バレンボイム/サイード 音楽と社会
ワーグナー:管弦楽名曲集

最も強調したいのは次のことだ。人生は、批判精神や解放体験を打ちのめそうとするタブーや禁止事項によって支配されるものではない。この心構えは、常に第一に掲げるだけの意義がある。知らないでいることや知ろうしないことが、現在の道を切り開くことはないのである。
(エドワード・サイード「バレンボイムとワーグナーをめぐる論争に寄せて」)

18禁を未成年がプレイするシーンが登場する作品に、エロゲメーカーが協力することの是非
http://togetter.com/li/56307

「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」、中学生のヒロインが重度のエロゲオタであるという作品なのですが、それについて、「中学生がエロゲオタクのアニメにエロゲメーカーが協力しているのはけしからん!」という批判が寄せられていますね。僕は、この批判は明らかにおかしいと思います。

「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」はアニメの第一回を見て、僕としては『なんの捻りもない、ものすごくつまらない萌えアニメ』との感想を持ちましたが、作品自体に倫理的な問題があるとは全く思わなかったです。現実とは別の仮想として描かれる表現作品の内容と、その外の事象は基本的に切り離して考えるというのが、近代における表現作品の受容の仕方(いわゆる「表現の自由」の基礎概念)であって、『18禁を未成年がプレイするシーンが登場する作品に、エロゲメーカーが協力する』ことに何の問題もないでしょう。

『18禁を未成年がプレイするシーンが登場する作品に、エロゲメーカーが協力してはいけない』のような、フィクション内の非道徳性と外部の肩書きを安易にくっつけるおかしな考えの方が危険です。こういう表現の内部と外部を無理矢理くっつけるムチャクチャな考えは、『道交法違反のカーチェイスシーンがあるTVドラマにトヨタがCM出すのはおかしい、トヨタは道交法違反を讃美するつもりか』とか、『殺人事件があるドラマに政府広報のCMが流れるのはおかしい、政府は殺人を(以下略)』みたいなムチャクチャな因縁を付ける考えと何も変わりません。

こういうおかしな因縁付けが出てきたときに、『いや、現実と虚構表現を無理矢理混同させているそちらの方がおかしい。虚構の表現世界は現実の事象とは別物であって、表現とその外部とは関係がないとして捉えるのが、近代の作品受容である』と、近代の原則をきちんとはっきり言う立場が、表現を守る立場であり、虚構の表現を愛好する人々にとって、より良き立場だと僕は思います。

「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」は、僕にとって、全くつまらないアニメでしたが、少なくとも一つの仮想の表現作品として、虚構の表現と外部を無理矢理くっつけた詭弁で不当に批判されるべきではないと思います。その点において、このアニメを擁護します。

「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」、このアニメ作品に対する僕の正直な感想としては、本作はコメディ色もパロディ色もキャラクター性もストーリー展開も何もかも中途半端で凡庸な出来であり、メタフィクションと言えるほどの仕掛けも何も無く、演出展開キャラクター全てがひたすら分かりやすく平々凡々で、最初から最後までひたすら凡庸につまらないとしか言い様がない出来の悪い駄作アニメだとは思いました。しかし、いくらなんでも、『18禁を未成年がプレイするシーンが登場する作品に、エロゲメーカーが協力してるからいけない』なんて理由でこのアニメを批判するのは、不当な言いがかりであると思います。

『18禁を未成年がプレイするシーンが登場する作品に、エロゲメーカーが協力してるからいけない』なんて言い草を放っている人々は、『ダニエル・バレンボイムはユダヤ人であるにも関わらず、ワーグナーの音楽を演奏するという大罪を犯している、奴を処罰せよ!』と声高に叫んでいるイスラエルの国粋右翼達と一体何が違うのか、今一度考えてみるべきだと思います。

エドワード・サイード「バレンボイムとワーグナーをめぐる論争に寄せて」
http://www.diplo.jp/articles01/0110-6.html
2001年7月7日、素晴らしいピアニストであり、指揮者であるダニエル・バレンボイムの率いるオーケストラがイスラエルで開いたコンサートは、大きな嵐を巻き起こした。アンコールの途中でリヒャルト・ワーグナーのオペラが演奏されたのだ。最初に断っておかなければならないが、バレンボイムは私にとって親しい友人である。この一件以来、彼は非難や侮辱、猛烈な糾弾を浴びせられている。なぜなら、リヒャルト・ワーグナー(1813−83年)は非常に偉大な作曲家であると同時に、有名な(極めて不快な)反ユダヤ主義者であったからだ。(中略)

成熟した精神の持ち主であれば、ワーグナーが偉大な音楽家であり、おぞましい人間であるという相反する二つの事実をともに把握することができるはずである。不幸なことに、この二つは表裏一体となっている。だからといって、ワーグナーを聴いてはいけないということになるのだろうか。まったくそんなことはない。とはいえ、今でもワーグナーとホロコーストを結びつけて胸を締めつけられる人々にまで、無理に聴かせるには及ばない。しかし私は、芸術に対しては虚心坦懐に向き合う必要があることを強調したい。芸術家の非道徳的で邪悪な態度を道徳的に判断すべきでないということではない。一人の芸術家の作品がその観点だけから判断され、糾弾されてはならないのだ。 (中略)

最も強調したいのは次のことだ。人生は、批判精神や解放体験を打ちのめそうとするタブーや禁止事項によって支配されるものではない。この心構えは、常に第一に掲げるだけの意義がある。知らないでいることや知ろうしないことが、現在の道を切り開くことはないのである。

参考リンク
小林研一郎指揮「チャイコフスキー交響曲全集」。「バレンボイム音楽論」。自ら聴くことについて。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/1188368.html

参考作品(amazon)
バレンボイム/サイード 音楽と社会
バレンボイム音楽論──対話と共存のフーガ
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