2011年05月21日 11:39

アンサイクロペディア「宇宙因果律演算装置」面白い。猫撫ディストーションと強い人間原理。小林泰三と量子論ホラー。

猫撫ディストーション
amazonエロゲストア
小林泰三著作一覧

今、このエントリ書いてたら、CRTモニタ(ソニーの17sf9)がバチってなって画面がゆがんで、画面が全部黄色くなってしまいました…。物凄く困ったです…。もし、ギフト券を贈っていてくださるお方々いらっしゃいましたら、モニタが購入できて、とても助かります…。

アンサイクロペディアの「宇宙因果律演算装置」の項目が面白いです。決定版人間原理(観察者を人間とは限らない人間原理説)の立場で、究極的な観察者(最初から確定されている原初観察者)を宇宙構成の基底として想定する設定がちょうど今プレイしている猫撫ディストーションっぽいですね。

暇つぶしアンサイクロペディア「宇宙因果律演算装置」
(本家アンサイクロペディアの本項目にはグロ画像があるので、画像が省いてあり文章のみで軽量の暇つぶしアンサイクロペディアの方にリンクします)
宇宙因果律演算装置(うちゅういんがりつえんざんそうち)とは神の気まぐれ(≒中二病)が作り出した「なんでもツクール」システム『First Life』のサーバーの役目を果たす計算機である。計算機といっても電気で動いている訳ではなく、どちらかというと結合組織の膜の上に配置された内臓が血管や神経で接続された蠢く肉の塊に近い。これを構成していると同時に動作させているものは、無数の7つの次元を幽閉した閉じた紐の振動である。

10次元ないし11次元の世界に存在し、人類の間では惑星一個単位から星団レベルを受け持つ複数の宇宙因果律演算装置が存在しており互いに接続されているという説が有力である。

これ自体は究極のカオスであり、宇宙そのものとも言える。外からエネルギーを加えずとも自律的に内部の環境を変化させ半永久的にエントロピーを増大させ続ける計算をこの装置自体で行う。

一部の人間から「アザトース」と呼称される乱数発生装置(装置内でブラックホールに擬態している)に接続した因果律計算結果を伝えるエーテルまたはニュートリノの流れ(一部の人間は「ヨグ=ソトース」と呼ぶ)がダークマターとして知られる基質(一部の人間が「シュブ=ニグラス」と呼ぶ)に照射されることで内部に素粒子の挙動が定義され、万物の構成が自律的に進行する。

その結果、人類の使用する計算機とは異なり、内部に定義されたもの全てがCPUにも記録装置にもなりうる。そのパターンの自動生成の自由さを理解するには、現在やっと人類が開発に手をつけようとしているニューロコンピュータをイメージしてもらうと丁度よい。

演算結果の全てを装置の観察者は一瞬にして全て把握することが可能だが、装置の演算システム上で生じた知的生命体が装置の外の環境を知ることは決してできない。もし人類がこの装置の真の姿を知れば一瞬にして思考能力が崩壊することになるが、この宇宙の中にいる限りそれは決してありえない。

これを開発したのはヤハウェとも梵天ともソピアーとも空飛ぶスパゲッティ・モンスターとも言われている。彼らはそれぞれ異なる宇宙因果律演算装置のユーザーかもしれないし、同一神格によるソックパペットや中の人がいない寝マクロかもしれない。いずれにせよ演算結果に過ぎない我々が真実をはかり知る術は全くない。

ちょうど今、量子論と人間原理がテーマのSFゲーム「猫撫ディストーション」をプレイしているので、上記を読んでいて猫撫を思い出しましたね…。猫撫のテーマは「不確定な量子的ゆらぎを不確定な量子的ゆらぎの存在が確定させることはできない。確定している知的存在=観測者のみが、不確定な存在を確定できる」というものです。強い人間原理の考え方ですね。猫撫の世界観は世界(自分が世界内存在であること)を認識できる人間だけが、観測者として確定できるという強い人間原理の立場に立っているので、主人公に主人公を幸せにする観測者になることを願われた猫のギズモは人間にならざるを得なかったのです。

宇宙に人間が現れたのは、奇蹟的な偶然である。この偶然を説明するために科学者が持ち出した仮説が、人間の存在から宇宙を説明する人間原理である。ビッグバンから人間の存在を導こうとすると、奇蹟のオンパレードになってしまうが、人間の存在から宇宙の現状を導こうとすると説明に必然性が出てくる。ただ科学者は原因から結果を説明する因果論的説明に慣れているので、結果から原因を説明する目的論的説明に反発する科学者も少なくない。

