2008年07月18日 00:51
命を救われた話と、よしもとばななさんの話と、絶対に目指したい大切なものについて

PM9:30に床に入ったんですが、どうしても眠れなくて、不眠が再発してて、寝床に横になってても辛いことばかり考えてしまうので、今から本当に助かった、嬉しかったことを書こうと思います。
僕が本当に心身が参っていたとき、固形物の食べ物が一切受け付けられなくなっちゃった時があり、何も食べ物が喉を通らなくて、このまま消えるのかな、その前に猫を外に出さないと、でも、家猫だから生きて行けるかな、みたいなこと考えていたとき、アマゾンでギフト券頂きまして、それで、「ウイダーインゼリー」っていうの買ったんですね。
昔、これ、濃いジュースみたいな感じで飲みやすかったから、それ注文したら、ちゃんと飲めたんですね。本当に命の恩人と心から思いました。今は、アドレス帳登録とギフト券メールだけしか受け取れない設定にしていて、新規のメールは受け取れなくて、ギフト券メールだけ受け取っている形で、ギフト以外の新規のメールで励ましてくれる方々のメールが受け取れなくて、本当にごめんなさい、申し訳なくて、本当にごめんなさいと思っています。でもそんななか、新規のメールが受け取れないという状態にも関わらずギフト券を贈って下さる方がいて、本当に感謝しています。僕は不安が頭から取れず、それがちょっとした刺激や何もなくても急激に膨らんでうつ病の症状がでてしまうのですが、でも、それが和らいで、本当に助けられています。どうもありがとうございます。言葉にできないくらい感謝しています。
PayPalで直接寄付したいと仰ってくださった方がいて、その方にはメールの制限をした後からもギフト券も頂いて、それでPayPalというのを調べたのですが、クレジットカードがいるみたいで、僕はクレジットカード持っていないんですね。以前、うつ病に掛かる前、クレジットカードの申し込みをしたのですが、審査ではねられてしまって、僕は借金とか一度もしたことないし、犯罪もしていない、前科なんて何もないので、単純に貧乏で口座にお金がないということではねられてしまったのかなと思うのですが、それでクレジットカード作れなくて、PayPalというのは使えないみたいでごめんなさい。僕は携帯電話もなくて(携帯使用料が払えないので持つことができません)その上、メールもどうしても事情があって、アドレス帳登録とギフトのメールしか受け取れないように制限してしまって、本当にごめんなさい。
こういう形でしか、お礼を述べることができないのですが、本当にありがとうございます。人間の命を救ってくれたということで、本当に誇りに思って頂きたいと、心から感謝しながら思います。
僕は国民健康保険(こちらはちゃんと払っていました。僕は昔から病気がちだったので、これはきちんとしていました。僕の仕事の多くは厚生年金に入れないアルバイトや下請け派遣だったので、厚生年金合わせても年金の三分の二足りませんでした)はちゃんと収めていたので、今三割負担で、医療費の負担も、一回の診療とお薬代で何千円も出て行くので、大変ですが、ただ、このまま病気が長引くと精神障害者保健福祉手帳というのが出て、医療費の負担が一割になるので、そうしたら少し楽になると思います。僕は年金三分の二未納なので、障害年金はもらえませんが、医療費が何千円から千円程度になるだけで、すごく助かります。
もし、新聞社さんの人とか、これを見ていたら、うつ病で働けなくて、お金ない人として取り上げて頂けないかなと、そうしたら、新聞社さんから少しだけでもいいので、取材料とか入るかなと思ったんですが、メールも、先の制限をどうしてもやむなく掛けておりまして、メールが届かないので、これもダメで、疲れてアハハって感じです。
今回も暗い話でごめんなさい。よしもとばななさんみたいな強さがあれば、良いな、僕はとても弱いなと思います。最後によしもとばななさんの文章を引用させて頂きます。
(よしもとばななさんは)人から見たら、小説は読まれ、親(吉本隆明さん・吉本和子さん)はかろうじて生きているし、結婚もしているし、健康で、さらに妊婦。なんと恵まれ、豊かな環境にいると思われても仕方ないし、実際そうだろう。だから他人にも優しくしてあげなさいということなのだろう。でもそれに甘んじていては、小説がだれる。その上、私の人生はいつも地獄だったし、それは今でもそうだ。私にとっては生きているだけで地獄なのだ。それはどの状況でも変わらない。
