2011年09月26日 18:08

ボーム・クリシュナムルティ対談集「時間の終焉」。超光速通信のジョーク解「でっかい棒による超光速通信」。

時間の終焉―J.クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対話集

理論物理学者デヴィッド・ボームと哲学者J・クリシュナムルティの時間と宇宙に関する物理学的かつ哲学的対談集「時間の終焉」を読了。面白かったですね。物理学という唯物的な立場に立って論じているボームと、哲学というある種の観念的な立場に立って論じているクリシュナムルティ(彼自身はボーム以上の唯物論者です)が両者とも「時間とは精神作用の中においてのみ存在する想像の幻影である」という立場に立っているのは面白いなと思いましたね。これは考えたら至極当然の当たり前のことで、常に世界には「刻々と変化する現在」しかなく、「過去」も「未来」も、双方とも人間の精神活動(思い出や予想)の中にしかない想像上のもの(ボームいわく「脳の中で起こる物質的過程」)ですからね。そしてそれ自体もクリシュナムルティが指摘するように現在起こっている物質的過程としてある。過去も未来も全ては「変化する物質の現在」の中にある。「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし」(方丈記)

クリシュナムルティ
「いかなる思考の運動も物質的な過程であるとしかいいようがありません」
(デヴィッド・ボーム、J・クリシュナムルティ「時間の終焉」)

かなり難しい本ですが、ボームもクリシュナムルティも理性的な唯物論を肯定しているので(唯物論は、物質の基盤を持たない観念的・超常的なものは実在せず、世界は全て物質の構成と変化によって形成されていると考える論)、唯物論者である僕としてはとても親しみやすい対談集でした。特に面白いのは、物理学者のボームよりも、哲学者のクリシュナムルティの方がより強く唯物主義的な立場の唯物論者で、唯物主義者の僕としてはクリシュナムルティにより大きな共感が沸きましたね。時間というのは人間の想像の中にしか存在しないというのは、普段は見過ごしているけど、考えれば当たり前のことであって、その当たり前のことに気づかせてくれるというのは、流石は20世紀を代表する物理学者と哲学者と思いました。読んで良かったと思える読み応えのある本です。クリシュナムルティは非科学的なオカルトを唯物論の立場から一刀両断にしていて、読んでいて爽快ですね。ただ、日本語翻訳がかなり分かり辛い文章なのが、少し残念ですね…。

クリシュナムルティ
「唯物主義の本質とは何なのでしょう?」

ボーム
「まず第一に、唯物主義とは哲学の一学派です」

クリシュナムルティ
「私はそれを哲学的にでなく、実際的に探求したいのです」

ボーム
「唯物論によれば、宇宙の本質は物質で、これだけが真の存在なのです」

クリシュナムルティ
「この宇宙の中の自然も全ての人間も物質的に反応するということです。が、人間の場合は、その反応は思考によって維持されるのです。そして思考は物質的過程です。ですから、あらゆる反応はまさしく物質的な応答なのです」

ボーム
「『物質的な』という形容詞はあまり適切ではないと思います。反応は『物質の』応答だという方がいいでしょう」

クリシュナムルティ
「『物質の応答』ですね。では、そのように言うように致しましょう。その方が分かりやすいですね」(中略)

クリシュナムルティ
「思考は物質的過程だと思われますか?」

ボーム
「それは物質であるが、同時に物質を越えた何かだと反論する人々(非物質の霊性の存在を主張する観念論者)がいるかも知れません」

クリシュナムルティ
「それは知っています。それについては以前話し合い、そうではないといいました」

ボーム
「そのことを明確にするために、要点を簡単にいうことができないでしょうか?」

クリシュナムルティ
「いかなる思考の運動も物質的な過程であるとしかいいようがありません」

ボーム
「が、その言明を何の根拠もなしに権威づけないように、その理由を具体的に説明しなくてはなりません。観察してみれば、思考が物質的な過程であることが分かるのかも知れませんが、なぜそうだと分かるのでしょう?」

クリシュナムルティ
「どうしたら思考が物質的過程だと気づくことができるのか?それはかなり明白だと思います。何らかの経験や出来事があると、それが記憶され、知識となり記憶されます。そして、物質である脳の中に記憶された知識から思考が、次いで行動が起こるのです」