人間原理には弱い人間原理と強い人間原理がある。前者は、「宇宙の年齢は100億年以上である。なぜなら、主として重元素からできている太陽系や人間が存在するためには、宇宙の開闢当時存在しなかった重元素が星の内部で合成され、それが星の爆発によって外部に放出され、そこから太陽系ができるまでに100億年以上かかるからだ」といったもので、常識の範囲内である。

強い人間原理はもっと過激である。宇宙の存在は人間のような知的生命の認識にかかっており、もし宇宙に知的生命がなかったとすると、その宇宙の存在は認識されないのだから、存在しないも同然であるとまで主張する。こうした「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という主張は、自然科学者にとっては奇妙に思えるかもしれないが、哲学者にとってはおなじみの超越論的観念論である。
(永井俊哉「人間原理とはなにか」)

強い人間原理の考え方を敷衍すると、宇宙の始まる前(勿論、人間の誕生する前)、量子的にゆらいでいる可能性の海が永遠に続いている不確定なものであれば、どこかでそれを確定させて確定的な世界を始めたものがいた、宗教的な概念とは違いますが、宇宙を始めたということで言えば、神と言ってもいい(アンサイクロペディア風に言うと宇宙因果律演算装置)。「はじめに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった」。

ウィキペディア「神の存在証明」
20世紀後半以降、「人間原理」の概念が提唱されている。これには「弱い人間原理」と「強い人間原理」があるが、とりわけ強い人間原理の思想的背景は、人間の現象の意味の根拠として、「神の存在」を論証していると解釈することも可能である。

で、猫撫の世界は、再び世界が量子的ゆらぎの可能性の海に戻ってしまっている。主人公だけが、確定しているので、ゆらぎの世界において唯一確定した存在である主人公の観測で、不確定なゆらいでいるものが確定していくという物語です。僕は強い人間原理の立場を取っていませんが(僕は強い人間原理は、科学的には意味のない観念的な宗教論だと思っている)、ただ、SF、コズミックホラーのテーマとしてはとても魅力的で面白いですね。強い人間原理は、一般物理の範疇を超えて、超常的に人間を超えた次元の違う存在と、人間との関わりを科学と絡めて描くことができますからね。

「人間原理」という説があるのを知りましたこれは、どれくらい認められている説
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1016557025
平たく言えば「強い人間原理は到底科学とは相容れない宗教である」と言う事です。
人間による主観的観測を基礎においている強い人間原理は、客観的観測と実証を基礎とする科学とは「全く相容れない」と私は考えます。
何よりも「強い人間原理」では反証の可能性を残しませんから、全く以て宗教です。

強い人間原理はキリスト教の影響が大きく、どうしても目的論(秩序を持った神の創造論)と結びついてしまいますが(強い人間原理は人間的意志と観察による確定を結びつけるため)、最近の量子論の研究だと、量子論的に捉える宇宙は目的も決定論的運命も存在しない意味的な理解を絶したカオス(混沌)であるという考え方の方が主流であるように思います(動物達の見たものもビデオカメラの記録もクレーターの跡も、あらゆる事象はなんでも相互に無目的に軌跡を観察確定している、そこに人間の観察のみを意味付ける意味はない。イリヤ・プリゴジン「確実性の終焉」、前回紹介した猫撫の永劫回帰お母さんシナリオも最後はここに達していました)。そう見ると、理解を絶した超次元的存在の混沌の塊アザトースが中心にいるクトゥルフ神話と最新量子論は相性が良いように感じますね。量子論クトゥルフホラー書き続けてきた小林泰三さんは流石の慧眼です。

一部の人間から「アザトース」と呼称される乱数発生装置(装置内でブラックホールに擬態している)に接続した因果律計算結果を伝えるエーテルまたはニュートリノの流れ(一部の人間は「ヨグ=ソトース」と呼ぶ)がダークマターとして知られる基質(一部の人間が「シュブ=ニグラス」と呼ぶ)に照射されることで内部に素粒子の挙動が定義され、万物の構成が自律的に進行する。

さらに別の分派(無限大派)はC(Cthulhu)を時間的無限大に位置する究極観測者の探査針だと主張していた。彼らはまた強い人間原理の信奉者であった。この宇宙の遺伝子とも言える様々な物理定数――光速度、プランク定数、素電荷、重力定数、空間の次元数等――が、ほんの僅かであったとしても、我々の知る値からずれていたとしたら、人類が存在できなかったことは簡単なシミュレーションで証明できる。ではなぜ、この宇宙は我々のためにしつらえたような物理定数を備えているのか?

