2008年07月

2008年07月12日 01:08

今日もPM10:00に薬を飲んで布団に入ったのですが、やはりなかなか眠れず起き出して来てしまいました。ただ、昨日より、少し不安感が薄れています。不眠ですけど少し楽になりました。ありがとうございます。それは、本当に支えてくださる皆様の善意のおかげです。強い不安感や辛いことを思い出させること、どうしても思い出すとお腹が痛くなってしまうんですが、それでも、なんとか、支えてくれる人々の助けが押さえ込んでくれています。本当にありがとうございます。凄く感謝しています。不眠と辛いのは重なってくるから、きついのですが、皆様の善意で、きつさが和らげられていると感じます。

うつの辛さが調子悪くて行動がほとんどできないので、音楽を聴いていたんですが、以前も書きましたが、音楽の趣味が変わっていることに驚きました。無気力感がひどくて、寝床でずっと辛いことがリフレインしたりするときは、クラシック音楽を聴くとほん少しだけ気分が楽になるので、今日はずっと「100曲クラシック」(これもいい演奏です)聴いていたんですが、以前は若い頃のモーツァルトの高揚した感じのメヌエットとか好きで、モーツァルトが大好きだったんですが、今はモーツァルトより、ショパンの均整の取れた静かなピアノ曲がとても美しいなと感じます。

また、図書館で借りてあまり辛くない時に少しずつ読んでいた山本おさむ「わが指のオーケストラ」という漫画を読了しました。聴覚障害者の方々とそれを支える支援者(教育者さんや親御さんや優しい人々)の方々が、様々な辛い苦難(差別・貧困・弾圧)の中をそれでも明日への希望を持って一生懸命に歩み続ける漫画で、私自身も、辛いことがあって、病気(うつ病)になって、仕事も失って、今も病状が一進一退で、生活も困窮していて、どうしても、自分と障害者の方々の登場人物さん達を重ね合わせて読んでしまいました。障害としては種類は違いますが、それでも、他人事とは思えなくて、胸がとても静かに優しく打たれる感じの素敵な漫画でした。本当に良い本です。お勧めです。関東大震災で、朝鮮の人々とともに聾唖者の人々が虐殺されていたこと、この漫画読むまで知りませんでした。ショックでした。でも、それでも、凄い苦難の中でハンディキャップを負いながら、一生懸命優しく支えあいながら歩み続ける人々の話で、読んで本当に良かったと思える作品でした。とてもお勧めです。

高橋清先生(手話で語る)
どんな事があっても誰も聾唖者から
手話を取り上げる事はできない
松江…一作…君たちは知っているはずだ
君たちは米騒動を見た
関東大震災で朝鮮人や聾唖者が殺されるのを見た
そして口話万能主義が手話を駆逐するのをみた
この時代の流れ(弱肉強食)は大きく強い流れだ
だが我々は この流れのなかで強者であるよりも
弱者であることをよしとしようじゃないか
少数者にくみすることをよしとしようじゃないか
5年後かもしれない 10年後…
いやもっと遠い未来かもしれない
歴史の中で虐げられた人々のなかに
共通な思いが生まれるだろう
すべての人々の幸福を
心から願う健全な思想が生まれるだろう…
そういう日がくるまで……
私が倒れたら君たちが…
君たちが倒れたら君たちの子供が…
(山本おさむ「わが指のオーケストラ」)

本当に大切なものは、人を思いやる優しい心と心の繋がりだということを一生懸命描いている漫画でした。私も、家族、友人、お医者様達、そして支援してくださる人々の善意で命を支えられていて、本当にそう思います。人は一人で生きているのではなく、人を思いやる優しい心と心の繋がりが一番大切なものとして感じられます。こういった大切なものをもっと広げていって欲しいと心から思います。
参考作品(amazon)
わが指のオーケストラ (1)
わが指のオーケストラ (2)
わが指のオーケストラ (3)
わが指のオーケストラ (4)
100曲クラシック

2008年07月11日 17:09

今、どうやって、助けてもらった方々に恩返しをするか考えていました。今の僕には何にもないので、後は文章を書くことぐらいしかなく、本とか売っちゃう前に本についてどうしても書いてきたいなと思っていることを書いたりして、今の僕が書く文章はどうしてもあまり明るくは書けませんが、それでも、一生懸命書いていきたいと思います。少しでもお役立てできれば幸いです。

手塚治虫さんの作品で、一際特異な作品と僕が考えているものに「ばるぼら」と「人間昆虫記」という二つの物語がありまして、これは手塚さんの物語仕立てにした芸術論ではないかと昔から考えておりました。ばるぼらはムーサの女神であるヒロイン(この女神様、性格は気まぐれな猫そのもので、猫好きにもお勧めです)に見込まれた芸術家が、そのことにより芸術家として救われ、そして破滅してゆくが、自らの作品は創り上げ残してゆくという、ある種の救いのある物語で、こちらの方はユーモアとヒューマニティもあって、芸術論としてではなく、普通の手塚漫画としても読める作品ですが、人間昆虫記は「ばるぼら」と比べても極めて特異な作品です。

人間昆虫記のヒロインは手塚さんの作品における極めて特異なタイプ、つまりタイプ(類型)を持たない存在、ミメーシス(模倣)の化身として描かれていて、様々な登場人物達を模倣し、その性格・才能を模倣し、模倣された登場人物達はみなヒロインに全てを奪われ破滅していくんですね。ただ模倣された作品だけは残る。手塚さんは一般的にヒューマニストということになっていますが、この二作品から感じることは、これは手塚さんの芸術論としての物語であり、そこにおいては、人間ではなく、芸術至上主義がとられているということ、どうしても感じずにはおられません。

