2008年07月

2008年07月31日 19:08

裁かるゝジャンヌ クリティカル・エディション
今日は調子が良かったので、友人から貸してもらっている「裁かるゝジャンヌ」を観ました(DVD欲しいんですが、今の僕には金額的にとても手が届きません)。僕がこれまで観てきた映画における絶対的な最高峰であると感じられました。映画では「ミツバチのささやき」とかも本当に実に素晴らしい作品、大好きな作品ですが、今の僕には、ジャンヌが最高峰と感じられます。次点がミツバチという感じです(以前はミツバチが一番だったのですが、うつ病になって感覚が変わった感じです)。今回改めてジャンヌを観て、以前、うつ病に掛かる前に観たときよりも遥かに激しく、心魂を揺さぶられました。

この映画の凄いところは、演出も物凄い(ほとんどがジャンヌの顔のクローズアップ)んですが、宗教的な主題を描いた最高峰の作品と感じるところ、ジャンヌ・ダルクを普通の村の無学な少女として描きながら、なおかつその少女が、神を、真に信じる、真に愛しているところを、ジャンヌ・ダルクを責め立てる審問官達とのやりとりから明らかにしていくところです。審問官達はあらゆる方法、ただ責め立てるだけでなく、ジャンヌを騙したり、もっと直接的に死に掛けるまで拷問に掛けたり、火あぶりにするぞと脅したり、とてつもなく残酷にジャンヌを責め立てるんですね。審問官達はジャンヌ自身に「自分は悪魔の手先である」と云わせたい訳です。

そして、ジャンヌは、本当は、どんなことにも耐えられる英雄豪傑でもなんでもなく、神を信じ啓示を受けて、真っ正直に行動していたゆえ、そんな責めにあったら誰だって辛いわけで、不安と恐怖の中でぼろぼろ泣くんですね。恐れと不安と悲しみで一杯になった表情がクローズアップで観ているものの心を抉ります。特に僕は今、ジャンヌみたいな状態(強い恐れと不安と悲しみ)があるので、物凄く、共感しました。

あまりの非道な責めに、ずっと真っ正直に答えていたジャンヌも、一度は、自分が悪魔の手先であることを認める改悛の証明書にサインしちゃうんですね。でも、ここからが凄いところで、ジャンヌは審問官達を呼び戻し、大きな過ちを犯した、火あぶりの恐怖ゆえに嘘のサインをしてしまったことを懺悔して、私は、改悛の証明書にサインした過ち以外は、神と共に誠実にあったことを云うんですね。そうして、火あぶりにされることになるんですが、やっぱり怖いんですね。苦痛が短くありますようにって祈るんですね。そして火あぶりにされてゆくんですね…。このシーンとか、とてつもない表現しようのないものを表現しています。

淀川長治さんは映画作り(物語作りと言い換えてもいいと思います)に携わるものなら、まず第一に観なくてはならない作品とこの作品を述べていますが、僕は、真に信じること、真に愛することについて、想うものなら、まず第一に観なくてはならない映画であると感じています。皆さんにもぜひ観て欲しい映画作品です。日本ではあまり知られていませんが、この映画を作ったカール・テオドール・ドライヤー監督の作品は本当に凄いです。 魂が揺さぶられ、自らが見る前と見た後で変わってゆくのが感じられます。

言葉では表現できない、映画としての頂点の映画と思います。ぜひ、皆様もご覧になることお勧め致します。

後、最後に、これの僕の私観ですが、この映画にでてくるジャンヌ、責められるの辛いし痛いの辛いし怖いの辛いと感じる普通の女の子だけれど、真に信じる、真に愛することを胸に抱いているジャンヌ・ダルク、こういう女の子、僕の好きな貴い聖なる女性です。AIRの観鈴と重なります。

参考作品(amazon)
裁かるゝジャンヌ クリティカル・エディション
ビクトル・エリセ DVD-BOX - 挑戦/ミツバチのささやき/エル・スール
ビクトル・エリセ DVD-BOX - 挑戦/ミツバチのささやき/エル・スール
ミツバチのささやき

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2008年07月30日 21:52

マリオ・ブルネロ 「アローン」

今日は不安発作が起きなかったですが憂鬱が酷く、ショパンとかも聴けなくて、何か聴けるないか探して、マリオ・ブルネロの無伴奏チェロ「アローン」を聴いていました。独特の陰影を持ったチェロ曲をブルネロが素晴らしく弾きこなす名盤です。

憂鬱な気分のなか、ネルヴァルの詩「廃嫡者」を読んでいたら、まるで自らのようで、そして読み進めると、この詩がデューラー銅版画メランコリアと関連していると注釈に書いてあり、何か、運命のようなものを感じずにはいられませんでした…。

ネルヴァル「廃嫡者」(フランス名詩選より)

私は闇に住む者、――妻亡き者、――慰謝なき者、
廃れ果てた塔に住むアキタニア公だ。
私の唯一の星は死に、――星ちりばめた私の琵琶は、
「憂愁」の「黒い太陽」を宿している。

僕はうつ病になる前からデューラーの版画が好きで、特にメランコリアが好きでしたので、そんな大きな運命のようなものをどうしても感じずにはいられませんでした。世界は全て巨大な運命に御されており、その運命からは逃れられないと感じられます。全ては運命に呑まれ、朽ち果ててゆくのを、暗く見事な演奏を聴きながら感じておりました…。ルコント・ド・リールの「赤い星」のように、全ては巨大なる運命に御され、飲み込まれてゆくと、感じました…。

