2011年10月27日 10:46

アラン「幸福論」が萌え系イラストを付けた新装版で出るんですね。僕の座右の書、とてもお勧めです。アランのにゃんこ幸福論。

幸福論 (角川ソフィア文庫)
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このところ寒い日が続いていましたが、今日になって木枯らし一番が吹き、ますます急激に寒くなりましたね…。寒さによって身体の調子を崩さぬよう皆様ご自愛くださいね…。僕はパジャマの上にamazonで買ったランズエンドのでっかいガウンローブを羽織って靴下を履いていますが、それでも寒くて仕方ないです…。夏はにゃんこは布団の外に出てお腹を出して寝ていましたが、寒くなってきて、にゃんこが布団の下でくるまってることが多くなってきましたね…。こう寒い日は毛皮に包まれて一日布団のなかでくるまっていられるにゃんこが羨ましくなりますね…。

表題に入りますと、哲学者アランの哲学書「幸福論」が人気ライトノベル「文学少女」シリーズの挿絵で知られる竹岡美穂さんの萌えイラストをつけて、角川ソフィア文庫より新装版として出るんですね。本書は僕の座右の書、イラスト効果で人気が出ると良いですね…。本書は哲学者アランが幸福について様々に語った随筆集でして、まず第一に「読みやすい」。哲学書はどれもかしこも読みにくいですが、本書の読みやすさは群を抜いた出来です。本書には幸福をメインテーマとした多種多様な随筆が収録されていますが、また非常に論理的で、明快で、まっすぐさと善良さを感じさせてくれる、人生において一つの糧となってくれる優れた随筆ばかりです。モンテーニュの「エセー」の現代版とも感じさせてくれる、優れた随筆集にして哲学書です。彼は行動する哲学者として有名で、1936年に創設された反ナチズム知識人連盟の会長を務めました。本書にはそんな彼のエッセンス、「幸福は求め行動しなければやってこない。幸福を求めるなら行動せよ」という意志が全編に貫かれており、読んでいて、頭がすっきりするとともに、元気の出てくる書物でもあります。「幸福論」から僕の好きな随筆を引用いたしますね。

アラン「幸福論」より

「ごきげん」

たまたま道徳論を書かなければならないとすれば、私はごきげんであることを義務の第一位におくだろう。悲しみは偉大で美しいとか、賢者は自分の墓を掘りながら死について考えなければならないのであるだとか私たちに教えたのは一体どんな残忍な宗教であることか。十歳のとき、私はラ・トラップス修道院を訪問した。そこで私は修道士たちが毎日少しずつ墓を掘っているのを見た。そして教徒を教化するためにまる一週間も死体が置きっぱなしになっている祭壇も見た。この気の滅入る光景や死体の匂いは、長いこと私にまとわりつき、離れなかった。まったくもって彼らは余計なまでに証を立てようと望んでいた。私は、いつ、どんな理由でカトリックを辞めたのかすっかり忘れてしまったので、はっきりいうことはできない。しかし、その時以来、私はこう思っている。

『あれが人生の真実なる秘密だなんてありえない』

私は自分の全存在をあげて、これらの哀れっぽい坊さんたちに反抗したものだ。そして、病気から治癒するように、彼らの宗教から解放された。

それにしても、影響はある。誰にしてもそれはある。私たちは何かにつけて、またとるにたりないようなことであっても、すぐに悲嘆にくれる。そして、本当の苦痛を覚えるような状況においては、それを周囲に示さなくてはならない義務があるかのように思い込む。このことに関して、坊さんたちのように間違った判断が一般に行われている。泣きまねの上手い人間はなんでも許されてしまう。掘った墓の上でどんな悲劇が演じられているかが見るべきものとなっている。弔辞を読むものは、胸が張り裂けんばかりの様子を示して、言葉をのどにつまらせる。

古代の人々がこれを見たら私たちを哀れむことだろう。そしてこう考えるに違いない。

『なんということか。これでは全く、会話が悲しみを慰めることにならない。人生のための導師なんていうものじゃない。悲劇役者でしかない。悲しみと死の教師に過ぎない』

そして、野蛮な「ディエス・イレ」(お葬式で使うミサ曲)についてはどう思うだろうか。そこで歌われる曲を、古代の人々は、悲劇に属するとして受け入れはしないだろう。『なぜなら』と彼らは言うに違いない。『人を落ち込ませる受難の光景を傍観できるのは、自分がその受難とは関係のないときだけだ。それはそれで、自分は受難を逃れているという一つのよい知らせだ。だが、受難が自らの身に降りかかるときは、私の義務は次の通りだ。毅然とした態度をとり、生命を確りとつかまえること。敵に直面する戦士のように、自分の意志と生命を結びつけて不幸に立ち向かうこと。そして、死者については最大限の友情と喜びの思い出を持って語ること。以上のようなことだ。ところが、あの人たちは絶望の涙にくれているだけだ。もし死者たちがこれを見たら、死者たちは恥じ入ってしまうだろう』

