本で裁判員制度をやるなら、いきなり取り返しのつかないような刑(死刑)もありえる慎重かつ高度な法判断が要求される重大事件の審理に民間の裁判員を入れるのではなく、まずはもっと易しい事件(軽い障害罪等、執行猶予がつくようなあまり重罪ではない事件、もし誤審があっても誤審が証明されれば取り返しがつく事件)から試験的に導入して、法的判断が裁判員制度の元で適正に行われるかテストして、その後、裁判員の受け持つ事件を拡大していくように長期的に様子を見ながら段階を踏んで導入すべきだと思います。大学時代の法学部の友人や後輩に聞いても、裁判員制度の評価は最悪で、法学や司法の現場を知らない人が無理矢理訳の分からない導入をしたのではないかと言われているみたいです。日本は裁判員制度の拙速な導入によって取り返しのつかないことが起きないか、僕は心配です。

本題に戻りますと、グアンタナモ刑務所の廃止にアメリカ国民の過半数が賛成しているということは、アメリカの過半数には、法治国家としての成員としての役割を果たしている人々が過半数いるということで、僕は少しほっとした思いです。

とても有名なところでは、パレスチナの解放を訴え続けてきたエドワード・サイードなどもこの立場(普遍的原則としての諸国の法を普遍的に遵守して考えることで、アメリカやイスラエルの超法規的な弾圧を批判する)を取っており、彼はアメリカやイスラエルの超法規的カウンターテロリズムだけでなく、テロリストの自爆テロなどの超法規的テロリズムも批判しています。諸国の法を万人に公正化することで、パレスチナを解放するというのがサイードの基本的な考えであったと僕は理解しています。僕は法学部で法哲学をやったので、サイードの考え方はカントの普遍立法からの法哲学の理念的立場であり、とても敬意を持っています。彼は生命の価値の平等を考えていて、それはまさに法の下の万人の平等の考え方です。最後に、「エドワード・サイード」よりサイードの言葉を引用致します。

(サイードの批判の立場として、欧米諸国民の)テロ犠牲者達が、「(欧米の)報道機関によって大きく取り上げられることはいうまでもなく、彼ら(欧米のテロ犠牲者)のために研究所が作られ基金が立ち上げられるのに対し、(欧米諸国の超法規的なカウンターテロリズムによって)「巻き添え」で死んだアラブ人やムスリムや非白人たちは、「わたしたち」(欧米諸国民)によって死亡者数を確認されることもなく、喪に服されることもなく、認知されることもなく、ただ死ぬだけ」というアイロニー(生命の価値が超法規的に不公正・不平等化されている悪夢的現実)(Said and Hitchens 1988:151)。(中略)
彼(サイード)は(アメリカやイスラエルのダブルスタンダードだけでなく)自爆攻撃(テロリズム)を、パレスチナ解放の大義をひどく傷つけるものとしてつねに批判している。彼が求めるのは、テロではなく、普遍的諸原則(法の下の万人の公正平等)に訴え、そのなかでパレスチナ人を苦しめる不正(欧米諸国等の超法規的ダブルスタンダード)について指摘することである。このような関与姿勢ゆえに、サイードは、(パレスチナだけではなく更に全世界的に普遍的に)世界各地において周辺化した民族(不公正不平等な扱いを受けている世界中の民族全て)にとって、重要な人物となったのである。
(アシュクロフト、アルワリア「エドワード・サイード」)

参考作品(amazon)
タウンゼンド「テロリズム」
エドワード・サイード (シリーズ現代思想ガイドブック)
パルチザンの理論―政治的なものの概念についての中間所見 (ちくま学芸文庫)

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2009年01月22日 19:42

ブルックナー:宗教曲集

とても寒いです。僕はシチズンのパルデジットR070デジタル電波時計8RZ070-003という置時計を使っていて、家電製品を生活費にする為にハードオフで売った時も時計は売らずにとっておいたのですが、この時計は温度計がついていて、今8.6度なのですが、氷点下にいるような寒さを感じます。多分、先日から体調をくずしている為、寒さをよけいに感じるのだと思います。

後、この時計、ソーラー時計で電池なしに半永久的に使えるというのが売り物で一年以上前買ったのですが、実は説明書をよく読むと、最初から搭載されている内部の補助電池が切れたら終わり(内蔵の電池交換が不可能なので、内蔵補助電池が切れたら時計として使えなくなる)で、真っ暗闇で使用しても内蔵補助電池は五年以上持つと説明書には書いてあるのですが、保障期間が一年なので、十年ぐらい持ってくれれば助かりますが、もし近日中などに壊れたら買い替えが大変なので、壊れないで欲しいです。

