2010年12月27日 00:58

星新一「ほしのはじまり」、初収録エッセイ集「星くずのかご」。星新一さんが語る音楽の思い出とお勧め曲。

ほしのはじまり―決定版 星新一ショートショート

新井素子さんが編者としてセレクションした星新一さんの傑作選集「ほしのはじまり」をたった今、読了しました。星新一さんのショートショートを子供の頃から何度も読んでおり、読み返すのはこれで何度になるか知れませんが、何度読んでも楽しめますね…。星さんの愛弟子である新井さんが丹念にセレクトした作品だけあって、どの作品も星さんの作品の中でも秀逸なもので、全編心から楽しめる良書です。

そして、この本を読んでいて特に嬉しかったのは、単行本初収録の星新一さんのエッセイ集「星くずのかご」が収録されているんですね。このエッセイ、この本で初めて読みました。僕は星さんの大ファンで、星さんの本は片っ端から読み、星さんがお亡くなりになったときは、星さんの本になっている文章は全て読みつくしてしまったから、もう星さんの新しい文章は読めないんだ…と悲しく思っていましたが、それが良い意味で覆されてまして、初めて読む星さんの文章に出会え、とんでもなく凄く嬉しいなあと…。楽しいエッセイ集です。このエッセイを読めるだけでも、読んだかいがありましたね…。

このエッセイ集「星くずのかご」の中で、星さんが音楽への思い出を率直に語っているのも、音楽好きとして胸が暖かくなる嬉しいことでした。星さん自身も述べていますが、星さんが自身の音楽の趣味について語っているエッセイ、おそらく、これだけじゃないかな。抜粋引用してご紹介致しますね。

星新一「星くずのかご No.7 音楽について」

音楽について書くのは、たぶんこれがはじめてである。中学の時(昭和14-18)、醍醐忠和という友人がいた。いまでもつきあっている。私に名曲鑑賞なることを教えてくれたのが彼である。あと二人ほど仲間をこしらえ、日曜日に学校の音楽教室のプレイヤーを使わせてもらい、彼の持ってきたレコードを聞いた。そのころはプレイヤーなどとは言わず、電気蓄音機と呼んでいた。

ほかにたいした娯楽のなかった時代である。何回か続けているうちに、音楽とはいいものだなと思うようになった。最初に聞かされたのは、チャイコフスキーだったようだ。醍醐はそのファンで、とくに「悲愴」交響曲を絶賛していた。

そんなことがきっかけで、私も父母にねだってプレイヤーを買ってもらい、こづかいをためてレコードを買うようになった。友人達とレコードの貸し借りをするようになり、いろいろな名曲に接し始めた。シューベルトの登場する映画「未完成交響楽」も醍醐と一緒に見に行った。音楽会にも時たま行った。貸し借りをするレコードは交響曲が多かった。だれでもはじめは、そのへんからであろう。また、中学生の思考として、同じ値段なら大勢で演奏している盤を買った方が得だ、ということもあったようである。

ベートーベンの「田園」は明るくて楽しいし、「英雄」はいわずもがな、「第七」には躍動美があり、第八は小品である点が面白い。いささか疲れさせられるが、「第九」は名作である。しかし、「運命」だけは全曲を通して聞いたことがないのである。もちろん、あの発端の部分は知っているが、その先は知らないのである。友人が貸してやると言っても、断った。あまりに有名すぎることへの抵抗である。あまのじゃく的性格が、そのころからあったようである。今日にいたるまで、いまだに運命を聞かないでいる。こんな人間は珍しいのではないだろうか。

モーツァルト、ブラームス、「新世界」のドヴォルザーク。こういった名に接すると、反射的に中学時代を思い出す。レコード屋にすすめられ、ラロの「スペイン交響曲」を買ったこともあった。どんな作曲家かよく知らないが、いやに新鮮な印象を受けた。真紅のジャケットも美しく、友人達に課して好評だった。もっとも、これは性格にはバイオリン協奏曲である。

バイオリンやピアノの協奏曲も、かなり聞いた。毎日のようにレコードをかけていた。あとは読書ぐらいしかすることがなかったのだ。昭和16年に日米開戦。いい時代だったとはお義理にもいえないが、おかげで私は名曲に親しむことができたのである。

