2011年11月21日 11:12

朝日新聞記事「ライトノベルを狙え」興味深いですね。少年漫画とライトノベルのルーツとしての少年冒険小説。創作の自由とライトノベル。

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本日の朝日新聞にライトノベルの特集記事が載っていますね。少年漫画とライトノベルの類似性を専門家が指摘しており興味深いです。僕は昔から、少年漫画とライトノベルのルーツとして、両者とも共通して、戦前の少年冒険小説(年若い少年少女がロマンティックで情熱的な冒険をする娯楽活劇小説)をルーツ(起源)としているのではないかと考えていたので、この記事には思わず膝を打ちましたね。以下、引用しますね。引用画像はクリックすると拡大します。

朝日新聞2011年11月21日朝刊記事
「若者向け娯楽小説 ライトノベルを狙え」
角川先行、講談社参入へ
文庫市場の2割に成長 マンガ・アニメ・ゲームとも連動
成長を続ける若者向け小説「ライトノベル」の市場に、出版大手の講談社が12月から新規参入する。「ジャンプ」で知られる集英社とともに、強みの「マンガ」と連動し、シェアの過半を占める角川ホールディングスに挑む。

ライトノベル(ラノベ)の成長は目覚しい。出版科学研究所にとると、2009年の文庫全体の販売額は1322億円。うちラノベは301億円と約2割にのぼる。文庫全体の販売額が減少を続けるなか、04年から13.6%伸びている。

人気の理由は、会話中心の読みやすい文章や、イラストを表紙や挿絵に多用した作りにある。作家に若い世代が多く、「萌え」などの現代的感覚が中高生中心に支持された。(中略)

「ストーリーよりキャラクターの魅力が重視されるラノベは、文芸よりマンガに近い」マンガ畑が長い(講談社ラノベ文庫の)渡辺協編集長は言う。

若者向け娯楽小説 ライトノベルを狙え

これは良記事ですね。僕は前述したように、少年漫画とラノベのルーツは同根(戦前の少年冒険小説)であると考えているので、同じルーツから育った少年漫画とラノベには元々親和性があり、この二つが協同的になっていくというのは、両者にとってより豊かになれる良い選択と思います。

戦前のジュブナイル(若者向け小説)は、社会的・理想主義的・教訓的・道徳的な、いわば「文部省推薦」的なタイプの若者向け小説と、若者向け娯楽活劇に完全に徹した少年冒険小説という、二大潮流に分かれておりまして、若者から圧倒的に人気があったのは後者の方でした。江戸川乱歩、山中峯太郎、高垣眸、南洋一郎、海野十三などが代表的な作家として挙げられます。戦後、出版界にGHQや反戦道徳主義者による弾圧の嵐が吹き荒れたとき、戦前の少年冒険小説の大半は、「荒唐無稽な絵空事である」「軍国主義的である」「乱暴な振る舞いがあり子供の教育によくない」などとされて弾圧され、その系譜は活字媒体からは大部分消えてしまったのですね…。

ただ、少年冒険小説は完全に消えた訳ではありませんでした。その系譜を継いだのが、のらくろ、冒険ダン吉などの初期の漫画、そして戦後の漫画界をリードした手塚治虫や石ノ森章太郎といった面々の漫画です。特に手塚治虫作品は少年冒険小説の影響が極めて大きいことで知られ、冒険ダン吉風の絵物語(黄金のトランク等)や少年冒険小説「蟻人境」を執筆したりもしています(蟻人境は「手塚治虫小説集」に収録)。冒険少年小説の系譜は、手塚・石ノ森らを中心とする戦後漫画家の少年漫画、ストーリー漫画として生き残ったのですね。

そして、ライトノベルは、日本の戦後少年漫画から大きな影響を受けて誕生したジャンルです。少年漫画の大きなルーツとして少年冒険小説があることを考えると、いわば、活字媒体に少年冒険小説の魂が戻ってきたともいえるのではないかなと感じますね。戦前の少年冒険小説の特徴として「年若い少年少女の血沸き肉踊る冒険」「ロマンティシズム」「ウィット」「ラブロマンス」「エロティシズム(今風に言えば萌えに当たるかと)」「ビルドゥクス・ロマン(成長物語)であること」が挙げられますが、まさに、少年漫画・ライトノベルに共通する特徴だと思うのですね。こういった物語が、自由に読める世の中になって、本当に良かったと感じますね…。少年冒険小説愛好家で知られる澁澤龍彦さんが素敵なエッセイを書いているので抜粋引用してご紹介致します。