僕は腕時計も電池なしで使用できるシチズンのエコドライブ腕時計を数年(記憶あやふやですが多分5年ぐらいと思います)使っているので(今もその腕時計使っていますが古いタイプなのでもう売ってないみたいです。説明書とかなくしてしまい機種名不明。曜日などの機能が一切ついていないタイプなのでシンプルアジャストというタイプの古い型だと思います)、置時計も長持ちして欲しいです。僕はうつ病で失業する前から非正規雇用派遣の低収入者だったので、日常で使う製品はなるべく、ソーラー時計やエコドライブ、ソーラー電卓などの電池が不要で長持ちする中で一番安い製品を買ってきたので、今はそれらが壊れないで欲しいと願うばかりです。電卓はパソコンで計算できるので壊れてもなんとかなりますが、置時計や腕時計が壊れたらどうしようというのは心配です。

今日は寒くて布団の中で一日中凍えながら、ヨッヘムが指揮するブルックナーの宗教楽集を聴いていました。布団も氷のようで、猫以外の全てが凍てついているような感じで、Kyrie eleison.(主よ、憐れみたまえ)という言葉の通りだと思いました。寒いと、身体が猫背になってしまい、背中がズキズキ痛みます。

ブルックナーの宗教曲集、特にミサ曲第三番などは、ブルックナーが精神的に病(重篤な神経症)の状態のとき、病の中でも作曲を続け、気持ちを落ちつけるために書いたとも言われていて、聴いていると、それが分かるような気がします。ライナーノーツより、引用致します。

Agnus Dei(平和の賛歌)
犠牲として殺された小羊をキリストにたとえ、その憐れみを乞い、平和を求める歌。静かな気分で作曲されるのが通例である。(中略)
(ブルックナーのAgnus Deiは)従来の作曲技法を完全にマスターし、敬虔な信仰心をもつ者のみが作曲できる傑作である。(中略)
そのころ(1867年頃)彼(ブルックナー)はひどい神経症にかかり、バード・クロイツェンの温泉で療養した。多少回復したので、この作曲(ミサ曲第三番)を続けたが、再び神経症に襲われた。(ブルックナーの精神の病は重篤で)本来なら作曲を中止すべき(治療・休養すべき)であったが、これ(ミサ曲作曲)はウィーンの宮廷礼拝堂からの依頼で、ブルックナーにとって名誉なことであったばかりでなく、信仰深い彼はこの作曲を義務と考えたのである。(病の中でも作曲を続け)ようやく1868年の秋に作曲は完了した。(中略)
初演は1872年6月11日、ウィーンの――宮廷礼拝堂では(大勢が聴きに来て)狭すぎたので――アウグスティン教会で、作曲者指揮のもとに行われた。非常な成功で、各方面から賛辞が作曲者に寄せられた。総練習のとき、ヨーゼフ・ヘルメスベルガーが感動して、ブルックナーの元に駆けより、「私はただこのミサとベートーヴェンの〈ミサ・ソレムニス〉だけを知っている」と言った言葉は、ブルックナーを喜ばせた。また初演の時にはヘルメスベルガーのほか、ブラームス、ハンスリック、デッソフらも出席していた。
(ブルックナーミサ曲第一番〜第三番ライナーノーツより)

体調悪く、あまり文章が書けずに申し訳ありません。ブルックナーのミサ曲のAgnus Dei(平和の賛歌)を聴いていて、ヨーゼフ・ヘルメスベルガーの気持ちも分かるように思いました。Agnus Deiの歌うその通りだと思いました。最後に、Agnus Deiを引用致します。

アントン・ブルックナー
ミサ曲第一番〜第三番より
「Agnus Dei」(平和の賛歌)

神の小羊、世の罪を除ぞきたもう主よ、
われらを憐れみたまえ。
神の小羊、世の罪を除ぞきたもう主よ、
われらを憐れみたまえ。
神の小羊、われらに平安を与えたまえ。

参考作品(amazon)
ブルックナー:宗教曲集
CITIZEN (シチズン) 目覚し時計 パルデジットR070 デジタル 電波時計 8RZ070-003
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小型聖書 - 新共同訳
聖書名言事典

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2009年01月21日 23:51

魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選
不思議な翼―優しさと勇気と夢を運ぶ大人の童話集

先より非常に体調が悪く、生活も困窮しており、文章があまり書ける状態ではなく、申し訳ありません。

オバマ大統領の演説を見ていて、以前紹介した「魔法の糸」三部作を思い出しました。魔法の糸は三部作でして、魔法の糸を中心にもう二作あります。「不思議な翼」と「モラル・コンパス」です。残念ながら、邦訳版は魔法の糸以外は絶版なのですが(西欧では三部作はロングセラーで版を重ねています)、「不思議な翼」と「モラル・コンパス」も「魔法の糸」と同じくとても良い本です。