両作品に通ずるのは、非常に儚い人間達の脆く消えてゆく存在性の無常と、それと同じように消費され消えていくであろう芸術の無常。ただ、ばるぼらでは、たとえ作者がどうなろうとも、芸術が人の寿命を越えて残る可能性に僅かな救いを持たせています。

たぶん彼の行方は永久にわかるまい だが彼の作品は永久に残るのだ。
(手塚治虫「ばるぼら」)

ただこれが、人間昆虫記ではもっと突き放した形になっています。人間昆虫記では「美(芸術の創造)」=「模倣」=「ヒロイン」という形になっており、特別な価値があるとみなされるもの(そこには一般的な美的価値・芸術だけでなく、人間それ自体の存在まで入ってしまう)をヒロインは全て完璧に模倣し、模倣された人々の作品を自分の作品とし、模倣された人々を破滅させながら芸術分野に留まらず次々とあらゆる分野に多彩な活躍をしていく、まさに、美の化身そのもののような女性がヒロインで、そして、美は孤独なんですね。

それは、純粋な美であるゆえに、他との繋がりを模倣するという形でしか繋ぐことが出来ないゆえに。ここに、手塚さんの非常にシビアな芸術論を見て取ることができると僕は考えます。つまり、芸術は全て模倣と組み合わせであるという、ある種の芸術限界論的な視野があるのだと思います。それが、模倣の女神である、芸術的には多彩な大成功を収めているヒロインの悲劇的な孤独に繋がると考えます。

また、彼女が模倣(それはほとんど盗作といっていいものです。彼女は完全に模倣できるうえ、模倣する人物の作品を奪い取ることを躊躇しません)によって芸術的には多彩な大成功を収めているというのも、ばるぼらと読み比べるとわかりますが、非常な皮肉です。「ばるぼら」における芸術を鑑賞する立場(ばるぼらでは超越的な芸術の女神ムネーモシュネーと娘がそれを果たします)から人間を見れば、Aという作品を創ったのがBだろうがCだろうが、純粋に芸術を鑑賞する立場にとっては、なんの変わりもないという、俗世から一切から切り離された孤独な、何とも繋がらない美の悲劇、純粋芸術審美主義の哀しみを手塚さんはこの二作品で描いているのだと思います。非常に芸術論として優れている漫画(勿論、漫画としての出来栄えも抜群です)でお勧めの作品です。

人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)
ばるぼら (1) (手塚治虫漫画全集 (145))
ばるぼら (2) (手塚治虫漫画全集 (146))

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アマゾンギフト券を贈って下さる方、本当にありがとうございます。メールアドレスのわかる方にはお礼を書いておりますが、メールアドレスのわからない方で贈ってくださる方に、本当にお礼申し上げます。今の僕は困窮しておりまして、何もお返しすることができないのに、善意で寄付してくれる皆様に、とても感謝しております。不眠がずっと続いていて頭痛があるんですが、とてもありがたい善意にふれて、少し和らぐ気持ちです。本当にありがとうございます。言葉にできないありがたい気持ちです。心から、お礼を申し上げます。またアフィリエイトでお買い物をしてくださっている方にも、心から深くお礼申し上げます。

僕はやはり注意力とか落ちているみたいで、(うつ病の症状だといわれました)食べ物がなかったときにギフト券を頂いて、

「ありがとうございます。たいへんたすかります。今も色んな福祉機関に相談しているんですが、うつ病で働けなくて生活が困ってても、そうとうせっつまってないと生活保護は受けられないみたいで、しかも家族にも迷惑かけちゃうということで、それ以外に公的補助の収入ないみたいです。僕は国民年金はらえなかったので、うつ病が治らなくても、障害年金もなくて、生活苦とうつで疲れておりました。お心遣い、それに大切なお金を本当にありがとうございます。これで食べ物買おうと思います。」

ってメールを出したら、amazonギフトメールの方に返信した形になって、お礼の文とか届けられなくて、それでも幾人も贈ってきて下さる方がいて、本当に助かっています。もう、食べ物あんまり食べてなくて、食欲がないのもあるんですがどうしようかと思っていたところだったので、本当に助かりました。ありがとうございます。最近全然でなかった涙が出ました。

僕はもう生活の困窮で収入(激減したアフィリエイト収入のみです)と貯金の残高も少なく、現在、かなり外に出られない(一度外に出ようとして午前10時に出ようとして、どうしても出られず、午後3時頃でられましたがそれから急に悪化し、外に出られることは不可能ではないのですが、外出といった行動がかなり苦痛な状態です)家族の看護を受けていて、本当に自分が負担になっていることと、そんな僕を助けてくれる方々に、言葉にできないくらい感謝しています。親切な方からアドバイスを頂いて、イーブックオフというところで色んなものを売ったりすることにして(僕の所有する本とかDVDとかゲームを出向かずともひきとってくれるそうです)なんとか、頑張って、生きられるところまで生きたいと思っております。支援くださる方、本当にどうもありがとうございます。とても感謝しております。後、前述の助言を頂いた方から、前の閉鎖したブログのアカウントをもう一度とって、移転したことの知らせと過去ログを移せば、アクセス数・アフィリエイトが戻りますよということで、アカウント取ろうとしたんですが、ダメでした。僕が退会した後も、そのIDは既に使用されておりますになっており、復活できません。(調べたら重複登録防止措置というものみたいです)現在のアクセス数は過去の十分の一くらいなので(前のブログが数千、今のブログが数百)、どうか、ねこねこブログにリンクを張って頂けると本当に助かります。どうか、お願い致します。

