2016年10月03日 00:28

長谷川豊氏の暴論「病人は社会の負担なので抹殺せよ」に対する反論として良質な論があったのでご紹介致しますね。

表題通り。以下のヤフーの記事です。

“やってしまった”という後悔を理解しない長谷川豊氏
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ishikurafuminobu/20161002-00062776/
健康人、病人にかかわらず全ての高齢者に必要なのが年金で、その額は医療費の比ではない。人にもよるが人工透析を開始後の平均余命は、健康な一般人のおよそ半分といわれているので、60歳で導入した人の寿命は70歳くらいである。たとえ医療費がかかろうと、透析患者さんの年金は健康な人よりかなり少ない。透析患者さんの生涯医療費と年金などの社会保障費を詳しく検討したデータはまだないようだが、喫煙者の医療費に関しては多くのデータがある。それによると喫煙者の短期の医療費は確かに高いが、生涯医療費は変わらない、もしくは低いという。喫煙者にはたいへん失礼ではあるが、非喫煙者より寿命が約10年短いので、年金まで含めた社会保障費はむしろ少ないのではないかと考えられている。長谷川氏は健康に留意すれば社会保障費は少ないと勘違いしているだろうが、健康に留意しても病気の発症が遅れるだけで超高齢になるとほとんどの人が医療のお世話になる。しかも80歳を超えると認知症の発症が極めて高くなるので介護も必要になる。高齢化社会の問題は病気、健康にかかわらず、年金が大きな問題である。“健康=社会に貢献している”という妄想は捨てたほうが良い。

これはその通りだと思いますね。社会保障費は圧倒的に高齢者に掛かる費用割合が大きく、「健康で長生きする人々が多い豊かで平和な社会」=「いつかあるべき理想として目指す社会」に近づけば近づくほど社会保障費は掛かるわけです。それをみんなで負担しましょうというのが現代社会の基本でして、長谷川豊氏はそれを全く無視して「病人は社会の負担なので抹殺せよ」とか異常極まりないことをのたまっている訳です。

ちなみに上記のエントリにさらに追記するなら、「社会の負担」として長谷川豊氏が抹殺を主張する「不摂生な生活で病気になった(かもしれない)人々」には、長谷川豊氏なんぞとは比較にならない、それこそ人類社会全体に貢献した、人類史に残る偉大な人々が大勢いるんですよね…。長谷川豊氏が「病人は社会の負担だから抹殺せよ」とか述べるのは、ゴミが太陽に向かって文句を言っているように感じられて、本当に愚かだなと感じますね…。幾人か「不摂生な生活で病気になったと推察されている人々」についてご紹介致しますね。

アレキサンダー・グラハム・ベル
電話の発明者。彼がいなければ、我々が今使っているインターネットの姿もなかったであろう。彼は若い頃から大食漢で肥満をわずらい、身長180センチだが、体重は120キロ近くあった。暴飲暴食と肥満が原因と推定される糖尿病をわずらい、死去。

オノレ・ド・バルザック
フランスを代表する作家にして世界的大作家。社交界を愛する女好きの美食家で知られ、「バルザックは執筆をしていない時は、社交界でたらふく食べているか、美しいマダム達と愛を語り合っている」と言われた。ベルと同じく美食と肥満が原因と推定される糖尿病をわずらい、死去。

岸田劉生
日本を代表する天才画家。代表作「麗子像」は今もたいへん有名である。とてつもない遊蕩児としても有名で、死ぬときも山口県徳山の料亭栄亭で、友人達と美技十数人を呼んだ大宴会の最中に体調を崩して急死した。死因は放埓な遊蕩が一因と推定される腎臓病。

他にも、社交界との付き合いが多い政治家・芸術家には不摂生(社交界における美食・酒宴)によるもの(糖尿病や腎臓病の他にも肝硬変等)と思われる病気で亡くなった人々が大勢いるわけですよ。どう考えてもこれらの人々は長谷川豊氏とは全く比較にならぬレベルで社会に貢献しており、「病人は社会に負担だから抹殺しろ」と述べる長谷川豊氏の方が社会に貢献どころか、社会にとって危険な人物であることは火を見るよりも明らかです。

だいたい、長谷川豊氏が今回のことに限らず、何か(主に長谷川豊氏が気に入らない弱い立場の人々)を攻め立てる時に常に使っている「自己責任」と言う言葉自体がトリックで、「これは奴らの自己責任だから救済する必要がない」みたいな論法は何にでも使える悪魔の論法なんですね。因果論的責任なんてものは本来的に立証の仕様がない曖昧なものですから、解釈のしようでいくらでも拡大やこじつけができる。上述した人々も、実際に不摂生な生活と病気と因果関係が確実にあるかどうかということは分からないわけです。因果はあまりにも無数のファクターがありすぎるので、それらを解き明かすことは人間には不可能です。大規模統計による大まかな因果論的判断(例えば煙草を吸う層に肺癌が多いというデータ)と、個々人の因果の判断(煙草を吸う人が肺癌になってもそれは煙草が原因かどうかは判断できない)、この二つは全く異なるものであることを留意すべきです。

ゆえに、法律は因果論ではなく、実際の事象によって判断する(例えば、病気の時は一律に公的健康保険の対象になる)訳です。それを、「病気の原因の因果を遡って自己責任かどうか判断して医療費を出すかを選別する」なんてことは論理的にも実際的にもできっこないですし(因果を紐解くことは人間の限界を超えている)、それを無理やりやっている長谷川豊氏の論法はその時点で完全に詭弁であるということを、読み手はきちんと判断しなくてはならないと思いますね。

先日ご紹介した経済学者のアマルティア・センがデータで示していますが、恣意的な権限による国家(独裁国家・軍などの強権が法を無視して振舞う非法治国家)と民主的な法治国家だと、社会保障予算のコストを見たとき、明らかに前者の国家の疾病率や死亡率の方が対コストで跳ね上がるんですね。長谷川豊氏が理想とする強権的な最小国家の方が圧倒的に社会保障のコストパフォーマンスが悪い。逆に民主的な法治国家は貧しくても疾病率や死亡率をかなり抑えることができる。センは恣意的な強権は社会保障に大きくマイナスに働くと述べております。今回の一件に限らず、異常なまでの最小国家論者にして弱肉強食論者である長谷川豊氏の行うあらゆる主張というのは、常に法を無視した恣意的な強権(弱肉強食の最小国家社会を無理やり成立させるための独裁的強権)を肯定するものであり、またその強権を振るうのは常に長谷川豊氏やそのバックボーン勢力として文中に示されていることを考えなければならないと思いますね…。

最後に、有名な人々がどんな死因でなくなっているかについては、山田風太郎さんの「人間臨終図鑑」がお勧めです。人間はやっぱり美味しいものを食べたりお酒を飲んだり異性と愛し合ったりしたいわけで、そういった不養生な生活を行い続けて、そしていずれ病気(癌がやはり圧倒的に死因には多い)で亡くなっていくということに関しては、市井の一般的な人々と偉大な人々に何一つ違いはないということがよく分かる名著です。

人間臨終図巻1<新装版> (徳間文庫)
人間臨終図巻2<新装版> (徳間文庫)
人間臨終図巻3<新装版> (徳間文庫)
人間臨終図巻4<新装版> (徳間文庫)

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