頭が酷く痛かったのですが、どうしても外に行けず、一日寝込んでいました。クリスマスの聖なる贈り物としてお勧めの本について。ウィリアム・J. ベネット「魔法の糸」 (ねこねこブログ)
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/636924.html


「不思議な翼」から一つの物語を引用してご紹介いたします。実話(ノンフィクション)として伝わっている伝説です。マルティヌスは元軍人の聖者(軍人引退後に聖職につき、トゥールの司教になる)、フランスの守護聖人です。この物語に出てくる主人公聖マルティヌスの剣は、「分かち合い・慈しみ」の象徴の聖剣として広く知られています。

「聖マルティヌスと乞食」

何百年も前のことです。霜が降り、晴れ渡った朝、フランスの古い町アミアンの通りが賑わっていました。(中略)
(大賑わいの活気のある町の中で)町の城壁が落とす影の中に、ぼろを着た貧しい乞食がひとり立っていましたが、人々は道端のほこりの山ほどにも思わず、無視します。乞食は寒さに震えながら、弱った手を伸ばしてお恵みを求めていました。乞食の前を通る人のほとんどが、見て見ぬふりをします。蔑みと哀れみの入り混じった目でみる人や、いかにもいやそうな顔をする人さえいました。

乞食が訴えかける声はあまりに弱々しく、消え入るようです。乞食はすっかりのけものにされていました。

そこへ突然、馬のひづめが固い道を蹴る音が響いてきたかと思うと、皇帝の兵士の小さな一隊が馬を走らせてきました。兵士たちは陽気に話し合っています。剣や大きな拍車や馬飾りが、陽の光に輝きます。一隊は遠くの町へ向って出発するところでした。人々はじっと立ったまま、馬で駆け抜けてゆく兵士たちの若々しく勇ましい姿に見とれていました。兵士たちは、そんな人々を気にかけるでもなく、ちらちらと見やるだけでした。

城壁の影の脇を過ぎるとき、一隊の後ろのほうにいた若い兵士のひとりが手綱を引きしぼりました。何かに気が付いたその兵士の顔色が変わりました。

それはとくに人の注意を引くようなものではなく、震えながら両手を差し出している、飢えて痩せこけた顔の乞食にすぎません。しかし、マルティヌスという名のこの兵士は、仲間がその哀れな男に目もくれずに通りすぎるのを見て、この男は自分に助けてもらうべくして、これまでずっと見捨てられてきたのではないかという気がしました。

若いマルティヌスの財布には、お金が少しも入っていませんでした。全て、(軍人として旅立つとき)施しと別れの贈り物に使ってしまったのです。しかしマルティヌスは、何かしてやらねばならないと思いました。

そのとき、ひゅーっと冷たい風が吹きつけ、とたんにある考えがひらめきました。マルティヌスは肩からかけていた大きな暖かい兵士用のマントを脱ぎ、片手で下げ、もう一方の手で剣をぬいて、まっぷたつに切りました。そして、鞍から身を乗り出して、ひとこと同情の言葉をかけながら、マントの半分を哀れな乞食の肩の上に落としてやりました。それから剣をおさめ、半分残ったマントを肩にさっとかけ、仲間を追って馬を飛ばしました。

切り裂かれたマントをはためかせながらマルティヌスが仲間に追いつくと、若い兵士数人がわっと笑ってからかいました。しかし、マルティヌスのしたことを自分も思いつけばよかったのに、と思う兵士もいました。
(ウィリアム・J・ベネット「不思議な翼」)

この説話(マルティヌスが自分のマントを切って乞食に施したこと)は実話(フランスであったこと)と言われています。このマルティヌスの行動が凄いのは、軍人の剣という、敵と戦う為の武器を、自ら(自らのマント)を切って他者に施す、分かち合いの聖剣として変えたことで、一般的な剣の意味(暴力・敵を切断して破壊する)が、逆転しています。聖マルティヌスの剣は敵を切断して破壊する剣ではなく、人々を慈しみ分かち合う聖なる剣に意味が反転しています。とても優れた話であると思います。

ブッシュ大統領が動かすアメリカは、暴力の剣、敵を切断して破壊する剣でした。オバマ新大統領が動かす新しいアメリカは、人々の生命を助ける聖なる剣として生まれ変わることを僕は心から願います。

僕も、生活非常に困窮しておりますが、なんとか生きてゆけるのは、聖マルティヌスのような、ギフト券を贈ってくださったり、アフィリエイトで買い物してくださったり、ご慈悲の施しをしてくださるお方々のおかげ、心から感謝してもたりない、本当に心から深く感謝いたしております。本当に、どうもありがとうございます。

