2016年10月26日 22:45

幕末藩士岡谷繁実の戦国逸話集「名将言行録」読了。早すぎた近代主義者信長。

名将言行録 現代語訳 (講談社学術文庫)

幕末の館林藩士岡谷繁実が戦国時代の武将達の無数の逸話を集めて編纂した歴史書「名将言行録」読了。それぞれの武将ごとに無数のエピソードが、半ページから一ページ程度の短い記録として多数纏められており、非常に面白い。ちょっと時間あるときに、パラパラっと読むととても楽しい読書になります。一通り全部読んだのですが、それぞれの逸話が短いこともあり、何度でも再読に耐えるコストパフォーマンス抜群の見事な戦国逸話集です。

本書は様々な戦国武将の逸話が武将ごとに纏められているのですが、織田信長だけ明らかに異質なのが非常に面白い。本書は徳川封建時代に編纂されたものであり、基本的に封建的美徳(忠義・武勲・名誉)を美徳として描いているのですが、織田信長だけ、明らかに封建的美徳とは全く異なる人物、封建主義者とはほど遠い、どちらかといえば近代合理主義者に明らかに近い人物として描かれているのが、現代の視点から見ると非常に興味深く読めました。

この書は織田家が力を失った徳川封建時代に編纂されたものですから、本書においては織田信長は封建的美徳の名将として扱うのではなく、封建制度をかき乱す異端児として扱われており、それら信長の逸話が滅法面白くて最高でした。現代から見ると、明らかに封建制度や武家の名誉を逸脱している信長の逸話が武将達の中で一番個性的で魅力的なんですね。幾つか本書から抜粋してご紹介致しますね。以下、引用は全て岡谷繁実「名将言行録」より。

蒲生氏郷を戒む
天正二年七月、信長が長島の一揆を伐ったとき、蒲生氏郷は大剛の者と組み打ちして首を取り、実検にもってきた。信長は冷笑(あざわら)って褒めなかった。ややしばらくしていうには、「およそ勝負というものは、時の運によるものであるから、前もって計れないことである。功名は武士の本意であるといいながら、それも内容次第のことだ。いまの汝の功名は、軽率な挙動である。ひとかどの武を志すほどの者なら、けっしてこのような功名を望んではならぬ。身の危険を顧みないのは、それほどの功とはいえないのだ。今後は、そのことを忘れるな」と戒めた。

まさに信長の信長たる所以なエピソード。これ、本書に収録されている他の武将達だと考えられない対応なんですね。他の戦国武将なら、戒めるにしても、「笑って戒める」か「怒って戒める」筈です。なぜなら武勲は彼ら戦国武将にとってある種の絶対的なものだからです。冷笑して戒めるなんて俯瞰的な視点を取れる才覚がまさに信長たる所以ですね。

功名者を賞す
天正十年三月信忠が信州高遠城を攻め落としたとき、山口小弁・佐々清蔵がともに十六歳で功名をあらわした。信長は小弁を呼んで「このたびの高遠での働きは類まれなことである。城介(信忠)が目をつけた通り、期待に沿ってくれたことは、ひとしお満足だ」と褒めた。そして自ら国久の腰物を手渡し、感状を添えてやった。次に清蔵を呼び「高遠の働きは、たいへんな骨折りだったとのこと。ただしお前は手柄を立てるはずだ。大剛の内蔵助の甥だから」といって、長光の腰物に感状を添えて賜った。小弁は伏見の賎人の子であるから、手柄をたて高名をあげるというのはまことに稀代のことである。

人を用いる道
すでに義昭は二条城に移った。そして信長にいった。「最近、戦争はまだやまぬ。よって身の危険もあるゆえ、勇猛なる武将を一人、我が護衛の任に当たらせよ」と。そのとき佐久間信義、柴田勝家、丹羽長秀は老練な武将であるから、信長に厚く用いられていた。だから人々はみな「二条城の護衛はこの三人の将の中から選ばれるに違いない」と思っていた。しかし、信長は木下秀吉(後の豊臣秀吉)に命じたので、一同はみな驚き入った。群臣は秀吉が信長の寵遇を受けていることを妬んで、しばしば讒言したが、信長は彼をますます厚く遇した。そして常にいった。「人を用いる道は、その者の才能のあるなしによって選ぶべきだ。奉公年数の多い少ないを論ずべきではない」と。信長が人の能力をよく知って、適材適所に用いることこのようなものであった。

