ねこねこブログ

ねこねこと申します。ねこ大好き(*^^*)アニメ、マンガ、ゲーム、本とかも大好きです。楽しいことたくさん書いていきたいと思います。今、うつ病で無職で生活が非常に貧困困窮しておりまして、買い物してくださるととても感謝します。メールについてはこちらをご覧下さい。リンクフリーです。ツイッターはこちらです。https://twitter.com/kemohure

2008年08月

辛いことがあって、エリック・サティの曲を聴いて心慰めていました。サティの曲は、優しい音楽のベッドのようだと感じました。

Satie: The Complete Solo Piano Music

辛いことがあって、寝込んでいました。先生から、うつ病の時は、安静と、ストレスの掛からない静養が基本的に必要で、インターネットなどの、うつ病に対して刺激的なものはなるべく避けて、限定的に行ってください、といういいつけを守って、ネットでは基本的にこのブログ更新と、善意のメール(ギフト券)だけを受け取っていて、ギフト券を贈って下さる方々、アフィリエイトを使ってくださる方々のおかげで、生活も心も本当にとても助けられ励まされています。ありがとうございます。

ただ、ライブドアのエントリの拍手機能が、先日より、なぜか「42拍手」ばかりつけられるようになってしまい、怖くて辛くて拍手機能を削除しました。これまで応援の意で普通に拍手してくださった皆様方、今後は拍手つけられず、申し訳ありません。応援・支援してくださる皆様の意を大事に胸に持って、これからも僕の力の及ぶ限り、良い更新を心がけたいと思います。よろしければ、どうかよろしくお願い致します。

今日はそのことで、辛くて寝込んで、エリック・サティの曲を聴いて心慰めていました。サティは「家具の(ような)音楽」と自分の曲を呼んでおりましたが、今の僕にとって、サティの音楽は優しいベッドのような音楽で、ストレスが掛かると起きる腹痛が先日よりずっと治まらないんですが、内科の病院に行くお金もないので、音楽を聴きながら横になっているしかなく、そんなとき、サティの音楽は優しかったです。

病院にいけないのは、僕は昨年度の低収入者(今年度はうつ病に掛かって無職になったので、今年は昨年以上の低収入で貯金を崩しながら暮らしています)で、精神科・精神病院の治療については障害者自立支援法により一割負担かつ負担に上限限度額が掛かっていて、月数千円なのですが(ただ、病院までの往復交通費がきつく、貯金も生活費で明らかに目減りしてきているのであまり通えません)、それ以外のお医者さん(内科・外科等、精神科以外のお医者さん)に掛かったときは、障害者自立支援法ではなく、国民健康保険になり、負担上限もないので、三割負担で、いくら掛かるかわからないから、体調が悪くても、精神科のお医者さん以外は掛かれない状態です。

それで、心身症の症状なのか、胃潰瘍やもっと何か違う病気なのか分かりませんが、ずっとお腹が痛くて寝ている形で(元々食欲無いのもありますが、これで食事とれず、現在、うつ病前に比べて体重が13kg減りました)、しかも不眠症の症状が酷く、強力な睡眠薬出してもらっているんですが、なかなか眠れないんですね…。

そんなとき、無音で布団かぶって横になっていると、悲観的な考えで頭が一杯になってますます苦しくなるので、一緒に寝ている猫の姿を見たり、小さい音で音楽を鳴らして、その音を聴きとったりして、少しでも苦しみを和らげながら、なんとかうとうとして、少し眠っては、また眠れなくなるの繰り返しです。

そんなとき、ショパンは美しい、特にノクターンは素晴らしく美しい、この世にありながら、この世のものではないかのような美しさですが、サティの場合は優しい感じがします。ショパンの音楽が美的な詩情だとすると、サティの音楽は優しい建造物という感じです。

エリック・サティの音楽といえば、ジムノベディやグノシェンヌばかりが有名なところがありますが、決してそれだけの作曲家ではなく、素敵な優しいピアノ小品を沢山のこしているんですね。例えば、普通はグノシェンヌは第六番までしか演奏されませんが、滅多に演奏されない第七番とか、若い頃の明るい曲ワルツ=バレエ(これは結構演奏されます)、晩年のノクターンも素晴らしく、後は薔薇十字団(Rosicrucian)のために創られた曲(祈祷曲)とかも素晴らしいものがあります。心を優しく癒してくれます。

後は、サティの曲「ヴェクサシオン」とかも、抜粋でしか聴いたことがありませんが、一度は、全部聴いてみたいです…。ヴェクサシオンは弾き手のテンポにもよりますが、一曲演奏しおえるまで20時間から24時間程度かかる曲のため(聴き終えるのに一日掛かります)、どのサティアルバムにも抜粋でしか演奏されていないようです。CDで出すと22枚組とかになってしまうのと、ぶっ続けで一日レコーディング演奏してくれるピアニストは、なかなかいないみたいで、幻の曲(実際に演奏されたか、録音されたか不明の曲)です。少なくとも僕の知る限り、ヴェクサシオンの完全版アルバムがあるというのは聴いたことがないです。ただ、世界は広いですし、僕が知らないだけで、もしかしたらどこかにあるかも知れません。

僕は昔からサティは好きで、うつ病になってから、ますます好きになりました。ドヴォルザークの「新世界より」とかもうつ病になる前は好きだったのですが、お腹が痛く、布団で横になっている今はなかなかこういう豪奢な曲は聴けなくて、ショパン、サティ、フォーレ、シューマン、ドビュッシーなどの静かなピアノ音楽をよく聴いています。そのなかで、一番優しいのはサティのように感じます。サティの全集として定評があるのは、チッコリーニの全集ですが、僕はティボーデの全集の方が音の詩情と洗練が上(サティの作風にあっている)と感じます。ただこれはあくまで、僕の耳で感じた、僕の感性による判断で、チッコリーニ盤も素晴らしい演奏です。どちらもお勧めです。

うつ病になってから働けなくなり、収入が途絶え生活が大変で、そして病気の症状と思いますが、ストレスとか刺激にすごく弱くなっちゃって、心(脳)だけじゃなく、身体全体が衰弱している感じです。そんなとき、心慰め、助けてくれるものは、皆様からの善意、ギフト券、本当に助かっています、ありがとうございます。また、アクセス数が激減しているのにも関わらず(以前のブログのアクセスが2000〜3000くらいで今のブログが100〜200くらいです)、アフィリエイトは、三分の一くらいの減少で、それも、助けてくれる方々がいらっしゃるんだなあと感じて、こういった助けてくださる方々のおかげで胸が熱くなって、なんとか生きられているような感じです。本当にどうもありがとうございます。うつ病だとどんどん気力が奪われる感じで、だんだん生きながら死んでるような、生命と死の狭間にいるような感覚になりますが、それが、皆様の善意を感じることで、胸が熱くて生き返るような感覚です。本当に、感謝致します。皆様の善意と、病院での治療・お薬、そして音楽が苦しみのなかで生きる糧です。

これからも、僕の出来うる限り良い文章を書いて、美しいもの、良いものを、感謝の想い忘れずに、皆様にご紹介できたらいいなと思います。どうか、よろしくお願いします。サティの音楽は有名な曲以外も、優しさがあって心癒してくれてお勧めです。ショパンとかのピアノ小品が好きな方はきっと気に入るんじゃないかなと思います。薔薇十字の曲とかとても良いです。お勧めです。

CD2は、サティが若い頃に興味をもった二大領域に焦点があてられている。ひとつは「薔薇十字団 Rosicrucian」のいわゆる祈祷曲で、神聖な儀式において内面を観相に導いて秘教に触れさせ、世間の雑念からすくいあげるような音楽、(中略)ここで、ばら十字教団のための音楽を作曲していた頃のサティが、ビュヴィス・ド・シャヴァンヌの壁面画のかもしだす静謐さや原初性に影響を受けていたのだということを、思い出しておくべきであろう。19世紀を生きる人々は、全く異なる世界観(近代世界観)の下にあることを認めながらも中世の宗教体験を再発見しようとした。建築家ヴィオレ・ル・デュクが、ノートルダム寺院のゴシック調オジーヴや円蓋を復興したのと同じように、作曲家サティは《オジーヴ》を作曲したのである。(中略)ルーセルが後に述懐しているように、サティは原初にたどりつこうとしていた。
「サティピアノ・ソロ作品全集(演奏ティボーデ盤)」ライナーノーツより))

参考作品(amazon)
Satie: The Complete Solo Piano Music
ベスト・オブ・サティ

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先日深夜、凄まじい雷鳴雷光と豪雨の中、モーツァルト「ジュピター」を聴きながらクラシックの想い出と、貧困の果ての死と社会の形について、考えていました。

モーツァルト:後期交響曲集

先日深夜、激しい雷鳴雷光と凄まじい豪雨で、もともと不眠なので、完全に眠れず、こういう天の怒りを感じるようなときは、それに合わせた音楽を聴こうと思いまして、最初はワーグナーの「ワルキューレの騎行」を選んだんですが、これは「ワルキューレ」からの抜粋なので、6分弱しかなく、すぐ終わってしまうので、天に君臨し、雷を起こすゼウスのことを思って、モーツァルトの交響曲第41番ジュピター(バーンスタイン指揮、ウィーン・フィル)を聴いていました。雷鳴雷光豪雨の自然の轟音と交響曲「ジュピター」は素晴らしく相性が良く(ギリシア的美の造形・ゼウスで繋がっています)、久々に(うつ病になってから初めて)モーツァルトを感動的に聞けました。

モーツァルトの交響曲は40・41番だけでもなく39番も凄く(交響曲として40・41に並ぶ究極的な完成度)、多く出回っている40・41番しか聴けない安めのCDよりも、名指揮者の39・40・41番が揃って聴けるCDの方が多少高くてもお勧めです。僕は40・41番の安めのCD買ってから、39番の凄さを聴いてそちらの方も買ったので、金額的に最初から39・40・41で買っておけばよかったなと、昔買った時に思いました。39・40・41、どれも素晴らしいですが、凄まじい雷鳴豪雨の中の41番はとても格別でした。

特にこの第41番がギリシア的造形美の極致とまで高く表現されるのは、一つにはその華麗な曲調にもよるだろう。なお《ジュピター》という愛称は、まさにその造形美にふさわしいものだが、モーツァルト自身は知らないもので、当時の作曲家で興行師でもあり、ハイドンと所縁の深かったザロモンの命名といわれる。
(「モーツァルト交響曲第40番・41番ジュピター」ライナーノーツより)

自然の轟音とマッチした素晴らしい演奏で、聴いていたらクラシックの昔の想い出が蘇ってきました。例えば、今は日本も海外もクラシック音楽CDの値段があまり変わらなくなってきますが、昔は海外盤の方が圧倒的に安く(特に全集が、海外盤だと5000円なのに、日本だと15000円とか、海外だと10000円の全集が、日本版30000円とかでした)海外盤をよく買っていたんですが(ライナーノーツは当然全部英語なので辞書片手に必死で読んでました)、海外盤って、日本の音楽CDだときちんとCDがプラスチックケースか、CD用の特別な布みたいなのにCDが入っていますが、海外盤の全集などは、ただの厚紙の中にCDが入っているんですね。最初買った時、出し方が分からなくて(逆さにして振ってもCDがでてこない)、CDの表面の穴に指入れて引きずり出すように出していて、この出し方だと、表面に指紋が思い切りついてしまって、指紋てついちゃうと取れないんですね…。

あるとき、厚紙を斜めにして、CDをくるくる回しながら出せば、指紋がつかずに出せるんだ、って気づいて、「ああ、厚紙に入っているCDはこうやって出すんだったんだ」って初めて気づいて、だから僕の持っているクラシックの全集は指紋がついちゃっているバージョンと、ついていないバージョンがあるんですね。こういうクラシックへの懐かしい想い出とともに、もう、いずれこのまま音楽も聴けなくなるのだろうかという、貧困困窮の悲しみも感じました…。