参考作品(amazon)
魔法の糸―こころが豊かになる世界の寓話・説話・逸話100選
不思議な翼―優しさと勇気と夢を運ぶ大人の童話集
モラル・コンパス―こころの羅針盤

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2009年01月20日 19:00

ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番第2番
武器よさらば (新潮文庫)

先より体調不良が続き、一日中臥せっておりました。不眠と過眠が交互に来る形で、一日中寝てしまい、日々が無為にあっという間に過ぎ去ってしまうので、酷く不安が募ります。

ミッシャ・マイスキーの「ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第一番第二番」を聴いておりました。ショスタコーヴィッチの曲にある不安感がチェロの音色で見事に表現されている名演だと思います。

毎日、不安に苛まれていて、生ける亡霊のような気分です。僕は、厚生年金も国民年金も合わせて三分の二に届いていないということで、障害者年金が受けられないので、精神障害者保健福祉手帳で二級の認定が認められても、年金はもらえないので、生活保護も跳ねられており、この後、どうなるんだろうということを考えると真っ暗闇です。

社会から疎外されたもの(アウトサイダー)は死ぬということを、ヘミングウェイが彼独特の表現で書いていたことを思い出します。彼もうつ病にかかって自殺したといわれています。ヘミングウェイ「武器よさらば」より引用致します。

人々がこの世の中にあまり多くの勇気を持ち込んでくると、この世の中は彼らを叩き潰すために殺さなければならない。そこで、むろん、殺すのだ。この世の中がすべての者を叩き潰すのだ。すると後で、その叩き潰された場所で、多くの人が強くなることがある。ところが、どうしても叩き潰せない人間は、この世の中が殺すのだ。実に善良な人々、実に優しい人々、実に勇気ある人々を公平に殺すのだ。それらの人々でないとしても、そのうちこの世が殺すことは確かだ。だが、特に急にいそがないというだけのことだ。
(ヘミングウェイ「武器よさらば」)

酷く不安が強く、体調悪く、あまり文章が書けずに申し訳ありません。地に平安あり、人々に平穏あることを願っています。

参考作品(amazon)
ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番第2番
武器よさらば (新潮文庫)

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2009年01月19日 23:07

老年の価値
グレゴリオ聖歌

先より強い不安に苛まされ、とても調子が悪いです。オバマ大統領が就任されたことを祝って、バーンスタイン指揮NYフィル「星条旗よ永遠なれ」を聴いていましたら、あまりに元気のある華々しい明るい曲なので、選曲に失敗してちょっと疲れてしまったところもあります。

とても疲れていて、この疲労感と痛みと陰鬱な不安がどうしたら晴れるのか分からないです。精神障害者保健福祉手帳は既に申請済みですが、申請から手帳受領まで、数ヶ月掛かるとのこと、それまで持つのかなという気持ちです。

なるべく落着くような静かな曲を聴こうと思って、グレゴリオ聖歌と、ヨゼフ・スークの瞑想曲(作品35a)を聴いていました。どうしたら、うつ病が治るか分からないので、焦燥感と不安が募ります。

うつ病は、脳内のセロトニンの不足及び脳内の血流循環が低下し、抗うつ剤治療を受けているのですが、僕は失業していて、記憶力も酷く衰えていて、酷い不安に悩まされていて、どうしても絶望的な気持ちが晴れません。これからどうやって生きてゆけばと思うと、気力が失われていく感じです。

つげ義春の「無能の人」に出てくる、「いながらにしていない」という言葉を思い出します。いながらにしていないことになって消えてゆくんだろうなあと思います。

「(道を廃人のようによろよろ歩いていると)ようするに役立たずの零落者のように思われ、誰も相手をしてくれません」

「当然でしょ」

「誰からも期待も依存もされません。役立たずとして社会から捨てられます。捨てられた私は存在しないも同然です。「いながらにしていない」ということです」
(つげ義春「無能の人」)

身体の痛みと不安でとても疲れていてあまり文章が書けず申し訳ありません。僕の生命の樹は枯れ果てたように感じます。全ては必然としての運命のままに、人は生きてそして召されるのだと思います。運命は決然と残酷であり誰も逆らえない、そんなふうに感じます。

最後に、ヘルマン・ヘッセの詩を「老年の価値」より引用してご紹介致します。この本は良書です。僕のように疲れた人間にも読める本です。ヘッセは猫大好きで、ヘッセと飼い猫との仲の良いポートレイトが沢山載っていて、猫好きのお方々にお勧めの本です。では、ご紹介致します。