ルコント・ド・リール「赤い星」(フランス名詩選より)

死んだ「諸大陸」にかぶさる昏睡状態の大波、
そこに一世界の臨終の戦慄が走ったその大波が、
沈黙と無辺の広がりのうちに、膨れ上がる。
そして赤いサヒールは、悲劇の夜々の奥底から、
ひとり燃え上がり、血に染まる眼差しをその波に投げる。

むきだしの孤独の、はてしない空間を通して、
この、無気力で、鈍重で、空虚で、虚無さながらの深淵、
サヒール、無上の証人、海をいっそうどんよりさせ、
天をいっそう暗くする陰性の太陽が、
万物の眠りを、血みどろな眼で、いとしげに眺めている。

天才、愛情、苦痛、絶望、憎悪、羨望も、
人が夢見るもの、人が崇めるもの、人をだますものも、
「天」も「地」も、往古の「瞬間」に属するものは、もう何もない。
「人間」と「生命」の忘れられた夢の上で
サヒールの赤い「眼」は永遠に血を流す。

消えた世界のなかで、音楽は救いとしてありますね…。アローンの中ではイザイ作曲の無伴奏チェロ・ソナタハ短調作品28が心にしっとりと染み渡ってゆくのを感じます。作曲家の重い悲しみが心に流れ込んできます…。

ウージェヌ・イザイはベルギー生まれのヴァイオリニスト・作曲家(中略)このソナタはいわば、第一次世界大戦後の不安定なヨーロッパ情勢を背景にした、きわめて現代的な性格を持っている。さらに手の震えと糖尿病に苦しみ、(後の29年にはこの病気のために右足を切断している)、精神面での厳しい状況にあった作曲者の姿を反映している。
第一楽章は、全曲を象徴する暗い色調が、ねっとりとした持続で綴られる音楽。曲尾であらわれる、どこまでも上昇しようとする重音が印象に残る。第二楽章は、いくぶん軽やかなリズムを持っており、切迫する表現の合間に絶妙のタイミングでピツィカートが鳴り響く。第四楽章でようやく速いテンポに移るが、擬似対位法的な要素と揺れ動く調性が、やはり不安定な表情を伝えながら全曲を閉じる。
(「アローン」ブックレットより)

イザイの作品28を聴いていると、心が諦念に包まれた憂鬱に染み渡ってゆき、暗い闇は、音楽の力で、虚無の中に溶け込んでゆく、虚無と同化するような形で、心が少し和らぎます。

アローンは無伴奏チェロの非常な名盤でして、チェロ曲がお好きな方、暗く低音で優れた音楽がお好きな方にお勧めです。特にイザイの作品28は暗い気分の方にはぜひお聴きになって欲しいと願います。自らの暗さが、音楽の暗さと同化して和らいでいくのを感じます。

そして、気分が暗い方々は、暗い音楽を聴いてだんだん心が和んできたら、だんだん明るい、元気がでるような曲を聴いてみてください。これは音楽療法といいまして、音楽で心を癒して元気にする方法です。明るい元気な曲でお勧めはルービンシュタインの弾くショパン「ポロネーズ全曲」とか聴いているだけで元気が出て来る感じで、素晴らしい美しい演奏でお勧めです。

参考作品(amazon)
マリオ・ブルネロ 「アローン」
ショパン:ポロネーズ全曲
フランス名詩選 (岩波文庫)
デューラー『メレンコリア1』―解釈の迷宮 (作品とコンテクスト)

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2008年07月29日 22:01

まずお礼を。この前、支援して下さる方に助けてもらい、食事を、もう少しちゃんと食べようと思いました。支援して下さる方々、本当にありがとうございます。

今日は午前中は、凄く強い不安発作が起こって、酷い状態だったんですが、午後は、少し楽になってきて、ショパンばかりではなく、他の曲聴いてみました。マーラー第五番は以前聴いてまだちょっと刺激が強かったんで、シューマンの子供の情景を聴いていました。ショパンと同じように楽に聴けました。演奏はアシュケナージで素晴らしかったです。

うつ病の治療を始めてから、感覚が変容してきて、以前に比べると視覚的なものに対する感覚が低下して(まわりを見てもぽやんとしている感じです)変わりに聴覚的なものに対する感覚が鋭敏になってきているように感じます。

うつ病になる前は、激しい音楽とかそういうのをひとまとまりとして聴く、全体の激しいグルーヴ感的な身体に対する刺激として聴くということが多かったですが(モーツァルトとかもそういう感じで聴いていました)、うつ病になってから、音楽を聴くとき、一つ一つの音がまとまりではなく、はっきりと感じられて、その音が流れることで、玄妙な波を創りだして、調和が生まれているということが、耳に伝わってくる感じで、聴覚が今までより何倍も音やその調和を感じることができるような感覚になっています。

今までより、静かな曲優しい曲が、その思いが伝わってくるような感じで、子供の情景を聴いていて、とても優しい感覚を感じました。ブックレットに、シューマンがこの曲を書いた気持ちを奥さんのクララさんに伝えている書簡の文面が載っていますが、本当に音を聴いていて優しさを感じました。ブックレットから引用いたします。

