2011年12月14日 00:48

メタルマックス2リローデッド、ゼンとの遭遇イベントが非常に哲学的で面白いので文字起こししました。こういう思索SFRPG、最高ですね。

メタルマックス2: リローデッド Limited Edition (オリジナルサウンドトラック & WANTEDメタルプレート & 山本貴嗣先生描き下ろしコミック同梱)
ファイナルファンタジーXIII-2

メタルマックス2リローデッド、腰が痛いけど頑張ってプレイ中。ゼンとの遭遇イベントが哲学的で非常に面白いですね(イベントも雰囲気も音楽もイイ!!)。スペース博士の研究所に宇宙砲を残していった宇宙人(イベントから推測すると大破壊前に地球に宇宙船が墜落して米軍がエリア51から日本に持ってきたのかな…)と関係あるのかな?宇宙人の死骸ぽいものが液状のゲルっぽかったのを見ると、関係ありそうですが…。このイベント、とても面白かったので文字起こしをしてみました。

今回のメタルマックス2リローデッド、主人公達人間サイドと、メタルマックスシリーズを通しての全ての黒幕である地球環境問題対策コンピュータ「ノア」(地球環境問題を解決するために地球人類の現生種を抹殺しようとしているシリーズ通しての黒幕サイド)とは別のサイド(ノアや人間とは全く異なるテクノロジーを持つ宇宙人の文明の側)があるのが、SFとして深みを増していて非常に面白いです。以下、「ゼンとの遭遇」イベントの文章を起こしました。プレイしてない人も雰囲気だけでもどうぞです。

メタルマックス2リローデッド
「ゼンとの遭遇」

隠れるように立っている海峡の崖の下の家。
家の中にはメイドロボが一台。ベッドの上に白骨死体。

家の中のメイドロボ
「オカエリ ナサイマセ。オツカレニ ナッタデショウ…。ゴユックリ オヤスミ クダサイマセ」
(この台詞しか喋らない。話しかけるたびに強制宿泊)

家の中から長い梯子を登って崖上に上り、崖から下を覗き込むとゼンが崖下の海中から現れる。
メタルマックス2リローデッド
ゼン
「生きている…。わたしは生きている…。わたしの名はゼン…。考えねばならぬ…。わたしは本当に生きているのか…」

ゼン
「わたしはどこまで、わたしであり、どういう風に、わたしなのか…」

ゼン
「人間よ、ゼンと語り合うか?」

選択
「語り合おう」「エンリョする」

「エンリョする」選択時

ゼン
「ならば、わたし一人で考えることとしよう…わたしとは何なのか…」
(ゼン消える)

「語り合おう」選択時

ゼン
「人間よ…。自分とは何か教えてくれ…。自分とはあなたたちの体なのか?」

選択
「そういうことだ」「ちがうとおもう」

「そういうことだ」選択時

ゼン
「では、眠っているときも、あなたたちは、あなたたちなのか?死んだあなたたちの体も、あなたたちなのか?人間が食べたものは、あなたたちになるのか?いつから?どの瞬間から?あなたたちの体と。あなたたちでない物とはどこで区切られているのか?」

ゼン
「わからぬ…。考えねば…。考えねばならぬ…」
(ゼン消える)

「ちがうとおもう」選択時

ゼン
「わたしの体は水だ。わたしの体は流れ、よどみ、蒸発し、しみこんでいく。わたしの体はどこまでも広がっているかのようだ。わたしの体とそうでない物の境目は限りなくぼやけている。だがあなたたちはわたしではなく、あなたたちもまた、わたしではない。とすれば、自分とはわたしを、わたしと思う意識のことなのか?」

選択肢「そういうことだ」「ちがうとおもう」

「そういうことだ」選択時

ゼン
「では、夢も見ず眠っているとき、あなたたちは、あなたたちでなくなるのか?意識を失っているときわたしという自分は消えてしまうのか?すると、わたしは消えたり現れたり、なかったりする不安定なものなのか?一度消えて、また現れたわたしは、消える前の自分と同じわたしなのだろうか?」

ゼン
「わからぬ…。考えねば…。考えねばならぬ…」
(ゼン消える)