高校(旧制)に入ってから、好みに変化が起こった。「運命」を除いて、シンフォニーを聞きつくしたのである。友人にすすめられ、シューベルトの「鱒」のレコードを買った。ピアノと四つの弦楽器による室内楽である。わかりやすく親しみやすく、ずいぶんくりかえして聞いた。それからしばらく、モーツァルトやベートーベンの弦楽四重奏のたぐいに熱中し、つぎにベートーベン、シューマン、ショパンなどのピアノ曲に興味を持った。

そのうち、どういうわけかドビュッシーのピアノ曲が面白くなった。それまでのと変わった傾向のものだったからだろう。

こう思い出してみると、名曲とともにすごした時間は、結構多かったわけである。シューベルトの「冬の旅」もなつかしい。しかし、歌劇はあまり好きになれなかった。序曲はいいのだが、あの声は私の肌にあわない。

クラシックと呼ばれるものは、いずれも名作である。

しかし、欲にはきりがない。まだ聞いてないなかに、これこそ名作中の名作と呼べる音楽があるのではないか。そう思いながら鑑賞をくりかえしているうちに、ついにそれにめぐりあった。

ベートーベンの「大公三重奏曲」である。こんな名曲があったのかと感嘆させられた。神韻縹渺とはこのようなものへの形容だなと知らされた。当時は漢字制限などなかったのだ。なんともいいようのない、すぐれたおもむき、という意味だが、これだけは漢字で書かないとムードがでない。

難解なところは、まったくない。ベートーベン特有のあの力強さが抑えられ、限りない深みを作り出している。高貴にして明瞭、美の林の中をさまよっているような気分になる。聞くたびに、ため息がでた。

ピアノがコルトー、バイオリンがティボー、チェロがカザルス。いずれもたぐいまれな名手である。そのせいでもあろうが、人類の作り出した芸術のなかで、この曲にまさるものはないのではなかろうかとさえ思った。

戦争の末期である。東京への空襲も多くなった。そんななかで、私は毎日のようにこのレコードをかけ、聞いていた。いつ死ぬかわからぬ状勢。しかし、生きている間に、このような名曲に出会えたのだと思うと、ひとつのなぐさめにもなった。(中略)

(戦後)突如として、私は楽器をいじってみたくなった。空襲で焼かれないようにと、よそにあずけておいたピアノが戻ってきたのである。ひいてみたくなるもなるではないか。級友の紹介で、音楽学校の女の人に週に一回来てもらうことにした。

正攻法である。まさに涙ぐましいほどの努力をした。(中略)ついにバイエルを卒業し、つぎに一段上のチェルニーに入った。そして、その十番にいたって、とうとう力つきた。あまり面白くないのである。楽譜をみて、その通りにキーを叩くだけ。英文タイプを打っているようなもの。やはり楽器というのは、幼いことからはじめないとだめなようである。(中略)

「小説家とは不思議なものだ。どうして、ああつぎつぎと作品が書けるのだろう」と時たまいわれるが、私にいわせれば、ピアノを弾く人がかくも多く存在していることの方が、はるかに不思議である。あれほど私が苦心し、できなかったことなのに。きっと、やつらの神経は、うまれつきどこか私とちがっているにちがいない。(中略)

「星くずのかご No.15 年月」

話は変わるが、このところ私には驚きが多いのである。まず、音楽鑑賞を再開した。騒音公害を起こさないようにと、ヘッドホーンを使うことにし、国産の最高級品を奮発した。それにアンプとカセットデッキを買った。テープで聞こうというわけである。とりあえず「カルメン組曲」を買い、ためしに聞いてみた。そして、飛び上がるほどに驚いた。

普通の人には、なぜかわかるまい。前にこの月報(「星くずのかご 音楽について」)で書いたが、私の音楽鑑賞は終戦を境に中絶していたのである。そのあいだに、録音と再生のメカニズムが、かくもすばらしく発達していたとは。これは三十年の中断の体験者の実感である。

ヘッドホーンはスピーカーより鋭敏だそうである。もう、曲そのものよりも、演奏を耳にするだけで、ただただ感嘆してしまう。眠る前に頭を休ませるつもりで買ったのだが、すっかり興奮してしまった。何回も何回も「カルメン組曲」を聞きなおした。予想もしなかったことである。(中略)