あと、猫が、ちょうど今、ドアのところでイタズラしてて、少しほっとします。うつ病と生活の困窮は凄く辛いですが、優しい善意や動物にふれたりすると気持ちが助けられます。頑張って、できるところまで、生きて、文章を残してゆくつもりです。支援して下さっている方、ありがとうございます。

病気(うつ病)、いつまで続くのかわからなくてそれも物凄く不安(ずっと辛い状態が続いています)ですが(薬でもっていますが、それは急激によくなるとかそういうことはなく、一番辛くて酷い状態からよくなりますがそれでもちょっとしたことで酷く辛い状態に戻り、そこからは辛い一進一退という感じです。先生はきっとよくなると仰ってくれておりますし、今はすごく辛いけど(僕の現在の状態は、憂鬱というよりも、辛いことが頭から離れず、心が抜け殻みたいになって、更に辛い不安感と無気力感(行動できない)になる感じです)でも、いつかうつ病がよくなったら、もっと楽しい、人を傷つけない、優しくて、みんなが楽しくなれるような文章を書いて、頑張りたいと思います。

そして、本当に心からありがとうございます。今は凄く大変ですけど、いつか「元気になったよ」って報告できて、それで助けてくれた人に感謝して、もう一度、元気になりたいです。ご支援くださる方々に、本当に、心から言葉にできないほどお礼申し上げます。本当にありがとうございます。命を救われております。感謝伝えきれません。

何も返すことができませんが、それでも、助けてくれて、命を救われて、感謝しております。すごく厳しい状態ですが出来る限り頑張ります。

大変申し訳ないのですが、もしよろしければ、ご支援をいただけると、本当に助かります。回復したら、もっと楽しいこと沢山書いて、頑張るつもりです。今、非常に病状が一進一退で毎日辛く生活苦でして、ご支援頂けること、本当に感謝しております。

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いくら薬飲んでも苦痛・不眠が続く。かなり強い睡眠薬と一日三回の安定剤と頓服用安定剤(抗不安剤、これもかなり強力なもの)を飲んでいるのだがそれでも眠れない。先先日より体が動かなくなり、夜半から椅子に座ったまま、「このままうつ病が治らない→ネットは以前のブログ閉鎖によってアクセス数がた落ちでアフィリエイトでも稼げない→無年金障害者として働けず家族の厄介者の負担になって家族に負担をかけ続けたままうつ病で働けず貧困の中で死ぬ」ということしか考えられなくなる。最大限に辛い不安。今日も同じ状態。全身に硬直症状。胸に強い圧迫感。生活苦の不安強い。公的機関は助けてくれない。辛いことを考え不眠→辛いことを考える→不眠の悪循環。

先日は夜半より朝まで体が動かなくなり一晩不眠。動けず椅子に座ったまま、先のことだけをずっと考えて続けていた。生の尊厳を奪われるような生活保護を受けて死ぬより、自決したいと思い、今すぐではないが、将来的にはどうやって死ぬかということを一生懸命考える。不安と辛さと喪失感と死ぬことについてひたすら考えた。うつ病は治るのだろうか。SSRIは合理性をくれて非合理性を押さえる感じだが以前の穏やかな気分はどこかに消えてしまった。僕はうつ状態が酷く、SSRIは日本で処方できる最大量を処方して下さっているが、それでも非常に辛い。ただ、SSRIを処方されていなかったときよりは、ほんの少し楽。SSRIは今の僕の頭に合理性をくれる感じ。

以前ブログ閉鎖後、アクセス数も落ち、ブログも辛くてなかなか更新できないので、アフィリエイト収入アクセス数低下によってどんどん減少しており、ますます辛い。このまま何の楽しみも生きがいも失われたまま生きることを考えると生きていると感じられない。中傷や収入なく貧困などが頭から離れず苦痛。無気力感が酷く、身体も動けず不安のことばかり考える。辛い。ただ、文章欲と、音楽を聴くことはできる。状況があまりに辛く精神科の先生と電話で相談。薬物療法と認知療法、カウンセリングを含めた総合的な治療をして下さるとのこのこと。手間をかける患者で先生にも電話したりご迷惑ばかり書けていて、申し訳ない。猫だけはいつもの調子。猫飼ってて本当に良かった。

僕は精神傷害年金は例えうつ病が長引いても貰えないし(国民年金3/2未納による無年金障害者)、人間の尊厳が失われたような極限的貧困(生活保護の朝日訴訟のような状況)で苦しむ前に自決したいと考え、あまり苦痛なく死ねる方法を色々調べる。毒薬が欲しいが、毒薬は苦痛が酷くて発狂することもあると知り、躊躇する。即効性確実性のある純粋な不純物のない青酸カリが欲しい。苦しみながら生きるより早く死にたいということしか頭に浮かばない。まだ死ぬ気はないが限界的生活困窮で生活保護のケースワーカーにいじめられて人間としての尊厳を失って生きているだけの状態になる前に僕は自決したい。僕の尊敬するストア哲学者セネカやローマの小カトーのように誇りを持って死にたい。首吊りと出血死について調べる。首吊りは失敗すると苦痛が継続する模様で不安。出血死はきちんとやらなければ確実性があまりないが大動脈をきちんと切断すれば確実で意識の混濁が起き苦痛は少ない模様。