これは、説明する気もないし、人それぞれの問題なので、多くを語る気はない。表に出して甘える気もない。
ただ、その地獄の中にもほんの少しの光や希望がある。ちょっとした憩いのひとときもある。また、何よりもこの地球や自然やその一環としての人というものが、私をひきあげてくれることがある。だから、生命を全うした方がいいよ、というのが、私のいつも書いていることだ。
つまり、いつでも遺言みたいなものなのだと思う。(中略)
昨日も質問のコーナーで「(よしもとばななさんの日記を読むと)毎日とても楽しそうに見えて、とても地獄とは思えない」という素直でいい感じの質問があった。
そうか、やっぱり物事を額面どおり取ってくれる人っているんだな、だから最近よく、幸せそうだとか安定していると言われるんだなあ、といい意味で(本当ですよ)感心した。
まず、文の技術でいえば、全く同じ内容、同じ一日、同じできごとを……たとえば、「今日はディズニーランドに行きました」というのを「とても楽しかったバージョン」「人生の喜びを抽象的に表すバージョン」「最悪、自殺寸前バージョン」「冴えないバージョン」「平凡なバージョン」どれで書けと依頼しても、嘘を書くこともなく実際にあったことのデータですらすら書ける。それは、作家なら誰でもそうだと思う。やれと言われれば、そのくらいの技術、プロならみんなあるだろう。
誰が、どの視点で誠意を持ってそれを好きこのんで描くか、それだけが違いとか個性とか呼ばれるものなのだと思う。
そういう意味では、真実など、この世にないのだと思う。
ただ、どの書き方でも掘り下げれば、何かしら真摯なものが生じる。それを作家たちは目指しているのだろう。
まず、私はこの内面の苦労、山田花子の自殺直前日記みたいな日記をここに書くことをよしとしない。全然したくない。少なくとも、あれとか、あの、手首を本当に切って死んじゃった高校生の女の子の日記とか、真摯だと思うけど、したくない。それは純粋に、好みの問題であって、善悪の問題ですらない。
ここでは毎日の、まあまあ楽しくていいところだけをメモ代わりに書いていこう、としか思っていない。で、公のものだから読んだ人が「なんだよ、身内のことばっかり書いていて、でも、メモがわりなようなだし、それに、他人の日常って、読むとなんだかほっとする」なんて思ってくれればそれでいい。なにせ無料だし、そしてプロだし。これが本になったものを買ってくれる人はお金を出す覚悟があるんだから、それはそれでいいと思う。
そして個人的には確かに妊婦だし落ち着いているのだが、この落ち着きは、人生の底を見た感じの大きなあきらめからくる落ち着きであり、決して陽気なものではない。もちろん愛する家族がいて、充実した仕事があって、それで食べていける。その素晴らしさは身にしみている。でもそれと内面的なものは関係ないし、私はそれを垂れ流すのが大嫌いなのだった。私は数限りない人々に、仕事を通じて会ってきた。そして得た結論は
「楽で楽しそうで幸せそうな人など、いない。みんなそれぞれ大変だ」
というものだ。
「この世界には決して本当の喜びとか満足というものはない。ここは働いて、世話して、求めていくところなのだ」
という、産まれてくる赤ん坊に告げるアステカ族の言葉があるが、全くその通りだと思う。昔の人は偉大だ。ごまかさないもん。
だからこそ、かわいいものとか心救われるものにとても敏感でいられるのだと思う。
(よしもとばなな「子供ができました」)
この本、うつ病になる前も読んだんですが、うつ病になって始めて、本当の意味で感じた、理解できたと感じました。以前、よしもとばななさんのような強さを持つ、KANONというアニメに出て来るヒロイン水瀬名雪について書いたんですが、これも、うつ病にかかる前に書いた文章で、うつ病にかかって始めて、名雪の本当の強さというものに触れた感じがして、言葉では言い表せないような、不思議な、静かな気持ちになりました。
僕はよしもとばななさんや水瀬名雪に比べるとずっと弱いので、きっとまた弱音を吐いてしまうと思いますが、それでも、「ただ、どの書き方でも掘り下げれば、何かしら真摯なものが生じる」ということは、一生懸命、絶対に目指してゆきたいと思っています。
参考作品(amazon)

「ウイダーインゼリー」
よしもとばなな著作一覧
吉本ばなな著作一覧
京都アニメーション「KANON」
KEY「KANON Standard Edition」
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