紫色のクオリア (電撃文庫)
結晶星団 (ハルキ文庫)

うえお久光「紫色のクオリア」読了。最初の1ページ目から、『火の鳥&ウィトゲンシュタイン』という感じで、なんとSF者の魂を鷲掴みにする出だし、掴みはOKという感じだねと思いながら読んでいたら…

毬井ゆかりは、ニンゲンがロボットに見えるという。
正確にはヒトだけでなく、自分以外の『生きているモノ』、すべて。
彼女は自分をのぞいたあらゆる生物がロボットに見えるといい、そして、その話が真実かどうか、他人に確かめるすべはない。たとえどれだけありえない話に聞こえても――考えてみてほしい。『赤いりんご』を見て、『赤い』と感じたことを、どうすれば他人に伝えられるだろう。『赤色』という『感じ方』を、『赤い』と口にする以外にどう説明できるだろう。どれだけ言葉を並べようとも、自分が感じた『赤色』を正しく表現することなど不可能で、人間がロボットに見える、というのも結局はそれと同じこと。実証のしようがない。
(うえお久光「紫色のクオリア」)

上記は最初のページですが、読ませる力のある小説でして、どんどん読んでいくうちに読了して、ぶっ飛びました。本作は話が無限大に極端にエスカレートしてゆくタイプのSFでして、ルーディ・ラッカーの量子SFや小松左京さんの宇宙論SFを彷彿させるような、ぶっ飛びセンスオブワンダーSFを久々に読んだという感じで大満足!!上記引用部分はあくまで掴みでして、この物語の真の主題は、上記引用で出てくる毬井ゆかりという女の子の物語ではないのですね。

この物語の真の展開は、この物語の語り手にして主人公、波濤学という子にあります。この物語の大半は、この子が「神への長い道」(小松左京「結晶星団」収録)をひたすら駆け上ってゆく物凄い展開です。最初はごく普通の女の子だったこの子が、毬井ゆかりの手により腕の中に携帯型もしもボックス(波動関数の収縮を自在に操作する携帯)を組み込まれたことで、どんどん量子的にして超越的な存在へと変わってゆくのですね。彼女は進化の階梯を百段飛ばしでひたすら駆け登り、ついにはごっど・まるちぷる・まなちゃん(人間の住む宇宙に対する上位次元からの上位観測者、時空と因果律を超越した神)にまで進化するのには、読んでいて心底驚愕しましたね。

この本、最高に楽しいです。SF者は何があっても絶対読むべきSFですね。『これがSFだ!!これがSFなんだよ!!』と叫ばずにはおれない、SFの楽しさ、SFの醍醐味が一杯に詰まった良質のぶっ飛びセンスオブワンダーSFです。こういうSF、展開がアクロバティックに無限にエスカレートする物語、大好きだなあ…。それと、腕に組み込まれた携帯型もしもボックスというアイデアが素晴らしい。もしもボックス最強過ぎます。「もしも、神になれたら…」ジリリリリ。

もしもボックスはパラレルワールドへの入り口!? ドラえもんで学ぶ「やさしい量子力学」
http://www.citywave.com/dennou/2007/02/post_101.html
驚いたのが、「もしもボックス」が「もしもの世界」を実現させるための道具なのではなくて、実はパラレルワールドに移行するための道具であった、ということです。これはドラミちゃんの何気ない説明から判明しました。(中略)

つまりもしもボックスとは、量子力学的に言うなら「波動関数の収縮状態を自在に選択できる装置」ということになります。「もしも宝くじが1億円当たったら!」ともしもボックスに話すと、「現実に宝くじが1億円当たった状態に収縮(決定)している別の世界」に移動するというということになるんですね。

『あたし』の失敗は、可能性を『縦』だけに求めたことだ。
無限の平行世界というものに、自ら枷をつくったことだ。
でもあたしは、同じ間違いを犯さない。可能性にげんかいなんて設けない。必要なのは柔軟性。
大事なのは『結果』で、『結果』さえ『決定』すれば、『過程』は勝手に生まれてくる。
あたしはわくわくしながら、おもちゃの電話のボタンを押した。
「もしもし?」
すぐに『あたし』が答えた。
「はい!もしもし!」
「……やることはわかっているわよね?あたしのあたまのなか、つたわっているよね?」
「うん!さがすんでしょ!へいこうせかいのあたしを!ざんねんながらあたしはちがうんだけど。でもがんばる!」
うん、とうなずいて電話を切り、また、新たにかけなおす。
きっとこの瞬間、無限のあたしがいっせいに電話をかけはじめているのだろう――そんな情景を想像し、どきどきしつつ。
これならすぐ見つかるだろう。
そう、探すのだ。
あたしが無力だというのなら『力』を持っている『あたし』を。
たとえば――『魔法が使えるあたし』を。
平行世界が無限だというのなら、そのなかにはひとりぐらい、『魔法を使えるあたし』がいるに違いない。
そして一人でも見つかれば、次からはそれが『基本』となる。
無限の可能性とは、こういうふうに使うべきなのだ。
「もしもし!」

