2017年01月06日 04:52

「殊能将之 読書日記 2000-2009」読了、素晴らしい衒学趣味随筆集。メタパロディ衒学ミステリの超傑作「転落少女と36の必読書」を思い出しましたね…。

殊能将之 読書日記 2000-2009 The Reading Diary of Mercy Snow

殊能将之さんがオフィシャルサイトで書かれていた文章を纏めた随筆集「殊能将之 読書日記 2000-2009」読了。澁澤龍彦さんを彷彿とさせるような深く広い衒学趣味に満ちたエッセイの数々が堪能できる良書でした。二階堂奥歯さんの日記と同じく衒学趣味的ブックガイドとしても素晴らしい。既にネット上ではサイトが完全消滅しているため、このように紙の本として出してくれたことは本当にありがたいですね…。

伊藤計劃さんがオフィシャルサイトで行っていた映画評もサイトの消失によりネット上では全部読めなくなっておりますが、早川文庫にて全て出版されておりまして、こちらの全映画評も以前読みましたがとても面白かったです。

殊能将之さんや伊藤計劃さんや二階堂奥歯さんなど今は亡き文筆家のネット上で発表された優れた文章が、ネット上のデータが消失することで永遠に失われることを思うと(二階堂奥歯さんのネット日記「八本脚の蝶」は今もネット上で読むことが可能ですが、私は本で買いました)、紙の本に対する信頼というものを深くしみじみ感じますね…。

八本脚の蝶
http://oquba.world.coocan.jp/

紙の本は、デジタルデータと違い物質的存在なので、ネット上のデジタルデータのように突然消滅して二度と手が届かなくなるということは基本的にないという信頼感がある。勿論、本自体を破損や紛失することはありますが、その場合はもう一度購入したり図書館で借りたりという営みでリカバーできる。出版社は、ネット上の優れた文章が、作家の不慮の死去などで失われた場合などには、なるべくリカバーして、紙の本として出版してほしいなと思います…。

殊能将之さんの作品は、「黒い仏」が代表するように、ミステリーの生真面目な「ルール」を、より上位から覗き込むことで可笑しみとして味わうというところがあって、その上位者がニャルラトホテプだったりするので、前回のエントリ(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1919302.html)でご紹介した「呪われた人魚姫」などのクトゥルフ物に通じるところがありますね。その辺のエスプリが随筆(読書日記)でもたっぷりと味わえて、読んでいて実に楽しい本でした。殊能将之さんの随筆って、本当に澁澤龍彦さんの気ままに書いているときの衒学趣味全開の随筆に似てて、読んでいてほっとしますね。澁澤龍彦さん的随筆は、自分にとってはほっとするような馴染み深いものなんだなと気づかされました…。

殊能将之さん的な可笑しみを追求したメタ・ミステリとしては、有名な古典の作品名が付けられた各章がそれぞれ古典からサブカルチャーまであらゆる作品の無数の引用で散りばめられていながら、実はその引用の大半は虚構という「騙してくれたなあ!よくも騙してくれた!!」なメタ・パロディ衒学趣味・ミステリ「転落少女と36の必読書」が凄く面白かったですね。こんな感じです…。

『幸福なんて日向ぼっこをしている猟犬みたいなものだ。我々がこの世に生まれるのは、幸せになるためでなく、信じがたいことを体験するためだ』それは偶然にもパパのお気に入りの言葉の一つだった。コールリッジの言葉だけど、パパが聞いたら引用を台無しにしているとハンナに指摘しただろう。(中略)

パパが示した反応は、古代ローマ皇帝クラウディウスが西暦五四年に不穏な噂を耳にした時と同じだった。その噂というのは、愛する妻のアグリッピナが夫を毒殺しようと企て、夫の寵愛している宦官に毒入りのキノコ料理を運ばせようとしている、というものだった。でも、なぜか喰らうディウスは身に迫った破滅の兆しを無視した。「皇帝伝」(スエトニウス著 一二一)。パパも同じことをしたのだ。(中略)

スウィジンはその最後の作品、死後に出版された「いずこへ 一九一七」(一九一八)で述べている。「その結論とは、一般に『故郷』という名で知られる執拗で感傷的な熱病を完全に克服するのは不可能らしい、ということだ」
(マリーシャ・ペスル「転落少女と36の必読書」)

この本はとにかくもう、引用文のパッチワークで出来ていて、ページのうち80〜90%ぐらいが引用文でひたすら引用のパッチワークが続いたりするんですね。で、読んでいるとどう考えてもおかしい。あまりにも物語に都合の良い引用文のパッチワークの羅列で物語が展開していく…これはもしや、引用文は全部物語に都合よく書かれたフェイク(偽物)!