「ちがうとおもう」選択時

ゼン
「体でもなく、意識でもない…。とすればわたしという自分などないということなのか?自分など、ないと…。………。自分とは…わたしの体であり、同時にわたしという意識であるのかも知れぬ。とすれば、自分はすべてであり、すべてが自分でありうることになる。わたしが、あなたたちになり、あなたたちが、わたしになりうることになる」

ゼン
「意識が消えたり現れたりするものだとすれば…。あなたたちという意識もわたしという意識も…。この世の物質存在がもたらすゆらぎのようなものに過ぎぬのかもしれぬ…」

ゼン
「考えねば…。考えねばならぬ…」
(ゼン消える)

まさかメタルマックスやっていて心の哲学をすることになるとは…。

(本書「マインズ・アイ」に収録されているライバーのSFに出てくる自意識を持つロボット、ラルフ・ナンバーズを考えるとき)巧みな行動はすべてそのままだが、意識というものを全く欠いているラルフ・ナンバーズを考えることができると言っても、そこには何の問題もないと思われる。サール(ジョン・サール)は第22章の「心・脳・プログラム」でそのような主張(機械は人間のような特別の意識、すなわち心を持つことはできない)をしている。

実際、そうしたければ(人間と同等かそれ以上に精妙で高度な自意識を持つロボットであっても)ロボットをそういうもの(自意識なきもの)として眺めることはいつでも可能である。すなわち、それにはロボット内部のハードウェアが、周囲の感知された事象とロボットの行動その他との相互作用を巧みに設計することで、情報を処理していることに注意しさえすればよいのである。

しかしそうなると、今本当に心からそう思うならば(人間以外の存在が行う行動は全て機械的情報処理プロセスの一環であり自意識などないというサール的立場に立つならば)、人間をこのように眺めることもまた可能だということになる。脳の組織、つまりニューロンとかシナプス等々に思いを致し、そうした脳組織が、環境における感覚事象と身体の動作その他とのあいだの相互作用を驚くべき巧みさで設計することによって、情報を処理しているのだということに注意しさえすればよいのである。(中略)

しかし翻って考えてみるに、なぜ人はこうした視点(意識を物質的情報処理プロセスとして位置づける視点)を空(自意識を持たない)であると考えるのだろうか。ラルフ・ナンバーズの身体というものが、現にそれ自体の欲求とまわりの環境との関係の中で存在し、そうした身体が先の話の中で描かれていたような仕方で自己制御しているとしたら、そしてさらに、それを行う言語行為がラルフの視点から見た事態のあり方を表明しているとしたら、あの心身二元論という神秘的で前代の遺物となった理由以外に、そこにおいてラルフ・ナンバーズ自身の存在を疑ういったいどんな理由があるのか。
(D・R・ホフスタッター、D・C・デネット「マインズ・アイ コンピュータ時代の「心」と「私」」)

心の哲学まとめwiki「デイヴィッド・ヒューム」
http://www21.atwiki.jp/p_mind/
デイヴィッド・ヒュームはデカルト批判を透徹し、コギト=自我そのものの存在を解体した。ヒュームの方法はバークリーの経験論を継承して極限まで進めたものだ。バークリーによれば存在するものは全て、実在でなく自我(わたし)の中における感覚・表象の束にすぎない。ヒュームは更に問う。その自我(わたし)なるものは存在するか?そう問うのは一体何なのか?

自我(わたし)という感覚・表象は実際に無い。我々はさまざまな観念から「自我」(わたし)という抽象概念を抽出しているだけなのである。「自分」と呼ばれるものの中を詳しく見ればわかる。そこにあるのは個別的な感覚や観念(周囲から刺激を与えられ感じていることと、それによって発生する観念)だけである。その(周囲から与えられる刺激から生まれる)個別的な感覚や観念なしには決して「自分」と呼ばれるものを捉えることはできない。

つまり自我というものはさまざまな感覚・観念の経験によって構成された、実在ではない、さまざまな観念の束にすぎないのだ。(周囲からの刺激が、水面に石を投げたときに広がる波紋のように)水面に現れては消える泡のような個別的な感覚・観念たちが、「私の感覚」「私の観念」とすり替えられ、個別的体験の結果に過ぎないものたちから原因、すなわち「主体」となるものを想定した結果、作られたのが自我(わたし)という抽象概念なのである。