ストレス溜まるとお腹いつもいたくなるがお腹痛いの再発。無気力感が酷いが文章だけは書ける。こんな状態の僕を助けてくれる、アフィリエイトで買い物してくれたりギフト券を贈って下さって金銭的に支援してくれる方に本当に感謝。上手くお礼が書けなくてごめんなさい。返事遅くなるかも知れませんが、お礼は必ず書きます。文章だけは書けるので、生活は厳しいですがなんとか頑張りたいと思います。アマゾンギフトを送ってきてくれる人が以前から何人かいて、食べ物買えました。本当にありがとうございます。食べてなかったので本当に命の恩人です。病状が酷いときに出したお礼は文章が支離滅裂になっててごめんなさい。まだ、尊厳を持って生きられる限りは頑張って生きたいと思ってます。僕は見かえりを何も提供できないのに、ギフト券を送ってくれる人々に、本当に善意を感じて、生きる気力の励ましです。言葉で表現できないありがとうの想いです。本当にありがとうございます。

ルキリウスへの手紙/モラル通信
人生の短さについて 他二篇 (岩波文庫)
怒りについて 他一篇 (岩波文庫 青 607-2)
セネカ入門―セネカと私
セネカ (文庫クセジュ)
ストア哲学 (文庫クセジュ 273)

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2008年07月10日 03:35

安定剤や睡眠薬や頓服用安定剤をいくら飲んでも全く眠れなくて苦しいです…。完全にうつの一番酷い頃の不眠が再発してしまいました。うつ病の症状の一つに「貧困妄想」というのがありますが、それであればどんなによかったかという思いです。抗うつ剤によって頭は合理的に働くので現在の家計の把握、生活の破綻の近い限界的貧困窮状が貯金における支出と収入によってどんどん近づいてきていることがわかり、絶望的な気分です。どうすればいいんだかわかりません。うつと生活苦が重なって、どうしても苦しくて、書かずにはいられません。なんかばるぼらの作家の最後みたいです…。日本は、病気で働けなくなったら、食べれなくなるので(西欧キリスト教国ののような貧しい人に無償で食べさせてくれる慈善的・キリスト教的逃げ場がない)、もうおしまいの国です。最近、食事をあまりとっていないので、SSRIや不安剤と水で生活するとどういう感覚になるか、記録として一応書き留めておきます。お腹は空かないんですけど、中になんだろう、なにか重いものがいつも詰められている感じで、喉だけはいつもカラカラだけど水を飲もうという気もあまりしません。ちなみにサイズがLLからSになったので昔痩せてた頃の服がまた着られて節約になると思ってそれはちょっと嬉しかったです。まだ自虐的なユーモアは残っているようです…。まだ貯金は少し残っているので、貯金から削って少しずつ食べて、ばるぼらの主人公の作家みたいに、最後まで書けたらいいなと思っています。頭は妙に冴えている(多分勘違いでしょうが)感じがします。文章も書けます。手がやせ細ってるのが自分でもわかって面白いですね。こういう感覚はかなり限界でも感じるのが面白くて、人間は極度に肉体的に衰弱するとなんか色々面白く感じるようになりますね。おそらく脳内のエンドルフィンが出ているのだと思います。僕にばるぼらの作家のような才能があれば、ホフマンのような小説が書きたいところで、それが、折角頭が冴えている感じなのに、書けないというのが惜しいです。しかし、それもまた、皮肉なユーモアのように感じられてユーモラスに感じます。ばるぼらの主人公の作家のように終わるのなら、僕にもばるぼらがついていて欲しかった。ただ、食欲と性欲と睡眠欲が消えてうつと生活苦の絶望だけが支配する心身の中でも文章を書く欲だけが消えないのは、僕みたいなへっぽこ文士にも、ムーサの女神様が微笑んでいらっしゃるということでしょうか。僕はムーサの女神様を愛しておりますよ。
ばるぼら (1) (手塚治虫漫画全集 (145))
ばるぼら (2) (手塚治虫漫画全集 (146))

