ねこねこブログ

ねこねこと申します。ねこ大好き(*^^*)アニメ、マンガ、ゲーム、本とかも大好きです。楽しいことたくさん書いていきたいと思います。今、うつ病で無職で生活が非常に貧困困窮しておりまして、買い物してくださるととても感謝します。メールについてはこちらをご覧下さい。リンクフリーです。ツイッターはこちらです。https://twitter.com/kemohure

2008年10月

非常に暗い気持ちで気分が苦しいです。辛いです。どう予想しても暗澹なる世界、暗澹なる未来しか浮かばず、とても苦しいです。「鏡の中の鏡」について。

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ペルト: アリーナ

うつが悪化しているみたいで、とても苦しいです。現在、病気で失業しており、世界情勢から考えても、全てが絶望的です。将来に対する悲観的な傾向が凄く強く、心身症の症状と強迫妄想的な悲観性が出てきているので、病院の先生が励ましてくれて、強迫観念・妄想症状を和らげる薬もあるけれど、現在の薬の量が既にかなり出してあるので、そのお薬を出す前にもう少し様子を見ましょうという形で治療して頂いております。また現在の僕はほとんど寝たきりなので、重篤に日常生活困難の場合は、病院からの生活の支援が受けられるみたいです。

先日から書いている情勢分析も、僕の病気(うつ病)による極度の悲観性による、極めて最悪の起こりえるケースを書いているので、僕はなにか、心の中(脳)が病気で、暗い絶望感に満たされていますが、皆様方は、どうか希望を失わないで欲しいと願います。

食生活の方は、amazonで食料が沢山の種類買える様になったので、ギフト券を贈ってくださる命の恩人さんのおかげで、カレーとか買って食べられるようになり、本当にどうもありがとうございます。書いてて涙が滲んできます。本当にどうもありがとうございます。暖かいお気持ちを頂き、心から感謝しております。言葉に尽くせぬほど、感謝いたしております。ありがとうございます。

現在はうつの調子が悪く寝たきりで病院に行くとき以外は外にほとんど出られないので、amazonのサービス(配送して頂ける)には、本当に助かっています。出かけずに、食べ物を買える仕組み、本当に助かっています。

うつの調子が悪いと、昔好きだった音楽も、激しい音楽からだんだん聴けなくなって(クラシック以外にも昔はロックバンド「ペット・ショップ・ボーイズ」の音楽とか大好きでした)、極めて静寂な音楽しか聴くことができません。現在は既にもうアルヴォ・ペルトのアルバム「ALINA」くらいしか聴けない状況です。

「ARINA」に収録されている「鏡の中の鏡」とか、ひたすら聴いていると、静寂がほんの少しずつ訪れて、苦しいのが楽になります。ミニマリズムの音楽におけるクラシカル・ミニマル・ミュージックの中の静寂なる最高峰であると、僕は感じます。タイトル通り、静寂なる合わせ鏡のような音楽が、静かに優しく静かに優しく静かに優しく、ずっとずっと続いていく音楽です。

聴いていると、気持ちが落ち着きます。僕は不眠症状が出ているんですが、眠るときとか、クラシカル・ミニマリズムの音楽にはとても助けられています。なかでも、先に書きましたように、「鏡の中の鏡」はミニマリズムの音楽におけるクラシカル・ミニマル・ミュージックの中の静寂なる最高峰であると思います。僕は、「鏡の中の鏡」の3バージョンだけ「ARINA」のCDからWAVの形で取り出して、それだけをCDRに焼いて、オリジナルの音楽CD作って、それを聴きながら、眠っています。心を楽にしてくれる音楽です。これ書いている今も聴いています。「ARINA」のライナーノーツから引用いたします。

《鏡の中の鏡》というタイトルは、まさしく曲の中で起こることを正確に表現しているので、聞き手は作曲方法をよく理解することができるであろう。弦楽器のためのパートは、それ自体が既に鏡として構成されている。というのは、弦楽器が奏でる各フレーズは、音階の音を順番に一つずつ付け加えながら、順次進行か跳躍進行によって、鏡像の軸である中央のAにかならず回帰するからである。ピアノは、まず、純粋なFの3和音によって、ヴァイオリンのパートを上方の近接する音域で反映する。そしてまた、交互に奏される高いピッチと低いピッチが形成する層――この層は、音域全体の中では狭い空間であり、ヴァイオリンによって縦断される――によって反映する。

ピアノはまたヴァイオリンの旋律を平行3度とオクターヴによって強固なものとする。これらの鏡像は、中核となる声部から更に三つの声部を導いていることになる。そして、全ての鏡像は、厳格に展開されている。たった一つの音たりとも恣意的に選ばれていない。
(アルヴォ・ペルト「ARINA」ライナーノーツ)

僕はいくら厚着をしても、心境的に寒くて、疲労感と腹痛と下痢と便秘の繰り返しが酷く、お薬でなんとか下痢と便秘はおさえているですが、疲労感と腹痛は治らず、うつ病の時は自律神経が失調して、心身症の症状がでますので、うつ病が良くなれば心身症の症状も改善しますということで、先生に励まして頂いているんですが、どうしても辛くて、身体が寒いだけでなく、心も一人ぼっちで、寒い荒野の中にいるように感じます。

昔から僕はロシアという国が好きです。その理由は自分でもよくわからないのですが、ロシア語を趣味で習うくらい、なぜか好きです。寒い荒野にただ一人ぼっちでいるという孤独なイメージみたいなものが自分の深奥にあって、それがロシアに魅かれる理由かな、世界は寒いというところがロシアに魅かれる一因だったのかなと思います。

僕はロシアに行ったことがないので、死ぬ前にロシアには行きたかったなと思います。おそらく、僕は病気で、余裕なく、どれだけ生きられるか分かりませんが、生涯外国には行けないと思います。一度、ロシアの一面の雪景色をみてみたかったです。

「鏡の中の鏡」は、一面の雪景色、真っ白な中に、ギリシアのパルテノン神殿のような神殿があって(音楽の厳密なる構成)、そこに雪がしんしんと降り積もってゆくような、美しく、静かで、そして寂しい音楽で、聴いていると心を少しだけ楽にしてもらえます。

クラシカル・ミニマル・ミュージックに対しては、クラシック好きにおいても個々の好き嫌いがとても分かれると思うのですが、僕はとても好きなジャンルです。特に、アルヴォ・ペルト、そして先に挙げた「鏡の中の鏡」など、とても好きです。

アルヴォ・ペルトのクラシカル・ミニマル・ミュージックは、辛いときに、静かに静かに静かに聴いていると、心を静めてくれる、魂鎮めのような音楽です。皆様方に聴いて頂けるご機会あれば幸いです。特に、僕のように、心がうつで苦しんでいる方にお勧めいたします。心を静めてくれます。

参考作品(amazon)
ペルト: アリーナ
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ペルト:タブラ・ラサ
ペルト:タブラ・ラサ
アルヴォ・ペルトの世界~アルボス
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ご善意ご慈悲あるお方、皆様方に少しでも恩返しがしたいのですが、何も出来ず、申し訳ありません。ごめんなさい。出来る限りの情勢分析を行います。

ゼニの幸福論 (ハルキ文庫)

ご善意ご慈悲をもって生活を助けてくださるお方、ブログを読んで、ギフト券やアフィリエイトで助けてくださるお方に皆様方に少しでも恩返しがしたいのですが、物質的に何もお返しすることが出来ず、申し訳ありません。ごめんなさい。僕にできることは書くだけなので、一生懸命書いて、万分の一でも恩返しができたらと思います。

現在の状況から分析できる情勢分析を一生懸命行います。まず、消費税が数年内に増税されることは、不可避であると思います。おそらくは7〜10%になると思われます。僕のような貧困層にとって、地獄の時代の到来です。この消費税増税が不可避であるのは、現在の財政状況では、日本が財政破綻するのを不可避であるのでそれを防ぐためであり、強行されるでしょう。消費税増税で貧困層は大打撃を受けます。

次に、今後十数年内(少なくとも2025年以前)に、新円切り替え(強制財産税)と旧円に対する預金封鎖が起こると思います。日本がIMFの管轄下に入らないように、日本の中間層(大企業正社員層等とある程度の財産を持つ高齢者層、円での貯蓄が数百万〜数千万あるが、億には届かない層)を狙い撃ちにする政策がとられる可能性が高いと推測されます。それらは外圧によって齎される可能性が最も高いです。日本は資源なき貿易立国かつ技術立国でアメリカの属国です。アメリカに富を捧げるため(日本の持つ米国債を塩漬けにするため)、日本国財務省は自国の富を強制的なやり方で奪い取りアメリカに捧げるでしょう。中間層は没落します。

世界的なハイパー・インフレが十年内におきる可能性が高く、日本もそれに巻き込まれることは不可避であると考えられます。世界中が貧困化し、安全なものが何もなくなります。全世界の経済悪化と共に金価格は高騰し、日本中間層に金価格は手が届かないものとなるでしょう。結果、全てが崩壊し、富が強制的な収奪手法(消費税増税・新円切り替えによる強制財産税、旧円に対する預金封鎖)とスタグフレーションによって、『どんな方法でも富を守ることが出来ない』状態に陥ることが予想されます。

年金の引き上げは、これは上記の予想よりも遥かに確実です。ブラックジョークのような話ですが、段階的に年金支給年齢が引き上げられ、67歳・70歳・75歳・80歳・90歳のように引き上げられ、先日書きましたコンソール債のように、元本(年金支給)は全く戻ってこなくなる可能性が高いです。

社会保障、生活保護に対する審査はますます厳しくなり、僕のような収入なき現貧困層、また低収入層、非正規雇用層・年金支給が最低限の貧困高齢者層などの準・貧困層は長期的スパン(十数年)においてはどうしても生きてゆけない時代になると思います。

それとともに、中間層が、先ほどの新円切り替え(強制財産税)と旧円に対する預金封鎖、そして世界的なハイパー・インフレの影響を受けたスタグフレーションによって、準・貧困層に大勢が没落します。現在の準・貧困層(下請け中小企業勤めの低収入層や派遣社員などの非正規雇用層)は、大勢が貧困層(収入なき層)へ没落します。以前より述べております、全世界的な貧困化、富裕層以外の全層において急速な貧困化が日本国内においても発生すると考えられます。現貧困層はほとんど全滅(死亡)すると思われます。

日本の現貧困層及び準・貧困層が生きのびる方法は、非常に難しいです。先日詳しく書きましたように、人と人との絆を大切にして、何らかの信頼できる共同体に予め属しておくなどの努力が必要と思われます。

日本の中間層が自己資産を保全するのも難しいです。金価格が富裕層に買われて高騰してしまっているので、金に換えるという最も安全な資産運用法が取れない状況です。非常にリスクがありますが、極めて健全な財務体質を持つ資源系企業の海外株を購入しておくくらいしか、保全方法がないのではないかと思われます。非常に長期的な保有を心がけることです。

僕は、世界大恐慌(既に世界大恐慌は始っています)が起こる前(リーマン破綻が起きる前)、いずれエネルギーの世界需要は石油からウラニウムに変わるだろうと考えていました。火力発電が原子力発電に環境保護の名目の元、切り替わってゆくと考えていました。今もその考えは変わりませんが、その交代は非常に遅いスパンで起こると考えられます。僕は世界環境問題によって、かなり早い速度で石油→ウラニウムへの転換が起こると考えていましたが、現在の長期的な世界大恐慌状態を見ると、環境保護についてはどこの国も後回しにして、自国の生き残りを掛けるしかない状態になりますので、少なくとも今後十年くらいは石油の優位が続く可能性が高いです。火力発電は世界大恐慌下において最もコストパフォーマンスが良いからです。