ヒュームは自我(魂)を(多くの構成員がたえず入れ替わってゆく)共和国にたとえる。共和国では、部分としての個々の人々は相互に結び合わされており、その部分が絶えず入れ替わり変化するなかにあって、この同じ共和国を伝えていく他の人々を生み出している。共和国はその成員を変えるだけでなくその法律や組織も変えることができる。それと同じように、個人がその同一性を失うことなく、印象や観念だけでなく性格や気質を変えることができる。彼がどんな変化を受けようとも、彼の個々の部分は因果性の関係(それまでの経験則)によってなお結合されているとする。(中略)

ジョン・サールの見解によれば、現代の哲学者のほとんどは超越的な自我を否定するヒュームの考えに同意しているという。これは現代の哲学者のほとんどが、自然科学の知見を前提とした上で哲学を行っているからであり、超越的な自我、つまり精神や肉体を超えて個人の人格の同一性を担保する「何か」の存在を認めるのは自然科学の立場上困難だからだ。しかし「心」というものを継起する知覚の束であるとするヒュームの立場を取るならば、その「何か」を想定する必要が無いのである。(中略)

派生問題――意識の連続性
「自己」や「私」というものを、それ自体で存在するものでなく、別個な知覚の集合であるとした場合、上述のように数ある観念のうちには個別の観念たちの紐帯となる「我思う」というような反省的なタイプの観念があると考えれば、人格の同一性について深刻な問題は生じないと思えるが、それでも意識の連続性については困難な問題が残るかもしれない。(中略)


結局、この問題は意識というものを、多数の意識トークンの連続とみなすことで解消するしかないかもしれない。つまり意識はベルクソンがいうように純粋に持続しているのではなく、たとえば毎秒十数回発生している程度のものと考えるのである。脳波を測定すれば常にアウェアネスの状態にあるように見えても、実は連続して見える映画が一秒間に二十四コマであるように、アウェアネスな状態も一秒間に十数回程度かもしれないということだ。私が覚醒時に何かの「変化」を知覚しても、眠りから覚めた時のような意識の断絶感を感じることはない。しかしそれは実は相対的な問題であって、覚醒時には僅かなインターバルで「私」の正体といえる反省的意識が生じているので、実際には意識の断絶感はあるのに、それと気づかない、また気づく必要が無いだけかもしれない。眠りから覚めた時は大きな「変化」を知覚するので、意識の断絶感も大きいというだけかもしれないのだ。

※上述の意識の連続性問題については、ジョン・サールが『MiND-心の哲学』で言及している(p369)。またデイヴィッド・チャーマーズも『意識する心』において「意識の一貫性」という形で僅かであるが触れている(p378)。よろしければ参照されたし。

•参考文献
デイヴィッド・ヒューム『人性論』土岐邦夫・小西嘉四郎 訳 2010 中公クラシックス

メタルマックス2リローデッド、イイですね…。あらゆるところにちりばめられた大人向けの小ネタや、ビターな味わいのイベントの数々、そして思索的要素…、真なる意味での良質な大人向けRPG、優れたスペキュレイティブ・フィクションです。

ウィキペディア「スペキュレイティブ・フィクション」
スペキュレイティブ・フィクション (Speculative fiction) とは、さまざまな点で現実世界と異なった世界を推測、追求して執筆された小説などの作品を指す語。フィクションの複数のジャンルにまたがって使用される。(中略)一般に、サイエンス・フィクション、ファンタジー、ホラー、スーパーヒーローもの、ユートピア/ディストピアもの、破滅もの、仮想歴史もの、マジックリアリズムの小説群などが含まれる。

あと戦車改造が最高の醍醐味、楽しいですね。まだダブルエンジン戦車入手していないので、シャーシが軽くて汎用性が桁外れに高いソルジャーのバイク最強伝説状態です。無双エンジンをバイクに積んで、ギガンガン(迎撃用)、サンビームガン×2、タキオンレーダー(命中回避UP)、Sトルネード装備して、Cユニットはジーニアス777とバルカンボックスでバルカンラッシュかけてると、

「雑魚がゴミのようだ!!」

というか、

「ボスすらゴミのようだ!!」

状態です。バイクに乗っているソルジャーが一番素早さが高く、雑魚戦は全てこの先制バルカンラッシュでかたがつくので、戦車に乗っているハンター二人にやることが全くない状態…まだ中盤なのにタキオンマター使って強く改造しすぎた(^^;