シューマンは1838年3月に、愛するクララ・ヴィーク(のちにシューマン夫人となる女性)にあてた手紙で、
「以前、君は僕のことを時々子供みたいなところがあるといいましたね。この言葉が僕の心に残っていて、羽根をはやして飛びまわり、いつの間にか30曲ほどの小さい曲ができあがりました。その中の12曲を選んで《子供の情景》という題をつけました。このピアノ小曲集は、ピアノの大家にとっては大して面白くないかも知れないけれど、君はきっと興味を持ってくれるでしょう。僕はこの曲集を誇りに思っているし、これを演奏すると特に僕自身、大きな感銘を受けるのです」
と述べている。
(「子供の情景/シューマン:ピアノ名曲集ブックレット」より)

本当に、聴いていて、優しさを感じて、いい演奏でした。お勧めの作品です。心が少しだけ和みました。

参考作品(amazon)
子供の情景 / シューマン : ピアノ名曲集

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先日と先々日よりは調子が楽になりましたが、あいかわらず、苦しいです。特に不眠と不安が強くて、不眠→不安→不眠→不安の循環で頭ががんがん痛みます。辛いです。僕のうつ病の症状は重度かつ継続と診断書でているので、役所の人の説明によると障害者自立支援法により、昨年度の低所得者かつ重度かつ継続の高額治療継続ということなので、月上限が5000円(もしかしたら2500円?基礎控除とかあってよくわかりません)になるみたいで、さらに今年は年収が80万以下なのは確実で、そうすると月上限負担額が2500円になるんですね。お医者さんからも、入院していいくらいの病状と仰られています。そうすると、今年は一ヶ月5000円か2500円で入院できるんですね(来年からは確実に一月2500円)。一月2500円だと、例え来年一年入院しても3万円(2500円×十二ヶ月)しか掛かりません。ただ、入院の場合は食費が別に掛かる(一日780円みたいです)なので、一年入院すると780円×365日で、284700円掛かります。最も安く一年入院するにも、3万円+284700円で、314700円掛かってしまうんですね。今貯金が三十数万くらいなので、五ヶ月間(来年まで)貯金全部保存してぎりぎりかなという感じで、もし、今年貯金を使ってしまうと、貯金がゼロになって、貯金ゼロだと、入院もできないから、きついです。将来が真っ暗闇です。僕は家族・親族・友人にこれ以上迷惑を掛けたくない(今既に外出のとき付き添って貰ったり迷惑かけています。みんなは僕のことを助けてくれます。僕個人が負担になっていること、凄く自責感です)ので、生活保護は受けたくなくて、そうするとどう暮らしていいのかわかりません。もし入院するときは、家族・親族・猫好きの友人の誰かに猫は飼ってもらおうと思います。入院して猫と離れること思うと凄く辛いです。

どうすればいいのか本当に分かりません。今から入院すると、一ヶ月5000円+食費一ヶ月24180円(780円×31日分)で、今年の国民健康保険料は僕はちゃんと払っていて(年金はお金なくて払えませんでした)、来年からは国民健康保険料が基礎控除額を下回るので、無料になると思うのですが、一月29180円で、今から入院すると一月29180円(もしかしたら26680円)で暮らせます。来年からは一月26680円です。ただ、amazonのアカウント残高がありまして、それの有効期限が一年なので、それを使い切る(食費)かつ僕の所有物を電化製品とかクラシック音楽とかすべて売りまくる(僕は150枚くらいクラシック音楽CD所有しています、ダイソーの安い奴とかじゃなくて、EMIとかの3000円位で昔から買っていったCDで全部、僕が認めた名匠の演奏です、だけどクラシックCDは昔3000円とかで買ったものが、今は1000円とかで売られているので、あまりお金にならないかも知れません)、他にも自分の持ち物を全部売っていって、貯金に手をつけずに、なんとかこれから五ヶ月通院治療して、それでうつ病が治って就職できればそれが一番いいんですが、もし症状があまり変わらない場合は一年くらい入院しようかと思います。一年以上の入院は金銭的に不可能なので、それまで(来年一年間)にうつ病が治らなかったら、僕のあらゆるものを完全に売り払い、それでもお金が尽きたらそしたらどうしたらいいのか、わからないです。僕は無年金障害者なので(年金三分の二未納の場合は、障害年金が受けられません)、本当に困っています。音楽も、聴けなくなるかと、凄く辛くて。ゲームとかアニメ、漫画は、二度三度見返すということは、本当に大切に思っているとても大好きな作品(AIR売ったのとても辛かったです)以外、ありませんが、音楽は同じ演奏(例えばショパン)を何度も聴くので、それがもうできないと思うと、辛いです。各演奏者(例えばルービンシュタインとアシュケナージ)の夜想曲を何度も聴き比べたりしていますから、できなくなることを思うと苦しいです。うつで苦しいとき、できるのは音楽を聴くことだけなので、辛いです。

後、入院する場合は、閉鎖病棟でネット環境とかからは一切遮断されるので、更新できなくなると思います。ごめんなさい。

なるべく早く病気を治そうと努力して、図書館で自律訓練法の本を借りたり、薬物療法以外に心理療法をお願いしたりしています。精神疾患カテゴリにおいては障害者自立支援法により、いくら治療を受けても、負担上限が制限されるため、一生懸命やってます。ただ、病院行くのに交通費が往復1000円近く掛かるのが痛いです、まだ取っていませんが、精神障害者保健福祉手帳を出してもらっても、身体障害者福祉手帳と違い、交通費が割引にならないケースが多いみたいです。特にJRは全く割り引いてくれないらしいので、凄くがっくりしました。交通費掛かります。早く治そうと懸命に色々やっているんですが、なかなか病状がよくならなくて、調子少しよくなって(それでも辛いです)それから調子が悪くなるの繰り返しで、重いうつ病はケースバイケースですが治るまで相当時間がかかるみたいです、休養しながら、一日も早く病気を治して、働けるようになって、皆さんに楽しんでいただける文章をかけるようになったらいいなと思います。