この調子だと、ベートーベンを聞いたら、もっと興奮し、頭を疲れさせる結果になりそうである。ある人から「ヘッドホーンは中毒になるよ」と注意されたが、そうかも知れない。私の音楽鑑賞は、新しい選曲ではじめなければならないようである。
(星新一「ほしのはじまり」)

星さんのショートショート大好きにして、クラシック音楽大好きな僕としては、読んでいて、なんとも嬉しくなるエッセイでしたね…。星さんが紹介している「ピアノがコルトー、バイオリンがティボー、チェロがカザルスのベートーベン「大公」」は、有名なカザルス・トリオによる演奏ですね。下記のアルバムで聞けますよ~。
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」/他 (ティボー/カザルス/コルトー)(1926 - 1927)
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」/他 (ティボー/カザルス/コルトー)(1926 - 1927)

今、この「大公」を聞きながらこの文章を書いているのですが、この曲は大仰なところや技巧走ったところのない、綺麗に美しく小ぢんまりと纏まった軽やかな小品です。星新一さんは、机の上に置く可愛らしい小物を集めるのが趣味の一つであるいうことを、このエッセイ「星くずのかご」に書いていますが、ショートショートという、小さい美しく纏まった小説形式と、こういった美しい小品の音楽の愛好や、小さな小物が好きという趣味は、星さんの人間らしい心の繋がりを感じさせてくれて、嬉しくなりますね…。

ちなみに「大公」は、村上春樹「海辺のカフカ」で、重要な役割の曲だったので、IQ84でヤナーチェクのシンフォニエッタが売れたように、海辺のカフカの影響によって、日本では結構売れた曲ですね。星さんはご自分でも書いておられるとおり、有名なものよりもマイナーなもの、大きいものより小さいものを愛好されておられたので、たぶん、「大公」のこういう売れ方は、もし生きてらっしゃったら、あまり好まなかっただろうなとは思いますが…。まあ、いい曲が大勢の人々に聞かれるのは、良いことだと僕は思いますね…。

彼は眼を閉じ、静かに息をしながら、弦とピアノの歴史的な絡み合いに耳を澄ませた。クラシック音楽を聴いたことはほとんどなかったが、その音楽は何故か心を落ちつかせてくれた。内省的にした、と言ってもいいかもしれない。(中略)

「音楽はお耳ざわりではありませんか?」
「音楽?」と星野さんは言った。
「ああ、とてもいいお音楽だ。耳ざわりなんかじゃないよ。ぜんぜん。誰が演奏しているの?」
「ルービンシュタイン=ハイフェッツ=フォイアマンのトリオです。当時は、『百万ドル・トリオ』と呼ばれました。まさに名人芸です。1941年という古い録音ですが、輝きが褪せません」
「そういう感じはするよ。良いものは古びない」(中略)

「ベートーヴェンの『大公トリオ』です」
「なかなかいい曲だね」
「素晴らしい曲です。聴き飽きるということがありません。ベートーヴェンの書いたピアノ・トリオの中ではもっとも偉大な、気品のある作品です」
(村上春樹「海辺のカフカ」)

ベートーヴェン:大公トリオ
ベートーヴェン:大公トリオ

『良いものは古びない』、音楽もそうですが、星新一さんのショートショートを読んでいると、このことをはっきりと感じますね…。

星さんの作品は、古くならないです。
だって、星さんは『人物を描写』せずに、『人間の本質』を描いていたんだもの。
これは古くなりようがありません。
晩年の星さんの作品は、微妙に寓話のようになってゆきましたが、なんかそれ、当然の帰結のような気がします。
イソップの寓話は、永遠に古くなりません。
時代背景や社会生活が変わっても、イソップはいつでもイソップだし、星さんも、いつまでも星さんです。
(新井素子。「ほしのはじまり」より)

「ほしのはじまり」、お勧めの良書ですね。星さんの作品の中でも粒ぞろいの優れた作品の揃った、星新一さんのショートショート好きには、心からたまらない素敵な本です。
ほしのはじまり―決定版 星新一ショートショート
ほしのはじまり―決定版 星新一ショートショート

参考作品(amazon)
ほしのはじまり―決定版 星新一ショートショート
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」/他 (ティボー/カザルス/コルトー)(1926 - 1927)
ベートーヴェン:大公トリオ

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