ボーム
「それゆえ、思考は物質的な過程であるわけです。それは依然として、記憶された知識という古い背景からでてくるわけです。ですから、新しいもの(新しい思考・新しい行動)が出現するとしたら、それはこの過程の一部からではないということですか?」

クリシュナムルティ
「そうです。新しいものが出現するためには、明らかに、物質的過程としての思考という古いもの(過去の思考)が(既に経験された古いものとして)終らなければならないのです」

ボーム
「が、その新しいものは、出現した後には、(それ自体が経験された古いものとして)思考を使うことができるわけです」

クリシュナムルティ
「(経験された後では経験したものを使うことができる、経験の)その後では、使うことができるのです。が、物質的反応としての思考がどう動いているか見てみると、作用から反作用が、反作用から作用が起こるというように、思考の運動の全ては物質の運動と同様であることがわかるでしょう」(中略)

クリシュナムルティ
「精神(mind)とは、感情、思考、意識、脳をひっくるめたものなのです。その全てが精神の中身なのです」

ボーム
「『精神(mind)』という言葉は、多くの意味を込めて使われてきました。そしてあなたは、ある特定の意味で、つまり、思考、感情、欲望、意志などの全てを物質的過程とみなし、それらをひっくるめたものが精神であるとしている」

クリシュナムルティ
「ええ、そういった物質的過程をひっくるめたものです」

ボーム
「ところが、それら(mind)を(人間の精神は非物質的な霊的なものであるとする)人々は非物質的なもの(no-material)と呼んできたのです」

クリシュナムルティ
「そのとおりです。しかし、実際には精神は思考等々の物質的過程をひっくるめたものです」

ボーム
「それは、脳と神経の中で進行している(物質の)過程だと」

クリシュナムルティ
「そういった全ての構造物の中の内側で」
(デヴィッド・ボーム、J・クリシュナムルティ「時間の終焉」)

日本人で唯物論者の僕から見ると、ボームもクリシュナムルティも至極当たり前のことを述べているとしか見えないのですが、二人とも『俺達は今、常識をひっくり返すとんでもなく凄いことを語っている。世界には物質しか存在しない!!非物質の霊魂なるものは存在しない!!人間の精神活動とは肉体が生み出す物質的反応だった!!』と力強く熱を込めて語っていて驚きます。なんといいますか…基本的に無宗教国で科学に最大の信を置いている日本から見ると、世界は物質の反応で構成されているという唯物論は科学的に当たり前のことですが、キリスト教(観念的な宗教)に価値観を支配されており、なおかつ共産主義に対して強烈なアレルギーを持つ西欧諸国では、『人間は物質を越えた霊的存在』という宗教的価値観が当たり前の価値観であり、その非科学的な風潮に対して、科学的な唯物論を唱えることは、大変なプレッシャーのようですね…。西欧社会において、科学者や科学的立場に立つ哲学者の人々は軋轢が大変だなあと思いました…。

あと、先日からお伝えしております「超光速ニュートリノ」の記事を読んでいて思ったのですが、今まで絶対の壁と考えられていた光速の壁が破れたとしたら、超光速通信のジョーク解「でっかい棒による超光速通信」が可能になったということですね(^^;

ウィキペディア「超光速通信」
棒による通信
どんなに力を加えても一切変形しない、極めて長い棒を星と星の間にわたして、その棒を押したり引いたりすることでモールス信号などの形で情報を送る。これは直感的には、たとえば一光年の長さの棒があれば、この棒を押すことで一光年先でも瞬時に情報を送ることができるように見える。(中略)

いずれにせよそのような棒の片側が押されたと言う情報(一つの出来事の物理的影響の伝播)自体が、全て光速を超える事がないと言うのが(光速の壁を絶対とする)相対論の結論であると言う事である。仮に無限に近い負荷をかけても、破壊も弾性変形もしない理想的な棒であっても、"時空自体の実際的な歪み(光速の壁)"の影響で伸縮してしまい、ちょうど光速にしかならない。

仮に、空気中の音速に比べて水中の音速が速いようにして真空中の光速に比べて棒の片側が押されたと言う事実が棒のもう片側に光速より速く伝わるのだとしたら、その棒自体が理想的物体ですらなく、SF的な空想の産物であり、また超光速の媒質で構成されている事となり他の架空の超光速通信の手段と何ら変わる所がない。