環境保護問題が大きく取り上げられていた頃、電気自動車がクローズアップされていましたが、電気自動車の電気を生産するのが火力発電所で、そこで電気を作るためにじゃんじゃん二酸化炭素を排出するなら、電気自動車の意味はないんですね。根幹的に環境問題(地球温暖化)に対して対策を打つなら、火力から原子力への発電の転換が不可避となります。水力・太陽熱・風力発電はコストパフォーマンスが悪く、しかも地理的問題の限界性を抱えるため、火力発電が原子力に推移することは不可避であると予想していました。

しかし、この推移は僕が以前考えていたよりも、非常に遅い推移になると考えられます。世界大恐慌下では、火力発電の方がコスト的に優位ゆえにです。よって、資源としては石油・天然ガスなどの、火力発電に必要な資源系企業が生き残る可能性が考えられます。非常に超長期的(何十年というスパン)で考えるなら、ウラニウムも重要な鉱物資源として今より価値が上がっていくでしょうが、一時的(〜今後十年くらいと推定)には石油や天然ガスが優位になると思われます。

OPECは既に減産を発表しています。石油価格は今は低迷していますが、次第にじわじわと上がってくると考えられます。それによって資源国以外ではスタグフレーションが進みます。アメリカ・インド・ロシア・ブラジルなどの資源国及び、資源国を属国的に抑えている中国(中国はアフリカの資源諸国を確保しています)が相対的に資源のない国(日本などの貿易立国やEUの一部諸国のような金融立国)に対して極めて優位に立つでしょう。

ゆえに僕は日本は、米中だけでなく、ロシア・インド・オーストラリアなどの資源国、特に北方ルートの資源が確保できるロシアと密接に手を結ぶべきだと思います。ドイツは東ドイツの頃の付き合いがあるのでロシアと縁が深く、またイタリアも独自外交でロシアに接近しています。ドイツ・イタリア・ロシアが組めるのは、どちらもアメリカに対する敗戦国であり(ドイツ・イタリアは第二次世界大戦での敗戦、ロシアは冷戦でソビエト連邦崩壊)、アメリカを中心とした世界秩序(国連等)からパワーバランス的に疎外されているゆえに、逆に自由に手を結べるところがあるのです。その点において、アメリカの属国でありながら、いまだに国連の敵国条項で縛られている敗戦国日本も、ロシアと組める可能性を実は大きく持っているのです。日本はロシアと組めば、北方資源ルートが開拓でき、資源的にある程度の独立性を日本が持つことが出来ます。多重安全保障、アメリカとも中国ともロシアとも手を結んでゆくしか日本が生き残る道はないと考えます。

しかし日本の外務省は完全に対米従属姿勢、外務省以外にも日本の主要な省庁全体が対米従属ゆえ、その道のりは極めて困難であり、可能性として一番高いのは先の新円切り替えによる財産税や旧円預金封鎖によって日本はアメリカに日本の人々の富を収奪されつくして、抜け殻となった後、捨てられるでしょう。その後は中国に属国として吸収される可能性が高いと考えられます。

これを防ぐ一つの道としては、日本銀行の独立性を高めること(日本銀行が対米従属の霞ヶ関のいいなりではなく、日本国の自国利益確保の為に動くこと)でありますが、これもまた、困難な道のりだと思います。霞ヶ関は圧倒的な力を持っているからです。日本の政治家は、多くは対米従属専門の政治家であり、自国の利益を考えるスペシャリスト(専門家)がいないので、対米従属のスペシャリストの官僚のいいなりになるしかない、日本の制度的問題です。

結果、どのように情勢分析しても、日本国においては暗い未来しか想定できません。正社員の人は労働法と労働組合の力で一生懸命、会社のリストラ圧力に対抗することが大切だと思います。僕のような失業している貧困層、また準・貧困層(低収入者・非正規雇用者、法的に守られておらず、簡単に首を切られる層)どうしたらいいのか、一生懸命考えましたが、八方塞りで、個人にとっての打開策、先に書いた「人と人との絆を大切にする」以外は見つかりません。申し訳ありません。ごめんなさい。

僕には実利的にお役立てしようと思ったら情勢を分析することしかできないので、一生懸命やったのですが、打開策は見つかりません。一生懸命、僕の全力を振り絞って情勢分析を行いましたが、打開策を示すことはできず、本当にごめんなさい。

ご善意ご慈悲あるお方、皆様方のお役に立ちたく、懸命ですが、現在の状況では、日本は完全な八方塞り状態で、今後の没落は避けられないものと思います。僕のような現貧困層及び準・貧困層は人と人との絆を大切にして、できれば、信頼しあえる共同体に参入する、中間層は今のうちに長期的な必要となる日用品(暖房機器・防寒具)などは揃えておくくらいしか、できることが思い当たりません。今後、資源系の企業が企業の中で一番生き残る可能性があると思いますが、それも今後の世界大恐慌下ではどうなるか分からないので、投資は極めてハイリスクです。金価格も、高騰状態で、中間層の役には立たない可能性が高いです(富裕層は別です)。皆様方のお役立ちにあまりなれず、本当に申し訳ありません。どうか、これからも、一生懸命、皆様方のお役立ちになれることを書いてゆきたいと思いますので、どうか、お見捨てにならずにいてくださると、心から感謝致します。

助けてくださるお方、皆様方に、心から感謝致します。どうもありがとうございます。どうか皆様方が、暗い時代のなかでも、生きて、そして幸せに生きて欲しいと心から願います。

後、最後に、このような事態、今後、今までは生活できていた人々の貧困死を第二次世界大戦以上の規模で引き起こすであろう現状を招いた、全世界の人々に破滅的な事態を招いた無制限なグローバル金融自由資本主義には根幹的な欠陥があります。トービン税などを導入した修正資本主義、個人の自由を大切にしながら、経済的にはある程度の社会主義的な方向に世界が変わらなければ、人類という種全体はいずれ終焉すると思います。世界大不況下の元、ほぼ無限に格差が広がり、超少数の大富裕層と、ある程度の富裕層以外(つまり、何十億のほぼ全ての人々)からは自由が失われてゆきます。生ける屍のような、今のうつ病の僕のような、自由を奪われた貧困層が全世界的に爆発的に増大すると思います。ドストエフスキーの言葉があります『貨幣は鋳造された自由である』。ここで人類が、過ちを過ちとして認められなければ、いずれ、世界的な戦争が起きて、人類は他の生命種も巻き込んで終焉を迎えると思います。

ゼニがないと、人間はきわめて不自由である。
ゼニがないと、人間は食べたいものが食べられない。
いや、食べたいものどころか、ゼニがまったくなければ、人間は餓死してしまう。
自然のなかで採集生活を営めた原始時代ならいざ知らず、現代社会ではゼニがないことはそのまま死を意味しているのである。衣食住を手に入れるゼニを持たない人間は、ほんの数日のうちにも(餓死で)死ななければならない。
(世界の貧しい国々だけでなく)日本でもそういう境遇の人が大勢いる。(中略)

ほんまのところ、人間はゼニがなかったら、楽しみ(自由)どころか、生きていくことさえできないではないか。
いつだったのかの新聞に、発展途上国の小学生の娼婦が、「エイズが心配ではないのか?」という記者の質問に、こう答えていた。

「エイズになっても、一年か二年は生きられる。でも、家には今日の食べ物がない」

この少女の売春行為を、だれが非難できるだろうか。
日本円にして、ほんのわずかのゼニがあれば、彼女は生き地獄から抜け出せるのである。彼女の幸福は、ほんの数百円のゼニにかかっているのだとさえいってよい。
こういう不景気な世の中になってくると、さっきの世論調査みたいに(不景気でも金銭的に余裕のある人々から)「幸福とはゼニ・カネの問題やない。心のあり方なんや」という人間が増えてくる。
けど、僕にいわせれば、そんなのはまるでごまかしにすぎない。
ゼニがなければ、人間はほんの一筋の幸せだって、手にいれることはできないのである。
僕はマンガの『ナニワ金融道』で、借金地獄の話をいろいろと描いた。
ゼニがなければ、人間の生活は悲惨である。
ゼニがないために、人間は、狼狽し、苦悩し、消耗し、やがて売春をしたり、犯罪を犯したり、果ては自殺や殺人にまでたどりつくのである。
こういう不幸は、すべてゼニがないところから始っている。
ゼニがないからこそ、人間は苦労するのである。
最近は、こういう当たり前のことをだれもいわなくなってしまったから、ここで僕が大声で宣言しておこう。
ゼニのない人間は不幸である。(中略)

僕の見るところ、これから21世紀の世の中は、ますます、現在以上に金持ちと貧乏人の格差が広がってゆく(中間層が消滅する)。(中略)

(アメリカは)よその国から利益を吸い上げることなんか、なんとも思っていない。彼らにいわせれば、それもまた自由競争の結果なのだから、自由な競争の結果、アメリカは富を手にして、日本はそれを失った。
世界は弱肉強食である。
強い国が生き残り、弱い国は滅ぼされてしまう(属国にされてしまう)。
こういう論理のなかで(弱い国である)日本なんかはひとたまりもない。(中略)

(本来は)税金は、国民が幸福になるために使われなければならない。(最大多数の最大幸福)
それは、あまりに当然のことではないのか?
ところが、この国(アメリカに富を吸い上げられる属国の日本国)では、カネはカネのあるところでだけまわっている。ゼニは、ゼニのある人間にしか集まらない。
幸福は、すでに幸福な人間のところにしかやってこない。
そんな不公平な国に、僕たちは住んでいるのである。(中略)

「ワシは最初から貧乏やで、どないしてくれるねん」
そういう人にいっておこう。
文句があるときは、大声で叫べばいい。
大声で叫んで、世の中を変えていくんや。
それが、だれもが幸福になるもっとも確かな方法なんや。
僕は、そう確信しているのであります。(中略)

だれもが幸福になれる世の中に変えていくべし。
富がひとところに集まってしまわない世の中。
権力のある人間が、好き放題をしない世の中。
弱い人間(貧困層)が、悲鳴をあげずに暮らしてゆける世の中。
いまの暮らしにくい社会を、そういう世の中へ変えていくしかない。
そのためには、まず、みんなで大声で叫ぶべきや。
「おまえら(富裕層)の勝手にはさせへんぞ。ちゃんとみんな平等にせんかい!」
弱い人間でも、大勢集まれば力になる。(中略)
世の中はこれからますます大荒れに荒れるだろう。
強い者が強くなり、弱い者がますます弱くなる世の中になっていく。
あらゆる分野で、この傾向が強くなるだろう。
弱者は選別され、顧みられることなく捨てられていく。(死んでいく)
だから、弱者は、さらに精一杯大声で叫ばなければならないのである。
そして、一歩ずつでも、ほんの少しずつでも、世の中が平等になるように変えてゆかなければならないのである。
(青木雄二「ゼニの幸福論」)

今は、平等という言葉は嫌われ、自由という言葉が好かれていますが(世界を支配するシステム、自由資本主義という名前が象徴的です)、世界大恐慌で更なる格差が広がり、超少数の富裕層と、莫大な大勢の貧困層のいる世界に、世界全体が向かっていくと思います。日本も例外ではありません。

