けものフレンズ第6話「へいげん」視聴。先週の次回予告で「武器を使った集団の縄張り争い」ってことが告知されていたので、もし、サツバツ!って感じの争いの展開だったら、それこそSRS(サツバツ・リアリティ・ショック)を受けそうで心配しながら視聴したのですが…。

完全に動物の兄弟姉妹達がやっているじゃれ合いレベルの争いだった!!

私は、フレンズ達の敬愛と善良さを甘く見ていました!!フレンズ達は私が考えている以上にみんな善良な良い子だった!!ああ…。本当に良い意味で驚かせてくれる暖かく優しい作品、素晴らしいですね!!

そして、じゃれ合いの争いとは、遊びであり、かばんちゃんが知恵を出すことで、それは文化へと昇華される。ホイジンガは「文化とは遊びから生まれたのだ」と説きましたが、それを思い出しました。

遊びはあらゆる文化に先行して存在している(人間以外の動物も仲の良い動物同士で共に遊ぶ)。(中略)ここで明らかにしようとすることは、文化とは遊びの形式の中で発生し、はじめのうち、文化は遊ばれたということだ。(中略)文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。言うなれば、遊びの中で始まったのだ。
(ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」)

今回の第六話は、遊びの中から文化が生まれる姿を描いているように感じて、本当に文化的に感動致しましたね。サーバルちゃんとかばんちゃんの絆、かばんちゃんの気高い心、フレンズ達の素晴らしい善良さと優しさ、そして遊びの中から始まる文化の姿!!なんという多重的な感動!!素晴らしいとしか、もう素晴らしいとしか云い様のない作品です!!

原始古代の社会はちょうど子供が遊び、動物が遊ぶように遊んでいた。このような遊びは始めから遊び本来の要素、すなわち秩序、緊張、動き、楽しさ、無我夢中で一杯だった。社会生活の後期の時点になって始めて、この遊びに、この遊びの中で何かを表現しようとする観念が染み込んできた。それは生きることの観念だ。かつて言葉のない遊びだったものが詩的形式をとるようになった(文化の発生)。(中略)遊び自体が、最初の基本的行為であった。
(ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」)

全て遊びとは規則の体系である。規則は、何が遊びであり何が遊びでないか、すなわち、許されるものと禁じられるものを決定する。(中略)遊びとは、喜んで受け入れられた自発的制約の総体を意味する。それは安定した秩序を打ち立てる。それは法なき世界にあって暗黙の立法を時には策定するのである。(中略)(共同体は)自然の無秩序状態を規則付けられた世界に変える必要があり、遊びはそのような世界の予見的モデルを提供しているのである。(中略)

(ホイジンガはこう主張した)文化こそ遊びから生まれるのである。遊びは自由であり創意である。気まぐれであり、同時に規律である。重要な文化現象は全て遊びを真似て作られたのである。(中略)

『本当に遊びから(人類文明の)全てが生まれたのであろうか』人間は『ホモ・ルーデンス』を閉じながらこう自問する。(中略)

(遊びと文化は古代において本質的に同質であり)要するに、遊びか、真面目な構造(文化・法規則・兵法・美学・宗教等)か、どちらが先かという問題は、あまり意味のないものである。遊びを法律、慣習、礼拝から説明するか、それとも逆に、法律、典礼、兵法や三段論法や美学の規則を遊びの精神から説明するかは、相補的な操作であって、互いに排斥しあうのでなければ、ひとしく実りの豊かなものである。(中略)私は単に遊びの社会学を考えているのではない。遊びを出発点とする社会学の基礎付けを考えているのである。(中略)

(現代社会では遊びが社会に与える力が衰弱しており、それに代わって)直接的利益、冷笑主義、あらゆる規範に対する否定が存在するだけでなく、それらが絶対的な存在に祭り上げられ、全ての遊び、全ての尊い活動や名誉ある競争の前提となる規則に取って代わっている。ほとんどあらゆるものが、戦争への地ならしをしているとしても、驚くにはあたらない。

その上、あらゆる規範は単なる約束事、束縛に過ぎぬとして退ける人々の意思によって、もはや、競合としての戦争ではなく、暴力としての戦争だけが問題になってきた。すなわち、問題となるのは、強者がその勇気と技量を測る試練ではなく、人員と武装に優れた者が弱者を粉砕し殺戮する仮借なき敵意なのである。(中略)

(遊びというのは人間同士が共存する為に必要であり)遊び、しかも束縛されない遊び(自発的に自分の行動を規則の元に制約する遊び)がなければ、また意識的に作られ、自発的に尊重される約束事がなければ、文明というものは存在しえない。

(遊びに夢中の子供同士がひたすら無心に遊ぶときのように)邪心がなく、勝利におごらず、負けても怨まず、つまり『立派な遊戯者』としてフェアに勝負を行うこと、もしこういうことができず望みもしないのなら、文化というものはありえないのである。

結局のところ、(遊び・文化がなければ)一切の倫理、一切の相互信頼、他者への尊重はありえない。
(ロジェ・カイヨワ「遊びと人間」)

『(遊びに夢中の子供同士がひたすら無心に遊ぶときのように)邪心がなく、勝利におごらず、負けても怨まず、つまり『立派な遊戯者』としてフェアに勝負を行うこと、もしこういうことができず望みもしないのなら、文化というものはありえないのである。』『(自発的に自身を制約する能力の発露である遊び・文化がなければ)一切の倫理、一切の相互信頼、他者への尊重はありえない。』

本当に、フレンズ達を見ていると心からこれを感じさせますね。一話の『狩りごっこだねー負けないんだからみゃーあーみゃーあ!』『た、食べないでくださーい!』『食べないよー!』とか、五話の『えっ!』『えっ!』『ごめんよー!そこまでやるつもりじゃ…』『あうわああああー!ヘラジカやべえよおおおー』とか(作り物のヘラジカをヘラジカ本人と間違えて壊してしまい動揺している)、本当にフレンズが、理想的な遊びをしているんですよね。武器に使ってるのも紙をぐるぐる巻いてつくったただの棒(子供の頃を思い出す!こういう棒作ってちゃんばらして遊びましたね)、完全に楽しく遊んでる。本当にフレンズは素晴らしいですね!