ヘルマン・ヘッセ
「疲れた夕べ」

夕風がろれつの回らぬ舌で
葉の中でかすかに嘆いている
重い滴がしたたる
ひとつずつ 塵の中へ

朽ちた塀から
苔と羊歯があふれ出る
老人たちはうずくまる
黙々と 敷居の上に

曲がった手が しずかに
こわばった膝の上にのしかかり
休息と衰えに
身を委ねている

墓地の上で重々しく大きく
カラスが羽ばたく
平坦な丘の上では
羊歯と苔が繁茂する

「曲がった手が しずかに
こわばった膝の上にのしかかり
休息と衰えに
身を委ねている」

僕はまさにこういう状態で、毎日、衰えてゆくようです。肉体的な不調と、不安、先行きに対する絶望感とそれよりも更に大きい漠然とした不安が僕の命を毎日押し潰して消し去ってゆくような感じです。背中がずっと痛いこともあり、どうしても元気がでず、臥している日々が多く、空っぽな寒さを感じます。

僕は猫を飼っているので、そのおかげで、最低限は生活行動できていて、命の恩猫って感じです。猫がいなかったら、ずっと寝たっきりになっていると思います。

不安がいつかとれて、元気になれる日がくるとよいのですが、今は毎日が鉛のように苦くて重いです。

暗いことしか書けず、本当に申し訳ありません。ごめんなさい。

参考作品(amazon)
老年の価値
無能の人・日の戯れ (新潮文庫)
グレゴリオ聖歌
星条旗よ永遠なれマーチ名曲集

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メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタ集
プロコフィエフ:作品集

NHKのニュースを先ほど見ておりましたら、イスラエル・ハマスが停戦し、イスラエル軍がガザから撤退する模様で、ホッとしました。少しでも多くの人命が停戦によって助かればと思います。

僕は先日より甚だしく体調悪く、今現在はお腹を壊しており、ぐったりしながら、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲、アバド指揮、ミンツ演奏の音楽CDを聴いていました。シュロモ・ミンツ(イスラエルで育った世界的なヴァイオリニストです)のヴァイオリンが僕はとても好きで、ミンツはヴァイオリンの天才的名手であると思います。優れた指揮者であるクラウディオ・アバドと優れたヴァイオリニストであるシュロモ・ミンツは相性がよく、このCDと同じく、二人が組んだメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲やブラームスのヴァイオリン協奏曲も素晴らしいです。

僕の持っているバージョン(アバド&ミンツでヴァイオリン協奏曲一番二番を弾く)の音楽CDは絶盤(amazonでも入手不可能のようです)ですが、アバド&ミンツのヴァイオリン協奏曲一番のみは、プロコフィエフ作品集で聴けるようです。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲も長らく絶盤でしたが、来月再盤されるようです。プロコフィエフの方もメンデルスゾーンに負けない美しさのヴァイオリンなので、ぜひこちらもブラームスと一緒に再盤されるといいなと思います。

上記の音楽のような美しいアートが、少しでも人々の傷を癒し、平和への糧になればいいなと心から思います。あまり文章が書けずに申し訳ありません。最後に、ヘルマン・ヘッセの文章を引用してご紹介致します。

この世はわたしたちにもうほとんど恵みを与えてくれません。この世は、ただもう喧騒と不安から成り立っているようにしか見えないこともしばしばです。けれど草や木はそれでもやはり成長します。たとえいつの日か地上がすっかりコンクリートの箱で覆われてしまうことがあっても、雲のたわむれは相変わらず存在するでしょう。そしてあちこちで人間は芸術の助けを借りて神性なものに通じる扉を開けておくでしょう。
(ヘルマン・ヘッセ「老年の価値」)

参考作品(amazon)
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリン・ソナタ集
プロコフィエフ:作品集
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
老年の価値

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2009年01月18日 18:30

グリーグ:ペール・ギュント/シベリウス:悲しきワルツ他

体調不良が続いておりますが、ギフト券でお心遣い頂き、生活とても助かり、深く感謝しております。ありがとうございます。お礼申しあげます。

体調は、先日より寝込みながら一進一退で、肉体的には痛みがありますが、気持ち的には、とてもどんよりとしたダウンした心境で、シベリウスの「悲しきワルツ」のような沈んだ心境です。あまり文章が書けそうになく、申し訳ありません。

僕のよく聴いているシベリウス「悲しきワルツ」は、1967、BPO、カラヤン指揮ですが、カラヤンのこの頃(1960年代)、日本の小澤征爾さんがカラヤンのお弟子さんになっていて、その頃のカラヤンのシベリウスについて語っているので、ご紹介致します。