「――うん!まかせて!あたし、きっと、できるよ!」

そうだ、あたしならできる――だって、ずっとなりたかったのだから。

魔法少女というものに。………

「まほうしょうじょ、まじかる・まるちぷる・まなちゃん!たんじょう!」
(うえお久光「紫色のクオリア」)

あと、謎めいた本作ラストの解釈ですが、作中での万物理論の完成時に、宇宙における波動関数の収縮が起きているので、万物理論による波動関数の収縮が効いている状態の宇宙において、宇宙の波動関数を発散させる(世界をリセットする)ことができるのは、宇宙に対する、より上位の観測者である、ごっど・まるちぷる・まなちゃんこと神バージョン波濤学と、上位観測者である神バージョン波濤学を観測できる能力を持つ、これまた上位観測者である毬井ゆかりの二人だけになっています。

その後の神バージョン波濤学は、波動関数を操作して、無限の重ねあわせ状態にある世界から自分にとって都合の良い世界を選ぶ能力を封じてしまったので、ラストで『毬井ゆかりの死』が起きないということは、毬井ゆかりが波動関数操作能力で『自分が死なずに、みんなとずっと幸せに暮らす世界』を無限の重ね合わせ状態にある宇宙から選択したということでしょう。

面白いのは、ラストの展開によって、ちゃんと前半の謎めいた展開のつじつまがあうところですね。神バージョン波濤学の能力は因果律を超えた能力、自分の望む状態を始点として、自分にとって都合の良い過去を再構成する能力ですから、神バージョン波濤学を観測して彼女と同じく上位観測者になった毬井ゆかりもこの能力を得たと考えられる。この能力は時空の因果関係を能力者に都合よく捻じ曲げますから、毬井ゆかりはこの能力を使って、神バージョン波濤学を観測したり、前半の謎めいた殺人鬼退治を行ったり、天条七美を生き返らせたり、波濤学に波動関数操作能力を与えたりしたと考えられますね。

上記、因果律(原因→結果)から見ればパラドックスが起こっていますが、作中で描かれる波動関数を操作する能力は因果律や時空の順序を超越した、パラドックスを超えてしまっている能力ですからね。ちゃんと、毬井ゆかりが何故、神バージョン波濤学を観測できたのか、またどうやって謎めいた超常的な力を発揮したか、これで説明が付くんですね。物語の組み立てが実に上手いなあと感心しました。

また、神バージョン波濤学を毬井ゆかりが観測できたのは、神バージョン波濤学がそのように無意識に望んで、その望みにより、毬井ゆかりが上位観測者であるように再構築された結果とも考えられます。これまた、パラドックスですね。パラドックスに量子論で強引に説明をつけているところは如何にも現代風SFです。昔のSFはあまり量子論を使いませんから。

ただまあ、量子論をこのSFのように「もしもボックス」的な使い方でマクロに適用して無制限に扱うと、ありとあらゆることがなんでもできちゃう最強に万能なツールになってしまうので、「タイムスケープ」みたいな真面目に量子論に取り組むハードSF分野から見ると反則技ではありますが…、まあ、そこら辺は僕的には「この本は面白いからよし!」という感じで…。ルーディ・ラッカーのぶっ飛びSFも、量子論をもしもボックスにしてますし、SFの本場アメリカにおけるラッカーのSFの評価も「面白いからOK!」という感じですからね。

この本、ラストも上手いです。物語としては決定的に終わりにならざるを得ない展開から導かれる幸せな終わりにSF的説得力を持たせている。毬井ゆかりは自らの運命を操作できる上位観測者であって、彼女はずっと幸せな未来を選択し続けることができる。おとぎ話の『いつまでもいつまでも幸せに暮らしました』という終わりを、量子論SFにすることで説得力ある形に仕上げていて面白いですね。傑作です。ぜひご一読をお勧めする見事なSF小説です。この小説を気に入った皆様方には、ルーディ・ラッカーとかもぜひ読んで欲しいですね。波動関数を操作して軽いノリで宇宙を再構成しちゃったり、本作と同じ味わいがあって面白いですよー。

参考作品(amazon)
紫色のクオリア (電撃文庫)
結晶星団 (ハルキ文庫)
時空ドーナツ (ハヤカワ文庫SF)
時空の支配者 (ハヤカワ文庫SF)
ラッカー奇想博覧会 (ハヤカワ文庫SF)
大長編ドラえもん (Vol.5) のび太の魔界大冒険 (てんとう虫コミックス)
火の鳥 5・復活編
ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)
タイムスケープ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)
タイムスケープ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

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