そして、「自由」という言葉(概念)があっても、実質として貧困者に自由はありません。あるのはただ唯一、死です。生きるため、食を満たす為にはお金が必要で、貧困とは食べ物が入手困難になる状態だからです。貧困者が求めるのは命ながらえるための平等(社会福祉)です。ですが、自由の名の下に、平等(社会福祉)は今後も更なる片隅に追いやられ、僕のような現在貧しい人々の大勢、ほとんどがいずれ貧困死を免れないと思います。そして、今の貧困層がいなくなった後、中間層が準・貧困層に落下し、準・貧困層が貧困層となると推測します。

だけれど、この状態がいつまでも続くとは思えません。このまま日本の政治(対米従属しか考えず、日本人の命など一顧だに顧みない与党政治家群・霞ヶ関官僚群)が現在のような過酷で残忍残虐な暴君的統治(大勢の弱者を痛めつけ、中間層を没落させ、少数の富裕層を優遇し、アメリカに富を献上し続ける対米隷属の統治)を続け、中間層を貧困化させ、大勢を貧困化させ、現貧困層・準貧困層を死に追い詰める、餓死や自殺に追い詰める統治を行い続けることで、いつの日か、生命の存続の為に、大勢の貧困層の怒りが爆発する時が来るでしょう。いつか、本当に自由もあり、平等である社会が築かれることを、僕は願い祈っています。

僕は、そういう社会が数十年後、訪れたとしても、命が間に合わない(現在既に病気で失業している収入なき貧困層の為)と思いますが、皆様方が、大勢の人々が、人類種が、他の種の生命とともに、今よりも良き社会で暮らせるようになることを、心から願っております。

参考作品(amazon)
ゼニの幸福論 (ハルキ文庫)
ゼニの幸福論 (ハルキ文庫)

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どうか、皆様方が、人々との絆を大切にしてほしいです。長生きして、そして、幸せであって欲しいと願います。

生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866) (講談社学術文庫 1866)

僕がうつ病で失業していて、何もない状態で、生活を送っていられるのは、ギフト券を贈ってくださるお方のご善意ご慈悲、そしてアフィリエイトで買ってくださるお方々のおかげで、とても感謝しております。

うつ病でまだ今いきなり働くのは無理と精神科の先生にいわれているんですが、それでも、なんとか、就職口を探しています。精神障害保健福祉手帳が発行される(申請から発行には時間が掛かるので、今年申請しても発行は来年になります)と、精神障害者枠の就職口も出来るので、なんとかそれまで、頑張ろうと思います。

毎月ギフト券を贈って下さる方のおかげで、生活がとても助けられております。本当にどうもありがとうございます。

僕を助けて頂いているお方、皆様方になにかお役立ちできることを一生懸命考えております。僕は物質的に何もお礼をすることができず、考えることと、知識と分析しかありませんので、今後の日本でどうやったら人々が生き残れるかについて、考えております。皆様方に少しでもお役立ちしたいです。

まず、大前提として、日本の衰退は不可避であると考えます。本年度の国債(日本国の借金)が30兆円を突破すると考えられます。今後も、国債の増加は避けられず、もはや財政的に日本は非常にギリギリというか、実質的に限界突破してしまっている巨大借金国家です。おそらく国債を永久債化すること(償還不可能化)を、財務省は考えているのではないかと僕は推測しています。日本は外貨準備高が多く対外債務は少ないので、国債が償還不可能になっても、日本国民が泣きをみるだけで、他国へ返還できなくなるということはないので、IMFに頼らずにすむ可能性があります。日本の実体状況は少子高齢化と技術力のグローバル化による拡散により、実体的にも衰退は不可避であり、国家的な財政規模を縮めていくしかなく、国債は次第に永久債化される(10年国債を20年国債に引き上げのような形でだんだんと国債償還を抑えてゆく)と考えられます。英国のコンソール債のような形に、日本の国債がなって行くのではないかと僕は考えています。

これは日本の実体的な衰退とともに、日本の信用(円の信用)が国際的に低下することを表します。デフォルトせずに、日本が動いていくには国債を永久債化してゆく(国債の利息だけ払い続け、元本は償還期間を長期化して返還不可とする)しかなく、これは日本国の信用度をじわじわ低下させるでしょう。しかし、国債を帳消しにしようとしたら、ハイパーインフレを起こして最終結果はデフォルトしかなく、そうなれば完全に日本は破綻してしまうので、これ以外(じわじわと国債を永久債務化する)に取る方法がないのではないかと思います。

国債の永久債務化は、じわじわと日本国に対する経済的信用度を低下させますので、現在の一時的円高から、次第に円安の方向に向かうと思います。しかし、それが景気の回復と繋がるかは別の問題で、国力が衰退していると見られている状況での円安は、衰退し、貧困層が増加し、食料を輸入に頼っている日本にとって、メリットよりデメリットの方が大きくなると思います。今後10年の間にスタグフレーションが急速に進んでゆくと思います。

国家衰退時にどのような状況が訪れるかということですが、これは基本的にスタグフレーションと失業率の上昇、社会保障の停止・低下などが起こります。日本でもこの状況は避けられないと思います。治安悪化を防ぐため、統制が強化され、自由が失われてゆきます。ローマ帝国の衰退崩壊とその後のビザンティン帝国への移行の歴史を描いた井上浩一さんの著書「生き残った帝国ビザンティン」という歴史書があります。僕はこの本は、和書の歴史書の中でも最高峰に位置する名著だと思っていて、昔からよく読んでいました。ここでのローマ帝国・ビザンティン帝国の衰退崩壊の例はその後のその他諸々の国家の衰退歴史にも見られる、統制が強化され、豊かであるからこそ生まれる文化も失われてゆくことを描いています。

ローマ帝国は自由が大きく、それがローマの強みでもありましたが、衰退してゆくに連れ、内向きとなり、統制が強化されました。特に大きいのは結婚・離婚・再婚についてです。ローマでは基本的に市民間においては市民間の富を超えた結婚・離婚・再婚が自由で、それがローマの強みとなっていました。非常に力のある一族の誰かが、貧しい人であっても、こいつは使えると思って自分の一族に入れたり、男女の間がらでは貧しい人に恋をして、貧しい人と結婚すると、その貧しい人の一族やとりまきも一気に上昇します。結婚・離婚・再婚が自由なのが、ローマの市民間の富を越えた自由を齎し、それがローマの活力の一つでした。有名なところでは元農民から皇帝になったユスティヌスなど、豊臣秀吉のような皇帝が幾人もいます。また女性では皇帝ユスティニアヌスの妻、皇妃テオドラが有名です。テオドラは貧困層の生まれ、サーカスの熊使いの娘で踊り子ですが、性的な踊り子、いわゆるストリッパーで、また娼婦でもありました。ユスティニアヌスは劇場で裸で性的な痴態を見せるテオドラに一目ぼれし、彼女に求婚し、正統なる皇妃としました。テオドラは極めて美しく聡明な芯の強い女性でローマ帝国を確りと磐石なものにした偉大なる皇帝と呼ばれるユスティ二アヌスをよくサポートした素晴らしい良妻であったといわれています。

しかし、ローマ帝国が衰退するに連れ、あらゆる規制が強化されました。ローマは衰退して行くにつれ次第に内向きにならざるをおえず、結婚・離婚・再婚が非常に制限されるようになりました。特に、一度結婚すると離婚はほぼ不可能なようになり、富による身分制度的なものが強化されてゆきました。これは帝国の衰退を抑えようとしたものですが、逆に衰退を早めたと考えられます。

例えば、昔だったら、皇帝がテオドラと結婚できたのも、それは結婚・離婚・再婚の自由によるものです。もし、テオドラが問題を起こしたらいざとなったらテオドラを離縁してしまえば、皇帝の名には傷はつかないのです。これはあくまで仮定の話で、実際はテオドラは立派な女性でした。貧困層に生まれ、性的な踊り子で娼婦だったテオドラは、先にも書きましたように美しく聡明な、そして自らの命すら皇帝や国家の為に賭すことのできる芯の強い見事な女性でした。皇帝ユスティアヌスが反乱を起こされ最大の危機の時に、逃亡しようとしたユスティアヌスとその臣下を強い口調で演説して見事に諌め、それによって、反乱を鎮圧し皇帝ユスティアヌスの治世が本格的に始ることになります。彼女はローマの磐石さを創った女性として有名です。彼女の演説は歴史書にも記録されています。僕は歴史が好きなんですが、皇妃テオドラは僕にとって歴史の中の憧れの女性です。

(ベリサリウス将軍の反乱によりユスティアヌス)皇帝は事態に絶望し、逃亡を決意する。船が用意され、荷物や財宝の積込みが命じられた。この時に皇妃テオドラが、浮き足だった人々に向かって強い口調で演説を行った。

『たとえそれ(逃亡)によって命ながらえるとしても、いまは逃げる時ではない。皇帝たりし者が亡命者の身たることはできない相談である。私も、出会う人々が私に向かって「皇后陛下」と呼び掛けないような日々を送りたくない。逃亡すれば身の安全が得られるとしても、果たしてそれは命と引き替えにしてよかったといえるものだろうか。私は古(いにしえ)の言葉が正しいと思う。「帝位は最高の死装束である」』(戦史一巻24章33〜37の演説の要約)

彼女が本当にこのような演説をしたのか、それとも歴史家プロコピオスの創作かは不明だが、少なくともテオドラが夫ユスティアヌスに、死を覚悟して踏みとどまるべきであると助言したことは確かであろう。(貧困層に生まれ、性的な踊り子、娼婦として)たくましく生き抜いてきたテオドラの真骨頂が発揮されたときであった。テオドラがいなければ、ユスティアヌスは数年で帝位を追われた無能な皇帝というだけで終わったであろう。テオドラの言葉に励まされて皇帝は踏みとどまる決意を固めた。
(井上浩一「生き残った帝国ビザンティン」)

ユスティアヌス皇帝は反乱を鎮め、聡明なる皇妃テオドラとともに、ローマ・ビザンティン帝国を拡大し、豊かにしました。しかし、長い歴史の中で、その豊かさが失われてゆきます。ちょうど今の日本のように、貧しくなり、それによって先に書いたように社会の統制が強化されます。キリスト教の名目の元、離婚の自由がなくなり、富による身分制度が、まさしくこの日本国のように非常に世間体的な形で形成されてゆき、テオドラのような女性が活躍できる機会が失われてゆきました。また、豊かさが失われるに連れ、文化も衰退してゆきました。有名な「パンとサーカス」の終焉です。

婚姻制度をものさしにして、キリスト教の浸透の度合いをはかってみよう。ローマ社会においては、離婚・再婚が自由であったことはよく知られている。これに対しキリスト教は「神が結び合わせてくださったものを人は離してならない」という聖書の言葉にあるように、離婚に対しては厳しい制限を加えていた。

古代ローマの協議離婚、すなわち当事者たちの合意による離婚の制度は、それに反対するキリスト教の浸透とともに、次第に制限されていった。しかし六世紀の『ローマ法大全』においても離婚に対する制限は緩く、大幅な離婚の自由が認められていたのである。

ところが(帝国が衰退した)八世紀のレオーン三世の発布した『エロクゲー法典』になると、先にあげた聖書のことばを引用して、原則として離婚を禁止すると定めている。(中略)

(帝国の衰退の象徴は「離婚の禁止」とともに)もうひとつは、ローマ帝国から受け継がれた「パンとサーカス」(文化)の制度が消滅したことである。(中略)「サーカス」(文化)の変貌の背景には「パン」(豊かさ)の消滅があった。先に述べたように、ヘラクレイオス皇帝は穀倉地帯のエジプトが失われたのをきっかけに、首都市民(帝国の主なる文化の担い手達)への「パン」の配給の停止を決定した。その後イスラムの軍勢が都に迫ってくると、帝国政府は食料を自ら確保できない市民の国外退去を命じた。
(井上浩一「生き残った帝国ビザンティン」)