小澤征爾
「(ヨーロッパに渡航してシャルル・ミュンシャのところで学んだ後)カラヤン先生の内弟子になるためのテストにも受かって半年間教えられたの。カラヤン先生は内的でね。棒なんかどうでもいいというようなことをいうわけよ、本当に。僕が立っている指揮台の真下の椅子に腰掛けて、背後から睨むようにして。シベリウスのシンフォニーの終り、ターリーラー、ラーリーラーがあるでしょう。僕が一生懸命に振っていると「セイジ!振りすぎる」棒なんかどうでもいい、流れがあればいい。精神が終りまで持続すればいい、じーいっと立っていればいい、そういう禅問答みたいなことを半年間ぐらいやられたんだよ。彼からは手の動かし方、スコアの読み方は勿論、音楽のキャラクターの作り方を教えられた。そして演奏を盛り上げるには、演奏家の立場よりも聴衆の心理状態になれ、理性的に少しずつ盛り上げて行き、最後の土壇場に来たら、全精神と肉体をぶつけろ!そうすれば客もオーケストラも自分自身も満足する、ということを教えられた。」
(小澤征爾・武満徹「音楽」)

シベリウス以外にも、カラヤン指揮の曲々には、引いて引いて引いて、凝縮した後、一気に押して盛り上げるところが大きいので、ここで、小澤征爾さんが言っていることはとてもよく分かるなあと思います。

指揮者は立体的に演奏をパーフェクトに創りあげていくタイプと、演奏をエンタテインメント的に緩急つけて爆発させるタイプがあって、例えば、ワルター指揮のモーツァルト交響曲とカラヤン指揮のモーツァルト交響曲なんか聴くとそれがよくわかる感じです。ワルターのコロンビア交響楽団指揮のモーツァルト交響曲第36番リンツとか、モーツァルトのパーフェクトとしか云い様がない演奏ですが、聴き比べるとカラヤンのモーツァルトは、ワルターに比べると音楽の立体感が低いけれど、とにかく盛り上げようとしているのが分かる感じです。

同じ曲でも指揮者によって全く違う解釈されるので、色々な指揮者を聴き比べてゆくと、音楽の楽しみはより奥深く広がってゆくと思います。

参考作品(amazon)
グリーグ:ペール・ギュント/シベリウス:悲しきワルツ他
モーツァルト : 交響曲第36番「リンツ」第39番
モーツァルト:交響曲集
音楽 新潮文庫

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2009年01月17日 20:00

リストピアノ協奏曲第1・2番・死の舞踏

先より極度に体調不良で、あまり文章が書けないことをお許しください。リスト「死の舞踏」を本日聴いていて、まさに本曲「死の舞踏」のような心持で辛いです。

リストの「死の舞踏」は初っ端から、非常に暗く、まさに、ダンス・マカーブルであり、ポーの「赤き死の仮面」を読むときのBGMに相応しい作品で、落ち込んだ今の状態の僕に的確に当てはまる曲です。

――赤き死が国を荒廃させていた。
血がその化身であり、証印であった。
魅入られた者が際会すべきは、
激越な苦痛と不意の眩暈、
毛穴からの夥しい出血、
そして死だった。
(ポー「赤き死の仮面」
「エドガー・アラン・ポー短篇集」より)

今の僕は「天使だけが聞いている12の物語」の最後の物語、「逆風をついて」の主人公のような気持ちです。何もかも閉ざされていてとても寒いです。

この狭い箱のなかは凍えそうに寒い。
(ジョン・オファレル「逆風をついて」
「天使だけが聴いている12の物語」より)

「天使だけが聞いている12の物語」はイギリスで出た慈善的な有志ある小説家達のアンソロジーで、いわゆるチャリティ小説で、イギリスでこの本(英語版原著のみ・邦訳版にはチャリティの仕組みは無し)が一冊売れると1ポンドが福祉にまわされます。西欧などではアーティストのチャリティツアーなどと同じことを作家達もやっておりますが、日本の作家達や日本の出版社はこういうこと(小説を使った社会貢献的な活動)はあまりやっていないようです。

本作は題名通り、「天使だけが聞いている12の物語」、すなわち、他に誰も聞き手がいない人物達(動物含む)の心情を語った物語で、誰も聞き手がいない、すなわち、悲惨的な状況の人々(動物含む)が主人公です。

「天使だけが聞いている12の物語」の最後の物語、それは、理想と情熱を持ったマイム・アーティスト(俳優)の若者(主人公)が、現実の厳しさ(特に不況)の前に叩き潰されて、挫折して、何もかも失って心が折れてゆく物語で、まさに今の僕の境遇(生活苦の前に心が折れる)のようで、とても気持ちがわかるように思います。仕事がないときの主人公の台詞です。

