2016年02月26日 03:30

お勧めホラーゲーム「DEAD OR DIE」物語の終わり方が自由というホラージャンルの持つ可能性。

先日お勧めした短編集「ゴースト・ハント」を読み終わって思ったのですが、この小説収録の怪奇幻想譚はどれもとんでもなく不気味かつ後味の悪い陰鬱な終わり方を迎えるのですね。といいますか、「怪奇文学大山脈」」(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1876667.html)とか読むと分かるんですが、ハッピーエンドやノーマルエンド的な終わり方をする怪奇幻想譚・ホラー小説・怪談というのは、それこそ他ジャンルの影響やハリウッド映画の影響を受けている現代のモダン・ホラーに特有のもので、中世〜近代の怪奇幻想譚というものは、ほぼ大体においては後味の悪い読み手をひんやりとさせる暗い終わり方をするのですね。

確かS・キングもエッセイでこのようなことを書いていたような気がするんですが、そこにホラーの強みがあるんですね。ホラーって言うのは、他のジャンルに比べると、非常に自由に書けて、終わり方も自由である。他のジャンルだと、物語の終焉に陰鬱なバッドエンドなんていうものは、終わり方として持って行きにくいのですが、ホラーの場合、ハッピーエンドで終わらせても、バッドエンドで終わらせても、どのように終わらせても、上手く終わっていれば物語に良い余韻がでるんですね。ホラーは物語の終わり方が自由に開かれている、そこが他ジャンルにはない大きな強みであると…。

権田萬治さんやボワロー・ナルスジャックといったミステリ・ホラーの評論家達も述べていることですが、ホラー(怪奇幻想譚)というのは、凄くジャンル的に大きくて包括的で、ミステリやSF等の他ジャンルを含んでしまうことができる。「理性・論理・合理性」がSFやミステリの大きな特性だとすると、ホラーの特性である「恐怖・幻想・非合理性」はそれらを包み込んでしまうことができる。その辺がホラーの混沌であり面白いところだなと感じますね。

(ボワロー・ナルスジャックは二人組の合作者として)クルーゾーによって映画化された「悪魔のような女」、ヒッチコックによって「めまい」という題名で映画化された「死者の中から」等によって世界的に有名だが、理論的にも、共著として「推理小説論」「推理小説」トーマ・ナルスジャックの単著として「読ませる機械=推理小説」などを発表している論客である。

ボワロー・ナルスジャックは「推理小説論」でミステリーを「謎と恐怖の両義性の文学」として定義した。(中略)ナルスジャックは、ミステリーには元々、犯罪の謎と恐怖という二つの要素が欠かせないものとして存在したが、これまではその一方の謎や論理だけが強調され、恐怖が無視されてきたと主張する。(中略)

ポーの「モルグ街の殺人」以来、ほとんどの場合、ミステリーでは目を覆わしめるような血まみれの殺人などが犯罪の主題になっている。つまり、恐怖に彩られた謎、謎に包まれた恐怖が最も魅力的なのである。

ボワロー・ナルスジャックの言葉を借りると、「恐怖(非合理的な恐怖)は捜査(論理的解明)を誘発する。捜査は恐怖を減じる。従って、推理小説を決定するのはこれら二要素の総合ではなく、作者と時代に応じてその割合が無限に変化する両者の調合である。謎に固有の様式があり、捜査に固有の様式がある」「推理小説は変遷し、一定の国、一定の時代の社会構造を常に反映するから、推理小説を定義したら、それを記述することしかできないであろうし、またそれを記述するとしたら、その歴史を書くことしかできないであろう」(「推理小説論」)

ここでいう「捜査」は原文ではenqueteで、確かに「捜査」という意味だが、平たく言うと謎解きである。

そして「あらゆる形式の謎物語は、理性と夢想の境界線上に位置づけられる。それは理性から規律を借りてゆき、夢想から恐怖を借りてくる――科学と未知の無人地帯(ノーマンズ・ランド)の間に一つ中立地帯を作るために。その中立地帯で想像力は交互に反省と恐怖の共犯者となり、かくして抑圧解消(デフールマン)の二重の役割を演ずる。ここから、両義性(アンビギテ)の文学が正当づけられることになるのである」(「推理小説論」)
(権田萬治「謎と恐怖の楽園で」))

「恐怖は捜査(謎解き)を誘発する。捜査は恐怖を減じる」というのは、まさに至言だなと。個人的に自分が思うところのホラーは、謎が全て解かれた後(捜査終了の後)においても、理性の光届かぬ人間心理の暗渠からの鮮烈な恐怖を感じるものこそが、最もホラーとしての面白みを持っていると感じますね。そういった作品として、以前ご紹介しましたフリーホラーゲームの「狂い月」(http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1892233.html)はまさにそういったホラーでした。

前置きがとても長くなってしまいましたが、今回ご紹介させて頂く作品はまさにそういった闇を湛えた作品です。フリーのホラーゲーム「DEAD OR DIE」です。

公式サイト「漂い停留所」さん「DEAD OR DIE」紹介ページ
http://kinokuranosumika.blog.fc2.com/blog-entry-3.html

本作は先に述べました、「ホラーは物語の終わり方が自由に開かれている」ということを最大限に活かした作品と言えると思います。マルチシナリオ・マルチエンディングなんですが、あらゆる謎を解き、全てを明らかにした後の終焉が…、これはもうやられたという感じですね。公式サイトさんに攻略ヒントもありますし(難易度は易しめでユーザーフレンドリーです)、ぜひプレイして味わって欲しいホラー作品です。まさに奇妙な味が楽しめる作品。

ウィキペディア「奇妙な味」
奇妙な味とは、本来は探偵小説や推理小説のうちの「変格ミステリ」と呼ばれた作品の一部であった。江戸川乱歩の造語で、ミステリともSFとも、また怪奇小説ともつかない特異な作風を指す。論理的な謎解きに主眼を置かず、ストーリー展開及びキャラクターが異様であり、読後に無気味な割り切れなさを残す点に特色があり、短編作品でその本領が発揮されることが多い。

古くは、ギルバート・キース・チェスタトン『奇妙な足音』、ロード・ダンセイニ『二壜のソース』、ヒュー・ウォルポール『銀の仮面』、ロアルド・ダール『南から来た男』、サキ『開いた窓』などが奇妙な味の古典として挙げられる。

ウィキには取り上げられていませんが、星新一さんやスレッサーなんかも、「やってくれる!」ってラストで思わず唸らされる奇妙な味の作品が多くてお勧めですね。ギルマンの「黄色い壁紙」なんかも凄い傑作です。そして本作「DEAD OR DIE」もまたそういった作品でして、ラストのセンテンスを読みながら田中啓文さんのホラー小説「オヤジノウミ」(「異形家の食卓」収録)とか思い出してました…。こういう星新一やスレッサーの掌編のような人間の本質を突くような残酷な切れ味を持った奇妙な味の新しい作品に巡りあえるのは、怪奇幻想譚を愛する者としては本当に嬉しいことですね…。短い作品(全てクリアするまで30分〜1時間程度の短編ゲーム)ですし、ぜひプレイお勧めです。

謎と恐怖の楽園で ミステリー批評55年
異形家の食卓 (集英社文庫)
特別料理 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
最期の言葉 (ダーク・ファンタジー・コレクション)
淑やかな悪夢 (創元推理文庫)
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