僕は上記の帝国の衰退が、日本の衰退と重なって見えます。国家衰退時にはあらゆる全方面で統制が強化され、文化もまた、豊かさの消失の中で消えてゆく、そういった事態が長期的スパンで日本に訪れると思います。

また、男性よりも女性の方がキツイ立場に置かれる可能性が高いと思います。性的な踊り子で娼婦であったテオドラは見事な皇妃としての実務的な働きによって、帝国を支えました。しかし、日本は既に衰退期のローマ・ビザンティン帝国のように、富の格差から生まれる世間体による差別、そして男尊女卑の差別がある国家です。そして、日本の豊かさが失われることは不可避と思われますし、そうなると国家から豊かさが失われるにつれ、僕のような貧困層、男女共に貧しい人々は非常にキツイ状態に置かれますが、特に女性が大変だと思います。

僕は皇妃テオドラが歴史の中の憧れの人なんですが、性的な踊り子で娼婦でそして優れた皇妃であったテオドラが憧れの人になった後、佐野眞一さんのノンフィクション「東電OL殺人事件」を読んで、とても深いショックを受けました。被害者の方が、殺された一因は、被害者の方の絶望、女性である限り、どれだけ優れており、どれだけ努力しても、東京電力の役職にはつけないという絶望が感じられるからです。日本の大企業における総合職の女性に対する陰湿な男女差別の体質です。被害者の方が、たった一人、役職につく寸前で病死した父の無念を晴らすため、東京電力の総合職として必死に孤独に頑張りながら(他の総合職達は皆男性です)、女性である限り役職にはつけないと思い知らされ、生活の為ではなく、自分を痛めつけるために娼婦になる転落が始る軌跡を見ると、悲しくて、目を瞑ると、日本というこの国の腐敗した邪悪な龍の顎、牙が無数に生えた邪悪な開かれた顎が見えるようで、凄くショックでした。「東電OL殺人事件」はノンフィクションの最高峰と思います。一読をお勧め致します。

テオドラのように、強く生きたいと願いますが、みんながみんな強く生きられるわけではありません。国家が衰退してゆくなかで、人々が大勢生き残った例があります。ソ連邦崩壊です。ソ連邦は経済的に崩壊しましたが、心配されていた餓死などによる人口の半減は起こりませんでした。ソ連邦崩壊の中で貧しく死んでいった人々も悲しいことですがいます。ただ、それでも大勢のロシアの人々が生き残りました。国家が崩壊すると、貧困層の死による人口の半減が起きるのですが、ロシアではそれがほぼ起こらなかった、これについてご説明いたします。

まず、ロシアの食料自給率の高さです。ロシアの全世帯の四分の一が、都市部の住民も含め(都市部の住民が持つ田舎の住居兼畑・鶏小屋はダーチャと呼ばれます)、自家菜園の生産で自給自足していました。ロシア農業食料省の統計では、ソ連邦崩壊直前にも、約一億人がジャガイモを生産し、約5000万人が肉を自給していたとされています。

また、ロシアはソ連時代は共産主義国家でしたので、「五ヵ年計画」でライフラインを整えおり、公共料金はほぼ無料でした。ソ連邦崩壊後もその状況が続いたので、電気・ガス・水道を使うことができました。またロシアは計画経済により生産設備と病院・学校・保養施設がワンセットで作られていたので、国営の生産設備が潰れて民営化されても、そこで働く人々とその家族は、病院や学校を無料で使うことができます。ロシアは基本的に、最低限の安上がりで人々が暮らせるように社会システムが構築されていた、これは日本とは全く違うシステム、ロシアが国家経済崩壊のダメージを最小限に抑えた、ロシアの智慧ともいえるシステムです。

そして何よりも根幹的なことは、家族・親族の結びつきと地域共同体の人々の助け合いがあったことで、社会の人々の互いの信頼による相互扶助が機能しました。1998年のロシアの高齢者年金月平均支給額は400ルーブルです。一人当たりの最低生計費が500ルーブルです。残り100ルーブルをどうしたかというと、家族親戚一同や隣近所の人々が貧しい中でも、相互扶助して、餓死しそうな人々を助けたのです。もし、この社会相互扶助がなければ、大勢の餓死者が出てしまったといわれています。ロシアの強い民族性が、このときは社会的相互補助を良い意味で力強く手助けしました。ロシアの強い民族性(ロシア民族同士で助け合う意識)は高野雅之さんの「ロシア思想史 メシアニズムの系譜」が参考図書になると思います。

しかし、日本では、地域共同体及び民族性はほぼ完全に崩壊しており、家族・親族の結びつきも核家族化によって希薄化しています。日本の未来は僕は数十のケースを推測しましたが、どれも悲劇的です。とても悲しく思います。日本では社会保障が停止した後、個々が孤立化したまま大勢亡くなってゆく可能性が高いです。

ただ、日本に今から未来に希望のある可能性としては、今からでも共同体を大切にすること、家族・親族・隣近所の人々・友人達を大切にすること、いざというときに、相互扶助的な関係で支えあって生きてゆけるように、今からでも、少しずつ努力することで、日本が崩壊してゆくなかでも、生きのびれる可能性が上昇すると思います。

人と人との絆を大切にすることが、人のためにすることが、自分のためにもなる、そういった関係を構築できた人々が生き残る社会になると思います。これは僕の最も楽観的なケースの推測で、悲観的な推測は、永井豪さんの漫画「デビルマン」のような破滅的世界の訪れ、疑心暗鬼と憎悪による全ての崩壊です。

僕はこのことに気づくのが遅すぎて、現実での友人関係が希薄で、借金を頼んでも断られ、自分が人と人との絆を大切にしてこなかった報いを受けている、だから、いずれは最悪の自身に訪れるケースとして貧困の挙句死んでもそれは自業自得で、自分自身の責任だと思っています。後、僕の友人は派遣社員をやっていた頃の友人で、彼らも決して裕福ではないので、借金を申し込んだ僕は過っていたと思います。心から申し訳なく思っています。裕福な方の友人・知人が僕にはおらず、一度だけ面識のある非常に裕福なポストモダンの学者さんに二度ほどご相談のメール致しましたが、完全に無視され、これもまた、僕の人徳の無さの致すところであり、自分自身の手によって、自分は滅んでゆくのだなと思います。

ゆえに、どうか、皆様方には、人々との絆を大切にして、人々と仲良く、優しくしてほしいです。それはきっと、どう予想しても暗黒の未来しかないこの日本国において皆様方が生きのびる最後の大切なる生命の糧となると思います。

どうか、皆様方が、人々との絆を大切にしてほしいです。長生きして、そして、幸せであって欲しいと願います。

参考作品(amazon)
生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866) (講談社学術文庫 1866)
生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866) (講談社学術文庫 1866)
東電OL殺人事件 (新潮文庫)
東電OL殺人事件 (新潮文庫)
ロシア思想史―メシアニズムの系譜
ロシア思想史―メシアニズムの系譜
デビルマン 愛蔵版 (KCデラックス)
デビルマン 愛蔵版 (KCデラックス)

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ご善意ご慈悲にとても感謝しています。ありがとうございます。明るい音楽を紹介できればと思います。小原孝さんピアノソロ「ガーシュウィンを弾く」

小原孝「ガーシュインを弾く」
ガーシュウィン:作品集

ご善意ご慈悲あるお方のおかげで、うつ病で失業していても、なんとか暮らせていて本当に感謝しております。ずっとうつの調子が悪かったんですが、昨日より生きる気力が沸いてきて、ありがとうございます。

これまで、暗い音楽ばかり紹介していましたが、少し明るい音楽も紹介できればと思います。

僕は、シンフォニック・ジャズといわれるクラシックとジャズを見事に融合させたガーシュウィンの曲々がとても大好きです。ガーシュウィンの曲では大仰なオーケストラ曲(交響詩)よりも、ピアノ・ソロの方が好みでして、オーケストラ交響詩としてクラシックファンの間では主に知られる「パリのアメリカ人」や「ラプソディ・イン・ブルー」などにも、ピアノ・ソロがありまして、僕はそちらの方がとても好きです。特にピアノ・ソロの「ラプソディ・イン・ブルー」が大好きです。

オーケストラだと、どうしても全体構成を指揮者が指揮して弾くので、完全にみんなが自分の思い通りに自由に弾くということは出来ません。これはオーケストラ曲の利点(全体構成による美しいシンフォニー)でありますが、一人一人が完全に自分の思い通りに自由に弾くことができないという欠点でもあります。ソロ曲はその点、ピアノにしてもヴァイオリンにしてもオルガンにしてもチェロにしても、自由に演奏者自身が完全に自分の自由な最高を目指して弾く事が出来ます。

僕は「パリのアメリカ人」や「ラプソディ・イン・ブルー」のピアノ・ソロバージョンがとても好き、オーケストラバージョンよりも好きでして、ジャズファンの人はジャズ・ピアニストはガーシュウィンをピアノ・ソロでよく弾くのでピアノ・ソロバージョンを聴いたりしたことがあると思うのですが、クラシックファンの人はオーケストラバージョンの方から入ってしまい、その後、ピアノ・ソロをなかなか聴く機会がないと思うので、ご紹介致します。

僕が聴いたなかで、ガーシュウィンで、ピアノ・ソロで「ラプソディ・イン・ブルー」をピアノで弾いているのはアルバムがなかなかなくて、僕はピアニストのパスカル・ロジェとか好きなんですが、彼も僕の知る限りでは、やはりピアノ・オーケストレーションで弾いていて、ガーシュウィンの交響詩などの単独のピアノ・ソロアルバムは希少です。

その中で、僕が好きなのは、ピアニスト小原孝さんの「ガーシュインを弾く」というピアノ・ソロアルバムです。このアルバムが凄いのは、「ラプソディ・イン・ブルー」はピアノ・ソロでもアルバムに収録されたりしている(ピアニストの三舩優子さんのアルバム「ラプソディ・イン・ブルー」など)のですが、このアルバム「ガーシュインを弾く」には「パリのアメリカ人」のピアノ・ソロまで入っております。他にも「ソング・ブック」の編曲が幾つもとか、アイ・ガット・リズム・ヴァリエイションの編曲とかの、なかなかピアノ・ソロではアルバムでは聴けない音楽が入っていて、凄いです。

「ガーシュインを弾く」には、ジャズバーで、お客さんが「パリのアメリカ人弾いてみてよ」って頼んで、ジャズ・ピアニストの人がサービスして自分で解釈しながら編曲してくれるような、ガーシュウィンのピアノ・ソロが揃っていて、すごい名盤だと思います。ジャズバーで、自由に弾ける腕のあるジャズ・ピアニストに頼まないと聴けないような曲が収録されています。僕の音楽知識で知る限りでは、パリのアメリカ人のピアノ・ソロとか、アルバムで聴けるのはこのアルバムだけでないかと思います。本アルバム「ガーシュウィンを弾く」は僕の大好きな宝物のようなアルバムです。

いずれ手放すことになるかも知れませんが、それまでずっと大切にしてゆきたいと思っているアルバムです。皆さんもご機会ありましたら、ぜひ、ガーシュウィンのピアノ・ソロ曲を聴いて頂けて、楽しんでいただけたら、幸いに思います。