「とにかく、今は不況が続いているし、(収入形態が不安定な)マイム・アーティストはきまってその痛みを真っ先に感じるんだ」そう、そのとおりなのだ。これが学校の教師や消防士(雇用が守られている公務員達)なら、仕事は安泰だ。充分に安心していられる。ところが、マイム・アーティストは――突如、供給の方が需要を上回ってしまうのだ。もっとも、マイムという仕事は、いつの時代にもこの国(イギリス)でとくに過大評価されるということはなかったのだが――医者とかそういう(実用的に求められる)ものとは違うのだ。突然、危機に見舞われた社会のメンバーが「助けてくれ!助けてくれ!外は凄い風だ――誰か、ものすごい逆風をついて歩く方法を教えてくれるマイム・アーティストはいないのか?」などと叫ぶことはないからだ。
(ジョン・オファレル「逆風をついて」)

彼は、貧困になってゆくとともに全てを失い、最後は、アーティストではなく、駐車場のゲート員になって、心が折れて、絶望して終わります。僕の場合は、病気と失業中で就職活動は全部落とされ、彼のようにつける仕事も無いので、更に絶望的です。

職場(駐車場のゲート係)はわたしひとりきりで誰とも口をきかないから、少しだけ前にしていたこと(失業中に職探しの手紙をひたすら書く)と似ている。午前七時から午後三時まで、この狭いブースに座り、車が駐車場に入ってくると、ボタンを押す。すると、ゲートが上がる。その後、べつのボタンを押すと、ゲートが下がる。だから、いまわたしは本物のガラスの箱に押し込められているわけだ!(中略)

リチャードとニールはとうの昔に、公演には来てくれなくなった。キャロルでさえ、この前の公園には来なかった。逆風をついて歩くとはこのことか。いまや世間では、アフリカのエイズ危機に関する私のマイムより、ジュリア・ロバーツの最新映画を観に行きたがる連中のほうが多いようだ――これはわれわれの社会の何を物語っているのだろう?もちろん、連中はパブやカレーハウスに行く金は持っている。でも、想像力を喚起するマイムの夕べに七ポンド五十ペンスを払って欲しい、といってみるといい。彼らはもうその金をチキン・ティッカ・マッサラに使ってしまっている。正直いえば、わたしだってチキン・ティッカ・マッサラってやつをいまこの場で食ってみたい。オニオン・バジャー、ピラフ、いいじゃないか。(貧乏生活苦の)わたしにはそんな余裕がないだけだ。くそくらえだ、マイムなんて。この狭い箱のなかは凍えそうに寒い。リチャードのやつ、本館内の仕事を都合してくれないものだろうか。
(ジョン・オファレル「逆風をついて」)

「天使だけが聞いている12の物語」は、いかにもイギリス小説らしい、シニカルでシビアな救い無き話が多いのですが、僕は、なんとか職につけている「逆風をついて」の主人公よりも更に危機的な境遇(失業中)で、主人公と同じく心が完全に折れている感じです。疲労困憊で辛いです。

「この狭い箱のなかは凍えそうに寒い。」というのは、電気代節約のため部屋に暖房使っていないので、部屋内温度が6度とかで、まさに僕自身の気持ちと同じだと感じます。

僕の好きな作家にショスタコーヴィチという作曲家がいるのですが、彼の歌曲「アレクサンドル・ブロークの詩による七つのロマンス」より、僕の好きな曲「Tayniye znaki」より、歌詞を抜粋引用致します。

私が過去の時間に逃げて、
恐怖に眼を閉じれば、
冷え行く本のページには――
乙女の黄金の下げ髪

頭上に天蓋は既に低く、
黒い夢は、この胸の中に重たい。
私の定められた終末は間近か、
戦争と大火が目の前なのだ。
(ショスタコーヴィチ「Tayniye znaki」)

歌詞を見れば分かるように、死を歌った曲(愛する者は既におらず、自分も戦禍で死ぬだろうという曲)です。背中が痛むと、この曲を思い出します。この曲はとても陰鬱な音調の暗い悲鳴のような歌曲で、僕の今の気持ちのようです。頭痛と喉痛と背中が痛いです。

参考作品(amazon)
リストピアノ協奏曲第1・2番・死の舞踏
ショスタコーヴィチ : チェロ・ソナタ 作品40
天使だけが聞いている12の物語
エドガー・アラン・ポー短篇集 (ちくま文庫)

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2009年01月16日 23:15

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」
モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番「不協和音」

先日より体調が極度に悪く、身体の痛みと不安、苦痛に悩まされており、臥せっております。電気代節約のため、暖房いれていないのですが、布団を何枚もかぶった状態で臥せっており、布団の重みで、意識が目覚めても衰弱していてなかなか動けない状態です。疲労困憊につき、文章を書くのもやっとで、申し訳ありません。

寝ながらケンプが弾く、ベートーベンのピアノ・ソナタ第八番悲愴などを聴いておりました。悲愴のしみじみとした音律が、悲しみとして身体にじかにしみわたってくるようです。