『みな、ご苦労だったな。今日の合戦は終わりだ。勝負は惜しくも引き分けだったが、私もライオンとようやく一試合できて、とても満足だ』
『こちらも、今日は、とても楽しかったよー。そうだ、引き分けだから、私達も城から出るよ。またやろう!』

人類史的に考えると、ホイジンガとロジェ・カイヨワの遊びの理論は非常にエポック・メーキングなものなんですね。それまで、人類史は、『人間が能力を拡大させること』を人類の拡大と結びつけて考えてきた。しかし、遊びの理論は、遊び・文化・真面目な構造(法とか色々)は、逆に『人々が外部の制約とは関係なしに、他者と遊ぶ為に自発的に自身を制約すること』によって、生まれていると考えた。しかも『他者との関係性において自発的に自身を制約する』ゆえに、それは、『他者との関係性との楽しさ』として現れるのだと唱えたんですね。これは、それまでの能力拡大主義的人類史観に強烈な一撃を与えたのですね。

(制約は根拠なき束縛であるとして古来からある倫理秩序や遊びなどの制約を疑い否定する人々は)、自分達で、もっと愉快でもっと大事でもっと新しい遊びの規則を作ろうという心積りで偶像を破壊し、冒瀆を行っているなら話は別だが、そうでないのならば、彼らは、無限の苦労が蓄積してきた宝を、あだし心から傷つけているに過ぎないのだ。
(ロジェ・カイヨワ「遊びと人間」)

今回のけものフレンズ、まさに楽しい一撃を与えてくれる素晴らしい回でした。これは皮肉とかそういうのでは全然なく普通に純粋に、『けものフレンズは人類が能力を拡大していく人類史観』等、そういったタイプのブログを書いていらっしゃるお方々が、今回の第6話を見て、一体どのようなことを書かれるのか、それも楽しみだなと感じますね。勿論、他者のために制約を自発的に守ることを能力の拡大と考えることはできるんですが…。

他者の為に自発的に自己に制約を掛けることは究極的には、『公正』と『愛』に繋がるんですね。そして、この二つは、拡大主義的価値観及び功利主義的価値観からはどうしてもはみ出すものを持っているんですね。『こちらも、今日は、とても楽しかったよー。そうだ、引き分けだから、私達も城から出るよ。またやろう!』フレンズ達を見ていると、本当に心から、『公正』と『愛』を感じますね…。カイヨワは、『遊び』を『公正』と結びつけると共に、『愛』を『聖なるもの』と結び付けているように感じますね。

もし、集団や個人の利害を越える聖なるものの支配が存続しなければ、全て創造的な営為の条件であるところの倫理や相互信頼や他者の尊重はありえないのである。誰もあえて異を唱えようとはせぬ聖なるものの支配、これを守るためには自分の生命を犠牲にし、万一の場合は、自分の属する集団の存続そのものを賭す価値があると誰しも考えている、そのような聖なるもののことを、ここでは言っているのだ。
(ロジェ・カイヨワ「遊びと人間」)

第6話で一番感動的、圧倒的に感動的なのは、フレンズ達に食べられると勘違いしたかばんちゃんが、サーバルちゃんを庇って、

『たたたた、た、食べるならボクを!』

ってライオンちゃんに言うところですね。最初の頃は『食べないでくださーい!』って言っていたかばんちゃんが…。まさに聖なるもの、愛、超越です。サーバルちゃんを庇ったかばんちゃんが、人類であるというところに、人類種に対する可能性の希望を与えてくれるところが、本当に優しい物語で胸にぐっときますね…。

あなたの剣をもとのところに収めよ。「剣をとるものは皆、剣で滅びる」からである。
(マタイ福音書26−52)

この言葉は、イエスを捕縛しようとしていた者達に向かい、イエスと共にいた者達の一人が剣を抜いて大祭司のしもべを打ち、その片耳を切り落としたときに、イエスが語った戒めの言葉である。これは言葉が発せられた状況を超えて、正義を武力で貫徹しようとする者は、その正義と共に武力で滅びるという普遍的真実性を衝く。「あなたの剣を元のところに収めよ」は、ヨハネ福音書におけるイエス捕縛の場面にも見い出されるので、状況に結びついて伝承されていた言葉と思われる。
(聖書名言辞典)

「いっそ地上を灰にしちゃえばいいのよ、リヴァイアさん。神々の子供達(人間)には結局地上を理想郷に仕立てあげる能力がないことは明白じゃない。本当のことじゃない。未だにひとつになれない種族なんて」

「文明持ってたかだか数千年。まだまだ可能性に満ちとるやん」

「おやぁ。むろみさん、今日はやけに大人対応だね」

「あたしは人間の味方やもん」

「繁栄しすぎた動物は必ず滅びの運命を辿っていったわ。どうせ人間達も同じ末路よ!」

「歴史上、ここまで知恵をつけた動物は人間達が初めてなんやし…」
(波打際のむろみさん第3巻)

けものフレンズ関連エントリまとめ。随時更新(最新更新17/2/22)
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