参考作品(amazon)
ショパン:夜想曲集(全19曲)
ショパン:夜想曲全集

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2008年07月27日 22:10

今日は酷く調子が悪いです。昨日少し調子がよくなったのの反動がきた感じです。ちょっとしたことで、酷いうつ状態になってしまい、そのことを考えて、ますますうつ状態になるという負のスパイラルのような感じで気分が消えて、感覚が消えてゆくような感じです。

僕のうつは、まず一気に気分が落ち込んだ後、その事が下向きに螺旋を描くようにどんどん大きくなって、そうなっている自分の状態を考えてますます落ち込んで、そして病気で僕を看病する家族に迷惑をかけて苦しめていることとか、色んな自責の念が膨れ上がって、それでますます落ちて、もうどんどん落ちてゆきます。

そうなったら頓服用の安定剤を飲むんですが、もう一錠では効果がなくて、一日二回までの頓服用を四錠ぐらい飲んで、なんとか持ち越えています。

いつも、波があって、調子が良いときと悪いときが交互に来るんですが、今日は一段と酷くて辛いです。

後、貧困妄想も起きているんだと自己分析しています。まだ貯金数十万あるからまだ大丈夫だと言い聞かせても、酷い貧困不安です。後は、病気になったことで、家族や親族や友人達に迷惑を掛けていることに対する酷い自責感と、何かまだ嫌がらせされているんじゃないかという不安感と、なんだかわからない、胸が潰されていくような重くて、表現できない暗いものが、胸を締め付けている感じです。

それと、感覚の喪失が起きます。世界が暗くなる、これは比喩じゃなくて、本当に視覚的に、暗く感じて、ボーッとしてきます。触覚もなんか感じられなくて、身体がこの世界と切り離されて、なんか全部眼を瞑っているような感じになって、時間の感覚がなくなります。そうなるとあっという間に20時間とか立っちゃって、その間、ずーっと表現しようのないくらい世界に魂が閉じ込められているような感じです。今日はそんな感じで、酷く辛くて、調子が悪いです。でも、猫がお腹空くとにゃんにゃんなくし、ちゃんと猫の世話はやってます。トイレや吐いた毛玉掃除とかもちゃんと。そういう時はボーっとしながら感情のないロボットみたいな感じで動いています。時間の感覚は消えたままです。でも最近、ブラッシングしてあげてなくて、辛くて悲しいです。

僕はうつ病と強迫観念の他に、感覚がなくなってしまうんです。自分は自分と分かっているんですけど、自分の感覚がなくて、自分が生きていると感じられない、例えようのない、言葉では表現できないような感じです。自分が無になってしまった自分を認識してボーっとしながら苦しくて暗くてたまらないというのに言葉の表現では近いかもしれないですが、でもどうしても、言葉では表現できません。

どうしても、暗い話しかできなくてごめんなさい。どうしても、明るいことが書けません。ただ、更新しないと、見に来てくださる皆様方のご人数が減って、アフィリエイトが下がってしまうので、一生懸命、更新していきたいと思って、この文章を書いています。

僕は、うつ病の中でも色んな疾患症状が出てて酷く重い方(うつ状態で食事が取れず、強力な睡眠薬使ってもあまり眠れない)らしいので(薬は合法的な処方の最大を出して貰って家族の付き添いで通院治療しています)、障害者自立支援法で、ずっと入院しても負担上限が5000円ぐらいになるので、入院するかも知れません。そうすると、生活費が浮くけど、外に出られない(重篤なうつ病の入院は閉鎖病棟です)ので、その時は更新がずっとできなくなると思います。申し訳ないです。本当にごめんなさい。

今は、僕のせい(金銭的な他にも、うつに波があって、明らかに迷惑をかけています)で家族に迷惑を掛けて苦しめちゃっていることや、皆様にこんな暗い話しかできないことが、本当に申し訳ないです。ごめんなさい。自責の念がぐるぐる回ってどんどん大きくなって、僕を押し潰す感じです。

もう、ひどく、頭がボーっとして、全身が痛いような感じなので、ベッドに横になります。最後まで暗い話で申し訳ないです。ごめんなさい。苦しいです。次の診察日が来週なので、はやく先生に会いたいです。

先生は、不安でたまらないとき、「この病気はなおりますか」って聞いたら、「必ず治ります」っていってくれて、それが、支えです。本当に辛いときは音楽も聴けなくて、この言葉で支えられて生きながらえている気持ちです。

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昨日、腰痛で外科に掛かりました。ぎっくり腰で数週間の安静が必要とのことでした。うつ病の治療も安静にしていなければいけない(あまり活動してはいけない)なので、安静はいいのですが、医療費・交通費(腰痛くてあまり歩けませんでした)で四千円も掛かってしまい、収入がなくて貯金すり減らして暮らしている生活苦の時の出費は、魂が抜けるような想いでした。四千円がうつ病に掛かる前の何十倍にも感じられて、萩原朔太郎の、「墓と、石と、蟾蜍とが、地下で私を待つてゐるのだ」という言葉を思い出していました…。