後、特にピアノ・ソロにこだわらず、普通にガーシュウィンをアルバムで聴く場合は、ガーシュウィン:作品集が決定盤だと僕は思っています。先日、文化勲章を受章した小澤征爾さんも指揮するとても楽しいアルバムです。ガーシュウィンをピアノにこだわらず普通に聴く場合は、このアルバムが僕の知る限りではベストだと思います。

なんとか皆様方にお役立てして頑張ろうと思っているのですが、体調があまりよくなくて、疲労が溜まっているのと、腰が痛いのがぶり返していて、本ブログの更新が、一日一回か二日に一回ぐらいが限界で、皆様方にあまりお役立てできず、申し訳ありません。更新頻度が減ってごめんなさい。見捨てないでいてくれる皆様方に、とても感謝しております。ご善意ご慈悲、本当にありがとうございます。感謝の気持ちで胸が一杯です。ありがとうございます。

参考作品(amazon)
クラシック・スペシャル?ガーシュインを弾く
小原孝「ガーシュインを弾く」
ラプソディー・イン・ブルー
ラプソディー・イン・ブルー
ガーシュウィン:作品集
ガーシュウィン:作品集

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命の恩人さんから、とても助けて頂き、心より感謝致しております。先日までの今の僕の生活と、サン=サーンス「交響曲第2番」

サン・サーンス:交響曲全集、協奏曲集(6枚組)

先日、命の恩人さんからとても助けて頂き、心より感謝しております。本当にどうもありがとうございます。最近はずっとうつの調子が酷かったんですが、生活だけでなく心もとても助けられました。本当にどうもありがとうございます。心から感謝致します。命の恩人さんに、ご慈悲頂き、心からお礼申し上げます。ありがとうございます。あなた様に天の幸いがあることを、祈っております。

うつの調子が最近はずっと悪く、もしかしたら今後あまり更新できそうになくてごめんなさい。眠れない症状がうつ病に掛かった時からずっと出ていて、睡眠薬で眠ってもすぐ目が覚めてねむれなくなってしまう(寝てから一時間もしないうちに目覚めてしまう)、それで、長期睡眠用の睡眠薬(ロヒプノール)を頂いているんですが、それ飲んでも一日三時間ぐらいしか眠れません。慢性的な睡眠不足で頭痛が酷いのと目がしょぼしょぼして辛いです。

先日までの今の僕の生活は、朝は起きたら、頑張ってカロリーメイト2本食べて薬飲んで、猫に餌あげてお水取り換えて、トイレの始末は猫がしたらすぐやって、なんとか一生懸命ブログ書いて(今が僕にとってギフト券とアフィリエイトのご慈悲で繋がっているブログが最後の命綱です)、その後はずっと寝込んでいて、お昼は食べないで薬だけ飲んでいます。うつ病の薬(抗うつ剤)が食欲や性欲を減退させるので、食べなくてもあまりお腹が空きません。ただ、午後過ぎには慢性的飢餓のような、お腹がくっついて痙攣するような形になります。また性欲は完全に喪失した形で、エロティシズムが感じられません。

人間の三大欲求といわれる「食欲」「性欲」「睡眠欲」のうち、うつ病で三つとも奪われて、薬の力で少しだけ「睡眠欲」だけ回復している感じです。生きながら死んでいる廃人のように自分を感じます。心が無気力で行動する気力が胸から穴があいたように抜けてしまった感じです。

うつの調子が悪いときは、日々、ほとんど行動ができなくて、ずっと寝込むことしかできなくて、寝込んでいても眠れるわけではないので(寧ろ、寝込んでいて、眠りたいのに眠れないのが辛いです)、ただひたすら音楽だけ聴いています。僕は音楽方面に掛けては、集めたCDは圧倒的にクラシックに偏っています。それを、失業して生活費が無くなって僕の持ち物一切合財を売って生活資金にあてても、クラシックだけは売らないで取っておいたので、今も聴くことができます。音楽は寝込みながら聴くことができます。特にクラシックは暗い静かな曲が多く、心が音楽の方に分散されてうつの辛さ苦しみが安らぐのでとても助かります。

夕食もカロリーメイトとか食べながら最低限カロリー摂取を一応しているかなと、衰弱した僕の頭の中では考えています。猫に餌をあげてお水を取り換えます。猫はずっと寝ていることが多いですが、たまに「にゃ〜んにゃ〜ん」って寂しい鳴き声あげるので、(ブラッシングしたり遊んであげれなくて、ごめん)と思います。猫の爪はどんどん伸びちゃうので、それは数ヶ月に一度、少し切ってあげています。僕の夕食はカロリーメイト以外も少し食べています。長生きする気力とかは完全に失われている感じでして、最低限、カロリーを取るだけの食事です。睡眠不足で眠れない(不眠)なので、頭痛が酷く、睡眠薬もだんだん効かなくなってきた感じで、全てが悲観的です。後、うつ病に掛かってから体重が15kgぐらい減ったんですが、痩せると、胸があばら骨が見えるような感じでどんどん痩せて、相対的にお腹は胸ほど痩せないので、BMIが18.5未満で痩せすぎになっているんですがお腹だけぽこんと飛び出したみっともない体形になって、それが、身体洗ったりするたびに分かって、辛かったです。

最近はずっと生活苦とうつの調子が悪くて、前はバナナがうつ病に効くと聞いて、バナナ買おうと思ったら「バナナダイエットブーム」とやらで、バナナが高くなっていたり、とても、疲れて、だんだんゆとりがなくなって、僕を閉じ込めている貧困の檻が迫ってくるような感じで怖いです。

ただ、先日、命の恩人さんより助けられ、とても気持ちが心身ともに助けられました。怖さが和らぎました。どうもありがとうございます。感謝してもしきれません。頑張って食生活をもう少しよくして健康を取り戻そうと思います。本当にありがとうございます。

先日より音楽を紹介していますが、僕が今聴いているのは、サン=サーンスの交響曲第2番です。この曲はサン=サーンスの音楽の中で僕が一番好きな、暗く、それだけでなく綺麗な構成の交響曲です。この交響曲第2番はサン=サーンスの音楽全体における致命的弱点である、余りにも形式にこだわり過ぎるばかりに、冗長な古典的旋律が延々と続く感情無き機械的音楽になってしまっているという問題を、完全にクリアしている訳ではありませんが、ある程度、それを抑えている良い曲と思います。

交響曲第2番は、まず、非常に短いです。僕の持っている盤はサン=サーンスの交響曲全集で最もポピュラーな盤と思われるマルティノン指揮フランス国立放送局管弦楽団の盤(演奏時期1972〜1974)ですが、交響曲第2番は第1楽章の始めから第4楽章の終わりまで21〜22分くらいです。それぞれの楽章が短い分、全体的な構成が交響詩的な良い意味で短く纏まっております。サン=サーンスの弱点である、形式に対するこだわりによる冗長さを感じることなく聴ける交響曲です。

また、サン=サーンスの交響曲第2番は、非常に暗いです。彼の交響曲で次に暗いのは交響曲第3番ですが、第3番は暗さよりも徹底的に形式重視の交響曲で、第2番と第3番の間には、飛び越せない深淵があるような感じです。第2番は非常に暗く、それがサン=サーンスの音楽の特徴である機械的な音楽形式への傾倒を、良い意味で緩和しているように感じます。交響曲第2番は暗く見事な形式的クラシック音楽として、とても優れたものに仕上がっている作品だと、僕は思います。

音楽を聴いているときは、その音楽の美しさ、構造的な美しさについても感じて考え感じて考えという形なので、意識が分散して、うつが少しですが和らいで楽になります。

文章を書くのも、とても疲れていて、なんとか頑張りますが、あまり更新できなかったらごめんなさい。命の恩人さんに、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。これから、世界的に経済が困難な状況になると予見いたしますが、どうか皆様方に生命の幸せがあることを、祈っております。僕が生きていられるのも、優しいご善意ご慈悲のおかげで、言葉に尽くせないほど感謝の気持ち、助けて頂き、涙がでるほど、ありがたく、心慰められ、助けられております。どうもありがとうございます。

参考作品(amazon)
サン・サーンス:交響曲全集、協奏曲集(6枚組)
サン・サーンス:交響曲全集、協奏曲集(6枚組)

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ご善意ご慈悲に応えることができず、申し訳ないです、ごめんなさい。少しでもお役立ちになれることが書ければと思います。タロット占いと合唱について。

邪宗門秘曲
アルヴォ・ペルトの世界~アルボス

僕が生きていられるのは、ご善意ご慈悲をお持ちのお方のおかげで、本当にありがとうございます。心から感謝しております。

僕の方からは、何もお役立ちできず、申し訳ないです。ごめんなさい。

僕に残ってるのは、うつ病になる前の知識くらいなので、それで、どうか、少しでもお役立ちになれることが書いて行ければと思います。お礼として万分の一もないかもしれませんが、これしか、お役立ちできることがなく、申し訳ありません。

僕は、昔(大学生の頃)から占い、特にタロット占いに傾倒していて、本物の占い師さんに少し師事したりしたんですが、そのことについて書きます。

タロット占いというのは、外面的(これから起こること)を占ってくれというお客さんがほとんどで、内面的な占い、己について知るという占いは、そういったことをやってくれ、というお客さんがほとんどいないので、タロット占いのスプレッド(カード配置の敷き方)において、だいたいが、外面的なこれから起こることを占うものに特化しており、タロットの本などでも、ほとんどが、そういったスプレッド(これから起きる事象の推定を行うスプレッド)の紹介が行われております。

しかし、内面を占い、己の裡なるセフィロートの木を昇って行くというのが、カバラーやグノーシス(タロットはカバラ思想だけでなくグノーシス思想の流れも継いでおります。このことを書いたアルフレッド・ダグラス著「タロット」という本、僕は今手元にないんですが、タロットの歴史・思想背景を知る上でとても良書だったことを覚えています)の流れを継ぐタロットに課せられたある種の宿命的な在り方であり、未来を知るのではなく、内面を高めるということが、タロットの真の意義であると僕は思います。

僕のオリジナルの考え方という訳ではなく、僕の師事していた占い師さんの考え方に、上記は大きく影響されています。プロの占い師さんは、僕なんかより遥かにタロット思想に対する造詣が深いので、セフィロートの木を昇って行くということについて、とても真面目に考えておられます。

タロットには、未来を推定するのではなく、自己の裡を高めることに専念するスプレッドもあり、これは、占う術者が自分自身を占う方法が幾つかあります。こういったスプレッドはタロットの本ではほとんど紹介されることがないのですが、その一つを紹介しようと思います。

占いなどに傾倒した心理学者ユングが自己を高める為に使っていたというスプレッドで、ユング・スプレッドという名において知られているスプレッドです。占いの時に、カードを以下のように配置します。○がカードの配置、番号が自分が自身でシャッフルして手に馴染ませたカードを一枚ずつひいて置いてゆく順番です。タロットの場合はトランプと違い、正位置と逆位置が術者(これから占う人)の手によって混ざり合うようにシャッフルします。凄く簡単なタロットのシャッフルのやり方としては、テーブルにタロットカードを広げて、バラバラにしてタロットカードが上下沢山入れ替わるようにして、その後、タロットを纏めて、普通にシャッフルするなどの方法があります。ユング・スプレッドはシャッフル後、以下のように配置します。

   ◆ ´

  ´ぁ ´

   Α ´

,離ードは、己の内面を表します。△鉢は己の内面的な女性的素質(アニマ)を表します。い鉢イ聾覆瞭睫姪男性素質(アニムス)を表します。Δ鉢Г聾覆内面的に欲するものを表します。