今、無職で収入がなく、大変困窮しておりますので、これからもっと困窮したらこういった音楽も聴けなくなり、そして困窮の果ての死によって、全ては無に帰すのだろうなということを、感動的な演奏に感銘を受けながらも、考えておりました…。

僕の治療をしてくれている精神科医の先生とソーシャルワーカー、カウンセラーさん達医療スタッフさん達は、とても良い人で、助けられていますが、精神科・精神病院だけでは、うつ病は治せないし人は救えないというケースは一杯あるんですね…。

それは、社会的要因によるうつ病、特に貧困状態で、うつ病でなくても貧困の果てに死を選ばされる、困窮した状態の人のうつ病の場合、いくら薬を飲んで、面談・カウンセリングで心を軽くしても、貧困困窮がますます進んで苦しんでゆくことの助けにはならないんですね…。

僕は無年金障害者(国民年金三分の二未納)で精神疾患が長引いても障害年金も受けられず、生活保護は、現在、新規の申請については徹底的に審査が厳しく、いくら困窮していても音楽を聴けるような環境でははねられる(各自治体によっても違うようですが、社会福祉費を徹底的に削減するように国(政府)から指示がきているので、新規の申請は基本的に受け付けないようにしているようです)ので、もう、絶望的なんですね…。

今日の朝日新聞にも、うつ病を引き起こす社会的要因(孤立・孤独・貧困等)が解決されない限り、うつ病による自殺を精神科医が止めることはできないという、精神科医の方の悲鳴のような記事が載っておりますが、本当にその通りで、僕が生活困窮で貧困死(餓死)かもしくはその直前に自死しても、それは僕を治療してくれている精神科医の先生や、精神治療の医療スタッフさん達のせいではなく、社会的要因(無職で収入がなく貧困で生活が不可能になる)によるものです。朝日新聞の記事、スキャンしたので、よろしければご覧ください。

朝日新聞2008年8月29日「自殺予防 精神科医だけに任せるな」

上記記事の最後の段落、「社会学者デュルケームは、1897年に著した「自殺論」で、予防の医療モデルを不可能とし、社会的共同体で個々人の連帯を高めることが予防の実践だと結論している。その状況はいまも変わらない。自殺予防を精神科医だけに頼らず、社会全体で取り組むことが必要ではないだろうか。」と書かれていますが、今の日本はこの逆を完全に行っている訳で、いったん経済共同体(収入がある人々の共同体)から転落すると、もう、連帯も何もなく、完全に個として分断されて、孤独と貧困のなかで自死を選ばざるを得ないようにシステムが構築されています。社会福祉費削減で新規の生活保護認可が極めて難しくなっています。

僕が貧困について「頭から離れず非常に辛いです」と精神科医の先生に相談すると、貧困妄想ではない(僕には低収入者の医療費上限負担額制限が掛かっていることを病院側も知っているので貧困妄想ではないことを先生も理解してくれていると思います)実際にたいへんなので、先生が困った顔して、今はうつ病を治すことを専念して考えましょうということを仰られます。精神科・精神病院は、精神の病を治療してくれますが、貧困から救うということは、現在、極めて難しくなっているんですね…。

精神疾患や身体障害の場合、昔なら障害年金制度などがこういう時の救いになっていましたが、就職が非正規雇用に切りかえられて、保険制度ががたがたになっているので、正規就職(厚生年金加入)ができなかったため、国民年金三分の二未納者が僕のように若い人に増えているみたいで、その場合障害年金も受けられず、もう精神科でも貧困のうつ病者(または他の精神疾患の患者さん)を助けられないんですね…。これは精神疾患に限らず、他の病気の方や身体障害の方でも同じみたいです。病気や怪我で働けなくなり、貧困の果ての死という形です…。

僕が貧困の果てに死んだら、大切な家族や大切な友人、またネットのギフト券やアフィリエイトで僕を支援してくださった大切な方々、そして一生懸命治療してくださる精神科医の先生や医療スタッフの皆さんに、心の負担を掛けるわけで、それが、心残りです…。なんとか貧困から脱したいと思っていも、貧困者でうつ病(または他の病の病人)だと、現在の日本は、そういう人々を抹殺するように動くシステムになっているんですね。国家的に社会福祉費を削減するという目標を掲げていますから…。それでも、生活費節約して、治療を受けて、なるべく生きられる限りは、努力して生きようと思っています。

こういうシステムが構築されている日本の社会(僕のような経済共同体から転落した人々を「自己責任」の名目で自死や餓死やホームレスにするような形で人間性と生命を抹殺してゆく社会)を、僕が生きている間には、おそらくあまり変わらないと思いますが、それでも、少しずつでも、改善して行って欲しいです。それが僕の今の願いです。

自民党は現行の財界(経済共同体から転落した人を抹殺するシステム)そのものですから、なんとか、財界の意向を掲げる自民党ではなく、社会福祉を充実させることを掲げる野党がいずれ、勝利して欲しいです。僕がなんとかまだ生きている間に、それが見られたら、嬉しいなと思います…。少しずつでも、社会を、社会福祉を充実させ、競争と個と絶望しかない社会ではなく、人間性を回復する、人々が助け合い、連帯する社会になっていってくれたら、それが、僕が貧困の挙句死んだ後も、いつの日か、そういう社会が来てくれたら、いいなと思います…。

参考作品(amazon)
モーツァルト:後期交響曲集
ワルキューレの騎行〜ワーグナー:管弦楽名曲集

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昨日から一睡もできず、boys air choirの「requiem」を聴きながら、大好きな映画「トレインスポッティング」のことを思っていました。

少年のレクイエム

なかなか更新できずにごめんなさい。本当に調子悪くて、昨日は不眠が酷く、一睡もできない形で、boys air choirの「requiem」(少年のレクイエム)を聴きながら、夜中、ずっと横になって、大好きな映画「トレインスポッティング」のことを思っていました。

「トレインスポットティング」は僕の大好きな映画で、スペシャル・エディションのDVD持っていたんですけど、うつ病の生活苦で売ってしまって、うろ覚えの記憶になるんですけど、それでも、それでも、なんか、とても思い出されるんですよね…。

スコットランドの貧困層で麻薬中毒の若者達の友情と、そして崩壊を描いた映画で、物凄くアップテンポで凄くクールでスタイリッシュで、エンターテイメントとしても抜群に面白い映画です。ただ、僕は、今凄い貧困状況なので、その、絶望的な未来の無い貧困さというのが、自分と重なってしまって、夜中、映画のことを思い出していました。

トレインスポッティングの若者達は貧困で麻薬中毒というどん底ですが、明るいんですよね。それは麻薬で無理やりアッパーになっているというのもありますが、もう一つは、友情が凄く深くて、互いに迷惑を掛け合ったりする、日本人から観ると、驚くような、友情の深さがあるんですね。

彼らは、絶望的で破滅的な状況から抜け出そうとあがき、一攫千金のチャンスを作るんですが、それによって、友情が失われる(ほんの少しだけ救いがあります)、最初から最後まで凄くアップテンポで激しくてスピード感があって、明るく疾走している映画なんですけど、でも、あれは、最初から最後まで貧困層の絶望を描いていた映画(麻薬しかもう居場所がない人々)だったんだなと、今思えば、それがはっきりわかります。

ただ、この映画で描かれる貧困層の若者達と、僕みたいな貧困者の違いは、彼らには、互いに麻薬を回し打ちして、迷惑掛けあいながらの、それでも、深い友情という言葉では測り知れない、絆みたいなものがあって、それが、貧困の時もなんとか救いになっていて、だからこそ、明るく疾走するような映画になっているんですね…。

僕なんかは物凄く孤独ですし、友人(直に会う付き合いがある友人達)がいない訳ではないですが、「トレインスポッティング」に描かれるような迷惑を掛けたら、直ぐに縁を切られてしまうような、日本の「互いに迷惑を掛け合わない」という友情性のなかの友人であって、大切な友人であることは間違いないですが、それでも、迷惑を掛けられない。日本の風土性の中に、「人に迷惑を掛けるぐらいなら、自死しろ」みたいな刷り込みというか、精神性があって、僕はそれから逃れられないように感じます。

こういった日本の風土を使って、僕みたいなロスト・ジェネレーション(非正規雇用者層)が、また不況で首を切られ始めていますから、日本の人口層の割合は、非正規雇用層やそこから更に転落した僕のような無職の貧困層が、自殺や餓死(孤独死)してゆくでしょうから、どんどん日本は一部のお金持ち、成功者を除いて、人々の生活が厳しくなってゆくと思いますし、非正規雇用者層も含めた日本の経済共同体から転落(仕事を失う)すると、もう、今は生活保護はほとんど受けさせないような形になっていますし、障害年金も、非正規雇用層は国民年金の三分の二が未納なことが多いので、それも受けられず、親も高齢ですし、ただ、生き延びる為の努力(職を探したり、病気を治したり)をしても埒が明かない時は孤独に死んでゆくしかないんですね…。

それを思うと、悲しみを感じました。それで、boys air choirの「requiem」を聴いていたら、このまま貯金をすり減らして、死んでゆくのかという思いで胸が一杯になって、涙が滲みながら、ずっと天井を眺めていました。もう、生きながら、死んでいるような感じです。ゆえに、boys air choirの「requiem」は心慰めてくれました…。

「レクイエム」というのは、死者のためのミサ曲のことです。その冒頭に出てくる最初の音楽<レクイエム エテルナム(永遠の安息)から、「レクイエム」という名称で呼ばれるようになりました。(中略)このアルバムでは、コナー・バロウズのボーイ・ソプラノとして最高に磨き上げられた美しい声で、祈りの歌、あるいは宗教的な音楽である「レクイエム」のなかの曲が歌われます。とりわけナチュラルなやさしさにみちたコナー・バロウズの歌声を聞くと、人はみな誰も、心の安らぎを感じるでしょう。
(boys air choir「requiem」(少年のレクイエム)ライナーノーツより) 

boys air choir「requiem」のレクイエムは本当に素晴らしいです。生きながら死んでいるような僕に、安らぎを与えてくれます。また、トレインスポッティングは、深い絆の友情(互いに迷惑を掛け合っても壊れない友情)と、貧困の問題を描き、更に、娯楽性も抜群の非常に面白い映画、スピード感抜群で観ていて片時も目が離せない映画、僕の大好きな映画です。皆様にも、自信を持ってお勧めできる、娯楽映画として素晴らしい映画です。お勧め致します。

後は、早く総選挙やって、民主党が第一党になって、無年金障害者の救済や、貧困層への支援(生活保護)の基準を緩めるなり、新しい基準を作って支援するなり、どうか、社会福祉を、少しでも、充実させてほしいです。このままでは、本当に生きて行けなくて、貧困は、本当に辛いです。皆様のご支援(ギフト券・アフィリエイト)と音楽と猫の三つだけで、なんとか、まだ生きながらえております。皆様のご支援、本当に心から感謝しています。

うつ病で貧困で、もう生きるのに必死でどうしようもなくて、新聞や論壇誌やTVやネットでリベラル派の知識人として活躍している方々に、こういう状態なんですが、どうか、どうすればいいか、お教え頂けませんか、ということを一生懸命丁寧にメールを書いて送ってみたんですが、誰一人も返事は来ませんでした。(どこの誰に出したとかは、勝手に僕がメール送っただけで、返事がこないのは当たり前といえば当たり前ですから、だれそれに出したいうようなことは、それは絶対公開しません。)リベラル派の知識人と呼ばれている方々は、僕のメールを出した限りでは、実際に困っている個人には関心はあまりないみたいです。それも凄く落ち込みました。

