2016年08月14日 23:55

宮内悠介「エクソダス症候群」読了。精神医学問題に真正面から取り組んだ力作、とても面白かったですね。

エクソダス症候群 (創元日本SF叢書)

宮内悠介さんの長篇SF小説「エクソダス症候群」読了。22世紀を舞台に、火星の開拓地で精神医療に取り組む若き精神科医の主人公を描いた作品でして、SFガジェットに凝るというよりは、現代に通ずるテーマとしての精神医学問題に真正面から取り組んだ力作、とても面白かったですね。本書のメインテーマとして精神医学と倫理がテーマになっておりまして、現代の医療の倫理指針であるニュルンベルグ・コードはドイツの精神障害者大虐殺の反省から生まれたんですね…。やまゆり園の事件の犯人が主張していたこととか、歴史的に見るならば、全く逆なんですね。犯人の主張のような大虐殺が、ドイツの精神科医アルフレート・ホッヘ、ヴィクトリア・フォン・ヴァイツゼッカー、ヒトラーの侍医テオドア・モレル等の医師達の主導によって実際に行われたことの反省から、医療者側の暴力から患者・障害者を守るニュルンベルグ・コード、医療者側が傷害・虐待・虐殺を行うことを禁止する近現代の医療倫理指針が誕生したんですね。以下、引用致します。

「(ドイツ各地の精神病院には障害者を虐殺するための)ガス室が作られ、それがアウシュヴィッツのガス室のプロトタイプになった」

――その精神科医の名はアルフレート・ホッヘ。

ホッヘは大学教授として三十年以上に渡り、精神医学や神経病理学を講じてきた。妻はユダヤ人で、一人息子は第一次世界大戦で戦死した。

そのホッヘが「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」を共著したのが、1920年のこと。ナチスの優生政策に、十年先駆けてのことだった。

「ホッヘが展開したのは、障害者安楽死論だ。大戦で多くの若者が死ぬ一方で、精神病者は病院で手厚い保護を受けていた。ましてドイツは敗戦し、不況にあえいでいた。こうしたことを背景に、ホッヘは問うた。回復の見込みがない患者を養うことに、どのような意味があるのかと」

生き永らえさせることが、当人にとっても社会にとっても意味がないような生命はあるか。

ある、とホッヘは結論した。

「精神的な死を迎えた患者はいる、と彼は論じたのだ。自分を自分として意識する可能性の欠如、自己意識の欠如こそがそうであると。生きたいと要求することさえしない患者を排除することは、殺人と同一視できないと彼は断じた」

このテキストに目をつけたのが、ヒトラーの侍医のテオドア・モレルだった。

モレルは「安楽死に関する報告書」を書き上げ、その後の優生政策に大きな影響を与えることとなった。そして、安楽死計画が発足する。その推進のために作られたのが、「重度の遺伝性および先天性疾患の患者の学問上の把握のための帝国委員会」であった。

この委員会を構成したのは、当時の小児科医や精神科医たち。

彼らはヒトラーより権限を委託され、安楽死に一酸化炭素ガスを用いることに決めた。最初はガス自動車が使用され、やがて精神病院そのものにガス室が設置された。

「そう――ナチスの最初のガス室は、精神病院に作られたのだ」

ガス室が設置された精神病院は六つ。ブランデンブルグ。ハダマール。ベルンブルグ。ハルトハイム。グラーフェネック。そして、ゾネンシュタイン。

ゾネンシュタインでは四人の医師がガス栓の操作に携わったほか、睡眠薬の静脈注射も実施された。遺体からは金歯が抜かれ、遺族へは偽の死亡診断書が送られた。

一九四〇年から四十一年にかけて、七万人が安楽死の対象となり殺害されたという。(中略)

つづけて、チャーリーは一人の医師の名前を挙げた。

ヴィクトア・フォン・ヴァイツゼッカー。――ドイツの神経内科医で、安楽死に加担したことで知られた男だった。第一次大戦を経て、ヴァイツゼッカーは精神分析に興味を持ちフロイトを訪れるが、フロイトは神秘的なものへのセンスがないと言って彼を拒んだ。

精神分析が個人に向かうのに対し、ヴァイツゼッカーの興味は社会全体の相互連帯性にあった。

社会にとって有害な症状を、彼は社会的疾患と呼んだ。

魂は不死であると信じ、生物学的な命を犠牲にして社会の相互連帯性を維持することに、ヴァイツゼッカーは価値を見出したのだった。

負傷して手足を切断することがあるように、民族全体を救うためには、病者を抹殺することには意味があると彼は言った。人間性や人権にとらわれるあまり、医療を個人の治療に限定して、集団の治療をおろそかにしてはならないのだと」

実際は――と、チャーリーが抑揚のない声で続けた。

「ヴァイツゼッカーは集団に寄り添いすぎた。だからこそ、集団を癒すどころか、人類史的な集団の狂気に取り込まれたのだと言える。集団を癒そうと思うならば、医師は患者から距離を置かねばならないように、集団からも距離を置かねばならないのだ」(中略)

――ナチスの医師たちは、やがて連合国の裁判によって裁かれる。

臨床試験や人体実験の倫理を定めるニュルンベルグ・コードはこのとき生まれたものなのだ。
(宮内悠介「エクソダス症候群」)