そうだ、坊さんたちの虚言をしりぞけた後に、私たちは毅然として生命と共に歩まなくてはならない。悲劇的に飾り立てた言い回しによって、私たちの心を引き裂いたり、それを他人にまで及ぼして、他人の心を引き裂いたりすることがあってはならない。気をつけるべきは、全ては繋がっていることを知ること、人生の様々な災いに遭遇したとき、それを悲劇的に誇張して周りに演技してはならないということだ。最も重要なのは、他人に対しても自分に対しても優しく親切であること、ひとが生きることを助け、自分自身が生きることも助けること。これこそ真の思いやりである。親切とは思いやりである。愛とは喜びなのである。
(アラン「幸福論」)

アランの幸福論は、にゃんこと通じるところがあると思いますね…。僕も含めて、猫好きが猫を飼うのは、猫のごきげんな幸せそうな姿を見ると、見ているこちらまで幸せな気持ちになってくるから…。アランが言うのもこれと同じことです。アランの述べていることは、みんなが口々に「不幸だ悲劇だ」と叫んでいる世界では誰も幸せになれない。そうではなく、幸せになるために行動して、そして幸せと出会ったら、それを他の人にも見せたり分けたりしてあげなさい、幸せを独り占めするのではなく、自分も幸せになりみんなも幸せになれるように行動して、世界に幸せを広げてゆく、それが幸せの絶対量を世界に増やしていく、世界をより良きものとしていくんだよ、ということです。

アランの考え方はいわゆるゼロサムゲーム的な考え方(世界は有限の競争でありパイの奪い合いだとする考え方)とは全く対極にあります。『世界は本当は充分に豊かである。人々が行動によってその豊かさを人々に広げてゆくようにすれば、人々は豊かになり幸せになれる』という考え方をアランはしていました。ここが『楽観主義の哲学者』として有名な所以です。

アランは、その本来の意味での行動の人です。「行動家として行動しつつ思索せよ。思索として思索しつつ行動せよ」はアランの好んで口にする言葉であるとともに、またアランの思想の中核を示すものであることは、本書「幸福論」のどのページを開いても、ただちにわかることです。

幸せなら手を叩こう、幸せなら態度で示そうよ。こういう歌が1963年前後の日本に流行しました。いまのところ、この歌のよしあしはともかくとして、アランの「幸福論」の思想を一言でつくせと言われるなら、この歌をもじって、幸せになりたければ手を叩こう。幸せになりたければ、幸せな態度を示そうよということになります。つまり、幸せを意欲する、意志するならば、幸せな人の態度をとりなさいということです。そうすれば、あなたの周囲の人はそれに影響されて、ちょうど太陽に微笑みかけられた花のように、微笑みかえしてくれるだろう。そのことによって、逆にあなた自身が、今度は本当に幸せになることだろう。

「われ幸せに行動す、ゆえにわれわれは幸せなり」というわけです。

一見こどもだましのように見えるこの思想が、じつはどんなに切なく厳しい人間体験から発したものであることか。どんなに深い人間愛に支えられていることか。そしてまた、性懲りもなく戦争を起こして他人の幸福をねこそぎにしてばかりの歴史を繰り返してきた人類への、どんなに熱い平和への思いの祈りにみちていることか。それは、身に覚えのある、つまり不幸のどん底を体験してきたことのある人々にしか、わからないことです。

アランの「幸福論」は、幸福でありたいと意欲する、意志する人々のための書物です。つまり、現在不幸である人々のための書物です。幸福とはなんであろうか、などとくわえ煙草でのんびりと考えるレジャーを楽しんでいる人々のためのムード的幸福観念論ではありません。歯が痛い人にとって一番大切なことは、歯が健康であるとはどんなことかを説いてもらうことではなくて、治療の仕方を教えてもらうことです。そして痛む歯を治療することです。この意味において、アランは何よりも行動人であるわけです。

幸福とは、まず意欲であり、意志です。幸福とは何であるかは、なかなか規定しにくい。幸福になろうという意欲と意志がなければ、幸福はありえない。平和を意志し意欲しなければ、世界の平和がありえないのと、全く同じです。しかし、平和を意志し意欲しただけでは、世界になかなか平和にならないのは、皆さんが現実に見ていらっしゃることだし、また人類の歴史が無数の痛恨とともに語ってきたことです。それでは、さらにどうしなければならないか。

このさらには、おそらく読者一人一人が、改めて現実に考えなくてはならない問題です。そこまで読者を突き動かす書物こそ、良書なのではないでしょうか。そして、このアランの「幸福論」は、そういう書物の一つなのです。
(宗左近。アラン「幸福論」解説)

幸福論 (角川ソフィア文庫)
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