萩原朔太郎「虚無の歌」抜粋(萩原朔太郎詩集より)

かつて私は、精神のことを考へてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へる葦のをののき。無限への思慕。エロスへの切ない祈祷。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶だつた。 かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉体! ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍とが、地下で私を待つてゐるのだ。

ただ、なんとか一人で外にでかけられたので、猫の餌と猫のトイレ用品と、最近ほとんど何も食べてなかったので、バナナ(バナナはうつ病にいいと聞きました)と牛乳を買いました。食欲自体はないんですが、胃の調子がおかしくて、お腹が変な様子なので、これ以上、食べないでいると危ないと思って、無理にでも食べようと思って買いました。ちょうど、こんな状態でしたので…。

ひどく寒い。
絶え難い絶食状態。
骨と筋だけでできた悪夢の冥府。そこでは、嵐の燐光のなかで、まるで旗のようにばたばたと鳴る胃の働きが感じられる。
(アントナン・アルトー「神経の秤」「ヴァン・ゴッホ」より)

僕の場合は嵐の燐光はなくて、不安と闇が広がっている感じですが、胃がおかしいのは感じるので、家に帰って、バナナと牛乳食べたら、少し落ち着きました。食べ物を食べたら、ほんのちょっと回復した感じです。僕のもともとのHP(ヒットポイント、生命力、行動力や精神力でもいいです)が最大100としたら、うつ病になったらそれがほとんどゼロになって、治療とお薬で、最大HPが10までは回復したけれど、食べてなくて実質HP3ぐらいまで下がってたのが、バナナ食べて牛乳飲んだら4ぐらいになんとか上がった感じです。

それで、昨日はショパンじゃなくてマーラーの交響曲第五番を聞いていました。これは一般的に流布されているマーラー=神経症的みたいな曲ではなく、辛い人を慰めるようなタッチがマーラーの精確な感覚で表されているような音楽です。ただ、やっぱり今の僕には強すぎたみたいで、聴いてて少し疲れました。演奏自体はハイティンク指揮のベルリン・フィルで、決して悪くない、良い演奏だと思います。ただ、まだあまり激しい音楽とかは、難しいみたいです。その後は、ルービンシュタインのショパンのバラードを聴いていました。

聴いていて、ルービンシュタイン&ショパンの組み合せは、格が違う、天才を超えた領域と胸の底から実感しました。趣味的に好きな演奏家はいますが、天才の演奏家は、そういうのを遥かに超えちゃっているんですね…。心に直接伝わってきます。

ショパンがうつ病でも聴きやすいのは、ルービンシュタイン自身が述べていますが、調和が完璧なんですね。一切の夾雑なく組み立てられている。それを天才が弾くと神的領域としかいいようがありません。

ショパンの作品にはインスピレーション、ピアノ的な構想力、さらには古典派的バランス感覚の絶妙な組み合わせが見られます。(中略)一見、非常に衝動的に思えることもこうして理論づけられることがショパンの作品の特徴です。彼はその衝動的な性格やメロディを生み出せる才能にもかかわらず、本質的には非常に理論的(音楽の調和を重視する)な人間だったからです。(中略)(例えばモーツァルトの楽譜には)演奏者に任されている要素がたくさんあります。しかしショパンの作品においては偶然の入り込む余地は全くありません。
(ルービンシュタイン。バラード&スケルツォ全集ブックレットより)

ショパンは最高の調和を持っていると、感じられますね…。ゆえに、すっと聴ける和やかで美しい音です。

この文章書いている今も痛くて辛くて苦しくて眠れなくて不安でたまらず、早く病気(うつ病・ギックリ腰)が治って、働けるようになって、生活苦から脱して、音楽が最大限、心底から全て楽しめるようになりたいです…。

参考作品(amazon)
ショパン:バラード&スケルツォ全集
マーラー:交響曲第5番

萩原朔太郎詩集 (新潮文庫)

ヴァン・ゴッホ (ちくま学芸文庫)

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2008年07月25日 13:02

先日のエントリの障害者自立支援法のエントリの説明が間違っていました。ごめんなさい。

今日、腰がどうしても痛くて、朝を食べるどころではなく、昨日の同じくお水と薬の朝食でした。役所に、先日の件ですが申込日から1割ということでその場で一割で病院に掛かれませんか?と聞いたら、以前(一週間前)僕に障害者自立支援法の説明をした役所の人の説明が全然間違っていたことが分って、凄い衝撃でした。

僕は既に障害者自立支援法の申請を済ませていて、それは申込日から精神疾患(うつ病)の医療に関しては1割で、後、僕は昨年の収入が低収入者(今年は無職なので所得はほぼゼロです)なので、1割のなかでもさらに月上限が2500円とか5000円になるみたいなんですが、その上限が2500円とか費用が1割というのはあくまで「精神疾患」というカテゴリのなかでの話で、精神疾患で病院に掛かるときはこれが適用されますが、腰が痛くて外科病院に入るとか、肺炎を起こして内科に入院とかのときは、あくまで三割負担になるそうです。「精神疾患」以外のカテゴリの病気・怪我には一切適用されないそうです。どんなに貧困で、精神の病が重かろうが、あくまで精神疾患のみ自立支援が適用されるのであって、精神疾患以外の他のカテゴリの病気は絶対に三割負担なんだそうです。