そしてそんなとき、僕が本当に困った時にギフト券やアフィリエイトでご支援して助けてくれるのは、僕の文章を読んでくださる、皆様方で、本当に、ありがとうございます。言葉に尽くせない、感謝しております。ありがとうございます。

参考作品(amazon)
少年のレクイエム
トレインスポッティング DTSスペシャル・エディション 〈初回限定生産〉
トレインスポッティング【廉価2500円版】
トレインスポッティング (Blu-ray Disc)

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昨日は、ラング監督の「死刑執行人もまた死す」を観て貧困を思い、その後は、フォーレのノクターンを聞きながら心慰めていました。

フォーレ:夜想曲

昨日は更新できずに申し訳ないです。なんとか更新しようと思って、先日お勧めしたフリッツ・ラング監督の最高傑作として名高い「死刑執行人もまた死す」を観ていたんですが、ちょっと今の僕には刺激が強すぎたみたいで暗くなってしまいました。

本作はナチス占領支配下で、物凄い暴虐と虐殺にあっているチェコ市民の人々が、ナチスの虐殺暴君である総督を暗殺した主人公を市民が一丸となって守って、ナチスに一泡吹かせるという非常に良く出来た、最初から最後までハラハラドキドキしどうしの優れた作品ですが(地縁的共同体の絆の深さと友情を描いているので、「ひぐらしのなく頃に」とか好きな人には特にお勧めです)、ナチスが、チェコ市民のナチスに抵抗する共同体(チェコ市民はうわべはナチスに従っていますが、皆ナチスを憎んでいます)を破壊するために、分断工作として、チェコ市民を大勢人質にとって、暴君を殺した主人公(チェコ市民にとっては英雄です)が自首しない限り、チェコ市民を虐殺するって宣言して、どんどん虐殺しまくる、狂気としか云い様のない方法を取るんですね…。

人質になって殺されてゆくチェコ市民達は、誇り高く死んでゆくんですが、その誇り高さを貶めるかのように、機関銃で大勢を一気にナチスがどんどん殺してゆく訳で、観ていて、辛くなってしまいました…。

映画としては、最高レベルの作品で、ぜひご視聴お勧めの作品ですが、僕にとっては辛かったです…。

僕は今、うつ病で無職で、貯金をすり減らしながら暮らしていて、貯金がなくなって公的援助も受けられないようだったら、なるべく人に迷惑を掛けずに死のうと覚悟していて、その覚悟で継続的にお腹が痛いんですが、最後の頼みの綱のアフィリエイト収入も、以前に比べると、今までのブログを閉じて収入が激減した先月より更に今月の方が激減していて、24日とかはついに収入ゼロになってしまいまして、水木しげるさんが、TVで戦争中は食べれないのが辛かったと述べていましたが、僕も節約(なるべく生き延びるために)でほとんど限界まで食を削って、食べれないので、お腹がいつも空いていて、チェコ市民の人たちも、ナチスに奴隷として扱いを受けていて、ほとんど食べれないのが重なって、それも辛かったです。

ただ、チェコ市民の人たちは、貧困と暴政の中でもナチスへの抵抗で団結して助け合っていますが、僕なんかは、完全に人々から切り離された個として貧困なわけで、日本のシステムというのは、武力を持った暴君が多数を支配するみたいな分かりやすい支配ではなく、少数の特権階級(官僚・政治家・資本家)と、大勢の労働者階級(生活が可能な階級)と、僕みたいなその下の、完全にお金(収入)と切り離されている無職で貧困の少数階級(生活が不可能な階級)がいて、それぞれの階級が切り離されていて、一番下の層(貧困層)は、基本的に誰の援助も受けられないゆえ(生活保護の審査は基本的に保護を受けさせないというのが今の基準で非常に冷徹で厳しく、どうしても家族にたいへんな迷惑を掛けることになります)、ここに転落すると、大切な人々(家族や友人)に迷惑を掛けてなんとか生き延びるか、その迷惑を掛けないようにするのならば、もう死ぬくらいしか道が無いんですね…。

チェコの人々はお互い強い絆で結ばれていて、みんなでみんな助け合って、貧困の中でも食べ物とか分け合って、ナチスと戦っていますが、そういった絆が、日本にはないので、ナチスに虐殺された人々のように、僕みたいな、一番下の貧困階級は日本では生きてゆくことができないんですね…。

ただ、死ぬ前に、こういう記録(貧困だといつもお腹が空いて、だんだん衰弱してくる)をインターネットにブログとして残しておくことが、ナチスにレジスタンスして死んでいった人々と同じく、日本でも、貧困層に転落したら、死への道へとそれは続いていくのだという記録を、ここにこうやって書きとめて置くことが、いずれこのままでは遠からず、生活できなくなって、自殺じゃなくて、餓死かもですが、日本は、貧困層に転落したら、生きていけないんだということの記録として、ネットに残る、それが僕のせめてものレジスタンスです。

こういうこと考えていたら、凄く落ち込んじゃって、フォーレの夜想曲を聴いて、心慰めていました。今は音楽と猫のおかげでなんとか意識が保っている感じです。うつと抗うつ剤のおかげ(抗うつ剤は食欲を減少させます)で、お腹空いても食欲があまりわかないので、音楽で心慰めながら、少しでも長く生き延びて、「日本で貧困層に落ちたら、助けは得られないんだよ」という記録を、頑張って生きている間に残して、それで、ほんの少しでも、この貧困層を抹殺する日本のシステムの問題性について、考えてくれる人がいたら、嬉しいです。僕はもうダメだと思いますが(システムは一朝一夕で変わるものではないので)、いつか後の時代で、貧困層を殺さずに救ってくれるようなシステムになっていればいいなと思います。その為にも、なるべく生きながらえて、記録として、どんどん、生活が苦しくなる記録を、残しておきます。

音楽だけが、今は心の慰めです。後、大変申し訳ないのですが、このままだとアフィリエイト収入がいずれ全てゼロになりそうな感じで、何か買い物があるときは、アフィリエイトを使ってくださると、本当に、命が少しだけ長らえます。本当にどうかお願い致します。

amazonで売っているフォーレの夜想曲は演奏ハイドシェックで、僕の持っている旧盤(既に廃盤です)が再盤されたものだと思いますので、これは、僕は旧盤で聴きましたが、素晴らしいです。心が本当に慰められます。お勧めです。

参考作品(amazon)
フォーレ:夜想曲
死刑執行人もまた死す(トールケース仕様)
暗黒街の弾痕/死刑執行人もまた死す《完全版》
死刑執行人もまた死す[完全版]

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今日は食べ物と猫のトイレ用品買いに行って、フリッツ・ラング監督の「暗黒街の弾痕」を観ていました。とても、哀しくて、そしてよい映画です。

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暗黒街の弾痕

今日もあまり調子がよくなかった(うつ病の心身症の症状がずっと出ていて継続的にお腹が痛いです)ですが、なんとか起き上がって、食料の買出しと猫のトイレ用品を買いに行って、その後は、猫と一緒に、寝込んだ後、猫と起き出して、フリッツ・ラング監督の「暗黒街の弾痕」を観ていました。この映画は僕の大好きな映画です。ちなみに現在、この映画の定価は500円です。現代の映画DVDが何千円もして、この映画DVDが500円というのは…、なんとも…。凄く優れた映画です。まだ未視聴の方は500円払って見る価値はきっとあります。本作は500円以上の価値ある、真に優れた名作映画の一つです。

物語は、差別され、虐げられながら、そして賞金を掛けられ、警察に追われながらも、逃避行を続ける愛し合う哀しい夫婦の物語です。主人公のエディは、根は善良ですが、怒ると口より先に手がでてしまうタイプで、そのせいでケチなギャング(ギャングといっても決して人殺しとかはしない窃盗犯)になってしまいますが、彼女を心から愛する恋人のジョーのおかげで更正し、ギャングの頃の罪を刑務所で償って、模範囚として出所し、人生を真面目にやり直そうとするんですね。

そして二人は結婚し、二人きりでいるときは幸せで、奥さんのジョーは妊娠するんですが、エディが前科者だというだけで、ホテルから追い出されるわ、勤め先を無理やり首にされるわ、とにかく前科者に対する社会の偏見と差別の連続で生活ができず、くたくたになっているところに、エディが六人もの人を犠牲にした銀行強盗事件の容疑者とされてしまうのですね。これは全くの冤罪なのですが、エディが、世間は前科者のことを誰も信じてくれないから逃げよう、というのに対して、ジョーが、警察に出頭して、無実であること(本当に全くの無実です)を説明してくれれば分かってくれるから、警察に行こうと話をして、二人で話している間に容疑者として捕まってしまってしまうんですね。

エディは無実なんですよ。だけどそれを心から信じているのはエディを愛する奥さんのジョーだけで、陪審員達は「前科者=有罪」という考えで、あっという間に死刑が決まって、死刑の日にちがどんどん近づいてくるんですね…。奥さんのジョーは警察に出頭を勧めた自分のせいで、愛するエディが冤罪で死刑になっちゃうと考えて、死刑執行の時間になったら自分も死のうと、覚悟の死を決めているんですね…。

死刑の時刻になる直前(11時に死刑執行)、昔のギャング仲間の手配で、死刑になる寸前に銃を手に入れたエディは脱獄を試みるんですが、ちょうどその時、銀行強盗事件の真犯人が見つかって、すぐにエディは無罪だからすぐに死刑執行を停止しろって電報が刑務所に届くんですね。でも、その時、既に、エディは人質を取って、脱獄している最中で、凄く不幸な行き違いから、常にエディとジョーの味方で、常に力になってくれた、ドーラン神父さんを、射殺しちゃうんですね…。(深い霧の中で撃った弾が当ってしまう)

エディは脱獄しますが、自分の無実が証明されたこと、そして、エディの味方をしてくれて力になってくれた神父さん、「君(エディ)の無実が証明されたんだよ」ということを知らせようとした神父さんを自分が射殺しちゃったことで、ショックで廃人みたいになっちゃうんですね。だけど、死ぬ前に愛する奥さんに会いたくて、電話を掛ける。それで、奥さんは、死ぬときも生きるときも、ずっと一緒よっ!!って、エディを連れ出して、二人で逃避行するんですね。神父殺しで指名手配されている上、ガソリンスタンドとかで強盗しながら逃げているので、ガソリンとタイヤだけ盗んでも、スタンドの店員がガソリンスタンドのお金を盗んで、二人が盗んでいったことにしたり、ここでも冤罪をどんどん掛けられて、夫婦二人とも、とてつもない凶悪犯罪者に仕立て上げられちゃうんですね…。

映画観ている人は、映画の始めの方の、刑務所から真面目になったエディがでてきて、刑務所の柵ごしにジョーとキスをかわすところから、ずっと見ていますから、二人がただ、幸せに生活することだけを望んでいた善良なカップルで、エディはちゃんと更正していて、それなのにどんどん、社会の偏見と差別意識によって二人とも悪漢にされていってしまうから辛いんですね…。例えば、エディは、口より先に手が出るタイプでしたが、それを奥さんとの生活の為に、更正したから、もうそういうのは我慢して、それこそ、物凄く低姿勢で、どうか働かせてくれって会社に頼むんですけど、会社の対応は物凄く冷たい訳ですね…。全然雇ってくれない。何も生活先行きの当てが無い上に酷い差別される。僕なんかも、先日のエントリで書きましたが、就職氷河期世代で、新卒就職に失敗して、会社を派遣とかの非正規雇用で転々として、正規雇用口の就職面接何度も受けて、慇懃無礼な対応で全部落とされて(基本的に会社は新卒じゃないと正社員を取らない)、今はうつ病で無職で、障害年金も貰えずお金もなく職もなく、何も先行きが何も無い上に病気で働けず、病気が良くなっても職歴に穴が開くからますます働くの困難になるでしょうし、映画で描かれる生活困難、見ていて、凄く良くわかるなって感じました…。