これらによって、己を自己分析し、どうやって己を高めていったらいいかを考えるのが、ユング・スプレッドです。先に書いたように、己の内面を占うため、あまり知られていないマイナーなスプレッドですが、タロットをやっている人間の目的は、僕はやはり、僕のタロットの先生がいっていた通り、未来を知るよりも、自己を高めるための大きな助力だと思うので、大事なスプレッドだと思います。

タロット占いをこれから始めようと思う方のタロットの大アルカナ・小アルカナの解釈については、井上教子さんの「タロット解釈実践事典−大宇宙の神秘と小宇宙の密儀」が入門書としてとても良いと思います。先に挙げたアルフレッド・ダグラス著「タロット」も、解釈が載っていますが、かなり高度なので、先にある程度、分かりやすい入門書を読んでから、こちらの解釈も参考になされると良いのではないかなと思います。タロットは、僕は「Spiral Tarot Deck」を使っております。

ご善意ご慈悲をお持ちのお方に少しでもお役立ちできることが、今の僕にはこういったこと(知識)しかなく、ごめんなさい。どうか、よろしくお願い致します。

余談ですが、僕が日本人の中で最も尊敬するのは手塚治虫さんなんですが、以前、手塚さんが、「自分は理系で理詰めで計算付くの考え方をするけれど、科学の他には占いだけは好きだ。占いには神秘的でまだ解き明かされていないものへの探求、科学と通じるものを感じる」というようなことをたしか書かれており(本は生活費にする為、ほとんど売ってしまい、前述の本等とも同じくこれも手元にないんですが、手塚治虫さんの著書「ぼくはマンガ家」に載っています)それ読んで、嬉しかった思い出があります。

先日より紹介しております音楽は、今は、木下牧子さん作曲の「邪宗門秘曲」を聴いています。このアルバムは、僕のとても好きな音楽の一つ、アルヴォ・ペルトの重く暗く美しい合唱曲「デ・プロフンディス」(深淵より)などに通じる道を感じ、とてもクラシカルで重く暗く美しい合唱曲で好きな作品です。素晴らしきペルトの合唱曲「デ・プロフンディス」(深淵より)とともに、お勧めいたします。

あの 時間を逆に伝わってくるものは何だろう
未来からの暗号
あれは しかし 人間のそれではない
もちろん 神なんかでもない

あそこの砂漠の
だんだん乾燥してゆく 抽象的な空の下で
地上にのこされたたった一本の草にすがって
最後の蝶が発信しているのだ
(合唱曲「虚無の未来へ」「邪宗門秘曲」より)

深い淵の底よりあなたを呼びます、主よ
主よ、私の声を聞いて下さい。
私の嘆きの声に
耳を傾けて下さい
(合唱曲「デ・プロフンディス」「アルヴォ・ペルトの世界~アルボス」収録)

参考作品(amazon)

邪宗門秘曲
邪宗門秘曲
アルヴォ・ペルトの世界~アルボス
アルヴォ・ペルトの世界~アルボス
タロット(新装版)
タロット(新装版)
タロット解釈実践事典―大宇宙(マクロコスモス)の神秘と小宇宙(ミクロコスモス)の密儀
タロット解釈実践事典―大宇宙(マクロコスモス)の神秘と小宇宙(ミクロコスモス)の密儀
Spiral Tarot Deck
Spiral Tarot Deck
ぼくはマンガ家 (角川文庫)
ぼくはマンガ家 (角川文庫)

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うつが酷く、頻繁に悪夢を見て寝るのが辛いです。フェルナンド・ペソア「不安の書」ブルックナー「テ・デウム」手塚治虫「シャミー1000」猫になりたいです。

ブログネタ
◆◇◆◇ ☆ネコ 猫 ねこ!!☆ ◆◇◆◇ に参加中!
不安の書
ブルックナー:宗教曲集
SFファンシーフリー (手塚治虫漫画全集 (80))

うつの調子が酷く、不眠と、眠れたとしても悪夢を見ることが頻発し、特に今日の明け方の悪夢は酷かったです。うつ病に掛かる前の僕は悪夢を見ていると、「これは不条理すぎるから悪夢だな」って分かって、夢の中の自分に大声を出させるとかの方法で、悪夢から目覚めることができたんですが、うつ病に掛かってから、夢の中の自分をコントロールできなくなって、地獄そのものとしかいい得ない悪夢が延々と続き、起きたと思っても、また悪夢の中にいることの繰り返しで、地獄の合わせ鏡の中にいる苦しみで、起きた後も死にたくなります。

ただ、猫と一緒に寝てるので、僕が起きて、猫がすやすや可愛い寝顔で眠っているのを見ると、心が励まされて、ほんの一筋、救いの光射すのを感じます。猫がいなかったら、とっくに自殺しているような感じです。

うつの調子は悪く、うつ病に掛かり、失業もして、うつ病に掛かる前に比べて生活も困難化しているのが大きいのかなと僕は思います。以前は色々、明るい催し、好きな催し、楽しい作品を鑑賞したりして、気晴らしができたのですが、うつ病に掛かってから、気力がなくなって、そういったことが出来なくなりました。

先日より取り上げております様に、重いクラシック音楽は何とか聴ける感じで、今は僕の好きなブルックナーの宗教曲集を聴いています。ブルックナーは重厚で悲劇性と崇高さを持つ宗教合唱曲の創り手の名手で、僕はその中でも「テ・デウム」がとても好き、一番大好きで、昔からよく聴いていたので、なんとか今も聴ける感じです。

主よ、御身に依り
頼りしわれらに、
お哀れみをたれ給え
(ブルックナー「テ・デウム」)

また、本は、読む気力が沸かない辛い状態ですが、なんとか少しずつ読める本を先日より見つけました。フェルナンド・ペソア「不安の書」です。これは絶望を遥かに超えた絶望、世界と人間と己に対する強烈な不安に彩られた哲学的詩的断片集です。ニーチェの哲学書から生命力を奪い、うつ病にしたような、シオランの哲学書から、土着性を抜いて、普遍的な絶望を更に深めたような、とても暗い、暗澹とした書物です。ニーチェの哲学書のように、断片から構成されているので、どこからでも読むことが出来、中身は非常に陰鬱で絶望的なので、今の僕が読める唯一の書です。昔大好きだったニーチェの著作は生命力が強すぎ、明るすぎるので、今はとても読めません。ニーチェと同じく大好きなシオランの著作も、彼の著作は土着性が強いので、疎外感を覚えてしまい、読むことが出来ません。

ただ、唯一、ニーチェの断片のように普遍的で、シオランの書のような絶望と陰鬱に満たされた、フェルナンド・ペソア「不安の書」だけが、読むことが出来ます。パラパラと捲って、時々少しずつ読んでいます。どのような感じか、少し引用いたします。

心のごみ捨て場から流れ出る恥辱であり、誰もあえて告白しようなどとは思わない、汚い亡霊や抑圧された感性の粘々したものや脂じみた膿疱のように眠られぬ夜を悩ます、あのような凡俗な夢は別にして、心は、難なくというわけではないが、いかにばかげたものでも、いかに恐ろしくて言葉にできないものでも、その片隅に受け容れることができるのだ!

人間の心は戯画的人物の住みついた精神病院だ。既知のあらゆる恥辱より深い羞いをかなぐり捨てて、心が真実あらわにされるなら、真理について言われているように、それは井戸であろう。しかし卑しい生き物、生命のない粘々したもの、存在のないナメクジ、主観性の鼻糞が住む、ぼんやりと反響する不気味した井戸であろう。(中略)

月並みな人間はいかに生活が厳しくとも、生活を考えないので少なくとも幸せだ。猫や犬のように時間の流れにそって外面的に生活を送る ―― 一般的な人はこのようにし、猫や犬のような満足を確保するには、このような生活を送るべきだ。

考えるなら、ぶち壊しになる。それは、考えるのは分解することになるので思考の過程そのものに固有なことなのだ。もしも人が人生の謎について瞑想する方法を知っていたなら、もしもそれぞれこと細かな行動をしているときの心を窺わせるありとあらゆる複雑なものを感じる方法を知っていたなら、けっして行動せず、生きることさえしないだろう。翌日ギロチンにかけられないように自殺する人のように、怯えるあまり自殺するだろう。
(フェルナンド・ペソア「不安の書」)

こういった形で、延々と哲学的詩的な断章が、延々と続く、存在論的不安に彩られた断片集です。ひっくり返ったニーチェやハイデガーのような感じです。

ニーチェは世界に意味と希望(人間の知的な生命力、権力への意志)を抱いていますが、フェルナンド・ペソアは世界に無意味と絶望(人間の知的な生命力、権力への意志が人々を更なる疲労と苦悩と絶望へと導く)を抱いています。

ハイデガーは存在論(存在論的認識・死の先駆的了解)に意味と価値を認めていますが、フェルナンド・ペソアは存在論(存在論的認識・死の先駆的了解)こそが、人間を疲労と苦悩と狂気に追いやる悪夢的思考の極致として、反・存在論的な立場に立脚しています。

フェルナンド・ペソアは一切の知的世界・哲学的世界・システム的現世界に完膚なきまでに絶望しきっており、一切の救いをなくしたグノーシス、一切の救いをなくした仏教のような、独特の極めてネガティヴな暗澹たる無常の世界観を持っています。今の僕は非常に彼に共感するものを感じます。「不安の書」から伝わる彼の考え方・思考方法・世界観が今の僕に非常に似ています。手塚治虫さんの作品の一部にも共通するところがある、知性・知性的合理性に対する深い絶望感です。

フェルナンド・ペソアは猫を気に入っているようで、そこも僕に似ています。猫の単独狩猟動物としてのかって気ままで本能的なところを愛しているようです。ここは、僕や、手塚治虫さんの一部の作品の感性に似ているなと感じさせるところです。手塚治虫さんの「シャミー1000」を彷彿とさせます。

手塚治虫さんの作品に猫と人間との愛を描いた「シャミー1000」(三味線のもじり)という作品があります。その作品では、地球とは別の星で、知的合理性が世界を支配し、潤いを失った星で、その星の人間は猫を飼うことを唯一の心の潤いにしていました。しかし、その星の人間は猫をも改造して、猫に高い知性を与えてしまったことにより、猫と人間の関係が逆転して、猫が支配する星となりました。けれども、高度知性を持った猫が創る世界も、以前のその星の人間の世界のように知的合理性の支配する世界であり、潤いがないのです。その星の猫達は、文献などで「愛情」という潤いが過去にあったことを知り、それを探しに各地の星々に行き、その一つが地球なんですが、結局、個的愛情というものは、社会的な知的合理性システムと結びつかない(知的合理性による生権力と個々の愛情は相容れない)ので、地球の人間との愛情を手に入れたその星の個的な猫は、高度知性を手に入れた猫の社会システムの知的合理性(生権力)によって排除(処刑)されてしまうという悲劇的作品です。手塚治虫全集「SFファンシーフリー」に収録されています。

シャミー1000(高度知性を持つ猫種)
「(人間の体は)ひどく原始的でみにくいからだ。でもこのからだにだかれているとすごくくつろいだ気持ちになるのはなぜだろう?」(中略)