もう読んでいて「騙してくれたなあ!よくも騙してくれた!!」って感じですよ。書名や人名は大物(本物の書名や人名)が多いですが、その引用は全部偽物なんですね。ソーカルの偽論文「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」そしてソーカルの名著「知の欺瞞」をより大掛かりにして細分化したようなメタ衒学趣味小説なんです。

ウィキペディア「ソーカル事件」
ソーカル事件とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal、1955年-)が起こした事件。数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用した人文評論家を批判するために、同じように、科学用語と数式をちりばめた無意味な内容の疑似哲学論文を作成し、これを著名な評論誌に送ったところ、雑誌の編集者のチェックを経て掲載されたできごとを指す。掲載と同時にでたらめな疑似論文であったことを発表し、フランス現代思想系の人文批評への批判の一翼となった。

1994年、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカルは、当時最も人気のあったカルチュラル・スタディーズ系の評論雑誌の一つ『ソーシャル・テキスト』(Social Text)に、『境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて』(Transgressing the Boundaries: Towards a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity)と題した疑似論文を投稿した。

この疑似論文は、ポストモダンの哲学者や社会学者達の言葉を引用してその内容を賞賛しつつ、それらと数学や理論物理学を関係付けたものを装っていたが、実際は意図的にでたらめを並べただけの意味の無いものであった。ソーカルの投稿の意図は、この疑似論文がポストモダン派の研究者によってでたらめであることを見抜かれるかどうかを試すことにあった。

疑似論文は1995年に受諾され、1996年5月発行のにソーシャル・テキスト春夏号にそのまま、しかもポストモダン哲学批判への反論という形で掲載された。当時同誌は査読制度を採っておらずこうした失態を招き、編集者は後にこの件によりイグノーベル賞を受賞している。また後に査読制度を取り入れた。

「疑似論文」に用いた数学らしき記号の羅列は、数学者でなくとも自然科学の高等教育を受けた者ならいいかげんであることがすぐに見抜けるお粗末なものだったが、それらは著名な思想家たちが著作として発表しているものをそっくりそのまま引用したものだった。この「疑似論文」は放射性物質のラドンと数学者のヨハン・ラドン(Johann Radon)を混用するなど、少し調べると嘘であることがすぐ分かるフィクションで構成されている。(中略)

ソーカルの悪戯は、『一般向けのジャーナリズムと専門家向けの出版界に嵐のような反応を引き起こし』、 ニューヨークタイムズの一面に載ったほか、ヘラルド、ル・モンドなどの有力紙で報じられた。

その後、1997年、ソーカルは数理物理学者ジャン・ブリクモンとともに『「知」の欺瞞』(Impostures Intellectuelles、「知的詐欺」) を著し、ポストモダニストを中心に、哲学者、社会学者、フェミニズム信奉者(新しい用法でのフェミニスト)らの自然科学用語のいいかげんな使い方に対して批判を行った。

この本でソーカル達はジャック・ラカン、ジュリア・クリステヴァ、リュス・イリガライ、ブルーノ・ラトゥール、ジャン・ボードリヤール、ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、ポール・ヴィリリオといった著名人を批判した。

彼らの多くはフランスのポスト・モダニストであるが、これはポスト・モダニストのみが科学知識を乱用していることを意味しない。ソーカルによれば、ソーカルにできるのはポスト・モダニストの批判だけだったので彼らを批判したのである。他の分野も同様に批判して欲しいという依頼を、その分野の周辺や若手の評論家達から受けることがあるが、『これは我々(=ソーカルとブリクモン)の手には余る』行為であった。