精神疾患を持って就職する場合は、ハローワークとか云って、精神障害者保健福祉手帳を見せると、障害者枠に回されますが、ほとんど枠がないか(会社に雇用義務が無い)、非常に低収入で、だから、デイケア出ていると、精神疾患を持ちながら働いている方は精神疾患のことを隠して普通の職場で働いていたりする方もいます。でも、そういう場合には、会社側にばれないようにトイレで隠れて薬飲んだり、凄く大変みたいです。精神疾患のことを隠していて、それが会社側にばれると、解雇とかあるみたいです。精神障害者保健福祉手帳の税金の減免とかも、精神疾患を会社に隠して働いている場合は使えない訳で、みんな苦労しています。社会の偏見と差別が、少しでもなくなってほしいです…。

映画「暗黒街の弾痕」の話に戻りますと、深く愛し合う二人が逃避行した先にあるものは、ぜひ、映画ご覧になってみてください。涙が滲むような、凄く余韻のあるラストで、僕はこういう映画が大好きなんですね。僕は、うつ病になる以前、ずっと昔から、ハリウッドの大作に多い勧善懲悪ハッピーエンド映画、観終えた後に何も残らない映画はどちらかというと苦手としていて、逆に、映像が美しく心に残って、見終わった後、深い余韻の残る映画が好きです。例えば、ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」とかジーノ・サルタマレンダ監督の「自転車泥棒」とかも大好きですね…(余談ですが、この映画「禁じられた遊び」「自転車泥棒」も今では驚くことに500円です。最近は昔の名作映画が500円で見られて、古い映画好きにとっては良い時代だと思います)。それは、うつ病になった後も、変わらずあって、この映画観て、ああ、いい映画だなあって、以前と同じく凄く実感しました。うつ病になって、お薬で治療してから色々感覚が変わりましたが(脳内が薬により以前とは別の状態になっているからと思います)、クラシック音楽好きと、古いサイレントやモノクロの好きな映画の趣味はうつ病になる前と変わらないでいてくれて、薬によって以前とは別人になった訳ではなく、こういうところでは、僕のコア・パーソナリティが連続しているのを感じられて、少し嬉しくなります。

僕は、うつ病の治療を始めて、抗うつ剤投与してから、色んな感覚が変わって、感覚が変わるということは、今まで興味のあったものに、興味がなくなったり、その逆があったりで、例えば、今では性的感覚が完全に消滅している感じで、(「エロい」ってどういう感覚だったかな…どうでもいいや…)みたいな感じなんですね。シモの話で申し訳ないですが、朝、生理現象として朝立ちしたりするので、別に構造的な機能は失われていないみたいですが、性的感覚がないし、性的なことに全然興味もわかないので、それはそれでいいかなと思っています。数ヶ月、そういったこと(性行為)をしていませんが、性欲が溜まるという昔あった性的感覚が全然ないので、綺麗な音楽を聴いて、猫を撫でていた方が気持ちが和らいで、性とかそういうことについては、もうそれはそれで何も感じなくてもいいやという感じです。これは抗うつ剤により脳内のセロトニンの量が増えていることによるものだと思います。

逆に、感覚が鋭敏になったものとしては、音楽が、以前のような、大音量で激しい音楽を陶酔する為に聴くというような聴き方は一切できなくなって(そういった聴き方は頭にノイズが入るみたいでとても聴けません)、逆に、優れた音楽を静かに聴いていると頭の中で、それぞれの音が美しい形に構成されて美が形成されてゆく、手塚治虫先生が「ルードウィヒ・B」で音楽を画像イメージ化しようとしていましたが、あれは視覚的限界にどうしても囚われる、凄く単純な形で、人間には決して描くことのできない(視覚化できない)、心象でしか描けない、非常に精緻で精妙な、美しい、視覚的に表現不能の魂に直接伝わる音楽の構造性の美みたいものが、魂の深奥に入ってきて感じ取れるようになって、視覚的には全体的に世界がぼんやりしている感じで、逆に聴覚的には、音に対して、特に音楽の美の形態に対して非常に鋭敏になっている感じです。だから、凄く綺麗な音楽を聴くと、以前とは全然違った、深い感動を覚えて、まさに以前書きました通り、音楽は命の糧であると感じます。

ただ、こうも感覚が変わると、以前の自分と、今の自分の連続性が、余りにも隔たっているので、うつ病になる前の自分と、抗うつ剤投与で感覚が変化した自分は、果たして連続的に同じ自分なのだろうか、みたいなことを考えたりするときもありますが、今日、「暗黒街の弾痕」を観て、昔(うつ病になる以前)と同じような、哀しいという言葉では言い表せない、深い余韻を感じて、僕のコア・パーソナリティの深奥は変わってないんだなみたいなことを感じられて、その点でも、全く個人的なことですが、この映画を見て良かったです。本作は非常に優れた名作、大勢の人が楽しめる、真に優れた映画ですが、上記の点において、僕を少し安心させてくれる個人的に格別に想いのある映画となりました。

この映画は、フィルム・ノワールの最も古典的な名作作品の一つで、ここから映画の「俺達に明日はない」とか生まれているんですね。日本の作品で云えば、例えば、高見広春さんの大ベストセラー「バトルロワイヤル」の小説は、この映画を見た後、読んだか、この映画を見る前に読んだかで、別々の感慨があるんじゃないかなと思います(僕は先にこちらの映画見て、読んだ方でした)。逆にバトルロワイヤルを先に読んでいる人は、この映画見て、覚える感慨がきっとあるだろうなと思います。お勧めの映画です。

参考作品(amazon)
暗黒街の弾痕
禁じられた遊び
自転車泥棒
俺たちに明日はない
ルードウィヒ・B (1) (手塚治虫漫画全集 (337))
ルードウィヒ・B (2) (手塚治虫漫画全集 (338))
バトル・ロワイアル
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昨日は抑うつ症状が酷く、寝込みながらずっとモーツァルトピアノ協奏曲20〜28を聴いていました。素晴らしい演奏のなかで、美の長いクロニクルを思っていました。

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モーツァルト:ピアノ協奏曲全集(アシュケナージ)

昨日は抑うつ症状が酷く、ずっと寝込んでモーツァルトのピアノ協奏曲20〜28を聴いていました。ピアノ:アシュケナージです。僕はうつになってから、一番安定して聴ける演奏がアシュケナージの演奏なので、以前、アシュケナージのピアノ協奏曲全集を買っておいて、助かりました。ショパンも、ピアノ・ソロは、アシュケナージのピアノ・ソロ全集で持っています。日本国内限定版は買う余裕がなかったので、以前買った海外輸入版です(ライナーノーツが全部英語なので読むの苦労しました)。

後、貯金が、どうしてもどんどん磨り減っていくので、病院にも、あまり通えなくて(僕は低収入者なので医療費は月上限負担が掛かってますが、交通費が掛かるので、きついです)、薬を二週間に一度だしてもらうぐらいしかだんだんできなくなってきて、体が薬になれちゃったのか、抑うつ症状が、酷くなってきて(抗うつ剤は処方の限界まででているので、これ以上増やせません)、精神疾患(うつ病)の僕の場合、公的な金銭的支援が受けられるのは、障害年金か生活保護で、障害年金は、国民年金を払う余裕がなかったので、受けられず(以前、民主党がだしていた、国民皆障害年金制度みたいのが、通れば別ですが、今後もおそらく無理でしょう…)、生活保護は、僕が完全に全財産を失って精神疾患で働けない状態にあっても、家族に扶養義務があるということで、今でさえ負担を掛けている家族にたいへんな迷惑を掛けるシステムなので、どうにも使えそうになくて、もう、自分の貯金がなくなったら死ぬ覚悟を昨日は音楽を聴きながら決めてました。覚悟を決めちゃうと、苦痛と共に少しだけ楽になるところもありました。

病院の先生とソーシャルワーカーさん(精神保健福祉士さん)にも生活困難のことは相談していますが、これは国(個々の権限的には市町村の社会福祉課・社会福祉事務所が大幅な裁量を持っています)の支援の問題なので、病院側ではどうしようもなくて、貯金が残っているうちに、なんとか労働できるぐらいに健康を回復して、労働して金を稼ぐか、もしくは、自己の全財産を完全に失った後、家族の迷惑になること覚悟で、生活保護申請を出すか、どちらかしかないような状況で、非常に厳しいです。デイケアとか出ても、きちんとした会社員(厚生保健加入)だった方とか、発病が早かった方(20歳前に初診歴がある)ような方は、障害年金が毎月13万5000円とか出ているので、障害者として生活が保障されて、コンサート行ったり、買い物したり、生きて楽しむことができるんですが、僕みたいな、所謂ロスト・ジェネレーション、ある程度若い(35歳以下)くらいだと、会社が非正規雇用に切り替えて保険制度ががたがたになっている時に発病しているので、障害年金を受け取れない方が僕のようにいるみたいで、そういう方々は、結局、無理して働くか、家族に大変な迷惑を掛ける生活保護か、死ぬ(自殺)するしかないようなケースみたいです…。もっと最悪なパターンは、生活費を工面するために多重債務者(サラ金等)になってしまうパターンで、こうなると、意志的に自殺するのではなく、精神的に債権者(金融業者)から追い詰められて自殺に追い込まれるケースが多いそうです。

僕の場合、家族に迷惑はかけたくなく、金融業者に追い詰められるなどというのも、非常に耐え難いので、病状が改善せず、貯金がなくなった場合、なんとか無理して働くか、自殺するしか、方法が二択しかなく、こういったことも、精神科医の先生やソーシャルワーカーさんに相談していますが、どうにもこうにもこういった貧困の問題には解決方法(市町村にもよりますが、現在、生活保護を受けるのは、社会福祉費削減で非常に厳しい状態です)がなく、今はまだ貯金があるので、その間になんとか病状を改善して日雇いでもなんでも、なんとか働き口を見つけましょう、という先送りの答えしか、先生方にも答えられない訳ですので、いずれ貯金がなくなって(貯金を減らさないために現在なるべく限界まで節約しています、HDDレコーダーとかの家電とかもハードオフとかでほとんど売っちゃったので、アニメレビューとかも、もう難しいかも知れません。もし調子がよくなればやりたいのですが、すみません。テレビとビデオとビデオテープだけは、残してありますので完全に不可能ではないです)そのときも働けない状態だったら、なるべく社会に迷惑を掛けない形(活火山の火口とかに飛び込むのが、跡形もなくなる訳で、死体の片付けとかする仕事の人とかにも迷惑かけない形で、最もいいのかなとか、なるべく最大限迷惑をかけず死ぬ方法を考えています)で自殺しようと考えていて、ちょうど、吾妻ひでおさんの「失踪日記」みたいな状態です。

そんな生活(無職で仕事のない生活)をしているうちにだんだん欝と不安と妄想が襲いかかってきて死にたくなってきた。
「どっか人のいない山の中で死のう」
金も無くなったし最後の酒を飲んだ。
「よし酔っ払っているうちに」
山の斜面を利用した首吊りである。
(吾妻ひでお「失踪日記」)