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ぼくはうつ病でお医者様に掛かっていますが、アルバイトとアフィリエイトで暮らしていた頃は、年金を払う余裕がとてもなく、(月収10万代でした)それで、少しずつそれでも生活費節約して貯金したりしていたんですが、今、うつ病無職で、貯金取り崩しながら生活しているんですが、今月入ると思ってたお金の金策が先ほどうまくいかないことが分って、もう本当にぎりぎりの状態で、生活苦がかなり限界で、本当に、もう、生きるのがぎりぎり精一杯で、しかも、年金が払えなかったから、障害年金も下りない状態で(精神障害年金は長期間の療養で治らず、なおかつ年金を三分の二以上初診日前に納めていた場合のみ支給されます。僕は年金払えなかったので、うつ病が長期間治らなくても、障害年金除外対象、無年金障害者確定です)働けず収入もなく、高齢の家族に頼っている状態で、本当にお金がなくて、物凄く困難な状態です。メールアドレスは復活させたので、もしよろしければ、アフィリエイトで買って下さったり、アマゾンギフト券(食べ物買えます)を寄付してくださると、本当に助かります。金策の工面がどうしてもつかなくてごめんなさい。僕は何も食べないけど、生活保護は、貯金とか持ち物とか身寄りとかあらゆる全て失って完全に死に掛かってる状態じゃないと受けられないということで、もう生活苦が本当に限界です。メールアドレス復活させました。kagami36@hotmail.comかne.ko.tan@hotmail.co.jpです。今凄く辛いのでできたらどうかひどいことは送らないでください。色々、ネットでご高名な方々にご相談申し上げたんですけど、返事は無しのつぶてで、今、節約し医療費合わせ月五万円位でくらしているけど、無職でアフィリエイトが数分の一にガクンと落ちたので赤字で、貯金崩してて今日、金策工面もつかなくなっちゃって、生活が本当に真っ暗闇です。もしよろしければ、アフィリエイトで買い物するとき使って頂けると助かります。ほんとうに、困り果てていて、ひどい貧困で、生活保護は全てを失わないと受けられませんし、僕は今行動が外に出たりほとんど不可能な状態で、家族も猫もとても大切ですし、持ち物全処分とか猫とか家族と縁をきったりとかあらゆる全てを失わないと生活保護は受けられないとのことで、持ち物全部売ったりとかそんな行動がうつで外にいけないから取れなくて、そんな状態で生きていくのは、うつ病と重なって、もう耐えられそうになくて、本当に困ってます。もし、よろしければ、厚かましいお願い申し訳ありませんが、ご支援頂けたら心底感謝致します。今日、最後の金策に失敗して本当に人生が真っ暗闇な状態で、生活苦で今後生存できる先行きの希望なにもなくて本当に苦しい状態で、生活苦が酷くて、もう、本当に先がなくて、どうか助けてください。

本当に、金策つかなくて生活苦が酷くて、もう苦しくて辛いです。すみません。お金なくて、公的機関はいのちの電話とか精神福祉施設とか保険課とか年金とかあらゆるところ全部相談しましたが全部窓口たらいまわしと口先だけでどこも全く助けてくれなくて、どうしたらいいのか全然わかりません。日本には生活困窮者を助ける公的仕組みが全く全然ないみたいです。唯一、あらゆる一切の全てを失って病気で死に掛かっている場合のみ、すごく運がよければ生活保護というのを受けられるみたいですが、僕はそういうのはまだダメって。一生懸命文章書いたり頑張っててもアフィリエイト収入なくてうまく行かなくて。頑張って、なんとか最後まで頑張って、死ぬまでは生き延びるつもりなんで、助けて下さい。

もう、本当に困り果てていて、後、貧困のこととか書いている有名な学者さんとかにも窮状詳しくかいてメール送ったんですけど、全部なしのつぶてで、公的機関と同じです。表向きは貧困救済とか文章に書いてる地位ある人も、助言すらくれず、僕は家族と友達にだけ迷惑かけて、辛いです。働けなくて金銭の工面もできなくて、公的機関も、貧困問題に取り組んでいるようなことを書いている人も誰も助けてくれなくて、本当に生活苦が、限界で、苦しいです。助けてください。

こんな文章を書いてしまってごめんなさい。本当に生活苦が辛くて、厳しくて。申し訳ありません。リンクとか、張ってくれたら、とてもありがたく思います。生活苦が本当に辛くて苦しいです。

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2008年07月09日 16:15

「ベストクラシック100」
「ベストクラシック100 2」
「ベスト・クラシック101」
「100曲クラシック」

今日は朝は調子が良かったんですけど、その後、ちょっと辛いことがあって、また辛い状態に戻ってしまって…。昨日と同じく、クラシックを聴いていました。そうしたら昨日とは同じ曲でも演奏者によって感じ方が全然違うのに驚きました。

昨日聞いたのは「ベストクラシック100」「ベストクラシック100 2」は、全体的にとても調和していて美しかったですが、今回聞いた「ベスト・クラシック101」は、演奏のリズムの波がちょっとなんですけどズレていて、少し不協和音的な、調和が昨日聴いたのよりもみだれているように感じました。それが、美の完成度を下げて聴きづらくしまっているように思えました…。私は音楽の素人ですけど、でも、演奏者によって、曲の違い(美的完成度の違い)というのが、しっかりと実感して感じられました。ただ、「ベスト・クラシック101」は安いので、コストパフォーマンス的にはこちらの方がいいんですが、品質的には「ベストクラシック100」シリーズの方が美的完成度がずっと高い(聴いてて楽に聴ける)ように感じられました。「100曲クラシック」とも聞き比べてみたいですね…。

うつ病にかかると、抗うつ剤使っていても、すぐ回復するわけでもなく、すぐ辛くなってしまうので(勿論使う前ほどではなく、使う前はうつ状態が重度で危機的状態でした)、無気力感も強くて、猫のお世話して後は寝床に横になってクラシック聴いている生活(文章は何とか書けますが他の行動ができない)ですが、貯金取り崩していて(うつ病で無職で、以前ブログやっていたんですがそちらは辛いことがあって閉鎖して、その後はアクセス数もアフィリエイト収入も以前の数分の一になってしまいました。そんな中、僕のアフィリエイトで買ってくださる皆様に心から感謝しています)。僕は今、これ(貯金)がなくなったら食べ物買えなくなって終わりかなとか考えると、なんか、むしろ笑いがでてきちゃって、ほんの少しだけ元気になる気持ちです。山田風太郎の文章思い出しました。