生活困窮し、非常に辛いです。美しい音楽は真実の心の慰めです。

しかし、僕の心境はケンプが弾く美しいベートーベンのピアノ・ソナタというよりは、苦しみに苛まれている心情、モーツァルト弦楽四重奏曲第19番「不協和音」のような心持でとても苦しいです。この文章は「不協和音」を聴きながら書いています。レクイエムなどは別として、この弦楽四重奏曲「不協和音」はモーツァルトの中では異色といえる、不安感と重苦しさを持っており、今の僕の気持ちのようです。心身の病苦と生活困窮で苦しく、痛みが酷いです。「不協和音」は生活が崩壊し破滅してゆく晩年のモーツァルトの代表作の一つで彼の不安が現れていると言われています。

モーツァルトがザルツブルグの大司教と決裂し、辞表を提出したのが1781年。このときから、モーツァルトの大きな運命の転換がはじまった。やがて、コンスタンツェ・ウェーバーとの恋愛から結婚。長男の死亡。次男の出産。フライマウレライの加盟など、モーツァルトの身辺には、急激な変化が多く起こりすぎた。そうしたなかで、演奏活動にも精を出していたが、コンスタンツェの家計の維持の拙劣さとモーツァルト自身の無頓着さで経済的には苦難の道を次第に辿っていた。ちょうどその頃に、(不協和音を含む)一連のハイドン四重奏曲が作曲されたのである。
(モーツァルト弦楽四重奏曲第19番「不協和音」ライナーノーツより)

非常に心痛が酷いです。とても苦しいです。更新滞ることありましたらお許しください。

最後に詩を一つ抜粋してご紹介致します。フランス詩大系より、ジョアシャン・デュ・ベレーの詩です。諸行無常が詠われています。

ジョアシャン・デュ・ベレー
「ソネ 83」

ものみなすべようとしてどうして自ら征服されたか
またすべてを食い尽くす時の餌食となったのか。

ローマはただローマの墓場、
ローマがひたすらローマを滅ぼした。
チベルの流れだけが、海へと流れ、

ローマの名残。ああ、この世のはかなさよ、
堅固なものは時に負かされ、
うつろうものが時にさからう。

苦痛が酷く、自分で自分が滅んでゆくような感触です。体調が極度に悪く大変辛いです。

参考作品(amazon)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」
モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番「不協和音」
フランス詩大系

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2009年01月15日 18:46

くまとやまねこ
MOE (モエ) 2009年 02月号 [雑誌]

先より、ずっと体調悪く、寒くて、暖房代節約のため、暖房を入れず、ずっと床で布団をかぶって寝込んでいるのですが、布団の中まで非常に寒く、寒いとどうしても身体縮こめて丸くなる体勢になり、猫背になって、腰と背中がズキズキ痛みます。非常に体調悪く、今後、あまり更新できなかったら、ごめんなさい。

以前、下記エントリで紹介した絵本『くまとやまねこ』がMOE絵本屋さん大賞に選ばれました。受賞おめでとうございます。

昨日は病状が悪く、更新できず申し訳ありません。昨日、図書館でとても良い絵本を見つけました。音楽と心の癒しの絵本です。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/330209.html


MOE2月号公式サイト(絵本屋さん大賞発表号)
http://www.moe-web.jp/magazine/now.html

『くまとやまねこ』に、おめでとうの意を込めて、ハイフェッツの『バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ(全曲)』を聴いていました。とても美しいヴァイオリンの演奏です。単独でも、『くまとやまねこ』を読むときのBGMとしても、どちらでもお勧めです。

咳が止まらず、体調不良で、今後更新滞ることございましたら、ごめんなさい。

最後に、フランス詩大系より、マルセル・プルーストの詩「ショパン」を引用してご紹介致します。

マルセル・プルースト
「ショパン」

ショパンよ、ため息と涙とすすり泣きの海よ、
ひとむれの蝶たち、とまりもせず、
悲しみの上を戯れ、波の上を踊りつつ渡る海よ。
夢み、愛し、苦しみ、叫び、静め、楽しませ、安らげる
お前は、
つねに、一つ一つの苦しみの間に、
花から花に飛びまう蝶のごとくに、
奇想の調べの、眼をくらませる甘い忘却を走らせる。
そのとき、お前の喜びはお前の悲しみのかたわれ。
渦なす風の情熱は、涙の渇きを増していく。
月と、蒼い流れのやさしい友よ、
絶望の王子よ、また、背かれた大貴族よ、
更に更に猛り狂うお前の姿は、
顔あおざめてさらに美し。
陽の光り溢れたお前の病室は、
太陽に涙の微笑をなげつけて、
眼をやることにも心を痛める。
おお、哀惜の微笑と希望の涙よ!

参考作品(amazon)
くまとやまねこ
MOE (モエ) 2009年 02月号 [雑誌]
バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ(全曲)
フランス詩大系

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