僕も最初はどっか人のいない山奥で動脈をきちんと切断することをうつ病の一番重い時期(病院に掛かる前)考えていたので、自殺しようとする人は同じようなこと考えるのかなと感じました…。吾妻ひでおさんはここで首吊りに失敗して、その後、ホームレスになるんですが、僕は失踪してホームレスとしてやっていくようなバイタリティに自信がないので、先のことはどうなるか分かりませんが、失敗とかは避けたいなと思っています。ショーペンハウエルは「自殺について」のなかで、「苦痛に満ちた生存において、唯一自殺を抑止しうる方法は、キリスト教などの宗教の教えではなく、その人(個人)にとっての最高の倫理的判断のうちにある(逆に云えば、その倫理的判断における自殺もありえる)」みたいなストア哲学っぽいことを確か書いていたんですが(この本も売っちゃって、手元になくて、うろ覚えで申し訳ないです)、僕の倫理的判断では、自己の財産が完全に無くなって、生活不可能になったらやっぱり死ぬしかないのかなと、考えています。お金なくて、食べ物とか窃盗とかして捕まる非常に生活に困窮した犯罪者の方がニュースなどで報道されることがありますが、僕は、やはり倫理的判断として、それは、あくまで僕個人の倫理的判断ですが、そういった行為(生きるために悪事を行う)は僕の倫理的判断に反するので、やはりセネカでも読み返しながら、覚悟しないといけないなと思っています。

ただこれは、現状の日本の社会福祉制度を肯定しているということではありません。現状の日本の社会福祉制度が、働けない人間(お金のない人間)は、家族に負担を強いる(生活保護システム)か、死ぬかのどちらかを選択させる、北欧などとは全く違う、働けない人間、お金のなく生活できない人間に対するある種の殺意的制度によって、成り立っているということは、それは倫理的に反していると僕は思いますし、日本の社会福祉というのはこういう制度であることを皆様に理解して頂けましたらと思います。僕だけじゃなく、皆様方にもいつ働けないという状況が訪れるかは分からなく、そのとき、日本の社会福祉の救済の措置は非常に限定的かつ残酷な選択を迫られる前近代的なものしかないということは、どうか知っておいてほしいです。僕は働けなくなって、社会福祉について調べて、日本の社会福祉システムが非常に残酷かつある種殺意的(基本的に生活苦であっても生活保護を受けさせないというのが日本の社会福祉制度の大前提としてあって、家族・親族を大切にする人や交渉ごとの苦手な穏健な人、自分より人のことを考えるような人ほど生活保護が受けづらく、どうしても死を選ばざる得ないようになっている)に構築されていることを知りました。日本の国家制度の中にあるお金のない人間に対する強烈な殺意をかいまみて、調べれば調べるほどとても恐ろしいです。市町村の社会福祉課・福祉事務所の人が、生活保護を受けられなければ死ぬような状態の人の申請を年々撥ね付けるようになったり、一体、そういう職員の残酷さというものが、官僚制のシステムから生まれて構築されて運用され年々厳しくなっていることが、恐ろしいです。こうの史代さんの漫画「夕凪の街 桜の国」の物語においてシステム的な殺意を向けられた方(被爆者の方)が亡くなる瀬戸際に最後に発するメッセージを思い出して、お腹が痛みます。

嬉しい?

十年経ったけど
原爆落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」
とちゃんと思うてくれとる?

ひどいなあ

てっきりわたしは死なずにすんだ人
かと思ったのに

ああ風……
夕凪が終わったんかねえ

「このお話はまだ終わりません
何度夕凪が
終わっても
終わっていません」
(こうの史代「夕凪の街 桜の国」)

公的な社会福祉の判定に従事する人は、生活保護申請を撥ね付けて、それで自殺がたとえどれだけ起きても、社会福祉費を削減するという仕事をシステム的にやってゆける訳で、本当に、システム的な強靭な精神の持ち主だと思います。勿論、それは、国家という強大なシステムの巨大な殺意の末端であって、そういったシステムが構築されていることが一番恐ろしいです。

個人的な話に戻りますが、僕が自分の倫理的判断基準に従って死ぬ覚悟を決めるというのは、少し楽になるとともに、やはり苦痛もあって、お腹の痛いのが止まりません。ただこういった身体的苦痛も、逆に考えれば、後押ししていることになるのかも知れません。後は、僕に財産はありませんが(その点は身軽です)、僕が飼っている大好きな猫には、僕よりもずっと長生きしてほしいので、いい飼い主さんを見つけないといけません。

モーツァルトピアノ協奏曲20〜28を聴きながら、寝込んで、寝込んでも眠れないから、ずっとこんなことを考えていた訳ですが、音楽というのは美的に素晴らしいなということを感じられるのが救いでした。今、命を支えているものは、大切な友人や、支援して下さる皆様方からの善意(ギフト券、本当にどうもありがとうございます。アフィリエイト、ありがとうございます)と、もう一つは、クラシック音楽で、ここ数ヶ月、何年分かのクラシックを聴いちゃっている(寝込んでいるときずっと流しっぱなしです)感じで、今までは、陶酔するために音楽(クラシック音楽に限りません)を聴いていたのですが、うつ病を発症してからクラシックしか聴けなくなって、アシュケナージやニキタ・マガロフの演奏などを聴いていると、常に人間にとって不完全である真善美を、なるべく限界まで極めようとする強い美への意志が感じられて、感動を覚えます。アシュケナージのモーツァルトピアノ協奏曲20〜28とか、誰もが素晴らしいと云うが如く、僕も非常に素晴らしいと思います。アシュケナージのショパンのピアノ・ソロ全集と、音楽の形態は違いますが(ピアノ・ソロと協奏曲)、どちらも、人間の手で最高の美を生み出そうとしているところは同じで、こういったものが聴けただけでも、生存の意味はあったかなと感じられて、本当に良かったです。

僕の大好きな漫画に原作:麻枝准、漫画:拠澄れいの「ヒビキのマホウ」という漫画があるんですが、これも大好きでしたけど、持っていた1・2巻売っちゃいましたが(僕の現在の状態だとおそらくは多分2年後ぐらいに出る3巻が読めないであろうこと、心残りです…)、漫画の中で心に残っていた文章を書き留めておいた文章があって、それをご紹介致します。

音が聞こえる。
優しい音。
なつかしい音。
ひとりの少女が紡いだ音。
それは、世界に響き渡る
永遠のクロニクル―ー
(麻枝准・拠澄れい「ヒビキのマホウ」)

音楽の世界はひとりの少女が紡いでいるわけではなく、大勢の人々が紡いでいる訳ですが、それでも、究極的には、上記の言葉のような、人間の真善美の限界(永遠の美)を常に不完全でありながら、極めようとする試みとして、あるのだと思います。常に不完全であっても、美を極めようとする、それが最も純粋に現れている芸術が、音楽なのだと、僕は感じます。

例えば、アシュケナージ、マガロフ、どちらも素晴らしい名ピアニストですが、二人の弾くマズルカの14番の最後とか聞き比べると、全然違う訳ですね。アシュケナージはおそらくマガロフより指が短くて、それで最後のクレッシェンドが、マガロフの方がなめらかで、アシュケナージは音と音が離れているんですよ。少しぎこちない。だけど、アシュケナージは、勿論それが分かっていて、全体的にショパンの作譜に忠実に、そして穏やかに弾いて、その最後のクレッシェンドのハンディを上手く、まとめようと努力している。僕はこういう努力に凄く心打たれます。指の長さとか、もうどうしようもない先天的な運命ですが、そういう運命に抗っても、美の極限を目指している強い意志を感じます。ショーペンハウエルが述べた、最高の倫理的判断基準というのは、僕にとっては、美であるので、強い美の精神と天才としかいえない技量が生み出す素晴らしい音楽が、本当に、最後の命の炎を灯し続けてくれる、最後の糧であります。

僕自身は、アシュケナージのように美を生み出すことは出来ませんが、そういった素晴らしい美を、皆様に、僕自身の最後までご紹介し、お伝えすることができれば、美への大きな長いクロニクルに、ほんのすこしでも参加できたことを思って、最後の刻も安らげるので、美しいものを、これからもご紹介してゆきたいなと思います。

参考作品(amazon)
モーツァルト:ピアノ協奏曲全集(アシュケナージ)
ショパン:マズルカ全集(アシュケナージ)
ショパン:マズルカ集(ニキタ・マガロフ)
ヒビキのマホウ(1)
ヒビキのマホウ (2)
夕凪の街桜の国
失踪日記
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貧困と、何も生み出せない時、どうすればいいか、ミッシャ・マイスキーの演奏を聴きながら考えたことについて。

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バッハ:無伴奏チェロ組曲 全曲

眩暈と不安が酷く、生活苦の辛さが非常に心痛で(病院への交通費等で貯金の減りが激しい)、寝込みながらベルリオーズの「幻想交響曲」を聴いていました。指揮アバドで音楽は素晴らしかったですが、音色を聴いていて、その美が安らぎを与えてくれるとともに、それでも不安が常に影のように離れないことも感じました。

僕の好きな手塚治虫作品に「ばるぼら」という作品があるのですが、その一節を思い出しました。創作の原動力を失った作家の嘆きの言葉です。

私は風の吹き抜けるような部屋の中いっぱいにベルリオーズの「幻想交響曲」を鳴らした。ベルリオーズは恋に破れて麻薬中毒者となり、この狂おしい曲を生み出したのだ。だが、私には…何が生めるというのだ?
それは死へのラッパだ…

三島由紀夫は死ぬ直前に何を思っていたのだろうか?
川端さんは?あの死の部屋で何を捨て、何を得たのだろう。
(手塚治虫「ばるぼら」)

僕には、元々創造する能力が、根幹的に欠けているのかも知れず、真面目な小説も真面目な絵画も真面目な音楽も、どんなに一生懸命創作に取り組んでも、どうしてもものにならず、ただ、鑑賞して、自分が良い、素晴らしいと思ったものを皆様にご紹介することだけはできて、そのことで、少しでも、皆様方にお役立ちできたらと思っていました。

でも、うつ病の苦しみ(調子が酷いときは感覚・感情を喪失します、アニメは大好きでしたが、今は、アニメは色彩が明るく豊かなのでうつで辛くてなかなか見られなくて…)と貧困(日用必需品以外ほとんど何も買えないので、取り貯めた古い映画のビデオとか図書館で借りられる本、後クラシックCDくらいしか鑑賞できるものがありません)で、鑑賞自体がなかなかできなくなり、皆様に申し訳なく、病気と貧困に陥ると、人間は何も生み出せなくなっていくのだなということを、強く感じさせられて、悲観的にしか頭が働きません(これもうつ病の症状だと思いますが、常に悲観的・絶望的です)。

ただ、それでも、なんとか生きながらえている限りは、皆様に、限られた貧困の枠の中で、それでも、なんとか、生活苦の限界により死へ運ばれるまでの間、なんとか生き延びている間は、僕が良いと思った作品を紹介していきたいなと思います。

このままだといずれ精神障害保健福祉手帳がでることになりまして、そうなりますと東京都写真美術館、東京都現代美術館など、公共の美術館、庭園などの利用が無料になり、皆様に、美術品などのご紹介ができるかも知れませんが、そこまで行く交通費が一番のネックで、JRが交通費を決して割り引いてくれないことに悲しみを感じます。

「貧困とはだれとも繋がれなくなることだ」と云った、リチャード・ローティの言葉を思い出します。何か、皆様に、良いものをご紹介したい気持ちはあるのですが、生活費で一杯一杯で、ギフト券とアフィリエイトで援助してくださる方々のおかげで、現在なんとか生き延びております。後は、図書館から本や音楽CDを借りたりして、なんとか、頑張っています。今は、不安と、胸とお腹の痛みの中、ミッシャ・マイスキーの無伴奏チェロ組曲(全曲)を聴いています。実に素晴らしい演奏です。マイスキーの天才を感じます。彼は非常に不遇な半生を送ってきておりますが、それでも、その素晴らしい音楽演奏により、今は世界最高のチェリストの一人として認められています。