だんだんひどくなる。本日漸く二月十七日より二十一日までの米配給になる。嘗て今こそ最低生活なり、この線をきって下降すれば国民の生活は破滅すと思いしこと、両三度にとどまらず。併し己は、「人間は死ぬまで生きているのだ」という明瞭な事実を失念していた
(山田風太郎「戦中派闇市日記」)

生活が困窮しすぎると、何もなくなってしまう(僕の場合は辛くて動けず横になって音楽を聴いていることしかできない)ので、こういう感じの自虐的なユーモアがちょっとでてきますね。ただ僕には猫がいて、最後まで、ちゃんと長寿全うして欲しいなと思いますし、そのための努力します。僕自身も、頑張れるところまで一生懸命頑張るつもりです。僕は困窮時代の山田風太郎と違って、ほとんど動かないし、食欲自体が消えている感覚なので水とお薬とほんの僅かな食べ物で大丈夫なので、食費はほとんどかからないですし。だから猫が元気もりもりで食べてるの見ると元気でいいな〜って思わず笑みが浮かんじゃいます。僕の方はあまり食べてないでお薬と水生活なのでなんか晩年の芥川龍之介みたいな風貌になってきちゃいました。でも、お薬があるので、芥川さんみたいにはならないつもりです。

あと、こうなって分かったことは僕みたいな就職氷河期世代(20代・30代)で病気で働けなくなっちゃった場合、どこの誰も公的に助けてくれないんですね…。これは就職氷河期世代以外でもどの年代の人でもそうみたいです。ケースワーカーに相談しても、例えば今の僕みたいに病気で働けない状態でも『猫飼ってて貯金が残ってたら当然ダメ』で、ありとあらゆる持ち物とか貯金とか全てを何もかも失い身寄りにも頼れず病気という状態でも、それでも厳しい査定とかされるみたいで、全てを失ってすら公的な支援・保護もなかなか受けられないみたいみたいです…。ただ、僕の状態だと医療費を色々減額してくれる補助はあるみたいです…。

僕はまだ支えてくれる家族や友人がいるので助けられていて、大切な彼らに僕が負担を掛けていることとても申し訳なく、なんと云ったらいいかわからないほど助けてくれる人々に感謝しているのですが、そういうもののない状況で、僕みたいにうつ病になって働けなくなってしまったら、もしその人に何も頼る人々(家族や友人)がいなかったら、もう、どうやって生きてゆけばいいか、心底から絶望してしまうと思います。こういう困っている人を、その人の尊厳となる全てが一切何にもなくなるまで決して助けないような保護のシステムやただの言葉だけの相談窓口だけではなく、もっと切実に、今現在、困り果てている人のその命を具体的に救い助ける公的な仕組みとか、絶対必要だと思います…。低収入者・収入0の人に少しでも食べ物を配るだけでも、せめて、そういうだけでも仕組みがあればなと思います。どうしても、最終的には食費をいかにして削って生きていくかになってしまいますので…。

最後に、山田風太郎が書いた昭和22年4月の風景を引用させて頂きます。

(雨風しのいで駅で横たわる人々)並びて隅にうずくまれる男、女、――骸骨の如く黒み痩せたるあり、蒼く膨れたるあり、悉く栄養失調症をあらわし、結核の末期にすすめるものあるか、死するがごとく咳き込む声きこゆ。まれに、雑巾の如き座布団大の毛布持てるものはこれ大富豪に該当するものの如く、これに三人の子供を眠らせたり、狭ければ子供皆膝を揃えて座れる姿勢のまま、前に伏してねむるなり。一人あばれて他押し出さるれば泣きもせで傍のコンクリートに座り眼をこすりこすり、この侵略者がもとの位置に戻るまで黙して待つ。傍に三才ばかりの女の子、短き鉛筆のかけらにてコンクリートの上に描きて遊べり、これ深夜の一時の景なり。小さき頭の傍に、ちびたる下駄、緒の切れし草履ならべあるいは唯一の財産なるべく涙こぼれるいじらしさなり。(中略)嬰児、蒼くシナびて、泣声を発するも能わず、如何なる星の下にとはかかる生命を言うなるべし。虱たかれるか大人子供悉く夜中全身を爪にて掻き毟りつつ眠る、母、時に起きて子の衣服(?)をとりて虱をとる、子は裸にされて立ちたるまま、泣きもせず之を待つ。この人々全て恥は勿論既に全く生きる気力を失いたり、動物並と言いたいけれど動物以下なり。ゴーゴリの『どん底』の連中ははるかにこれらより上等なり。夜明けせまらんとして駅前には早くも今日の選挙に対する最後の怒鳴り声聞こえゆ。一日の選挙日何千円かしらざれども、その金あらば自らの選挙を放棄し、その金にてバラックでも建ててこれらの母と子を収容する正気ある人なきや、これを見れば山本有三も誰も悉く馬鹿の張本人なりと言わざるを得ず。
(山田風太郎「戦中派闇市日記」)

