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現代日本を代表する作家の一人、赤川次郎さんが、本日、朝日新聞夕刊に連載しているエッセイ「三毛猫ホームズと芸術三昧!」の中で、「秘められた毒 芸術のつやに」という文章を書き、石原都知事の表現規制に対する姿勢と差別発言、そして差別発言を黙認するマスコミの姿勢を強く激しく批判しています。引用してご紹介致しますね。

赤川次郎「三毛猫ホームズと芸術三昧!」

秘められた毒 芸術のつやに

歌舞伎座のあった場所が、今は何もない空間になっているのを、前を通って目にするたびに、とても奇妙な気持ちになる。どんどん風景の変わっていく東京の中で、やはり歌舞伎座はユニークな位置を占めていたのだと改めて感じるのである。その一方で、あまり伝統芸能と縁のなかった日生劇場、ルテアトル銀座などで、歌舞伎が様々な不便をしのびながら上演されている。昨年12月の日生劇場は、「摂州合邦辻」の通しと、舞踏「達陀」の組み合わせで、昼夜同じ。(中略)

母の息子への恋情、というテーマの「摂州」は、これが実の母と息子なら、ギリシャ悲劇の「オイディプス王」の日本版となるところだが、こちらは、義理の母で、しかも、結末では、「実は違う意図のあってのこと」だったと説明され、また歌舞伎おなじみの「この日の生まれの女の生血」で息子の病が全快という話になって、少々がっかりする。

しかし、書かれた当時、世間に受け入れられるには、必要な妥協だったのだろうし、少なくとも義理の息子に寄せる思いが「本物」でなければ、成り立たない話でもある。

単なる「忠義」や「孝行」といったお題目を裏切る「秘められた毒」こそが芸術のつやになるのだ。

もともと歌舞伎ならではの女形というもの自体、男が女を演じてみせるところに一種の「危うさ」を秘めている。また「三人吉三」など、明らかに「男の友情」を超えた恋愛感情に達している。

そういえば、先日石原都知事が同性愛者について、「やっぱりどこか足りない感じがする」と発言するのを聞いて唖然とした。こと芸術の世界に限っても、同性愛の人々がどんなに大きな役割を果たしてきたか。

さらに私が驚いたのは、この差別発言を批判するマスコミがほとんどなかったことだ。相撲に勝った横綱がガッツポーズをしただけで「品格がない」と文句をつけるのに。「品格」を求める相手を間違えてないか。「品格より力だ」というなら、ナチスドイツが同性愛者を弾圧したのと、全く同じ発想である。

文豪トーマス・マンは75歳のとき、たまたま泊まったホテルの若いボーイに激しい恋心を抱いて苦しんだ。マンを敬愛していたルキノ・ヴィスコンティも同性愛者だった。「どこか足りない」のは、発言した当人の方であろう。
(朝日新聞2011/01/13夕刊)

三毛猫ホームズと芸術三昧

(上記画像クリックすると、拡大して読めます。)

僕は上記の赤川次郎さんの文章に全面的に同感です。僕は赤川次郎さんのファンで、赤川さんの作品、エッセイ集も含めて、沢山読んでいますが、赤川次郎さんが現実の事象に対してこれほど怒っている文章を書いたのを初めて見ましたね…。赤川次郎さん、誰かを論難するような文章は、普段は決して書きませんから…。赤川さんは本気で怒っていらっしゃって、そしてその怒りは、十二分に正当性のある怒りだと思います。僕も心から同感です…。

僕は昔から美少年作品がとても好きでして、美少年、そして少年愛・同性愛を主題とした作品は色々読んできたんですね。優れた古典的作品を集めた書物の王国の「美少年」「同性愛」の巻など、とてもお勧めです。同性愛と芸術はもともと切っても切り離せないものでして、古くは古代ギリシアに遡ります。イデア、完全なる至高への志向として「同性愛」と「芸術」は共にあるものとされ、両方ともイデアを根源とし、イデアの近くにあるものとして、切っても切り離せない関係を築いてきました。キリスト教が同性愛を弾圧してからも、この同性愛と芸術との深い関係性というのは、地下水脈のように、ずっと続いてきたものなのです。それらは、遥か古代から現代に至るまで、様々な芸術作品に、深く影響しています。