高度知性を持つ猫種の地球調査隊
「シャミー1000 シャミー1000 反逆者シャミー1000!!命令(地球での愛情の調査とその記録を持っての本星への帰還)に違反して愛を独占しようとする裏切り者!!われわれはあと二時間で東京に着く。すぐにおまえたちを探しだしともに処刑する。…逃げてももう無駄だ…」
シャミー1000
「四村くん、四村くん、起きて!!お別れよ」
四村
「ど、どうした急に…」
シャミー1000
「私たちを殺しに仲間が来るのよ」
四村
「なんだ、ネコが人間を殺してシャミセンの皮にでもするのか?」
シャミー1000
「ちがうの。(帰還命令に背いた)制裁なの。処刑なんだわ」
四村
「きみのトバッチリをうけるわけか。ネコと心中はごめんだぜ」
シャミー1000
「シンジュウって何?」
四村
「なんでもいい、とにかく命あってのものだねさ」
シャミー1000
「私のことはかまわないで…」
四村
「ばか、逃げのびるんだよ」
アパートの家主
「ちょいと台風がくるってのにどこへ行くのさ」
四村
「あ…あの、ネコを捨てに行ってくるんだ」
アパートの家主
「あ、そう、さっさと捨てといで」
シャミー1000
「捨てる気…?」
四村
「捨てるもんか、やっかい者の子ネコちゃん。こうなったらおれたちの間は死ぬまでいっしょだぜ」
(手塚治虫「シャミー1000」「SFファンシーフリー」より)

僕はうつ病に掛かってから先行き悲観的な傾向が酷く、疲労が酷く、身体的にも何もしていない時でも腹痛や頭痛、肩に重いものが乗っているような、精神的な心身症の症状がでております。世界情勢・国内情勢・自分の状況から、今後の暗い先行きが見えて(何十パターンも予見しますが、皆暗い先行きです)、生きているのが辛いです。猫になりたいなと、寝ている猫を見ながら思っているので、「不安の書」の次の文章などは深い共感を覚えました。猫になりたいです。

とりわけ私の感じているのは、疲労であり、存在しているという事実以外に存在理由がないときの疲労と双生児である、あの不安なのだ。私はすべき身振りを心深く恐れ、言うべき言葉に知的に怯える。すべてはあらかじめくだらないように私には思われる。(中略)

人生はもしもそれを意識するなら、耐えられないものになろう。幸いなことにわれわれはそうしない。動物と同じく無意識で、同じように無益に無駄に生きているし、さらに、確かではないが、動物は予想しないと想像される死を我々が予想するするとしても、何度も失念したり、何度も注意散漫や脱線に陥ったりしつつ予想するので、死を考えていると言うにはあたらないのだ。

我々がこのように生き、自分たちが動物より優れていると判断する根拠は乏しい。我々が動物と異なる点は、話したり書いたり、具体的思考力を持っているのを娯しめる抽象的思考力を持っていたり、不可能なことを想像したりするというまったく外面的な事柄にある。しかしながら、それはすべて、我々の基本的有機体にとって二次的なものだ。話したり書いたりしても、どのようにすべきか知らずに生きるというという我々の根源的本能に何ら影響を及ぼしていない。我々の抽象的な思考力は、動物にとっては日向にいることに相当する、制度か半ば制度的な考えを作るためにしか役立たない。不可能なことを想像する我々の力はおそらく固有のものではない。というのは、猫が月を眺めているのを見たことがあり、猫が月を欲しがらないかどうかは分からないからだ。

世の中全体、生活全体は個人の意識を通じて機能する無意識の広大な体制だ。ふたつの気体が電流を通すと液体になるように、ふたつの意識――我々の具体的存在の意識と我々の抽象的存在の意識――は、生活と世の中を通すと、より高度の無意識になる。

したがって、(人生の未来を思考によって)考えないものは幸せだ。なぜなら、我々全員が(思考という)回り道をして、本来的でない運命か、社会的な運命かによって実現しなければならないことを、本能と持ち前の運命によって実現するからだ。動物にもっともよく似ている者は幸せだ。なぜなら、われわれ全員が苦労してそうあることに、労せずにしてなっているからだ。(動物は)樹のように根を下ろし、風景の一部となり、したがって美の一部となり、我々のように(思考が創り上げる未来や死後という)束の間の神話、無益と忘却からなる肌色の衣装を着た端役ではないからだ。
(フェルナンド・ペソア「不安の書」)

参考作品(amazon)
不安の書―リスボン市に住む帳簿係補佐ベルナルド・ソアレスの
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SFファンシーフリー (手塚治虫漫画全集 (80))
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ブルックナー:宗教曲集
ブルックナー:テ・デウム
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僕は後14ヶ月以内に1ドル=80円、日経平均は5000円台に突入し大恐慌が訪れると予想します。ブラームス「ドイツ・レクイエム」「交響曲第四番」

ブラームス:ドイツ・レクイエム
ブラームス:交響曲第4番他

僕は後、14ヶ月以内に円高が一ドル=80円台となり、日経平均は5000円台に突入する大恐慌が日本にも訪れると推測致します。アメリカ経済が金融恐慌とビック3の凋落によって保護主義化・一国孤立主義化することはオバマ大統領の当選確実からも、ほぼ間違いないことと思われ、日本は使い捨てのボロ雑巾のように捨てられる可能性が極めて高いと予見するからです。

アメリカへの外需頼みの日本は、間違いなく凋落していくことが推測されます。上記、日経平均が5000円台に突入した場合の日本の状況を、先週の週刊新潮が載せていました。週間新潮は買うお金がなくて、週間東洋経済のように図書館にもないので、立ち読みした僕のあやふやな記憶書きになりますが、どうかご容赦下さい。

週間新潮において明治大学教授の高木勝氏が株価が5000円台に突入し、日本が大恐慌に陥った場合の分析をされておりました。中小企業だけでなく大企業すらも連鎖倒産し、失業者は七百万人を超え、自殺者は三倍以上になる(十万人以上になる)ということを書かれておりました。またそうなると、失業者が溢れるので(失業者に対する日本の社会保障制度が現在実質機能破綻していて、僕のような若年層・壮年層は稼動年齢とやらではねられます。僕も失業病気貧困生活苦で困り果てていますが保護受けられません。)、治安が極度に悪化し、暴動などが起きる暗黒の時代を日本は迎えることになると推測されておりました。

この最悪のケースへ、日本はひた走っているように思います。日本はアメリカに頼りきった国家なので、アメリカが自国の危急存亡を迎えるときは、アメリカはお荷物と化した日本を容赦なく見捨てることは間違いないでしょう。特に、米民主党にはその傾向が顕著で、円高と世界恐慌の中で日本は経済的に破滅(恐慌)し、あらゆる方面で破滅してゆくと思います。

まさに国家というものは、栄枯盛衰、破滅へと向かうものなのだなあと思います。僕がうつ病で失業し、病気と貧困生活苦で、命を削り取られる破滅へと向かってゆくように、日本も破滅への道をひた走るでしょう。

僕は日本が生き残るには、アメリカに頼らない独自の資源外交を行って国内資源を確保するしかない、それには、中国やインドとの友好的な関係は勿論必要ですが(その点、先日インドとトップ会談を行い、友好関係が保てたのは日本にとって大きな前進です)、それだとやはり南方資源依存になるので、北方の資源確保ルートを持つしかない、ドイツのように、ロシアとの友好関係を強化して、ロシアのエネルギー資源を確保するしか、生き残る道はないと思います。

EUも決して一枚岩ではなく、EU首脳四カ国、ドイツ・イタリア・フランス・イギリスのうち主にロシアと関係の深い親ロシアのドイツと反ロシアのフランス・イギリスは仲が悪いです。今回の金融危機によって、イギリスが煽り立てている側面も大きいのですが、ドイツとフランスの関係は決定的に悪化しています。またイタリアは独自外交でロシアとの接近を深めています。日本がもしロシアと繋がることが出来れば、ポスト・アメリカの世界において、日本・ロシア・ドイツ・イタリア・イランを中心とした中東諸国(カタール等)と、北方の大陸経由で繋がることができます。もしこれが出来れば、ポスト・アメリカの世界において、日本は生き残る可能性が高まります。逆にこれができないと、いずれ日本は中国の属国として組み込まれることになり、日本という国家はじわじわと消滅してゆくと思います。

前回の世界大戦において、日本は日独伊の軍事同盟を結び、破滅しましたが、それは三国がアメリカ・ロシアを敵に回す破滅的な二面作戦を取ったからです。今後、日露独仏伊中東諸国で北方大陸を中心とする経済的な協定を結ぶことが出来れば、日本はアメリカに捨てられ、ポスト・アメリカ、世界恐慌下の元において中国の属領となる運命を免れることが出来ると思います。

しかし、日本の外務省は、省益セクショナリズムの為に国益を無視して完全なる対米従属路線を取っており、日本がロシアと友好関係を結ぼうとするのを妨害するでしょう。日本とロシアが友好関係を結ぼうとしても、外務省の省益セクショナリズム、対米従属官僚達の手によって、極めて困難が予想され、結果、日本は恐慌・破滅へと転がり落ちてゆくことが推測されます。後の歴史家は評するでしょう、日本という国の衰亡は、省益セクショナリズムにひた走る亡国の徒である官僚達主導の元、衰亡破滅へと追いやられていったと。

もはやこの国には絶望しかありません。作家の村上龍さんが「希望の国のエクソダス」で「この国(日本)にはなんでもある。だが希望だけがない」と書いていますが、今後はアメリカに頼りきった資源小国である日本の衰退は免れず、「この国には何もない。そして絶望だけがある」という状態へ、国全体が変化してゆくでしょう。

僕はうつがどんどん重くなり、生活が苦しく(僕は猫と暮らしており、一月の食費等生活費医療費にどうしても四〜五万円位掛かってしまいます、本当にごめんなさい)、amazonギフト券を贈って下さるお方のご善意ご慈悲と、アフィリエイトで買い物して下さるお方のおかげで、なんとか生きのびています。本当にありがとうございます。心から感謝致します。ただ、そのうち、どうしても貧困の果てに生きのびれなくなると思います。どうか、その時はご容赦ください。生きることに限界が来ることを、ご支援してくださった方に感謝の気持ちを最期まで抱きながら、どうかお詫び申し上げます。

日本もまた、僕と同じように、破滅への運命を転がりおちてゆくと思います。僕はブラームスの「ドイツ・レクイエム」(レクイエム曲の中で一番好きです)を聴きながら、避けられぬ訪れの死を思っています。第六楽章を聴くと、重き震えが全身に走ります。素晴らしい名曲です。

ドイツ・レクイエムについては先日より悲嘆なる曲を紹介しているとき、一昨日、引用の形で少し触れましたが更に引用させて頂きます。ブラームスの音楽の暗い悲嘆と絶望の音色は、素晴らしいです。特にこの曲は、クレンペラー指揮の盤が素晴らしい名盤、お聴きになることをお勧めいたします。

主よ、私に教えてください
私には終わりが来ることを、
そして私の人生には定められた運命(死)があり、
私は人生から別れなければならないことを。
ご覧下さい、私の日々は
あなたの前では掌の広さしかなく、
私の人生はあなたの前では無に等しきことを。
ああ、どんなに確実に生きていようとしても、
全ての人間は無に等しいのです!
それ故に人間は幻影の如く歩きまわり、
沢山の無駄な行動を起こすのです。
彼らは蓄財はしても、
それが誰のものになるかは知らないのです。
ですから主よ、何を私の慰めとすればよいのでしょうか?
私はあなたにおすがりします。
(ブラームス「ドイツ・レクイエム」)

また、ブラームスにおいては、フルトヴェングラー指揮のブラームス交響曲第四番が実に素晴らしく、ブラームス演奏の最高傑作と思います。こちらも素晴らしい名盤、お勧めいたします。どちらも暗い時代に相応しい名盤名曲であると思います。