戦中派闇市日記―昭和22年・昭和23年

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「ベストクラシック100 2」
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今日も睡眠薬に頼ってもあまり眠れず(5時間程度)。僕の側で可愛い姿でたっぷり寝てる猫が羨ましいな…。けれど多少眠れたことで先日よりは辛くなく不眠は改善したので少しだけ調子がよく、大好きな猫漫画「猫本」「猫本2」を読む。「猫本」「猫本2」は猫好き漫画家達による猫漫画アンソロジー。バラエティ豊かで個性溢れた、人によっては玉石混合と感じられるかも知れない色んな猫漫画が載っている猫好きにお勧め漫画です。僕のとても大好きなチーズスイートホームの番外漫画とかも載っていて、猫好きに元気をくれます。

このアンソロジーシリーズの中でも僕が特に気に入ったのは絵本作家・イラストレーター・漫画家のえびなみつるさんが書いた「言ってはいけない」と「元締め徳三」で、水木しげるさんを思わせる独特の雰囲気がとてもよい猫の妖怪譚です。他にもえびなみつるさんが書いた水木しげるさん風味の漫画・猫漫画が読みたいな〜と思って調べたんですが、絵本作家として大成している方で、あまりこういう漫画は書いていないみたいで残念。

でも、僕の大好きな漫画家である水木しげるさんみたいな雰囲気を持った漫画を書ける漫画家って、僕が漫画を読んで来た範囲ではあまりいないような感じなんですね。猫本シリーズが続いて、えびなみつるさんのこういう感じの漫画をもっと読みたいなって思いました。

あと、「猫本2」に載っている「元締め徳三」は、猫の妖怪譚には書かせない「猫の恩返し」の話で、以前紹介した日影丈吉さんの猫小説「猫の泉」に構造的に似ている(パクリとかそういう意味ではなく、良く出来たオマージュという感じ)なので、どちらか気に入った人には両方お勧めです。

今ちょうどこの文章を打ってる僕に猫がにゃ〜んって鳴いてて、猫は本当に可愛いですね…。というか、今現在朝飯を欲しがってる模様。にゃ〜んはお腹空いたの合図ですね。猫の朝飯を作ってきます。

参考作品(amazon)
猫本(ねこもと) (講談社MOOK)
猫本2 (ねこもとニャー) (講談社MOOK)
猫辞苑―現代「猫語」の基礎知識
きみの町に星をみているねこはいないかい

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2008年07月08日 22:36

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昨日から調子が悪かったのですが、明け方、手塚治虫「ばるぼら」を読んでちょっと気が楽になりました。でも、やはり辛いのと無気力感に悩まされ、一日中音楽聴きながら寝ていたんですが、以前、性欲が消滅した状態でエロマンガ読んだらどうなるか試したときと同じく、音楽に対しても感じ方が全く変わっていることに驚きました。

以前から僕はクラシックが好きでしたが、クラシック以外にも洋楽邦楽ロックJPOPアニソンなんでも聴いてたんですが、クラシック以外は、今は聴けない感じですね…。感情がざわめき立てられるような感じで、どうしても聴いていると辛くなってしまいます。特に激しい音楽は完全に無理です。一日中、横になりながら、ベスト・クラシック100とその続編を聴いていました。

クラシックは、今までより遥かに純粋に音楽として美しさが感じられました。以前はクラシックも、自分の感情の波に合わせて高揚しながら聴いていたところがあったんですが、うつ病で感情が全般的に薄れているのと、抗うつ剤の効果で心が穏やかになっている感覚なので、クラシックを、感情ではなく、純粋に美的な音楽鑑賞として、聴くことができるような感じなんですね。そうするとクラシックの極めて優れたメロディ・リズム・シンフォニーの美的配置というもの、僕は音楽の素人ですがそれでも、その美的な高潔さとしか表現できない優れた調和が、美として感じられるんですね。感情ではなく、純粋な美の感覚に浸っている感じがします。それは、ありあとあらゆる全てが純粋に調和して、美的なシンフォニーを創りだす…。

感情によらない、美的な崇高さに感興を覚えるという感覚を感受した想いです。美(art・芸術作品)というものは、感情によらない、いや、ほかあらゆるものによらない、独立したものとして、ただ、美として表現されるということを知りました。

ムネーモシュネー
「芸術家は芸術のためにだけ 心を捧げればよいのだよ。政治とか、金とかにウツツを抜かしているようじゃそいつはおしまいだ……先生があのクズとつきあっていればあんたもいずれそうなっただろうね」
(手塚治虫「ばるぼら」)

このことをムネーモシュネーに云われた「ばるぼら」の主人公の作家美倉洋介は、のちにありとあらゆる全てを失い、断末魔の苦しみのなかで、最後の最後に、唯一残った衝動が「ものを書きたい」だったんですね。

六日目には…断食をすると苦痛の次にはかえって頭がさえてくるという。ふと ものを書いてみたい衝動がおきたのだ。
美倉洋介
「筒井が言ってたな 長編を書けって……死に花を咲かせてやるか……」
七日目…舌は感覚を失い、まるで雑巾のような異物感を感じるだけになった。しかしペンは奇妙に走った それだけが 私が生きつづけている証だった。
(手塚治虫「ばるぼら」)

僕も、感情の薄れと辛さ、貧困と無気力感に苛まれていますが、感情とは独立した「美」への感受・感受欲と文章を書きたい欲望だけは残っていて、全てを失った美倉洋介がそれでも書き続けているように、なにか、全てから独立したような、美の霊、創造する霊みたいのに、己も憑かれているなということを感じました。