弱い人間原理はこう説明する。それはたまたまそうなったのだと。例えば宝くじに当たった人は宝くじの幸運に何かの原因を求めるかもしれない。しかし、それは偶然に過ぎないのだ。宝くじに当たるなどという幸運が偶然で説明できるとは思えないかも知れないが、それはあとづけの考えなのだ。そもそも宝くじに当たっていなければ、なぜ宝くじに当たったのかという疑問は発生しない。もしこの宇宙の物理定数がずれていたならば、問いを発する人類そのものが存在しなくなる。人類が発生している宇宙の物理定数が人類の発生に適しているのは不思議でもなんでもない。

だが、強い人間原理の支持者はそれとは違う考えを持っている。宇宙は人間が観測することによって、まさに正しい物理定数を獲得することができたのだ、と。二十世紀に生まれた量子力学は観測問題というある種哲学的な命題を科学者達につきつけた。誰も観測していない状態ではどのような現象も不確定な波の形でしか存在できず、人間の観測という行為があって、具体的な現象になれることが示されたのだ。つまり箱の中にいる猫の生死は確定しておらず、蓋を開けた瞬間に決定されることになる。人間原理の信奉者達はこの解釈を宇宙開闢時点の物理定数決定過程にまで拡大した。つまり、人間が宇宙観測することによって無限の可能性の中から人間が生存を許されるこの宇宙の姿が確定したと考えるのだ。

Cのことを知った人間原理主義者たちはさらにこの考えを押し進めた。過去の宇宙が現在の人類の観測によって確定したのなら、現在の宇宙は未来の何ものかの観測によって確定したのではないか。そして、その未来の宇宙はさらに未来の何かの観測によって確定したのではないか。こうして原因を追究していくと、ついには時間的無限大に位置する究極観測者の概念に達する。それは最終観測者であり、それ自身は何ものにも観測されることはない。それが観測することにより、この宇宙の過去・現在・未来が無限の可能性から選び取られ、確定した。

人間が光子や電子やフォノンを介して観測を行うように究極観測者も何かの探査針を使って観測を行い、この宇宙と相互作用しているはずだ。時間的無限大から来る探査針の作用はとてつもなく増大されているだろう。おそらく、Cはその探査針の役割を担っているのだ。全時空間に広がっているその特性を説明する解釈は他にない。(中略)

もしそれを観測することができたのなら、それは究極観測者ではありえない。観測したあなたが究極観測者だということになってしまう。究極観測者はむしろA(Azathoth)の属性ではないか。それに対し、無限大派は反論した。確かにAは究極観測者だろう。だが、我々はCを究極観測者だと言っているわけではない。我々とAの間に存在し相互作用の橋渡しをする媒体こそがCだと言っているのだ。究極観測者はそうやって全時空領域を観測する。つまり、全時空領域と相互作用するのだ。Aと相互作用する全時空領域はAに対するという意味合いにおいて、Y(Yog-Sothoth)そのものである。そして、我々もまた、Yの一部なのだ。
(小林泰三「C市」「脳髄工場」より)

貴方は全ての物語の間に因果関係を持ち込んで理解しようとしている。でも、そんなことは何の意味もないのです。限られた理解力しか持たない我々の脳が、あまりにも複雑な世界に対面した時に、壊れてしまわないために脳自身が設定した安全装置――それが因果律なのです。我々が理解している世界は幻想にすぎないのです。そして……われわれ人間はその幻想なしには生きていけない。

しかしっ!私は因果を超えた世界に住む存在を垣間見たのです。それは一個人の間に閉じ込められていないのです。その存在は時に人間であることもあります。それとも、そう見えるだけなのでしょうか?とにかく、それは全ての時間に存在します。不老不死だというのではありません。誕生とか死とかには無関係なのです。時間の中に広がっている、そんな存在です。
(小林泰三「酔歩する男」「玩具修理者」より)

参考作品(amazon)
小林泰三著作一覧
玩具修理者 (角川ホラー文庫)
脳髄工場 (角川ホラー文庫)
目を擦る女 (ハヤカワ文庫JA)
猫撫ディストーション
amazonエロゲストア

amazonオタクストア
amazon浄水器一覧(ホームアンドキッチン)
食品・飲料ストアミネラルウォーター
amazon食品ストア
ペット用品ストア
アニメ総合一覧
まどか☆マギカ関連書籍
魔法少女まどか☆マギカブルーレイ・DVD
amazonまどか☆マギカ関連商品一覧
魔法少女まどか☆マギカ関連グッズ一覧
クラシックストア
ミュージックストア
amazonオタクストア
amazon食品ストア
ペット用品ストア
家電製品ストア
パソコン及びPC周辺機器ストア
TVゲームストア
amazonエロゲストア
amazonギフト券ストア

amazonトップページ




Archives
livedoor プロフィール

ねこねこ

記事検索
  • ライブドアブログ