参考作品(amazon)
ブラームス:ドイツ・レクイエム
ブラームス:ドイツ・レクイエム
ブラームス:交響曲第4番他
ブラームス:交響曲第4番他
希望の国のエクソダス (文春文庫)
希望の国のエクソダス (文春文庫)

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貧困生活苦でユーリ・シモノフ指揮モスクワ・フィルの来日コンサート行けないのが哀しいです。大好きなロシア音楽について「チャイコフスキー」交響曲第六番悲愴

チャイコフスキー:交響曲第6番
ゲルギエフ conducts ロシア音楽の饗宴 白夜祭~ロシア音楽紀行

ロシアの誇る偉大な指揮者ユーリ・シモノフが来月、モスクワ・フィルと共に来日し、日本各地でコンサートを開くのですが、最も安いチケットですら5000円前後するので、交通費も考えると、とても行くことが出来ません。ユーリ・シモノフは僕の好きな指揮者の一人(マーラー交響曲第一番やチャイコフスキーの白鳥の湖などとても良いです)、モスクワ・フィルも重厚で好きなオーケストラで、行けなくて、とても哀しくて、涙が滲みます。

僕はロシア音楽が好きで、以前より取り上げておりますように、ショスタコーヴィッチやチャイコフスキーが大好きですが、他にも、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ボロディン、リムスキー・コルサコフ、ムソルグスキーも好きで、ロシアの重厚で暗い音楽がたまらなく好きなのです。特にチャイコフスキーとショスタコーヴッチが好きです。僕はロシア(スラヴ)やドイツ(ゲルマン)の音楽、人生に絶望しきったかのような重厚な音楽が大好きなのです。愛と喜びをダイレクトに歌い上げるポップスのような明るい音楽よりも、生の真実、生とは苦しみであることを描写しえたクラシカルな作曲家・音楽家の音楽が、とても好きなのです。だから、好きな指揮者ユーリ・シモノフ、そして好きなオーケストラモスクワ・フィルが来日するコンサートに行けないのは、断腸の想いです。

貧困生活苦が、耐え難い苦しみを僕に味合わせます。以前より書いておりますように、貧困生活苦とは、行動が制限されること、檻の中に閉じ込められているかの如き心境なのです。果てしない絶望を感じます。

今はチャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴」を聴いております。カラヤン・1970BPOです。僕の一番好きな悲愴です。ああ、絶望的な僕の心境を現すのに、これほど最高の音楽はありません。チャイコフスキーは僕と同じく欝病であり(ロシアの芸術家には欝病が多いです、ショスターコヴィッチも欝病ではなかったかといわれています)、交響曲第六番「悲愴」の初演の九日後に謎の急死を遂げました。

チャイコフスキーが生涯最後の曲、交響曲第六番「悲愴」を作曲していた頃は、彼の鬱病の悪化が酷かったといわれ、「悲愴」の交響曲には、人間の限界を超えたかのような深い絶望が全ての終焉「死」を暗示するかのように現れてきます。

「悲愴」の第四楽章アダージョ・ラメントーソの絶望の深さは、まさに深淵を越えた深淵、死という最終的な無への顎門を胸の奥底に感じさせます。全ては暗澹たる悲痛なる絶望へと向かって行きます。死と暗黒の無を音楽の力で凝視した素晴らしい音楽です。

チャイコフスキーの死には謎が多く、コレラで死亡というのが公的発表ですが、欝病の悪化と周辺環境の悪化による自殺、生への意欲を失ったことによる緩慢なる自殺ではないかという説が根強く囁かれています。彼の死ぬ九日前に行われた交響曲第六番悲愴の初演に対する聴衆の反応は極めて冷ややかであり、そのことに欝病の彼は更なる苦悩をしたといわれています。また彼は自らの甥との同性愛関係を貴族らによる秘密法廷で裁かれ、砒素服用による服毒自殺を遂げたのではないかという説もあります。

全ては絶望です。僕のような欝病に陥り、しかも貧困に生きる人間にとって、世界には絶望しかないのです。世界にも自分にも苦痛が訪れ、全ては絶望の中で終焉へと向かってゆくのです。

僕は貧困の苦しみで欝病の状態がまたどんどん重くなり、先日よりの風邪の病状も悪化し、咽頭の痛みだけでなく不眠と頭痛が起きています。昨日は眠れたのがやっと午前三時過ぎで、午前六時頃には目覚めてしまいました。不眠症状が欝病の初頭から起きているので、睡眠薬を頂いているのですが、だんだん効き目が弱くなっている(もしくは僕の病状が悪化している)様相を示しています。

このように文章を書くことも苦しくて、一生懸命頑張っても毎日一回しか更新できない状態に戻りつつあり、そうしたら、一気にアクセス数が減り、ネットでの収入も減りつつあります。もはや、全ては終焉に向かっていくのです。まさに僕の人生とは悲愴の第四楽章です。もはや世界にも己にも深い絶望しかありません。

(ショスタコーヴィッチは)健康を害し障害を抱える身として、彼はますます(生きのびるための)注意力とエネルギーを要求された。心臓発作を起こしてからは、煙草も酒も絶たざるを得ず、再発が怖くて我慢していた。曲も思い浮かばず、手当たり次第本を読んだが、長い間作曲できないと、いつものように彼は気が滅入り不安になった。心臓発作から八ヵ月後の1967年1月には、毎日少しずつでも作曲をしようと試みているが、うまくいかないとグリーグマンに報告している。二月三日には、燃え尽きてしまうのではないかと思い悩みつつ、生命、死、そして、自分の経歴について近頃考えていることを綴った。

『自分自身に幻滅しています。………』
(ローレル・E・ファーイ「ショスタコーヴィチ ある生涯」)

参考作品(amazon)
チャイコフスキー:交響曲第6番
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ゲルギエフ conducts ロシア音楽の饗宴 白夜祭~ロシア音楽紀行
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Mahler: Symphony No. 1
Tchaikovsky
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叢書 20世紀の芸術と文学 ショスタコーヴィチ ある生涯[改訂新版]  ローレル (叢書・20世紀の芸術と文学)
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悲嘆的交響詩・幻想序曲について「ドヴォルザーク」「チャイコフスキー」

ドヴォルザーク:交響詩全集
チャイコフスキー : 交響曲第6番「悲愴」幻想序曲「ロメオとジュリエット」

風邪に掛かったようで、熱は平熱ですが、咽喉が非常に痛く、更新が滞ることありましたら、まことに申し訳ありません。お詫び致します。生活苦で内科病院に行くことはできないので、以前、精神科の方で、精神薬と一緒に市販の風邪薬を飲むご許可頂いているので、市販のお薬で治してゆくつもりです。

世界経済は悪化の一途を辿っており、世界大恐慌の訪れは避けられないものと予見致します。諸外国がいくら努力しても、恐慌の震源地アメリカが、きちんとした対策を打ち出さない限り、諸外国の努力は無と化し、世界はアメリカという需要国家を失い恐慌へと向うでしょう。

先日と同じく、このような絶望的で暗黒の世界の到来に相応しい美しき悲嘆的音楽をご紹介できたらと思います。

今、この文章を書きながら、しとしとと雨が降り注いでおります。世界にも、アメリカが絶望の雨を降らしております。それは大恐慌という誰にも避けられぬ破滅の洪水を世界中に齎すでしょう。水の悲劇を描いた悲嘆的交響詩としては、ドヴォルザークの「水の精」が非常に優れた、ひたひたと苦しみの迫り来る、悲劇的な、見事な音楽であります。

これは、水の精に囚われた娘とその子供、その母親の悲劇を描いた悲嘆的交響詩であります。陰なる水の精に囚われ、無理やりに花嫁とされた娘は、母親の待つ家に帰りたく暗き水底で嘆きます。娘はやっと1日だけ陸の世界へ上がることが出来、母親と再開を果たします。そこに水の精がやってきます。母親は扉を閉めて水の精を追い出そうとします。そのとき、湖から恐ろしい嵐が起きて、戸板に何かが叩きつけられます。その戸板に叩きつけられたのは、娘の子供でした。子供は死にました。悲劇的な救いなき交響詩です。

「ここ(水底)では全てが陰気で、殺伐としている。陽の光は全く射さず、沈黙と冷気が漂い、胸には何の希望もない」
(交響詩「水の精」詩文。「水の精」ライナーノーツより)

まさしく、この暗黒の現代を象徴するかのごとき暗さ、悲しみのリフレインが、皆様の心を深い水底へと誘ってくれるでしょう。美しく悲しい音楽です。

そして、悲嘆的な幻想音楽といえば、チャイコフスキーの悲嘆的幻想序曲「ロメオとジュリエット」を外すことは決して出来ぬと思います。リムスキー・コルサコフはこの曲について「全てのロシア音楽の中で最も素晴らしい主題だ」と述べました。まさに、悲劇的な音楽であります。この暗黒の時代へと落ちて行く現代に相応しい曲といえるのではないでしょうか。

この幻想序曲の主題はハムレットの「ロミオとジュリエット」であり、二人が破滅に向っていく悲劇性がだんだんと強調されて行く悲劇的音楽です。始めから結ばれないことが強調された破滅的悲劇的恋を予感する暗澹さから曲は始まります。曲の全編は不安に満ち、明るさのなかでもその不安は消えることはありません。明るさは一瞬にして消え、暗い不安が、曲全体を流れて行きます。この流れが実に悲劇的かつ美しく、素晴らしい、見事としか云い様がありません。聴いていると、背筋が深淵へと触られるかのような、暗雲たる虚無的絶望がひたひたと流れ行きます。素晴らしく美しい絶望の音楽です。

特に曲が中盤から終盤に入ると、悲劇的な絶望がクライマックスとして嵐のように暴れ狂い、リア王を彷彿とさせる、狂気のような暗黒のリフレインが、まさに、この世界の絶望的な闇を見事に表現しているといってもよろしいかと存じます。

そして、悲劇的絶望の咆哮と共に全ては終焉へと向って、壮絶なる悲しみの音色を奏でるのです。そして静かにして陰鬱なる鎮魂の音色が響き渡ります、曲の世界が終焉を迎えたのです。素晴らしい曲です。まさに、絶望的な悲嘆的幻想序曲として最高の作品の一つと云えると思います。

僕は今現在、咽喉が痛いのと、うつ病の調子が酷く、落ち込みが激しく、明るいものに触れることが全く出来ないので、辛くて辛くてたまりません。明るいものに触れると、耐え難い苦しみを感じてしまいます。苦しみに充ちた暗い絶望の暗澹たる美しき名曲だけが、心を何とか支えてくれております。今回、紹介しました両曲、共に、絶望的な悲嘆を描いた名曲であります。もしよろしければ、皆様方にも、ぜひご一聴お勧め致します。

これから訪れる暗澹とした世界大不況、そして世界大恐慌、世界の貧困化と世界の戦乱化という暗黒の時代における美として、暗い名曲は、人の心に慰めを齎してくれるものだと思います。

なぜなら すべての肉体は草のようなものであり
全ての人間の栄華は
草の花のようなものなのだ
草は枯れ
花は散るのだ
(ブラームス「ドイツ・レクイエム」)

参考作品(amazon)
ドヴォルザーク:交響詩全集
ドヴォルザーク:交響詩全集
チャイコフスキー : 交響曲第6番「悲愴」&幻想序曲「ロメオとジュリエット」
チャイコフスキー : 交響曲第6番「悲愴」幻想序曲「ロメオとジュリエット」
ブラームス:ドイツ・レクイエム
ブラームス:ドイツ・レクイエム

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