それ聞いて、がっくりしちゃって、寝込んでいました。先日のエントリの説明間違っていてごめんなさい。

もし、椎間板ヘルニアだったらどうしようとか、はやく病院行けば良かったとか、三割負担でいくらぐらい取られるんだろう(今、貯金が三十数万円位で収入ゼロなので減るばかりです)とか、心配で、不安で、寝込んでいて、辛いです。お金がないとこの世は地獄だと思いました。ギフト券おくってくださった方々、amazonでお買い物してくださった方々、本当にありがとうございます。

今日は、寝込みながらアダム・ハラシェヴィッチの「「別れの曲」ピアノ名曲集」(残念ながらこちらは現在廃盤みたいです)を聴いていました。先日のエントリの障害者自立支援法の説明がまちがっていました。ごめんなさい。ハラシェヴィッチの演奏は僕の子供の頃、初めて聴いたショパンで、想い出のある曲です。ハラシェヴィッチの演奏が、僕は好きです。音楽と猫と支援してくださる皆様のおかげでなんとか今のところ生き延びている感じです。本当にどうもありがとうございます。

参考作品(amazon)
ショパン:ピアノ名曲集

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2008年07月24日 18:39

今日は朝から酷く心身の調子が悪く(不眠、頭痛、腰痛、腹痛、メンタル面も酷い状態)、あまりちゃんとした更新ができそうになくてごめんなさい。朝、にゃんこの世話した後、朝食は何も取らずに頓服用抗不安剤を何錠も飲んで寝床で、アルゲリッチのショパン「24の前奏曲」(ユニバーサルのショパン作品集)、他をリピートさせて聴きながら、ずっと横になっていました。ショパンとにゃんこの世話で生きている感じです。最近の朝食はウイダーインゼリー(ギフト券で買えました、下さった方、本当にありがとう)と水とお薬か、水とお薬という感じです。うつ病は僕の場合、ものが食べれなくなるという形で心身症の一つとして現れた上、抗うつ剤(SSRI)は食欲を減少させる効果(副作用)があり、朝食とかあまり食べれません…。

障害者自立支援法という法律がありまして、僕はそれに現在の障害等級(精神疾患で心身的にも動けなくなってしまう)が該当して申請してあるんですが(僕の場合だと医療費が一割負担になって、他サービスが受けられるみたいです)、申請後、「障害福祉サービス受給者証」というのが発行されるまで2〜3ヵ月掛かるんですね。それまでは、今掛かっている病院以外の病院(外科病院、内科病院など)では今までどおり医療費三割負担で、「障害福祉サービス受給者証」というのが発行されるまでは、ずっと三割負担で、「障害福祉サービス受給者証」というのが2〜3ヵ月されて発行されてから病院でそれを見せることでやっと一割になるんですね。「障害福祉サービス受給者証」というのは申し込み日から効果を発揮するので、申し込み日から発行までの2〜3ヵ月に掛かった病院さんに行って、「障害福祉サービス受給者証」と三割負担のレシートを見せて、申し込み日から一割負担なので三割払いましたが二割返して下さいませんか、という手続きをやって、やっと二割が戻ってくる形で、まだ当分三割負担なので、無職でお金なくてお医者さんに掛かりづらく、心身ともにボロボロで医療費もすごく大変です。

追記:上記の障害者自立支援法の説明がまちがっていました。ごめんなさい。詳しくはこちらのエントリをご覧下さい「先日のエントリの障害者自立支援法の説明がまちがっていました。ごめんなさい。」

僕は気に入った詩を自分のノートに書いておくんですが、今はまさに、エミリ・ディキンソンみたいな感覚としかいいようがありません。たいへん苦しいです。鉛の時間です。

エミリ・ディキンソン(「アメリカ名詩選」より)

「激しい苦痛のあと、形式だけの感情が生じる」

激しい苦痛のあと、形式だけの感情が生じる――
神経は儀式ばって坐る、墓石のように――
硬直した心は訝る、運んでくれたのは「あの方」だった?
昨日だった?それとも何世紀も前?

足が、機械的に、歩きまわる――
地上の、空中の、それとも何かの――
木の道を
無関心になって、
石英の満足、石さながらに――

今は鉛の時間――
もし生き延びたなら、記憶に残るだろう、
凍ってゆく人が雪を思い出すように――
最初に――冷気――それから麻痺――そして一切の放棄

こういう感じとしか、云いようがない状態です。たいへん厚かましいお願いで申し訳ないのですが、もしamazonでなにか買うようなときは、こちらから買っていただけると、たいへん助かります。感謝致します。

心身の調子が酷いので、にゃんこのトイレを片付けて夕ご飯上げて、アシュケナージのショパンのノクターンリピート聴きながら、これから横になろうと思います。体調が悪くて、今日は食事は取れない形ですが、もうすぐ診察日なので、そのことを云って、なんとかしてもらうつもりです。

本当に大変なので、もし、何か買い物をする予定でしたら、こちらから買って頂けると、本当に助かります。感謝致します。本当に心から感謝致します。

参考作品(amazon)
アメリカ名詩選 (岩波文庫)
ショパン:作品集
ショパン:夜想曲全集

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2008年07月23日 19:10

今日も心身ともに調子がよくない(ずっと続く腰痛、頭痛、不安、胃腸の調子悪し)のですが、なんとか起き上がって、芥川龍之介(カバーがない上、ボロボロすぎて買い取ってもらえなかった)の「地獄変・偸盗」を読みました。昔なんかは「藪の中」が一番面白いかなと思っていたんですが、うつ病になった今は、「六の宮の姫君」が一番心を打ちますね…。今も昔も辛い思いで心が伏せ、貧困になり、全てが疲れ果ててしまうことは変わらないな、と…。