1969年(マイスキー21歳の時)、マイスキーの姉が亡命したのである。元来、ユダヤ系のラトヴィア人として注意されていたマイスキー一家への風当たりは厳しくなり、一家の動静は当局の管理下におかれた。おまけにマイスキーは、当時、反体制作家といわれたソルジェニーツィンを別荘にかくまっていたロストロポーヴィチ家に出入りしている。(ソ連体制からみれば抹殺すべき反動分子芸術家としての)ブラック・リストに載ったとしても仕方がなかった。(中略)当時マイスキーは、(音楽の練習の為に)旧式のテープレコーダーを持っていた。(中略)ある日それが動作しなくなった。(修理に出しても)修理不可能であった。愛用のテレコが壊れて困っていた彼に、ある特殊な証明書が手に入る事を教えてくれた者がいた。党幹部や役員の家族だけが利用できる外貨専用の店への証明書で、それを持って行けば、新型のテープレコーダーが直ぐに買える筈であった。

翌日、マイスキーは店の窓口で逮捕された。彼が行く事が、あらかじめ判っていたかのような手回しの良さであった。そんな証明書が、簡単に手に入った事自体が罠であったと、今にして彼は考えるのであった。投獄された彼は、天井にただひとつ、小さな明りとりの窓があるだけの独房で裁判を待った。数ヶ月がなすこともなく経過した。ある日、枯葉が天井の窓を塞いだことで秋が来たことを知った。

判決でゴーリキー市郊外の強制収容所に送られ、14ヶ月、チェロのかわりにシャベルを持って苦役につく。冬、夏、そして再び冬の季節。刑が終わった時、彼は僻地で兵役につくことになっているのを知らされた(当局がマイスキーを完全に抹殺する意向を知った)。

収容所を出所した彼はその足で、かつて紹介された事のあるユダヤ人の名医を訪ね、窮状を訴えた。医者は彼を精神病院に入れた。それが軍隊から彼を回避させる唯一の手段であった。「それほど悪い住み心地でもなかったですよ。少なくとも強制収容所よりはね!」とマイスキーは笑って言う。(当局の権限があまり及ばない)精神病院に入ったことで事態は急速に進んだ。国外移住の許可が出たのである。ただし、その前に、今日まで国家が彼に支給した教育費9000ルーブルを返却せねばならなかった。無論、彼にそんな大金を工面するあてはない。彼はあきらめなかった。

すると、今はイスラエルに住む姉がそれを知って、イエルサレム市長に直訴したのである。市長は慈善団体を通じてあるアメリカ人にマイスキーの窮状を説明した。そのアメリカ人は、直ちに必要な金額を揃え、モスクワに送金した。いつの日か、彼の「芸術家財団」に返済してくれれば良い、という条件であった。
(無伴奏チェロ組曲(全曲)ライナーノーツより)

これでマイスキーはアメリカに行くことができ、紆余曲折の挙句、ついにはカーネギーホールでデビュー・リサイタル、最高の大成功。そして後はとんとん拍子に、20世紀を代表するチェリストの天才として、世界中から認められるまでになったのです。

僕がマイスキーが好きなのは、彼の演奏は他のチェリストとは違い、旧ソ連時代の辛い想いが昇華されたような、暗い抒情性にあふれたようなところがあるのですね。そこがたまらなく、僕は好きで、大変な名盤、ミッシャ・マイスキーの無伴奏チェロ組曲こそが、他のチェリストよりも、優れた、素晴らしい、心揺さぶる音色として感じられます。皆様も、よろしければ、一度お聴きになってくださると、嬉しいです。

僕は、マイスキーのような芸術を創造するミューズの天才を、悲しいことに全く持っていないですが、それでも、優れた作品を鑑賞することは大好きなので、そういった、優れた作品、美しい作品、良き作品を、皆さんに、マイスキーのように諦めず、出来うる限り、貧困の中を生き延びて、紹介してゆきたいと思います。生活苦で、お金のかかる(図書館で借りられない)オタク系の作品はなかなか紹介できないと思いますが(以前、アリスソフトの闘神都市靴出た暁にはプレイをしたいと書きましたが、現状では購入が非常に困難な為、プレイはできないと思います、申し訳ありません)、なんとか自分のできる精一杯の範囲でご支援してくださる方々に感謝の気持ちを込めて一生懸命頑張りますので、よろしければ、どうか今後もよろしくお願い致します。

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バッハ:無伴奏チェロ組曲 全曲
ベルリオーズ:幻想交響曲
ばるぼら (1) (手塚治虫漫画全集 (145))
ばるぼら (2) (手塚治虫漫画全集 (146))
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F・W・ムルナウ監督のサンライズを見ていました。赦しと愛情を描いたとても良い映画です。

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サンライズ クリティカル・エディション

先日に引き続き、昨日は酷く調子が悪く、1日中寝込んでいました。先日ギフト券を贈ってくださった方のおかげで、昨日、更新あせらずに、休養を取ることができました。本当にありがとうございます。今日はなんとか起きあがって、テオドール・ドライヤー監督フリッツ・ラング監督に並んで僕の好きな映画監督であるF・W・ムルナウ監督(とても綺麗で心に残るカットを撮る監督です)の「サンライズ」を見ていました。見るのはこれで三回目くらいですが、心が癒されます。

「サンライズ」はF・W・ムルナウ監督の代表作、最高傑作として名高い作品ですが、僕はちょうど、同じくムルナウ監督の映画「タブウ」が、ちょうど、対極的なセットみたいな感じ、表と裏みたいになっていると昔から考えています。悲劇的な「タブウ」や他にもムルナウ監督の「吸血鬼ノスフェラトゥ」なんかも好きなんですが(ちなみにノスフェラトゥはよく出来た映画ですが、今は500円という吃驚定価です)、今の調子だと見るのが辛い(どちらも見るのに体力がいる映画)なんで、心がホッと優しくなれる映画である「サンライズ」を見ていました。

「サンライズ」は、キリスト教の赦しと愛情の精神を、西欧における聖なる女性の精神(女性の愛情)としてとても見事に描いた映画で、最初に「これはどこにでもある普遍的な物語である」という言葉がありますが、現代は、残念ながら、そう思える牧歌的時代を遠く離れてしまっている時代であることを、寂しく思います。

物語は、牧場をやっている農夫の旦那さんと農夫の奥さんが、暮らしている田舎に、都会から、妖艶な女性が避暑にやってくることから始まります。この女性は、農夫の旦那さんをたぶらかし、牧場を売って二人で都会に行こう、と誘いをかけるのですね。
そして、そのために、奥さんを殺せと唆す。そのために、肉体的に旦那さんをメロメロにしちゃうんですね。

奥さんは(この奥さんがとても大きな澄んだ目をした素晴らしく美しい人、外見だけじゃなく魂の清らかな女性で、この素晴らしい女性を裏切るなんて、まあ物語ですけど、でも普通あり得ないよなと思います)、旦那さんが浮気をしていることを知って嘆き悲しんでいるんですね。それだけじゃなく、村の牧場を売るということは、村を都会化することで、田舎の純朴さの滅びと金の支配を象徴している出来事です。

それから、旦那さんが都会の女性に完全に唆されてしまい、奥さんをボートから突き落とそうとするんですね。だけど、ちょうどそのとき、教会の鐘がなるんですね。

the church bells are ringing:
 How all the world breathes praise and prayer!

ああ、教会の鐘が鳴っている……
 聞くがいい、全世界が神を讃え、神に祈っている!
(ジェイムズ・トムソン「五月に」「イギリス名詩選」より)

みたいな感じで、旦那さんが、今、自分はとんでもないことをしようとしていた、かげがえのないものを自らが失わせようとしていたと、ハッと目が覚めるんですね。

だけど、奥さんは物凄い怖がっちゃって(当たり前ですが)旦那さんのところから逃げるんですね。それから、赦しと、愛情の絆と、そして奇跡が描かれます。キリスト教、とくに男女の愛情と神聖なる結婚を非常に素敵な視点から捉えた見事な優れた映画です。

僕は、この映画は先にも挙げました通り、ムルナウ監督の「タブウ」と対になるものだと思っていて、新約の神と旧約の神、赦し、愛する神(聖性)の物語(聖性をヒロインの奥さんが象徴します)として「サンライズ」があって、裁き、罰する神としての物語として、対になる「タブウ」があると思うんですね。ですので、「サンライズ」はご視聴お勧めの映画ですが、「サンライズ」が気に入られた方は、「タブウ」もご視聴お勧め致します。ただ、「タブウ」は悲劇なので、心がホッとする映画をみたいということであれば、「サンライズ」だけのご視聴お勧め致します。とても、美しくて、見終えた後、心が優しくホッとする映画です。

参考作品(amazon)
サンライズ クリティカル・エディション
F・W・ムルナウ コレクション タブウ クリティカル・エディション
吸血鬼ノスフェラトゥ 新訳版
イギリス名詩選 (岩波文庫)
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昨日は調子が最悪でした。非常に辛い気分の中で、トラークルの詩集を読んで心慰めていました。(追記あります)

昨日は、これまでにもまして、調子が最悪で、非常に辛かったです。先日のことですが、生活苦が厳しくて、節約のためにあまり食べられなくて、なんとか補助を受けられないかと、うつ病 生活苦で検索していたら、「うつ病はなおらない」とか、病院に行けば薬物漬けにされるだけで、病院はうつ病という病気を作って、社会的な不適合者を社会から働けないようにして消す仕組みとか、精神疾患に対して物凄い差別と偏見に満ちた酷いことが書き連ねてあるブログを見ちゃって、凄く吐き気がして、それからずっと調子が悪くなりました。それから頓服用のお薬をずっと服用しています。そのおかげか、今日は少しだけ回復しました。でも、まだおなかが痛くて、僕はストレスでお腹をすぐ下してしまうので、毎日整腸剤を飲んでいるんですが、それがまだ治りません。

僕は、様々な心理療法の一環として、カウンセリングだけではなく、精神疾患の方々で集まるデイケアらにも参加していますが、基本的に、病気を治して社会復帰(働けるようになる)ために、薬物療法や心理療法はあって、病気が長引いて、障害年金をもらって生活している方でも、調子がよくなれば、ちゃんと働けるように治療を続けて社会復帰を目指していて、そのために、財政的・社会的なことに相談に乗ってくれるソーシャルワーカーさんとかがいて(例えば財政的に貧困だったらどうするかということを一生懸命、一緒に考えてその為の方策を出来うる限り活用するお手伝いをしてくれます)、精神病院というのは、精神疾患を治すだけではなく、外に出て、社会復帰を目指すというのが大切なことなんですね。先のブログに書かれていた陰謀論的な場所では決してありません。

社会との関わりを作っていく、それが、外部に出て働く労働なわけで、、精神疾患は長引くことが多いですが、それでも薬と療養と周囲の配慮があれば、デイケアとかにでて、病気と付き合いながらも、外部にでて働けるようになる訳ですね。そういう、精神疾患の人々を囲い込むのではなく、対人訓練(デイケアは対人訓練としても機能します)とかして、なるべく外部に向けた社会との絆を作るということが、精神病院の大きな役割なんですね。

病院の先生も精神保健福祉士さんもカウンセラーさんも作業療法士さんもみんな、そういうこと、人を助けることのために頑張っていて、人を助けることに一生懸命で、自分と見比べて、凄く、心打たれました。治療制度も、例えばデイケアでは食費なんかも補助によってほぼゼロ、ほとんど掛からないようになっていて、僕は生活が凄く厳しい(貧しい)ので、凄く助かっています。ただ、病院が遠いので、往復交通費が1000円掛かってしまうのが辛いですが、それがなければ、デイケアにずっとでてれば、昼食費をほぼ完全に浮かせるので、歩いて病院に行ける方々にとっては、それこそ、キリスト教的な慈善の精神、ほぼただで、昼食が取れるし、デイケアも精神治療の医療の一環として、診察費・薬代などと複合して、低収入者には上限負担額の限定が掛かるので、僕みたいな低収入の方は、いくら医療を受けても数千円で、昼食費もほぼゼロに近い形で、なんとか暮らしていける、そして、その中で、治療を受けて、症状を緩和しながら、完全に治すことは無理でも、症状を和らげて、働いたりしていけるようにしていくんですね。