よって、いかなる非現実的な剛体の棒でも超光速通信は出来ない。概念上のまっすぐな棒とは、物理的に見ると超光速で湾曲と伸縮を繰り返す棒の事である。

この「でっかい棒通信」は、直感的に凄く分かりやすい超光速通信です(百万光年の大きさがあるでっかい棒が動けば、瞬時に百万光年先に情報伝達できる…ように感じられる)。しかも、そんな超光速物質のでっかい棒は存在しないとか色んな重力の影響があるからでっかい棒を作るの無理とかそういう答えを除いた純理論的には、なぜこの方法で超光速通信できないのか説明しづらい。時空が光速度以上の速度を出せないようにひん曲がっているから、棒もその動きに束縛されるとしか、説明ができないのですね…。まあ要するに今までは「光速の壁があるから無理なんだ!!」としか純理論的な説明ができなかったのが、今回、もし本当に光速の壁が破れて、光速の壁が絶対ではないということになれば…。

地球
「本日午後五時からでっかい棒を押して百万光年先のネオ地球に超光速通信を行います。棒の周りの宇宙船は退避してください」


みたいな展開が。このでっかい棒の話はジョークですが(でっかい棒の現実性は皆無です)、今回の超光速ニュートリノ発見によって、これまでの宇宙物理学の前提であった「光速度の壁」が破られるとすれば(未来から過去に飛ぶ超光速粒子に干渉できるとすれば)、今まで不可能とされていた理論に可能性が出てくるわけでして(特にタキオン通信に期待!!)、実にワクワクしますね。

ウィキペディア「超光速通信」
タキオン通信
1960年代にジェラルド・ファインバーグが提唱した超光速の仮想粒子であるタキオンを用いた通信。正の質量を持つ通常物質(ターディオン)は常に光速より遅い速度で飛び、光速に達するためには無限大のエネルギーが必要なので、絶対に光速の壁を破ることはできないが、静止質量が虚数とされるタキオンは逆に常に光速より早く飛ぶことができるとされる。タキオンはエネルギーを加えられるにしたがって減速して光速に接近するが、決して光速より遅くはなれないという、通常物質とは逆の意味での「光速の壁」が存在する。

ただし、タキオンは未だ仮想上の存在であり、実際に検出されたという有力な報告はないため、まだ夢の通信技術である。また、たとえタキオンが実在したとしても、仮に通常物質とは一切干渉しないとしたら、観測すること、通信することは不可能なのではないかとも考えられる。(中略)

タイムマシンによる通信
同じく時間を遡るタイムマシンが可能であれば、たとえ光速より遅い速度で情報を運んでも、目的地へ到着する前に時間を遡れば、結果的に超光速で情報を運んだことになる。この方法だと過去へ向かって情報を送ることも可能となるので、因果律が崩壊する危険がある(タイムパラドックス)。しかし、超光速通信が可能であれば、過去への通信が可能となり、因果律はいずれにせよ崩壊する。

時間の終焉―J.クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対話集
時間の終焉―J.クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対話集

確実性の終焉―時間と量子論、二つのパラドクスの解決
確実性の終焉―時間と量子論、二つのパラドクスの解決

皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則
皇帝の新しい心―コンピュータ・心・物理法則

ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ
ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ

私は何も信じない―クリシュナムルティ対談集
私は何も信じない―クリシュナムルティ対談集

方丈記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
方丈記(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

ねこ耳少女の量子論~萌える最新物理学~
ねこ耳少女の量子論~萌える最新物理学~

アマゾンOTAKUストア
TVゲーム総合ストア
アニメーション総合ストア
漫画コミック総合ストア
ホビー・フィギュア・トレカ総合ストア
食品&飲料総合ストア
ペット用品総合ストア
電化製品・家電製品総合ストア
パソコン及び周辺機器・消耗品総合ストア
PC18禁ゲーム総合ストア
amazon液晶テレビ総合ストア
クラシック音楽ストア
アマゾンギフト券ストア
アマゾントップページ





Archives
livedoor プロフィール

ねこねこ

記事検索
  • ライブドアブログ