こういった歴史の事実を、医療従事者の人々だけでなく、一般の多くの人々が教養知識として知っていることが、二度とこういった虐殺を起こさないためには重要だと思いますね…。こういったことを知っていれば、犯人の主張が歴史的な過ちであり、繰り返されてはいけないことの主張だとすぐに分かるわけですから…。

話を小説に戻しますと、本書はSFというよりは、若き精神科医が精神治療を通じて成長していくビルドゥングスロマンでして、あまりSFである意味はないような気がしますが(現代の日本の精神病院が舞台でも話の大筋に特に問題はなさそう)、精神医療をメインテーマに据えた成長小説としてはとても面白いものでした。対人恐怖症はジャワのラター、マレーシアのアモック、韓国の火病などと同じ文化結合症候群(特定の文化圏でのみ発症する文化圏独自の病、文化依存症候群)で、日本文化圏特有の精神病であるとか、精神科医は精神病・精神障害を装う詐病を見抜くことができない(健常者が精神病・精神障害を装った場合、精神科医は見抜くことができない)ことを示したローゼンハン実験とか、精神医学トピックスがバンバンでてくるのも面白い。

ウィキペディア「対人恐怖症」
対人恐怖症(たいじんきょうふしょう、英語: Taijin kyofusho, taijin kyofusho symptoms ; TKS)は、対人場面で不当な不安や緊張が生じて、嫌がられるとか、不快感を与えるのではと考え、対人関係から身を引こうとする神経症の一種であるとされる。『精神障害の診断と統計マニュアル』第4版には、診断基準ではないが、特徴が記され、外見、臭い、表情、しぐさなどが他人を不快にするのではという恐怖であり、社会恐怖と似ているとしている。(中略)恥の文化を持つ日本において群を抜いて多く、日本に顕著な文化依存症候群とされ、海外においてもそのまま「Taijin kyofusho」と呼称されている。

余談ですが、日本のインターネットは、韓国の文化結合症候群の火病のことを槍玉にあげている連中がよくいますが、他国の文化結合症候群を槍玉にあげるなんてことは、本当にみっともない行為、マナーに反した行為なのでやめるべきだと思います。槍玉にあげてる人々は、文化結合症候群は世界中の文化圏にあり、日本にも日本特有の文化結合症候群として対人恐怖症があることを一体どう考えているんですかね…。日本の対人恐怖症を槍玉にあげる行為なんて、どこの国の人々もしてないですよ。それと、もし万が一、「対人恐怖症は偉大な日本文化が生み出した素晴らしい病気だからいいんだ!」とか考えているのならば、それは究極に愚劣なエスノセントリズムであるとしか言いようがないでしょう…。対人恐怖症のような文化結合症候群で苦しんでいる人がいることを決して忘れるべきではないでしょう。

更に余談ですが、最近はマスメディア(大手テレビ各局)がやたらとエスノセントリズム(日本文化は世界各国の文化よりこんなに優れていてこんなに凄い!みたいなTV番組)を振りまいていて、日本人である自分から見ても物凄く気味が悪いなあと思います。海外の人から見たら日本のTV放送が正気を失っているように見えてそうですね…。閑話休題。

ウィキペディア「文化依存症候群」
文化依存症候群とされている障害には、

日本の対人恐怖症 (Taijin kyofusho symptoms)、パリ症候群(syndrome de Paris)
マレーシアのアモック(英語版)(Amok) - 男性に多く、激しい悲しみや侮辱を受けたことをきっかけに周囲から引きこもり、物思いにふけったような状態となる。その後突然に武器を手にして外へ飛出し、無差別殺傷を起こし本人も自殺を企てる。正常に戻ると、殺傷していたときの記憶は失っている。
ジャワ島などのラタ (latah) - 最初に観察された文化結合症候群
韓国の火病 (Hwa-Byung)
オーストラリアの身体醜形障害
北米・西欧に多い拒食症(神経性無食欲症、神経性食欲不振症、anorexia nervosa) ただし欧米化が進んでいる他の地域(日本など)でも見られる
17-19世紀のヨーロッパで流行した拒食症の一種anorexia mirabilis。
中国、東南アジアのコロー (koro)
南米のスストー (susto)
北米のオジブワインディアンのウィンディゴ (windigo)
アフリカ、ポリネシアなどのヴードゥー死 (voodoo death)
シベリア、グリーンランドエスキモーのピブロクト (piblokto)
西アフリカ、ハイチに多いブフェ・デリラント (bouffée délirante)
西アフリカの学生に多い脳神経衰弱症 (brain fag)
イギリスの選択的摂食障害 (selective eating disorder)

などがある。

話を戻しますと、本書の物語自体も、精神障害における障害とは何かという大きな問題、つまり、「不適応」「異常」「障害」はその時代のその地域の社会が規定するため、その社会が何を「社会外のもの」としてみなすかで変わってくる、それは患者ではなく、社会の方を変えねばならぬケースもあるはずだという、社会改善としての精神医学というテーマに最後はなってきて、凄く面白かったですね。病を治すということは、社会に対して向き合うということとも繋がっているんだということを感じさせてくれる良書でした。重いテーマですが、読みやすく、読後感も悪くない小説でして、読んで良かったと思える小説です。ぜひご一読をお勧め致しますね。本書のテーマを更に追いたいお方々には「精神医学とナチズム」もお勧め致します。

エクソダス症候群 (創元日本SF叢書)エクソダス症候群 (創元日本SF叢書)
著者:宮内 悠介
東京創元社(2015-06-29)
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精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー (講談社現代新書)精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー (講談社現代新書)
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