病院側・治療側にはこういった福祉制度があるのですが、精神疾患の方は僕も含めて財政的に余裕がない方々が多いですから、通院の場合、往復交通費はとても大きな問題で、精神障害保健福祉手帳があっても交通費を割り引いてくれないJRという巨大鉄道会社(また、JR以外にも割り引いてくれない他の交通手段)には福祉よりも利益をとっている交通会社であって、凄く問題があると思います…。バス(公共バスだけでなく私営のバスも)や都営地下鉄や一部私鉄などの福祉に力を入れている交通会社は無料か、かなり割り引いてくれます。

精神疾患にとって、よくないのは、孤独、人との絆が絶たれてしまうことで、それを、繋げていくことが治療としてとても大切で、僕も、うつ病の疾患だけではなく、他の病気の精神疾患の人と、お話したり、ゲーム(コンピュータゲームではなく、通常のカードゲーム等です)したりで、仲良くなって、孤独ではないということを少しずつ感じられるようになりました。ずっとコンピュータだけに向き合っている生活(テクノストレス)とか、仕事上だけの付き合いとか、そういうのではなくて、そういう関係を抜きにした、人と人との絆を創っていくことが、心を助けるために、大切なんですね…。

僕が、以前、不安になって、先生にかかって、うつ病は治らないんでしょうか、と聞いたら、基本的に治らないということはなくて、稀にある難治性のうつ病も、時間が掛かるということで、決して治らないということではないということを、丁寧に説明してくれました。なかなか治らないケースで一番多いのは、患者さんが途中で勝手に薬の服用を止めてしまったり、勝手に自己判断で通院を辞めてしまったりするような場合が多いみたいです。

ただ、世の中には、先のブログ主のような精神疾患に偏見を抱いている方が大勢いて、そういう偏見が精神疾患の人々の社会復帰の最も大きな障害の一つになっています。一度精神疾患にかかったら治らないとか、精神疾患の人間は危険だから雇わないというような、先のブログ主が抱いているような偏見が、精神疾患の治療や社会復帰の大きな妨げになっています。精神疾患の方は、病状・またそのときの症状によりますが、感じやすい方が多いので、僕は先のブログを見て、非常に気分が悪くなって、辛い思いをしました。僕以外にも、うつ病や、他の精神疾患の方が見たら、非常に辛くなると思います。

本当は、インターネットは基本的にやらないように先生から指導を受けているんですが(インターネットには先のブログのような偏見などが非常に多くあるので、精神疾患の症状を悪化させることが多いです)、そうすると僕の場合は、完全にネットを断ってしまうと、収入(アフィリエイト)が完全になくなってしまうので、そこで、ブログを更新して、信頼できる人とだけメールをして、善意のギフト(贈与)をしてくださる方からだけメールを受け取る形にしております。(善意のギフトはamazonギフト券です、本当に生活に助かっています。昨日頂いた時は、生活苦だけでなく、物凄く心身が参っていたので、贈与の善意が心のとても慰めになりました、ありがとうございます、追記:本日も別の方から頂き、本当に助かっております、善意のお気持ち、本当に生活面でも心の面でも助けられていて、ありがとうございます、言葉では伝えられないほど助けられ感謝しております。ありがとうございます。)

ネットを観るのはそういった限定した使い方(善意ある方々とだけ繋がる形)にして、基本的にあまりネットに関わらないようにしてください、というご指導受けております。先日はそれを守らずに、先のようなブログを見てしまって、本当に先生の仰ったことは正しかったなと、思いました。僕のミスで、自身の症状を悪化させてしまって、治療してくださっている先生や精神保健福祉士さんらに、そして両親にとても申し訳ないと思いました。

以前、メールのやり取りをしている信頼できる方から、その方は教育関係のお仕事をされていらっしゃるそうでして、ぜひ教育で、差別のない社会を目指してほしいですということを、僕が書いたんですが、今も心からそう思います。

先日は非常に辛かったので、音楽も聴けなくて、トラークルの詩集を読んでいました。僕は、彼の詩が大好きなんです。彼もうつ病(だったと云われています)でしかも生活苦ですが、生活苦の方は、大富豪の哲学者ウィトゲンシュタインが自分の財産を貧しい人々に贈与したときに、彼もウィトゲンシュタインから二万マルクを貰って生活苦をしのぐことができたのですね。それで、僕も、アクセス数が激減したにも関わらず、アフィリエイトを使って下さる方々やギフト券を贈ってくださる方々のことを、思って、言葉では言い表せない、感謝という言葉では言い表せない気持ちです。でも、トラークルは、戦争で野戦病院の医療官として赴き、そこで酷い地獄の惨状を見て、精神的なショックを受けて、二十七才で夭折してしまいました…。

僕の好きなトラークルの詩集や書簡をいくつかご紹介致します。下記引用は全てトラークル詩集 (双書・20世紀の詩人)より。

「古い記念帳に」

繰り返し戻ってくるもの お前 メランコリー、
おお 孤独な魂の和みよ。
黄金の日はきらきらと燃え尽きる。

忍耐づよい男は苦痛に対して敬虔に頭を垂れ
あたりには和音と柔らかい狂気が響く。
ごらん、はや暮れてくる。

再び夜が還って来て 死すべきものが嘆き
そして別のものが共に苦しむ。

秋の星たちの下におののきながら
年ごとにさらに深く頭は傾く。

もう一つ好きな詩をご紹介致します。

「憂鬱」

世界の不幸がこの午後を霊のように徘徊する。
バラック小屋が褐色に荒れた小庭をとおって逃げる。
燃えくずが 燃え尽きた堆肥の周りに揺れている、
眠っている二人がふらつきつつ、灰色にぼんやりと、家路を辿る。

枯れた牧場を子供が走る
そして黒くつややかな目で遊ぶ。
茂みから黄金が くすんで鈍く滴る。
老人が一人哀しく風の中で回っている。

夕暮れ 再び 私の頭上で
土星が音もなく みじめな運命を操っている。
一本の木、一匹の犬があとじさる
すると 神の空は黒く揺れて葉を落とす。

一匹の小魚がすいと小川を下にすべる、
すると 死んだ友の手がそっと触れて
額と衣服の皺をいとしげに伸ばしてくれる
一つの光が部屋べやに影を呼び覚ます。

この詩は、最終段落が救いになっていて、一つの光というところで、僕はAIRというゲームにでてくるヒロインの女の子、神尾観鈴を読んでいると想起させられます…。
最後に、書簡を紹介いたします。親友のフィッカーに宛てた手紙です。

敬愛する友
五日前から私は当地の軍病院に、精神状態鑑定のために入っています。私の健康は、おそらくかなり参っているらしく、相当頻繁に言いようのない悲哀感に陥ります。この欝状態の期間が早く通り過ぎてくれればよいのですが。奥様、お子さんたちに宜しくお伝え下さい。どうか二言三言を電報して下さい。あなたから何か(よい)ニュースがお聞きできれば、とても嬉しいのですが。心からのご挨拶を。敬具
ゲオルク・トラークル

参考作品(amazon)
トラークル詩集 (双書・20世紀の詩人 13)
トラークル全集
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うつ病と眩暈と離人症の症状と、音楽と魂の再生させる真の秘薬

先々日より、激しい眩暈(椅子に座っていても横に倒れ込んでしまい、寝ていても転がってしまい、立ち上がることができない眩暈)の症状が起きていて、これはうつ病とは関係なく、ずっと以前から起きている症状で、耳鼻科で検査してもらったところ、僕は耳石という耳のなかにある石が剥離していて、それが三半規管の中を移動することで起きる眩暈で、治療方法はない(自然に耳石が元に戻るのを待つしかない)とのことでした。身体、特に頭に非常に強い衝撃を受けたときに、耳石が剥離するそうでして、僕は以前、交通事故で大怪我していまして(青信号歩いていたら信号無視の車に轢かれました。100:0で車側に完全な事故の責任が認められました)、そのなかに全身打撲も入っておりまして、それからしばらくしてから、この症状が出始めたので、多分それが眩暈の病因だと思うんですけど、相手側の入っていた保険会社との示談は症状発生前にもう終わっていますし、もうどうしようもないという感じです…。示談は今後、障害が発生しても因果関係が完全に立証されない限り責任を負わないという形ですし、耳石剥離での事故との因果関係の完全立証は不可能に近い形です。

それで、これはうつ病と関係のない眩暈だから、いたしかたないとして、アフィリエイト収入が以前に比べて激減していて、ギフト券とアフィリエイトが僕の今の最後の命綱なので、頑張って更新しなくてはと思って、一生懸命文章書こうとしても、書こうとしている最中に眩暈が起きて椅子から転げ落ちたり、なんとか椅子に座れても、パソコンが僕の周りをぐるぐる回っている(眩暈で世界がぐるぐる回って見える)ので、更新できなくて、アクセス数が十分の一以下になった上、昔みたいな元気のいい文章が書けないからか、アフィリエイト収入も減っていて、うつ病で無職で、高齢の両親に世話をかけていて(両親も裕福ではなく、それに更に僕が負担を掛けています)それで、今後、どうやって生きればいいのかわからなくなって、今日、症状が一番悪くなりまして…。

僕は青木雄二さんのことをとても尊敬していて(「ゼニの人間学」とか素晴らしい名著です、一読お勧めいたします。)これまで、一度も借金したことはないんですね。それだけは自負としてあって、どんなに苦しくても、自分のお金でやってきました。それが今は親に迷惑を掛けている(看護してもらっています)、それが苦しくて、ただ、医療費とかはきちんと自分で出しています。ただ、もう本当に生活苦で、それでも借金は絶対にしないつもりなんですね。僕自身から借金の申し込みをしたことは一度もありません。僕の貧窮を知っていて、お金を貸そうかと云ってくる友人もいますが、返済できる見込みもないゆえ、利息が無限に膨れ上がっていくだけなのは目に見えていますし、そしてそれが友人だからこそ(僕はそう思っています)、決して借りないつもりです。ただ、貸すんじゃなく、皆様の贈ってくださるギフト券と同じく「お見舞だよ」って云って、お金を贈ってくれた友人が一人いて、そのときは涙がでました。金の貸し借りをやったら、人間関係が終わりだって知っていて、贈与してくれたんですね。皆様の贈ってくださるギフト券も、本当に先の友人と同じように、本当に心底から、涙がにじむほど言葉でつたえきれない感謝を致しております。

僕(青木雄二さん)の大好きなドストエフスキーは、『死の家の記録』の中で、「金は鋳造された自由である」と書いている。カネというのは、持っていれば、それだけで自由(生活行動が可能)になるものなのだ。逆に、持っていなければ、どこまでも不自由(生活行動が不可能)になってしまう。借金ともなれば、その不自由さは、手足に重い鎖を嵌められてしまったのと同じ。なにひとつ自由にはならなくなってくる。

誰だったか忘れたが、こんなことを言っている人もいた。
「カネのない不幸より、カネのない不幸のほうが、よほどましである」
これも真実や。カネがあってもなくても、不幸な人はいる。けど、カネのある不幸に比べると、やっぱり、カネのない不幸は悲惨や。そこから抜け出す術がない。カネのある不幸なら、なんとか抜け出せても、カネのない不幸の行き着く先は、地獄しかない。(中略)