澁澤龍彦「記憶の遠近法」より

「少年冒険小説と私」

私たちが少年時代に楽しんだ講談社の少年読物のなかでも、いくつかの傾向があって、たとえば佐藤紅緑、吉川英治、佐々木邦などの作品を、リアリズム溢れる理想主義の傾向とすれば、山中峯太郎、南洋一郎、高垣眸、江戸川乱歩、海野十三などの作品は、ロマンティシズムあるいは冒険小説の傾向と言えるかも知れない。むろん、細かく分類しようと思えば、いくらでも分けられるのだが、ごく大雑把に二つの傾向に分けるとすれば、右のようになるのではないかと思う。

そうして私はと言えば、私の好みは、圧倒的に後者の系列にあった。現在でも、この好みは基本的に変わっていない。私は、いわゆる人生派の小説は好きではない。求道者型の文学は真っ平ごめんである。現在の私が、18世紀のエロティック小説を好んで読んだり、19世紀や20世紀の怪奇幻想小説に堪能したりしているのも、遠くさかのぼれば、その源は少年時代の冒険小説の耽読に容易に結びつくのである。

だから考えてみると、私は精神的に一向に進歩していなくて、40代の終わりに達しようとしている現在でも、あいかわらず南洋一郎や山中峯太郎を読んでいるような気分でヨーロッパの古典を読んでいるのかもしれないのである。自分で反省してみると、どうもそうとしか思えないのである。困ったことだが、これはもういまさら手遅れで、どうにも仕方がないのだ。(中略)

南洋一郎の物語は、動物学や考古学や地理学や、または世界の七つの海に対する、少年のロマンティックな冒険心や知識欲を刺激するエピソードにみちみちていたのである。(中略)(美しいヒロインや妖艶な女スパイなど)少年読物には少年読物なりの、一種独特のエロティシズムがうっすらと発散していて、私たちはこれを敏感にかぎとったものだった。(中略)

(戦前の少年冒険小説は戦後の左翼道徳論者の非難の対象となり、小説の中で、日本の少年少女が世界中の国々を冒険して世界を救ったりすることを)軍国主義だとか帝国主義だとか言って、目くじら立てる論者もいるようだが、馬鹿を言っちゃいけない。私自身は、そういう読み方をした覚えはないし、むしろ別のところに別の種類のロマンティシズムを発見していたのである。

ついでに述べておけば、私は「のらくろ」が大好きだったし、今でも好きなことは変わりはないが、これも、軍隊主義や軍隊生活礼賛のためでは全くないのである。「のらくろ」のユーモアは、きわめて知的なユーモアである。軍隊生活は、単なる枠に過ぎない。その基調は、まことに健全なヒューマニズム(犬だからヒューマニズムというのも変だが)である。あんな漫画で軍国主義を鼓吹される人がいるとしたら、その人はよほど精神の硬直した人であろうと思わざるを得ない。

子供の精神には柔軟性があって、猛獣狩りでも戦争でも、一種のスポーツのように受け容れるのである。そんなに軍国主義が心配なら、ホメロスの「イリアス」もサルカニ合戦も、源平盛衰記も読めなくなってしまうではないか。冗談ではないよ。

あえて言うなら、人間の知識欲というものは、本来、帝国主義的なものだと言ってもよいかもしれない。それは片っ端から、未知なる領土をどんどん侵略して、自分のものにしてゆく傾向があるのである。南洋一郎も山中峯太郎も「のらくろ」も、知識欲、つまり精神の冒険欲を刺激するものに過ぎないのであって、決して子供を組織的な行動に駆り立てるようなものではあるまい。戦争とは、組織化された暴力である。心配するにはあたらないのである。

「のらくろ」漫画を軍国主義的だからといって危険視する人は、「四畳半襖の下張」をエロだからといって危険視する検察官と、全く代わりがないのである。エロについてはいやに進歩的なことを言う人が、「のらくろ」については保守的になるのはおかしいではないか。――まあしかし、あまり向きになるのはやめよう。

それにしても私は(少年冒険小説は教育に悪いとする道徳論者達の弾圧によって)、現在の子供達が、戦前の南洋一郎や山中峯太郎のような、いわゆる血沸き肉踊る冒険小説を読むことができないという状況を、大いに残念に思うのだ。