ソーカルのこのような一連の行動に対し、文芸批評家・法学者のスタンレー・フィッシュは学術論文のでっちあげには破壊的な影響があるなどと反発した。 しかし、ソーカルの真意は思想家が数学や物理学の用語をその意味を理解しないまま遊戯に興じるように使用していることへの批判だった、と後にコメントしている。

学術論文とは違い、明らかに「エンターテイメントなパロディ」として衒学趣味を洒落のめしている本書は読んでいると、偽と分かっていても、偽の引用文の数々が凄く面白くて、全て偽物だって分かっているのについつい引用の数々を夢中で読んでしまう。本書は権威主義や文芸教養や衒学趣味を思い切り風刺しているメタ・ミステリなんですが、それだけでなく、偽物の衒学趣味を語りつくすことで衒学趣味の面白さというものもまた最高度に見事に語りつくしている『衒学大辞典(偽)』みたいな怪しげなメタ・ミステリなんですね。日本で言うと筒井康隆の「乱調文学大辞典」「欠陥大百科」とか清水義範の「世界文学全集」に近い感じですね。ヤマザキマリさんの「プリニウス」とかも彷彿とさせますね。

ヤマザキマリ
「もちろんプリニウスは『偉大な博物学者』ですが、それだけでなくて『偉大なほら吹き』でもある。総じてかなりお茶目な人物だったはずです」

とり・みき
「その好奇心のあり方が、なんだか男の子っぽい。嘘だと分かりつつシャレで喋っていることも多分あるよね(笑)」
(ヤマザキマリ、とり・みき「プリニウス1」)

ちなみにこの本はアメリカで大ベストセラーになりました。アメリカ人の読書層って凄いなと思いましたね。この本は、私のような衒学趣味者でパロディ大好きなパロディスト向けに完全特化している高度に捻くれたメタパロディ小説なので(相当に広範な衒学趣味がないと無数のパロディのネタが分からない)、これの面白さが分かる人が大勢いるというのは、アメリカの読書層っていうのは相当に捻くれた高度なメタパロディ衒学趣味小説の面白さが分かる人がベストセラーになるぐらい大勢いるってことで、凄く驚きました。2006年のニューヨークタイムズ選出のベスト5小説にも選ばれてもいるんですね。こういう現代文学の洒落の果ての極致みたいな小説がベストセラーとか、アメリカの読書層の計り知れない深さと広がりを感じましたね…。

まさしく「パロディ」は、その分野のなかでの作者と読者の知恵くらべという様相を帯びるし、「教養を持たざるものを排除する性格を持つ」「いささか偏屈な知性に由来するもの」(呉智英「現代マンガの全体像」)であることが実感できよう。そして、このような遊戯が可能となるためには、作品をある程度突き放して見ること、単なる知識、情報として見る冷静さが要求される。信仰の篤いキリスト教徒には「聖書」のパロディはできないだろう。
(浅羽通明「天使の王国」)

作者のマリーシャ・ペスルは一九七七年、アメリカのミシガン州生まれ。三歳のときに両親が離婚し、妹と共に母親のもとで育った。母親は大変な読書家で、娘たちが子供の頃から西洋の古典を読み聞かせていたという。ペスル自身、インタビューで「ゴシック小説やヴィクトリア朝時代の小説をたくさん読んで育った。最も影響を受けたのはナボコフで、『ロリータ』は何度も読み返し、読むたびに新たな発見をした」と語っている。
(マリーシャ・ペスル「転落少女と36の必読書」訳者あとがき)

この本の作者のマリーシャ・ペスル(女性作家です)はこの本が処女作なのですが、日本だと有名な無数の古典の名前で権威付けしながら、それら古典等からの引用の全てが完全な偽物引用のパッチワーク小説とか、筒井康隆クラスの大物じゃないと出版すらできなさそうです…。本書は残念ながら日本では売れませんでしたが、非常に面白いメタ小説です。最高にお勧めですね。このブログを読んで下さっている皆様でしたら、きっと楽しめる小説と思います。

さて、電話で、パパは自分の質問に自分で答えた。小さいけど耳障りな声が受話器越しに伝わってきた。

「我々には、物事の真の本質がまったくみえていないからだ」
(マリーシャ・ペスル「転落少女と36の必読書」)

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「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)
ハサミ男 (講談社文庫)
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