暮しのつらいのは勿論だった。棚の厨子はとうの昔、米や青菜に変っていた。今では姫君の袿や袴も身についている外は残らなかった。乳母は焚き物に事を欠けば、立ち腐れになった寝殿へ、板を剥ぎに出かける位だった。しかし姫君は昔の通り、琴や歌に気を晴らしながら、じっと男を待ち続けてゐた。

するとその年の秋の月夜、乳母は姫君の前へ出ると、考え考えこんな事を云った。
「殿はもう御帰りにはなりますまい。あなた様も殿の事は、お忘れになっては如何でございましょう。就てはこの頃或典薬之助が、あなた様にお会わせ申せと、責め立てて居るのでございますが、……」

姫君はその話を聞きながら、六年以前の事を思い出した。六年以前には、いくら泣いても、泣き足りない程悲しかった。が、今は体も心も余りにそれには疲れていた。「唯静かに老い朽ちたい」……その外は何も考えなかった。姫君は話を聞き終ると、白い月を眺めたなり、懶げにやつれた顔を振った。
(芥川龍之介「六の宮の姫君」)

今も昔も貧困と心身の辛い疲れは変わらぬと思いました。貧困について書かれた作品では、漫画では山岸涼子さんの「鬼」、活字のノンフィクションでは「日本残酷物語」がお勧めです(「鬼」は日本残酷物語を参考に描かれた漫画です)。

今昔物語の翻案は「鼻」を代表として、芥川のお家芸ですが、今昔物語の翻案をしている人は大勢いて、そんな中に僕の大好きな漫画家の水木しげるさんもいるんですね。水木さんの翻案(漫画化)のなかに、「鼻」とか芥川と結構重なる作品が入っているんですが、水木さんの方には「六の宮の姫君」が入っていないところが(確か入っていなかったと思います。もう売ってしまったので確認取れなくてごめんなさい)、水木さんの優しさと、芥川の哀しさを、感じずにはいられないところがあるなと、両方読んで、今改めて思いました…。

水木しげるさんの今昔物語も傑作です。一読お勧めします。今昔物語のなかでも、水木さんは好んでエロティックな話を題材に取り上げており、蛇から陰部に淫気をあてられてしまう女性の話(今昔物語巻二十九「蛇女ノ陰ヲ見テ欲ヲ発シ穴ヨリ出デ刀ニ当タリテ死ヌル語第三十九」)の物語に、「蛇と女性が交わる話は他にもある」とただし書きを入れて、今昔物語以外からの、女性と蛇が交わる話を紹介し(日本霊異記中巻第四十一「女人大きなる蛇に婚せられ薬の力にて命を全くすること得る縁 」)、そのカット(蛇を愛するようになった女性と蛇が気持ちよさそうにセックスしている物語の最後の方のシーン)を凄い力込めて描いて入れているのには、芥川と違い、水木しげるさんの活き活きしたエロスを感じましたね。

僕もはやく病を治して、水木しげるさんのような活き活きしたエロスを取り戻したいです…。病だと、働けない、お金がない、お金がなければ怪我や病気でも治療もできないという、どうしようもないことになってしまうので、辛いです。腰の方も痛いのが治らなくて、でも、うつ病の治療費だけでも相当掛かってる(交通費薬代諸々合わせると一回5000円以上)のに、ギックリ腰で病院行ったら三割負担でどれだけお金取られるか不安で外科病院に行けない状態で、山岸涼子さんの漫画「白眼子」とか思い出してなんとか心慰めている状態です。この「白眼子」というのも良い漫画で、今、辛い状況にある人を慰めてくれる力のある漫画なんですね。手元になくて残念ですが、もしよろしければ、一読して欲しい漫画です。辛い心を、慰めてくれます。

参考図書(amazon)
地獄変・偸盗 (新潮文庫)
今昔物語(上)―マンガ日本の古典 (8) 中公文庫
今昔物語(下)―マンガ日本の古典 (9) 中公文庫
鬼 (希望コミックス (288))
白眼子 (希望コミックス (343))

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2008年07月22日 19:45

今日も腰が痛く、体調も悪い(頭痛が酷く・便秘と下痢)のですが、精神状態は昨日よりやや回復したので、松本清張「半生の記」をなんとか読みました。これは、松本清張さんが作家として成功する前の貧困困窮の底で足掻いていた頃を振り返った私小説で、貧困というものは今の僕も昔の松本清張さんも変わりないなと読んでいて思いました。松本清張さんは結婚して家族を作り、僕は独身であるところは違いますが、貧困困窮の苦しさというものが人間をいかに追い詰めていくかというところに、非常に共感しました。

原久一郎訳のゴーリキイの「夜の宿」(どん底)を読み、その陰惨な生活が当時の自分にひどく親近感を持たせた憶えがある。
(松本清張「半生の記」)

ちょうど松本清張さんが「どん底」に共感を憶えたように、僕もこの本を読んでいて、その貧困困窮に共感を持ちました。生活が苦しいと心身も苦しくてますます苦しくなって行く…。そんな状態で元気で働くことはできず、食べ物を得るためだけに必死で仕事をする。戦前・戦中・戦後初期の当時の(今もあるのかも知れませんが、それはわかりません)朝日新聞社には階級制度があり、松本清張さんはその下請け印刷工(朝日新聞社的には一番下の人間)として朝日の高級社員達に蔑まれながら働いていました、今の派遣やバイトと同じような境遇です。