友達に借金を申し込まれたときに、どう対応するかという問題がある。貸すべきか貸さざるべきか。(中略)(友人に金を貸すという人生相談などの答えは)僕に言わせたら、答えはまるで違っている。
だいたい、借金を申し込んでくるというのは、本当の友人ではない。まず、その点をはっきりさせておくべきだろう。本当の親友なら、「カネを貸してくれ」とは言えないものだ。(中略)
本当の親友なら、借金が元で関係が悪くなるのはいやなはずだ。(借金にはサイン(誓約書)による返済義務があるので、友人が債権者、自身が債務者となり、友人に自由を奪われ支配される力関係が出来てしまって友人関係が壊れてしまう)
「お前しか頼む奴がおらんのや。親友やと思うなら貸してくれ」
こんなこと、ほんまの親友に対して言う言葉か。違うやろ。(中略)

『(まだほんの少し生活に余裕がある)貧乏のうちは、持って生まれた感情の高潔さというものを保っていられるが、素寒貧となると、もう人間社会から棒で叩きだされるだんではなく、箒で掃き出されてしまいますよ。つまり、ひとしお骨身にしみるようにね。しかし、それが当然な話で、素寒貧になると、だいいち自分の方で自分を侮蔑する気になりますからな。そこでつまり酒ということになるんですて!』(ドストエフスキー「罪と罰」)

この酔っ払い親父(マルメラードフ)のように、人間はビンボーになると、自分で自分を軽蔑しはじめるものだ。自分を卑しめ、貶め、社会から弾き飛ばされた人間だと考えるようになってしまう。本当のビンボーの惨めさというのはそういうものだ。
得をする側の人間が太ってゆけば、損をする側の人間はさらにビンボーになっていく。世の中に、自分を軽蔑する人間が増えてしまう。自分を軽蔑する人間は、未来に希望を抱かない。明るい未来、希望のある未来を想像し、自分の力で創造してゆけるのは、あるていど、生活に余裕のある人間である。マルメラードフのように、奥さんの靴下まで酒に換えて飲んでしまう人間には、明るい未来を想像することなど、まるで不可能なのだ。
(青木雄二「ゼニの人間学」)

僕はうつ病に掛かるまで働いていたので、ここまで生活に困窮したことがこれまでないので(病気で無職になって働けず、収入がなくなると毎日がこんな状態になってしまうのかと、衝撃でした)、このまま、貯金がなくなって(障害者自立支援法の上限負担額の限定とあわせて生活費を計算すると少しずつ最大限節約して生活すればまだなんとか数ヶ月くらいはもちそうです、そうしたらその間に精神障害者保健福祉手帳が発行されると思うのですが、この手帳は税金免除くらいしか付与された権利がないので、無年金障害者かつ収入がない僕には意味がないです…。今、一番辛い出費が病院に行く往復交通費千円なのですが、その交通費がこの手帳では割り引かれません。身体障害者の方の手帳と違って、こちらは割り引いてくれません)、完全に生活に行き詰まって、それでもしもそれでも生活保護を申請しても受けられず、精神科医の先生や、病院のソーシャルワーカー(精神保険福祉士)さんに相談しても道が見つからず、生活苦で借金してしまうくらいなら、尊敬する江藤淳さんのような道を選ぶ覚悟、もはや生活する余裕を完全に失ったら(もはや音楽を聴くことすらできないような、生きるには借金するしかない何一つない状態になったら)、社会や大切なかけがえのない人々に迷惑をかけないよう配慮して、形骸たる己を自ら確実に処断する覚悟を決めようと思っています。

僕はマルメラードフのようになるよりは、ソクラテスやセネカやローマのカトーや江藤淳さんの覚悟を選びたいと、うつ病でも、その意志だけはしっかり持っています。それだけが、ストア哲学者達やシオランらが云うように、全てが失われた人間にとっての最後の誇りある自由だと思います。うつ病の症状もあると思いますが、酷い生活苦で、先行き悲観的にしか考えられなくて、辛くて辛くて、他の色んな不安も膨らんで、どんどん酷い状態に昨日ぐらいからなっていってしまいました。昨日はまだマシだったんですが、今日がとても酷く辛かったです。

――不安の最高潮が我々にこの夢を破ることを強いるときに。
(ショーペンハウエル)

僕のうつ病の症状は、抗うつ剤が効き始めてから、完全な暗黒のうつ(うつ病発症時の最悪の状態)に戻ることはないんですが、抗うつ剤を使っていても調子に波があって、波のどん底にいくと、感覚とか感情とか何も感じられなくなっちゃうんですね。自分が動くだけの機械になって魂が消えてしまった感覚です。先生のご診断では、僕に起きている症状は離人症の症状ということで、それが継続的に続くと大変ですが、僕の場合はうつ病の波が、回復傾向になるとまただんだん感覚が戻ってくるので、うつ病の病変の一つとして、離人症の症状としてあるということみたいです。

今日は、その離人症の症状が午前中に起こりまして、これが起きると、例えばオリンピックを見ていても何も感じられないんですね。昨日は、柔道で男子も女子も日本を応援して、「頑張れ〜」って声援送っていて、男子は金、女子は銀、女子は最初はリードしていて、リードしたまま後、残り十数秒くらいで一本決められちゃってほんとに惜しくて悔しいなみたいに感情が生きているんですが、離人症の症状が起きると、これが、何にも感じられなくなって、例えば、レスリングで日本が出ていて頑張っていても、昨日みたいな気持ちが何も沸かないんですね。完全に無感動で、感情が死んでしまう、止まってしまうみたいになって、しかも、それを認識できているから、それが辛くて苦しいんですね。何にも感じられない、それ(感じられないこと)が苦しみとして、身体中を縛っているような、そんな認識になるんですね。非常に辛い状態です。

ただ、離人症の症状が出ていても、行動ができないわけじゃないので、猫の世話とかはできるんですが、やはり何も感じられなくて、凄い辛いです。僕はうつ病に掛かってから、性欲・性的感覚がなくなって、うつ病の治療を始めてからそれが加速している感じですが(抗うつ剤の副作用として、性欲の減少・消滅などがあるようです、うつ病時から今日まで数ヶ月、性的興奮を感受できず、性的行為を一切行っていません)、性欲がなくなっても、この世には性欲抜きで美しいもの、愛するものが沢山あるので、うつ病発症時の暗黒を思えば、性欲・性的感覚がなくなったこと自体は特に大問題としては感じないです。むしろ、美に対しての感覚は、性欲がなくなったことで、以前よりクリアに感受できる感覚です。例えば、裸にエロティックを感じない分、女性の裸は美しい、それはその女性にとても似合った格好の美しさとはまた別に、根源的にとても美しいとして感じます。けれど、離人症の症状が出ると、そういったこと、女性の裸は美しいとか、猫は可愛いとか、そういった感覚の感受ができなくなってしまい、それが物凄い認識のみの苦しみとして襲ってきます。

ただ、この症状、これでうつ病の治療を始めてから起きるのがこれで三回目なんですが、美しい音楽だけは、何も感じられない世界で、唯一の実感できる存在として感じられます。音楽とは、最も根源的に美しい、胸に響くものなのであると、うつ病になって心から思いました。特に静かなピアノの音色は、何も感じられず、空っぽになってしまった中空の魂の中に入ってきて、中からその響きで僕を満たしてくれるような感じで、とても助けられます。

離人症の症状(うつ病治療中のどん底)が出たときは、頓服用の抗不安剤を何錠か飲んで寝込みながら、ショパンのピアノ協奏曲第2番とか、バッハのゴールドベルク変奏曲のアリアとか、シューマンの予言の鳥(森の情景)とか、後は、ベスト・ピアノ100のディスク3リラクシング・ピアノとか、100曲ピアノのディスク8ゆったりピアノとか、ひたすら美しくて穏やかで優しいピアノ曲を聴きつづけています。これが僕にとって、離人症の症状から回復する最も良いやり方であるように、感じます。ゆっくり美しい音楽に魂を委ねていると、魂が再生してくるようです。酷い生活苦でお金ないですが、色々な所有物を売り払って生活費を工面していったとき、クラシックCDのコレクションだけは売らなかったのと(音楽が聴けなくなったらお終いだという感覚が直感的にありました、ただ、僕の持っていた他の品々、オタク的な品々含めてほとんど全て売ってしまい、今もそれを思うと、胸やお腹が痛みます)、図書館で音楽CD借りられるので、美しいクラシック・歌曲借りられて、とても助けられています。

また、不思議なのは、人間の声とかに対しても完全に無感動状態で、通常のJ-POPみたいのは、離人症の症状のときは辛くて辛くて完全に聴けない(聴いてもなにも感じられないのが辛い)のですが、ボーイ・ソプラノだけはピアノ曲と同じように聴くことができます。アンソニー・ウェイの透明な歌声とか、感覚が感じられないなかでも、感じられる、美として感じられます。心が静けさのなかで、戻ってくるような感じです。

アンソニー・ウェイが歌う、アヴェ・マリアの歌詞を引用致します。僕の感覚では、大人の歌声はどんなに優れていても、離人症の症状発生時にはどうしても耐え難いものを感じさせます。特に大人の男の歌声を聞くと頭痛が走ります。また、女性の歌声は男性よりはずっと楽ですが、それでも辛いです。私は邦楽の歌手では鬼束ちひろさんの歌声がうつ病になる前からとても大好きなんですが、それでも、離人症症状時には辛くてどうしても聴けません。そんななか今、ただ唯一つ聴ける歌声、優れたボーイ・ソプラノの歌声は逆に心に美しく響き渡り、優れたピアノ曲と同じく、天上の至宝、魂を再生させる真の秘薬であるように感じます。

「ボーイ・ソプラノの世界」より「アヴェ・マリア」

アヴェ・マリア、恩寵に満ち満ち、
主は君とともに在ります
君はこの上なき恩寵に恵まれたる乙女
恵まれてイエスを
身ごもりたまえり。

聖きマリアよ 聖きマリアよ
われらのために、われら罪深きもののために祈りたまえ、
今もこの後も、
死の時にも……
聖きマリアよ
アーメン

離人症の苦しみの中でも、美、至上の天からくる美を感じます。ベネディクトゥス(モーツァルト「レクイエム」)を感じます…。

モーツァルト「レクイエム」より「ベネディクトゥス」

Benedictus qui venit in nomine Domini.
Osanna in excelsis.

神の御名において来たるものに栄光あれ
いと高きところにホサンナ

僕はキリスト教徒ではありませんが、もはや最後の覚悟、自身の処断を行わなければならないところに追い詰められたら、その時は、美に殉じたい。最後の刻は美しい音楽を聴きたい。生活の中で音楽が聴くどころではないような赤貧状況で大切な人々に迷惑を掛け、借金取りに追い詰められる、そんな道は絶対に選びません。もしも、この地獄そのもののような貧困の地獄のその更に下にしか生の道がないとき、マルメラードフのような生の無限地獄に行く前に、そのような世界を拒否し、誇りを持って、自身を自ら一人で処断したいと思っています。最後に、マルクス・アウレリウスの自省録から引用させて頂きます。

『寿命ということ―ーたとえそれがどんなに長いものであろうと―ーは真の人間として問題にすべきことではない。生命に執着すべきでなく、これを神に委ね、女たちと信をともにして、「なんびとも自己の運命を避けることはできない」と考え、自分の生きるべき時をどういう風にしたらもっとも善く生きることができるか、これを考慮すべきである。』
(マルクス・アウレリウス「自省録」)

参考作品(amazon)
ゼニの人間学 (ハルキ文庫)
ショパン:ピアノ協奏曲第1番&第2番
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年デジタル録音)
シューマン:子供の情景/森の情景
ベスト・ピアノ100
100曲ピアノ
ボーイ・ソプラノの世界
自省録 (岩波文庫)
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