今川義元を討つ
この役(桶狭間の戦い)で林通勝、柴田勝家、池田信輝らの諸将は、今川勢は大軍、我が方は小勢、衆寡敵せずといって諌めた。ところがただ一人梁田出羽守政綱だけが信長の計画に賛成し「敵は丸根、鷲津の両城を抜いて、まだその陣を変えずにいる。おそらく本隊が必ず後にいるでしょう。兵を潜行させて、これを襲えば必ず義元はお討ちになれましょう」といった。これによって勝利を得たのである。それでその場で(政綱は)すぐさま沓掛村三千貫の地を賜った。一方、毛利秀高は義元の首を取ったが、その褒美は政綱より軽かった。

冑の向き
ある戦のとき、一瀬久三郎が信長の冑を直しているところに、老臣林通勝がきて一瀬に向かい「御冑が北向きになっている。直せ」ときつくいった。間違ったと思い驚いて直そうとしていると、信長が「このたびの敵は一揆であるから、どちらから来るかわからぬ。そのままにしておけ」といわれた。一瀬は恥をかかずにすんだ。このようにしているうちに北の森の影から敵がみえたというので、味方は進んで戦い、ついに大勝利を得た。一瀬は一番にかけあって功名したのである。その晩信長は一瀬を召して「今朝のことはどうだ」というと「御意によって面目を雪ぎました」といった。信長は快く感状と褒美を与えた。また通勝への相当の挨拶をした。

これもまた信長の信長たる所以で、他の武将達も多かれ少なかれ実力主義をとりいれていますが、それはあくまで、既成の勢力や武勲偏重に阿った妥協した実力主義なんですね。信長の実力主義はそのようなものとは違い、身分がどん底だろうか貧しかろうがなんだろうが、とにかく実力のある者は生まれに関係なくどんどん取り立ててガンガン重宝する。そして、個人の武勲よりも、大局的戦略観と実際の戦闘における戦術の優秀さを評価する。当然、既成の武家勢力からは不満と謗りと妬みが爆発するんですが、全く意に介さないばかりか、そういう場合は既成の勢力の方を、古くからの家の忠義とかそういうの関係なしにガンガン潰していくという、これまた封建的な時代の武将とは思えない果断で公平な実力主義を取るんですね。巷には「信長は残酷無比」みたいなイメージがありますが、本書の信長の逸話の多くは、

「優秀だけど身分が低いなどで理不尽に抑圧されている若手武将に身分とは関係なく正当な評価を与えて活躍の場を与える」
「揉め事や訴えに対して情や血縁や地縁に一切流されず公平な審判を下す、血縁や地縁などを頼りに不正をするものはきつく処罰する」
「前例や既成勢力に捉われずに、経済などを根本的に改革する治世、古い既成勢力を利するだけの規制は取っ払う」
「飢饉などで困っている民に対して救済の善政を敷く、領民を害す犯罪者は徹底的に容赦しない」

といったようなものが多くて、個人的に好感が持てましたね。信長の逸話は近代的公平性に基づく逸話が多くて現代から見ても読んでて爽快なんですね。ちなみに「僧無辺を誅す」などの逸話を読むと分かるように、宗教に対しては冷酷で容赦ないです…。信長の近代合理的な思考からは宗教とかまやかしに思えて許せなかったんだろうなあ…。

最後に異色だらけの信長の逸話の中でもある意味、飛びぬけて異色の面白い逸話をご紹介。

下馬
信長は関東に下るとき、家康の城のある岡崎で下馬した。留守居の者たちは「これは、これは」といって痛み入った。信長は「いやいや、おのおの方への礼をつくすために立ち寄ったのではない。このような名城の前では下馬するものだ」といったという。

なんというツンデレ!!
「家康とお城のみんなの為に馬を下りたんじゃないんだからねっ!」(CV釘宮理恵)

名将言行録 現代語訳 (講談社学術文庫)名将言行録 現代語訳 (講談社学術文庫)
著者:岡谷 繁実
講談社(2013-06-11)
販売元:Amazon.co.jp

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