つうか、今回のバイク強すぎる…。バイクはCユニットが二個積めて、回避50のジーニアス777積むとバイクの見交わし走行特性もあって、敵の攻撃を鬼回避するんですね。戦闘後、他の戦車は装甲タイルが減ってるのにバイクだけノーダメージ状態、まさに「当たらなければどうということはない」。しかもソルジャーのスキルがバイク戦に特化したものが多くて、むちゃくちゃ役に立ちます。バイクに積んだ装備と三種類の人間装備で攻撃できて属性攻撃の幅が一番広いので、どんな敵も弱点つけてまさに圧倒的…。現在のところバイク最強伝説です。これでバイクにダブルエンジンできたらバイクソルジャーの組み合わせが最初から最後まで全て(戦車戦・白兵戦両方)において圧倒的最強なんだけど、無理だろうなあ…。

あと、今回、マシンクラッシャーが迎撃できないのかな?ハンター・ソルジャー・ハンターで、ハンターをRウルフに乗せてメガ粒子砲・ジーニアス777で迎撃確認、ソルジャーをバイクに乗せてギガンガン・ジーニアス777で迎撃確認したんだけど、もう一人のハンターを野バスに乗せて、装備はSトルネードとマシンクラッシャーでジーニアス777装備しているんですが、この戦車だけ全く迎撃しないんですよね…。メタルマックス3ではマシンクラッシャーで迎撃できたけど、今回はマシンクラッシャーはサンビームガンのように迎撃不可武器なのかもです…。マシンクラッシャー、雑魚戦で超役立つから、迎撃できないのは辛いなあ…。

現在は風力発電所攻略中。徒歩で行ったバトー研究所では、シャーシにアビシニアン選んで特性を会心の一発にして、弾倉0、守備105、カスタムで主砲1、S-E4にして、主砲にバーストセイバー、S-EはSトルネード×3、メガ粒子砲×1(迎撃用・雑魚戦用)にして、Cユニットをジーニアス777にして、ダブルエンジンでブリテンターボG×2を積もうと夢がひろがりんぐな戦車設計したのですが…。まだ風力発電所クリアしていなくてバトー研究所に戦車で移動できない(戦車の原材料になる鉄くず運べない)ので設計しかできない、夢が夢のまま状態なのです。メタルマックスシリーズは自由度が桁外れに高いので本来のルートスキップして寄り道しまくりで、そこが楽しいですね(チャレンジハントもこなしてランク一位まで行きましたが、囮寄せができない海にしかでないアクアウォーカーを複数体時間内に倒すハントがうまく行かない…)。本作は自由度が桁外れにできて色々試行錯誤しながら進めてゆく楽しさ、FF13のような一本道のゲームにはない楽しさがありますね。FF13-2はちゃんと自由度が広がったのかな…?

メタルマックス2リローデッド、最高に面白いゲーム、全てのゲーム好きの皆様にお勧めですね。あと、SFが好きなお方々もきっと楽しめると思います。

私というものはいったい何なのだろうか。いたるところにこの謎を解く光はさしているのだ。
(D・R・ホフスタッター、D・C・デネット「マインズ・アイ コンピュータ時代の「心」と「私」」)

メタルマックス2: リローデッド Limited Edition (オリジナルサウンドトラック & WANTEDメタルプレート & 山本貴嗣先生描き下ろしコミック同梱)
メタルマックス2: リローデッド Limited Edition (オリジナルサウンドトラック & WANTEDメタルプレート & 山本貴嗣先生描き下ろしコミック同梱)

ファイナルファンタジーXIII-2
ファイナルファンタジーXIII-2

マインズ・アイ―コンピュータ時代の「心」と「私」〈上〉
マインズ・アイ―コンピュータ時代の「心」と「私」〈下〉
マインド―心の哲学
人性論 (中公クラシックス)
TVゲーム総合ストア

アニメーション総合ストア
漫画コミック総合ストア
ホビー・フィギュア・トレカ総合ストア
食品&飲料総合ストア
ペット用品総合ストア
電化製品・家電製品総合ストア
パソコン及び周辺機器・消耗品総合ストア
PC18禁ゲーム総合ストア
amazon液晶テレビ総合ストア
クラシック音楽ストア
アマゾンギフト券ストア
amazonトップページ




Archives
livedoor プロフィール

ねこねこ

記事検索
  • ライブドアブログ