一切から独立した、美のための美、創造のための創造ということが、合理的な言葉にして表現できない領域にあって、それは心身と重なっていると感じます。

参考作品(amazon)
「ベストクラシック100」
「ベストクラシック100 2」
「ベスト100シリーズ」
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ばるぼら (1) (手塚治虫漫画全集 (145))
ばるぼら (2) (手塚治虫漫画全集 (146))

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昨日夕べに辛いことがあり不眠が再発。かなり強い睡眠薬と、頓服用安定剤を服用してもなかなか眠れない。うつ状態(辛いことが頭から離れない状態)で不眠が凄くつらい。やっとうとうと出来たと思ったら、AM3:00頃起きてしまった。辛いことが頭に残るあまりよくない目覚め。ただ、抗うつ剤と安定剤でやっと持っている感じ。薬には本当に助けられている。以前だったらこういう時は本も読めないが、今は読める。ただし、辛いときは穏やかな本や優しい本(ARIAやチーズスイートホーム)は読めなくて(読んでも辛くて頭に入らない)。

うつ病の闘病記、ダニエル・スティール「輝ける日々」を読む(まだ半分ほど読了したところで中途)。若年性躁うつ病で夭折したニックの生涯を母親が伝記化したノンフィクション。ニックの生涯と病状を母親が愛情を一生懸命に込めて克明に記しており、ノンフィクションとしての出来はとても良い。ニックの病状を見て僕のうつ病とは少しタイプが違うなと感じる。ニックはうつ状態で辛くても彼を傷つけるものへの怒りが強くて、それが苦しみであるとともに生命をなんとか支えている感じ。僕の場合は辛すぎて疲労がひどい。年齢差もあるのかな…。以下、ニックの日記より引用。

デーモンたちがぼくの頭に侵入してきた。ぎりぎり回って笑いながら。僕の五感は死んでしまった。ぼくは彼らの挙動に合わせて縮み上がる。彼らはほくそ笑み、ぼくをつねり上げる。彼らの邪な爪が僕の肉に食い込む。僕はねじ曲げられ、嘔吐の発作が襲ってきて、咳き込み、色がついた血を吐いて、死にかけている。この日記に向かっているのはとても大変だ。僕は揺さぶられ、いたぶられ、のみこまれる。鋼鉄の線の壁があり、その向こうにはなにもなく、その壁は、僕を苦しめる者たちが破壊した廃墟の上にそびえている。

焼けただれた肉の匂いが鼻を刺す。ぼくはここに座り、うつむき、眠く、全身が痒い。彼らは話している。ぼんやりしていて、何も見えない。両目は焦点を失い、ぼやけ、彼らは僕を殴り、顔が赤い。彼らは言う。「お前は悪い奴だ。ずっと悪い奴だった」僕はそうは思わない。僕は悪くない。僕は狂っていない。僕は皆に、静かに、していてもらいたかっただけ。そっとしておいてくれ。僕は人に優しく、陽気で、わくわくしていたかった。そんな場所が見つからないんだ。(中略)

ここ(見つけることができない穏やかな場所)にずっといたいと思う。悪いことから離れて、あの卑劣な奴らから離れて。傷ついた灰色の人々が、踏み車を永遠に回し続けている。その群像は老い、卑劣で、怒りが膨れあがり、彼らより違ったものに対して、氷の刃みたいな憎しみを持つ。僕は彼らが嫌いだ。彼らは僕を滑稽だとみなすし、僕の背に笑いを浴びせ、僕の顔を指でさす。彼らは僕を傷つけ、ぼくは生きていても仕方がないと思う。僕はそれが嫌いだ。

僕は病気(うつ病状態)であり、疲れてしまった。僕は常にベストを尽くしている。なさねばならないことをしていると思う。内心、どんなに震えても、泣いても、だ。(中略)救済してくれるロープをぐいとひっぱり、手さぐりで探し、這って近づいていくと、誰かがそれを遠くへ持ち去ってしまう。僕の涙や、汗や、血をあざ笑いながら。(中略)

小骨だらけの無意味な憎しみが、僕がどんなに遠くへ走って逃げても、僕を小突きまわすのだ。足は早くうごくんだけど、僕は速く走れない。どんなに汚れていいと思っても、隠れられない。君(ニックを傷つけるもの)にとってはこれはゲームにすぎない。どのくらい深く、下へ僕を釣り下げられるかというゲームだ。僕は糸に繋がれている。君にとってはゲームだけど、それは僕の人生なのだ。(中略)

僕は怒れる少年だ。僕は低脳じゃない。
(ダニエル・スティール「輝ける日々」)

うつ病にも様々なタイプがあることを感じる。僕の場合は梶井基次郎さんみたいに、疲労と辛さ(過去の傷と今も傷つけられる苦痛)から脱出して、また楽しいと感じられるようになることが最大の願い。「輝ける日々」はあまりに暗すぎて、読んでるのが辛くなってきたので、手塚治虫さんのマンガの中でも特に好きなマンガ、「ばるぼら」(精神的な病を抱えて苦しむ作家と謎の少女ばるぼらの物語)を読む。このマンガは苦悩の中にほんの僅かに救済があるところが、救い。毎回作家をぎりぎりで救済するヒロインのばるぼらが猫みたいな性格・感じなのが大好き。辛いがなんとか少しだけ気が紛れる。悩みがある人が読むと(特に何かを書く・作る・創造するということをしていて悩みがある方々)、助けられるような感じになるマンガです。

輝ける日々
ばるぼら (1) (手塚治虫漫画全集 (145))
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