この時代(朝日新聞社時代)のことをざっと流してかけば、わたくしは十四年に属托(それまではバイト的雇用の雇人)、十七年目に初めて正式な社員として入社した。(中略)
当時の朝日新聞は、身分制で、それによって待遇が異なった。例えば、給料日は社員と準社員が二十五日で、雇人は参加の資格がない。これが雇人たちの劣等感をどれほど煽ったかしれなかった。
(松本清張「半生の記」)

僕も、派遣とかアルバイトとかが多くて、しかも今は働けなくなってしまって、僕の場合も、生活が今現在苦しくて、少しでもお金を得たいゆえにブログの文章を更新しないとと、せかされているようなところがあります。ブログは更新しないと閲覧者がどんどん減ってゆくものですゆえ…。閲覧者が減るとアフィリエイト収入も下がって行きます。失業、仕事がない、もしくは病気で働けない、給料が家族を養ってゆけないほど低いなどの、貧困のさなかで、明るく楽しく振舞うのは、非常に困難なことで、この本も、最初から最後まで陰鬱で絶望的なトーンに覆われています。

砂を噛むような気持ちとか、灰色の境遇だとか、使い馴らされた形容詞はあるが、このような(貧困困窮の中での生活の)自分を、そんな言葉では言い表せない。絶えずいらいらしながら、それでいて、この泥砂の中に好んで窒息したい絶望的な爽快さ、そんな身を苛むような気持ちが、絶えず私にあった。

家の近くに廃止になった炭坑があった。あまり高くはないがボタ山がある。私は一番上の女の子を連れて、夜、その山の頂上に立ち、星座の名前を教えた。山の端から昇ってくるサソリ座は赤い眼を輝かせ、図で見るよりは意外に大きな姿で昇ってくる。天頂には三角形に白鳥座と鷲座とがある。私は子供に「あれがデネブだ」「あっちがアルタイルだ」と指さして教えたが、そんなことでもするより仕方がなく、私の心には星は一つも見えなかった。

内職もないときの日曜日は、どこに行くあてもなかった。家に居てもいらいらし、外に出ても空虚さは満たされなかった。(中略)仕事をしていても、私の額からは冷たい汗が流れ、絶えずタオルが必要で、仲間に笑われた。神経衰弱になっていたのかもしれない。夜もあまり眠れなかった。(中略)

ただ苛立たしい怠惰の中に身を浸していた。心はとげとげしいのに、身体はけだるく、脳髄はだらけていた。本一冊読む気も起こらなかった。読書もむなしいとしか思えなかった。
(松本清張「半生の記」)

これはもう本の最後の方からの引用で、最後まで貧困のまま、この私小説は幕を閉じます。松本清張さんの抱いている絶望に非常に共感しました。金は生活、いや、金は生命そのもので、お金がなければ、食べ物も買えない(ギフト券贈ってくださった方々、本当にありがとうございます、あれはお金ではありませんが、食べ物が買えます、ありがとうございます)、食べ物が手に入らなければ、人間は餓死するしかないのですから…。

貧困は本当に辛く、だんだん持ち物がなくなって(売って行くゆえ)、最後には自分が苦しみの中でなくなってゆくんですね…。全ては暗闇の帳に閉ざされる…。

結局、今も昔も同じで、以前書いたようにお金が生命を司る神、お金の入る道がとざされたものは、非常に運が良い人は生活保護というシステムで少しは救われるかもしれませんが、そうではない人は(僕を含めて、貧困困窮だけれども、家族親族に迷惑をかけたくない、ケースワーカーが受け付けてくれない、ほか様々な理由で生活保護を受けられない貧困者は大勢いると思います)飢えて消えて行く…。弱肉強食の世界であるということに関しては、人間の世界は、他の動物の世界と変わるところはないと僕は思います。まだ、動物の方が、人間の行う悪意の嘘や策略がない分、僕は人間より動物が好きです。

明るく笑えてユーモラスで、僕の大好きな小説である夏目漱石の「吾輩は猫である」にも、このこと(お金が全てを支配しており、お金によって生命が左右されること)をあくまでユーモラスにですが、書いておりますね…。

おや今度もまた魂胆だ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殻のような主人を逆上させるのも、苦悶の結果主人の頭が蠅滑りの難所となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命に陥るのも皆実業家の勢力である。地球が地軸を廻転するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものはたしかに金である。この金の功力を心得て、この金の威光を自由に発揮するものは実業家諸君をおいてほかに一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く実業家の御蔭である。今まではわからずやの窮措大の家に養なわれて実業家の御利益を知らなかったのは、我ながら不覚である。それにしても冥頑不霊の主人も今度は少し悟らずばなるまい。これでも冥頑不霊で押し通す了見だと危ない。主人のもっとも貴重する命があぶない。
(夏目漱石「吾輩は猫である」)

僕もうつ病になってから、「めっきり白髪が増えたね」って云われて、上記の文章を思い出して、少しだけクスッとしました。ユーモアは、力なき者にとっての微かな救いですね…。

参考作品(amazon)
半生の記 (新潮文庫)
吾輩は猫である (岩波文庫)
どん底 (岩波文庫)

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