そして、同性愛への禁圧が強まる時期や場所(中世やナチスドイツ、ソビエト統制下諸国等)では、芸術は衰退し、逆に、それらが自由になる時期や場所(ルネサンスや自由主義ヨーロッパ、アメリカ諸国等)において、芸術は繁栄を迎えました。日本の芸術は、歴史的な流れで見れば、弾圧による衰退の方向性に向かっていると言わざるを得ません…。また、石原都知事の述べた同性愛差別発言について、稲垣足穂は、アンドレ・ジッドを引用し、同性愛嫌悪差別は実は異性嫌悪差別と表裏一体のものであり、最悪の差別感情であると述べていまして、僕も同感に思いますね。

同性愛には(古代ギリシアの)アルカディアの日光と牧歌のメロディが溢っている。(中略)

「アテネの衰微は、ギリシア人が練武場に通わなくなったときに、即ち男色が女色に敗北したときに始まる。それはちょうど異性愛がエゥリピデスの芸術中に勝利を占めた時でもある。また、異性愛とその補足物の女性嫌悪が勝ち誇った時期にも当る」

「女性嫌悪とはまただしぬけだな」

「そもそも女性崇拝は少年嗜好から出ている。したがって、ソフォクレスの劇やシェークスピアに現われた讃美すべき女性や処女も、また男色趣味のおかげを蒙っている。で、女性崇拝が少年嗜好に伴って起るのと同様に、女がいっそう広く欲望の対象となれば(異性愛のみが標準とされ同性愛が排除されることで)女は以前ほどに崇められなくなる。

――芸術隆盛の時代、ペリクレス期、アウグスツスの時、シェークスピアの時代、ルネッサンス、ルイ13世期、ハフィズの世、こういう(芸術隆盛の)時には男色は明らさまに堂々と正面におし出されてくる。男色の隠れている時代と場所が、即ち芸術のない時代、芸術を忘失した所だと云ってよい」

<少年を愛する者はその相手を徳高きものにしようとつとめ、こうして同性の愛人を持たなければ(少年の徳を導き高めなければ)立派な市民ではない>(リュクルゴス)
(アンドレ・ジッド、稲垣足穂「ジッドの少年愛論」「南方熊楠児談義」より)

(プラトンの著書では)「永遠」(イデア)という概念がでてきます。恋愛とは永遠への憧れ、不死への憧れであると。これはタクティクスのPCゲーム「ONE 輝く季節へ」の話ではありません。プラトンの著書の話です。(中略)「萌えをつきつめれば最終的にショタに至る」とは濃いオタクの間で常々言われていることですが、すでに萌え哲学の元祖と言うべきプラトンが、萌えの最終形態がショタだということを「饗宴」において示唆しているわけです。
(本田透「喪男の哲学史」)

最後に余談として、僕が一番最近(今年)やった同性愛(少年愛)作品をご紹介致しますね。少年愛を主題にしたアドベンチャーゲーム「ベルダーシュ」です。とても丁寧に、真摯に少年愛を描いているゲームでして、とても良かったですね…。ベルダーシュは現在、有料ダウンロード販売サイト「DMM.R18」と「アキバイン.com」で発売中です。

男の娘ソフト「ベルダーシュ 僕と私の逃避行」公式サイト
http://otokonoko-soft.skr.jp

本作は、強権的な父親の作る鋳型に嵌められて、なんでもいいなりの人形のように育てられてきた男の子が、生活に耐えられなくなって家出をするところから始まります。主人公は、女装した美しい少年に出会い、彼に拾われて一緒に暮らすことになり、強く自由な意志を持った彼にだんだん惹かれて行きます。しかし、そんな彼も時々かげりを見せる。彼もまた主人公と同じように、世間体の塊かつ強権的な父親に苦しめられ、同性愛や女装などのセクシュアル・マイノリティーの存在自体を否定し決して認めない、息子を自分の言いなりの人形のように育て上げようとする父親から逃げてきたのですね…。

そんな彼と主人公はいつしか恋人同士になり、クィア(セクシュアル・マイノリティ)な仲間から助けられながら、『強権的な父親の言いなりには決してならない』という、父権主義への決別の宣言を、二人の愛情の表れとして行う物語です。本作には明らかに、石原都知事の行った東京都表現規制の影響はあるでしょうね…。強権的な父親の振りかざす父権主義と同性愛・女装などに対する否定は、石原都知事とオーバーラップしますから…。

ベルダーシュ、良作です。女装や同性愛は、父権的な弾圧を受けても、愛し合う二人が女装や同性愛を認め合い肯定するなら、それは決して負けないんだという希望を持たす終わり方になっているところに、製作者さんの優しさを感じて、好きですね…。少年愛好きでゲーム好きなお方々はぜひプレイして見てくださいな…。

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