(子供の教育に悪いというスローガンで若者向け娯楽小説を悪書として弾圧し廃棄した)戦後の民主教育は、ある点から眺めると、ガラス張りの温室で清浄野菜を栽培しているようなものであろう。温室のガラスを叩き割って、外の空気のなかに子供たちを引っぱりだすべきではないだろうか。

これは僕の最も好きなエッセイの一つですね。『私は精神的に一向に進歩していなくて、40代の終わりに達しようとしている現在でも、あいかわらず南洋一郎や山中峯太郎を読んでいるような気分でヨーロッパの古典を読んでいるのかもしれないのである。自分で反省してみると、どうもそうとしか思えないのである。困ったことだが、これはもういまさら手遅れで、どうにも仕方がないのだ。』とか、大人になっても、オタクはやめられない、一生涯オタクであろう、僕みたいな人々にとっては、なんとも共感を覚える文章ではありませんか。そして、澁澤さんの危惧を乗り越える形で、ライトノベルという、活字媒体において少年冒険小説の系譜を継ぐものが現れた。これはとても良いことだと思いますね…。今の若者は、血沸き肉踊る若者向け冒険小説(ライトノベル)を読むことができる。表現の自由、創作の自由が戻ってきたことは本当に良いことです…。創作というのはずっと、権力を持って創作を潰そうとする弾圧者と、それに抗する創作者や創作を支持する人々との果てしない戦いで、戦いによって勝ち取ってきた道ですから…。あと、最後に、僕が少年冒険小説をお勧めするとしたら、乱歩の「孤島の鬼」、あとはルブランの「奇岩城」「813」「続813」あたりをお勧めしますね。冒険小説というよりは冒険ミステリというべきかもしれませんが、どれも子供の頃読んで最高に胸躍らせた作品(僕はモーリス・ルブランの大ファンで夢中で読んでました。ルブランの小説はむちゃくちゃにぶっ飛んだ冒険小説やSFが多くてラノベ的醍醐味があります)、最高にお勧めです。

手塚治虫「ぜんぶ手塚治虫!」より

手塚治虫「漫画作りの原点」

僕たちが漫画書いていますとね、必ず大人は「漫画なんてものは子供の敵だ」「漫画を描いている漫画家は、こんなもの用はない。実際にいらないものなんだ」といって、ずいぶんとつるし上げられて、非難を受けました。中には学校でPTAの方々が、学校の先生と一緒になって子供から漫画を取り上げて、わざと校庭に漫画の本をいっぱい積んで、それに火をつけて燃やしたんですよ。(中略)

漫画が悪書、悪い本だということでものすごくいじめられた。「手塚の漫画はここに暴力がある。人を殴っているじゃないか」とかね、「ピストルが出てきている、ピストルで人を殺しているじゃないか」とかね、そんなのはまだいいんです。「ロボットが出てきた。こんなロボットが日本に作れるものか」とかね、(漫画の中で)月世界にロケットが飛んでいくと「人間が月へ行けるはずがない」とかね、そういうことを偉い先生たちがいうんだ。

その時に僕は腹が立って腹が立って悔しくてね。ほんとうに泣きたかったんだけど、怒りたかったんだけど、友達が「手塚君、ああいうのを相手にするな。君達は黙って漫画を描いて、そのうちにいつかわかるようになるだろう」ということなんで、泣き寝入りして漫画描いてた。この時も悔しかったね。で、なにくそと思ってね、僕はそういう時に、悔しい時とか、腹が立つ時とか、悲しい時にがんばって、そして自分の描きたいもの、作りたいもの、やりたいものをずっとやりとおしてきたんですよ。(中略)

(この世界に)すごく腹を立ててるんだ。もう、ほんとうに僕は腹を立てて怒っていることを漫画に描いてるんです。それだけのことなんです。

記憶の遠近法 (河出文庫)
記憶の遠近法 (河出文庫)

ぜんぶ手塚治虫! (朝日文庫 て 3-5)
別巻2 手塚治虫小説集 (手塚治虫漫画全集 (384別巻2))
黄金のトランク (手塚治虫漫画全集 (58))
孤島の鬼 (創元推理文庫)
奇岩城 (アルセーヌ・ルパン全集 (4))
813 (アルセーヌ・ルパン全集 (5))
続813 (アルセーヌ・ルパン全集 (6))
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